子どもの不安症

 

小児の不安障害と心身症の医学

境界型の心の病理を探る

2005.2

(株)日本評論社


青年期境界型の基本病理は遺伝的な内因と過去・現在の外因が複雑に絡み合った「親子の間の心の距離感」 にあることが多い。
医師やカウンセラーは長い目で対応していくことが大切である。

S子さんは、現在大学四年生で、今後の進路を考えている最中です。就職にするか、専門学校に行くか、迷っています。積極的な迷いではなく、どちらだったらやっていけるのかという具合です。
しかし、思い起こせば、大学二年生のときは、このまま大学生活を続けられるのか危ぶまれ、生きているのもつらかったわけですから、ずいぶんとよくなったものです。

 ここでは、S子さんとの長い間の治療面接を踏まえて、子どもたちの不安の心理を一般読者に伝えたいと思います。ひとつの試みとして、S子さんが主人公である私小説風に描いてみたいと思います。S子さんのプライバシーに配慮し背景設定などを他の患者さんの状況などと組み合わせるなど工夫を施してあります。S子さんの内面に関しては、理解しやすさに配慮し、思い切った想像もまじえてみますが、あくまでも心理面接の事実にもとづいた範囲にとどめたいと考えています。

-----人間が怖い!なぜ、リストカットしてしまうの?------------------

 大学二年生の新学期がはじまってまもなく、友人たちと話していても、彼らとの間にまるで壁が存在しているように感じるようになった。思い出せば、昨年夏頃より、人と話をするのがつらく感じることが多くなった。もともと、友だちは多いほうではないが、親しい人と会うのもなんだかおっくうである。音楽を聴きながらひとり部屋でぼやっとするのが好きだった。でも、最近は、ひとり部屋に戻ったときわけもなく涙が出てしまう。特別に悲しい出来事が起こったわけでもない。腹の立つことがあるわけでもない。一年前、メールで知り合い、付き合いはじめたジャズピアニストの彼といるときは、幻想の世界にいるようで気持ちはよいのだけど、彼は有名人でときどきしか会えない。いや、本当に会っているのかさえもわからないように思えてしまう。
一人でいると空の風景がみえ、さーっという風の音が聞こえる。なんとなく感情がこみあげてくる。カーテンから漏れてくる陽の光が怖い。思わずカーテンをカッターナイフで切りつけた。破れたカーテンを見ると、今度は自分を傷つけたくなる。手首を切って自殺をする人は多い。ためしにカッターナイフで手首の内側を軽く切ってみる。数センチにわたりスッと白い線が見えたと思ったら、じわっと赤く血がにじみ出してきた。けっこう血が出る。しかし、なぜだか痛みがない。つい二、三度同じことをやってしまった。これで死んでしまうのかとも思ったが、まもなく血は止まった。
翌日、母親にカーテンが破れていることをみつけられた。当然のことだろう、こんなにちりちりに破れてしまっているのだから。しかし、もっと大騒ぎになるかと思ったが、なぜだか「新しいのにしなくてはね」と言ったきりだった。よかったような、不思議なような煮えきらない気分になった。お父さんには話すのだろうか? それでも、お父さんは、やはり私には関心がないのだろうか。
新しいカーテンになって気分も変わったが、一人になるとまた無性に自分を切りたくなる。その感情を抑えれば抑えるほどこみあげてくる。一週間も経たないうちに、その新しいカーテンも切り裂くことになってしまった。今度は、手首の傷も母に見つかってしまった。「知り合いの方に心療内科の先生がいるから診てもらいましょう」母は、ひとことそう言った。私もなぜだか素直な気持ちになれたのと、病院へ行くことをどこかでは期待していたのか「わかった、いつ行こうか?」と答えた。「明日にでも」

主治医との出会い(四月ニ〇日)

診察室は、まるで普通の家の書斎のような部屋だった。母に連れられ診察室まで入っていった。
お医者さんは白衣ではなく、カジュアルな格好で、椅子から立ち上がって母と挨拶を交わしていた。
髭をたくわえた五〇歳がらみの男のお医者さんだ。にこやかに話をされていた。母はこれまでに何度かお会いしているような話しぶりである。「娘がなにか悩みごとがあるらしいのです。食欲もないようだし、友だちともあまり会わないようなのです」カーテンのことは話していないようだ。手首につけた傷も気づいていないのだろうか。「お母さんも一緒に話されますか?」「いえ、娘だけのほうがよいのではと思いますが」「そうですね」

初診の一時間 …… 私の話

昨年の夏頃より、人と接するときにまるで壁があるように感じるようになりました。年末頃には人と話ができなくなりました。外出から帰ってきたら、自然と涙が出てくることがしばしばです。
悲しくて痛い気持ちです。元来、ひとりでいるほうが好きなほうでした。部屋で好きな音楽をかけてぼやっとするのが好きです。妹と弟がいますが、妹は明るい性格で、大雑把で話をするのは楽です。例の壁もありません。弟はまだ小学生です。両親については、ある種の壁が感じられてしまいます。母とはよく話をします。相談もします。父とはあまり会話がありません。とくに中学生の後半あたりから会話がなくなりました。母は二、三年前から仕事を始めました。それ以来、忙しい様子で私ともゆっくり話はできません。
中学高校時代から人が多いところは嫌いで、人前で話すことは苦手でした。でも、文章を書くのは好きでした。英語や国語は好きで、数学物理は嫌いでした。小さい頃、母は勉強に関してはきびしかったことを覚えています。自分の性格としては、几帳面で感情的でさびしがり屋で時間にはルーズで清潔好きだと思います。他人からは孤独が好きな冷たい人間と見られていると思います。
高校時代、友人たちと話をしていてもかみ合わないことが多かったです。自分をみなに合わせようと努力をしましたが、それがつらかったです。親にそんなことを話しましたが、そんなことは些細でくだらないことと言われました。
最近、メールで人と知り合いました。ミュージシャンでけっこう有名な人です。その人とメールでチャットしていると幻想的な世界に入り気持ちがよいのです。はじめてわかり合える人と出会ったと思いました。
一人で部屋にいると空の風景が見えて、さーっという風の音が聞こえます。感情がたかぶって妹をひっぱたいてしまうこともあります(カーテンのことや手首のことは言わないでおこうと思っていたがここまできたら言ってしまおう)。
一人でいて感情がこみあげてきて、部屋のカーテンをナイフで切り裂いたり自分の手首を切ったりしたことがあります。
専門学校に行こうか就職しょうかと迷っています。こんな状態では働くのは無理ではないかと思っています。専門学校の試験も受かるかどうかわかりません。何をしたいのかもわかりません。
はじめての診察では、私の話を聞いてもらうことがほとんどだった。精神科とはこんなものなのかな。映画などで診察風景を見たことがあるけれど、安楽椅子に座って、目を閉じながら先生に悩みや症状を打ち明ける場面を。たしかによく似た感じかなあ。
先生は「これから数回にわたって、もう少し細かく状況を聞きましょう。そして自分の感情や気持ちと考え方を整理していきましょう。今日は、気持ちのたかぶりを抑えるための安定剤だけ処方しましょう」 と言われた。

次の診察までの一週間

安定剤をのむと、何もする気が起こらなくなるほどだるかった。お父さんがめずらしく話しかけてくれた。いままでになかったことだ。お母さんから病院に行ったことや手首のことを聞いたのかもしれない。一人になりたい。
また、手首を切ってしまった。この一過間に二度も。結構血が出るが痛くはない。感情がこみあげてきたときに切りたくなるが、そんなときもっと理性があればと思う。普通に外に出たい。自己矛盾している。空虚な感じだ。
思い切って大学の授業を一コマだけ受けた。頭の中が真っ白で授業の内容が頭に入ってこなかった。友人とも会わずに家に帰った。家族とは普通に話せる。いままでピアノを弾いていると気分が晴れてすっきりしたが、弾く気になれなくなった。自然と出てきた涙も出なくなった。薬のせいなのか落ち着いているといえば落ち着いている感じだが、どちらが楽なのかわからない。母に頼まれパソコン入力の仕事を手伝った。「できるんだ」と思ったが、一人部屋に戻ると、いままでいた世界と離れたことが悲しくなった。一人の世界と社会生活の共存は無理なのだろうか。次回先生に聞いてみよう。青空も見えないし、風の音も聞こえなくなった。遠くで風の音が聞こえる。眠ろうとしても眠れないことが多い。

二度目の診察(四月二七日) BDI45、SDS74 (BDI、SDSについては表1を参照のこと)

この一週間の話をした。眠れないというのでアモバンという睡眠薬をいただいた。安定剤で日中だるいということを告げると、ドグマチールという薬に切り替わった。気分を明るくし、食欲も出てくるための薬だと説明を受けた。
今日も私が話すことを問いてもらうことがほとんどという感じだった。

三度日の診察(五月一日) BDI17、SDS67

この一過問はずいぶん楽な感じだった。アモバンでよく眠れる。夜中の一時に薬をのみ、すぐ眠って朝九時ごろ目覚める。朝の食欲はない。ピアノも弾きたくなってきた。家事も自分でやりたいと思うようになった。でも、外に出て人と会うのは怖い。おばあさんが一緒に住むことになり、ひとりでいる時間が少なくなったので、いらいらするが自分で制御ができる。自傷の気持ちにならない。なぜあんなことをしたのかも、そのときの気持ちが思い出せない。

四度目の診察(五月一一日) BDI45、SDS74

前回の診察のあと、調子がよくなったと思い外出するようにした。友人に誘われて三日前にロックコンサートに行った。このコンサートをきっかけにキーンという音が聴こえるようになった。また、傷をつけたくなったが、近くにカッターナイフがなくてよかったと思った。たぶん母が片付けたのだろう。人の声がうるさく感じられる。とくに親の声がいちばん響いて聴こえる。「なぜ人が怖いのですか?」と先生に聞かれた。人から何か出ていてそれに触れたらいけないと感じるのです、と答えた。この日に新しい薬が追加された。気分を楽にする作用があるとの説明だった。SSRlとかいった名前だった。副作用で吐き気や食欲不振があるから、最初はごく少量で試しましょう、とのことだった。

その後しばらく

SSRIの薬をはじめて三日間だけ食欲はなかったが、たいした副作用なしとのことで、正式な量の薬をもらうようになった。五月の後半あたりから気分がまた楽になった。しかし、その頃から、変な気持ちがときどき押し寄せてくることがある。すべてがつまらなくなり吐きそうになる気分である。五分聞くらいつづく。高校生のときもあったが、その頃は一カ月に一度くらいの頻度だった。
でも、基本的には落ち着いた感じで、家族も安心している様子が伝わってくる。
六月七日、些細なことで母と口論になった。かっとなり無意識に包丁を持ってしまった。怖かった。
六月半ば過ぎ頃より、人と会うのが怖い気持ちが少なくなってきた。自分が思っているほど周りの人は気にしていないという先生のアドバイスが楽にしてくれた。例の「つまらない発作」の回数が増えた感じがする。とくに食事の後に多い。そういえば、最近は食事に対する興味はなくなってきている。今まではひとりがよかったのに、それがさびしく感じ、友人と会いたくなった。先生とは、一日二回の散歩と一回は好きな曲をピアノで弾くという約束をした。面倒な気持ちだけど、無理やり実行した。なるほど散歩のあとやピアノのあとは気分がよくなる。

七月六日 診察 BDI28、SDS63

最近調子がよくなってきたことを先生に伝えた。今までのことが長い夢のような感じがする。
「激しい夢のあとはつまらない感じや疲れた感じがするものです」と言われた。″祭りのあと″という歌があったなあと思った。そういえば睡眠薬がなくても眠れるようになってきた。今日先生から「満足予想表」というものを教わった。これからの行動により自分がどの程度満足するだろうかとあらかじめ予測点数を推定し、実際に行動したときの気分をまた点数評価してそのふたつをくらべるといったものだ。たしかに行動前の予測より、行動したあとの実感のほうが高得点なのだ。食事が楽しくなってきた。ピアノも義務から積極にかわってきた。雑誌もひさびさに買った。

七月一七日 診察 BDI6、SDS34
七月二七日 診察 BDI13、SDS48

先生に「いま一番楽しいことは?」と聞かれて 「人と話をすることです」と答えて、われながら驚いた。以前はあれだけ人と話すのが怖かったのに、なぜだったのだろう。

九月のある日の診察室でのS子さんの独白

小学生のときまでは、父親もよく一緒に遊んでくれました。やさしい父親像はわずかに残っています。中学生になった頃より気づいたのですが、父親は自分の経営する会社の部長である女性のいいなりになっているのです。どこへ行くのもその人と一緒で、高級料理店へ行ったり、出張の飛行機はいつもビジネスクラスで豪華なホテルヘ宿泊しているらしいのです。社長である父はいいけれど、どうしてそんな人までゴージャスな思いをするのですか。家族旅行の記憶などありませんし、そんな豪華なレストランヘ行ったこともありません。母に対してもそうです。「仕事だから」といつもいいます。それで、母も数年前から仕事を始めたのです。父と母は決定的に仲が悪いと思います。離婚をすればいいと母に勧めています。離婚してくれたほうが私もすっきりします。母のことは好きです。でも、母はきっと私のことが面倒なんだろうと思います。


解説

本症例では、子どもの不安心理を理解していただくために、私小説という形式にチャレンジしてみました。限られた紙数ですが、少し解説を加えたいと思います。

S子さんの病状としては、青年期境界型、気分障害、分離不安障害などが疑われました。対人関係、自己像認識、感情の不安定や衝動性が基本的症状で、現実や想像の中で見捨てられることを避けようとする非常な努力や繰り返す自傷行為が認められます。そして、両親との分離がはかれない分離不安が根底に見られます。母親への執拗な依存傾向と父親へのあきらめと憎しみがS子さんが心を閉ざす一因ともなっています。父親への愛情の期待と会社の女性部長に父親を奪われていくという不安が錯綜しています。そして、それは大切な母親をも苦しめているのだから許せないというもうひとつの気持ちに変わります。母を通しての父親への怒りをあらわにしていますが、その絶対的に頼れる母も悩める一個人であることがわかります。母親に対しても依存と攻撃が反復交錯します。人との接し方が難しすぎて、それを考えただけで怖くなるのです。青年期境界型の基本病理は「親子の間の心の距離感」 にあるといっても、過言ではありません。
かの勝海舟も「行蔵は我にあり。毀誉は他人にあり」と言ったといいます。自分の行動判断は自己にあり、ほめたりけなしたりするのは勝手に他人がすることだから、それを気にしていてはだめだ、という意味です。とかくわれわれ人間は人目を気にします。とくに日本人はその傾向があるように思います。そういったことが大人も子どもも苦しめる原因になります。「人の目により生かされることのないように」という呪文を日頃の生活で唱えることを私はお勧めしていますし、自戒もしています。
ご想像のとおり、S子さんはこの後単純に快方に向かい、治ってしまったわけではありません。
こういった心の病気の病理は難しく、遺伝的な内因と過去の外因(トラウマなど)と現在の外因(環境) が複雑に絡み合っています。一時は通院の必要がなくなるほど改善しましたが、やがて過食嘔吐というかたちで症状再燃し、リストカットもくり返されました。
治療の過程では、激しく不安定に揺れ動く感情を押さえこむと、S子さんのように孤独感や空虚感が前面に出てくることが多いようです。そこを乗り越え安定した親子関係を樹立するのに数年から一〇年以上もかかることがありますが、ほとんどがいずれ快方に向かい安定します。「拒絶されることへの過敏症」と考えられる本症は、治療に当たる医師やカウンセラーが長い目で対応していくことがとくに大切です。
最後に簡単に薬物療法についてですが、そのときの症状に応じて、抗不安薬、抗うつ剤、抗精神病薬、リチウム、テグレトールなどをこまめに選びながら使い分け、精神療法の補助とします。

    

Copyright ©2013-2020 Terashita Medical Office Allrights All rights reserved.