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200324コロナが教える人の道17 医療人の献身に脱帽

2020年03月24日

世界が一致団結してCOVID-19に立ち向かっている。しかし、残念なことに、その間にも弾道ミサイルを撃つ国もあれば、世界の巨大大国の間で罪の擦り合いが激化している。中国の政治や商売のやり方を非難する声は多い。今回の災の発表の数字もあてにならないと巷で言われている。しかしWHOなどのサイトの論文を読んでいると、その中国でも医療人は懸命にしかも献身的に相当な努力活動をしていることが十二分に窺われる。今最も感染が拡大して死亡者が多いイタリアやスペインでも同様だ。「医療体制が脆弱で死亡者が多い」と言われているが、それは国(政治家)が、財政(お金)を優先して医療への補助を少なくした結果、病院などの医療リソースの余裕がなく、今回のように急激に医療が必要な時にそのキャパシティーがパンクしているのである。しかし、その中で、医師を中心に医療人たちは、自己犠牲を省みることなく献身的な活動をしている様子がニュース映像の中から垣間見られる。政治家や経済人(商売人)が権力や経済(お金)をひたすら追い求める習性があるのに比べて、医療人の献身性、社会貢献へ心が向かうという習性は世界共通なんだなと、こんな危機の最中に再認識した。何も医療人の端くれとして、自己弁護や自慢しているのではない。問題は権力、お金を持った人々が強大で、医療人魂を持った人々はそれほど力がないということが、「そんな体制でこの危機を乗り切れるのだろうか?」と国民に不安を与えてしまっているのではないだろうか。

僕は医学部の後輩学生と「一般人向け医学塾」などを通じて交流を深めている。若い医学生の社会貢献意識は思った以上に強いことに驚き安堵している。テレビニュースで、若者が自粛お構いなしに「我々はコロナなど関係ない。この瞬間が楽しかどうかだ」などと話しているのを見た。日本とアメリカの映像だったが、他の国ではどうかは分からない。しかし、「若者」が皆悪いわけではなく、「年配者」が皆道徳的というわけではない。前ブログでも書いたが、ぜひ心ある方は、なるべく正確な知識に加えて、「弱者を守る勇気」を周囲の人たちと話し合い、その心意気をウイルスの伝播よりも早い速度で広めてほしい。それこそが、この危機を乗り切る原動力になるのではと考えているが、いかがであろうか。

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200323コロナが教える人の道16 勉強、我慢、辛抱、自宅退避

2020年03月23日

世界中のCOVID-19の広まりは、日々深刻さを増している。そんな中で、患者数データをイタリアやスペインなどと安易に比較だけしていると「日本は大したことない。大騒ぎして自粛するのは馬鹿みたい」と思ったら、それは本当の馬鹿だ。こんなことを書いたが、「半年先になってみると3月中旬がピークであったなあ。」「なんでも自粛、自宅退避などと言っている人のせいで経済的に打撃を受けた」と責められる恐れもあるかもしれない。でも未知なるウイルスのパンデミックに際して、強力に防衛することは、結果的に過剰であったとしても「馬鹿な行動」ではない。もちろん、「過ぎたるは及ばざるが如し」も真理である。「マスクやトイレットペーパーの買い占めなどの行動」と「過剰気味の自宅退避」「熱心すぎる手洗い」「人にうつす軽傷感染者になることへの過剰な恐れ」などの行動とは似て非なるものである。その差異は、常識を解する人間にとっては理解は容易であるが、常識を解さないくせに変に理屈っぽい人間にとっては理解できない。有名な小説にあった登場人物の台詞と記憶しているが「説明しないと分からない人間に説明しても分からない」という言葉を想起する。

テレビなどの報道を見ていると、聞き慣れない言葉が次々に登場する。我々医師でも、初めて聞くような言葉もあるから、一般の方々にとっては理解するのに時間がかかったり、誤解したまま情報が積み重なっていくこともあるだろう。パンデミック、クラスター、オーバーシュート、PCR、集団免疫、、、、などなどいっぱいあるが、それぞれが現状理解のために不可欠なキーワードである。そして国民が現状理解してこそ、この危機を乗り越えられるのである。
目下のところクラスター感染を最小限にしていく地道な努力が大切なのに、この連休は「中だるみ」したようで、アングラライブが開催され、その映像がテレビで流れあきれ返った。ほとんどの観客はマスクもせずに大声上げて狭い空間で叫んでいるから、避けるべき3条件をそのままピッタリ当てはめているから、呆れて物も言えない。ほとんどが若者であるから「俺たちは感染しても軽症」と思っているかもしれないが、もしそうならウイルスよりもその思考が怖いと僕には思える。ではどうしたらいいのか?そのためには、国民の中でも自他共に認める「賢人」が、しっかりと勉強して周囲の人と我々が置かれちるリスクについて語り、それをウイルスの拡散速度よりも早い速度で広めていくことだ。確かに、いろいろな情報が錯綜するテレビやネットの中で、なるべく正確な情報を勉強していくのは困難であろうが、テレビでもネットでもよく見ていると「信頼できそう」な情報や見解が漠然と見えてくる。その情報に安全係数を若干(2、3割増しと言ったところであろうか)かけて理解するといい。

本日友人から教えてもらった下記のサイトがよくまとめていると感じたので、参考までに掲載しておく。内容は大部であるから、各自、取捨選択して欲しい。

https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9?fbclid=IwAR29sbkr29qm8-ndHzm3dDrIK5pSoUCY-7i6U4ySkmVvY13IvNVRiaCYdn0

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200317ちょっと嬉しかったこと 格好いい若者

2020年03月17日

新型コロナ感染で、部屋に閉じこもっている毎日であるが、趣味の一つである「ゴルフ」は比較的安全で、人にも迷惑をかけにくい遊びであろうと自己弁護もしながら、できるだけするようにしている。僕にとっては、いろいろな分野で活躍する大学の同窓生とのゴルフ交流は、他の分野の知識と情報更新、時には患者さんの依頼など、仕事上の利点も多いから、ますます自己弁護できる具合である。

そんな中、先週、所属するMカントリークラブでのプレー中の出来事である。グリーンの周りまで来ていて、せっかちな僕は奥の方に飛んでしまった自分のボールの方に歩いて行こうとしていた時に、手前の別の方向から友人のNドクターが打ったボールが、どうやら僕の後頭部目掛けて飛んできたらしく、仲間たちが大声で「危ない!」と叫んだので、うずくまろうとしたが「もっと危ない!」という声が聞こえたかと思うと、その日キャディーさんを務める若い男の子が、自分の体で僕を庇うように後ろに乗っかって来たのである。咄嗟のその判断、常日頃からの心構えがないとなかなかできないものだ。
朝のスタートの時に、プレーする仲間とその日のキャディーさんが挨拶する。その日は若い男の子であったから、正式のキャディーさんが足りずにバイトの子だなと僕も他の友人も思った。しかし、スタートしてみると、距離や打ったボールの行方など的確であるし、何より誰かがいいショットをすると大声で「ナイス!」と本当に喜んでくれるから、こちらも気分がいいな、と思っていた矢先の出来事であった。僕は後ろ向きだったので「あれっ、自分の体で守ってくれたのでは???」と感じたものの確証がないから、2、3ホールの間は黙っていた。そして、「さっきは身を持って守ってくれたね」とお礼を言うと「いえいえ、、、」と何くわぬ顔の照れ笑い。そして、初めて同伴の仲間たちも「そうなんだよ。咄嗟に寺下さんの後ろに回って体で受け止めようとしてたよ」と称賛の嵐となったのは言うまでもない。その少年から見れば、我々はおじいちゃんおばあちんと見えて「自分が守る」と言う意識を持って同伴してくれていたのだ。ありがたい話だ。

帰り際にフロントのスタッフに話したら、「それはいい話ですね。彼はバイトなのですが、時々そのようなお褒めの言葉を聞きます」とのことであった。

その日のスコアは大したことなかったが、誠に気分良く帰りの道の運転も苦にはならなかった。

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200317コロナが教える人の道15 頑張れ!医療関係者

2020年03月17日

毎日、暗いニュースの連続で、「コロナ疲労」が全国に広まっているようだ。もともと悪意のある連中は、マスク転売や「自分が感染したから人にうつしてやる」と発想する人など、報道を見るだけでも虫唾が走る。しかし、落ち着いて世界の状況を見ると、日本の医療体制の素晴らしさ(レベル、安定度、医療者の情熱、国民誰でも、安価などなど、、、)に改めて感心し、同じ医療業界人として誇りにも思っている。だからこそ、そんな日本の医療体制を大切に温存しながら、この危機を乗り越えたいものだ。
医療や介護の現場でいる人たちの使命感で今のところなんとか支えられているが、それにも限度があるだろう。新型コロナ流行とは別に、以前と同じく毎日癌の宣告は行われ、患者たちは悲しみと不安に陥っている。同じく、心筋梗塞や脳梗塞、脳出血などの重病でも同じことが起こっている。そういう現実を、皆さん理解してほしい。
そんな中、光明が見られるニュースも悲観的なニュースにひっそり隠れながらもある。効くかもしれない既存の薬剤の治験も粛々と行われているようだ。近いうちにその効果の程度も発表されるだろう。米国では早くもワクチンの治験が始まったというニュースも流れた。日本でも、このウイルスの抗体が分離され、まずは簡易な検査キットもまもなく登場するようだ。抗体は治療にも結びつく期待もある。

僕の個人的な感想だが、COVID19と呼ばれるこの感染症の臨床像があまりにも極端に分かれることだ。もちろん高齢者や基礎疾患のある人と若い元気な人でその重症度が異なることは他の感染症やその他の疾患でもよくあることだが、COVID19の場合、あまりにも二極化しているように僕には思える。微妙にタイプの異なる複数のウイルスが存在してはいないだろうか。ただ、宿主が他の動物由来のウイルスがそのような変異を遂げてヒトヒト感染を同時発生的に起こす可能性は極めて低いだろうから、やはり宿主側の問題で、臨床経過の二極化が起こっているのだろうと解釈した方が順当なのであろうか。

またある文献で、このSARS-COV2は、我々の体内の血圧調整に関係するACE2をリセプターとしていることも判明したようだ。この辺からも検査法や治療法のヒントになっていくのではと期待している。

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200313コロナが教える人の道14 格好いい富裕者求む!

2020年03月13日

前回のブログで書いた「富裕者からしっかり税金を頂く」ことの方法論はいくつかあるだろう。
「人が頭と労力を使って稼いだものを、国が税金として取り上げるのはけしからん。税金がもっと低い国もある。大体から何に使うのかもわからないし。」というだろうし、大体から今の政権中枢の人たち(いつもそうだろうが特に今のお友達内閣は、、、)は、周囲の稼ぎ頭たち(セレブたち)が大好きで、その優遇を元に力を蓄え続けている。その姿は美しいであろうか?人間的魅力に乏しい集団が「お花見」に集まったのだろうと、想像してもゾッとする。

9年前の東日本大震災の時、当時大人気で、相当な稼ぎで有名であった石川遼プロゴルファーがいる。僕の2011/3/16のブログの中で次のように書いた。

また、富裕層といわれる方々には思い切った寄付もお願いしたいと思います。義援金と呼ばれる我々庶民からの小額の寄付を集めることも大切でしょうが、大口の寄付は手続きも簡単で効果は絶大だと思います。

アメリカで難を逃れた石川遼君。昨年の稼ぎの残りを全部寄付してはどうでしょうか?本当の国民的英雄になれます。そして、綺麗ごとを言ってはいるものの、国民大衆からお金をトローリングして、その力で政治家になろうとしているような偽善者のなかに潜む本当の人情を引き出す模範となってみてはどうでしょうか?

すると、まさかこのブログを見たわけではないだろうに、その年の全賞金を寄付したのである。

 

そして同年3月31日のブログに次のように書きました。

このシリーズ第5回目に「石川遼君、昨年の稼ぎをみんな寄付してはどうだろうか?」と提案しましたが、まるでそれに呼応してくれたかのように、昨日、「今年の全賞金を被災者のために寄付する」と宣言してくれました。日本を代表する人気者が率先して、自己犠牲を伴った支援をする模範をしくれた意義は大きいと喜んでいます。イチローはいつもながらいち早く名乗りをあげましたし、松井も続きました。

実業界ではあまり出現しないのは残念です。

 

あまりセレブ業界のことは縁遠く分からないし具体的な試算はしていないが、例えば、年俸5000万円以上の部分は所得税を95%、過去3年以上黒字の企業法人税を90%、フルタイムできちんと働いているのに年収250万円以下の人(上記法人税にすれば社員の給与を上げる法人は増えると思うが)には何らかの補助金を、とすれば消費税0としても十分にやっていけるのではないだろうか。今回のコロナ被災でも分かったが、医療や福祉をインフラと捉え、民間営利型から、半官半民もしくは国営とすると国民の安心感は増すとは思うが。


家族や友人からは「あんたが政治家になったらすぐに暗殺されるね」と言われている。

何事も模範が一番効果がある。親は、子供に偉そうに叱るよりも、自らが範をなせば、必ずその背中を見ている。痛いほど分かる。そう思わないだろうか、皆さんは。

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200313コロナが教える人の道13 経済をどう支えるか?

2020年03月13日

新型コロナウイルス肺炎による国家的被害もさることながら、このことによる経済的生活的被害の方が先に強く出て、日本も厳しい状況に追い込まれそうだ。貧富の差の拡大が問題だと、米国では大問題、日本でも彼岸の火事ではなくなりつつある中、このままこのコロナ感染が拡大すると、適切な治療を受けられる格差が起こったり、経済的には、弱者が切り捨てられていく様相を呈し始めている。もちろん治安も悪くなる。米国ではそれに気がつき始めた、企業経営者がボツボツと出始めたようだ。民主党候補に名乗りを上げた(今は降りたが)ブルーンバーグ氏は「我々みたいな富裕者からしっかりと税金を取らなければ今後の米国の財政は危機になる」というようなことを言って立候補したと聞く。売名行為での言葉かどうかはその真偽は僕にはわからないが、言ってることは重要で正しい。また、ある有料企業の経営者は、自らの報酬を億円単位で落とし、全従業員と同じ700万円程度にした。「一部の経営者が高額な報酬を取っていく時代は過ぎた」というようなことを言ったらしい。日頃から経営者や経営陣の報酬が高額になりすぎている(従業員平均報酬の5倍くらいまでが限度にすべきだ)と主張する僕ではあったが、「何もそこまで」と思ったが、その経営者は実に格好いい。うらやましくらいだ。

政府は「思い切った経済対策を考えている」と言っている。彼らにとっては、せいぜい消費税を10%から5%に下げる。しかも期間限定で、くらいではないだろうか?貧富格差が広がる面白くない世界をリセットする大チャンスとして、皆が驚き、拍手喝采する(一部の人たちは渋い顔をするだろうが)ような、「あっと驚く政策」を打ち出してほしい。

消費税はこれを機会に「0」とする
足りない分は、過剰に稼ぎすぎている、過剰に蓄積している人や企業から放出してもらい、日本はこれから、穏やかな成熟した国を目指す!

たったこれだけでいい!

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200311コロナが教える人の道12 専門家たちの声に耳を!

2020年03月11日

テレビのコロナ関連番組に、疲れながらも気になるから見てしまう、という方々は多い。我々医師の間でも、感染症が専門でなければ、正確なコメントは難しい。それどころか感染症の専門家の間でも意見が分かれている。そんなかで、バラエティー番組的なゲストが口々に不安や政府や中国などへの文句などを並べ立てる番組はいい加減やめてほしい。こういった非常事態の報道は、民放は協力して、専門家情報を流す一番組に統一して、NHKは政府からのメッセージに統一するというような仕組みにできないものだろうか?それだけで、国民の不安は軽減するだろうし、過剰な買い占め行為は抑制されるであろう。

医療判断学を開拓した僕でも、今の状況の判断と行動には悩む。なるべく専門家の冷静な情報を読む(できれば文章化されたものがいいが、タイムラグは生じる)ようにしている。WHOのある専門家の文章で感じたことだが、「中国の患者数などの数字は当てにならない」と小馬鹿にした報道をよく耳(目)にするが、案外そうではなく、中国の医療人は結構頑張っているし、SARSなどの経験値もそのレベルは上がっているのかもしれないと感じた。むしろ、検査体制についての奥歯に物の挟まったような言い方をする日本の政府要人たちの実態把握の程度の方に疑問を感じている。今頃になって、ようやく検査数や陰性、陽性の数などが発表されつつあるが、まだまだ不明瞭である。僕の出身の和歌山では、検査数も無理にでも増やし、その結果も公表した(ようだ)結果、感染者の数は抑えられている。保守的と思っていた和歌山の行動に驚いたが、褒めるべきではないだろうか。
癌など悪性の病気の告知は、一昔前は本人に伝えないのが日本では普通であった。その代わりそれを伝えられた家族や担当の医師の責任や本人への愛情ある対応の重さは相当なものであった。それぐらいの覚悟がないと、「不安を募らせないためにも、、、、事実を伝えるのを見合わせていた」ということはできないものである。その覚悟に自分自身が悩んだり、患者さんのご家族とも一緒に悩む日々であるのだが。

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200310コロナが教える人の道11 少しわかってきたようだ2

2020年03月10日

とかく見えざる恐怖は恐い。逃げたり闘ったり放置しておいたりできないからだ。
今、世界中で新型コロナウイルスが恐れられているのは、その実態が掴めていないことが最大の理由だ。

100年前のスペインかぜ、10年前の新型インフルエンザ、古くはペストなども同じ恐怖があったであろう。
体の免疫機構からしても、このウイルスは、初めての敵となるから、やっつける方法の経験値がない。テレビの報道で、今や国民の多くは免疫の仕組みの勉強をしているであろう。我々の体はよくできていて、病原となるような異物が侵入しないように、または、侵入した異物を撃退する仕組みが備わっている。いろいろ複雑な仕組みが絡み合っているのであるが、その一つに「抗体」というものがある。敵対する病原体に適合した攻撃物質を作成し、撃退する仕組みである。基本的には、それぞれの病原体や異物に特異的に働く(そのものだけに効果がある)抗体が体内に産生されて、我々の体を守ってくれるのである。つまり、一度以上、その病原体に出くわしていないとそれに対する抗体がないことになる。今回のCOVID19は人類にとって初めて遭遇するウイルスなので、誰もが抗体を持っていなくて、ウイルスからすると、とても容易にどの人間にも住み着きやすいということになる。今回感染して、回復した人々の体内にはほぼ間違いなくCOVID19に対する抗体ができているはずである。(いつまで存在するのか、今のところ分からないが)。COVID19に対する抗体のことが分かってくると、手軽に感染の有無を調べたり、治療薬の開発に役立てたりすることが可能になる。なぜその研究のことが報道されないのかと不思議に思っていたら、一昨日横浜市立医大にて抗体作成に成功したと発表された。COVID19退治に一歩進んだと言えよう。喘息に使う薬が効きそうだとか、HIVの薬が効きそうだとか、アメリカの研究室で、ワクチンの試作品の合成ができたなど、従来より遥かに速いスピードで研究が進んでいることも事実だ。
一線の専門家たちは、このように不眠不休で頑張っている。また、一線の医療従事者たちも、この巨大な敵COVID19の攻撃を受けながらも、従来からの患者さんの対応をきちんと行っている。

我々は、そのような方々にエールを送るとともに、一人一人ができることを真摯に考え実行していく必要がある。この試練を乗り越えれば、くすぼりかけていた最近の我々人類の問題点(地球温暖化問題、核兵器の問題、テロなどの問題、貧富の二極化問題、戦争勃発しそうな不穏な空気などなど)の対処についても智慧が得られるようになるのではと夢想している。

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200310コロナが教える人の道10 個人でできること

2020年03月10日

この厳しい状況にあって、政府や医療関係者に「助けてほしい」と国民は思っている。少しでも、その対応が思わしくないと、不安が不満になり恐怖や怒りへと発展していく。また、自分だけは逃れたいと思う人や、みんな道連れだ、とか、このパニックを利用して一儲けしようとか、羅列しているだけで怖くなってくる。とても危険な状態である。

「(正しい)知識は最強のワクチン」ということを医師になってから40年間言い続けている。実際に、一般人を対象とした、医学塾も100回以上開催している。情報社会の現在においては、「知識」を「情報」に置き換えることも必要かもしれない。
今、我々個人にできることは、「できるだけの努力をして正しい知識と情報を学習して、冷静に行動し、冷静に怖がる」ことではないだろうか。「自分だけ助かろう」という発想では、今回の困難は乗り切れない。僕はあまり好きではない言葉であるが「護送船団方式」的発想が、今回は必要かもしれない。
不安のあまり「過剰な買いだめ」的な行動はしないし、周りにも勧めない。(もしくはそういう人を咎める)
外出より戻ったら、まめに手洗い、顔洗い(一般的ではないが僕はこれも結構有効かと思っている)、うがいなどにて少しでもウイルスを除去する。
不要不急の用事にて、大勢で集まらない。今しばらくは付き合いの悪い人になるしかない。
コロナ感染症も心配だが、世の中にはもっと厳しい病気と闘っている患者や医師が今までと同じく存在していることを理解する。
国としてにリーダーが必要だが、小さい集団にもリーダーが必要。そのような立場の人は、正しい知識と情報を特に学習し、小集団においてもリーダーとして振る舞う。

などなど思いつくことを書いてみたが、追加や補正のご意見などをお聞きしたい。

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200310コロナが教える人の道9  政府の判断と医療判断学

2020年03月10日

ますますコロナを巡る事態は悪化の一路のように見える。いつも言っていることだが、窮地の時に誰もが望むことは、しっかりしたリーダーだ。この国家的(世界的)危機に際して、政府がどのように判断し、どのように国民を導いてくれるのか期待しているが、肩透かしを食っている状況とも言える。だから、国民は何かできることをしたくてうずうずしている。マスクを買おうにも、どこにもない。仕方がないから、ちょっと気になるトイレットペーパーでも買っておけば安心かと思っているところに、変な噂が流れて、ご覧のような有様である。我が家では、そんなことで慌てて買いだめしてはいけないと呑気にしていたら、「そろそろ必要か」と思って、近くのドラッグストアなどに行ったら、まだ品切れ状態であるから、この現象からだけでいくと、トイレットペーパーをいち早く買いだめした人は一見正解の行動に見える。一体そうなのかどうかよく考えてみてほしい。

僕の提唱する「医療判断学」においては、「医師たちが診断した医学的結論の選択肢に対して、患者としてどのように選択し行動していくか」について、学問的に思考し、さらに実践的にはどうしていくかということを研究実践している。感染症の専門家委員会と政府の関係に似ている。その意味では、医学専門会員は、経済や政治に忖度せず、純粋に医学的に判断した選択枝を模索し提示することに専念するべきである。そして、政府はその選択肢を基本に、経済や国民の生活などを考慮した総合的結論を導き出し、政府の責任において判断決断し、国民にきちんと説明し、納得されれば、国民も含めた総責任において粛々と実行していくしかないのである。
その上で、国民一人一人は、各自の立場や能力で、できることを微々たる力であっても実行していくことが大切であり、それで初めて国が「ワンチーム」となって、危機に立ち向かうと言える。こう考えてみると、僕の提唱実践する「医療判断医」は、政府に当たるわけで、その責任の重さに改めて身震いするが、そのつもりで行動してきた30年間を振り返っている。

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200304コロナが教える人の道8 少し分かってきたようだ

2020年03月04日

朝のワイドショーにしてもニュースにしても、コロナ関係の暗いニュースに溢れているが、よく聞いていると少しずつ分かってきていることもあるようだ。重篤患者さんの治療風景がテレビの映像で流れているが、現場の医師をはじめ医療スタッフの献身的な活躍には日々感銘を受けている。今朝のニュースでは、喘息薬の一部に効果があるかもしれないとの報告があった。商品名「オルベスコ」と呼ばれる吸入ステロイド薬である。ウイルスに効いているのか、病態に効いているのか、今のところ判然としないが、これが事実なら有難い。いずれにしろ、医療関係者の懸命な努力により、早晩はなんとか切り抜ける方法を見出すのではという期待も湧いてきた。
がんばれ医療人!一般国民もなるべく不要な外出は控えるということでの協力を願いたい。この機会に家で読書、夫婦など少人数での散歩など、日頃できなかったことで充実してほしい。

思い出せば、ちょうど10年前に、新型インフルエンザ騒ぎで、日本が揺れた。タミフルの在庫が危ぶまれたくらいであった。その時に、ある NPO団体からの依頼で、「感染症全般の学術セミナー」を主宰したことがある。「知識は最強のワクチン」を合言葉に、2週間の週末の4日間をフルに使った勉強会で、それぞれの分野の第一人者をお呼びして、90分講義15枠の堂々たるセミナーであった。その記録ビデオを見返してみると、今も十二分に通用する。早速スポンサーであったNPO法人と連絡を取り、一般人への正しい本格的知識の啓蒙のために、できる限り多くの人に見ていただくように、無料にて公開することをお互いに許諾しあった。我々のホームページでも公開できるように準備を始めた。内容量が多く、準備に時間がかかることを了承いただきたい。

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200302コロナが教える人の道7 やっと出た学校閉鎖要請、でも他には?

2020年03月02日

COVID19感染症に対抗する、国民への具体的な要請としての全国の学校閉鎖要請が総理より発せられた。遅すぎるとの声が多いようだし、僕も同じ意見ではある。問題ポイントは「遅いのに、唐突である」ということだと考えている。以前のブログでも述べたが、どうも総理の周りには「国民は(無知で)動揺しやすいから、情報はなるべく我々中枢でコントロールし、開示する時は突然の命令の方が効果的だ」と考える幹部や専門家が多いように僕の目には写る。そんな日本に引き換え、台湾の国の対応が世界から注目され称賛されていると聞いた。大統領自ら、陣頭に立ち、国民を守ろうと必死で懸命に努力をしている姿が、国民に伝わっているというのだ。ウワベだけでは、国民は騙されない。そして、基本的には、国民にも情報をリアルタイムで共有できるシステムをいち早く構築している。その立役者は、「公僕中の公僕」を使命にして、政治家となった人だ。トランスジェンダーとして辛い過去を味わったとの話だ。マスク一枚一枚の動きまでトレースして、国民に行き渡るように配慮しているというから驚きだ。
「国のため」「国民のため」を最優先している政治家は、少なくとも日本では、ほとんどいないように僕には見える。「ノブレスオブリージュ」を何よりも愛する僕としてはとても残念なことだ。まあ、政治家に限ったことでなく、経済社会の重鎮たちでも、我々医療の世界でも残念な人は少なくない。でも、あえて、弁護するなら、医療の最前線で頑張っている人たちの多くは、自己犠牲をしてでも人のために尽くしている(ように見えることが多い)。少なくとも、その比率はいろいろな職種の中でも多いと感じている。安心してほしい。その比率の半分でも、政治家や経済界の重鎮や富裕層などに存在すれば、こういった危機をもっとスムーズに乗り越えられるのでは夢想している。非難を受けるのを覚悟であえて言いたい。

「学校閉鎖」の話に戻そう。集団感染(クラスターという言葉が流行っているが)を防止するには、人が集まらない、移動しすぎないということが基本的だ。そういう観点では「学校閉鎖」は一つの手段としては正しい判断だと考える。しかし、これだけでは効果は極めて低いと予測している。しかも、子供を自宅で面倒を見るために、医療現場では看護師、医師なども不足することも予想される。保育園や学童は制限していないようだが、そちらでの集団感染が心配だ。机上の極論としては「学校閉鎖」と同時に、全ての国民が自宅に閉じこもり2、3週間全く動かなければ、感染症はほぼ抑止できるであろうことは想像できる。それが無理となれば、「学校閉鎖」のように一部分を極端に制限するよりも、大人も含めて総論的に、移動や接触をある程度抑えるパッケージで考える方が効果的ではないかと僕は推論する。望むらくは、今回の全国学校閉鎖の要請が、事態の深刻さを国民に浸透させ、不要不急の外出を極限まで押さえ込むことができることと、一方、マスクやトイレットペーパー、食糧などの供給は大丈夫だとの安心のメッセージを国民に伝えることができることを願うばかりだ。

各分野や団体でリーダー的な立場の人は、なるべく正しい(正しそうな)知識を得る努力をして、周囲の仲間のリーダーとして、一人一人がどのような行動をとることが大切なのか伝えていってほしい。今こそ、本当の「ワンチーム」になれるかどうかの瀬戸際だ。

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200228コロナが教える人の道6  極端な意見にはなるが

2020年02月28日

今の事態は、国家的かつ全国民が関係する大問題である。ということは全国民を挙げて、戦わなければならない。富裕層たちに望むことは、生涯で使い切れないであろうと思われる分を差し引いた資産の半分(全部と言いたいところだが)をこの問題の対策費として国に献金寄付してほしい。子供や孫たちに無用なお金を残して無用な争いの種を作るよりも、「日本を救った人々」という名誉を残した方が1代2代どころか末代まで残る英雄となるであろう。もし日本人の資産家たちがこのような行為をするだけで、COVID19による被災者をなんとか救える数兆円規模になるのではないかと試算している。例えば10億円以上の献金者は、国立感染症研究所のボードの名を刻んで称えるなんていかがであろうか?
そして、多くの通常の国民は、そんな「ノブレスオブリージュ」を示した、資産家たちの誉ある行動に感化され、それぞれができることをするであろう。何事も範となる人の行動が一番力強い。
前項で書いたが、このウイルスの抗体検査ができるようになれば、国のおかげで武漢から逃れて、幸い軽症ですみ、体内には抗体もでき、この病気にかからないことがわかれば、コロナ対策病院のボランティアとして駆けつけてほしい。学校閉鎖により、2割以上の看護師さんやその他の職員さんの労働力が減少し、医療崩壊と言われる事態になりかねない。コロナ感染症より重症の患者さんは変わらずに大勢いるのである。毎日、手術も必要である。毎日、癌の宣告を受けている人が多数いる。その方にとってはコロナより怖い宣告である。
大病院に勤める医師は、コロナ感染の危険性が最も高い職業の人々である。その人たちにも守らないといけない家族がいる。僕にできることは、そんな医師を応援することかもしれないと考えている。そのためには、関係する患者さんがたに、なるべく正しくてuptodateな情報を発信するように努めている。

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200228コロナが教える人の道5 気になる病状

2020年02月28日

この2ヶ月の報道を見ていて、このCOVID19感染症の病状経過で気になることがいくつかある。最も気になることは、波状攻撃的な病状だ。最初発熱があって、咳もあり病院に行くが、その後数日勤務していたら、また悪くなり、肺炎状態に陥っていくという2段か3段構えの攻撃だ。これは明らかに従来のインフルエンザとも違うし、市中肺炎の代表である肺炎球菌による肺炎などとも違うように見えます。このウイルスは、HIVウイルスのように何か宿主側の免疫機構に攻撃を加えてくるのかとも推定しています。インフルエンザとエイズのウイルスが合体したようなものだったら、結構手強い相手になり、対策も難航が予想される。

COVID19ウイルス存在のPCR検査に加えて、このウイルスに対する抗体があるかどうかの抗体検査が1日も早くできるように、検査機関の奮闘を祈っている。

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200228コロナが教える人の道4 僕ができること、していること

2020年02月28日

仕事上の約束は当然であるが、友人との遊びの約束でも無断で破ることはおろか、ドタキャンも66年の生涯ほとんど記憶にないくらいの僕にとって、非常事態である。かねてから、約束して計画していたいろいろなことが目先にもいくつかある。しかし、今は、「約束を破らない男」としての名誉を考えている場合ではない。ここは、一つ一つの約束事に丁寧に対応して、無期(でも可能な限り近い将来)延期の策を取り始めている。以前から何度も述べているように、未知の感染症対策の基本は「封じ込め」である。多くの人数が集まると、総人数に応じて指数関数的な接触が生じるからである。

=>  4、5人以上が一同に集まる機会は自ら作らない。(車で行って、野外で行うゴルフはかろうじてセーフであろうかと自己弁解したいが、悩むところ)

手洗い、マスク、うがいが個人ができる予防の基本と言われる。ご存知のように、「手洗い」が圧倒的に有効で、「マスク」はもし潜在的な感染者であった場合人にうつさないというために有効という意味合いはある。ただし、多少の空気感染を起こしているのではという説も浮上してきているから要注意である。ウイルスは粘膜から侵入するので、うがいも多少の効果は考えられる。そうなると帰宅時に顔をしっかり洗うことも大切になる。大半は、手すりや椅子机などについていた飛沫内のウイルスを触ることであるから、手洗いとともに、使い捨て手袋を着用するのもいいかもしれない。医療機関内以外では、今のところほぼ誰もしていないので、違和感はあるが。

=> 手洗い、使い捨て手袋、うがい、顔洗い、エチケットマスクといった心がけが基本

現在のところ、決め手となる治療薬はない。となると自己免疫力と重症化した場合の手厚い救命医療に頼らざるを得ない。生活習慣病対策と同じ注意である。規則正しい生活の一言に尽きる。この際に禁煙に取り組むことは、長い目で見てダブルで効果があることになる。また、過剰な不安は、免疫力を下げるので、正しい知識を得る努力をして、正当な危機感を持つことである。重症化した時は、日本の医療を信じるしかないです。実際現場の医療人のほとんどは過剰労働に耐えて頑張っている。普段から、そういった努力を応援する行動をとってほしい。

=> 規則正しい生活。禁煙。節酒。正しい知識。医療を信じ、普段から医療人を大切に応援する。

今朝のニュースで、トイレットペーパーが売り切れている????という報道に驚いた。中国から輸入されないからとの噂が原因らしい。メーカーは99%日本製なので安心してくださいと訂正報道をした。こういった「自分だけが助かりたい」という、人間の悲しい性を全面否定はしないが、ここは落ち着いた行動をとりたい。これからは家に閉じこもることが多うなるだろうから、1週間分の食料をまとめて買って、家庭内で料理して、不要な外出を避けるのは理性的な行動である。これと、1年分の食糧や水を備蓄しようという焦った行動は全然というか正反対の行動となり、社会不安を助長する。

=> 買い占めという愚行は慎む。金の亡者と同じさもしい人種になる。力を合わせて、皆で助かろう。

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200228コロナが教える人の道3 遅すぎの突然の学校閉鎖

2020年02月28日

やっと政府として、国民に対して具体的な対策要請(命令)がなされた。「全国の小中高の全面閉鎖」、衝撃が走ったのは言うまでもないが、世間は「やむを得ない判断だが、もっと早く出して欲しかった」との見解が大方だったように感じた。国民の方が的を得た考え方だ。ここ数年の災害に対する内閣の対応を振り返ってみると、「国民に動揺を与えたくないから」、事実の公表をまずは控える。どうしようもなくなったら、急に命令を出す。大企業人事やワンマン企業の社長のやり方に近い。情報のリークにより不要な不安を掻き立てるのを防御していると彼らは説明している。それは国民や社員をバカ扱いしているに他ならない。

今回も少なくとも1ヶ月以上前から、「全国的な学級閉鎖」「大人数が集まるイベントの禁止」「テレワーク、極端な時差通勤」の要請などの措置をとるかもしれないと国民に発信しておくべきだったであろう。そうすれば多少の準備はできる。トップ命令は急に行うから効果があるという前近代的な風潮が日本の政治や会社の中に旧態依然として残っている。急な転勤命令を受けた経験者は少なくないはずだ。「(学級閉鎖の副作用など)何も考えていない。走りながら考えていく」この段階で一国のトップが発する言葉かと耳を疑った。

政府も日本国民を信頼して、情報をきちんと流し、テレビ局各社の独自番組でなく、「政府広報番組枠」を作って、定時的に流すべきであろう。政府からの命令、要請、とともに補償の内容や予定などもセットにすればパニックにはならない。国が守ってくれないなら、自分で守るしかないから、マスクやトイレットペーパーを買い漁るしような浅はかな行動に出て、それが報道され愚行のスパイラルとなっていく。

そのいい例が「PCR検査」の不思議、不明瞭性だ。我々、一線の医療人でも、どうしたらこの検査ができるのか判らないし、どうしてできないのかも判らない。大体から、政治家たちも「PCR検査」と簡単に話しているが、一般人同様、今まで聞いたこともない言葉であろう。「疫学的調査をきちんとしてから」など誰かの受け売り的な言葉しか出てこないから、対策が後手後手になっていく。もちろん専門家対策委員たちもいるが、指導、リーダー、責任体制が明確でないから、各方面への忖度案しか出てこない。総理大臣、医療専門家のリーダーが雁首を揃えて、明確なリーダーシップを発揮しながらの舵取りが急務である。

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200226コロナが教える人の道2  マスコミ情報の整理

2020年02月26日

朝のテレビは、どのチャンネルもコロナウイルスが話題のワイドショーである。それぞれのチャンネルは常連ゲストに加え、感染症専門家であるゲスト(といっても、もはや常連化し顔馴染みであるが)が、感染者数の増加や重症者の状況などについてコメントし、政府の対応の不明朗さや遅さに批判を浴びせている。よく観察していると、首尾一貫して同じ意見を言っている人と、状況に応じて、微妙に意見を調整している人、平気でコロッと意見を変えてすましている人など様々である。しかし、ここは落ち着かないといけない。何も評論家の品定めをしたいわけではない。番組を通じて、正確な知識と情報を得て、不安をできるだけ低減し、自分自身が可能な対処法を実行したいだけである。

ポイントは、「時系列」に情報を整理することと、「自分が実行できること」の情報の箇条書きをすることである。できればメモなどに残すのもいい。前者の意味では、状況に応じて意見を変えていく専門家は一概には批判できない。問題はそれを自覚しながら報道しているかどうかを明確にしているかどうかだ。専門家として、テレビカメラの前で話すことには責任がある。テレビ報道でよくあることだが、人の意見を切りはりしたり、時系列を変えることで、反対の内容になることも結構ある。我々、視聴者としては、できるだけ必要な情報だけを単純に並べることが重要だ。テレビでは話題性のあることを、何度も繰り返す傾向にあるから、過剰な不安を煽りがちである。出演者の個人的見解は、時には役に立つが、それを繰り返して見ているより、その時間を手洗いにかけた方が有効な予防策となる。

今後、政府より「学校閉鎖」「外出自粛」「乗り物の制限」「集会の禁止」など具体的な指令が出ることも予想される。それらのニュースのキャッチは必要であるので、朝一、昼ごろ、夕方などの定時ニュースには注目しておくほうがいい。バラエティー系の番組でのコロナウイルス情報の取得は極力控えたいし、友人知人へ興味本位で伝達することは戒めるべきである。

共通する大切なこと
不要な外出はなるべく避ける(軽い風邪症状は自宅で様子を見る。その際でも、家族に配慮してマスクは着用。マメな手洗いも。)
帰宅時の手洗いは格別有効。この手洗い癖は、夏の食中毒の防止や細菌性結膜炎などの防止にも役立つことであろう。
自分だけ逃れようと思わず、家族や友人や国民みんなのことへ思いを馳せながらの行動が結局自分に返ってくる。(買い占めなどの愚かさ)
こういったパンデミック型(集団感染)の感染症は、封じ込め作戦しかないことの理解。当然将来的にはワクチンなども併用しての封じ込めになる。
普通の風邪であろうが、花粉症であろうが、咳が出る人はマスク着用(実質的配慮と心理的配慮)

最後に、身を粉にして最前線で医療活動している皆さんに敬意を表して。

 

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200226コロナが教える人の道1 リーダーの必要性

2020年02月26日

今年の年賀状のご挨拶で、「2010年代の日本は数多くの歴史的な自然災害に見舞われた年であったが、2020年はその数字の見た目のようにニコニコした年になりますように!」と書いたことが、見事に裏目に出た状況となっている。しかも日本だけでなく、世界中のことだ。ただし、自然災害なのか、人的災害なのか、今後検証する必要があるであろう。僕は僕なりにはっきりした見解を持っているが、このブログのシリーズでも言及はしていきたく思っている。
でも、まずは医療従事者として(医学作家として!)、なんとか皆さんに、マスコミで出回る情報の整理に役立つような話をしていきたい。僕の事務所の医療活動の根源にあるテーマは「いかに多くの人に安定した安心を提供できるか?」である。そのための手段として「正しい知識は最強のワクチン」「良質な医療相談の提供」を2大柱にしている。前者の一つとして「教養と健康のための医学塾」を毎月開催し、114回目を迎えようとしている。後者のためには、民間版の侍医システムと医療決断の相談専門のクリニックを運営している。個人としては「医学作家」と称して、医学や医療の知識や医者の世界のことなどをわかりやすく伝える執筆活動をしている。その一部は、このホームページでも公開している。ネットの医学情報の見分け方の大切なポイントは、誰が書いたのかきちんとわかるようにしていることである。さらに、一歩踏み込んで、「幸福論思想家」と勝手に自称して、「幸福」という考え方に、何事にもとらわれず、誰にも忖度せず自由な思想を発信するということを今後の課題にしている。

本シリーズでは、医療関係者の医師としてだけではなく、医学作家として、時には幸福論思想家としての踏み込んだ私見も述べていきたい。

今現在、日本人の多くは不安でいっぱいである。そして「政府は何をしているのか?」と不満でいっぱいでもある。不安、不満は恐怖へと進み、さらには怒りにも発展する。不安の根源は「情報の真偽がはっきりしないことである」役人たちの言っていることが、なんだか奥歯に物が挟まっている感じがする。一般に、知識がないとやたら過剰に怖くなるか、知らぬが仏となり、無分別な行動をとってしまうから、始末が悪い。
不安の根源は、「リーダー不在」を感じ取ってしまうからだ。大ピンチの時に、誰を信頼してついて行ったら良いのかわからないのが最も不安である。アメリカのCDCと言われる国家の感染症制御組織があれば、そのトップが絶大な権力と責任を持って対処していく。日本では、そういった感染症対策の絶対的リーダーがいない。専門者会議の意見を聞きかじった大臣が棒読みする声明では、不安になるのは当然である。いろいろなところに忖度せず、国民の安全を最優先するリーダーが必要で、その人と経済のリーダー、全体のリーダー(総理)と喧々諤々にやりあい決断していく姿を見れば、国民の多くは黙ってついていく。

 

残された時間は迫っている。いろいろな人から嫌われる勇気を持って英断してほしい。

最近の「主侍医からのメッセージ」もお目通しいただきたい。

そういえば、東北大震災の時も同じようなことを書いた。こちらも参照いただきたい。
https://drkenzo.com/blog/2011/03/post-26.html

新型コロナウイルス情報を毎日更新してお届けしています
https://drkenzo.com/archives/2020/0221_122110.html

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どうなるのか?新型コロナウイルス  2020/1 主侍医通信より

2020年01月31日
暖冬と喜んでいたら、結構冷え込んできました。
インフルエンザも心配、暖かいから早めの花粉症も心配なところですが、何よりも「新型コロナウイルス感染症(肺炎)」が否が応でも気にかかります。
新型インフルエンザやSARS、怖いところではエボラ出血熱など海外からの感染症の脅威は後を断ちません。
グローバル社会の副産物と諦めるか、グローバリズムの行き過ぎを少しは反省するのか、人間の叡智で乗り切ることを信じるとするのか、悩ましいところです。
思想家としての意見はいろいろあるのですが、まずは皆様方の「主侍医」としては防護策などの対策を少しでもアドバイスすることが先決です。
基本は、なんと言っても「君子危うきに近寄らず」に尽きると思います。
観光地など人混みを極力避けること、外出後は、外科医やお寿司屋さんの板前さんになったつもりで手洗いを厳重に行うことです。
万一、危ぶまれるような発熱があった場合は、電話にて我々にご相談の上、必要に応じて保健所と連絡を取り、指定の病院を受診しなければなりません。
すべての総合病院や診療所が、新型コロナウイルス感染の診断をできるわけではありません。
ただし、今のところ、大抵はインフルエンザか、普通感冒の可能性が高いのですが。
この辺の判断が難しくなります。
少なくとも、過去2週間以内に中国を訪れた人と接触があった場合は、発熱イコールコロナの可能性というふうに考えて行動するべきでしょう。
 
パンデミックと呼ばれる感染症の爆発的蔓延を阻止するには、現在のところ、残念ながら封じ込め作戦以外にありません。
この基本に準じ、国としての対策と個人としての対策を可能な限り実行し、ウイルスの鎮静化や消滅を待ち、またワクチンの完成を急ぐことが重要です。
 
医学の歴史は、主に感染症との戦いとその他のことと言ってもよいくらいに、感染症は医学の大敵です。感染症や公衆衛生の専門家の友人が、人類を最後に脅かすのは「蚊」が伝播する感染症だと言っていたのが印象的です。
みなさん、なんとか数ヶ月この新型コロナウイルスに接触することがないよう、人混みを避け、帰宅時の手洗いを励行しましょう。(2020/1/29)
 

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年末のご挨拶 2019/12 主侍医通信より

2019年12月23日
一体なぜ「年の瀬」は慌ただしいのでしょうか?
1年という大きな区切りの時でもあるし、お正月休みという長いお休みがあるからでしょうか。
今や、会社単位で考えると3月を中心に決算時期は分散していますし、長期休暇も年末年始より長い休暇を、GWや夏休みでとることも多いようです。
でも「クリスマス」「紅白歌合戦」「行く年来る年」などとなると、なんだかため息が出ます。
古くから続く慣習も満更ではありません。
お正月をお祝いし、梅や桜を楽しみ、雛祭りや端午の節句をお祝いし、梅雨は窓辺から見る「しとしとぴっちゃん」を憂いながらも「雨読」を愛で、七夕、お盆の行事で、思いを馳せ、暑い日は縁側でスイカをかじり種は新聞紙の上に飛ばし、スポーツと食欲の秋を楽しみながら、紅葉の時期を迎え、冬への心構えを準備していく。
ゆったりした感じではありませんか?
 
でも古くから続く慣習も、気がついたら結構変わっていくものです。
年が明けるとバレンタイン騒ぎか御入学騒ぎ。
あっという間にゴールデンウイークの過ごし方の準備。
梅雨となるとシトシトどころかゲリラ豪雨を心配。
真夏は縁側でスイカどころか冷房のきいた部屋に閉じこもり、優雅な人々は避暑地へ退散。
秋の半分はまだ暑く、そのうちハローウインとやらで街中は大騒ぎ。
それも冷めやらぬうちに、街角ではクリマスソングが聞こえ始め、子供たちは、何を買ってもらうかの算段。
年末年始、優雅な方々は、例年のお宿へ。
我々庶民は、休まないデパートなどで、お買い物とちょっぴり贅沢なお食事。
たったの50年くらいでも随分変わりました。
 
変わったといえば、小学生のなりたい職業のトップは「ユーチュウバー」、残念ながら「医師」は、女の子の3位に出てくるだけ。
 
変わることは悪いことではないし、変わらないことが良いことでもない。
We can change!  Yes, we can! なんて誰かが言ってましたね。
35年間も相変わらずの業務を続けている我々ですが、来年もひとつよろしくお願いします。
 

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