主侍医のつぶやき: 2010年4月

【代表主侍医のつぶやき】2010/5

主侍医冥利のお話
 
メンバーのHさんのご紹介で昨年、主侍医倶楽部のご契約をいただいたSさんのお話をさせていただきます。勿論、Sさんからは了解いただいております。「実名でお載せいただいてもよいですよ。」とまで言っていただき感激しています。長くなりますが、肺癌の病気のことの勉強や、主侍医の活用の仕方などの参考になると思いますので、辛抱強くお読みいただければ幸いです。
 
Hさんは、長年法人メンバーとして、私どもを応援いただいている方です。昨年のある日、「仲の良い大切な仲間がいるんだけど、医者嫌いなんですよ。でも、そろそろ歳だし、20年間も人間ドックもしていないようなので、取り敢えず人間ドックの相談をしてあげてくれますか?」と依頼されました。
最初、Sさんとお会いしたときも「お医者さんはおっかなくて。何を言われるかと思うとドキドキして。人間ドックも怖くて行けませんでした。でも、Hさんに勧められて、思い切って参りました。」とのことでした。
ほとんど初めての人間ドックでしたので、内容が盛りだくさんのドックを四谷のクリニックで行うように手配しました。(この間のスタッフとの触れ合いからご信頼をいただき、この時点で「主侍医倶楽部にも入会したい。」とのお申し出をいただきました。)
結果の報告が来て、我々担当主侍医笹部ドクターとともに内容を再確認すると、数個の軽い問題点があり、それぞれに対処するプランをたてて、Sさんと面談することとしました。12月28日と年の暮れ押し迫った時でした。それぞれの問題点につき、専門医への紹介、当院での経過観察などのお話です。その問題の中のひとつに「胸部CTで、左肺の上部に1cmのGGOと呼ばれる腫瘤陰影。」がありました。一般的には、癌の可能性も低く、まずは慎重な経過観察というところです。従来から医者嫌いのSさんですから、あまり怖がっていただいては申し訳ないし、いざという時の決断が遅れることにもつながります。そのために、まずは、より軽度な問題点について安心できる対策を説明し、面談に慣れてきたところで肺のお話をすることにしました。まず伝えたいことは、肺癌の専門医の監視下に入っていただくことです。
私どもがお付き合いいただいている、肺癌の診断や治療の専門家は数名おりますが、その中で山王病院のOドクターにご依頼するのがSさんにとって総合的によいのではないかと予測したうえで、他の選択肢も用意し面談しました。「先生方のお薦めのO先生にお願いしたい。」「分かりました。では、O先生にご紹介します。まずは人間ドックの時のCTを見ていただいて意見を聞きましょう。」
四谷のクリニックにCTのデータのCD-ROM作成の依頼をし、年明けすぐの1月7日、Oドクターの診察の予約の手配をしました。「年末年始はこのことを忘れて楽しんでください。」
1月7日、Oドクターの意見は、「10mmのGGOで、大きさや場所から悪性の可能性を調べるために、胸腔鏡下の切除(VATS)も視野に置いて、まずは2、3ヶ月後の検査で比較読影しましょう。」ここまでくるとSさんも相当心配しているはずです。笹部ドクターと「Sさんには安心感を与えつつ、最善の方策を模索していきましょう。」と話す。
実は、Sさんは、2月にハワイで過ごす計画をたてていました。「丁度良かったです。次の検査までやきもき心配しているより、ハワイで思いっきりゴルフを楽しんできてください。肺は悪性の可能性は低く、あったとしても超早期ですから心配はご無用です。」「先生方を信頼しています。」
ハワイから戻られて、3月4日にOドクター再診。「今回のCTでは、GGOの大きさに変化なし。今すぐVATSでも、3ヶ月後の経過観察でもどちらでもよい。癌の可能性は少ないが、癌ではないと断言できない。癌でないことを確認する目的なら手術(VATS)を勧める。」との説明を受けて「寺下先生と相談して決めたい。」とお答えされました。
3月10日、我々との面談。その間、Oドクターからの報告もあり、上記Sさんへの直接説明に加えて「最近は最終的に患者さんの満足度が高いので、VATSを積極的に行っている。」とのコメントもいただく。奥様を同伴されたSさんとの面談前、30分以上をかけて担当の笹部ドクターと菊地マネージャーも交えて、
どういうふうに今回の医療決断を支援していくか検討。Sさんが、手術を恐れるなら、今の段階では経過観察の選択もあるかもしれないことを念頭に面談しましょう、となりました。

面談ではまず、「心配で夜も眠れないですよね。」とスタッフ一同共感した上で、「思い切ってVATSをするのも、3ヶ月経過をみるのもどちらも安心できる選択です。」ということを基調に話を進めました。Sさんは、出来うるなら手術を避けたいと思っているだろうと、予測しての面談でした。ところが面談を進めていく中で、Sさんは手術をする覚悟をしているのではないかと感じ、それなら我々もより安心できるVATSをするという判断の優先性を上げるという方向性にシフトしました。「実は、心の中では思い切って手術をしたほうがいいかなと覚悟をしながらも迷っていた気がします。しかし、今はっきりと決断できました。先ほど、先生方が言われたように、手術をして悪性ではなかったら、それはそれで嬉しいし、悪性だったら早く見つけていただいてよかったとどちらの結果がでてもよかったと思える気がするからです。決断が出来てすっきりしました。あとはお任せするだけです。」
このSさんの言葉を聞いて、実は、涙が出るくらい嬉しく思いました。「結果の如何に関わらずよかったと思っていただけるような決断の支援ができることが医療判断の真骨頂、そのような関係こそが主侍医倶楽部の真髄」という僕の思いそのものだったからです。普通は「悪性でなければ、余計な手術を勧められた。悪性であれば、3ヶ月の経過観察などせずに、年明けすぐにでも手術をしてほしかった。」となるのが人情です。でも、そういわれると我々も生身の人間、とても悲しくなり主侍医稼業を続けていけるかどうかいつも悩むところでもあるのです。
そして、翌々日の3月12日、Oドクターの再診を予約し、決断をお話しされ、同月23日入院、24日手術というスムーズな予定となりました。ところが、24日当日、VATSと呼ぶ、胸腔鏡による部分切除の予定でしたが、手術中に腫瘤の迅速病理診断を行ったところ、悪性細胞がみつかり、急遽、開胸による上葉切除術に変更することになりました。数時間の予定の手術が一日がかりとなり、ご家族も心配されましたが無事終了。それでも29日には、ドレーンなどの管も抜けシャワーも可能だし食欲旺盛。4月1日には退院となりました。
退院後の4月7日、Sさんが奥様とお元気な姿でご挨拶に来られました。その際、Oドクターと「手術をしてよかったですね。でも毎年あのような精密人間ドックをしていたお陰でしょう。」「いえ、今回が20年来初めての人間ドックでした。」「えっ?それはなんと運の強いお方なのでしょうか!」という会話があったことをお聞きしました。
「Sさんの強運と、それを支えてくれたご友人Hさんの温かい思いやりのお陰です。我々に対し厚い信頼をしていただいたことで、よりスムーズに進みました。主侍医冥利につきる出来事で、こちらからこそお礼を言いたい気持ちです。」と心からお喜びしました。

事実に基づいて、長いお話をしました。主侍医とクライアントの皆様の関係の理想的な出来事でしたし、Sさんのご快諾を得ましたので、日頃の我々の活動の一端をお知らせするよい機会と思いご紹介させていただきました。主侍医の活動はともすれば非常に困難で辛いことが多いのですが、このようにお役に立てた時は喜びもひとしおです。僕も今年は57歳ですので、後輩の育成や継続性のあるプライベイトドクターのシステムの構築を進めていきたいと思っております。今の形の主侍医の新規ご契約を制限し、もう少し軽い形で医師側も参加しやすく、またクライアントの方の負担も軽減できるようなシステムの運営を進めていきたく考えております。皆様からの更なるご支援をいただければ幸甚でございます。

「患者中心」医療から「人間中心」医療へ

「患者中心主義」は、医療の理念の代表のひとつである。だれもが賛成せざるを得ない理念である。拙著の「私を救う医者はどこ?」の前書きの冒頭でも「人間の幸福な生活の一助のためにのみ医療は存在する」と言い切っている。これも「患者中心主義」を表しているようではあるが、次に続く文章で「こんな当たり前のことを、患者側医師側などという枠組みでなく、国民みんなで再確認しよう」と書いた。 相変わらず「医療崩壊」という言葉が繰り返されている。皮肉なことだが、もしや、この「患者中心主義」が関連しているのではと僕は空想してみた。「患者中心主義」が「患者様」と言う言葉を生み出した。どこかでよく聞く言葉である。そう、「お客様」という言葉である。ある歌手が言った言葉を思い出す。「お客様は神様です」いわゆる「商売」からしてみればそうなるだろう。その通り「患者様」を「お客様」にみたてて、医療機関に置いてもサービス精神の必要性が叫ばれた。今までの「ぶっきらぼうな」医療機関にとっては、とても大切なことだと僕も思った。しかし、日本人は、独創的なことは苦手だが、一旦みなが同じ方向に進む場合に、行き過ぎる性癖があると僕は感じ自戒もしているところだ。案の定、エステサロンやビタミンショップとまがうようなクリニックがあれよあれよという間に乱立した。アンチエイジングの本来の崇高な意味合いを単に商売道具に使ったようなところも乱立し、真面目に取り組んでいる医師は戸惑っているに違いない。他の機会で述べるが、医師の偏在の要因のひとつと言えると僕は思っている。 これとは反対に、多くの真摯な医師たちは「患者中心主義」を全うしようと日々懸命の努力をした。しかし、医療の不確実性、病気や死の宿命性、限られた(少ないと言える)医療資源という環境のなか、お客様として増大しつつある「期待」「要望」「要求」「批判」「非難」「攻撃」の前に疲弊した。それでも経営者や世論が守ってくれないどころか、「患者様が苦しむ前で、へこたれるとは何たることか!」と叱責した。耐えきれない勤務医たちは、大学教授や大病院の部長という地位を捨ててでも病院を飛び出した。ある医師が表現しているところの「立ち去り型サボタージュ」という現象である。 そもそも、日本の医療保険制度ほど充実したシステムは世界中を探してもなかなか見あたらない。その証拠に、かの大国アメリカが日本のシステムを模倣しようとしたが、「我が国民には不可能なシステムだ」と絶賛したことは有名な話しだ。その保険システムが今まで維持できたのは、医師を始めとした多くの医療従事者の犠牲的努力の上であったといっても過言ではないと思っている。 今、アメリカのオバマ大統領から叩かれている金融業界や日本でも「一億円以上の年俸を公表する」ことに猛反対している大企業(の役員たち)を、まじめな医師たちは、別世界のように呆然と眺めている。実際、医療界のリーダたちと企業のリーダーたちと話しをしていても、根本的な発想は全然違う。勿論、双方の方々をそれぞれに尊敬できるのだが。 そもそも「開業医の報酬と勤務医の報酬の格差」などということに天下の一流マスコミが何度も報道していることに奇異さを感じている。国民を混乱させている要因ではなかろうか。再診料が690円か710円かを論争したり、外科医が数名、その他のスタッフが数名以上一日専念する大手術の費用がたいていは驚くことに100万円以下だ。確かに「100万円」はたいした金額だ。しかし、この費用の中には、その多くを占める医療機器や材料、薬剤などの他に、場合により数度以上、数時間以上かけた患者や家族への説明などの労力も含まれることになり、そういった医療者の努力への報酬は全く考慮されていないと、ある外科医が苦渋の表情で僕に話したことが印象的だった。医療技術の発達とともに、個別の医療にかかる経費も上昇し、また、国民の医療利用率も増大している。これを国民の保険拠出金でまかなうことに無理がかかってきたのも必然のことである。思い切った改革が必要なときだが、だれも火中の栗を拾いたくない。 僕は、この文章を「医師の立場で自己擁護のために」書いているのではない。実際、僕はほとんど保険の頼らない活動をしているから、直接利害とは関係なく、俯瞰的立場で見ることができる。日本の医療を少しでも向上し安心できる体制を作るための「医療評論家」や医療を受ける側の国民の立場で書いているつもりだ。その気持ちで、標記の提言を考えた。 「日本の国民に取って最大の利益を得るため」の医療の実現のためには、今こそ「人間中心」の医療体制を整備することが急務だと考えた。医師をはじめとする医療スタッフも同じ人間だし、「医療もサービス業のひとつ」という反論はあろうが、「医療は普通の企業や商売にはなりえない」という基本的考えからである。国民総力で守っていかないといけない。医療を「教育」や「政治」などに置き換えても似ている。多様性が進化した現在では、「基本的な医療は」とか「基本的な教育」としたほうが正確かもしれない。「病院に集うもの皆が、快適で安心し納得できるような医療環境」の実現を目指すことが「医療崩壊からの脱却シナリオ」の発想だと言いたい。口で言うのは簡単だが、具体案に関しては次回以降に譲りたいと思う。

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