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患者満足度への願いと悩み 2014/9主侍医通信より

猛烈な暑さは、どうやら峠を越したようですが、毎日の気温の差が大きく、身体がついていくのに悲鳴をあげていますが、みなさま体調管理は大丈夫でしょうか?こういうときこそ十分な睡眠と栄養管理が大切です。

前回は歯科領域での私自身の患者としての経験談を交えた医療判断のお話をしました。数人のメンバーのかたから、歯科治療についての問い合わせをいただきました。私自身の体験では、結果も良好でしたが、医療判断の現場では、いくら最善の選択をしたからといって、いつも良好な結果がでるとは限りませんし、他の選択肢を選んだ場合と比較することもできません。この仕事をしていて最も辛いところです。

では、目指す目標はなにかというある程度明確な目標や基準がないと、そんな分野は育ちません。スポーツなどでは「勝ったか負けたか」、ビジネスでは「売れたかどうか」「儲けたかどうか」、料理の世界では「美味しいかどうか」、受験産業では「受かったかどうか」など目標がはっきりしています。だからこそ「勝ち組と負け組」などという表現があります。(私個人としては好きになれない言葉ですが)勿論、医療分野でも「治ったかどうか」という意味でははっきりした目標があります。医療判断の分野ではなぜ、その辺がすっきりしないのか、という悩ましい問題があるのはなぜかといつも考えます。医学生への授業でも、生徒への自由討論課題として取り上げ、毎回激論が交わされます。その結果、「患者満足度」というキーワードがクローズアップされます。

そもそも、このような分野の仕事の必要性を感じて取り組み始めたのは、「日本の医療技術やその社会的仕組みは世界中でもトップクラスなのに、患者満足度はそれほど高くないのは何故か?」ということへの疑問からです。他の分野でも、例えば「勝つことではなく参加することに意義がある」や「決して儲からない事業だけど、みなが喜ぶから続けています」とかはよく耳にしますし、(極めて少ないとは思いますが)「志望校には落ちたけれど、この予備校には感謝しています」というようなこともあるかもしれません。しかし、それらは珍しいからことさら取り上げられるのです。スポーツなど勝負事では、必ず誰かが勝ちます。受験では誰かが必ず受かります。ビジネスでも、ほぼ誰かが大きな利潤をあげます。医療判断の現場では、「どうやっても治らない」「どうしても助からない」「結果が不確実である」などは日常茶飯事です。 

だからこそ「満足度」ということが重要になります。しかし、かなり曖昧な基準でもあり、我々は常に「満足して頂けたかどうか」と悩み、時には落ち込むほど疲弊します。「日本の医療技術や保険などの仕組みは世界トップレベルであるから、患者満足度も世界トップレベルにしたい」という私が事務所を立ち上げた時の使命感を思い起こし、少しでも、そのことに貢献できるような仕組みにまとめあげたいと、還暦を過ぎて若干焦っている自分をなだめているところです。「アンメットメディカルニーズ」と呼ばれる代表に「癌治療の克服」「再生医療」「遺伝子医療」などがありますが、「患者満足度の向上システム」もそれらに比肩するものだと確信しています。

皆様方の、厳しいご意見をお待ちしています。

作成:2014/09/25

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