医療サービスの品質管理と「標準治療」

表紙

医療サービスの品質管理と
「標準治療」

TKC医業経営情報 2002-10月号

2002.10.1

TKC医業経営研究会発行


患者が医療機関を利用する場合、情報開示等により医療選択の幅が広がったために、「もっとよい治療方法があるのでは」といった患者の心配が以前にも増して表面化してきたという。
患者に適正な医療を提供するためには医師の的確な医療判断とマネジメント性が重要になるが、近年は、医療技術の高度化等により治療方法の選択肢が増え、専門医の間でも治療方法にバラツキが見られることも少なくない。
このような情勢の中、日本の医学界においては、厚生労働省や各学会などが主体となって「診療ガイドライン」の作成に乗りだし、また一方では、患者にも診療のディファクトスタンダード(事実上の標準)を理解してもらおうという動きも見られる。

今回は、『標準治療 2002・2003』(日本医療企画)の総監修者である寺下謙三氏に、医療の質を担保するうえでの標準治療の重要性についてうかがった。

聞き手 本誌編集人 梅田和良(医業経営コンサルタント・経営)

治療のディファクトスタンダードを知ってもらうために
梅田
厚生労働省は病気ごとに治療法の目安となるガイドラインを作成する方針ですが、今回、それに先駆けて『標準治療2002・2003』を出版されました。
その経緯と趣旨を教えてください。
寺下
それには、いくつかの複合的な理由があります。当事務所では医療の水先案内を主体とした医療相談や医療判断支援を行っていますが、相談にみえる患者さんの不安の声を分析すると、「自分の受けている治療が妥当かどうか」の一言に尽きます。
しかし、それらの患者さんがみんな、ひどい治療を受けているのかというと、そうではないことも多いのです。 標準的なよい治療を受けているのに、「もっとよい方法があるのでは」という不安からいらっしゃるケースもあります。特に最近は、インターネットや雑誌で患者さん自身が、病気について調べられますから‥‥‥。
しかし、インターネットや雑誌、新聞などには特殊なケースの情報が出ていることも少なくないのです。そんなことは一般的にはやっていないというような治療方法が載っていたりします。それを見た患者さんは「自分はこれで助かるかもしれない」というような過剰な期待をしてしまうことがあります。ですから、私はいろいろな勉強会などで話す際には、基本を押さえておくことが大事だとよく言うのです。基本があって初めて応用が利くからです。ですから、今の医療の基本とは何かということを、ぜひ一般の人に知ってもらいたいと思いました。
また、これからの医療では、標準治療やガイドライン、EBM (evidence based medicine)といったことがおそらく言われてくると思います。
実際にこの書籍を企画したときには、数十の病気に関しては学会とか厚労省主体で方イドラインを作っていましたし、アメリカでも100くらいの各疾患のガイドラインを作っていたと思います。しかし、そういうものは公的な標準であり、実際に知りたいのは日本の現状、つまり、ディファクトスタンダード(事実上の標準)です。良質な医師が行っている標準的な治療を紹介し、患者さんが自分の受けている治療をそれで調べて、大きな隔たりがないということがわかれば、安心して治療を受けられます。
また特殊な治療というものも存在します。この本のなかでも少し解説していますが、特殊な治療というのは期待も大きいですが、副作用や費用といったリスクも大きくなるものです。患者さんには基本を押さえたうえで、対応してほしいと思っています。私も医学セミナーをする場合、話をおもしろくするために、きわものの話をすることがありますが、意外と基本がわかっていないのに、そういう勉強ばかりする人が多いという印象があります。
梅田
それは患者側がですか。
寺下
そうです。一般の方です。
週刊誌等の見出しは、どうしてもそういう情報になります。ですから、静脈と動脈の差も言えないのに、ものすごくエイズに詳しい人もいます。ただし、そうなるのは無理もないのです。自分の病気のことは自分で知るべきなのに、理科系のごく一部の人だけが体のことを習って、ほとんどの人はカエルの解剖くらいしかしておらず、全然習う機会がなかったのです。
ですから中高生のときに、人間の体と健康の基本をもう少し勉強する機会があればいいと思います。
しかし、現状ではありませんから、英会話を習うように治療の基本を知りましょうというのが本書の方針です。
アメリカでこういうガイドラインを作るときは、一般向けとプロ向けを作ります。日本はどうしてもプロ向けばかりで、一般向けはあまり作ろうとはしません。それで一般向けに何か解説書を出したいと思ったのです。
コストと品質が比例する仕組みが必要
梅田
患者への情報開示に大きな影響があるものとして、本年4月からの医療機関に対する広告規制の緩和があります。
この改正で、専門医の認定、治療法、手術件数等、医療内容に関する情報等が広告できるようになりましたが、医療機関への影響はどうでしょうか。
寺下
手術症例数については、診療報酬改定で導入された手術の施設基準の問題があり、先日の新聞に、脳外科の先生が病院を移った際に、その病院の動脈癌の手術件数が約40例しかないので手術の施設基準をクリアできない。以前勤務していた病院は約80例ありクリアしていたのに、同じ医師が病院を替わっただけで、診療報酬が変わるのはあまりにもおかしいのではないかという記事が掲載されていました。
その後、施設基準については見直しがありましたが、こういう規制があるために、水増し手術で手術件数を増やす病院がでてくると、規制がまた新たな問題を生んでしまうことにもなりかねません。厚労省は「医療倫理に基づいた、医師の良心に委ねる」とコメントしていますが、それだったら、広告を全く自由にしてしまえば、消費者も選別する目を持つと思うのです。
今まで医療機関に広告規制があったのは、事実に反する広告をしたり、過剰な広告をしてはいけないという主旨だと思いますが、放っておくと悪くなるという考え方でいくのか、放っておくと良くなるという考え方でいくのか、どちらかにしないと中途半端な感じがします。それが結局は患者さんに跳ね返ってくると思います。
以前、当クリニックで総合内科外来という診療科を標榜しようとした際に、管轄機関から「何という違法行為をするんだ」と言われたことがあります。総合内科外来というのは、何でもトータルな相談を受けましょうということで、むしろ患者さんのためにわかりやすくしたつもりでいたのですが、それを違法行為と言われて驚きました。現在では、総合内科は当たり前になってきています。
梅田
今は内科もいろいろ分かれているので、患者さんはどこへ行っていいのかわからない。
寺下
そうです。その水先案内こそが本当は大事なのです。
それで標榜しようとしたのですが、規制の弾力的運用ができる体制がなく、話をしても相手が勉強不足で理解してもらえませんでした。
梅田
今東京では、病医院で具体的に広告表示するようなところは出始めていますか。
寺下
外から見た感じでは、あまりないように思います。たぶん地域の医師会で決めていかないと動けないでしょうね。
また、開業医の先生は医療機関イコール個人で、広告の方法もわかりやすいのですが、病院に勤務している医師の場合、「こういう病気の治療が得意です」というような医師個人の情報をもう少し開示してもいいのではないかと思います。
大きな病院だと100人以上の医師がいることもあるわけですから、医師の情報を開示してあげれば、最終的には患者さんが判定できます。いくら自分がこの病気が得意だといっても、評判が悪くなると患者さんは減りますから……。いつもレストランにたとえたりするのですが、「これはおいしいですよ」といくら言っても、1回食べてまずかったら、だんだんお客さんは来なくなります。実味しかったらお客さんは増えてきます。
今までは病院にMRIやCTがあるといった施設やシステムとしての評価が中心だったので、もう少し医師の技術を評価すると言う意味で、個人の広報をしてもいいのかもしれません。
梅田
日本医療機能評価機構やlSOなどの外部評価を受けることで、体制を強化し、医療の質を高めようとする動きがありますが、先生はどのようにお感じになっていますか。
寺下
医療機能評価やISOが、すベて医療の質に関係するかどうかは疑問ですが、たとえば医師を含めたスタッフの意識が高まることは間違いないと思います。信頼性の観点から、医療機能評価機構のような公的な評価がいいのか、民間の評価機構ができてくるのがいいのか議論が待たれるところです。
また通常、コストと品質は比例するものです。
例えば、同じ会社で作っている自動車では高ければ高いほど品質がいい。同じレストランで1,000円のランチと2,000円のランチだったら、やはり2,000円の方がトータルとしては良いものが出て きます。
ところが、医療の場合はコストが一定なので、この相関関係はありません。
たとえば、質が高いと評価されたら、保険点数が11円になるのだったらリレーションがかかりますが、それがないのです。部分的には、医師の経験年数や手術症例数などの施設基準がありますけれども全体にはありません。そのリレーションがないと、医療機能評価も形骸化してしまいます。結局、昔の教授回診と同じで、患者さんを見ているはずが、教授のほうを見てしまっていたということにもなりかねません。
教授回診もはじめから悪かったわけではないのです。一番臨床経験の豊かな教授に自分の患者さんを診てもらい、普段自分が診ていてわからないことをこの際に聞こうというのが本来の教授回診です。ところが臨床経験の少ない教授の場合でも、その権威になびいていくだけになってしまった。
心配するのは、医療機能評価で評価されるところばかりきれいにして、肝心の医療内容がおろそかになってしまうこともあるという点です。
ですから、コストと品質がリレーションしないというなかでの医療機能評価はものすごく難しいと思います。
梅田
認定を受ける医療機関が増加し、患者にも認知されるようになると、そういう外部評価を受けているという表示が入り口にあるだけで、相当選別されていくかもしれませんね。
寺下
結果としてそういうのを見てもらえればいいと思います。
患者さんになぜ人気があるのかと思ったら、やはりこういう評価をしたら高かったということであるべきで、要するに、実際には患者さんを診ていないけれども、教授に見せるカルテはきれいに書いたというのは、本末転倒です。
意外に、優秀で患者さんにべったりの医師はカルテをきちんと書いていなかったりするのです。それは患者さんに一生懸命でカルテを書く暇がないわけです。それは極端な例ですが・・‥‥。
ですから、外部評価もいいのですが、プラスアルファで何かもう一つの仕組みづくりが必要ではないかと思います。
たとえば、現在は診療報酬点数1点が10円です。交通事故とかは20円ですが、これを病院が自由に設定でさるようにして、たとえば1点を9円にしてもいいわけです。大まかに例示すると、1点10円で患者負担が3割ですから、1点9円にすると患者さんは2割しか負担しなくていいわけです。1点7円にしたら負担がゼロになる。安いところには患者さんが来ます。また腕に自信があるところは1点を30円にしたら、7円は国で負担しているわけですから23円分を患者さんが負担しなければなりません。しかし、それでも患者さんが集まれば、その医師の腕を評価しているわけです。
私は患者さん、つまり消費者が一番賢いと思うのです。自分の命がかかっていますから。ISOも医療機能評価も命がかかっていませんから、その差があるのではないかと思います。ただし、判断を消費者に任せると安定するまで犠牲者が出る可能性があるという問題もあり、机上の理論が実際にうまくいくかはわかりませんが……。
EBM導入の際に必要な制度の弾力的運用
梅田
米国では診断・治療・予後などのデータを解析し、診療に利用するEBMが行われているそうですが、どの程度活用されているのでしょうか。
寺下
EBMの基本的な考え方はだれもが賛成するところだと思います。
ですから、それを実際に運用で きるのかどうかということだけが問題です。身近で簡単に使えないと、日常的に使うのは難しいと思います。ですから、もう少し普及するためには、まず、医師ならだれもが使えるようなシステムの普及が必要ではないかと思います。そして、これも弾力的運用が重要です。「EBM=診療ガイドライン=厚労省」ということに対して反発している医師も多いようですが、それは統制医療になるという考えからです。
私は、日本中どこへ行っても同じ医療が提供される「コンビニ医 療」を望むのか、他にはない名人芸の医療を望むのかは、患者さんにとっては二者択一の問題ではないと考えています。たとえば、どこへ行ってもファミリーレストラン並みの100点満点で70点くらいの料理が食べられるという安心感があって、そのうえでとさどきはすごい料理人がいる鉄人のお店にも行さたいというような、患者さんが医療を自由に選択できるという環境が重要だと考えています。
EBMというのは、そういう状態を否定するものではありません。
梅田
EBMや診療ガイドラインが整備されてくると、それに反した診療を行って診療報酬請求した場合に、指導を受けるケースもありえますね。
寺下
統制医療というのはそういうことです。
盲腸はこの値段というようにコストまで反映してくる。反対派の論拠もそこにあるのだと思います。ですから、EBMを制度化する際には、弾力的運用ができるようにしてほしいと思います。EBMを重視するあまり、目の前の患者さんが急変しても何もで きなくなることもあります。
また、これはあってはならないことですが、包括支払いの場合だと点滴が少なくなり、出来高払いだと点滴が増えるというように診療報酬請求の仕組みで医療が変わるという現象があります。このこと自体おかしいのですが、事実です。
ですから、そういう意識が働くことを前提に仕組みを作らなければなりません。
梅田
医の倫理から離れて、金儲け主義に走ってしまう医師も出てくる可能性があるわけですね。
寺下
これはものすごく難しいところです。
当院では自由診療を行っていますから、報酬額を自由に決められます。そうなると、私情が入ってきて高くても安くても難しいので、当院の医療判断部のドクターとも話して、少なくとも薬に関しては出しても出さなくても、損も得もないようにしました。
そうすると、純粋な気持ちで薬が必要かどうかのアドバイスができると考えたからです。
ところが、普通の出来高払いだと薬を多く出すかどうかで評価が決まり、出すか出さないかの判断をしたことについてはほとんど評価されません。すると、人間は弱いですから評価される側に向いてしまいます。ですから、評価される側を向きすぎないこと、そちらを向くことがイコール患者さんに向いているのかどうかを考えることが重要だと思います。
医療判断をする場合の3つの着眼点
寺下
医療判断とか医療決断を行う際にはEBMだけではできないので、当院では次の3つの観点から取り組んでいます。
まず1番目は科学的根拠です。我々は科学的根拠による判断基準と呼んでおり、EBMに則っているものだと考えています。
2番目は心理学的情況です。心理学的情況というものは、たとえば手術療法と薬療法の2つの方法を比べて、科学的に手術の方が治癒する確率が高いと思っても、心理的に非常に手術が怖いと思っている患者さんの場合は、薬を選んだほうが良いかもしれません。そのようなことを心理学的情況と言っています。そして、3番目は社会学的背景です。これは経済的な問題や仕事の問題などがあります。たとえば、プロゴルファーの杉原氏は前立腺癌でも、手術ではなくホルモン療法を選んだそうですが、EBMから見たら、手術70点、ホルモン療法60点ぐらいだったのではないかと思います。それでも、あえて60点の方を選びました。あと何年聞かゴルフを続けたい。今休んだらもうだめになる。それで手術を受けない治療を選んだのです。これが社会学的背景です。EBMではその時点では絶対に手術がいいわけですが、前立腺癌はいろいろな治療方法がありますから、たとえそうだとしても、社会的理由で逆を選ぶこともあります。ですから、我々は先の3本柱で医療決断をする際のアドバイスを行っています。もちろん、最終的にはそれを踏まえて本人が選択することなります。
梅田
そういう判断について相談を受ける場面は相当あるんでしょうね。
寺下
日常的にそういう相談はあると思いますし、医師はもっとそのことを意識すべきだと思います。
某大学の学生に抗癌剤の選択についてのシュミレーションをしたことがあるのですが、ある抗癌剤が開発され、ものすごく副作用が強く、打った途端に1割の人が死んでしまう。ただし5割の人はどんな癌も治る。4割の人は治りもしないし副作用も起こらない。
そういう仮説を立てます。そして、この薬を自分の末期癌の愚者さんに使うかどうか、学生に手を挙げてもらうのです。すると意見が分かれて、約6割の学生は使い、約3割は使わない。1割は迷って決断でさないというような結果がでます。
では、その患者さんが自分の親とか、一番大事な人だったとしたらどうしますかと聞くと、たいていの場合、使う人の数が大幅に減ります。副作用で目の前で死んだら困りますから、それが怖くなって、真剣に考えたあげく使う人が減るのです。そして、今直はあなた自身が患者だったらどうしますかときくと、今度は圧倒的に使う人が増えます。自分だったらそういう覚悟で使うというのです。学生は真剣に考えているのですが、シチュエーションによってこれだけ決断が違ってきます。これは現役の医師に聞いても判断が分かれるところでしょう。
これだけ判断が揺れるんだということを踏まえたうえで、その基本となるがのEBMだと考えています。EBMイコール医療判断ではないというような弾力的運用ができるのであれば、EBMは非常に有効になると思います。
患者との信頼関係を持った医師のアドバイスが重要
梅田
医療事故にはいわゆるケアレスミスと医師の医療判断のミスがあると言われていますが、特に後者のミスは外部のものにはわかりにくいのですが、それらを防止する方策について先生はどのようにお考えでしょうか。
寺下
難しいことですね。
私は、たとえば、ミスを起こしたら二度と同じ種類のミスは繰り返さないということが大事だと思います。
これはある本で読んだのですが、航空業界では同じミスを二度と起こさないと言われているそうです。事故の原因を調べて、場合によっては1~2年かけてでも徹底的に検証しています。ですから、医療機関についても失敗を徹底的に調査するという体制づくりが重要だと思います。
日本の場合は、当事者が隠蔽したり、マスコミが極端に批判して、冷静な調査ができていないように思います。ですから、もう少し冷静になって、ミスは起こるものだから許すとか許さないではなく、同じことを繰り返さないように徹底的に調査して、その理由を解明することが必要です。ミスを報告すると責められたり、医師生命を絶たれたりするので怖くなって隠すという現状を改善し、ミスを犯しても冷静に調査を受けられて再発防止に役立てられるというような風潮が望ましいと思います。
梅田
医療判断のミスを防止することはなかなか難しいでしょうね。
たとえばガイドラインに沿った治療をしていても亡くなる場合もあるわけですし、たとえ医師が選択した治療方法が最善策でなかったとしてもその責任を追及できるのかどうか‥‥。
寺下
難しいですね。
一言で言えば信頼関係を作るということになるのでしょう。もちろん、それは医療判断の基本です。しかし、正しい医療判断で必ず治癒するのかというと、そうではないのです。
たとえば、私が賭のアドバイザーだとします。そして、ここに黒い玉と白い玉が全部で100個入った箱があり、ある方がこの中から1個取り出してそれが黒か白かを賭けるとします。その時、私が51個の玉を調べたら全部黒であることがわかりました。そうしたら、当然私は、その方に「黒に賭けなさい」とアドバイスをします。黒が51個以上あることがわかっているわけですから・…‥。しかし、アドバイスを受けた方は白をひく可能性もあるわけです。そして、もし白をひいたときは、私のアドバイスは正しいにもかかわらず、間違えたと責められるかもしれません。
さらに、私は費用をかけてその箱を調査し70個の黒い玉があることがわかったとします。これは医療で言えば検査ですが、そういう投資をすべきかどうかも問題です。なぜかというと、どちらにしてもアドバイスは同じだからです。つまり、70個あることがわかっても私は「黒に賭けなさい」と、先ほどと同じアドバイスをするからです。それでも、その方は残り30個の中の白をひくかもしれません。そのあたりが医療判断に非常に近い。それは確率の世界ですから…・‥。
そして、私が黒とアドバイスしたのにアドバイスを受けた方が白をひいてしまった場合、私が調べもせずに、アドバイスしたのではないかと不信感を持たれるかもしれません。そのときに修復する方法はいくつかあると思います。
まず一つは権威です。私が世界に名だたる賭けのアドバイザーだとわかっていれば、絶対に文句は言えません。もう一つは人間関係です。長年の友達で、あいつはこういうことを専門にしているみたいだということがわかっていれば、どうかなと思っても、「お前が言ったんだったら大丈夫」という信頼関係ができます。特に医療の場合は、患者さんの立場に立って専門の治療に結び付ける際の判断をしてくれる顧問医のような存在が重要です。そういう人が間に入ることによって、医療機関との信頼関係が生まれやすいと思います。
信頼関係を作るためには時間がかかります。しかしコツコツ貯めた信頼関係というのは、大きな尊敬に通じると私は思います。権威は違います。いきなり尊敬を求めようとするものですから‥…・。本当に信頼に伴う尊敬の念があるとうまくいくのではないでしょうか。医師も相手が信頼してくれているとなると、安心してその人のためにアドバイスしやすくなると思います。
    

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