1999.5~2000.4 質実剛健⑥ ブランドと品質 |
ばんぶう 1999.10 日本医療企画 |
久々の長期夏休みを取り、テニス仲間と3夫婦で北イタリアへ食と歴史を巡りながらのリラックス旅行に出かけた、つもりだった。
ところが、旅行中にもめることになった。一組の夫婦が、どうやらブランドショップ(ベルサーチやテストーニなどの固有名詞を勉強させていただいたが)での買い物が旅行の大きな目的であったらしいのだ。全体の旅程は、イタリアの田舎町を車で回る情緒たっぷりなものだったが、一部変更し恥を忍んでミラノのブランドショップ街を大きな買い物袋を提げた日本人と会っては、伏し目がちに歩くことになった。
私も、不器用ながら「おしゃれ」は良いことだと思っている。だからといって「ブランド品に眼がない」というのとは全然意味合いが違う。昨年のこの場でも書いたが、とかく日本人は「絶対価値観」を持つのが苦手なようである。ブランドのマークがなくては服や鞄さえも買えない。いわんや学歴を聞かなければ、人間の価値も判断できないのである。長年培われた質実剛健な品質が評価されて、はじめてブランドが生まれるものと私は考えている。
日本人目当てのブランドショップは、もはや本来の価値は失われかけている。バブル時期を経て、日本の消費者も賢くなりブランドだけに騙されず、品質を見る目を養った。価値観の混乱の中で、見る目を持たない若者の高級ブランド志向が突然変異的に生まれたが、「安ければいい」という過剰反応も出たものの、そういう過程を経て、「質実剛健なものなら多少高くても」というしっかりした考え方も台頭し始めている。
思い起こせば、私が育った昭和中期「巨人、大鵬、卵焼き」と言うブランド信仰を皮肉る言葉があった。言ってみれば「みんなが一番と思っているものがやっぱり一番良い」というような意味合いである。
歴史は繰り返すものだとつくづく思う。ガンバレ我らが日本。