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2006年11月

性善説ルネサンス(最終稿) 筆を折る

突然のタイトルに驚かれた方もいらっしゃるでしょう。継続して読んでいただいていた読者の方にご説明とご挨拶をいたしたいと思います。当欄のシリーズエッセイはまもなく10年目を終えようとしていたところでした。担当の編集の方も3代目になる長期連載となりました。10年間もお読み続けていただいた方は本当に数少ないと思いますが、長らくのご愛読に心から感謝申し上げます。内容詳細

2006年10月

性善説ルネサンス⑦ 扇動と洗脳

テロのニュースが世界中で相次いでいる。「物騒な話だねえ」と彼岸の話では済まされなくなっている。そもそも彼岸の話だからどうでもよいという類の話でもない。特に近年起こった「自爆テロ」は、全世界の人々を恐怖と不安に落とし入れた。他の動物もそうであろうが、人間にとって最も嫌なことは「不安」なのである。不安の余り、最後の選択肢である「自殺」をする人が後を絶たないのであるから間違いない。 内容詳細

2006年9月

性善説ルネサンス⑥ 良心は幸福になるための必需品 自己のためにも利他主義であれ

私は、医療活動の基本理念を「安心と幸福の医学」としている。そもそも医学の大きな目的のひとつは「医療に還元され役立つこと」である。それでは医療の目的は何か。「病気を癒すことによって人々に健康と安心を与え、幸せな生活を送ってもらうためのインフラ的役割を担うことである」と私は考えている。「健康であることが人生の目的」という人は、まずいないだろうから、良い医療が人生の目的になってしまってはいけない。また、一般にインフラは「便利」で「安心」であることが要求されるが、それらは幸せな生活に役立つように設計されている。内容詳細

2006年8月

性善説ルネサンス⑤ 職業人としての「良心」「使命感」が必須となる

慶應義塾大学医学部の4年生を対象に、「医師としての判断・行動の際の心構え」をテーマとした3日間連続の集中講義と全員参加型の実習を11年間続けている。その実習では、実践さながらのきわどい決断のシミュレーションを行っているのだが、実習が進むにつれて医学生たちの目も真剣になる。講師の私だけでなく教室や私の事務所のスタッフも熱くなり、決して手を抜くどころではない。講義が終わると、主任教授らとともに反省会を開き、翌日の講義に備える。そんな熱心さが学生たちにも伝わるという好循環を生んでいる。内容詳細

2006年7月

性善説ルネサンス④ 性悪説の感染力は強い 個人の力で打破できるか

「朱に交われば赤くなる」「類は友を呼ぶ」などとよく言われる。小さい頃にこの言葉を親から聞かされた人は、40歳以上の方が多いのではないか。友人の及ぼす影響は大きいということだが、これは現代でも同様だろう。  テレビなどのマスコミや、インターネットを通じた友人もどきたちが大きな影響力を持つようになった。怖い話だと私は思っている。そもそも人間は、一人では幸せになれないということを生得的に知っている。内容詳細

2006年6月

性善説ルネサンス③ 正直者は馬鹿を見る 良心ある人を評価せよ

良心をもたない人たち』(草思社)の感想を書くと前回約束した。その本の著者マーサ・スタウトによると、同書のタイトルは、人口の約4%にのぼるという反社会性人格障害を持つ人を意味する。  冒頭の言葉が印象的であった。「あなた自身が良心の呵責がまったくないという状態を想像できるだろうか」という問いかけである。多くの読者は、そんな想像はとてつもなく困難であることに気づくだろう。良心と知能はお互い無関係な要素であるからだ。 内容詳細

2006年5月

性善説ルネサンス② 果たして人間の良心は脳科学で解明されるか

「脳科学」ブームである。マスコミではその一部分だけを面白おかしく取り上げて、一部の専門家を猿回しの猿のごとく扱っているから、大衆はなんとなく理解した気分になっている。毎度のことである。私も売れない猿になったことがあるからよくわかる。  確かに、世界中の研究者たちにより脳の機能について細部にわたり研究が重ねられ、膨大な研究成果が次々と明らかにされている。内容詳細

2006年4月

性善説ルネサンス① 世の中に流れる性悪説 性善説は復活するのか?

昨今の世の中の事件や出来事や新しい制度の仕組みなどを観察すると、その底辺には「性悪説」が流れていることに気づく。  我々の世代(昭和中期生まれ)が青春時代だった頃、「愛する人のために死ねるか」というテーマの本がベストセラーになった記憶がある。最近では『世界の中心で、愛をさけぶ(セカチュゥ)』や「冬ソナ」がヒットしたが、人間にとって「愛」というものは永遠のテーマなのであろう。 内容詳細

2006年3月

魂を売らないということ⑪ お金には印がついている

《日々着実に地味な仕事を実行し 稼いだお金に魂の透かしを入れる》 3つの戒めを守る医師がスーパードクターの条件   このテーマでの最終回になった。執筆している今は、ライブドアショックから一週間経ったところである。 一カ月ほど前、「患者さんとの関係」をテーマにした、若い医師向けに医師の心構えについての話をするセミナーの依頼があった。大体、この手の話は「自分のことは棚に上げて」するのが相場である。そのセミナー用に作成したスライドの一部をご披露する。 内容詳細

2006年2月

魂を売らないということ⑩ 何と比較するのか

《リニアモーターカー 加速減速錯覚相対性理論》 比較評価と絶対評価 人間の順応力に驚く   「取材旅行」と言えばずいぶん格好よい響きがあるが、エッセイのネタ探しを兼ねて今年は国内各地に行った。その流れで先日上海を訪れた。目的の一つはリニアモーターカーを体験してみることでもあった。「世界に誇れるもの」を体験することはホスピタリティーの研究には欠かせないと思っているからだ。 内容詳細

2006年1月

魂を売らないということ⑨ 「うずしお」に思う

《信念を通すか、曲げるか、持たないか、それとも》 人間社会にもある渦と凧 信念ある場所に渦が生じる    鳴門の大塚美府館を訪れたついでに、観光船に乗り「うずしお」を見た。鳴門海峡に行けはいつも渦潮か見られると思っていたが、そうではない。一日のうちでも見頃の時か決まっている。潮の干満の時間によるものである。 内容詳細

2005年12月

魂を売らないということ⑧ 夢をみるには力が必要

《医師や医学生の夢を育てる社会のまなざし》  力のある医師は夢をみなくなる?   「ホネツギマン」という可笑しいタイトルの映画を観た。好きな脚本家の一人であるイーサン・コーエンが製作に加わっているということで興味を持った。しかし、今日のテーマはそのあらすじにはあまり関係ない。登場人物のセリフのなかで「夢をみるには力が必要なんだ」というようなセリフが気になったからである。 内容詳細

2005年11月

魂を売らないということ⑦ 当たり前の原点に戻って考える

《助けてくださいと連呼する政治家へっぴり腰の医師》 選挙戦のなかで気づいた候補者たちの異様な光景    今回の総選挙は歴史に残りそうな選挙であった。小泉首相が郵政民営化の成否を賭けて行った解散に基づく選挙であり、自民党が圧勝をおさめた。大方の予想通りであったが、自民造反議員、刺客と呼ばれた候補、政権を狙う民主党の三つ巴という、 対岸の火事の立場からはおもしろい選挙となった。 内容詳細

2005年10月

魂を売らないということ⑥ 科学的職人である医師

《“手を抜かない”“あきらめない”“やりすぎない”を肝に命ずべき》 信頼できる医師の定義は極めて困難    医療決断のお手伝いをする「主侍医」という私の仕事にとって、信頼できる医師仲間と親密な関係を継続的に保つことを要求される。  この「信頼できる医師」の定義はきわめて難しい。学歴、肩書きだけでは判断できないことは、今や誰もが承知している。あちこちで「名医」が取り上げられる。内容詳細

2005年9月

魂を売らないということ⑤ 魂を入れ直すことは可能か?

《ある程度可能だとしても、そのプロセスは非常に難解》 生活習慣の改善でさえとてつもなく困難な作業  つい先日、大学の同窓会の企画で、単に先輩と呼ぶには、今や有名になりすぎた養老孟司先生の講話をお聴きするチャンスに恵まれた。  そのなかで「血液型性格判断が本当なら、まあ一生血液型は変わらないことになっているから、性格も変わらないことになりこます。 内容詳細

2005年8月

魂を売らないということ④ 再度、オセロ型 敵対反応とは

以前、このエッセイのシリーズで「オセロ型心理反応」と題した文章を書いたことがある。共感したり、同情したり、親しく接していた人が、何かのきっかけで一旦敵対したとたんに、今までの共感とは裏腹に「あいつはこんなことを言っていた」などと正反対の反応をすることがよくある。オセロゲームで一つの駒を白から黒に変えるだけで、ぱたばたと周辺の白い駒が、一気に黒に変化するのと似ていることから私が命名した心理学的反応であるが、人の心が傷つく大きな要因の一つである。 内容詳細

2005年7月

魂を売らないということ③ 魂の維持費

「医者と弁護士と坊さんは、特に誠実でなければならない。なぜならば『人の不幸をもとにしての職業』だから」。私が尊敬している友人の医師Nさんが生前よく言っていたことである。私自身、職務に苦しくなって「少しぐらい魂を売ってもいいかな」と思いたくなった時に自分に言い聞かせる言葉である。彼のことはこのエッセイで以前に紹介したが、アルツハイマー病の世界的研究者であり、47歳の若さで胃がんにて他界した。内容詳細

2005年6月

魂を売らないということ② 魂の価値

一般に「物を売る」ということは、そのものに値段が付いている。または、売り手と買い手がいて需給関係で-応の値段が付く。我々が、「魂を売る」時はどういった価値基準で取引を行っているのだろうか。最近、「ライブドア対フジテレビお家騒動」がマスコミを賑わした。随所に「魂のバーゲンセール」や高級品に見せかけた「魂桐の箱詰め商法」が見られたことには、異論を唱える人が少ないと思う。「やっぱり、魂にも値段があったんだ」ということになろう。内容詳細

2005年5月

魂を売らないということ① 安易な道、困難な道

今年のタイトルは何にしようかと迷った。例年、自分に言い聞かせるキーワードをタイトルに1年間エッセイを書くことにしている。昨年は「顔馴染み」をキーワードとして意識して活動してきた。もちろん、今までタイトルにしたことは有効期限1年ではなく、無期限であるつもりだ。そういう意味でも、今年のタイトルは「悪魔に魂を売らない厳しさ、信条」としようと考えた。 内容詳細

2005年4月

グローバルより顔なじみ⑫ 安心の顔馴染み 顔馴染みの落とし穴

顔の見えないクローバルより、顔馴染みを大切にすることがIT時代の今こそ大切という意味を込めて、一年間書いてきた。私は医療判断医という独自の仕事をする心療内科医であると自称している。患者さんのさまざまな悩みに接し、不安を軽減するお手伝いをしている。病気の不安、誤診の不安、もっと良い治療があるのではという不安、人間関係の不安など、世の中なんと不安だらけなんだろうと痛感する。内容詳細

2005年3月

グローバルより顔なじみ⑪ 人柄も能力のうち

人間の能力を評価する指標はい〈つもある。かつては「IQ知能指数」一辺倒であり、その批判から「EQ」という和訳すると情緒能力とでもなる指数が、何年か前にもてはやされた。知能指数以外にも、客観的に判断しやすいものとして体力や運動能力、各種芸術的能力、経済力、取得権威など枚挙にいとまがない。高学歴、スポーツランキング上位者、売れている芸術家、お金持ち、大会社役員や大学教授など、一般的に「あの人は偉い」と評価されたり、妬まれたりする対象となる。「頭が良いとかお金持ちなどというより、人間にとってもっとも大切なものは人柄だよ」とまことしやかに言われるのもこれまた事実である。 内容詳細

2005年2月

グローバルより顔なじみ⑩ むしろ頭デッカチとなるも 心デッカチとなるなかれ

一般に、科学一辺倒や理論優先的で計算高い考えに対し、「頭デッカチ」と批判的に使われることが多い。私は心理医学的面接という手法で、心の不調を訴える患者さんや重病時の医療決断の支援活動を行っている。その基本的な理論に認知心理学がある。-言で言えば「気分や衝動で行動せずに、理性や思考のもとで行動するよう心がけると苦しい感情が落ち着くものである」という理屈である。これは宗教的教えでなく、科学的説法であるところが新鮮である。人が行動をする時は、大きく分けて思考か、気分で決断する。人間のさまざまな感情や気分と思考とは密接な繋がりがあり、また、それらと免疫や自律神経などが複雑に絡み合っていることが解明されてきた。内容詳細

2005年1月

グローバルより顔なじみ⑨ 必学!心理学的ファンデルワールス力

今日は、少し難しい言葉を覚えてほしい。「ファンデルワールスカ」という物理学の用語である。2個の原子が非常に接近すれば、相互の弱い結合作用が生じるという自然の法則である。そしてその相互吸引力は、それぞれの原子に特有のファンデルワールス半径と呼ばれるものの和に近づくまで増大し、それよりもさらに近づいてしまうと、今度は正反対に強く反発しあうという現象が起きるのである。しばしば自然界の現象は、人間関係の学習に役立つことが多い。内容詳細

2004年12月

グローバルより顔なじみ⑧ 自然に顔馴染みは通用しない

大雨、台風、新潟地震とこのところ自然災害が相次いでいる。政治問題や企業汚職なとのニュースが陰に隠れる勢いである。これだけ苛酷で凄まじい自然の猛威にさらされ、現代文明もたじたじといったところである。ついにあの不滅の新幹線も脱線した。奇跡的に犠牲者が出なかったのは、人間の叡智なのか神の情けなのか判然としない。これだけ厳しい自然の試練を与えられると、少なくとも人間同士いがみ合ってはいけないなあという思いが募る。それでも、人は人を妬み嫉み、他人を騙してでも自己の利を追求し、自己の快楽に走る歴史を繰り返すのであろうか。 内容詳細

2004年11月

グローバルより顔なじみ⑦ 気にかかった言葉“見ぬもの清し” 

最近、読んだ本のなかで「見ぬもの清し」という言葉が気にかかった。概して人の目に映りやすいものは汚く見えて、目に見えないものは清く正しく見えやすいという意味だ。一昔前は「末は博士か大臣か」と、わが子に期待する未来をこの言葉に託したものだが、今は政治家も、大学教授や医者なども一概に尊敬される職業ということではなくなってしまった。マスコミなどにより、一部の人たちの醜態があまりにも日常的に身近に知るようになったからである。内容詳細

2004年10月

グローバルより顔なじみ⑥ 顔馴染み王国 イタリア!

夏休みを利用して家族4人でイタリア旅行に行った。初心者向けパッケージツアーで、わずか6泊なのにミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマ、カプリと足を伸ばしたのだから、毎日バスで移動の大忙しツアーである。私は言い訳がましく、「今回のツアーは目次旅行と命名して、次回からの旅行の準備である」と言い張っている。このツアーのよくできたところは、しっかりした添乗員がいて、さらに観光地の先々で専門のガイドが手配されているということだ。寺院や美術館ごとに専門のガイドと的確に待ち合わせをしているから驚きである。 内容詳細

2004年9月

グローバルより顔なじみ⑤ 策略は名誉の友よ コリオレイナス!

先日、劇団昂のシェイクスピア公演「コリオレイナス」を観劇した。勇敢な武将であるが、プライドが高く、執政官に推薦されるも民衆への媚びた挨拶をどうしてもできない。「なんでも慣例に従ってやらねばならぬというのか? そうであれば昔からの塵がそのままたまり、間違いばかりが山のようにうず高く積もり、真実は埋もれかくされるだろう」 内容詳細

2004年8月

グローバルより顔なじみ④ 個人と集団の違いとは

「三人寄れば文殊の知恵」という格言がある。凡人でも3人寄れば文殊菩薩のような知恵が出る、という意味である。これはこれで納得できるが、このことわざを捩もじって「百人寄ればサルの知恵」と私は変化球を使っている。弱い人間も集団になると結構怖い。小学校や中学校などの「いじめ」もたいていはこの図式である。子どもたちの集団が一人の子どもをいじめるのが通例であって、一人の独裁者的な子どもが他の子ども集団をいじめるというような話はあまり聞いたことがない。内容詳細

2004年7月

グローバルより顔なじみ③ 割れ窓理論に思う

今やニューヨークは、東京よりも安全だと言われるようになった。数十年前のニューヨークを知るものにとっては信じがたい話らしい。自慢ではないが、私は、昔のNYも今のNYも知らない。聞きかじりとさまざまな報道や記事から想像しているだけである。昨今の日本、特に東京での生臭い事件報道を見るにつけ「少なくとも日本の安全神話はとっくの昔に崩壊している」と納得がいく。 内容詳細

2004年6月

グローバルより顔なじみ② 顔馴染みは双方向、有名は一方通行

「グローバルなんて気取るより、これからの僕は顔馴染みを大切にして、こじ んまりと生きてゆきたいと考えるようになった」と、最近、話すことが多い。すると、意外や意外、「私もそう思います!」と友人たちから賛同共感の嵐(少し大袈裟か?)なのである。心理学でいうところの人間関係の基本は「ストローク」と呼ぶ人間同士の触れ合いである。つまり、一番基本的日常的なストロークは「挨拶」ということになり、「おはよう」「ありがとう」「よおっ」などがそうである。反対に、マイナスストロークの最大のものは何であるか、想像がつくであろか? 悪口、陰口、中傷、攻撃などではなく、答えは「無視」、つまり「しかと する」ことなのである。内容詳細

2004年5月

グローバルより顔なじみ① 幸せなグローバル、不幸せなグローバル

新しいテーマを考える時期になった。毎年この時に、自分自身に言い聞かせたいことを1年の題目としてモチーフづくりをしている。数年前より、仕事上においてもプライベートな場においても「グローバルな時代に対応しないと…」とよく言われる。周囲もなんとなく「その通り」とうなずいている。実はこのところ、私はこの「グローバル」ということに大変疑問を抱いている。 内容詳細

2004年4月

一生懸命足るを知る⑫ 品質の良い日用品

ウイリアム・モリスという芸術家は、大量生産でつくられる手作り感のない安っぽい日用品で生活環境が埋められていく現状を憂い、「美術館に飾られるような芸術作品ではなくて、日用品や部屋の装飾として使われるようなものとして、手作りで品質の良いものをつくりたい」とカーテンや壁紙などをデザインすることにしたという。  私は「質実剛健」ということが好きだが、単に生活を質素にするために、お金をかけずに100円ショップですべてをまかなうのが「質実剛健」の権化というわけではないと考えている。内容詳細

2004年3月

一生懸命足るを知る⑪ 80%の働き蜂

ある友人から面白い話を聞いた。出所はテレビ番組のなかで、ある学者が発表していたということである。内容の真偽を確かめずにここでご紹介するのは気が引けるが、何もここで学問的考察をするわけではないのでお許し願いたい。  働き蜂の集団についての話である。100匹の働き蜂をよく観察してみると、80%の働き蜂はよく働くが、20%はサボっているというのである。内容詳細

2004年2月

一生懸命足るを知る⑩ ノー・ハッピーマンデイ

今まで、何度か書いてきたが「ゆとり教育」や「働きすぎる日本人」という前近代的な言葉を信じているシーラカンスのような日本人かまだ結構いることに再度警鐘を鳴らしたい。「まじめな日本人」「安全な日本」を信じる人々にも同様である。  今や日本の休日は、土曜、日曜、祭日を合計すると3分の1は休みという勘定になる。昭和28年の生まれの私が働きだして10年間ぐらいは土曜も働くのが通常であった。内容詳細

2004年1月

一生懸命足るを知る⑨ 意識の低下

最近、電車のなかの広告で「学力の低下より気力の低下が心配」なる予備校のキャッチフレーズを見て共感した。同じことが、われわれの属する医療界でもいえるし、政治や経済の社会にも言えるのではないだろうか。人のつくったコピーを勝手に使うわけにはいかないので、「知識の貧困さではなく、意識の貧困さを憂慮」という独自の(といっても基本パターンは真似なのだが〉コピーを考案した。 内容詳細

2003年12月

一生懸命足るを知る⑧  50歳寿命説

つい先日、親友でもあり医学医療の道の戦友といっても過言でない大切な仲間をがんで亡くした。 西本征央慶應大学医学部教授。アルツハイマー病の世界的な研究者であった。彼とは十数年来の付き合いであるが、特にこの7年間は慶應大学の研究室での医療判断学という新しい講座の開設と、アルツハイマーの防御因子ヒューマニン(彼が命名した)に関する研究仲間として密接な関係にあった。同じ和歌山出身の2年後輩でもあったこともあり、最後の6ヶ月の闘病生活や告別式に際しては兄弟として過ごさせていただいた。内容詳細

2003年11月

一生懸命足るを知る⑦ 挑発的攻撃・非挑発的攻撃

この夏に家族で行った沖縄の水族館に、いわゆる人食いザメと呼ばれる凶暴な鮫が飼育されていた。その説明に「人食いザメとはあまり正確な呼び名ではない。人間を食べることが本来の習性ではなく、たまたま争ったりして血を流すと、それに刺激されて攻撃してくるのである」というようなことが書かれてあった。なかでも面白かったのは、鮫の攻撃には「挑発的攻撃」といって、他の生物がなにか仕掛けてくることにより反撃する場合と、なにもしなくても攻撃してくる「非挑発的攻撃」との二通りあるという説明である。 内容詳細

2003年10月

一生懸命足るを知る⑥ 海は魚に、空は鳥に お任せします

先この夏、仲のよい先輩に誘われ、ハワイ島で行われた世界心身医学会に参加した。ハワイといえば海の遊びばかりを想起するだろうが、金槌なるわが夫婦は、陸のハワイ島を堪能することに決め込んでいた。そんな中でも、マウナケアという4200m級の山頂で、夕日と星空を眺めるツアーが圧巻だった。車で山頂まで行ける世界で最も高い山だという。もちろん、高山病の危険性もある。内容詳細

2003年9月

一生懸命足るを知る⑤ 「まあいいか」で済まされない人間関係の間合い

先日、初島に行く機会があり熱海から連絡船に乗った。港に近づいた頃、別の船が対向し通過していった。その船の通った後の波が結構大きい。海上が穏やかなだけに、対向する船の作った波は大きく感じられ、「あの波でこちらの船も揺れるだろうなあ」と一瞬身構えたが、案外、少しの揺れで済んだ。こちらの連絡船は比較的大きな船であったからであろう。もし、こちらが小さなボートであったら、あの波では相当揺れただろう。内容詳細

2003年8月

一生懸命足るを知る④ 高度な医療制度と不安と不満

高品質で快適な医療を受けるための水先案内役が私の中心的な仕事である。人呼んで、いや自分では「主侍医」と呼んでもらっている。近年、日本の医療の発達ぶりには目を見張るものがある。しかるに、今の医療に不安や不満が続出しているという厳然たる現状がある。せっかく進化した医療技術があるのにこんなに国民が医療に不安や不満を持っていてよいのだろうか、というのが私の発想の単純な原点である。 内容詳細

2003年7月

一生懸命足るを知る③ 参加することだけに意義があるか?

「オリンピックは参加することに意義がある」と、かの有名なクーベルタン男爵は言った。この言葉が独り歩きし、いろいろな場面で「そんなに頑張らなくてもいいよ」的な意味で使われる。「足るを知る」理論によって考えてみると、「勝負にこだわらずに参加して楽しむことだけで満足しなさい」という解釈が一見成り立つ。これは良識ある見解のようにみえるが、使い方によっては軟弱、邪悪な要素を含むことになる。内容詳細

2003年6月

一生懸命足るを知る② 愛着と執着の紙一重分析

物事に「こだわり」は大切である。 「シェフのこだわりの一品」と聞くと、お腹がグーとくるし、著明な作家のこだわりの万年筆や原稿用紙と聞くと、あやかりたいものと飛びついて買ってしまうのは私だけではないであろう。   私は、車好きである。長年乗っていると、愛着が湧いてくる。 たとえ、次にほしい車がでてきても、今の車を下取りに出すのは忍びない。という理由で、いつのまにか車の保有台数は増えてしまう。 内容詳細

2003年5月

一生懸命足るを知る① 足るを知りすぎた日本人

私事ながら「足るを知れ」とは、亡き父の教えの一つである。そういえば何年か前このコラムで年間タイトルにした「質実剛健」ということも父が口癖のように言っていたから、親の影響とは大きいものだと今更ながらに痛感している。飽くこと無き好奇心でいろいろな商売にチャレンジした父が「足るを知れ」と言うのは、何となくおかしい。きっと自分自身に言いきかせていたのだろう、と思えてくる。つまり実行が難しいことなのである。内容詳細

2003年4月

吹っきりのち復活⑫  ボーダーレスとけじめ

一年間「吹っ切り」ということを考えてきたが、いかに吹っ切ることが難しいかが、我ながら返って身にしみてきた。考えてみれば、今の世の中「ボーダーレス時代」といわれ、物事や場所などに境界が存在しないことを良しとする風潮がある。航空機事情が発達し、異国の間が短くなった。むしろ、「異国」という言葉自体がエキゾチックではなくノスタルジックな言葉に聞こえる。さて、このボーダーレスだが、文明の発達の証だと手放しに大歓迎するべきものであろうか。内容詳細

2003年3月

吹っきりのち復活⑪  吹っ切りお勧めリスト

いろいろな場面を想定しながら吹っ切りの効用について書いてきた。総括第一弾として、読者の方々に役に立ちそうな吹っ切りアイテムをまとめてみよう。それらから撤退することにより、人生や生活が豊かになりそうな「もの」や「こと」を思いつくままに列挙してみたい。 「慣習的な接待」「愚痴いろいろ」「反省のない後悔」「不要不急のだらだらメール」「携帯電話」「タバコ」「必要以上のお金儲け」「子供の過保護」「上司の悪口」「部下への溜息」「仕事上最低限以外のパソコン操作」「惰性的な年賀状」「つけっぱなしのテレビ」「業務以外の実用書」「憎しみと疑い」「老後の過剰な心配」。内容詳細

2003年2月

吹っきりのち復活⑩ 勇気ある撤退、みじめな敗退

「吹っ切り」というテーマで、いろいろなことを考えてきた。毎年、自分に与える年間のテーマを考える際に、自分の弱点をカバーしていくような言葉を考えつくのかもしれないとつくづく思う。私の好きな言葉であり、自戒の言葉でもあるものに「勇気ある撤退」がある。前に突進して進むことしか考えないのを勇気ある行為と半ば勘違いしていたと、数年前から反省することが多い。そのずっと以前から友人などには、「時には勇気ある撤退も必要だ」などと偉そうにアドバイスをしていたのに、なかなか自分のことではそれが実行できないのである。吹っ切りが簡単そうでいて、なかなか難しいということなのであろう。内容詳細

2003年1月

吹っきりのち復活⑨  「予防医学とリスクヘッジ」

「これからは予防医学の時代だ」とは、最近の健康関係の話題でよく登場する言葉である。私の医学事務所では、健康な時から、「病気にならないような対策」や「病気になったら医師や病院を誰やどこにするか」などの「予防医学的行動」のプロの“ブレ-ン”としての主侍医契約を職務としている。予防医学的行動こそ身近なリスクヘッジ行動の代表である。ところが、どの分野でもこのリスクヘッジほど難しいものはない。それぞれの分野の一流のプロは、リスクヘッジを心得ているものである。いやむしろ、リスクヘッジをしっかりこなしている人こそ、その分野のプロとして信頼してよい証であるといっても過言ではない。 内容詳細

2002年12月

吹っきりのち復活⑧ 「吹っ切りの予防医学」

言葉の持つ力は大きい。相撲の力士が横綱になった時や、政治家が総理大臣に選ばれた時など「不退転の決意」「不惜身命」などと自分の気持ちをわずかな言葉に表すことが多い。彼らの長い演説よりも、その短い言葉は人々に長く大きな影響力を持つことになる。「はじめに言葉ありき」と、聖書でも教えている。私も、言葉の偉大さには常々感服している-人である。反対に、言葉の恐ろしさも相当なものである。親から言われた言葉、先生から言われた言葉、主治医から言われた言葉、親友から言われた言葉……勇気づけられる言葉もあれば、心の傷になる言葉もある。内容詳細

2002年11月

吹っきりのち復活 ⑦ 「吹っ切らずに復活」

復活するためには、まず吹っ切ってけじめをつけることが大切であると主張してきたが、何事にも例外はつきものである。身近な例では、テニスやゴルフなどの競技を考えてみたい。「ゴルフで大叩きをしてしまって、どうしようもない状態」や「テニスで0対5と追い詰められた状態」の時「今回はもうあきらめよう。次回があるさ」と投げやりになってしまう。そう思った瞬間、その戦いはたいてい負けである。プロの競技を見ていても、そんなふうに選手が思っているのではと感じることがあるくらいだから、我々凡人の場合は日常茶飯事である。内容詳細

2002年10月

吹っきりのち復活⑥ 悪い「吹っ切りと復活」

人間の慣れ現象とは恐ろしいものである。一部上場の(いわば有名な大きな)会社の倒産の記事を見ても驚かなくなったし、そのような記事を日経新聞でさえ一面記事に取り上げない場合もあることに気付いた。殺人事件の記事が日常茶飯事化していることと同様の悲しい時代の変化である。最も大昔、人間同士の殺し合い(恐ろしい言葉である)がそれなりに日常的であった時代もあっただろうから、時代の輪廻といったほうが正確な表現かもしれない。 内容詳細

2002年9月

吹っきりのち復活⑤  再生医療

医療界の今世紀の大きなテーマの一つに「再生医療」を挙げることができよう。最近の新聞紙上でもこの言葉が頻繁に登場するようになった。  再生医療というと、いつも連想されるのは「トカゲの尻尾」である。トカゲの尻尾が何らかの外的力で切断されても、また同じように生えてくる現象である。私が幼かった頃は、なんだか不思議な感じがしたものであるが、よく考えてみれば、我々人間の爪や髪の毛、髭や皮膚なんかも同様である。特に眉毛なんかは剃ったとしても、前と同じぐらいに生えてきて、一定の長さくらいでその伸びが止まる。内容詳細

2002年8月

吹っ切りのち復活④ 再起動できない人間関係

前回は、コンピュータの「吹っ切り復活」であるリセットについて心理学的見解を述べた。コンピュータの調子が悪くなったら、リセットをかけて再起動すれば、たいていの場合は調子が復活するものである。 人間の場合もそうであると言いたかったのだが、実際の人間関係はそう簡単には再起動ができない。  コンピュータトラブルでは最悪の場合、情報を破棄するということになる。 内容詳細

2002年7月

吹っ切りのち復活③ リセット・リスタート 

コンピュータを使っていると、「フリーズ」「ハングアップ」や「エラー」と呼ばれる問題が必ずといってよいほど付きまとう。 これは言わば「コンピュータのストライキ」といってよい現象である。「もういろんな事を命令されて訳がわからなくなりました」と悲鳴をあげているのであろう。 技術的には様々な理由が挙げられるが、コンピュータの頭脳の中枢であるCPUに直結するメモリー(記憶回路)が情報で溢れてしまうことが原因であることが多い。 内容詳細

2002年6月

吹っ切りのち復活② バーチャル欲望という名のバブル

「今回の不景気は長い」と私も思うし、マスコミでも世間でも同じように言われている。しかし、実際のところ48歳の私でさえ、今までの人生で本格的な不景気の体験はない。初めての不景気の体験であるから、比較的長いのか、景気の循環はこんなものなのか実は知らない。ただ、いわゆる例のバブル好景気というものを体験しているから、長すぎるのかどうかは別にして、少なくとも「始末の悪い不景気」に感じるのである。今年こそは景気の回復と言われ続けてすでに久しい。内容詳細

2002年5月

吹っ切りのち復活①  復活の極意

今年のテーマについては、何にしようかといささか迷い悩んだ挙句、世の中の状況を鑑みて「復活」が相応しいと思いついた。バブル破綻や経済不況、政情不安、テロなど問題点だらけであるから、「今年こそは復活」と誰しもが願い期待している。 復活の条件として必須なのはなんであろうかと考えてみると、何を隠そう「白紙に戻す」ことである。もちろん、過去の蓄積も大切で、数年前のこのエッセイのテーマに「温故知新」を取りあげたこともあった。内容詳細

2002年4月

常識に照らす⑫ 人間の常識

「常識に照らす」のテーマの再終回になった。振り返ってみれば、常識のアラカルトのようなことを書き綴ってきたような気がする。これではまるで常識の多様性を主張しているようで、このまま終わってしまうと思うとなんだか落ち着かない。やはり最後はまとめないといけない。  国が違っても、時代が変わっても通用するような人間の常識とは一体なにであろうか? 内容詳細

2002年3月

常識に照らす⑪ プロの常識

自己矛盾的ではあるが常識にもいろいろあると書いてきた。どういった人たちの間でCOMMONなのかということになる。 私のすんでる医療界や、政治家の世界でいつも気になるのは「プロ意識」ということ。 そんなことは当たり前で、政治家は政治家らしいし、医者は医者らしいように見える。 先日、友人のお宅で開かれた新人のオペラ歌手のイタリア留学送別会にお邪魔したときに、ある高名な指揮者の娘さんから聞いた話である。内容詳細

2002年2月

常識に照らす⑩ 犬の常識に学ぶ

我が家で犬を飼い始めてから、丁度1年目になる。家を出る時、帰ってくる時必ず尻尾を振って迎えてくれる。家族の誰に対してもそうである。息子たちは「バディ(愛犬の名前である)は可愛いよな。僕が見えなくなるまでずっと見送ってくれるものな。」といって喜んでいる。一緒に遊んでくれている人に、100%集中することは犬の世界では常識なのであろう。その自分だけに気持ちを集中してくれることが人間にとって、とてもうれしいことなのである。内容詳細

2002年1月

常識に照らす⑨ 一流選手観戦の三流ギャラリー

先日、ゴルフのワールドカップが日本で行われた。かのタイガーウッズが日本に来るということでゴルフ観戦では久々異例の人気であった。私は、前日に知人から入場券をいただく幸運に恵まれたのである。ゴルフ熱が冷めかけていた私にとって、超一流のプロの技を目の当たりに見ることは刺激になるだろうと、仲の良い女子プロのHさんと朝5時に起きて出かけた。 内容詳細

2001年12月

常識に照らす⑧ 「炭疽菌なんて知らない」では済まない 

天然痘ウイルスと同じく炭疽菌による病気も、日本の現役の医師はほとんど実際に経験はないであろう。ところが、ご存知のような悲しい出来事により、無名の「炭疽菌」が一躍有名悪役スターに踊り出たのである。 私の事務所にも早速、炭疽菌の予防や治療についての問合せが相次いで来るようになった。「そんなもん知らない」では済まなくなった。医学書を紐解くが、詳しくは載っていない。昔の教科書や外国の医学書を調べて、ようやくその知識を仕入れることになる。 内容詳細

2001年11月

常識に照らす⑦ ユニバーサル常識

前回、「あなたの常識みんなの非常識」と題して常識が通じない人の話を書いた。しかし、今回、桁違いの常識はずれ事件がおきてしまった。勿論、アメリカの貿易センタービル破壊テロ事件の話である。常識に照らして考えればいろいろな難問も答えが見えてくるものである、という意味で今年はこの「常識に照らす」というテーマで書いている。「平和を愛するのは人間の常識」という命題は果たして「真」か「偽」か。 内容詳細

2001年10月

常識に照らす⑥ あなたの常識みんなの非常識

「あなたの常識はみんなの非常識だ」。こういう表現で人を非難する時がある。結構強い響きである。まさに「あなたのやることはほとんど非常識だ」といっているわけである。こんな言い方をされると相当頭にくるものだ。「私は唯我独尊だから、そんなこと言われても平気」と胸を張っていられる御仁はなかなかいらっしゃらないであろう。それだけ「常識」という見識は大切と考えられているのである。 内容詳細

2001年9月

常識に照らす⑤ 易しい専門知識と難しい常識

「専門バカ」という言葉がある。 大きく分けて2通りのシチュエーションで使われるようである。専門知識は一人前だが常識に欠ける人を非難して「専門バカ」と呼ぶ場合と、専門知識に溢れている自分を半分は自負、半分は謙遜で 「私は専門バカなもので…」というふうに使う場合がある。 いずれにしろ、専門知識は豊富だが常識や幅広い知識には欠ける という意味で使うことが多い。 内容詳細

2001年8月

常識に照らす④ メリット・デメリット2者択1論

先日、母校の医学部同窓会の理事会に出席した時の話である。   どこの大学でも、医学部は比較的人数が少なく同窓会組織がしっかりしている。私の母校でも同様で、鉄門倶楽部という特別な名称までついている。卒業生は自動的に、この鉄門倶楽部に属することになる。主な活動は、卒業者名簿の発行と毎月の機関紙の発刊である。年間5000円の同窓会費を納めることが暗黙の了解となっているが、理事会では、その会費の納入率が60%と低いことが問題になったのである。 内容詳細

2001年7月

常識に照らす③ 医学と常識

人間の体や病気の仕組みなどを考える時に意外と役に立つのが「常識」である。 「そんな簡単にはいかないでしょう。複雑な仕組みが色々からんでいるのでしょうから」という反論がすぐに出てきそうである。勿論、人間の体の仕組みは、研究すればするほど、その複雑さに驚かされるが、ある一定の基本原則が実は存在する。「(神様は)なんと上手く人間の身体の仕組みを作っているのだろう」と感心する。 たとえば、遺伝子や免疫などの新しい分野で研究を進める場合、何らかの仮説が必要になる。内容詳細

2001年6月

常識に照らす② 法律と常識

物事の道理を考える上で、常識を働かすということはとても大切だということ検証していこうと考えている。今回は法律について。 「電子カルテ」のシステムを勉強する会議での事である。アメリカの電子カルテ法案の中の個人のプライバシーを守るための条文だけで、10センチもあるような厚さがある。事細かく「こんなことはしてはいけない」「こんな場合はこういった許可が必要」ということをあらゆるケースを想定してかかれている。いわゆる法の抜け穴が無いように規定してあるわけである。内容詳細

2001年5月

常識に照らす① 加速から成熟へ

今世紀初年度のテーマを何にしようかと考えた末、私は、21世紀のキーワードを「熟成」とした。20世紀を一言で表すと「加速の世紀」と言えるのではないかと考えている。人類の歴史を振り返ってみても、これほど文明が加速度的に進化した時代は、他には見当たらないであろう。    大体、人間のつくる文明とは、自然体でいけば次第に変化を加速していくものである。だから、このままいけば文明は今世紀も更に加速度的に進化していくであろう事は容易に想像できる。 内容詳細

2001年4月

少数精鋭主義⑫ 迷う楽しみ、選択する苦しみ

少数精鋭主義のテーマで書くのも今回が最後になった。一年は早いものである。人類の何十万年もの歴史から見たり、ビッグバンで宇宙ができてからの気の遠くなるような歴史から見ると、人生なんて一瞬であると表現される。その一瞬の人生に悩んだり、喜んだりと様々な出来事を体験するのである。そしてその一瞬の人生を、自ら半分に縮めたり他人から縮められたりしたニュースが連日のように新聞やテレビを賑わしている。 内容詳細

2001年3月

少数精鋭主義⑪ スモールメリット

私は契約制の相談医なるものを生業としている。そのクライアントの一人が、年賀状の中で「スモールメリットをいかしたお店作り」を心掛けていると、書かれていた。私は思わず独り言で「まさにそのとおり!」と拍手喝采したのである。今の日本の世の中、アメリカ的経済感覚でスケールメリットを利点にした商売が横行している。コンビニでも衣料品メーカーでも薬品会社でも、スケールメリットを獲得したものがその業界を制覇している。かく言う私もその恩恵にあずかり、廉価版フリースを愛用はしている。内容詳細

2001年2月

少数精鋭主義⑩ 1人の敵と10人の味方(その2)

この表題は「一人の敵は十人の味方の力を打ち消す」という意味で使われる言葉だが、人間関係においても当てはまりそうだ。十人の親友がいても、十一人目の親友に裏切られたとすると、その人の悲しみや苦悩は他の十人の親友で癒すことは困難な場合が多い。 こうして考えてみると、我々の心の中も減点主義を基準とする構造に出来ているのかもしれない。ゴルフでいくらナイスショットを続けていても、一発のミスショットをきっかけに崩れていくことを経験している我ら素人ゴルファーは多いはずである。「よいイメージを定着させるのは困難で、悪いイメージは簡単に頭に染み付く」ようにできているのであろうか。内容詳細

2001年1月

少数精鋭主義⑨ 1人の敵と10人の味方(その1)

よく「一人の敵は十人の味方に匹敵する」と言われる。この言葉にはいろいろな意味が含まれているものと解釈される。文字通り、「せっかく十人の味方を作っても、一人敵ができてしまうと自分への援助の力としては打ち消しあってしまう。」という意味合いで使われることが一般的であろう。また、日本のように減点主義を基調とする国民性を持った国では、「十個の成功をしても一つの失敗が命取りになる」という意味合いをも感じさせる。 内容詳細

2000年12月

少数精鋭主義⑧ 大きな夢と小さな実行

最近の若者たちも大人たちも夢がなくなった、と感じる人は多いのではないだろうか。そう思うのは当然である。「末は博士か大臣か?はたまた大社長か?」と子供のころ親に夢を託されて育った我々より上の世代に比べ、現在は学問や政治や経済のトップに立つような人で尊敬できるような人がほとんど見当たらない。実際には結構いるのだろうが、マスコミがとりあげるような話題は「ブルータスおまえもか?」と思わせるような、著名人のゴシップや失態の話が中心である。内容詳細

2000年11月

少数精鋭主義⑦ 偽少数精鋭主義

「しっかりしたものなら数は少なくてもいいのではないですか?」という意味で「少数精鋭主義」をテーマに話を進めている。ここで誤解を防ぐために、「偽物の少数精鋭主義」について言及しておきたい。  時に、世の中のもの何にでも反対を示して、「我こそは反骨精神の塊なり。世の中には偽物を平気で認めてしまう馬鹿な人が多くて困る。」と豪語している人がいる。人と違うことをすることが自分の優れた証と信じているのである。これは私の言う少数精鋭主義とは似ても似つかぬものなのである。野球で言えば、多くのファンがいる巨人が嫌いだから、ファンの少ないどこどこを応援する、みたいななんとも哲学がない思考なのである。内容詳細

2000年10月

少数精鋭主義⑥ マスコミとミニコミ

飛躍的な通信技術の進歩で、マスコミの力は増大していく一方である。テレビを筆頭にラジオ、新聞、週刊誌、インターネットと媒体は増えるばかりである。最近の通信手段は双方向性も備えたといわれつつも、その実はまだまだ片側通行が主体である。 前々回に「知らぬが仏」の快適さについて書いたが、マスコミはそんなことにお構いなく一方的に情報を送る。「見たくない人は見なければ良い」というのがマスコミ正当化の論理であろう。内容詳細

2000年9月

少数精鋭主義⑤ 仕組みで変わるものと、仕組みで変わらないもの

「より安心の出来る医療の体制を作るには、なにも新しい画期的な技術はいらない。今ある技術をうまく機能させる仕組みを作ることが先決である。」という考えが私の持論である。 この信念に基づいて、医療のシステム作りの仕事やアドバイスを行うことが私の「医学事務所」のメインの仕事なのである。勿論、遺伝子技術はこれからの医療のシステムを大きく変えていくだろうし、人工臓器の研究も大切ではある。しかし、日本では医療技術上は臓器移植や遺伝子診断が可能であるが、日常的な医療は安心どころか不満だらけであると嘆き不安に感じる御仁は多い。内容詳細

2000年8月

少数精鋭主義④ 3人寄れば文殊の知恵、10人寄れば猿の知恵

昔、脳外科医をしていたころ暴走族風の連中が交通事故で運ばれてくる場面によく遭遇した。さぞかし病院の中でもうるさくて迷惑を振りまくに違いないと思ったわけだが、意外に意外、結構おとなしくて従順なことが多かった。見舞いにくる連中もこれまた意外と礼儀正しかったりする。人の考えは間違いも多く、複数の人の知恵を合わせることは大切という意味で「三人寄れば文殊の知恵」という。しかしその反面、人は集団になるとその知能は急激に低下し、時には暴徒と化す。 内容詳細

2000年7月

少数精鋭主義③ IT革命と知らぬが仏

21世紀はIT革命とバイオテクノロジーの時代だと言われる。株式市場でもIT革命は花盛りである。もはやインターネット、電子メールなしでは生活できないようなムードである。 あるテレビ番組で、IT革命をテーマにいろんな人にインタビューしていた。「インターネットで世界中どこの情報も瞬時にして得られる」「家にいて何でも買えてしまうから、生活が豊かになりますよね」「物事を選択するときに、あらゆる角度の情報を得られるから、安心できる世の中になりますよね」などというコメントが大半を占めていた。 内容詳細

2000年6月

少数精鋭主義② シンプルライフのすすめ

少数精鋭を端的に言うと「量より質」ということになるが、これはあくまでも相対的なものである。前回、「量を減らさないでも、質を高めることにより少数精鋭主義を実行したことに等しい」ことをリストラを例に説明した。 理論上はそうであるが、例えば友人の数、スタッフの数、クレジットカードの数、愛車の数などを想定しても、時間軸を含んだ4次元で考えると、いくら質を高めようとしても適正な量には限界がある。この原則を間違えると、楽しい仲間のはずの友人が苦しみを提供してくれるし、ボスの仕事の能率を上げてくれるスタッフがボスの足を引っ張ることにもなる。内容詳細

2000年5月

少数精鋭主義① 量より質

質実剛健に続く今年のテーマとして「少数精鋭主義」を選ぶことにした。携帯電話などの普及で、必要以上の連絡が一般化し、インターネットの発達で情報が氾濫状態になり、パソコンを買いに行っても本を買いに行っても、何を選んだらよいのか迷ってしまうぐらいたくさんの種類がある。 これを「選択の幅が増えた豊かな現象」と一概に言ってよいだろうか。質の低下を量でカバーするという現象になってきているのではないだろうか。 内容詳細

2000年4月

質実剛健⑫ 「君たちはすでに英雄だ」

私の仲間には、妻を筆頭に映画好きが多い。 つい最近、ホームシアターなる設備を我が家に導入した。週末になると、仲間がそれぞれ、好きな映画のビデオと食べ物を持ち寄り、我が家では安物ワインを用意する。一緒に映画をみて、そのあと映画談議にふけるのである。贅沢なようだが、映画館へ行って、レストランへ立ち寄り、お茶をすることを考えると、一人あたりの出費は格段に少なくすむ。これも考えようにより質実剛健だと(多少は弁解気味に)思っている。内容詳細

2000年3月

質実剛健⑪ 感謝オンデリバリー

ゴルフ仲間である(といっても大先輩なのだけど)工学部の名誉教授から、「タイと日本の学術交流のため、バンコクのオフィスに長期出張しているので遊びにおいで」と招かれて、友人と突如バンコクに行くことになった。 三泊のせわしない旅行であったが、ゴルフと美味をたっぷり堪能できた。そのゴルフであるが、タイ出身者による東京大学の同窓生のコンペという企画がたまたまあり、そこに飛び入り参加となった。一緒に回った人は、タイで会社を経営している方で、勿論日本語はぺらぺらである。その人の話のなかに、非常にためになったことがあるので今日はそれを紹介したい。 内容詳細

2000年2月

質実剛健⑩  オセロ型心理敵対反応

仲がよかったのに、何かをきっかけにがたがたと崩れてしまうことが多い。この人間関係を理解するにはいくつかのポイントがある。そのなかでも私が「オセロ型心理反応」と命名した恐るべき心理反応がある。 今まで、自分の親しい仲間と思って気を許して悩みなどを話していた時は、親身そうに同情したり共感してくれていた人が、何かのきっかけで一旦敵対したとたんに、今までの共感とは裏腹に「あいつはこんなことを言っていた」と正反対の反応をするようになる。この反応に遭遇した人はひどく傷つき、「もう二度と人を信用したくない」、と一時的に思ってしまう。 内容詳細

2000年1月

質実剛健⑨  ニュース俗報

先日、帰宅すると、妻や子供たちがテレビで「金八先生」を見ていた。一緒に見ながら「金八先生も現代版になって変わったな」と思った。不良学生が登場した家庭内の暴力場面があり、私が顔をしかめると「これは超特別な過激な場面」と子供たちが言い訳めいて言う。 そんな話をしながら見ていると、画面に「ニュース速報」のテロップが現れる。『どこかで地震かな?』と思っていると[文京区音羽幼稚園の行方不明園児が遺体で発見される]という報道であった。 内容詳細

1999年12月

質実剛健⑧  ピース オブ ヘジタンス

「ピース オブ ヘジタンス」という英語の意味をご存じだろうか。「遠慮のかたまり」という意味だそうだ。先日、英語が堪能な友人から聞いたから、多分本当の話だと思う。大皿料理などで美味しそうなものが、一切れ遠慮がちに残っている例の「遠慮のかたまり」の意味である。「ふーん、アメリカでも遠慮のかたまり、という現象があるんだ。人類似たり寄ったりだ。」と妙に感心した。 内容詳細

1999年11月

質実剛健⑦  景気回復ケーキ

先日、大学時代の仲間のゴルフ旅行の帰り、新幹線の中でアナウンスがあった。「縁起のいい新幹線特製“景気回復ケーキ”はいかがでしょうか?」 その日はゴルフの成績もすぐれず、仲の良い先輩のドクターと悲嘆に暮れながら「あの時のパットは云々」と反省していたのであったが、このアナウンスを聞いて思わずニヤリとしてしまった。これはもしかして、そんなケーキを実際売っているのではなく、さすが元国鉄JR‘洒落と元気付け’でアナウンスしているのではとも思ったが、確かめはしなかった。 内容詳細

1999年10月

質実剛健⑥ ブランドと品質

久々の長期夏休みを取り、テニス仲間と3夫婦で北イタリアへ食と歴史を巡りながらのリラックス旅行に出かけた、つもりだった。 ところが、旅行中にもめることになった。一組の夫婦が、どうやらブランドショップ(ベルサーチやテストーニなどの固有名詞を勉強させていただいたが)での買い物が旅行の大きな目的であったらしいのだ。全体の旅程は、イタリアの田舎町を車で回る情緒たっぷりなものだったが、一部変更し恥を忍んでミラノのブランドショップ街を大きな買い物袋を提げた日本人と会っては、伏し目がちに歩くことになった。内容詳細

1999年9月

質実剛健⑤ 二つの悪い心

「汝ねたむなかれ」かのキリストも言われた説教である。 日本人は特に「ねたみ、そねみ」を持つ民族のように言われることをよく耳にするが、世界共通の人間の邪悪な心なのかもしれない。人間にとって大きな悩みの一つは、自分の内なる邪悪な心との戦いなのかもしれないと思っている。 気に入っている映画の一つに(親友に勧められ最近観たのであるが)「scent of a woman」というのがあるが、その主人公のアルパシーノが「私は今まで、どちらの道を選ぶのが正しいか、たいていの場合はその答えを知っていた。しかし、そちらを選ばなかった。たいていの場合、正しい道は困難だったから。」というようなセリフを言う。含蓄のある言葉である。 内容詳細

1999年8月

質実剛健④  質と量

品質と数量といえば「quality & quantity」と英語の授業を思い出す。モノの良し悪しを判断するときに尺度となる2大要素である。 それらは、多くの場合、逆相関する。食べ物をとって考えてみよう。高級フランス料理の前菜分の価格で牛丼を何倍食べられるか。では、価値判断として高級フランス料理が牛丼を凌駕していると結論付けできるであろうか。否である。とにかくおなかがすいているものにとっては、2杯の牛丼の方が価値が高いであろうし、小食のひとが少し贅沢をしたいと思っているときは、年代物のワインにオードブルというほうが価値が高い。質と量どちらが大切か、一概には言えない例である。 内容詳細

1999年7月

質実剛健③  新個人主義の勧め

前回お約束したBBQ-METHODの話。  先日、中学生の我が次男とテニス部の仲間数人を連れて山の家にテニス合宿に行ったときの話である。夜はベランダでのバーベキュー(BBQ)となった。私ら夫婦とは初対面の子達もいて遠慮気味だから一人一人取ってあげないとだめかなと思っていた。心配ご無用である。さすが中学生の男の子達。焼き上がる前にすごい勢いでお箸がのびてくる。今度はこれは奪い合いの喧嘩になるかと心配した。内容詳細

1999年6月

質実剛健②  子供達へのメッセージ

日本にしろアメリカにしろ少年達が物騒な事件を起こすたびに「最近の若者はなっていない、怖い」などと言われる。若者といっても、年輩者にとっても経験してきた時期があるわけだし、むしろ大人の鏡だと考えてもいい。結構「ひとの振りみて我が振り直していく」ものなのである。昔は「末は博士か大臣か」と研究者や政治家などは、子供達にとって目標やあこがれの職種であった。 内容詳細

1999年5月

質実剛健①  医学部入試「改革」医師不信

今月からテーマを「質実剛健」と新しくした。  「飾り気がなくまじめで力強い」というような意味である。実は僕が小さい頃、今は無き明治生まれの父から、「質実剛健でいけ。ええかっこするな!」とよく怒鳴られたものである。人間小さい頃の学習というものは死ぬまで残るものである。いろいろな商売にチャレンジしていた父は、東大に進もうとした僕に、喜んではくれたものの「人の役に立ってはじめて値打ちがあるんや。東大なんかでえらそうにするな!」と僕には痛い言葉を言っていた。 内容詳細

1999年4月

正しい生き方から美しい生き方へ⑪ 相対価値観と絶対価値観 その2

前回、相対的価値観から絶対的価値観へのパラダイムシフトこそが幸福への道であるというようなことを述べた。  もうお気づきのように、正しい生き方は相対的価値観に基づき、美しい生き方こそ絶対的価値観に基づいた生き方なのである。他人が決めた法律に従う生き方が正しい訳で、自分の判断があまり全面に出ない。美しいかどうかは多分に自分の判断が必要になってくる。「人をたてれば蔵が建つ。内容詳細

1999年3月

正しい生き方から美しい生き方へ⑩ 相対価値感と絶対価値感 その1

いよいよこのテーマでの話題も余すところ2回になった。 続けてお読みいただいている方は既に美しい生き方を実践されていることと思われる。日本人は(ほとんどのアメリカ人もそうだと私は思っているが)これだけ豊かになったのに、なかなか幸福感が得られないのは、「絶対価値感」の欠如なんではないかと考えている。そしてまた、美しい生き方をするにあたってこの「絶対価値感」が必要だと私は分析している。 内容詳細

1999年2月

正しい生き方から美しい生き方へ⑨ ウサギと亀

今年は兎年である。 例年のごとく私は年初に1年のテーマを考える。いくつか候補を考えた。最終に残ったテーマは「美しき停滞、着実な向上」、「利他のわがまま」、「謙虚な自信」などである。美しき停滞…では、語呂が去年のテーマと似ている。利他のわがままもいいな、と思ったが、最終選考に残ったのは(といっても自分で候補を出して、自分で決めるのだが)、「質実剛健」である。 内容詳細

1999年1月

正しい生き方から美しい生き方へ⑧ 「便利」と「手間ひま」

先日、住宅関連の企業に勤める人たちを対象にセミナーの講師を務めた。 その時、同時に講師をされた東京医科歯科大学教授の藤田紘一郎先生は「清潔は病気」と寄生虫の人体への役割を説かれていることで有名である。藤田先生は、「清潔第一的考えは、人間の本来の抵抗力を阻害し、神様が与えてくれた我々の能力を阻害するものである」といった内容のお話をされた。私の医療哲学との共通点に深く共鳴したのであるが、私は自分の講演内容で「便利の追求は、我々人間の情緒を阻害する。内容詳細

1998年12月

正しい生き方から美しい生き方へ⑦ 良い「みんな」、悪い「みんな」

「みんな、君のことを生意気だと言っているよ」「僕はいいけど、みんながねぇ…。」このような言い方をよく聞かないだろうか。また、よく言っていないだろうか。  かくいう私も、なるべく気をつけているのだが、「そんなことをするのはみんなに迷惑だよ」などと言ってしまっている。「僕に迷惑だよ」と、ズバッと言えばいいのに。人間関係の崩れる原則に、「トライアングルの法則」というのがある。  AさんとBさんがもめると、Cさんが、間に入り助けようとするが、今度はCさんとBさんの争いに形が変わっていくという単純な法則である。そんなとき「みんな君のことを…と言っているよ」的な言い方をよくする。 内容詳細

1998年10月

正しい生き方から美しい生き方へ⑥ 規則と道徳

前回、『モラルール』という造語を披露したが、その後たまたま読んだ「子供のための哲学」(永井均著)という本のなかに、規則と道徳の説明があった。その中にも書かれていたことを私なりの例えで説明してみる。  「公衆の場所にゴミを捨ててはいけない」ということを考えてみたい。このことは日本では規則でもあり道徳でもある。 では、なぜ我々は普通は道ばたにポイッとゴミを捨てないのか。一つめの理由は、それが規則だからしないということである。内容詳細

1998年9月

正しい生き方から美しい生き方へ⑤ モラルール

タイトルの『モラルール』は私の造語である。  この言葉が生まれたいきさつをお話ししたい。先日、後輩でもある友人の奥さんと世間話が高じて「臓器移植の話」になった。というのも、「最近、不安や不満を訴える人が多い。」という話題からである。医療の現場で言えば、高度な医療が整ってきたのにも関わらず、現代人は昔の人にはないほど医療に対する不安や不満があるのは何故だろうか。内容詳細

1998年8月

正しい生き方から美しい生き方へ④ 孔孟思想から老荘思想へ その2

前回は、孔孟思想と老荘思想について少し話した。  どちらがいいかという意味ではなく、人間で言えば若いときは孔孟思想を中心に、中年以降は老荘思想も取り入れるのが良いのではということになる。 国で言えば、発展途上国では孔孟思想で、日本のように成熟してくると老荘思想も大切になるのではないか。また、企業で言えば、前者が急成長型ベンチャー企業や増収増益企業であり、後者が昔ながらのお店や収益横ばい企業である。癌の治療で言えば、前者が手術や抗ガン剤、後者が免疫療法や東洋医学的治療にあたるのではないか。 内容詳細

1998年7月

正しい生き方から美しい生き方へ③ 孔孟思想から老荘思想 その1

正しい生き方から、美しい生き方へのパラダイムシフトをテーマにエッセイを書いている。別に「正しい」ことが悪いといっているわけではない。むしろ正しいことは当たり前なのである。価値判断を「正しいかどうか」というよりも「美しいかどうか」という基準に置き換えていくことが、これからの成熟社会には必要ではないかと提案しているのである。これは、言い換えれば、これからは物事の判断は自分で行うことが最も大切だと言うことである。 内容詳細

1998年6月

正しい生き方から美しい生き方へ② 性善説は時代錯誤か

物騒な世の中になった。ずいぶん前までは拳銃事件はアメリカの独占市場だと思っていたし、つい最近まで日本でも特殊な世界での事件だと思っていた。ところが気付かないうちに「拳銃事件」が毎日のように新聞の片隅に載っていることが当たり前のようになってしまった。  僕は、ずいぶん以前から「エイズにしろ麻薬にしろ拳銃問題にしろ、彼岸の火事だと思っていたら大やけどをする」と、いろいろな機会をみつけては警告していた。内容詳細

1998年4月

正しい生き方から美しい生き方へ① 感動ありがとう

日本中の皆が楽しみにしていた冬季オリンピックも終わってしまった。このオリンピックほど皆がテレビの前で涙を流したことは他にはないのではないだろうか。特にジャンプの原田選手は印象的である。一回目のジャンプが悪くハラハラさせておきながら、2回目は予想以上に飛んだ。本来なら安定して飛ぶほうが正しい飛び方であろうが、原田のようなほうが我々を楽しませてくれた。言うなればこちらのほうが美しく感じて我々が感動したのかもしれない。 内容詳細

1998年3月

温故知新⑬ 過去の遺物は大先生

ウイルスが猛威を振るっている。エイズにしろ新しい香港型インフルエンザにしろ怖い相手である。細菌の世界では、耐性菌の出現が我々に様々な警告を与えている。細菌でさえ過去の抗生剤を覚えていて、新しい仕組みを自ら作り出している。 まさに「温故知新」を実践しているのである。 ウイルスは、元来病原性が弱くて、大体放置しておいても自然治癒するものが多かった。一部のウイルスにはワクチンがあり、予防できたり、天然痘のように世界から撲滅したものまである。まさに人類の勝利と凱旋ものなのである。   ところが、ところがウイルスというものは、摩訶不思議で怖い。姿をコロコロと変える。あの小さい単純な構造なのに、まるで敵のことを知り尽くしたかのように振る舞うのである。しかも、人の細胞を利用して自らを複製していくのであるから気色が悪い。内容詳細

1998年2月

温故知新⑫ 美しい生き方

「温故知新」を題材に書き始めて、早いもので1年経ってしまった。最初に書いたが、私は年の始めに一年のテーマを決めることにしている。平成9年は「温故知新」であった。  今年は何かというと「正しい生き方から、美しい生き方へ」というパラダイムシフトである。 どういう意味かと疑問に思われる方も多いであろう。成熟社会を迎えた日本にとって、本来すべての国民は心豊かに生活を送れる筈なのに、実際はどうであろうか。内容詳細

1998年1月

温故知新⑪ ルソーのエミール

何回か前のこのコラムで「子供の消費文化」と題して、消費の有力対象が子供たちに向けられていることについて警告めいたことを書いた。つい最近、新幹線の中のウエッジという経済誌の中で、「本来お金を稼がない子供たちにたいし、格好の消費の対象として、有名ブランドの服や時計や靴などを煽動するように売ろうとするのは、目先の利益のみを追求する意味では成功するかもしれないが、子供の正常な精神的成長を妨げ、本来消費をするべき大人たちの財布の紐を必要以上に引き締めることになり景気の停滞を助長する」という様な内容の記事が載っていた。内容詳細

1997年12月

温故知新⑩ 昔の新しい人、今の古い人

よく世代の断絶という言葉を聞く。これは単純に年齢層の違いによる考え方の相違のことをさして言うのであろうか。「近頃の若いもんときたら…」なる有名な言葉があるし、反対に「おやじ臭い考えだなあ~」とか「オバタリアン」なる言葉も存在する。内容詳細

1997年11月

温故知新⑨ 「温新知新」と「温故不知新」

「温故知新」の話を書き綴っているが、これが通じないこともある。 先日、親しくしてもらっている銀行の方にゴルフに連れていただいた。IさんとKさんと言う。その銀行の顧客サービスの一貫として行っている定期健康セミナーの講師をさせていただいている関係上お付き合いをするようになった。Iさんとは夫婦でテニスをする仲にもなっている。Iさんはテニスの方がゴルフより熱心なようで、使用しているゴルフクラブは結構旧い。Kさんのゴルフクラブは更に旧い。内容詳細

1997年10月

温故知新⑧ 風と雨と太陽の話

人の心とは難しいものである。多くの患者さんのカウンセリングをしていると、いかに我々の心というものは微妙な動き方をするかということが身にしみて理解できるようになる。心の方程式みたいなものがどうやらあるようだ。どういう言い方をすれば、相手はどんな反応をするか、ということが意外と公式的な図式で表されそうなのである。  最近の新聞をみると、毎日のように殺人事件やいじめや不正など、「性悪説」を否定したい私にとって不利になるような事件が満載されている。内容詳細

1997年9月

温故知新⑦ ヴァーチャルリアリティーの落とし穴

二人息子のうち、次男が今年中学生になり将棋部とテニス部にはいった。将棋は駒の動かし方も知らない程度。少し覚えては「お父さん、将棋やろう」と相手を迫ってくる。かくいう私も、駒の動かし方をかろうじて覚えている程度なのである。面倒だから、なんとか逃げ回るのであるが、5回に1回はつかまって相手をさせられる。最初の内は、簡単にこちらが勝つ。負けん気の強い次男は、涙をこらえてひきつり笑いをしている。内容詳細

1997年8月

温故知新⑥ メディカルルネッサンス

私は、「主侍医」制度というものを普及しようとしている。 複雑、細分化した近代医療のあり方を考えると、供給側にとっても、受ける側にとってもより単純・統合化したシステムが必要と考えている。科学としての医療を考えると専門化や細分化はやむを得ないのは事実であろう。当然、そこでは人間性が薄れてきている。医療を受ける側の人間にとっては、人間性を医療に求めたいとは思っている。その反面、科学としての医療の信頼性を考えて、より専門化したものを求めているのである。 内容詳細

1997年7月

温故知新⑤ 昔の人間、今の人間

よく「今の若い奴といったら…」とか「昔の人はだめだねえ…」とか言われる。世代間闘争の決まり文句と言ってもいいであろう。実際僕も無意識に使っていることがあるようだ。昔と今の境目はどのあたりかというとはなはだ線を引きづらい。 たしかに自分が育ってきた幼い頃の環境から人間は強い影響を受けるということは精神医学や心理学的見地からみても事実である。その環境の大きな要素として時代的背景がある。他の大きな要素としては、親の性格や経済状態など個別なものがあるのであるが、それは本題からはずれる。 内容詳細

1997年6月

温故知新④ 昔の幸せ、今の幸せ

「幸せ」の定義はかなり難しい。国語辞典によると、もともとは「仕合(わ)せ」と書くようである。「運がよいこと、良いめぐり合わせ」とある。 「幸福」や「健康」がお金で買えるか?ということは昔からよく言われる問いかけである。食べたいものも食べられなかった昔や、抗生物質も高くて一部の人にしか使われなかった時代もあったらしい。一人暮らしの大学生でエアコンどころかトイレや風呂付きのアパートに住んでいるのはそれこそマイノリティーであった。たしかにそんな時代ではお金で幸せを買えると考えていた人も多かったに違いない。快適性や心地よさも幸せのひとつの形ではあろう。内容詳細

1997年5月

温故知新③ 昔の治療、今の治療

他の科学の分野と同じく医学の世界においてもこの20年間を振り返ってみるとそのテクノロジーの進歩には眼を見張るものがある。僕が大学生時代だった昭和50年頃、コンピュータのプログラムの授業を受けたが、その時の東大の大型計算機センターにあった日本でも有数の大型コンピュータでさえ、今や、秋葉原では時代遅れのため特価で売っている旧型モデルの家庭用コンピュータと性能や容量が同等かそれ以下なのである。車の性能や携帯電話なども考えようによってはすごい発達をしている。内容詳細

1997年4月

温故知新② 子供達の消費文化

つい先日、新聞で「高校生の卒業旅行」の記事をみて驚いた。大学生の卒業旅行が当然のように言われるので、僕などは「修学旅行」をイメージしていたら何のことはない単なる親のすねかじり旅行なのである。旅行会社は売れればいいと言うことで、卒業旅行のパッケージを作り、今や高校生にまで売り先を拡大しているのである。バレンタインの義理チョコも同様であろう。未成年の高校生卒業旅行の実態は「煙草、酒、カップル」と、その新聞では、表現していた。内容詳細

1997年3月

温故知新① 手書きの効用

私は、御多分にもれず、お正月には「1年の計」なるものを考えるようにしている。私の場合、自分の生き方や考え方の基本を自分に言い聞かせるためのひとつのけじめと考えている。今年は有名な力士のように4字熟語にしてみた。 「温故知新」に決めた。数年前より年賀状の数が1500枚を越え、これでは書ききれないと断腸の思いで長年交流のない数百名の方のリストをコンピュータからフロッピーに移した。が、いつのまにか今年も1500名を越えてしまった。これではいくら記憶力が良い人でも、全員の顔を覚えるのは不可能に近い。内容詳細