21世紀の医療の風

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インタビュー

21世紀の医療の風

医療と健康

2005.4.1

水元健康科学研究所 発行


すべてはクライアントのために

侍医のような医療サービスを通じて新たな医療の道を歩み続ける寺下謙三さん(寺下医学事務所)
患者の視点に立つ医療が、いまほど求められる時代はありません。
心にふれるサービス、安全管理の充実、快適な施設環境の整備…
理想的な医頼に求められるキーワードはそれぞれ信頼を寄せるのに十分なフレーズてす。一方、連日のように医療不信を募らせるニュースが報じられています。
今回、お話しをうかがった寺下謙三先生は、皇室陛下の侍医のようなサービスをモットーに、患者にとってやさしい医療を提供しています。
これからの医療が歩む方向やさまざまな課題はどこにあるのか。興味深いお話しをうかがいました。

時代の先をゆく発想から

「およそ20年前になります。メイヨークリニックという世界でもトップクラスの病院がアメリカにあるのですが、その歴史の本を読んだ時『日本にもこんな施設ができないだろうか』という気持ちが起こりました。当時からメイヨークリニックは世界のトップブランドといわれる最先端の医療施設で、世界中から優秀な医者たちが研修のために集まるようなところです。
そして、私が“トータルメディカルシステムズ”という組織を立ち上げたのが1984年でした。当時は最先端をいく医療システムづくりを目指して、大学の同級生や先輩後輩など、仲間たちと深夜まで研究開発にあけくれていました。その当時は、今でこそ一般に知られるようになっていますが、電子カルテシステムやICカードによる個人医療情報カード、医局制度から離れた医師の派遣人事システムなど、いろいろな開発を主に行なっていました」
医療の新しい仕組みづくりを提案しながら実践していくことはカンタンなことではないことが誰でも分かります。今でこそようやく普及しはじめた電子カルテでさえ、未だ一部施設で採用されているのが現状という日本の医療。そこには当時の先取性があらためてうかがえます。

システムを生かすということの重要性

「システムを生かすというのは、各要素があってそれをどう上手く配置させるかという作業です。日本の医療水準というものを考えたときに、当時から日本にはすぐれた医療技術がいくつもありました。胃カメラなども世界に冠たる技術のひとつでした。しかし、福笑いで例えれば目や鼻や口はそれぞれが整っているのに、配置が悪ければ全体の顔としてバラバラで人間らしくない。つまりシステムとして医療をみると同じようにバランスが悪く、まとまりのないものでした。
一重のまぶたを二重にしたり、隆鼻術で鼻を高くしたところで、全体のバランスが悪ければ意味がない。それより素敵な顔を表現するためには笑顔をつくることが一番なんです。それに笑顔はお金もかかりません。このように医療もバラバラなシステムを何とかまとめられないだろうかという発想がはじめにありました。

医療界にとどまらず、縦割り組織の弊害として風通しの悪さがよく挙げられます。官僚しかり。自治体しかり。30年以上前に映画やドラマで発表された山崎豊子原作の「白い巨塔」が最近テレビで放映されていましたが、違和感なく視聴できた内容は、医局システムも同様に思えてきます。
『すぐれた医療技術がいくつもありましたが、全体としてまとまっていないシステムを何とかまとめられないだろうか、という発想がはじめにありました。」

アポロ11号から考えたこと

「その後、いまある技術をうまく組み合わせることだけで未来の接術は実現する、という教訓を、アポロ11号の月面着陸のニュースを思い出して医療システムにあてはめて考えるようになりました。当時から電子カルテやネットワークシステムなどの発想はありましたが、まわりの環境はコンピュータやインターネットも一般的に普及がされていない情況です。
一方、毎日のようにハイテク技術は進歩していきます。そんな時、アポロ11号は月面まで人を送り込むような偉業を達成したという事実を思い出したのです。
これはハイテクばかりを追うだけでなく、従来からの技術や知識を上手く組み合わせるだけで相当なレベルのシステムができるということを教えてくれました。なにしろ着陸に成功したのは1969年です。決して技術が整っていた時代ではなく、いまのパソコンが大規模なビルぐらいの大きさであった時代のことです。
もちろん同じ医学でも、遺伝子やES細胞など、最先端の研究は面白いし大切でもあるでしょう。しかし、それとは別にもっと安心できて喜ばれる医療をいまある技術の組み合わせを工夫することで提供できないか、そんな考えがアポロ11号から出てきたのです」
ハイテクには多くのメリットがありますが、便利さゆえの代償も少なからずあるようです。寺下先生は安心できる医療を追求された結果考えたのはハイテクの対極にあるハイタッチの分野でした。それは“昔ながらのお医者さん”だといいます。
『全体をみたうえで、患者さんにとって最もふさわしい治療方針を提供してあげる、 いわば指揮者役の医療判断医が今後はさらに重要になると思います。』

侍医のような医療システム

「いま日本で一番安心な医療を受けているのは誰だと思いますか。そう考えると天皇陛下ではないかと思うのです。現在の医療システムはいったん病名がつかないと、つまり病気にならないと医者は動けないシステムです。すると主治医という立場は、あくまでも病気を治してあげる上での存在でしかないわけです。
そこから専門分化していく医療を交響楽にたとえてみると、指揮者役となる医師がいてもいいのではないか。その医師が患者さんにマンツーマンで対応していけば、より品質の高い医療が提供できるのではないかと思ったのです。
かつて近所のお医者さんは、家族や仕事のこともわかって、すぐに駆けつけてくれて、尊敬されていました。より身近にいたのでもっと信頼関係があったと思います。
もっと予防医学的な指導や慢性の病気の管理にも関わって、健康な時から近い関係を築いていけることが可能な、皇室の侍医のような役割が必要ではないか。
そんな思いをこめて“主侍医”という造語をつくりシステムとして新たに再スタートしました」
医療におけるサービスの重要性は今でこそ徐々にそれを求める声が高まっています。専門分化され、より複雑になる医療に対し、医療提供者側からわかりやすいアプローチがなければ、患者さんたちの不安は決して解消されません。

医療判断医はオーケストラの指揮者

「“主侍医”という業務の中では、患者のためだけを考えて医療決断をおこなうという状況に出合うことがたびたびあります。医療決断とは聞き慣れない言葉だと思いますが、たとえば次のようなケースです。
ガンの治療方針について、手術をするか、化学療法でいくか、放射線治療でいくか、免疫療法はどうか、民間療法も気になる…といった際にどう選択し、治療方針を決断していくか。さまざまな可能性から探り検討していく作業です。こうした決断を総合的にみて行なう医療判断医とは、治療においてふさわしい医師を探し、紹介したり共に診療にあたるという役割もあります。いまや内科医でさえ、消化器、循環器、内分泌、神経などと細分化され、患者ひとりをみて医療全体のバランスをとることは難しくなっています。こういった現象も、医療技術の高度化に反比例して、患者の医療満足度や安心度が低下している原因のひとつだといえます。全体をみたうえで患者さんにとって最もふさわしい医療方針を提供してあげる、いわば指揮者役の医療判断医が活躍できるシステムが、今後はさらに重要になると思います」
治療における決断の難しさは″0か100かではなく、多くが60か65かの比較判断をせまられるところにある″といいます。そのため判断の評価はつきにくく模範解答のないのが医療判断という分野だそうです。そして、その明暗を分けるところにある重要なものが相互信頼だといいます。

医者のネットワークづくり

「私は医師の評価として 『知識』 『接術』『人間性』 の3つをバランスよく備えていることが大切だと考えていますが、医者の世界では学閥に加えて、卒業年、病院系列、医師会、医局などの派閥が存在するため、どの筋の情報かにより医師の評価は大きく異なってきます。
たとえば、患者さんからの情報だけでは診療技術よりも人間性重視に偏り、名医ガイドは“医局ガイド”になりがち、また雑誌の記事は人間性の伝わらない枝術データに頼り、医師同士の評判だけでは利害関係や好き嫌いが先行といった具合です。そのため寺下医学事務所では複数の方面から情報を集めていますが、上記に加え役立てている判断法は同級生評価です。この真意は“物事や人へ接する心構え”が医師にとって大切と考えているからです。
学生時代から人のために尽くす人間は社会人になっても同様だろうし、人を裏切る人間も同様です。利害関係が存在しない時期の評価であるだけに信頼性も高いのです。医師同士が信頼のきずなで結ばれて、そのうえで患者さんに紹介したり、共同診療も行なっていかなければならないだけに、患者さんの状況を見極める“目利き”とあわせて、最善の専門医を紹介できる“顔利き”としての努力も日頃から欠かせません」

これまでの総合診療判断を越えた力量が求められる″主侍医”には、病気や患者の状況を理解する洞察力や、他の医師の仕事や能力を理解する力も必要です。そして、多くの専門医との生きた人脈レバートリーを広げる作業が不可欠だといいます。

『いかに実力のある医師が地位や収入面において正当に評価されるようになるか、そんなシステムの必要性もこれまで考えてきました。』

適切な医療の仕組みづくりへむけて

「アメリカ型の医療の影響を受けた日本の医療界では 『専門医』を尊ぶ風潮が強くあります。大学病院や医局に所属し、大学教授になることが唯一の成功の道と信じている医師がいまだ圧倒的に多いのも事実です。
医師の道を選んだ理由として、“人助けをしたい”という思いとともに、“仕事に誇りを持ちたい” “名誉名声を得たい” “人から感謝されたい”などの願いもあって当然でしょう。
しかし、もう一歩進んで考えますと、“建前こその本音”という気持ちの真実もあります。誰にでも人に喜ばれたいという気持ちはあり、おそらく多くの医師たちは人のためになることを第一に考えていることが推察されます。しかし現在の医療システムは、名誉や金銭欲のみに走った人間の方が地位や栄誉や高収入を得やすいという図式が成立していることも事実です。
こうした中でいかに実力のある医師が地位や収入面において正当に評価されるようになるか、そんなシステムの必要性もこれまで考えてきました。
医療判断には、幅広い医学の知識に加えて、心理学の修練、社会学的な配慮などさまざまな視点から優れた能力と人間性が求められます。これからは一般の社会でもそうした医師がいることを理解し、より多くの患者さんからサポートされるシステムづくりへ進んでいけることを望んでいます」

医療技術の進歩と専門分化によって生じる新たな二-ズ。そこには総合プロデュース、あるいはコーディネイトの役割がありそうです。各分野の専門医との人脈や的確な治療環境には医師としての技量や知識にとどまらず、幅広い人間性が重要であるという言葉がうなずけます。

    

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