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東北関東大地震、被災の方々にお見舞いとお悔やみを申し上げると共に、直接救済に当たる方々に感謝し、その他の方々の暖かい支援に感動しています。

突然の出来事がまだ夢の中にいるようです。3月11日午後2時45分ごろ、事務所で妻とPC画面に見入っていました。この3月に還暦を迎える友人のサプライズパーティを企画するための情報集めのためです。なんと平和な情景だったことでしょうか。金曜日の3時前であり、事務所の電話もならず、このまま平和な一日、一週間が終わるのかな、という気持ちも芽生えた頃合です。僕の事務所は、契約者の方が、健康上の困ったことや一大事の時に連絡があるから、電話が無いということは平穏無事なよいことなのです。最初は、妻が体を揺すっているのかとも思っていたのが、めまいではないかという思いにかわり、これは地震だと思うまでの数秒がまるで数分以上あったように思い出します。いよいよ揺れが強くなり隣室の事務室へ行き、スタッフ3名と立ったまま呆然としていました。全くといってよいほど、呆然とする以外にするべきことが浮かばないのです。「心配していた関東大震災がついにきた」と覚悟しました。10秒程度でかなりの覚悟をしてしまうのだから、人間の対応力にも自ら驚きました。スタッフの一人が、インターネットで調べて「宮城が震源地らしい」と叫ぶ。「仙台にいる息子は大丈夫か?」頭をよぎりました。少し揺れが落ち着いたところで、テレビをつけてニュースをみる。数分後には「大津波が襲う。東北地方は厳戒態勢を」との報道。東京の揺れのすごさにも驚くが、震源地が宮城の方であり、津波もあると聞くと「一体どうなるのか。息子は大丈夫か?」あっという間にテレビの映像で、凄まじい津波の様子がリアルに映される。夢の中の地獄のようで、現実感がない。すぐに息子の携帯へ電話するも、つながらない。メールも同じ。これは覚悟しなければならない。妻にどのように伝えるか。それを考えただけでも、辛い、辛すぎる。ほんの数分前まで、平和に過ごしていたのに。

 

東京より北の被災地の人々は、おおよそ同じような状況であったでしょう。大きな被害を逃れた人々は、このようにこの2日間をずいぶん昔のように思い出していることでしょう。大きな被害に会われた方々は、現在もなお被害が進行中で、思い出すというどころではないでしょう。

 

被災地にいる息子とも昨夜10時にようやく電話で連絡がとれ声を聞くことができました。他の被害者がたくさんいるのに不謹慎ですが、安堵の気持ちで声がつまりました。僕も知っている友人のご実家にお世話になっているとのことでした。お父さんは牧師さんで、その教会の近くだそうです。「神様に助けていただいたのだから、今度は被災のみなさんに出来るだけのことはしなさい。そしてこれからの人生もこのことを忘れず、人のために尽くしなさい」妻が息子に伝えました。

 

同様の体験をし、深い悲しみに泣き崩れている方、安堵の涙を出されている方、何かしてあげたいが何も出来ないと地団駄踏んでいる方などいらっしゃるでしょう。僕も、最初は父親として息子にしてやれる最大のことは何か、と考えました。息子の消息が判明し、次は息子の周囲にいる人たちへ何が出来るか、と考えました。テレビの報道をみるにつけ、その次は何が出来るかと考えました。まるで何も出来ない自分がはがゆい。

 

この大地震を通じて、わずかな間ですが、いろいろなことを教えられました。そのことをみなさんに発信することは出来る。僕の本来の仕事を着実に続けながら、せめてそんなことを通じて、お役に立ちたいと思いました。みなさん方も、各人が少しでもできることからしていきましょう。それが大きな力になっていきます。

「東北関東大震災に教えられたこと」を思いつくまま、興奮が冷めやらないうちに書下ろし、ホームページに載せていきたいと思います。

これは僕の本来の仕事「医療決断の支援」の精神にもつながるものと思っています。

(内容に鑑みて、僕の本来の文体ではなく、です、ます調にて書かせて頂きますことをご了解下さい) 

作成:2011/03/14

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