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人類の歴史は「幸せ探し」2012/8主侍医通信より

 

 何に喜び幸せを感じるのか?
  
 「幸せってなんだろう?」と改めて考えるのは私だけのことではなく、むしろ最近の傾向なのでしょうか。人類の歴史は「幸せ探し」の歴史そのものと言ってもいいと私は思っています。そのために文明は発達(?)を続け、文化が築かれていきます。少し前までは「便利なものは幸せの道具になる」と考えられていました。今もそうかもしれませんが。車があれば便利、洗濯機があれば便利、コンビニがあれば便利、携帯電話があれば便利、、、、切りがないほど便利グッズが巷にあふれています。しかし、意外と幸せと直接的には結びつかないどころか、不幸せの材料になったりもします。
 
 政治や経済界の世界をみてもなんだかがっかりすることが多く感じる中、かのブータン国王の「国民総幸せ度」の話は結構我が国でも注目されました。でも、そんな話も時間が経つと薄れていくものです。
 最近、だらだらとテレビを見ていたら、花火の特集がありました。花火ファンと称する人々が全国の花火大会を見て回ったりするらしいのです。「なんと暇なことか!」と羨ましくもあり若干ひがみ根性で呟きました。しかし、花火の製作の裏話になると、その工夫や努力は並大抵ではなく親が子供へと伝承し、守り続けていく程の大変な作業です。伝統を守りつつ新しい工夫を加えていくその作業は、私個人的には好きな分野だなあと思って見ていますと、若い職人さんにインタビューがされました。「どうして花火師になろうと思ったのですか?」「僕は北海道の出身なのですが、ある花火大会に行って、素晴らしくきれいな花火だなあ、と感動しましたが、それよりも驚いたのは周囲の観客の様子なのです。みんなとてつもない笑顔で喜んでいるのです。大勢いるみんなです。これはすごいことだ、と思って高校を卒業したらすぐに東京の花火師に弟子入りさせてもらったんです」
 
 たしかに、そうです!これだけ一度に人々を笑顔にさせて喜んでもらえる仕事は他には滅多にないことかもしれないと感銘しました。そんな花火師たちが精魂込めて作っているんだ、と再認識したのです。花火大会巡りをしている人々は、花火の仕組みなどにも詳しく、凝った人たちはビデオカメラを何台も持ちプロはだしの撮影をします。こんなファンがいることこそ花火師にとっても有り難いことだと先ほどのひがみ根性も吹っ飛びました。その後、たまたまゴルフ帰りのドライブ中に花火を見かけてジワーンと感動し、我ながら単純な自分に苦笑いでした。
 
 我々主侍医もそんなファンをひとりひとり大切に作っていきたいものだなあとつくづく思いました。
 お陰さまで、我々主侍医の価値をきちんと評価して頂き、新たな会員様をご紹介いただき本当にゆっくりではありますが、着実に主侍医倶楽部の輪は広がっていますことに感謝しております。

作成:2012/08/30

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