このサイトは寺下謙三のブログサイトです。

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240109 中江兆民の教え、天晴れ、事故機の機長とクルーたち

2024/01/09

NHKの「100分で名著」は、安直にいわゆる名著のあらすじを知るには重宝な番組だ。でも、それをきっかけに、本格的にその作者に没頭していくきっかけとしても有用だ。僕にとって、その一つとして「アリストテレスのニコマコス哲学」があり、とても頭の整理に助かっている。最近、「中江兆民」についてのシリーズがあった。名前は聞いたことがあり、板垣退助と近い人だったという中学生の教科書的知識しかなかったが、その中の言葉が気になった。
「普遍的な真理である<善>を語れば陳腐であるが、行えば奇行と言えよう」というような文であったと記憶している。
選挙の時だけは聞こえのいいことばかり言っているのに、やっていることはどうなっているの?と言いたくなる政治家がほとんどだと嘆いている御仁は多い。番組でも言っていたが、今の政治家にこそ中江兆民を読ませたいと思った。ただ、中江兆民については、今のところ100分のテレビ番組の知識しかない僕には、偉そうに言える資格はないが。

1月1日には、能登大地震、翌2日には、航空機事故と2日続けて地獄絵図を見た。燃え盛る旅客機を見て、乗員乗客は全滅だろうと吐き気を抑えながらテレビ画面を見ていたが、全員救出に喝采し、後ほどの報道では、クルーの的確な判断と行動、最後に全員の脱出を確かめてかろうじて自らも脱出した機長、という話。日本中で多くの人が感動の涙を流したであろう。まさに中江兆民の言うところの「素晴らしい奇行」であった。その後、能登地震の報道でも、様々な人が命がけで救助活動をしている姿が映し出される。もう一つの投稿で書いた、弱い人間だが力を合わせてピンチを切り抜けていく姿そのものだ。

一方残念な話だが、こういった大災害に乗じて、泥棒や詐欺などが横行しているというニュースも報道されている。その人たちは、一体どのような教訓を親からもらって育ったのだろう?
今回の機長の行動を格好良いと感じないのだろうか?

240109新年のご挨拶 神様お願い

2024/01/09

今年こそは、明るい話ができる年に!と思っていたら、大地震、大事故ととても暗い幕開けとなってしまった。昨年末は、現職国会議員たちの事務所の家宅捜索という「永田町の激震」で年末の幕を閉じたのに、年が明けたら、本当の地震が起きてしまった。「政治家が悪いから、、、、」「権力者が悪いから、、、、」「あの人が悪いから、、、」などと人のせいにすると気分が悪くなるから、「そうだ!神様のせいにしよう!」という心のマントラの一つを提案したことがある。神様は、きっと心がお広いので、自分のせいにされても寛大な気持ちでいてくれるだろうから。それにしても、この世界中の悲劇のニュースを見る限り、神様の存在には懐疑的になる。少なくとも善意の神様と悪意の神様の両方がいるに違いない。そうなると、我々人間は、悪意の神様に対して、(善意の神様の力も借りながら)対抗していかなければならない。人間同士が戦ったり、騙し合いをしたり、弱者から搾取したりしている場合ではない。今回の地震を見ても、悪意の神様は強大な力を持ち、容赦なく人間を襲ってくる。我々人間の力は弱く、力を合わせてようやく凌いでいくのが精一杯である。

医学の世界も同じだ。人類の叡智でいろいろな病気のことがわかり、一昔前では対処できなかったある種の病気が制圧できるようになった。しかし、コロナで経験したように、風邪のウイルス(ごとき!)の改造バージョンが、これだけ世界中の人類を痛めつけた。悪意の神様が改造したのか、はたまた人間の手によるものかは知らないが、少なくとも悪意の神様が加担していることには間違い無いであろう。

新年早々、今年も悲観的な話になったが、今後は人類が普遍的に求めているはずの「幸せ」や「善」についての、明るい考察をしていきたいと思っている。僕が目指している「幸せ論哲学家、思想家」としての立ち位置を整えていきたい。今年の年賀状に書いた「親からもらった教訓集」の上梓も目論んでいる。

(著者注)文中の「悪意の神様」は「自然の脅威」に置き換えることを神様の名誉のために薦める。

230704 豊かさ・幸せを哲学する12 「大企業・富裕層への課税強化」と言う日経新聞記事に拍手

2023/07/04

3日前に、久々のブログを書いた。日経新聞記事で「豊田章男の高額所得」と言う記事に触発されて経済格差のことを少しばかり。今度は昨日日経新聞朝刊の経済教室欄で、このブログタイトルのような記事に目が止まった。岸田首相の「異次元の少子化対策」などの社会保障の財源問題に対して、3名の経済学者や社会学者が「あるべき財源論議」と言うサブタイトルの3日間シリーズの3論文の3つ目にあたる。論者は、伊藤周平鹿児島大学教授で、ポイントは、「社会保障関連のさらなる給付抑制避けよ」「世界的に多国籍企業への課税強める方向」「所得税の累進性や金融所得課税の強化を」の3点にまとめている。3名ともに、財源に触れずに効果だけを主張するのは良くない、との意見は同じであるが、他の2名の方の論点は明確ではなく、消費税をあげるしかないという意見と社会保障と税を一体で考えるべきという具体策が感じられないものである。この伊藤さんの考えは論点がはっきりしていて大企業や富裕層に対して、毅然とした歯に衣を着せぬ明快な意見である。堂々とこういった意見を言える政治家はいるのだろうか?選挙を意識し、大企業の有力者との繋がりを無視できず、結局は顔の見えない一般国民に負担を押し付けることになってしまうのがオチである。赤字国債で賄っても一種のマネーロンダリングのようなもので同じことである。

この記事を見られる人は、昨日の新聞を撮っているか電子版を利用している人に限られるだろうから、論旨がわかるように重要箇所を抜粋してみる。

以下伊藤周平さんの記事より抜粋

「経済界は社会保障の安定財源とされる消費税による財源確保を主張している。しかし消費税は逆進性が強く、その増税は貧困や格差を拡大し、、、」「岸田政権は、、、、歳出削減を中核にせざるを得なかった」「歳出削減の最大のターゲットとされるのが、歳出の最大項目である社会保障費だ、、、、徹底した給付抑制が予定されている」「歴代政権のもと、社会保障ひは自然増という必要な費用までが削減されてきた」「社会保障の削減、特に医療費抑制制作がコロナ禍で病床の不足を招き、、、、悲惨な結果をもたらした」「経済のグローバル化の中で、富裕層や多国籍企業はタックスヘイブンと呼ばれる税負担や金融規制がほとんどない国に資金を移し、巧みに税負担を回避してきた」「、、、多国籍企業を呼び込むために、法人税率の引き下げを競ってきた。日本でも消費税の増税に伴わせて法人税が減税されてきた」「日本では、多くの減税措置を利用できる大企業の実際の平均税負担率は、表面上の実効税率よりもはるかに低い10%台との指摘もある」「所得税のフラット化も進んだ」「所得税の平均税率は所得1億円でピークを打ち、それ以上の所得階層では所得が高くなるほど税負担率が下がると言う逆進的な構造が生まれた」「コロナ禍の下でも大きな利益を上げ続けてきた大企業や富裕層への課税強化で賄うべきだと言う国際的な合意が出来つつある」「諸特区税については、最高税率の水準を86年水準まで戻せば、相当の税収増になるはずだ」「法人税については、基本税率を30%に戻し、、、、所得時江南の累進税りつに変更すれば、、、中小企業は現行よりも低い税率で、、、、」結論として「各国が法人税率の引き下げ競争をやめて増税にシフトし、多国籍企業や富裕層に対する課税強化の国際的協力が進み始めている今こそ、日本も社会保障の削減でなく、応能負担原則に基づいた税制改革、それによる財源確保の方向に政策転換すべきだ」

抜粋終わり

以上、個人的な見解で、勝手に記事の抜粋をした。できれば全文をお読みいただきたいが、かなり多くの部分を抜粋したので、内容はきちんと理解いただけるかと思う。テレビや新聞などによく登場する経済学者と名乗る人たちの多くは、政府や大企業の御用学者かと思われるような人が多く、そうではなくても具体的な方法論はなく、単なる理想論に留まるものが多いと感じている。
この伊藤氏の、論文記事は、政府や大企業などの権力にも追従せず論理や主張が明確で、久々にすっきりしたので、この場を借りて紹介した。伊藤氏の許可も得ていないので、正確には全文を入手して読破してもらいたい。

伊藤周平先生、頑張ってください!応援します!

230701 豊かさ・幸せを哲学する11 「豊田章男氏の報酬9.9億円」という記事に接して

2023/07/01

久々に会った友人数人から「寺下さん、最近ブログ更新していないねえ」と言われ、最近の筆不精ぶりに自己エネルギーの減少を痛感した。言いたいこと伝えたいことはたくさんあるというのに!ということで、早速ペンを取る。いや、キーボードを叩くことにした。

最近の僕の関心事のテーマは、「行き過ぎた資本主義の結果、行き過ぎた経済格差の二極化を来たし、様々な歪みを生み出している」ということだ。その一つであるが、安全神話の国と安心していたら、とんでもない強盗事件が多発している。前回言及したが、その根本原因は、貧困に悩む若者層を巧みに実行犯として操るお金の亡者である指示犯、という構図である。
「お金がないと何もできない。お金があるとなんでもできる」と国民が考えてしまう世の中になりつつあるからだ。政治家を中心とした権力の中枢に居座っている人々の責任は重い。

資本主義社会では、とにかく多く稼いだものが成功者であり、時に英雄となる。大抵は世の中のニーズに合ったモノや仕組みを作り出すことにより、多くの人々に快適や楽しみや豊かさを提供しているからこそ、その売り上げが伸び、その企業は巨大化していくことになる。
このブログのタイトルは本日の日経新聞朝刊の記事見出しにあったものである。その記事では、更に14億円の配当所得もあるとのこと。今期の報酬は前期の46%増ということだった。欧州のグローバル企業に仕組みを取り入れたという。日本最大の企業であり、世界でも有数の企業の代表だから当然と関係者も一般市民も思っているかもしれないが、これこそは資本主義の大きな過ちの象徴だと僕は考えている。トヨタのみならず好業績の大企業では、一昔前の日本ではあり得なかった多額の役員報酬を海外企業に倣って取る習慣が広がっている。従業員の給料は据え置かれたままに。今年になって、ようやく一般社員の報酬をあげようという気運が高まりつつある。普通は逆であろう。社員に十分な給与を与えることができるようになったから、それに比例して役員もそれなりの報酬を取ろうと。そもそも社長の報酬は、社員の平均報酬の10倍程度までがいいところと言うのが、僕の肌感覚である。その倍率も会社の評価の一つの指標となっているらしいが、それは面白い指標である。低過ぎても高過ぎても問題であるというところが考えさせられるからだ。

テレビでユニセフの広報を見たことがあるだろうか。今、世界で4700万人の子供たちが餓死寸前とのことだ。日本でも給食費を払えない子供たちは、正確な数字は思い出せないが、かなりの数になるという。麻雀のように、誰かが勝つには、誰かが負けることが必須である。誰かが大きく勝つには、誰かが、もしくは他の誰もが大きく負けないといけない。4人の麻雀のゼロサムの例えを大きな社会での経済理論の場に持ってくるのは、経済学の何たるかを知らないズブの素人であるとの誹りはあるだろうが、根本的な考え方として間違っていないと僕は考えている。今後のブログにも、その辺の理論武装をしていくつもりだ。国内でも海外でも、このことに気付きはじめた経済学者たちがポツポツと同様の発言を始めたことにかすかな期待をしている。

過剰に稼ぐ人がいることは、廻り回って貧困を生み出すことにつながっている。かのアリストテレスにしろイエス様にしろ「過剰に稼ぐことは悪である」と明言している。間接的とは言え、少なくとも多くの人の「命の食事」を奪うことになるからだ。2000年以上も前に、そのことに気づいていることには驚きである。「過剰とはどういう定義ですか?」と聞かれることが多い。その辺についても今後考察していきたい。
資本主義がダメだというなら、共産主義ですか?と短絡的にいう人がいる。世界の歴史を見渡しても、共産主義の成功例は見当たらない。名ばかりで、実情は独裁専制政治となっているから、資本主義の成れの果ての超経済格差社会と同じ結末となっている。

適度な競争のもとに、切磋琢磨して豊かな社会を築いていければいいのだが、どうしても行き過ぎてしまうのが、人間の業なのであろう。解決策のない批判は無に等しいかそれ以下であろう。少なくとも理論上か空想上は「それはいい考え方だね」と言われるような仕組みの提案をしたいものだ。しかしながらそれは現実のものとはならないであろうから、この現実において、心豊かに過ごせる実際的な提案も考えていきたい。

230324 豊かさ・幸せを哲学する10 不要不急のWBCの力

2023/03/24

「不要不急のことこそ人間にとって不可欠の栄養剤」と思っている。今回のWBCは、それを見事に証明してくれた。悪い事件が起こっては、このブログを書くことが多く、「嘆きのブログ」状態になっていた。「何が、幸せ哲学だ」と罵られても仕方がない最近のブログ内容だった。久々に明るい話題に接した。多くの国民が感動に酔いしれた侍ジャパンの活躍ぶりだった。(告白:僕の最近の野球離れはひどく、名前と顔が一致していたのは大谷とダルビッシュだけだった)

どのような仕事も大切であることは当然であるが、国にとって最も大切な仕事は「政治家」であると思うようになった。友人たちから、「政治家にでも立候補したら?」と言われることは少なくない。その度に「最もなりたくない職業は政治家だよ」といつも答えてきたし、今もそう思っている。人は憧れるような人がいて、それを目指したくなるものだ。大谷を見て「野球選手になりたい」と思った子供たちは多いだろう。我々の世代の医師は、ベンケーシーやドクターキルデアなどという昔のアメリカドラマの主人公ドクターに憧れただろうし、もう少し若い世代は、手塚治の「ブラックジャック」の影響は否めない。憧れる模範となる人物の存在は大きい。僕にとって、憧れる政治家が今も昔も存在しないのが、なりたくない職業の代表が政治家であるという理由だ。
しかし、国民、庶民の幸せにとって、最高に大切な仕事は政治家であるのも事実だ。そんな要職にこそ、能力がひときわ高く、自分や側近の人々だけではなく広く民のために、身を粉にして犠牲的精神で全力を尽くすことができる魂を持った人がつくべきである。しかし、世の中を見渡してみたら、「少しばかり能力の高い人が、徒党を組んで、自分や側近の人々の利益になることを最優先し、自分のプライドまで満たそうとする」政治家がほとんどだ。世界に目を向けると、もっとひどいかもしれない。国民の命を貴重とさえ思っていない国主が少なくない。どうしたらいいか?諦めるしかないのか?そんなことを考え抜いてみたいというのが、「しあわせ哲学者」を目指している所以だ。

前回書いた「連続強盗殺人事件」だが、安全神話の呼び声高い日本での現実だ。驚き、不安が押し寄せる。どこの国にでもいる悪人のなせる技なのだから、政治とはあまり関係がないと思われる方も多いかもしれない。確かに指示犯になるような極悪非道の輩は、どの国でも一定の割合で発生していく。しかし、今回の犯罪の構造で、最も気になるのは、昨日まで無垢だった若者が、お金に困りSNSを通じて実行犯に成り果てていったことだ。それも少なからずの数が存在している。
政府は、貧富の二極化を止めるどころか、口では問題視しながら、やっていることはむしろそれを助長しているキライがある。「お金がなければ何もできない」「お金があればなんでもできる」という風潮を、この日本で蔓延らせた罪は大きい。もちろん、その主犯は政治家だ。また、その周囲に群がる経済界やVIPと言われる人たちだと、僕は思っている。人のせいにばかりできないが、これは批判だけではない。一旦は日本国民のためにと政治家を志した人に、初心を思い出して粉骨砕身努力してほしいという、真剣で切実なお願いでもある。

報道番組では、「僕も侍ジャパンの選手のように、何事も諦めずに最後まで努力をしたいと思いました」とたくさんの子供たちが興奮気味に話していた。楽観的と笑われるかもしれないが、闇バイトに応募する予備軍の若者の1割程度には「闇バイトなどの誘惑に負けず、僕も努力して、きちんとお金を稼ぐことを諦めないでいよう。」と思い直させる力があったのでは期待している。
他人に配慮し、人のために努力を惜しまない、チームを大切にする日本国民の本来の姿を引き出すようにできる力を持つのは政治だ。それはうらやましい仕事だ。

模範の姿を見せてくれた侍ジャパンの方々、ご苦労様でした、そして、ありがとうございました。

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