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2006年11月

性善説ルネサンス(最終稿) 筆を折る

突然のタイトルに驚かれた方もいらっしゃるでしょう。継続して読んでいただいていた読者の方にご説明とご挨拶をいたしたいと思います。当欄のシリーズエッセイはまもなく10年目を終えようとしていたところでした。担当の編集の方も3代目になる長期連載となりました。10年間もお読み続けていただいた方は本当に数少ないと思いますが、長らくのご愛読に心から感謝申し上げます。内容詳細

2006年10月

性善説ルネサンス⑦ 扇動と洗脳

テロのニュースが世界中で相次いでいる。「物騒な話だねえ」と彼岸の話では済まされなくなっている。そもそも彼岸の話だからどうでもよいという類の話でもない。特に近年起こった「自爆テロ」は、全世界の人々を恐怖と不安に落とし入れた。他の動物もそうであろうが、人間にとって最も嫌なことは「不安」なのである。不安の余り、最後の選択肢である「自殺」をする人が後を絶たないのであるから間違いない。 内容詳細

2006年9月

性善説ルネサンス⑥ 良心は幸福になるための必需品 自己のためにも利他主義であれ

私は、医療活動の基本理念を「安心と幸福の医学」としている。そもそも医学の大きな目的のひとつは「医療に還元され役立つこと」である。それでは医療の目的は何か。「病気を癒すことによって人々に健康と安心を与え、幸せな生活を送ってもらうためのインフラ的役割を担うことである」と私は考えている。「健康であることが人生の目的」という人は、まずいないだろうから、良い医療が人生の目的になってしまってはいけない。また、一般にインフラは「便利」で「安心」であることが要求されるが、それらは幸せな生活に役立つように設計されている。内容詳細

2006年8月

性善説ルネサンス⑤ 職業人としての「良心」「使命感」が必須となる

慶應義塾大学医学部の4年生を対象に、「医師としての判断・行動の際の心構え」をテーマとした3日間連続の集中講義と全員参加型の実習を11年間続けている。その実習では、実践さながらのきわどい決断のシミュレーションを行っているのだが、実習が進むにつれて医学生たちの目も真剣になる。講師の私だけでなく教室や私の事務所のスタッフも熱くなり、決して手を抜くどころではない。講義が終わると、主任教授らとともに反省会を開き、翌日の講義に備える。そんな熱心さが学生たちにも伝わるという好循環を生んでいる。内容詳細

2006年7月

性善説ルネサンス④ 性悪説の感染力は強い 個人の力で打破できるか

「朱に交われば赤くなる」「類は友を呼ぶ」などとよく言われる。小さい頃にこの言葉を親から聞かされた人は、40歳以上の方が多いのではないか。友人の及ぼす影響は大きいということだが、これは現代でも同様だろう。  テレビなどのマスコミや、インターネットを通じた友人もどきたちが大きな影響力を持つようになった。怖い話だと私は思っている。そもそも人間は、一人では幸せになれないということを生得的に知っている。内容詳細

2006年6月

性善説ルネサンス③ 正直者は馬鹿を見る 良心ある人を評価せよ

良心をもたない人たち』(草思社)の感想を書くと前回約束した。その本の著者マーサ・スタウトによると、同書のタイトルは、人口の約4%にのぼるという反社会性人格障害を持つ人を意味する。  冒頭の言葉が印象的であった。「あなた自身が良心の呵責がまったくないという状態を想像できるだろうか」という問いかけである。多くの読者は、そんな想像はとてつもなく困難であることに気づくだろう。良心と知能はお互い無関係な要素であるからだ。 内容詳細

2006年5月

性善説ルネサンス② 果たして人間の良心は脳科学で解明されるか

「脳科学」ブームである。マスコミではその一部分だけを面白おかしく取り上げて、一部の専門家を猿回しの猿のごとく扱っているから、大衆はなんとなく理解した気分になっている。毎度のことである。私も売れない猿になったことがあるからよくわかる。  確かに、世界中の研究者たちにより脳の機能について細部にわたり研究が重ねられ、膨大な研究成果が次々と明らかにされている。内容詳細

2006年4月

性善説ルネサンス① 世の中に流れる性悪説 性善説は復活するのか?

昨今の世の中の事件や出来事や新しい制度の仕組みなどを観察すると、その底辺には「性悪説」が流れていることに気づく。  我々の世代(昭和中期生まれ)が青春時代だった頃、「愛する人のために死ねるか」というテーマの本がベストセラーになった記憶がある。最近では『世界の中心で、愛をさけぶ(セカチュゥ)』や「冬ソナ」がヒットしたが、人間にとって「愛」というものは永遠のテーマなのであろう。 内容詳細

2006年3月

魂を売らないということ⑪ お金には印がついている

《日々着実に地味な仕事を実行し 稼いだお金に魂の透かしを入れる》 3つの戒めを守る医師がスーパードクターの条件   このテーマでの最終回になった。執筆している今は、ライブドアショックから一週間経ったところである。 一カ月ほど前、「患者さんとの関係」をテーマにした、若い医師向けに医師の心構えについての話をするセミナーの依頼があった。大体、この手の話は「自分のことは棚に上げて」するのが相場である。そのセミナー用に作成したスライドの一部をご披露する。 内容詳細

2006年2月

魂を売らないということ⑩ 何と比較するのか

《リニアモーターカー 加速減速錯覚相対性理論》 比較評価と絶対評価 人間の順応力に驚く   「取材旅行」と言えばずいぶん格好よい響きがあるが、エッセイのネタ探しを兼ねて今年は国内各地に行った。その流れで先日上海を訪れた。目的の一つはリニアモーターカーを体験してみることでもあった。「世界に誇れるもの」を体験することはホスピタリティーの研究には欠かせないと思っているからだ。 内容詳細

2006年1月

魂を売らないということ⑨ 「うずしお」に思う

《信念を通すか、曲げるか、持たないか、それとも》 人間社会にもある渦と凧 信念ある場所に渦が生じる    鳴門の大塚美府館を訪れたついでに、観光船に乗り「うずしお」を見た。鳴門海峡に行けはいつも渦潮か見られると思っていたが、そうではない。一日のうちでも見頃の時か決まっている。潮の干満の時間によるものである。 内容詳細

2005年12月

魂を売らないということ⑧ 夢をみるには力が必要

《医師や医学生の夢を育てる社会のまなざし》  力のある医師は夢をみなくなる?   「ホネツギマン」という可笑しいタイトルの映画を観た。好きな脚本家の一人であるイーサン・コーエンが製作に加わっているということで興味を持った。しかし、今日のテーマはそのあらすじにはあまり関係ない。登場人物のセリフのなかで「夢をみるには力が必要なんだ」というようなセリフが気になったからである。 内容詳細

2005年11月

魂を売らないということ⑦ 当たり前の原点に戻って考える

《助けてくださいと連呼する政治家へっぴり腰の医師》 選挙戦のなかで気づいた候補者たちの異様な光景    今回の総選挙は歴史に残りそうな選挙であった。小泉首相が郵政民営化の成否を賭けて行った解散に基づく選挙であり、自民党が圧勝をおさめた。大方の予想通りであったが、自民造反議員、刺客と呼ばれた候補、政権を狙う民主党の三つ巴という、 対岸の火事の立場からはおもしろい選挙となった。 内容詳細

2005年10月

魂を売らないということ⑥ 科学的職人である医師

《“手を抜かない”“あきらめない”“やりすぎない”を肝に命ずべき》 信頼できる医師の定義は極めて困難    医療決断のお手伝いをする「主侍医」という私の仕事にとって、信頼できる医師仲間と親密な関係を継続的に保つことを要求される。  この「信頼できる医師」の定義はきわめて難しい。学歴、肩書きだけでは判断できないことは、今や誰もが承知している。あちこちで「名医」が取り上げられる。内容詳細

2005年9月

魂を売らないということ⑤ 魂を入れ直すことは可能か?

《ある程度可能だとしても、そのプロセスは非常に難解》 生活習慣の改善でさえとてつもなく困難な作業  つい先日、大学の同窓会の企画で、単に先輩と呼ぶには、今や有名になりすぎた養老孟司先生の講話をお聴きするチャンスに恵まれた。  そのなかで「血液型性格判断が本当なら、まあ一生血液型は変わらないことになっているから、性格も変わらないことになりこます。 内容詳細

2005年8月

魂を売らないということ④ 再度、オセロ型 敵対反応とは

以前、このエッセイのシリーズで「オセロ型心理反応」と題した文章を書いたことがある。共感したり、同情したり、親しく接していた人が、何かのきっかけで一旦敵対したとたんに、今までの共感とは裏腹に「あいつはこんなことを言っていた」などと正反対の反応をすることがよくある。オセロゲームで一つの駒を白から黒に変えるだけで、ぱたばたと周辺の白い駒が、一気に黒に変化するのと似ていることから私が命名した心理学的反応であるが、人の心が傷つく大きな要因の一つである。 内容詳細

2005年7月

魂を売らないということ③ 魂の維持費

「医者と弁護士と坊さんは、特に誠実でなければならない。なぜならば『人の不幸をもとにしての職業』だから」。私が尊敬している友人の医師Nさんが生前よく言っていたことである。私自身、職務に苦しくなって「少しぐらい魂を売ってもいいかな」と思いたくなった時に自分に言い聞かせる言葉である。彼のことはこのエッセイで以前に紹介したが、アルツハイマー病の世界的研究者であり、47歳の若さで胃がんにて他界した。内容詳細

2005年6月

魂を売らないということ② 魂の価値

一般に「物を売る」ということは、そのものに値段が付いている。または、売り手と買い手がいて需給関係で-応の値段が付く。我々が、「魂を売る」時はどういった価値基準で取引を行っているのだろうか。最近、「ライブドア対フジテレビお家騒動」がマスコミを賑わした。随所に「魂のバーゲンセール」や高級品に見せかけた「魂桐の箱詰め商法」が見られたことには、異論を唱える人が少ないと思う。「やっぱり、魂にも値段があったんだ」ということになろう。内容詳細

2005年5月

魂を売らないということ① 安易な道、困難な道

今年のタイトルは何にしようかと迷った。例年、自分に言い聞かせるキーワードをタイトルに1年間エッセイを書くことにしている。昨年は「顔馴染み」をキーワードとして意識して活動してきた。もちろん、今までタイトルにしたことは有効期限1年ではなく、無期限であるつもりだ。そういう意味でも、今年のタイトルは「悪魔に魂を売らない厳しさ、信条」としようと考えた。 内容詳細

2005年4月

グローバルより顔なじみ⑫ 安心の顔馴染み 顔馴染みの落とし穴

顔の見えないクローバルより、顔馴染みを大切にすることがIT時代の今こそ大切という意味を込めて、一年間書いてきた。私は医療判断医という独自の仕事をする心療内科医であると自称している。患者さんのさまざまな悩みに接し、不安を軽減するお手伝いをしている。病気の不安、誤診の不安、もっと良い治療があるのではという不安、人間関係の不安など、世の中なんと不安だらけなんだろうと痛感する。内容詳細

2005年3月

グローバルより顔なじみ⑪ 人柄も能力のうち

人間の能力を評価する指標はい〈つもある。かつては「IQ知能指数」一辺倒であり、その批判から「EQ」という和訳すると情緒能力とでもなる指数が、何年か前にもてはやされた。知能指数以外にも、客観的に判断しやすいものとして体力や運動能力、各種芸術的能力、経済力、取得権威など枚挙にいとまがない。高学歴、スポーツランキング上位者、売れている芸術家、お金持ち、大会社役員や大学教授など、一般的に「あの人は偉い」と評価されたり、妬まれたりする対象となる。「頭が良いとかお金持ちなどというより、人間にとってもっとも大切なものは人柄だよ」とまことしやかに言われるのもこれまた事実である。 内容詳細

2005年2月

グローバルより顔なじみ⑩ むしろ頭デッカチとなるも 心デッカチとなるなかれ

一般に、科学一辺倒や理論優先的で計算高い考えに対し、「頭デッカチ」と批判的に使われることが多い。私は心理医学的面接という手法で、心の不調を訴える患者さんや重病時の医療決断の支援活動を行っている。その基本的な理論に認知心理学がある。-言で言えば「気分や衝動で行動せずに、理性や思考のもとで行動するよう心がけると苦しい感情が落ち着くものである」という理屈である。これは宗教的教えでなく、科学的説法であるところが新鮮である。人が行動をする時は、大きく分けて思考か、気分で決断する。人間のさまざまな感情や気分と思考とは密接な繋がりがあり、また、それらと免疫や自律神経などが複雑に絡み合っていることが解明されてきた。内容詳細

2005年1月

グローバルより顔なじみ⑨ 必学!心理学的ファンデルワールス力

今日は、少し難しい言葉を覚えてほしい。「ファンデルワールスカ」という物理学の用語である。2個の原子が非常に接近すれば、相互の弱い結合作用が生じるという自然の法則である。そしてその相互吸引力は、それぞれの原子に特有のファンデルワールス半径と呼ばれるものの和に近づくまで増大し、それよりもさらに近づいてしまうと、今度は正反対に強く反発しあうという現象が起きるのである。しばしば自然界の現象は、人間関係の学習に役立つことが多い。内容詳細

2004年12月

グローバルより顔なじみ⑧ 自然に顔馴染みは通用しない

大雨、台風、新潟地震とこのところ自然災害が相次いでいる。政治問題や企業汚職なとのニュースが陰に隠れる勢いである。これだけ苛酷で凄まじい自然の猛威にさらされ、現代文明もたじたじといったところである。ついにあの不滅の新幹線も脱線した。奇跡的に犠牲者が出なかったのは、人間の叡智なのか神の情けなのか判然としない。これだけ厳しい自然の試練を与えられると、少なくとも人間同士いがみ合ってはいけないなあという思いが募る。それでも、人は人を妬み嫉み、他人を騙してでも自己の利を追求し、自己の快楽に走る歴史を繰り返すのであろうか。 内容詳細

2004年11月

グローバルより顔なじみ⑦ 気にかかった言葉“見ぬもの清し” 

最近、読んだ本のなかで「見ぬもの清し」という言葉が気にかかった。概して人の目に映りやすいものは汚く見えて、目に見えないものは清く正しく見えやすいという意味だ。一昔前は「末は博士か大臣か」と、わが子に期待する未来をこの言葉に託したものだが、今は政治家も、大学教授や医者なども一概に尊敬される職業ということではなくなってしまった。マスコミなどにより、一部の人たちの醜態があまりにも日常的に身近に知るようになったからである。内容詳細

2004年10月

グローバルより顔なじみ⑥ 顔馴染み王国 イタリア!

夏休みを利用して家族4人でイタリア旅行に行った。初心者向けパッケージツアーで、わずか6泊なのにミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマ、カプリと足を伸ばしたのだから、毎日バスで移動の大忙しツアーである。私は言い訳がましく、「今回のツアーは目次旅行と命名して、次回からの旅行の準備である」と言い張っている。このツアーのよくできたところは、しっかりした添乗員がいて、さらに観光地の先々で専門のガイドが手配されているということだ。寺院や美術館ごとに専門のガイドと的確に待ち合わせをしているから驚きである。 内容詳細

2004年9月

グローバルより顔なじみ⑤ 策略は名誉の友よ コリオレイナス!

先日、劇団昂のシェイクスピア公演「コリオレイナス」を観劇した。勇敢な武将であるが、プライドが高く、執政官に推薦されるも民衆への媚びた挨拶をどうしてもできない。「なんでも慣例に従ってやらねばならぬというのか? そうであれば昔からの塵がそのままたまり、間違いばかりが山のようにうず高く積もり、真実は埋もれかくされるだろう」 内容詳細

2004年8月

グローバルより顔なじみ④ 個人と集団の違いとは

「三人寄れば文殊の知恵」という格言がある。凡人でも3人寄れば文殊菩薩のような知恵が出る、という意味である。これはこれで納得できるが、このことわざを捩もじって「百人寄ればサルの知恵」と私は変化球を使っている。弱い人間も集団になると結構怖い。小学校や中学校などの「いじめ」もたいていはこの図式である。子どもたちの集団が一人の子どもをいじめるのが通例であって、一人の独裁者的な子どもが他の子ども集団をいじめるというような話はあまり聞いたことがない。内容詳細

2004年7月

グローバルより顔なじみ③ 割れ窓理論に思う

今やニューヨークは、東京よりも安全だと言われるようになった。数十年前のニューヨークを知るものにとっては信じがたい話らしい。自慢ではないが、私は、昔のNYも今のNYも知らない。聞きかじりとさまざまな報道や記事から想像しているだけである。昨今の日本、特に東京での生臭い事件報道を見るにつけ「少なくとも日本の安全神話はとっくの昔に崩壊している」と納得がいく。 内容詳細

2004年6月

グローバルより顔なじみ② 顔馴染みは双方向、有名は一方通行

「グローバルなんて気取るより、これからの僕は顔馴染みを大切にして、こじ んまりと生きてゆきたいと考えるようになった」と、最近、話すことが多い。すると、意外や意外、「私もそう思います!」と友人たちから賛同共感の嵐(少し大袈裟か?)なのである。心理学でいうところの人間関係の基本は「ストローク」と呼ぶ人間同士の触れ合いである。つまり、一番基本的日常的なストロークは「挨拶」ということになり、「おはよう」「ありがとう」「よおっ」などがそうである。反対に、マイナスストロークの最大のものは何であるか、想像がつくであろか? 悪口、陰口、中傷、攻撃などではなく、答えは「無視」、つまり「しかと する」ことなのである。内容詳細

2004年5月

グローバルより顔なじみ① 幸せなグローバル、不幸せなグローバル

新しいテーマを考える時期になった。毎年この時に、自分自身に言い聞かせたいことを1年の題目としてモチーフづくりをしている。数年前より、仕事上においてもプライベートな場においても「グローバルな時代に対応しないと…」とよく言われる。周囲もなんとなく「その通り」とうなずいている。実はこのところ、私はこの「グローバル」ということに大変疑問を抱いている。 内容詳細

2004年4月

一生懸命足るを知る⑫ 品質の良い日用品

ウイリアム・モリスという芸術家は、大量生産でつくられる手作り感のない安っぽい日用品で生活環境が埋められていく現状を憂い、「美術館に飾られるような芸術作品ではなくて、日用品や部屋の装飾として使われるようなものとして、手作りで品質の良いものをつくりたい」とカーテンや壁紙などをデザインすることにしたという。  私は「質実剛健」ということが好きだが、単に生活を質素にするために、お金をかけずに100円ショップですべてをまかなうのが「質実剛健」の権化というわけではないと考えている。内容詳細

2004年3月

一生懸命足るを知る⑪ 80%の働き蜂

ある友人から面白い話を聞いた。出所はテレビ番組のなかで、ある学者が発表していたということである。内容の真偽を確かめずにここでご紹介するのは気が引けるが、何もここで学問的考察をするわけではないのでお許し願いたい。  働き蜂の集団についての話である。100匹の働き蜂をよく観察してみると、80%の働き蜂はよく働くが、20%はサボっているというのである。内容詳細

2004年2月

一生懸命足るを知る⑩ ノー・ハッピーマンデイ

今まで、何度か書いてきたが「ゆとり教育」や「働きすぎる日本人」という前近代的な言葉を信じているシーラカンスのような日本人かまだ結構いることに再度警鐘を鳴らしたい。「まじめな日本人」「安全な日本」を信じる人々にも同様である。  今や日本の休日は、土曜、日曜、祭日を合計すると3分の1は休みという勘定になる。昭和28年の生まれの私が働きだして10年間ぐらいは土曜も働くのが通常であった。内容詳細

2004年1月

一生懸命足るを知る⑨ 意識の低下

最近、電車のなかの広告で「学力の低下より気力の低下が心配」なる予備校のキャッチフレーズを見て共感した。同じことが、われわれの属する医療界でもいえるし、政治や経済の社会にも言えるのではないだろうか。人のつくったコピーを勝手に使うわけにはいかないので、「知識の貧困さではなく、意識の貧困さを憂慮」という独自の(といっても基本パターンは真似なのだが〉コピーを考案した。 内容詳細

2003年12月

一生懸命足るを知る⑧  50歳寿命説

つい先日、親友でもあり医学医療の道の戦友といっても過言でない大切な仲間をがんで亡くした。 西本征央慶應大学医学部教授。アルツハイマー病の世界的な研究者であった。彼とは十数年来の付き合いであるが、特にこの7年間は慶應大学の研究室での医療判断学という新しい講座の開設と、アルツハイマーの防御因子ヒューマニン(彼が命名した)に関する研究仲間として密接な関係にあった。同じ和歌山出身の2年後輩でもあったこともあり、最後の6ヶ月の闘病生活や告別式に際しては兄弟として過ごさせていただいた。内容詳細

2003年11月

一生懸命足るを知る⑦ 挑発的攻撃・非挑発的攻撃

この夏に家族で行った沖縄の水族館に、いわゆる人食いザメと呼ばれる凶暴な鮫が飼育されていた。その説明に「人食いザメとはあまり正確な呼び名ではない。人間を食べることが本来の習性ではなく、たまたま争ったりして血を流すと、それに刺激されて攻撃してくるのである」というようなことが書かれてあった。なかでも面白かったのは、鮫の攻撃には「挑発的攻撃」といって、他の生物がなにか仕掛けてくることにより反撃する場合と、なにもしなくても攻撃してくる「非挑発的攻撃」との二通りあるという説明である。 内容詳細

2003年10月

一生懸命足るを知る⑥ 海は魚に、空は鳥に お任せします

先この夏、仲のよい先輩に誘われ、ハワイ島で行われた世界心身医学会に参加した。ハワイといえば海の遊びばかりを想起するだろうが、金槌なるわが夫婦は、陸のハワイ島を堪能することに決め込んでいた。そんな中でも、マウナケアという4200m級の山頂で、夕日と星空を眺めるツアーが圧巻だった。車で山頂まで行ける世界で最も高い山だという。もちろん、高山病の危険性もある。内容詳細

2003年9月

一生懸命足るを知る⑤ 「まあいいか」で済まされない人間関係の間合い

先日、初島に行く機会があり熱海から連絡船に乗った。港に近づいた頃、別の船が対向し通過していった。その船の通った後の波が結構大きい。海上が穏やかなだけに、対向する船の作った波は大きく感じられ、「あの波でこちらの船も揺れるだろうなあ」と一瞬身構えたが、案外、少しの揺れで済んだ。こちらの連絡船は比較的大きな船であったからであろう。もし、こちらが小さなボートであったら、あの波では相当揺れただろう。内容詳細

2003年8月

一生懸命足るを知る④ 高度な医療制度と不安と不満

高品質で快適な医療を受けるための水先案内役が私の中心的な仕事である。人呼んで、いや自分では「主侍医」と呼んでもらっている。近年、日本の医療の発達ぶりには目を見張るものがある。しかるに、今の医療に不安や不満が続出しているという厳然たる現状がある。せっかく進化した医療技術があるのにこんなに国民が医療に不安や不満を持っていてよいのだろうか、というのが私の発想の単純な原点である。 内容詳細

2003年7月

一生懸命足るを知る③ 参加することだけに意義があるか?

「オリンピックは参加することに意義がある」と、かの有名なクーベルタン男爵は言った。この言葉が独り歩きし、いろいろな場面で「そんなに頑張らなくてもいいよ」的な意味で使われる。「足るを知る」理論によって考えてみると、「勝負にこだわらずに参加して楽しむことだけで満足しなさい」という解釈が一見成り立つ。これは良識ある見解のようにみえるが、使い方によっては軟弱、邪悪な要素を含むことになる。内容詳細

2003年6月

一生懸命足るを知る② 愛着と執着の紙一重分析

物事に「こだわり」は大切である。 「シェフのこだわりの一品」と聞くと、お腹がグーとくるし、著明な作家のこだわりの万年筆や原稿用紙と聞くと、あやかりたいものと飛びついて買ってしまうのは私だけではないであろう。   私は、車好きである。長年乗っていると、愛着が湧いてくる。 たとえ、次にほしい車がでてきても、今の車を下取りに出すのは忍びない。という理由で、いつのまにか車の保有台数は増えてしまう。 内容詳細

2003年5月

一生懸命足るを知る① 足るを知りすぎた日本人

私事ながら「足るを知れ」とは、亡き父の教えの一つである。そういえば何年か前このコラムで年間タイトルにした「質実剛健」ということも父が口癖のように言っていたから、親の影響とは大きいものだと今更ながらに痛感している。飽くこと無き好奇心でいろいろな商売にチャレンジした父が「足るを知れ」と言うのは、何となくおかしい。きっと自分自身に言いきかせていたのだろう、と思えてくる。つまり実行が難しいことなのである。内容詳細

2003年4月

吹っきりのち復活⑫  ボーダーレスとけじめ

一年間「吹っ切り」ということを考えてきたが、いかに吹っ切ることが難しいかが、我ながら返って身にしみてきた。考えてみれば、今の世の中「ボーダーレス時代」といわれ、物事や場所などに境界が存在しないことを良しとする風潮がある。航空機事情が発達し、異国の間が短くなった。むしろ、「異国」という言葉自体がエキゾチックではなくノスタルジックな言葉に聞こえる。さて、このボーダーレスだが、文明の発達の証だと手放しに大歓迎するべきものであろうか。内容詳細

2003年3月

吹っきりのち復活⑪  吹っ切りお勧めリスト

いろいろな場面を想定しながら吹っ切りの効用について書いてきた。総括第一弾として、読者の方々に役に立ちそうな吹っ切りアイテムをまとめてみよう。それらから撤退することにより、人生や生活が豊かになりそうな「もの」や「こと」を思いつくままに列挙してみたい。 「慣習的な接待」「愚痴いろいろ」「反省のない後悔」「不要不急のだらだらメール」「携帯電話」「タバコ」「必要以上のお金儲け」「子供の過保護」「上司の悪口」「部下への溜息」「仕事上最低限以外のパソコン操作」「惰性的な年賀状」「つけっぱなしのテレビ」「業務以外の実用書」「憎しみと疑い」「老後の過剰な心配」。内容詳細

2003年2月

吹っきりのち復活⑩ 勇気ある撤退、みじめな敗退

「吹っ切り」というテーマで、いろいろなことを考えてきた。毎年、自分に与える年間のテーマを考える際に、自分の弱点をカバーしていくような言葉を考えつくのかもしれないとつくづく思う。私の好きな言葉であり、自戒の言葉でもあるものに「勇気ある撤退」がある。前に突進して進むことしか考えないのを勇気ある行為と半ば勘違いしていたと、数年前から反省することが多い。そのずっと以前から友人などには、「時には勇気ある撤退も必要だ」などと偉そうにアドバイスをしていたのに、なかなか自分のことではそれが実行できないのである。吹っ切りが簡単そうでいて、なかなか難しいということなのであろう。内容詳細

2003年1月

吹っきりのち復活⑨  「予防医学とリスクヘッジ」

「これからは予防医学の時代だ」とは、最近の健康関係の話題でよく登場する言葉である。私の医学事務所では、健康な時から、「病気にならないような対策」や「病気になったら医師や病院を誰やどこにするか」などの「予防医学的行動」のプロの“ブレ-ン”としての主侍医契約を職務としている。予防医学的行動こそ身近なリスクヘッジ行動の代表である。ところが、どの分野でもこのリスクヘッジほど難しいものはない。それぞれの分野の一流のプロは、リスクヘッジを心得ているものである。いやむしろ、リスクヘッジをしっかりこなしている人こそ、その分野のプロとして信頼してよい証であるといっても過言ではない。 内容詳細

2002年12月

吹っきりのち復活⑧ 「吹っ切りの予防医学」

言葉の持つ力は大きい。相撲の力士が横綱になった時や、政治家が総理大臣に選ばれた時など「不退転の決意」「不惜身命」などと自分の気持ちをわずかな言葉に表すことが多い。彼らの長い演説よりも、その短い言葉は人々に長く大きな影響力を持つことになる。「はじめに言葉ありき」と、聖書でも教えている。私も、言葉の偉大さには常々感服している-人である。反対に、言葉の恐ろしさも相当なものである。親から言われた言葉、先生から言われた言葉、主治医から言われた言葉、親友から言われた言葉……勇気づけられる言葉もあれば、心の傷になる言葉もある。内容詳細

2002年11月

吹っきりのち復活 ⑦ 「吹っ切らずに復活」