ちょっと一言: 2011年3月

東北関東大震災に教えられたこと13 隣人と力を合わせなさい!

被災者の方々の様子を拝見していると、頭の下がることばかりです。東北地方の人々の素晴らしさは、今や世界的な評価です。しかるに、我々東京人等、非被災者は全く評価されていません。むしろ買いだめや、エネルギー過剰消費で冷たい視線を浴びているくらいです。被災者の方々をみていると、悲惨なめにあっているのに譲り合ったり、助け合ったりしているのがごく自然に映ります。我々東京では、マンションの隣に住む人の顔も知らなかったり挨拶さえもしません。これでは助け合うどころではありません。ある防犯学者は「近隣の人たちが顔馴染みであることが、最大の防犯につながります」と話されていたことを思い出します。身近な人々と助け合い、喜び合うといごく普通のことを忘れ去ってしまっていたのではと深く反省しています。

身近な人から信頼の輪を広げることは医療の分野でも大切だと痛感しました。

東北関東大震災に教えられたこと 12 遼君ありがとう!

このシリーズ第5回目に「石川遼君、昨年の稼ぎをみんな寄付してはどうだろうか?」と提案しましたが、まるでそれに呼応してくれたかのように、昨日、「今年の全賞金を被災者のために寄付する」と宣言してくれました。日本を代表する人気者が率先して、若干の(?)自己犠牲を伴った支援をする模範をしくれた意義は大きいと喜んでいます。イチローはいつもながらいち早く名乗りをあげましたし、松井も続きました。

実業界ではあまり出現しないのは残念です。庶民から稼いだお金を元に政治家になろうとしている人もいるようですが、偉そうなことを言っているようでも何もしない。そんな人の選挙スローガンはやはり驚くほど稚拙です。もし、都民がそんな者を選ぶようなら、東京に三くだり半を差し出そうと密かに決意しています。

僕など庶民の間でも、今回の義援金への参加の多さには驚きますが、残念ながらインパクトは小さい。我々小額の寄付しか出来ない者にとって、額の問題ではない、支援の気持ちを実行する意義は大きいのだと自分を慰めるのですが、、やはり国民的英雄が模範を示すことは影響力が段違いです。言わして頂ければ、多少の贅沢をする以上の稼ぎはこういった時に使うためにあるのではないでしょうか?

日本は、通常においても大型の寄付行為が少ないと思っています。だからこそ所得上限論を主張しています。日本人は稼ぐのが好きだが、使い方が全くもって下手でだらしない、と日頃から感じています。どれくらいの資産を持っていれば老後が安心で、どれくらいの遺産を子供たちに残したいというのでしょうか?いくら残しても子供たちは幸せになりません。多くの実例を目の当たりに見てきました。それよりも、美しい使いっぷりを子供に見せてあげた方が、よほど子供たちにとって幸せなことでしょうか?

老後の不安のための過剰な貯蓄には、我々医療関係者も責任の一端があります。北欧等に比べて、日本の福祉の量もそうだが、質の低さがそうさせているのです。不安だから過剰な反応をするのです。買いだめや風評行動も同じでしょう。

お金がそうそうなくても、充分な安心と幸せな日々を過ごせるという社会作りが大切だと思っています。その一翼を担いたく、安心医療の仕組み作りを一層進めたいと新たに決意しました。主侍医活動を20年間行ない、医療における安心のポイントや日常的医療の質の向上のためのポイント等を随分勉強しました。その経験と知恵を活かして、今後の活動を強化して参りたいと考えています。サポーター、パトロン、スポンサーのみなさまのお申し出をお待ちしています。

東北関東大震災に教えられたこと11 計画停電に思う。魂を売るな、日本の建築家

「このくらいの暗さ、静けさ、肌寒さもいいかもしれないね」

周囲の人たちや、テレビの中でもこのような声を多く聞きました。今まで、平気で電気を使いまくり、場所によっては夜か昼の区別がつかないくらい。六本木や新宿などでは、昼より夜の方が明るく感じられるくらいでした。

多くの人々が「やりすぎていたなあ」と反省しているように伺えます。

しかし、これも時間が経てば忘れ去られていくのだろうなあ、とも心配しています。

幸い僕の事務所や自宅は計画停電の区域に入っていませんが、感謝の意味を込めながら、暖房をはじめ、便座暖房は勿論、自然に点く門灯なども切り、部屋の電気も暗めにしています。自宅はいいのですが、事務所やクリニックの暖房や照明では患者さんやお客さんに迷惑をかけることになりますが、ほとんどの方々は「当然ですよ」と力強く言ってくれます。このようなことが東京のあちこちでも起きているのだったらいいなあと思っています。

 

僕のいる飯田橋では、都内の最後と言われている大規模再開発工事が始まっています。旧東京警察病院をはじめとする大規模ビル(なかにはまだまだ十分に使用できるものも多い)を連日取り壊しています。今も、その解体のための音が聞こえてきます。この10日間、その光景を見るとなんとも切なくなります。東北地方では、家が自然に破壊されたというのに、ここでは、何千何万人と住めるようなビル、マンションを大勢の人手を使って壊しているのです。いずれの解体ビルもあの津波でも倒れそうもないしっかりしたものばかりです。

そして20個以上のビルのあとには、何が出来るのでしょうか?

なんの意外性も無い、マンネリとも言えるくらいですが、またもや超高層ビルが2本建ちます。建築工学の進歩で、彼らは超高層にした方が土地の利用効率がいいといいますが、僕は真っ向から反対です。人間の感性としても、医学的立場からでも。高層ビルは電気消費の塊です。エレベーターがないと身動きすら出来ません。もしかすると単位面積あたりの電気効率は高層ビルがいいと、専門家の反論があるかもしれませんが、その人は人間失格の専門家だと思います。科学的効率だけで人は語れないからです。

東京にこれ以上高層ビルが必要でしょうか?常識的に考えて誰もが判断できるのではないでしょうか?土地を有効活用して、儲けることばかりを考える不動産開発の人々、それに魂を売ってしまう建築家や建設会社。古い建物を大切にするヨーロッパの町並みを綺麗だと言っている建築家たちが、このようなことを容認するどころか、競って設計コンペに参加しているのかと思うと情けなくなります。我々凡人が何を言っても駄目です。心ある力ある建築家が連合して、このような流れにストップをかけてみませんか?

 

しかし、あきらかに「やりすぎ」です。

良識ある日本の建築家を信じています。 

医師たちの間で「手を抜かない」「あきらめない」「やりすぎない」をモットーにする活動をしていますが、いろいろな分野でも共通すると思います。僕は医学の世界で頑張ります。他の分野で賛同して頂く方は、ご自身の分野で頑張ってください。頑張る人がいないと世の中住み良くなりません。勿論、頑張らない人がいてもそれも人生だと思います。

東北関東大震災に教えられたこと10 よく見えた人の本性

今回の未曾有の悲劇を生んだ災害に際し「人の優しさ」「人の我慢強さ」「人を思い遣るこころ」に触れるとともに「非情さ」「身勝手さ」「残忍さ」も垣間見たというお話をお聞きしました。それぞれの人々の「何が大切か?」を見たことになるのでしょうか?

数時間前、震災から1週間目の黙祷を捧げました。

長い長い1週間でした。

僕は日頃「まさかの時に助けてくれる友こそ真の友」より「嬉しい時に、心から一緒に喜んでくれる友」のほうがより上級だと言っています。若干訂正しなければならないと、今回のことで思い直しました。今まで、ここまでの危機感を味わったことが無かったからだと思います。テレビドラマで、可哀想なストーリーを見た時に、泣けてくるのはみなさんも体験していると思います。それに引き替え、登場人物の嬉しいことには、それほどリアルに喜びません。悪いことへの同情、共感は引き出されやすいが、自分が羨むような人のよいことへ一緒に喜びを感じることの方が遥かに発火点は高いような気がします。だからこそ、親友の情の深さは悲しい時よりも嬉しい時に分かると主張していました。

ところが、今回の場合のように、極限の事態の場合は、本性を現すものですね。外資系の企業の多くの幹部は、日本を見限り逃げてしまったところもあると聞きました。さんざん日本の市場を食い荒らしたところほどその傾向が強いようです。従業員をおっ放り出して、自分だけ逃げだした社長もいると聞きました。忙しい時期に重要な事務所スタッフが突然いなくなったと友人からも聞きました。

一方、重病人を抱える病院で、医療スタッフが自分の身の危険も覚悟で居残って働いている姿がたくさん放映されています。有名でもなく大学教授でもない現場の医師たちとスタッフです。一目散に逃げるような医師もいることは知っています。そういう人は自分が安全な時はまるで人道主義者のような発言を平気ですることも知っています。なかなか見破れないのが残念ですが。

リーマンショックや911の時もそうですが、今回の災害を利用して巨富を稼いだり、詐欺をしたりする人もいるというから驚きです。

一方、海外から日本の被災地にボランティア活動に来ている人もいました。感動的でした。

 

悲惨な余裕の無い時ですがよく見ておきましょう。真の姿を。

 

誤解のなきように「退避」と「逃亡」とは違うことを付け加えておきます。

「退避」は「攻めるための勇気ある一時的撤退」だと解釈しています。

 

生前の親父に厳しく教えられました。

「医者になるのだから患者さんには常にベストを尽くせ」

和歌山で長兄が開業して、次兄とともに当直の手伝い等をしていた時です。夜通し急患が運ばれてくるので、兄弟で交代に起きて患者さんに対応しようと打ち合わせました。ところが救急車が到着すると、親父が我々の当直室にやってきて「お前らみんな起きろ!患者さんは真剣なんだ。一人より3人の方がええに決まってるやろ」と怒鳴るのです。親父は医師ではありませんでしたから、長く医療活動を続けるにはこういった交代制も仕方ないと説明しても頑として聞き入れてくれなかったことを懐かしく思い出します。

一方、親父は和歌山の知人や親戚中でも有名な「子煩悩」でした。子供を守るためなら何でもするという迫力は兄弟4人とも常日頃十分感じていました。我々兄弟が全員医師になることを半ば(95%?)強要したようなものですが、その理由は、戦争の時(ラバウルにいたようです)軍医に助けられ(自分も戦友も)かっこいいし有り難いと思ったことと、軍医は安全な場所にいられることを知ったからです。大切な子供にかっこいい仕事について欲しいという願いと、万一戦争になっても安全なところにいられるだろうからという親としての思い遣りという相反する思いがあったのだろうと思います。

昨夜、一昨夜、子供たちとそのフィアンセを集めて連日論議をしました。次男は仙台から無事東京へ退避できましたが、喜びもつかの間原発危機が襲ってきました。友人等からも東京から退避した方がいいのではないかとの温かいアドバイスもたくさん頂きました。「海外の私のところへ来なさい」和歌山の実家でも「何人でも受け入れ体制を整えている」と心強い声が伝わってきます。親としては、子供の安全を最大限守るという責務があります。しかし、彼らも成人して、一人は医師として働き出したばかりです。親の気持ちとしては、想像も及ばないくらいの最悪の事態を空想して、より安全なところへ退避させたく思います。しかし、現状では事実上「逃亡」になります。本人も当然納得しません。

スタッフとも話しました。スタッフの身を守るのも責務、クライアントの身を守るのも責務。小さなことしか出来ない僕にとって、家族、スタッフ、クライアントの身を可能な限り守り抜くというバランスのいい決断を迫られます。

原発についてのより正確な情報知識を得る努力をすること。

それに基づいて、総合的判断をするが、事前にいくつかの想定により場合分けをすることが大切です。

子供たちも、スタッフたちとも、2重3重の緊急連絡体制を敷いておくこと。今のところ、東京では冷静な対応でよいと僕は判断しているので、平常通りに業務はやろう。ただ、独自の判断で、東京より西に退避したいなら拒まない。平常通りの行動の中で、親(代表)が東京を離れているときの緊急事態の場合の行動指針を決めておくこと。関西に避難するときはスタッフも全員引き受けが可能なように準備する。

などなど、細部にわたる取り決めと、大きな心構えを話し合いました。

スタッフとは「主侍医という活動の真価が問われるとき」という認識を持つことを確認し合いました。

 

ここではとても書き尽くせないくらいの、厳しい決断を迫られ胃に穴があくような感じでした。

家族スタッフクライアントの中だけのリーダーとしての判断にこれだけ悩んでいるのですから、国民のリーダーは大変だと共感はしています。でもそれがリーダーなのですから。

 

親父だったらなんというかなあ。「いち早く子供を安全な場所へいかせろ!」「医者なんだから患者さんに全力投球だ、手を抜くな」そんな怒鳴り声が聞こえてくるようです。親父だったら僕には出来ない決断を考え抜いただろうなあと思いを馳せました。

東北関東大震災に教えられたこと9 福島原発で活躍の人々への尊敬と感謝

くの国民が、福島原発での最前線で活動している人々に期待に熱い視線を向けています。東電や保安院の幹部も現場に行くべきだとの声も多く聞かれます。

決死の覚悟をして現場で頑張っているのは事実です。

ピンボケの記者が「現場での隊員の健康を犠牲にしているのですか?」とまるで人道主義者であるかのようなつもりで質問していました。この状況下で、厳しい状況も知っている中で、このような質問をするマスコミ記者のマインドレベルに驚きました。そういえば津波現地で水に囲まれた屋根に必死でしがみついている人に向かって「大丈夫ですか?」といっている記者がいましたね。いずれも同様ですが、それらの記者には言っていることとはうらはらに「人のことを心配し配慮してあげる心に欠陥があるとしか思われません。本人は「あなたの健康(からだ)のことが心配です」と言いたいのでしょうね。本当に心配している人は、そんな状況で決してそのような質問や声がけはしません。

福島原発で頑張って作業している人々は、どのように選ばれたのでしょうか?友人たちや息子たちも交えて討論しました。今時有無を言わさない命令はあるのでしょうか?自衛隊ではどうなのでしょうか?僕には分かりませんが、とにかく身体を張って、覚悟を決めて頑張ってくれているのは確かです。中部電力の停年前の原子力一筋で頑張ってきた人が、志願してこの現場作業に加わったという話しを聞きました。家族も「頑張って」とそれを見送ったということです。テレビで放映されたかどうかは知りませんが、感動的な話です。東電の作業員にしろ、自衛隊にしろ、消防隊、警察にしろこの現場に出向いている人たちは、映画の「アルマゲドン」の地球救援隊のような方々たちでしょう。

僕は提案します。この事態を収めることができた暁には、現場一線で頑張り抜いた東電の社員さんは、テレビの前でゴロゴロしていた東電幹部の方々と一斉入れ替えをしてはどうかという提案です。勿論、現場で働く人たちとそれを取りまとめて指揮する人が必要なことくらいは分かっていますが、JALにしろ東電にしろ、その他の大企業でも、おおよそもはやほとんど役に立たない人が、それなりのポストでぬくぬくと高給を貰っている人が少なからずいるということです。そのつけが現場で頑張る社員や消費者に回っているのです。

福島原発はこれからどうなっていくかは分かりませんが、名も無い現場の英雄たちに国民皆が感謝したいと思っています。一段落まで乗り越えたら、そういったチャンスが是非欲しいものです。一人一人のすがすがしい顔をなんとか拝みたいですね。国民のみなさんは、お偉い方々の、偽善に満ちた顔を見るのに辟易している今日この頃だったと思いますので。

東北関東大震災に教えられたこと8「民主自民公明共産党結党の勧め」

前項に続いて、復興10年は、超党体勢で日本を再建していくというくらいの思い切ったことが必要ではないでしょうか。この気の遠くなるような再建活動では、各政党のそれぞれの強いところが全て必要です。今やピュアな「共産主義」のシステムは成り立たないことは世界的な共通見解かもしれませんが、復興においては一部には共産的考えも必要でしょう。富のあまりにも大きな偏りはこれからの成熟した国には向きません。全てが均一では労働意欲がわかないから、頑張ればどれだけでも稼げるという仕組みは絶対必要だと人は言います。僕はそう思いません。「行き過ぎ」は必ず破綻します。極端な話、せいぜい平均個人所得の10倍が限度で、それ以上は99%が税金でもいいのではないでしょうか。「それでは産業は活発化しない」と多くの人に反発されます。息子の一人までから反論されました。「そこを工夫するのが、成熟型資本主義」ではないかと思っています。年間5000万円以上個人的に稼ぎたい方は一体何が欲しいのでしょうか?「命よりこころ」論(ここでは詳細を省きますので、ブログの他の部分をご参照下さい)と同じく「お金より栄誉」論も成立するかもしれません。社会としてのなんらかの工夫で、適切な成熟型資本主義のモデルを作るよい機会かもしれません。

話しは、飛びましたが、昭和の「戦争復興とその後の成長、競争社会」から平成の「欲望の権化化と安穏の入り交じりによる二極化加速と破綻」となり、これから「再復興」の試練が訪れました。やはりキーワードは「競争」から「協力」でしょう。今回の災害では、被災者またはその恐れがある人々と全く難を逃れた人々との決定的な二極化、全て失った人々や身動き取れない人々と余裕のある人々との二極化など、いろいろなところで二極化の権化が発生しました。それを利用して更に強者となるものを許すのか、本当の勝者は人の心にあるという流れが勝者となるのか偏見を持ちつつ見守りたいと思っています。小さな存在の僕ですが、前者は絶対に許さないという毅然とした行動をとりたいと決意しています。

東北関東大震災に教えられたこと7 災害時の報道のあり方への提言

んとこの1週間は長いことでしょうか?テレビは毎日悲惨な状況の報道ばかりで相当タフな人々も精神が参っていることでしょう。それでも、現地の被災者の方々、一線で救助や復旧に当たられている方々のことを思えば、そんなことは言っていられません。

そんな報道を1週間見続け、いくつか感じたことを書いてみます。

 

緊急分担報道体制の可能性は?

地震直後から、ものの見事に各チャンネルで被害の模様をリアルタイムに映像で報道を始めました。そのリアルタイム性にも驚きました。各チャンネル共にいつのまにかCMのない特別報道番組となっていました。この素早い対応には今から振り返ると驚嘆の一言につきます。この素早さが、政府や東電にもあればと思いましたが、テレビを見続けていますと、各放送局がそれぞれ強烈な被害の生々しい画像を繰り返し流します。どこのチャンネルも同じ内容です。安否確認や、救援活動の進捗具合や、インフラの状況や、連絡体制の問題や後には原発の状況や各人にとって知りたい情報は違うのに、とにかく津波の酷い被害状況を何度も見せられてしまいます。むしろそんな画像は見たくなくて、避難場所状況や安否状況や救援活動状況だけ見たい人もたくさんいたはずです。こういう時こそ、各放送局は協力体勢を敷いて、報道分担をするべきではないでしょうか?実際被害状況を映そうとする報道ヘリが邪魔になったようなことを、官房長官は話されていました。普段の報道ではスクープ合戦が大切なこともある程度は理解できますが、未曾有の災害と自ら報道しているのですから、未曾有の放送局分担報道をされたらいかがなものでしょうか?あるチャンネルは被害状況専門でもいいでしょう。あるチャンネルは、原発だけで、専門家も1放送局に一同に集めると、より正確な報道に努めるだけに留まらず、実際の復旧活動にアドバイスできることも可能かもしれません。また他のチャンネルでは、安否情報、避難所情報、インフラ情報、ボランティア情報など被災者に直接的役立つ報道を専門にします。被災者は、津波の映像を何度も繰り返してみたくはないのではないかと想像します。我々のように難を逃れたものにとっても、胸が痛む映像ですから。

 

ついでに政府の指導体制についても分担体制もあるのではないでしょうか?

地震の直前まで、民主と自民公明は醜い(?)争いの渦中でした。さすがに、被害の重大さのもとではそういった争いは引っ込みました。国会の休会問題では小競り合いがありましたが。そして、管総理のもとに、政府として民主党中心に総司令部が設けられましたが、ご存知のように、この広範で甚大な被害に対しては力不足の感は否めず、国民の不安は募りました。ここでも未曾有の災害が起こったのですから、未曾有の体制による対応もよいのではないかと思います。福島原発問題の指揮系統は自民党に任せる、被災者の保護やケアは共産党に任せる、自衛隊等による救援活動は公明党に任せ、民主党は全体指揮と復興活動の計画指揮などとして、各党首はそれなりリーダーですから、分担の決定権を持ち、党首同士が徹底的に連携するというようなプランはいかがでしょうか?

民主党だけではいかにも荷が重すぎます。

東北関東大震災に教えられたこと6 文明に溺れた反省

多くの心ある日本人、知恵ある日本人が、感じたり、気付いたり、実際に発言提言したりしていたこと。

 

こんなに恵まれた生活をしていていいのだろうか?

こんなにいつでもどこでも食べたいものを自由に食べていていいのか

こんなに当たり前のように高層ビルばかり建てていていいのか?

朝から晩まで携帯電話やインターネットにしがみついていていいのか?

24時間開いているコンビニが当たり前としていていいのか?

深夜でもこんなに明るい町でいいのか?

頻繁に「自分にご褒美」でいいのか?

なんでも経済(お金)優先でいいのか?

バラエティ番組優先のテレビに振り回されてばかりでいいのか?

お風呂を2日も我慢できない人間であってもよいのか?

大体において「電気」の存在すら感じない電気依存症でいいのか?

なんでも自分中心、他人とは表面的な「携帯クリック」的お付き合いでいいのか?

 

書き出すときりがないですね。平成の日本人は、老いも若きも人情の面白味が激減したと感じている人は多いでしょう。僕も含め、そう思う自分のこともそういった傾向にあると感じつつ。

「行き着くところまで行って、崩壊して、また立ち直る」という自然の摂理に委ねるしか、人間の心の復興はないと神は考えられたのでしょうか?

それにしても厳しい試練です。

最近は、反省し始めた日本人も増えてきていたのではないでしょうか?

東北の地方の我慢強い対応をみていると頭が下がります。もし、これが東京に起きていたら、我々東京人は彼らのように粛々と耐えられるでしょうか?

東北関東大震災に教えられたこと5 勇気付けられる海外からの支援

害ばかりを報道して、救援活動が報道されない、と悲壮に思っていたら、海外からの救援隊の到着風景が報道されるようになりました。なんと心強いことでしょうか?実際には、言葉の問題も含め、指示系統をどうするかなどの難問があるとはいえ、「心強いイメージ」は大きいものです。また、各国首脳の「出来るだけの救援をしたい」というコメントも、いつもは日本から発していることが多いのだが、受ける側になると「有り難いものだ」と涙ぐんでしまいました。各国の新聞報道も日本への悼みの思いと復興への願いが伝わり、これも有り難く感謝の気持ちで一杯になりました。インドの中学か高校生たちが教室を暗くしてロウソクの火を灯しながら「Japan We Are With You」「Japan We Share Your Grief」と書いた紙を手に持ちながらお祈りをしてくれている写真には、目が涙で曇ってみずらくなりました。心汚れていく人々も多い中で、今回の悲劇から、多くの人々の心の中に「本来の慈愛に満ちた人間のこころ」も復興するのではと期待しています。

僕個人にしましても、被災者の家族になるという希有な体験をし、その家族の消息が分かった時は膝をおり、声を被災後初めて聞けた時は詰まって声が出ませんでした。親族、友人から心配の連絡を頂き、気にかけて頂いていることに嬉しく心強く思いました。逆に心細い一人住まいの姪や帰宅難民にはお泊まりいただき、まもなく被災地から戻る息子とその友人を預かります。東京もいつ被災地になるかもしれません。勇気付けたり、人のお役に立とうとする立場でいられる今の自分の運命に感謝し、小さなことでも役立つと思うことを着実にしたいと思っています。十分水も飲めて、美味しいものを頂けるのを申し訳なくも思いますが、感謝しながらそれを楽しませて頂くこともできることの一つだと思います。「今日よりよい明日はない」という本を最近読みました。幸い災害から逃れた人が、粗食でもご馳走でも、ワインでも水でも、小説でもゴルフでも、感謝しながら楽しむことはいいのではないでしょうか。明日は出来なくなるかもしれません。決して刹那的な意味ではなく「今日よりよい明日はない」という平静の自分をじっくり味わい楽しむというスピリッツだと思います。

でも、被災者のために出来ること、今は節電や節電波(不要な携帯電話使用等)が最も大切なようですので、出来るだけの協力をしたいものです。今日の東京は暖かいですが、少しくらい寒くてもいいではありませんか、部屋の中にいるだけで幸せですし、便座が冷たいくらい平気ではありませんか?ドライヤーも自然乾燥か3日や4日に一回の洗髪でもいいでしょうし。また、富裕層といわれる方々には思い切った寄付もお願いしたいと思います。義援金と呼ばれる我々庶民からの小額の寄付を集めることも大切でしょうが、大口の寄付は手続きも簡単で効果は絶大だと思います。

アメリカで難を逃れた石川遼君。昨年の稼ぎの残りを全部寄付してはどうでしょうか?本当の国民的英雄になれます。そして、綺麗ごとを言ってはいるものの、国民大衆からお金をトローリングして、その力で政治家になろうとしているような偽善者のなかに潜む本当の人情を引き出す模範となってみてはどうでしょうか?

 

東北関東大震災に教えられたこと4 原子力発電保安員の記者会見から

震災2日目の朝の保安院の記者会見に立った代表の説明にはいささか驚いたのは僕だけではなかったようです。さすがのテレビ局も途中でその中継を切り、アナウンサーの小宮悦子氏は「災害直後のこの場面で、この内容はいかがなものでしょうか」というまことに適切なコメントをされました。「言い訳」「保身」のための前置き的内容で固められ、中身がまるでない内容が延々と続くのである。この人の個人的な資質の問題もあるのでしょうが、いかにも役所的な無難な回答をする癖が身に付いているのか、上司から言ってはならないことをたくさん授かり頭が混乱していたのでしょうか。さすがに、次回からの記者会見に姿を現さなかったようです。僕は、最近の「何かと人の粗を探し文句をつける風潮(その最たるものが国会議員同士での小競り合いだった)」に、ほとほと嫌気がさしていました。マスコミもこぞってその風潮を鼓舞するから、どの業界も「まあ思い切った決断はせずに、ひとの流れに身を任せて、なにかあればその時の先導者に文句を言えばいい」という「事なかれ主義」が蔓延していました。その延長があの保安員の態度に現れていたのでしょう。「最悪の場合を想定した行動」は、最悪の場合が起こらなければ、「あんな余分なこと、あんな無駄なこと」をしなければ良かったのにと非難されることになります。「結果で決断の良し悪しを判断する」ことが当たり前になっているからだと思います。僕の仕事の「医療決断支援」でも同じことです。数多くの経験から、「どちらを選んでも幸せと思えるようになるまで、じっくり話し合って、内容を検討してから決断の助言に入ることが大切」と思い至りましたが、今回のような緊急の事態では時間がないのでその手法が成立しません。「どんなに恨まれても最悪の状態を阻止する」という気概がリーダーには必要なのでしょう。昔の武士は、それで結果が悪かったら、「腹を切って」いたわけだから、マスコミに叩かれそのため次回の選挙に落選するなら、それはそれでいいと「腹をくくって」はいかがなものでしょうか。

東北関東大震災に教えられたこと3 目立たない現場大衆の底力

更なる被害の拡大に対する懸念のなか、今後の復旧がたいへん憂慮されます。しかし、これだけの被害の中、止まっていた電気が少しずつではありますが、復旧していることに驚いています。昨夜、仙台の息子と携帯電話で肉声を聞くことができましたが、その話しの最中に「あっ、隣の家の電気が点いた。あっこちらも、、、、!!」と早くも電気が復旧しました。息子は運良く、復旧が早い仙台の駅近くの家に非難させて頂いていたからなのですが、それにしてもこれだけの被災の中を誰かが工事をして復旧させているわけですから、現場で働く多くの人の懸命な力のお陰です。オバマ大統領が就任挨拶で言っていた「アメリカの発展は、いわゆるセレブと呼ばれるような目立った人たちでなく、多くの目立たずこつこつと汗水流して働いてきた人々により作られた」という話しを思い出しました。途方もないこれからの復活活動ですが、ほとんど忘れ去られようとしている昭和の戦後の復興の時のように、どん底からも明るく立ち直っていきたいものです。平成に生きる人たちの目に生き生きとした輝きが消えかけていたなか、夥しい犠牲者の方々に恥じないように、人を思い遣り、人のためなら粉骨精神で、滅私奉公という言葉まで生んだ誇り高い日本人の心も復興しなければならないと自分自身を戒めています。これは決して自虐的ではなく、自己の本当の喜びを探そうという意味です。孔子の教えだったと思いますが「どうすれば良いかをしることは大切だ」「しかし、それを好きなことはもっと大切だ」「しかし、それを楽しむものには及ばない」という話しを思い出しました。多くの方の「命」を賭して教えて頂いた「命よりこころ」の真髄のような気がします。

東北関東大震災に教えられたこと2 リーダーの大切さ

は困難に遭遇したとき指導者を求めます。多くの人は、どうしていいのか当惑します。困難のまっただ中の人は、「どのようにして逃れたらいいのか」と迷い行動ができません。また、被害者を救済したいと思う人も「どのようにして助けたらいいのか」迷い、行動が遅れます。今回の巨大地震で、テレビのニュースを見ていた多くの人々はまず日本のトップがなかなか姿を現さないことに不安を感じていたのではないでしょうか。地震が起こる以前に、日本人は指導者を求めていました。最近は、マスコミが助長していることもあり、全ての分野において「上手くいかなかった時のクレーム」が激しいと感じています。日本のリーダたる国会議員もそれを恐れて思い切った行動ができません。しかし、この前例がない非常事態ですから、トップが思い切った対策を実行していくことが大切ですし、国民はそれに従い、マスコミは枝葉末節の不具合を責め立てず、大きな流れを大切にしていくという姿勢が大切だと思います。昨日、ようやく総理が「国民みなで力を合わせて乗り切りましょう」というメッセージを自ら伝えました。僕には、遅すぎると感じました。それでも、総理としては、国民の心を引っ張るメッセージでよかったと思っています。それにしても、取材の記者から、枝野官房長官に「どうして総理自ら具体的な質問に答えないのか?」というこの事態においてもマスコミの情けなさを露呈するようなあら探し文句をつけました。このような時はトップは「国民の士気を高めること」が最重要であり、各論はそれぞれの専門家に任せながら進むのがいいに決まっています。勿論、枝野氏は「それぞれの専門の担当者が質問には対応していく」旨を伝えましたが。それにしても、昨日13日午前に登場した原子力安全・保安院の「自己保身、言い訳だらけ」の答弁にはあきれかえりましたが、なにか決断して結果が上手くいかなかった時のことを考えすぎる役人、政治家が多すぎることの現れでしょう。僕たち医療の分野でもそうなりつつあることを反省しなければなりません。そのためには、国民の我々やマスコミの方々も大きく反省し協力しなければなりません。今回は、とても辛い試練ですが、「停電でも、節水でも何でも協力する。「被災者のために少しでも役に立ち大局的に日本を建ち直していくためには」と思っています。勿論、リーダー任せではなく、国民のみなが出来ることから協力して、そして、たまたま被災からまぬがれた人は、暗くなりすぎず、明るく元気に力を貸し、また、有り難く毎日を過ごすことも大切だと思っています。

頑張り抜きましょう。亡くなった囲碁王座の藤沢秀行の「強烈な努力」という言葉が思い起こされます。

東北関東大震災に教えられたこと1 相互の思いやり

震災の翌日、前日より泊り込みのスタッフと手分けして、僕のメインの職務である「主侍医」のクライアントメンバーに安否確認の連絡をしました。幸い、ほぼ全員の方と連絡が取れ、大きな怪我などがないことが確認されました。その連絡活動の際に思ったことは、ほぼ全員から「先生方は大丈夫ですか?」という逆にこちらの安否を気遣うお声をいただいたことです。「患者も医者も笑顔になれる医療システム」を掲げる僕たちにとって、この上もない喜びの言葉です。日頃、このような方々の健康を守ることを職務としている有り難さに、スタッフ共々身が引き締まりました。医師と患者、親と子供、政治家と国民、車と歩行者、お金を貸す人借りる人、被災者と救済者、どちらにも上下や強弱があるように見えますが、「人間同士」であることに違いはありません。そういうものを超えた思いやりが人を動かすのだなあと実感しました。

東北関東大地震、被災の方々にお見舞いとお悔やみを申し上げると共に、直接救済に当たる方々に感謝し、その他の方々の暖かい支援に感動しています。

突然の出来事がまだ夢の中にいるようです。3月11日午後2時45分ごろ、事務所で妻とPC画面に見入っていました。この3月に還暦を迎える友人のサプライズパーティを企画するための情報集めのためです。なんと平和な情景だったことでしょうか。金曜日の3時前であり、事務所の電話もならず、このまま平和な一日、一週間が終わるのかな、という気持ちも芽生えた頃合です。僕の事務所は、契約者の方が、健康上の困ったことや一大事の時に連絡があるから、電話が無いということは平穏無事なよいことなのです。最初は、妻が体を揺すっているのかとも思っていたのが、めまいではないかという思いにかわり、これは地震だと思うまでの数秒がまるで数分以上あったように思い出します。いよいよ揺れが強くなり隣室の事務室へ行き、スタッフ3名と待機。全くといってよいほど、待機以外にすることが浮かばないのです。「心配していた関東大震災がついにきた」と覚悟しました。10秒程度で覚悟してしまうのだから、人間の対応力にも自ら驚きました。スタッフの一人が、インターネットで調べて「宮城が震源地らしい」と叫ぶ。「仙台にいる息子は大丈夫か?」頭をよぎる。少し揺れが落ち着いたところで、テレビをつけてニュースをみる。数分後には「大津波が襲う。東北地方は厳戒態勢を」との報道。東京の揺れのすごさにも驚くが、震源地が宮城の方であり、津波もあると聞くと「一体どうなるのか。息子は大丈夫か?」あっという間にテレビの映像で、凄まじい津波の様子がリアルに映される。夢の中の地獄のようで、現実感がない。すぐに息子の携帯へ電話するも、つながらない。メールも同じ。これは覚悟しなければならない。妻にどのように伝えるか。それを考えただけでも、辛い、辛すぎる。ほんの数分前まで、平和に過ごしていたのに。

 

東京より北の被災地の人々は、おおよそ同じような状況であったでしょう。大きな被害を逃れた人々は、このようにこの2日間をずいぶん昔のように思い出していることでしょう。大きな被害に会われた方々は、現在もなお被害が進行中で、思い出すというどころではないでしょう。

 

被災地にいる息子とも昨夜10時にようやく電話で連絡がとれ声を聞くことができました。他の被害者がたくさんいるのに不謹慎ですが、安堵の気持ちで声がつまりました。僕も知っている友人のご実家にお世話になっているとのことでした。お父さんは牧師さんで、その教会近くだそうです。「神様に助けていただいたのだから、今度は被災のみなさんに出来るだけのことはしなさい。そしてこれからの人生も忘れず、人のために尽くしなさい」妻が伝えました。

 

同様の体験をし、深い悲しみに泣き崩れている方、安堵の涙を出されている方、何かしてあげたいが何も出来ないと地団駄踏んでいる方などいらっしゃるでしょう。僕も、最初は父親として息子にしてやれる最大のことは何か、と考えました。息子の消息が判明し、次は息子の周囲にいる人たちへ何が出来るか、と考えました。テレビの報道をみるにつけ、その次は何が出来るかと考えました。まるで何も出来ない自分がはがゆい。

 

この大地震を通じて、わずかな間ですが、いろいろなことを教えられました。そのことをみなさんに発信することは出来る。僕の本来の仕事を着実に続けながら、せめてそんなことを通じて、お役に立ちたいと思いました。みなさん方も、各人が少しでもできることからしていきましょう。それが大きな力になっていきます。

「東北関東大震災に教えられたこと」を思いつくまま、興奮が冷めやらないうちに書下ろし、ホームページに載せていきたいと思います。

これは僕の本来の仕事「医療決断の支援」の精神にもつながるものと思っています。

(内容に鑑みて、僕の本来の文体ではなく、です、ます調にて書かせて頂きますことをご了解下さい) 

Copyright ©2012-2016 Terashita Medical Office All rights reserved.