確率では判断できないことも

カルテの余白

カルテの余白 ⑤

確率では判断できないことも

土曜 朝刊 (P.25医療)

2003.3

朝日新聞 掲載


「最後の最後まで治療を続けよう。」
「いや、もう、苦しませずに逝かせてあげよう。」
26年前、私は兄弟4人でこんな会話をかわした。
母が劇症肝炎を患い、可能な限りの手だてを尽くしても回復が難しい状況だった。
兄2人は医師になって6年目と2年目。私は医学部6年生、弟は医学部1年生だった。 
長男と私は前者の意見、次男と弟は後者だった。 
結局、最後まで徹底した治療を続け、数日後に母は他界した。
その後、医師になり、治療の現場で難しい決断を迫られる度に当時の会話を思い出す。
どちらが正しかったのか、いま振り返っても結論は出てこない。 
故郷和歌山で医師をしている兄弟3人は日々、患者さんと向き合い、どんな思いで医療判断をしているのか。
患者さんにとって治療の現場での判断は、人生における大きな決断だ。
医療判断医は人生の相談役を担うことになる。
政治家にも政治判断に迷うと占師に相談する人がいると聞く。 
だれでも重大な決断を迫られると他人に意見を求めたくなるものなのだろうか。
ただ、医師と患者さんとの関係は、親友や家族のような間柄がよいとは限らない。
「医師も自分の家族の治療はとても難しい」というが、職業人である医師としての判断と家族としての判断はときに異なる結果になるからだ。
最近、科学的な根拠に基づいて医療を進めるEBM(Evidence Based Medicine)という考えが普及してきた。もちろんこれは大切なことだとはいえ、実際の治療の現場では、単純な確率論で判断を下せないことに度々出合う。
どうしたら、プロとして最善の支援ができるのか、日々、模索を続けている。

    

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