2010年04月28日

【代表主侍医のつぶやき】2010/5

主侍医冥利のお話
 
メンバーのHさんのご紹介で昨年、主侍医倶楽部のご契約をいただいたSさんのお話をさせていただきます。勿論、Sさんからは了解いただいております。「実名でお載せいただいてもよいですよ。」とまで言っていただき感激しています。長くなりますが、肺癌の病気のことの勉強や、主侍医の活用の仕方などの参考になると思いますので、辛抱強くお読みいただければ幸いです。
 
Hさんは、長年法人メンバーとして、私どもを応援いただいている方です。昨年のある日、「仲の良い大切な仲間がいるんだけど、医者嫌いなんですよ。でも、そろそろ歳だし、20年間も人間ドックもしていないようなので、取り敢えず人間ドックの相談をしてあげてくれますか?」と依頼されました。
最初、Sさんとお会いしたときも「お医者さんはおっかなくて。何を言われるかと思うとドキドキして。人間ドックも怖くて行けませんでした。でも、Hさんに勧められて、思い切って参りました。」とのことでした。
ほとんど初めての人間ドックでしたので、内容が盛りだくさんのドックを四谷のクリニックで行うように手配しました。(この間のスタッフとの触れ合いからご信頼をいただき、この時点で「主侍医倶楽部にも入会したい。」とのお申し出をいただきました。)
結果の報告が来て、我々担当主侍医笹部ドクターとともに内容を再確認すると、数個の軽い問題点があり、それぞれに対処するプランをたてて、Sさんと面談することとしました。12月28日と年の暮れ押し迫った時でした。それぞれの問題点につき、専門医への紹介、当院での経過観察などのお話です。その問題の中のひとつに「胸部CTで、左肺の上部に1cmのGGOと呼ばれる腫瘤陰影。」がありました。一般的には、癌の可能性も低く、まずは慎重な経過観察というところです。従来から医者嫌いのSさんですから、あまり怖がっていただいては申し訳ないし、いざという時の決断が遅れることにもつながります。そのために、まずは、より軽度な問題点について安心できる対策を説明し、面談に慣れてきたところで肺のお話をすることにしました。まず伝えたいことは、肺癌の専門医の監視下に入っていただくことです。
私どもがお付き合いいただいている、肺癌の診断や治療の専門家は数名おりますが、その中で山王病院のOドクターにご依頼するのがSさんにとって総合的によいのではないかと予測したうえで、他の選択肢も用意し面談しました。「先生方のお薦めのO先生にお願いしたい。」「分かりました。では、O先生にご紹介します。まずは人間ドックの時のCTを見ていただいて意見を聞きましょう。」
四谷のクリニックにCTのデータのCD-ROM作成の依頼をし、年明けすぐの1月7日、Oドクターの診察の予約の手配をしました。「年末年始はこのことを忘れて楽しんでください。」
1月7日、Oドクターの意見は、「10mmのGGOで、大きさや場所から悪性の可能性を調べるために、胸腔鏡下の切除(VATS)も視野に置いて、まずは2、3ヶ月後の検査で比較読影しましょう。」ここまでくるとSさんも相当心配しているはずです。笹部ドクターと「Sさんには安心感を与えつつ、最善の方策を模索していきましょう。」と話す。
実は、Sさんは、2月にハワイで過ごす計画をたてていました。「丁度良かったです。次の検査までやきもき心配しているより、ハワイで思いっきりゴルフを楽しんできてください。肺は悪性の可能性は低く、あったとしても超早期ですから心配はご無用です。」「先生方を信頼しています。」
ハワイから戻られて、3月4日にOドクター再診。「今回のCTでは、GGOの大きさに変化なし。今すぐVATSでも、3ヶ月後の経過観察でもどちらでもよい。癌の可能性は少ないが、癌ではないと断言できない。癌でないことを確認する目的なら手術(VATS)を勧める。」との説明を受けて「寺下先生と相談して決めたい。」とお答えされました。
3月10日、我々との面談。その間、Oドクターからの報告もあり、上記Sさんへの直接説明に加えて「最近は最終的に患者さんの満足度が高いので、VATSを積極的に行っている。」とのコメントもいただく。奥様を同伴されたSさんとの面談前、30分以上をかけて担当の笹部ドクターと菊地マネージャーも交えて、
どういうふうに今回の医療決断を支援していくか検討。Sさんが、手術を恐れるなら、今の段階では経過観察の選択もあるかもしれないことを念頭に面談しましょう、となりました。

面談ではまず、「心配で夜も眠れないですよね。」とスタッフ一同共感した上で、「思い切ってVATSをするのも、3ヶ月経過をみるのもどちらも安心できる選択です。」ということを基調に話を進めました。Sさんは、出来うるなら手術を避けたいと思っているだろうと、予測しての面談でした。ところが面談を進めていく中で、Sさんは手術をする覚悟をしているのではないかと感じ、それなら我々もより安心できるVATSをするという判断の優先性を上げるという方向性にシフトしました。「実は、心の中では思い切って手術をしたほうがいいかなと覚悟をしながらも迷っていた気がします。しかし、今はっきりと決断できました。先ほど、先生方が言われたように、手術をして悪性ではなかったら、それはそれで嬉しいし、悪性だったら早く見つけていただいてよかったとどちらの結果がでてもよかったと思える気がするからです。決断が出来てすっきりしました。あとはお任せするだけです。」
このSさんの言葉を聞いて、実は、涙が出るくらい嬉しく思いました。「結果の如何に関わらずよかったと思っていただけるような決断の支援ができることが医療判断の真骨頂、そのような関係こそが主侍医倶楽部の真髄」という僕の思いそのものだったからです。普通は「悪性でなければ、余計な手術を勧められた。悪性であれば、3ヶ月の経過観察などせずに、年明けすぐにでも手術をしてほしかった。」となるのが人情です。でも、そういわれると我々も生身の人間、とても悲しくなり主侍医稼業を続けていけるかどうかいつも悩むところでもあるのです。
そして、翌々日の3月12日、Oドクターの再診を予約し、決断をお話しされ、同月23日入院、24日手術というスムーズな予定となりました。ところが、24日当日、VATSと呼ぶ、胸腔鏡による部分切除の予定でしたが、手術中に腫瘤の迅速病理診断を行ったところ、悪性細胞がみつかり、急遽、開胸による上葉切除術に変更することになりました。数時間の予定の手術が一日がかりとなり、ご家族も心配されましたが無事終了。それでも29日には、ドレーンなどの管も抜けシャワーも可能だし食欲旺盛。4月1日には退院となりました。
退院後の4月7日、Sさんが奥様とお元気な姿でご挨拶に来られました。その際、Oドクターと「手術をしてよかったですね。でも毎年あのような精密人間ドックをしていたお陰でしょう。」「いえ、今回が20年来初めての人間ドックでした。」「えっ?それはなんと運の強いお方なのでしょうか!」という会話があったことをお聞きしました。
「Sさんの強運と、それを支えてくれたご友人Hさんの温かい思いやりのお陰です。我々に対し厚い信頼をしていただいたことで、よりスムーズに進みました。主侍医冥利につきる出来事で、こちらからこそお礼を言いたい気持ちです。」と心からお喜びしました。

事実に基づいて、長いお話をしました。主侍医とクライアントの皆様の関係の理想的な出来事でしたし、Sさんのご快諾を得ましたので、日頃の我々の活動の一端をお知らせするよい機会と思いご紹介させていただきました。主侍医の活動はともすれば非常に困難で辛いことが多いのですが、このようにお役に立てた時は喜びもひとしおです。僕も今年は57歳ですので、後輩の育成や継続性のあるプライベイトドクターのシステムの構築を進めていきたいと思っております。今の形の主侍医の新規ご契約を制限し、もう少し軽い形で医師側も参加しやすく、またクライアントの方の負担も軽減できるようなシステムの運営を進めていきたく考えております。皆様からの更なるご支援をいただければ幸甚でございます。

2010年04月21日

「患者中心」医療から「人間中心」医療へ

「患者中心主義」は、医療の理念の代表のひとつである。だれもが賛成せざるを得ない理念である。拙著の「私を救う医者はどこ?」の前書きの冒頭でも「人間の幸福な生活の一助のためにのみ医療は存在する」と言い切っている。これも「患者中心主義」を表しているようではあるが、次に続く文章で「こんな当たり前のことを、患者側医師側などという枠組みでなく、国民みんなで再確認しよう」と書いた。 相変わらず「医療崩壊」という言葉が繰り返されている。皮肉なことだが、もしや、この「患者中心主義」が関連しているのではと僕は空想してみた。「患者中心主義」が「患者様」と言う言葉を生み出した。どこかでよく聞く言葉である。そう、「お客様」という言葉である。ある歌手が言った言葉を思い出す。「お客様は神様です」いわゆる「商売」からしてみればそうなるだろう。その通り「患者様」を「お客様」にみたてて、医療機関に置いてもサービス精神の必要性が叫ばれた。今までの「ぶっきらぼうな」医療機関にとっては、とても大切なことだと僕も思った。しかし、日本人は、独創的なことは苦手だが、一旦みなが同じ方向に進む場合に、行き過ぎる性癖があると僕は感じ自戒もしているところだ。案の定、エステサロンやビタミンショップとまがうようなクリニックがあれよあれよという間に乱立した。アンチエイジングの本来の崇高な意味合いを単に商売道具に使ったようなところも乱立し、真面目に取り組んでいる医師は戸惑っているに違いない。他の機会で述べるが、医師の偏在の要因のひとつと言えると僕は思っている。 これとは反対に、多くの真摯な医師たちは「患者中心主義」を全うしようと日々懸命の努力をした。しかし、医療の不確実性、病気や死の宿命性、限られた(少ないと言える)医療資源という環境のなか、お客様として増大しつつある「期待」「要望」「要求」「批判」「非難」「攻撃」の前に疲弊した。それでも経営者や世論が守ってくれないどころか、「患者様が苦しむ前で、へこたれるとは何たることか!」と叱責した。耐えきれない勤務医たちは、大学教授や大病院の部長という地位を捨ててでも病院を飛び出した。ある医師が表現しているところの「立ち去り型サボタージュ」という現象である。 そもそも、日本の医療保険制度ほど充実したシステムは世界中を探してもなかなか見あたらない。その証拠に、かの大国アメリカが日本のシステムを模倣しようとしたが、「我が国民には不可能なシステムだ」と絶賛したことは有名な話しだ。その保険システムが今まで維持できたのは、医師を始めとした多くの医療従事者の犠牲的努力の上であったといっても過言ではないと思っている。 今、アメリカのオバマ大統領から叩かれている金融業界や日本でも「一億円以上の年俸を公表する」ことに猛反対している大企業(の役員たち)を、まじめな医師たちは、別世界のように呆然と眺めている。実際、医療界のリーダたちと企業のリーダーたちと話しをしていても、根本的な発想は全然違う。勿論、双方の方々をそれぞれに尊敬できるのだが。 そもそも「開業医の報酬と勤務医の報酬の格差」などということに天下の一流マスコミが何度も報道していることに奇異さを感じている。国民を混乱させている要因ではなかろうか。再診料が690円か710円かを論争したり、外科医が数名、その他のスタッフが数名以上一日専念する大手術の費用がたいていは驚くことに100万円以下だ。確かに「100万円」はたいした金額だ。しかし、この費用の中には、その多くを占める医療機器や材料、薬剤などの他に、場合により数度以上、数時間以上かけた患者や家族への説明などの労力も含まれることになり、そういった医療者の努力への報酬は全く考慮されていないと、ある外科医が苦渋の表情で僕に話したことが印象的だった。医療技術の発達とともに、個別の医療にかかる経費も上昇し、また、国民の医療利用率も増大している。これを国民の保険拠出金でまかなうことに無理がかかってきたのも必然のことである。思い切った改革が必要なときだが、だれも火中の栗を拾いたくない。 僕は、この文章を「医師の立場で自己擁護のために」書いているのではない。実際、僕はほとんど保険の頼らない活動をしているから、直接利害とは関係なく、俯瞰的立場で見ることができる。日本の医療を少しでも向上し安心できる体制を作るための「医療評論家」や医療を受ける側の国民の立場で書いているつもりだ。その気持ちで、標記の提言を考えた。 「日本の国民に取って最大の利益を得るため」の医療の実現のためには、今こそ「人間中心」の医療体制を整備することが急務だと考えた。医師をはじめとする医療スタッフも同じ人間だし、「医療もサービス業のひとつ」という反論はあろうが、「医療は普通の企業や商売にはなりえない」という基本的考えからである。国民総力で守っていかないといけない。医療を「教育」や「政治」などに置き換えても似ている。多様性が進化した現在では、「基本的な医療は」とか「基本的な教育」としたほうが正確かもしれない。「病院に集うもの皆が、快適で安心し納得できるような医療環境」の実現を目指すことが「医療崩壊からの脱却シナリオ」の発想だと言いたい。口で言うのは簡単だが、具体案に関しては次回以降に譲りたいと思う。

2010年03月10日

共感と同情 

医療や看護やカウンセリングの心がけで大切なイロハは「傾聴と共感」とよく言われる。この共感に似たようなものに「同情」がある。どうも日本人は「同情」が好きなようで、代議士などの投票に際しても「同情票」というような言葉が存在するくらいである。「共感票」とは言わないのが普通である。ということは「共感」と「同情」は明確に区別されている事になる。僕は、この辺のところが医療に大切だと思っている。医療者として活動してく際には患者さんの苦しみへの共感が必要であり、それを原動力として解決への努力のエネルギーが発生するような気がしている。日常的な診療では、いつもそこまでは意識していないだろうが、患者さんがかなり困難な状況に陥ってそれに対処するの医師側にも困難が山積みな場合は、相当エネルギーが必要である。その場合に意識するのが「患者の苦しみへの共感」ではないだろうか。 では「同情」ではいけないのだろうか。言葉のあやなので、言語学的な追求は別として、「同情」に続くものにはプロの判断が出来にくいと思っている。先ほどの「同情票」のようにともすれば正しい判断を逸脱する可能性がある。「同情」には、良い意味でも悪い意味でも感情移入が色濃く入ってしまうからであろう。 では、患者側から見たらどうだろうか。よく「患者の痛みの分かる医者は少ない」との批判を耳にする。実際そうであろう。痛みはなかなか伝えにくいものであり、理解も難しく、理解をしたつもりでも患者から見れば分かってくれていないように感じるものである。患者サイドからみると、やはり医師に自分の痛みを分かって欲しいのである。その時に「同情」して欲しいと感じているか「共感」をして欲しいと思っているか「理解」だけしてほしいと思っているかはかなり個人差がある。 患者と医師とのコミュニケーションはつくづく難しいと思う。うまくいっていると信じていても、結果が悪く出ると、関係はこじれることが多い。それに他の医師の不用意な言葉などが加味されると、関係の悪化は加速してしまう。このような嘆きは、本当に多くの医師仲間から聞かされる。普段、真面目に医師稼業をしている人からよく聞く。商業主義的または権威主義的な医師からはむしろ聞かない。「聞く耳」「共感するこころ」をあまり持ち合わせていたないからであろう。医を打算的に行うためには「聞く耳」はとても障害になるし、権威主義で名誉地位のみを追うものにとって「共感するこころ」は1次試験落第である。 患者も医師も同じ人間。時に患者は「共感のような演技」「同情のような振り」に騙される。「プロとしての共感」を理解できず、結果に振り回され自分にとっての良医と袂を分かつことがしばしばある。医療決断支援の仕事をしていてつくづく残念に感じることである。同情が好きな日本人の特徴であろうか。

2010年03月03日

昔提言、今疑問の理由(わけ)その1 医局の功罪

今の事務所を設立する前後の頃だから、30年近く前になる。その頃から、医療の仕組みに関心が向いていた。「こんな仕組みがあれば医療の質があがるのに」とか「この仕組みが改善されれば、もっと快適な医療環境が実現するのに」というような思いが、次から次へと気になった。いわゆる「勿体ない思想」だと思っている。「せっかく各論としての医療技術や医師の能力が高いのに、もっと安心で満足できる医療の実現が可能なはずだ」という思いが根本にあった。 その頃、主張していた数ある提言の中に「教授の個人的利益の温床の部分が残り形骸化しつつある医局システムの改善改革が急務」というのがある。30年近く前のことだから、まだまだ医師の世界は医局主義で「出世を狙う医師は医局を中心に活動することが必須」と思われていた時代である。僕は、幸いと言うか不幸にというか最後に属した医局の一部の人の醜さに耐えられず単身で飛び出したわけだが、医師仲間から「勇気あるねえ!」となかば憐れみを持った励ましの言葉をたくさん頂いたものだ。 ご存知のように、その後しばらくして、医局の中の教授を中心とした権力構造事件などがあり、高名な先生方も医局廃止論を展開するに至り、日本独特の「そりゃあ、尤もだ」的「みんなで渡れば怖くない」的流れで、名実共に医局制度の崩壊が進んだ。特に医学部が集中する都心部でその傾向が強く、新卒の若い医師たちは従来のように医局に属し服従するというような慣習は「そんな時代もあったのね」というくらいに医局講座制の崩壊が進んだ。勿論、ある意味ではイノベーションであり、医学医療の向上に寄与した部分もあるが、地方における医師不足を生み出した元凶ともなった。医局を中心にして医師を地方にもローテートさせるという仕組みが事実上崩壊したからである。 そもそも医局講座制は、ドイツゆずりの仕組みで、教授を中心に後輩たちを育成教育していくことを目的としたものである。そして中世ヨーロッパのギルドのように、同業技術者組合みたいな機能も含み、同じ組合員の職の安定供給をサポートする役割も大きい。また隠れた役割として、同じ釜の飯の仲間の交流の場として厳しい仕事をする者にとっての精神的よりどころともなっていた。こう考えると結構役立っていたのである。 僕が当時、医局のあり方を批判していたのは、本来の医局の役割を逸脱して、一部の人の権力を守るためにのみ使われ、今の政治の党や派閥のような悪い部分のみが目立ってきたことへの警鐘であった。医局廃止論ではなく、医局ルネッサンスであった。しかし、時代の流れは医局廃止の方向へ進み、その流れは止められない。それも時代の流れだと思っている。では、どうすれば医師の偏在(と言われている医師不足)を是正できるのであろうか。いろいろな意見が飛び交っているが、決め手はない。だから、単純に医師の数を増やそうとしている。医療費抑制と医師数の増加をセットに考えているから、薄利多売医師の粉骨で成り立っている日本の医療は再生どころかますます崩壊するのではと危惧している。もっと本質的な方法論はないものだろうか、知恵を集める必要があると強く感じている。 そんな訳で、昔は「医局は改革せねばならない(こんな医局ならない方がまし、、、とまで言ってはいなかったが)」から、今は「本来の医局的なものは必要なのでは」と思っている。 例によって、口先だけではという批判に答えるために、モデルとなるような実践をしてみたいと考えているが、民間でやるからにはなんらかのスポンサーシップや経済的にも運営可能な仕組みを内蔵しなければならないので苦慮中である。これはと思う方の応援を期待している次第である。

2009年08月17日

【代表主侍医のつぶやき】2009/8

主侍医通信 2009年8月号(第113号)より
【代表主侍医のつぶやき】

すっきりしない天候が続いていますが、みなさまお元気でしょうか?今年は、例年と比較して主侍医倶楽部のメンバーの方や私個人の友人、知人の方の病気や怪我などのご相談が多いようです。いつも不思議に感じるのですが、ある病気の相談が発生すると、同じ病気についての相談が重なってあることが多いのです。とても科学的な話しでなく一笑に付されそうですが、運命の巡り合わせを感じます。私どもが、相談を受ける時は、ほとんど喜ばしくないことが発生している訳ですが、唯一、嬉しい相談があります。お産の相談です。今年は、お孫さんなどのお産の相談も多く、その病院選定紹介でお役に立てたことは嬉しく思っています。また、スタッフドクターの石澤医師や笹部医師が活躍してくれているお陰もあり、私どものメインの主侍医サービス業務である「医療判断助言とサポート」へのご紹介クライアントが増えています。また、その結果、主侍医倶楽部へのご入会の方が続き、日本で唯一ともいえる本格的な「プライベイトドクター業務」のご賛同者が、少しずつでありますが増えてきたことを喜んでおります。各分野で活躍されている方には、是非プライベイトドクターを持ってほしいと思っています。相応しい方がいらっしゃいましたら是非ご紹介下さい。9月から定例で、主侍医サービスと主侍医倶楽部の説明会を開きますので、こちらへのご参加のご紹介を頂ければ幸甚でございます。新型インフルエンザに関して、ひとこと私見をお話します。一般向け医療社向けに関わらず、楽観論、悲観論が交錯しています。よく、「先生はどうお考えですか?」と聞かれます。「人事を尽くして天命に対処する、のがいいのではないですか?」と答えています。最近の感染状況をみると、今年の冬の流行はとても心配です。学校閉鎖やマスク着用などを神経質に行い過ぎと批判もされましたが、そのお陰で日本はアメリカや他のアジアに比べて、今までは大流行を免れたのかもしれません。タミフルの備蓄も世界的にみて、日本は進んでいるようです。はっきりした新型インフルエンザの発症では、各病院でタミフルの処方は可能だと思われます。しかし、身近に発症者が出た時に、予防的に服用するタミフルの備蓄が必要かと考えています。クリニックでは、まだ、若干の余裕がありますので、お問い合わせ下さい。

2009年05月31日

【代表主侍医のつぶやき】2009/5

主侍医通信 2009年5月号(第112号)より
【代表主侍医のつぶやき】

100年に一度の不況と言われる時に「新型インフルエンザ」の脅威が襲ってきました。大地震が起きた地域に豪雨も襲うことなどもしばしばなように、まさに「泣き面に蜂」ですが、皆様おかわりございませんでしょうか。前号でも書きましたが、今回の不況は我々経済先進国が心の後退国でもあったことに気付くチャンスを与えてくれたのかもしれません。同様に「豚インフルエンザ」は、毒性の強い「鳥インフルエンザ」やその他の感染性の重大な病気の流行に備える予行演習として、神が試練を与えたもうたのかと私は考えています。「騒ぎ過ぎだ」とか「無防備すぎる」だとか、いろいろと論議されています。しかし、もう一度、社会問題としての健康被害について再認識する必要があると思っています。今回のインフルエンザがもっと毒性が強ければどうなっていたのかと思うとぞっとします。どの程度のプロテクションになるのかは、まだまだ未知な部分が多いですが、健康に真摯に取り組んでいるメンバーの皆様のために、タミフルの備蓄処方を出来るように努力いたしました。事務局からのお知らせをお読み下さい。主侍医を持つこと自体、日常の安心とリスクヘッジです。そして、せっかく主侍医がいるのだから、最低でも2、3ヶ月に一度は、健康チェック面談にお越し下さい。簡単な血液検査でも、定期的に行っていると随分違うものです。最近、メンバーの皆様から「医療判断助言」のためのクライアントの方のご紹介が多くなっております。簡単な問題では我々のところに来られることはまずありません。丁寧に時間をかけた面談と、他の専門医との楽屋裏でのやり取りが必要な内容がほとんどです。そのようなクライアントの方に、我々はスタッフ一丸となってお役に立てるよう「医療判断外来&サポート」という一案件ごとのサービスを提供しています。特に複雑で不安要素が強い場合は「一時的主侍医」という期間限定の主侍医サービスを提供しています。こちらは最大3ヶ月間ですが、その間は「救急主侍医ホットライン」も利用できますの、24時間医師と直接電話でき、とても安心です。生活習慣病などの外来を、完全予約でゆったりと受けたい方のご紹介も歓迎しています。後輩の石澤ドクターと笹部ドクターがお待ちしています。有料予約制が基本ですので、最大でも1時間に4名までのゆったり診療です。登録ゲストの方には割引もありますし、勿論メンバーの方は予約料不要ですので、生活習慣病やメタボの管理は、付属のクリニックでお受け下さい。そうすることにより日常の血液データなどが、当院の電子カルテに収納され、経時的変化が分かりやすくなります。 他の病院などと違って、とてもコンパクトで家庭的ですので、少しの時間で採血などもできますし、時間をお約束頂ければ、ほとんどお待ち頂くことなく我々ドクターとも医療面談できますので、お気軽にお寄り頂ければ嬉しく存じます。

2009年02月01日

【代表主侍医のつぶやき】2009/2

主侍医通信 2009年2月晩冬号(第111号)より
【代表主侍医のつぶやき】

平成21年、西暦では2009年と暦上は節目となる年ではありませんが、今年は新しい時代への幕開けの準備段階のような年であると私は思っています。100年に一度と言われる不景気の波、黒人初めての大統領オバマ氏の誕生など、少なくとも私が生きてきた半世紀を振り返ってみると、オペラでいうところの大きな一幕が閉じて、二幕めの序奏曲が始まったように感じています。ここ数年、私のテーマとして「命よりこころ」を掲げています。矛盾しているように思われるかもしれませんが、そういった心構えで「命の尊さ」を感じながら仕事をしています。
そんな中、オバマ大統領の就任演説には、大変心を打たれ共感しました。多分に哲学的なところが多く、具体的な内容が少ないとの批評もあるかもしれませんが、何事を行うにしても基本的でしっかりした理念が必要だと私は思っています。決して、人民をムードであおるような演説ぶりでもなく、こころに静かに響く演説でした。そのお陰で、市場原理主義、一国正義大国主義、マスコミ最強主義、セレブ崇拝主義など日本へ悪影響を及ぼし続けたと過度なアメリカ嫌い(アメリカ人個人は好きな人も多く、ハリウッド映画もフランス映画より好きですが)の私も、アメリカは変わるかもしれないと思いました。「仕事より娯楽を好み、富や名声の悦楽だけを求めるような小心者ではなく、リスクを恐れず、実行し、生産する者がアメリカを支えてきた。有名になった(セレブ)ものもいたが、多くは目立たない労働者がアメリカを支えてきた」という下りに、特に共感しました。私がライフワークと考えている「スーパー医局」プロジェクトは、決して個人的な英雄医師による「ゴッドハンド」を育てるのではなく、模範となる医師の集団により次の世代へメッセージを送る必要性に迫られたから生まれました。スーパー医局活動には数々の困難やリスクが待ち構えています。富を生むどころか、運営を続けられる仕組みを作るだけでも精一杯でしょう。それにこの活動自体が舞台裏活動です。今回の大統領演説で、二の足を踏んでいた私の背中を押された気分です。苦しく辛い時代の幕開けは、新しい希望に満ちた時代をもう一度作り直す序章にもなることを願って年頭のご挨拶に代えさせていただきます。

2008年12月01日

【代表主侍医のつぶやき】2008/12

主侍医通信 2008年12月晩秋号(第110号)より
【代表主侍医のつぶやき】

東大医学部の全卒業生の同窓会のことを「鉄門倶楽部」と呼んでいます。その組織の10名程度の理事の末端に加わり10年くらいになります。会頭は現職の医学部長が就任し、年に数回の理事会と1回の総会があります。こちらは随分堅苦しい会なのですが、数年前から東大医学部同窓のゴルフ交流会の常任幹事も務めています。50年以上も続いている伝統ある交流会で、初代幹事が清水健太郎(故人)という日本の脳外科の創始者みたいな方でした。それほどの歴史あるゴルフ交流会なのですが、現在もご出席の顔ぶれは医学界では、そうそうたるもので、ここで万一の事故があると日本の医療の未来にも影響するのではと、幹事としてはいつもびくびくしています。
ゴルフという自由な遊びの中で、先輩や後輩達と交流していて常に思うことは、「同窓のみんなは医療に対してなんと真摯な姿勢で日々の活動をしているんだろう」と感服することです。よくゴルフをしていると「仕事をしていないね」などと言われるのですが、彼らを拝見していると「出来る人は何に対しても熱心だ」と当然のごとく思います。これはゴルフに限らず何についてもそうですね。
一般に、東大卒の人は、あまり群れることがなく、他の大学に比べて母校愛も少ないとよく言われます。同窓生と話しても「そうだね」と異論をあまり聞きません。
僕は実のところ、関西人のまま一生を過ごそうと高校半ばまで真剣に思っていたのです。実際大学願書を出したのは、後にも先にも京大と東大のふたつだけでした。結局東京に来てしまいましたが、今では東大で学んで本当によかったと思っています。その最大の理由(といっても皮肉にも唯一と言ってもいいのですが)は、同窓仲間です。主侍医稼業にとって優秀な専門医人脈は必須です。同窓仲間では、人間性重視で仕事仲間を選べば、ほぼ間違いないということに気がつきました。優秀であるかどうかは気にかけなくていいのです。同級生や先輩後輩を見渡すとさすがに俊才奇才が揃っています。しかし性格がいいかどうかは(皆さんも指摘するように)別です。そんな優秀な人が、人間性が真っ当であれば、医師として恥じない勉強やトレーニングをしているはずだから、大切な患者さんを託して間違いのない医師であることになります。僕は、医師評価の方法論として、一般に言われているような、患者評価、医師評価、その他の医療スタッフ評価、マスコミ評価に加えて、同窓同級生評価を主軸にしている所以です。誤解を避けるため断っておきたいのですが、逆は必ずしも真ならずで、優秀で人間性のある医師は全国どこにでもいます。たまたま僕は身近なところでコネクションを築いているだけなのです。
実は、7、8年前までは、ごく親しい医師仲間との交遊以外、僕は医師の集まるゴルフコンペにはあまり参加していませんでした。休日は、医療関係者以外の交流を深める時間としたいと思っていたからです。そのかわり、いろいろな病院の勉強会などに積極的に参加したり、先輩諸氏の勤める病院へ表敬訪問をしたり、医学書の共同執筆をさせていただいたりして, 専門医とのコネクション創りに力を入れてきました。その集大成をTerra Doctor Connections&Allianceと呼んでいます。ただの情報やネットワークではなく、直接的人間関係があるので「Connections」と呼び、患者さんの受け入れをお願いして了解頂いているので「Alliance」と呼んでいます。そんな「Connection」を固めるための一つの場としてもゴルフ交流をとても重宝しています。ゴルフ以外では、なかなか一日一緒に過ごす機会はありません。本音を聞けたり、無理を頼める仲が生まれていきます。
読者の皆様に伝えておきたいのですが、使命感に燃えて、きちんと任務を遂行しているまともな医者はたくさんいます。東大、京大、慶應をはじめとする最高学府出身の医師は、時に傲慢で生意気と思われがちですが、僕の狭い範囲の交流体験では意外と謙虚でかつ自信に満ちた愛すべき人たちが多いのです。「傲慢」と決めつけないで、暖かく真摯な目で見守ってほしいと願っています。母校や教鞭をとった大学に比べて他大学出身の医師にお会いできる機会は少ないのですが、それでも僕は他大学出身の医師達とも交流が深い方だと自負しています。概して本当に優秀な人程謙虚で使命感に熱いと日頃から感じております。
日本の医療を支えるために、使命感に燃えた医師にエールを送ってほしいと願っています。

 

2007年12月13日

私を救う医者はどこ?

この「医療判断医物語」で書こうと思っていた、日頃の活動を、ドラマ仕立てのフィクションにした13の物語を集英社から文庫本にて12月14日に発刊しました。

3人の架空の医師を登場させた物語です。
面白く読んでいただくうちに主立った病気のことやその時の医療判断のことが理解できるようになっています。主に患者と医師の心理面を重点に描きました。

予定の字数を超えて、文字が多いですが、ミニ小説と考えていただければ、読みやすい方だと思います。皆様のご感想をお聞かせください。