記者の目

 

「かかりつけ医」

対話が生む信頼

 週刊医療界レポート

 2008/01/07 №1850

  株式会社医療タイムス社

記者の目 寺下謙三医師の「医療判断学」 の実践と広がり

▽…自らを「医療判断医」と呼び、「医療判断学」という独自の学問領域を開拓、東京・飯田橋で自由診療の寺下医学事務所・附属クリニックを開設している寺下謙三医師 (1972年東大卒)と初めてお会いしたのは84年(昭和59) 年頃だったと思う。もう20余年が経っている。暮れも押し迫った日、「私を救う医者はどこ ?~ 病気に悩む人に医療判断医からの解答」 ( 集英社be文庫 ) という著書が送られできた。この20年間の「医療判断医」や「主侍医」しての診療活動の苦労話をフィクション仕立てでまとめたもので、13話から成るオムニパス風の「実践医療判断学」といった趣の本である。「医療崩壊」が叫ばれている昨今、患者がこの荒波を乗り切っていくヒントが詰まっている。日本の医療をなんとかしなければならないという思いが伝わってくる。

プライベートな医師ネットワークを広げよう

▽…「医療技術が進歩すればするほど患者の不満や不安は増大する。こんなもったいないことはない。安心で、満足の医療は各論的な医療技術の進歩だけでは実現されない。いまの医療の仕組みそのものを、こころの支援を伴った総合的な視野で組み替えていく必要がある」という考え方には共感した。いまの日本の医療は「国民皆保険」の建て前のもと、すべてが公的保険の枠内に押し込められていることの不合理が医療崩壊を招いているのではなかろうか。これを改革するには政治を動かさなければならないが、同時に医師が日常の診療以外の場で、日本の医療を守り育てていくきわめてプライベートなネットワークの輪を広げていくことの重要性も訴える。今年は「医師のための職業的交流倶楽部」を目指し「スーパー医局プロジェクト」の設立を呼びかけていくという。これが広がれば、開業医、勤務医を通じ、非常に現実的で便利なシステムになっていくだろう。寺下氏はこの20年間、日常性に埋没することなく、常に高い志をもってチャレンジし、あえて苦難な道を歩む。先ごろは医療決断支援の活動を広げるために、「医療決断支援師」の養成講座も開いた。その意気と行動力にはいつも感じ入ってきた。

慶応大で10年間「医療判断学」を講義

▽…寺下医師のこれまでの取り組みの中で注目してきたのは、96年から2006年まで10年間、慶応大医学部薬理学教室で「医療判断学」の講義を担当、「社会薬理学」という概念をつくり出し同講座のカリキユラムに組み入れたこと。これは当時の西本征央教授との聞に「これからの日本の医療の行く末は医者の卵の早い時期からの教育次第だ」との思いが一致したからだった。その講義では双方向性を重視し、学生たちに考えてもらうことを主眼とした。がん医療のシミュレーション実習では医療判断の仮想体験をさせ、医師としての医療判断の厳しさを知ってもらった。ここでの講義体験が「医療判断学」の概念を磨き上げた。それが寺下医学事務所・附属クリニックでの「重病時医療決断支援サービス」、「医療判断外来」 、「主侍医倶楽部」にまで 高められてきた。 20年間も医療の世界の管制官的な役割や水先案内を続けられた原点だろう。まさに初心忘るべからずの執念を感ずる。

「 医療決断支援」が社会的な広がりを

▽…昨秋には寺下医学事務所をめぐる環境が大きく変わってきたことを告げるイベントがあった。「医療決断支援開発機構」が主催し「医療ナビゲーションシステム研究所」と「早稲田総合医療研究所」が共催して早稲田国際記念ホールで「医療決断シンポジウム」が聞かれ、約 200 人の医療関係者と市民が参集した。寺下医師はその代表として「医療の世界にも交響楽の 指揮者や航空管制官のような総合的な判断や決断を支援する専門家が必要」と訴えた。この日 は日本医療コーデイネーター協会の嵯峨崎泰子理事長、九州大で医療決断サボーター養成を試みている稲津佳世子医師、太阪大で医療メデイエイター養成をはじめた中西淑美講師、さらに 早大人間科学学術院の小野充ー教授、同法学部和田仁孝教授らがそれぞれ「医療決断支援」の社会的意義の大きさに触れた。寺下医師の長い間の実践活動がようやく社会的な広がりになってきたことを感じた。厚労省の「総合医」や「家庭医」を診療報酬制度の中に位置づけようという動きも、現在の日本の医療全体を見据えたこのような考え方の台頭を受けてのものだろう。「医療判断学」という分野は日進月歩の医療技術のもとで充分学問として成り立つ領域だと感じた。

    

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