少数精鋭主義⑥ マスコミとミニコミ

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑥

マスコミとミニコミ

ばんぶう

2000.10

日本医療企画


飛躍的な通信技術の進歩で、マスコミの力は増大していく一方である。テレビを筆頭にラジオ、新聞、週刊誌、インターネットと媒体は増えるばかりである。最近の通信手段は双方向性も備えたといわれつつも、その実はまだまだ片側通行が主体である。
前々回に「知らぬが仏」の快適さについて書いたが、マスコミはそんなことにお構いなく一方的に情報を送る。「見たくない人は見なければ良い」というのがマスコミ正当化の論理であろう。しかし、である。例えば、電車の中の週刊誌の吊り広告を思い浮かべてほしい。「芸能人のAさんが離婚した」「歌手のBさんには愛人がいた」などはまだいいほうで、この紙面では書けないような内容のゴシップ記事のタイトルが満載されている。小学生も中学生も未熟な大人も乗っている電車の中である。「いやなら見なければ良い」「知りたい人の権利も大切」などの抗弁が聞かれてこよう。しかし、それは正論であろうか。人間の知識欲は、あらゆる本能の中でも強力な部類に入る。「そんなくだらないこと」と思っても目に届くところに情報があれば知りたくなるのである。まさにそんな本能を狙った広告なのである。
 最近、よく目に付く「高校生が母親を殺した」系のニュースもそうである。そんないやな話は本来知りたくないけど、怖いもの見たさもあるのが悲しいかな人間。また、境界型の精神病の人にとっては、そんなニュースが刺激になってまた次の事件が発生するという悪循環。
グローバルなマスコミもいいけれど、身近なミニコミ的情報活動を見直してはどうだろうか。すなわち、それは身近な人間を大切にする行動にもつながるのである。目の前の相手を無視して携帯電話で遠くの人と長話をする光景に不快さを感じるのであるが、皆様はいかがであろうか。

    

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