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240109 中江兆民の教え、天晴れ、事故機の機長とクルーたち

2024年01月09日

NHKの「100分で名著」は、安直にいわゆる名著のあらすじを知るには重宝な番組だ。でも、それをきっかけに、本格的にその作者に没頭していくきっかけとしても有用だ。僕にとって、その一つとして「アリストテレスのニコマコス哲学」があり、とても頭の整理に助かっている。最近、「中江兆民」についてのシリーズがあった。名前は聞いたことがあり、板垣退助と近い人だったという中学生の教科書的知識しかなかったが、その中の言葉が気になった。
「普遍的な真理である<善>を語れば陳腐であるが、行えば奇行と言えよう」というような文であったと記憶している。
選挙の時だけは聞こえのいいことばかり言っているのに、やっていることはどうなっているの?と言いたくなる政治家がほとんどだと嘆いている御仁は多い。番組でも言っていたが、今の政治家にこそ中江兆民を読ませたいと思った。ただ、中江兆民については、今のところ100分のテレビ番組の知識しかない僕には、偉そうに言える資格はないが。

1月1日には、能登大地震、翌2日には、航空機事故と2日続けて地獄絵図を見た。燃え盛る旅客機を見て、乗員乗客は全滅だろうと吐き気を抑えながらテレビ画面を見ていたが、全員救出に喝采し、後ほどの報道では、クルーの的確な判断と行動、最後に全員の脱出を確かめてかろうじて自らも脱出した機長、という話。日本中で多くの人が感動の涙を流したであろう。まさに中江兆民の言うところの「素晴らしい奇行」であった。その後、能登地震の報道でも、様々な人が命がけで救助活動をしている姿が映し出される。もう一つの投稿で書いた、弱い人間だが力を合わせてピンチを切り抜けていく姿そのものだ。

一方残念な話だが、こういった大災害に乗じて、泥棒や詐欺などが横行しているというニュースも報道されている。その人たちは、一体どのような教訓を親からもらって育ったのだろう?
今回の機長の行動を格好良いと感じないのだろうか?

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240109新年のご挨拶 神様お願い

2024年01月09日

今年こそは、明るい話ができる年に!と思っていたら、大地震、大事故ととても暗い幕開けとなってしまった。昨年末は、現職国会議員たちの事務所の家宅捜索という「永田町の激震」で年末の幕を閉じたのに、年が明けたら、本当の地震が起きてしまった。「政治家が悪いから、、、、」「権力者が悪いから、、、、」「あの人が悪いから、、、」などと人のせいにすると気分が悪くなるから、「そうだ!神様のせいにしよう!」という心のマントラの一つを提案したことがある。神様は、きっと心がお広いので、自分のせいにされても寛大な気持ちでいてくれるだろうから。それにしても、この世界中の悲劇のニュースを見る限り、神様の存在には懐疑的になる。少なくとも善意の神様と悪意の神様の両方がいるに違いない。そうなると、我々人間は、悪意の神様に対して、(善意の神様の力も借りながら)対抗していかなければならない。人間同士が戦ったり、騙し合いをしたり、弱者から搾取したりしている場合ではない。今回の地震を見ても、悪意の神様は強大な力を持ち、容赦なく人間を襲ってくる。我々人間の力は弱く、力を合わせてようやく凌いでいくのが精一杯である。

医学の世界も同じだ。人類の叡智でいろいろな病気のことがわかり、一昔前では対処できなかったある種の病気が制圧できるようになった。しかし、コロナで経験したように、風邪のウイルス(ごとき!)の改造バージョンが、これだけ世界中の人類を痛めつけた。悪意の神様が改造したのか、はたまた人間の手によるものかは知らないが、少なくとも悪意の神様が加担していることには間違い無いであろう。

新年早々、今年も悲観的な話になったが、今後は人類が普遍的に求めているはずの「幸せ」や「善」についての、明るい考察をしていきたいと思っている。僕が目指している「幸せ論哲学家、思想家」としての立ち位置を整えていきたい。今年の年賀状に書いた「親からもらった教訓集」の上梓も目論んでいる。

(著者注)文中の「悪意の神様」は「自然の脅威」に置き換えることを神様の名誉のために薦める。

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230704 豊かさ・幸せを哲学する12 「大企業・富裕層への課税強化」と言う日経新聞記事に拍手

2023年07月04日

3日前に、久々のブログを書いた。日経新聞記事で「豊田章男の高額所得」と言う記事に触発されて経済格差のことを少しばかり。今度は昨日日経新聞朝刊の経済教室欄で、このブログタイトルのような記事に目が止まった。岸田首相の「異次元の少子化対策」などの社会保障の財源問題に対して、3名の経済学者や社会学者が「あるべき財源論議」と言うサブタイトルの3日間シリーズの3論文の3つ目にあたる。論者は、伊藤周平鹿児島大学教授で、ポイントは、「社会保障関連のさらなる給付抑制避けよ」「世界的に多国籍企業への課税強める方向」「所得税の累進性や金融所得課税の強化を」の3点にまとめている。3名ともに、財源に触れずに効果だけを主張するのは良くない、との意見は同じであるが、他の2名の方の論点は明確ではなく、消費税をあげるしかないという意見と社会保障と税を一体で考えるべきという具体策が感じられないものである。この伊藤さんの考えは論点がはっきりしていて大企業や富裕層に対して、毅然とした歯に衣を着せぬ明快な意見である。堂々とこういった意見を言える政治家はいるのだろうか?選挙を意識し、大企業の有力者との繋がりを無視できず、結局は顔の見えない一般国民に負担を押し付けることになってしまうのがオチである。赤字国債で賄っても一種のマネーロンダリングのようなもので同じことである。

この記事を見られる人は、昨日の新聞を撮っているか電子版を利用している人に限られるだろうから、論旨がわかるように重要箇所を抜粋してみる。

以下伊藤周平さんの記事より抜粋

「経済界は社会保障の安定財源とされる消費税による財源確保を主張している。しかし消費税は逆進性が強く、その増税は貧困や格差を拡大し、、、」「岸田政権は、、、、歳出削減を中核にせざるを得なかった」「歳出削減の最大のターゲットとされるのが、歳出の最大項目である社会保障費だ、、、、徹底した給付抑制が予定されている」「歴代政権のもと、社会保障ひは自然増という必要な費用までが削減されてきた」「社会保障の削減、特に医療費抑制制作がコロナ禍で病床の不足を招き、、、、悲惨な結果をもたらした」「経済のグローバル化の中で、富裕層や多国籍企業はタックスヘイブンと呼ばれる税負担や金融規制がほとんどない国に資金を移し、巧みに税負担を回避してきた」「、、、多国籍企業を呼び込むために、法人税率の引き下げを競ってきた。日本でも消費税の増税に伴わせて法人税が減税されてきた」「日本では、多くの減税措置を利用できる大企業の実際の平均税負担率は、表面上の実効税率よりもはるかに低い10%台との指摘もある」「所得税のフラット化も進んだ」「所得税の平均税率は所得1億円でピークを打ち、それ以上の所得階層では所得が高くなるほど税負担率が下がると言う逆進的な構造が生まれた」「コロナ禍の下でも大きな利益を上げ続けてきた大企業や富裕層への課税強化で賄うべきだと言う国際的な合意が出来つつある」「諸特区税については、最高税率の水準を86年水準まで戻せば、相当の税収増になるはずだ」「法人税については、基本税率を30%に戻し、、、、所得時江南の累進税りつに変更すれば、、、中小企業は現行よりも低い税率で、、、、」結論として「各国が法人税率の引き下げ競争をやめて増税にシフトし、多国籍企業や富裕層に対する課税強化の国際的協力が進み始めている今こそ、日本も社会保障の削減でなく、応能負担原則に基づいた税制改革、それによる財源確保の方向に政策転換すべきだ」

抜粋終わり

以上、個人的な見解で、勝手に記事の抜粋をした。できれば全文をお読みいただきたいが、かなり多くの部分を抜粋したので、内容はきちんと理解いただけるかと思う。テレビや新聞などによく登場する経済学者と名乗る人たちの多くは、政府や大企業の御用学者かと思われるような人が多く、そうではなくても具体的な方法論はなく、単なる理想論に留まるものが多いと感じている。
この伊藤氏の、論文記事は、政府や大企業などの権力にも追従せず論理や主張が明確で、久々にすっきりしたので、この場を借りて紹介した。伊藤氏の許可も得ていないので、正確には全文を入手して読破してもらいたい。

伊藤周平先生、頑張ってください!応援します!

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220106 新年のご挨拶

2022年01月06日

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211020 コロナが教える人の道55「出来ない」理由を言う癖

2021年10月20日

モーニングショーか何かの中で、誰かが「日本の政府は、、、、だから、、、出来ない。という言い訳ばかりだ」と言うような発言をしていた。僕が格好悪いと思っている行動パターンの代表に「愚痴」「言い訳」「人のせい」がある。嫌いなはずだが、気がついたらついついそうしている自分を発見することも少なくない。前回、このブログを更新してから早4ヶ月も経ってしまった。「コロナ感染の急増もあり、患者さんの相談でてんやわんやだった、、、」とか「入院治療が必要なのに入院できない患者さんをサポートするのに酷く時間がかかって、、、」「ワクチン接種の協力などもあり、、、」などついつい「言い訳」を探してしまう。
しかし、外食はできずともゴルフなどする余裕はあったから、言い訳無用である。反対していたオリンピックもテレビで楽しませていただいた。毎日鰻登りに増えていくコロナ感染者数の情報を聞くたびに「油断をしているからだ」「オリンピックを中止する英断ができなかったからだ」「検査体制を充実できなかったからだ」などと「愚痴」が次から次へと出てくる。「政治家のせいだ」と「人のせい」にしたくなる。
この夏の、コロナ感染者の急増による医療の危機(すでに一部では崩壊していたと思います)は、一般の方はもちろん、我々医療従事者にとっても身震いするものだった。コロナでなく、普通の病気でも入院できないという状況で、僕自身も皆様からのご依頼に応えて、緊急受診や入院のお手伝いが極めて困難だった。幸い、全てのご依頼になんとか応えることができて、無事入院治療が叶い、難を逃れることができた。中には心臓病や脳血管の重要な手術などもあった。普段なら、自分のネットワークで無理なくできたことだ。友人の弟さんがコロナで重症化しているにもかかわらず、病院受診もできずに苦しんでいると友人が困り果てて電話があった。その方の近くの病院を探すが、見つからない。入院時治療として使うステロイド投与の処方を手助けしてギリギリ難を逃れたこともあった。今から思うとヒヤヒヤものだった。
コロナ禍に対して何もできないと思っていたが、振り返ってみると小規模ながらも身近な人には結構活躍できたかもしれない、と自身を慰めている。
つい先日、仲間の医者達とゴルフをした時に、別のお客さんについていたキャディーさんが近寄ってきて「寺下先生ですよね」と呼びかけてくれた。思わず「何か悪いことしたかな?」とのけぞった。続いて「先生のブログのファンなのです」「えっ、ほんとですか?」「でも、最近更新していないですね!」「..............」
「言い訳」はみっともない。堂々と「ついブログの執筆を怠けていました、、」と素直に言った方が潔い。「近いうちに更新します」と笑顔で。なんといっても思わぬところでの読者の発見に元気が出た。

 

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210414コロナが教える人の道53感染しないさせないための意識とは

2021年04月14日

久々に、昨日このブログを書いたら、夜のニュース番組で、「何よりも国民の意識が大切です」という誰かのコメントを耳にした。僕のブログを見てくれた人だ!と思いたいところだが、このブログの零細さを十分に自覚はしている。少なくとも、そのコメンテイターの真似をしているのではないのだが、そういうふうに思っている人が少なからずいることに安心はした。
というのも数日前に近所の人気の小さな町中華屋さんに妻と早めの夕食であれば混んでいないかなと覗いてみた。店員さんが「2名でしたらすぐ空きます!」と呼び入れてくれた。ラッキーと思っていたら「相席でお願いします」との声。今回の緊急事態宣言前ごろから来ていなかったが、何らかの対策をしているかと思っていたが、元々狭い座席に詰まって座る店なのに、相席とは!一瞬怯んでやめようかとも思ったが、短時間で済ませるし、、、と思い中に入ると、いつも年配の常連さんが多い店なのに、ほとんどが20歳代のお客さんで溢れかえっている。示された相席では、隣の方と腕が触れ合うほど。対面には、申し訳程度のビニールのシートが弱々しく垂れ下がっている。「えい、ままよっ!」と席についた。なかなか注文を取りに来てくれないので、妻が声がけするも気づいてくれない。すると隣のカップルと思しき若い二人組の男の子が店員に気付くようにキョロキョロと目配せしてくれている。周りを見ると、男女のカップルがほとんどだ。4月のこの時期なので、近くの大学に入学した学生たちなのかもしれない。コロナの感染のことがあるから、その混雑ぶりに当惑したが、そこにいる若者たちの様子は、周囲の方に配慮して、とても静かに話していて、とても好感がもてた。隣のカップルは、食事が終わるときちんと手を合わせて「ご馳走様」と呟きながら、我々の邪魔にならないように気を配りながら離席していった。若者たちの感染を無視した行動がテレビで報道されるが、全くそのような傾向はなく、警戒する我々の方が恥ずかしいくらいであった。
それにしても、席を少なくして間隔を開けるどころか、ビッチリと窮屈に相席をさせている売り上げ至上主義の経営方針にとても違和感を覚えた。テレビにもよく登場して、いつも行列ができる店で、このコロナの中どう考えても経営は良好であろう。もともと8時を過ぎると店じまいになる。こういった店にも、同じく助成金を支払っているのであろうか?貴重な税金を!

政治や官僚にとって、公正な判断と公正な処置は難しいのは否めない。そこをなんとか工夫して乗り切っていくのが、選ばれし者たちの任務である。
「会食の自粛」「ステイホーム」など言いにくいことを伝えなければならない立場の模範になるべき人々が、まず、しっかりとした意識を持って欲しいものである。

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210413コロナが教える人の道52我慢の限界か?細やかな配慮と意識に期待

2021年04月13日

前回、2月16日に投稿してから2か月も経過してしまった。あのまま感染者が抑制され、無事ワクチン接種へとつながり、オリンピック実現も満更夢のまた夢ではなくなるのではないか、と期待していたが、ご覧の通りの惨状となってしまった。大阪をはじめとした関西の様子を見ても、残念ながら人の動きと連動していることは否めない。一体いつまで?我慢も一部では限界に来ているようにも見える。そもそも「我慢の限界とはなんぞや?」何と比較すればいいのか?何をどのように我慢をすればいいのか?国民は、その指標を見失いつつある。
僕の周りの人たちは「1年間外食していない」「昨年初めから、可愛い甥っ子にも合っていない」など、自ら厳しい感染防御行動をとっている方が少なからずいる。周囲にはシニアの方が多いからだろう。確かに、最近の東京の新規感染状況を見ても、65歳以上の感染者はかなり低く抑えられている。圧倒的に20、30歳代の感染者が多い。4月のこの時期、特にその年代の人々の活動する機会が多いから当然のことであろう。その年代の感染者がうねりを持って他の年代に拡大していくことが予想され警戒もされている。またもう一つ気がかりなのは、小学生中学生の感染者がじりじりと増えていくことだ。小中学校での集団感染が発生し始めると、抑えが効かなくなるし、この時点でさらに学校閉鎖が広がると教育現場の混乱は必至である。
頼みの綱は「ワクチンの普及と効果」だと、多くの人は期待している。イギリス、アメリカ、イスラエルなどを観察するとその通りだと僕も思う。
欧米の悲惨な状況に比べると、日本の感染拡大は、その人口密度や人の流れに比して、低く抑えられていることも事実であろう。その最大の理由は、国民一人一人の「細やかな配慮と意識」であろうと僕は推察している。確かに、一部の若者(中高年の中にもいるであろうが)の傍若無人な行動の報道には、目を背けたくなるが、身の回りの若者を見ている限りでは、活動はするものの、周囲の人への配慮はきちんとしている人の方が圧倒的に多い。そういった「細やかな配慮と意識」は我慢ではない。それぞれの人の、人間性や品性だ。
暗くて嫌なニュースが多い昨今、昨日嬉しいニュースが日本中を駆け巡った。「松山のマスターズ優勝」優勝パット直後、キャディーの早藤くんが旗をホールに戻した後、コースに向かって一礼した。我々日本人にとっては珍しくもないであろうが、その行為に世界中で称賛の声が上がっているということを聞いて、鼻がたかい日本人も多い。人種差別の多い地域だけに、その意義は深い。ありがとう!

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210216コロナが教える人の道51 国民の努力も報われつつある

2021年02月16日

新規感染者数は、なんとかピークをうち明らかな減少傾向を示している。東京都での感染者数の凄まじい増加を見て、大方の国民が危機感を感じ、政府が緊急事態宣言を発する前から、減少傾向が見られたと推測している。10日から2週間のタイムラグを考えるとそうであろう。もちろん緊急事態宣言による外出、外食の自粛要請の効果も加味されて今のような継続的な現象につながっていることは間違い無いであろう。日本大学の広報にある「あと少し!あと少し!」と掛け声をかけたくなる気分ではある。一部の人たちは、年齢にかかわらず感染を助長している行動をしていることは想像に難く無い。しかし、大半の日本人は、自らの感染を恐れることもあろうが、社会全体のためにも自粛の努力をしている。今のところは罰則もないにも拘らずだから、世界的に見ても誇れる部分もあると思っている。これからのワクチン接種についても、いろいろ不安や恐れもあるだろうが、自分のためにも社会のためにも積極的に接種するという気運に従おうと考えている日本人は過半であろう。自分あっての社会、社会あっての自分ということも、このコロナ禍が教えてくれた大切なことと思っている。
それにしても、この1年の出来事はいろいろなことを我々に教えてくれた。僕の「幸せ論思想家」としての思いにも、いろいろとヒントを吹き込んでくれた。今後は「豊かさ・幸せを哲学する」のコーナーを中心に書き進めたいと考えている。もちろんこのコロナのコーナーでも、新しい事態が起こるたびに意見を上梓したいと考えている。

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210119コロナが教える人の道50 愚痴・言い訳・人のせい

2021年01月19日

テレビニュースに流れる政府要人、特に菅総理の演説(弁明?弁解、、、?)を、聞いていてあまりにも情けなく、頼りなく、新規感染者は高止まり、それもそのはず渋谷など都市部の人の往来は激減どころか、、、という状況、一方、医師仲間からは「すでに医療崩壊は起きていいる!」という悲痛な叫びが聞こえてくる、そんな中、このブログも筆、いやキーボードをとる気にもなれずに、新年のご挨拶から2週間も経った。むむっ、これこそまさに恥ずかしながらの「愚痴、言い訳、人のせい」ではないか!ご拝察の通り、今回のタイトルは、僕が忌み嫌う行動である。人は困難にぶつかり、それに対応できない時に使用する武器として「愚痴・言い訳・人のせい」があるのだなと認めざるを得ない。政治家の大きな役割は、いろいろあろうが、なかんずく二つあると思っている。リーダーシップをきちんととり、判断決断を厳格かつ迅速に行い、配下の専門家たちの指揮を取ることだ。それとともに、さらに大切だと僕は思うのだが、自ら模範を示すことだ。この2点において、今の政府、総理はどうだろうか?説明の必要はないであろう。
国民の皆さん、と言ってもこのブログをご覧いただいているのはごくわずかの友人知人のみであろうが、一人一人ができるだけの正確な知識と情報を持つ努力をして、これ以上の感染の拡大に自ら加担することが一切ないように日々の行動を見つめたい。それを日本の人々がなしえたら、数ヶ月後の未来には日の光が見えてくるに違いないと思っている。
たまたま、これを読んでいただいた有り難い皆様。ぜひ周囲の皆様の模範となっていただきたい。

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210105コロナが教える人の道49 いよいよ山場だ!

2021年01月05日

新年おめでとうございます。

と言っても、そのような状況ではない。みなさん、今まで経験したことのないようなお正月をお迎えのことと拝察している。
僕の零細な事務所でも、コロナ感染についての相談が年末から急増している。
これからの2、3ヶ月は、今回のコロナ禍の山場だと武者震いをしている。効果がありそうなワクチンの供給が目前である。しかし、感染の拡大は急激で、すぐ近くに感染者が出現している。まるで、映画の中のクライマックスシーンの如きの窮地の状況である。2度目の緊急事態宣言も目前である。国や都のリーダーたちが、責任の擦り合いに近い状況での、緊急事態宣言や飲食店の時短要請など、若干(かなり)嘆かわしい部分もあるが、とにかくこの数ヶ月は、感染しない感染させない行動に注力すべきところである。
みなさんがたも、それぞれの立場や状況で最大限考えての行動を期待している。コロナ前の行動から、してはいけないことを引き算していく考え方を変えてみるのはいかがだろうか?何もしないでじっと家にいるのが感染症防御の観点からではベストだが、そこを基本に据えながら、各人の職務を果たしたり、生活の潤いも考えての行動を足し算していく考え方が分かりやすく効果的ではないだろうか。

短文ではるが、取り急ぎ緊急メッセージとして掲載する。

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2001218コロナが教える人の道48 「リメンバー GO TO!」

2020年12月18日

3週間前に書いた「悪い予感が的中してしまった」が、事態はさらに悪い方向へと拡大進行している。果たして、ワクチンが入手できて多くの国民に摂取できるまで持ちこたえることができるのだろうか?
それにしても夏前に感染者が一旦下火になり、新宿歌舞伎町のクラスターが震源地であることをせっかく突き止めたのにも関わらず、強い対策が取れないまま、全国の繁華街に飛び散り、今や一般家庭まで浸透してしまった。(新宿中心の感染のピークは第2波、11月ごろからの感染拡大を第3波と呼んでいるが、僕の個人的な見方では、第2波は第3波の前兆であり繋がっている、と考えている)。「家庭内感染が問題!」と結果に対してあれこれ論議しているのが現状である。第2波初期に十分強力な対策が取れなかったことへの反省と今後の改善に対する強い意志が見えてこない。それどころか、国は(政府は)「GO TO」事業という感染を拡めるアクセルを踏みっぱなしである。(国民の内閣支持率の急落を受けて、ようやく年末年始限定で停止することに合意した』その理由として、「 GO TOが感染を広めていると言う直接証拠はない!」と言っている。僕はいつも言っていることだが、小説の中でも、現実においても「『証拠を出せ』という人は犯人であることが多い。総理の言うところの「公助」とは一体なんだろうか?高齢社会の是正でも企んでいるのか?はたまた観光業会などとまたもや利害のつながりでもあるのか?
コロナ治療の最前線で過酷な労働を担っている医療従事者たちは、春ごろから「GO TO」どころか、親や親戚、離れた友人などとも会っていないと聞く。それどころか、ボーナスなども減額されている人も多いらしい。病院が赤字だからである。それこそ、コロナを乗り切った時にこそ、そういった医療従事者のために、「GO TO」として、我々の税金を投入して心からの感謝を持って慰労をしてあげるべきではないだろうか?それなら国民は納得するのではないだろうか?

国民をギリギリの窮地に追いやっているのは紛れもなく「経済優先と称する、感染拡大に対する無策どころか感染を助長している政府の態度」である。もちろん、そればかりが原因ではないだろうが、大きな要因になっていることは、直接的証拠がなくても良識的かつ常識的推論から明らかである。
例えば、100年前のスペイン風邪の例をとっても3年で収束している。ましてや、進化した医学医療技術がある現在では、1,2年で押さえ込むことも期待できる。経済をなんとか持たせて、コロナがある程度落ち着いてから、V字回復に持ち込むことこそ政治の手腕ではないだろうか?

毎日のように、総理や官邸の人々の心のこもっていない(としか思えない)コメントを聞いていると腹立たしくまた情けない。最前線で、使命感のみで踏ん張っている医師や看護師はじめとする医療人たちへのリスペクトは全く感じられない。もともと医療を締め付けようとしていた政策を実行中だった時であったからだろう、という話も聞く。まさかとは思うが。一線の医療人が必死で働く中、国民の税金を使って、8人の大勢で、一人数万円以上もするステーキハウスでマスク会食も実行せずのうのうと舌鼓を打っているお姿を想像すると身の毛がよだつのは僕だけだろうか?

次回の総選挙の時には、この感染者急増の最中、「GO TO」を推し進めている政治家たちがとっている行動、言動を忘れてはいけない。いずれコロナ禍は収まるであろう。その時は、そんな政治家たちはまるで自分の手柄のように話すであろう。想像しただけで身震いする。
自助努力で、感染対策をきちんと行い、「GO TO」などに目もくれず、人との接触を極限まで我慢してきた多くの国民と、自らの命をかけてコロナ医療の最前線で対峙した医療人と、そのために手薄になった他の医療を支えてきた人々にこそ感謝しないといけない。彼らの懸命な姿の報道を見ると涙が出てくる。そういった人々で「国民の命を守る党」でも結成してくれれば、票を投じる国民は少なくないであろうに!

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2001124コロナが教える人の道47 嫌な予感が当たってしまった!

2020年11月24日

1ヶ月前の10月28日に書いたブログ「嫌な予感が当たらなければいいのだが、、、」の中の「嫌な予感」が当たってしまった。
だいたいからして、僕の「良い予感はなかなか当たらない」が、「悪い予感は当たることが多い」から、「やはり!」と思ってしまう。そんなことなら余計なことを書かなければと、根拠のない反省をしてしまう。落ち着いて冷静に考えると、前者の「予感」は「期待」であり、後者の「予感」は「推測」であるのだろう。マーフィーの法則もこの辺が盲点になっているのかもしれない。
しかし、このコロナの現況に関しては、まずは受け入れるしかない。「自助」としては、個々でできることは何か考え、実行していくしかない。「共助」としては、僕の場合は、医師としてできうる限りの情報の発信をしていくことだろうと思っている。「知識は最強のワクチン」は、1989年に事務所をオープンしてからの金言造語として使っている。「公助」は政治家にお願いするしかない。一国の総理は「公助として何ができるのか?」だけに集中して行動してほしいものだ。
日本も世界もコロナの拡大スピードは凄まじい。しかし、ワクチン開発や、抗体医薬など朗報も頻繁に聞かれるようになってきた。手放しに喜べるかどうかは今後の成果に期待したいが、「光明が見えてきた」ことには間違いない。もうあと半年ほど何とか持ち堪えて、凌ぎたいものだ。政府の舵取りと、ワクチンなどの効果に期待したい。溺れる人は、岸に近づいたもう一息というところで絶命することが多い、と昔聞いたことがある。今こそ、気を引き締めて、できることは何でもするという心構えが大切であろう。

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2001028コロナが教える人の道46 嫌な予感が当たらなければいいのだが、、

2020年10月28日

しばらくぶりに投稿する。この間に、日本の総理大臣も変わったが、世の中は大して変わらない。学術会議問題など、この辺の事情に関するコメントは別枠でしたいと考えている。

9月に入り、コロナの新規感染者数も減少傾向を見せていたが、ここにきて下げ止まりから、何やら怪しい動きだ。何よりも、欧米での感染者急増は決して「彼岸の火事」ではない。毒性の強弱の論議はさておくとしても、コロナの感染力は強大であることは間違いない。いったん増え始めると、山火事の如く消し止めることは至難の技である。日本が、ある一定のところで落ち着いているためか、「GO TO」政策の影響もあり、ここに来て一部の人たちの間では、かなり油断が生まれていると懸念している。感染者が急増し始めると、また春先のように医療状況も逼迫することは容易に想像できる。
ここは気を引き締めて行動することが肝要であろう。最も、街中を歩いていてもマスク着用率は99%を超えているから、国民の用心度は、世界的に見ても相当高いことは間違いない。
毎日の感染者数の年齢別内訳を見ていても、一部の人が拡散しているように見える。しかし、それが、徐々に、街全体へ広がりつつあるような雰囲気も漂っている。

医療分野は何事も予防が大切。過剰防衛と言われても仕方がないという認識が必要であろう。

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200908コロナが教える人の道45 またも感動、諦めない手を抜かない職人たち

2020年09月08日

コロナ騒ぎの中、いろいろな人間模様が織りなすドラマが各所で起こっている。このブログでも、日本のリーダーたる人たちへの失意を再三伝えてきた。コロナ禍のなか、素晴らしいリーダーになかなか出会わないことを体験したが、日常の生活の中では、ほっとするような人間像を見ることも少なくない。そんなおり、先日、長年懸案だった、築後20年の家屋のいろいろな修繕や追加工事を実行した。20年前に親友のインテリアデザイナーがプランして、その時工事を担当してくれ、以来信頼しているAさんに依頼した。今まで、何度かちょっとした工事をお願いしていたが、今回、専門外とも言えるような内容もお願いしたが、「何とかします」の一つ返事で引き受けてくれた。しかも相当安い見積もりだ。当日は4人の職人さんが朝イチ9時ぴったりに来てくれた。皆さん、このご時世なので、マスクを着用しているが、見覚えのある顔だ。全員が、同じ会社ではないらしいが、よく一緒に仕事をするということで、そのチームワークが素晴らしい。4人が、9カ所ある作業をある時は1:3、ある時は2:2とコンビを組みながら作業をしていく。実に自然に共同作業をこなしていく。木屑などのゴミが出れば、最も若い人がさっと掃除機をかけていく。これではもとよりきれいになるのでは?と申し訳なく思ってしまう。玄関に棚を作ったり、風呂場のシャワーヘッドを交換したり、築後20年にして初めてかける表札を取り付けたり、無理して依頼し、階段下に曲がった形のカーテンレールをつけていただいたり。そして、半ばついでに頼んだことだが、この数年、換気扇のスイッチが2、30回に一回作動するという具合に効かなくなり、メーカーに頼んでも「部品がないので、交換しかありませんね。」と冷たくあしらわれどうしたものかと思案していた。「無理かもしれませんが、スイッチ内部を覗いてみましょう」と。特別仕様の換気扇なので、複雑なパネルを一つ一つ外して、スイッチ部分を露出していく。パネルの外側は、妻は油汚れなどを清掃できていたが、裏側は清掃のチャンスはなく、相当油で汚れていたので、さりげなくこの機会に洗おうとタイミングを計っていたが、何と洗剤まで持ち込んで、手のあいた職人さんが次々ときれいに拭いてくれる。「あっ、自分たちでやります!」と声がけしたが、むなしく清掃まで任せることになった。スイッチ部分は、なかなか手強いが、こちらも清掃することで改善するかもしれない、と言いながら丁寧に4人がかりであれやこれやとして、試しにコードをつないでスイッチを入れてみるとファンが動くではないか!「モーターはまだまだきれいだからこのまま使えるぞ」と職人さんたちは嬉しそうに言う。僕が「さすがAさんチーム、諦めない、手を抜かないだ。僕が日頃自分に戒めていることなんです」と喜んで言う。「でも、諦めないと思って懸命にしているうちに壊してしまうこともあるんです」と一人の職人さんが苦笑いしながら。すかさず、僕も「だから、『やりすぎない!』と言う言葉も付け加えているんです」と、一同苦笑い。「皆さんのようなチームワークが、今の内閣や官僚にあれば、日本はもっとよくなるのですがね」
「これで、全て完了ですね」と言いながら、ばらした換気扇のパネルを順番に取り付けた。職人の方達が、あちこちに広げていた道具類を整理し彼らの車に積み込みに行った時に、妻と「長年オンオフに苦労した換気扇のスイッチだったけれど、これでポンっとつけられるね」と言いながら、ニコニコしながらスイッチを押してみた。が、、、な、なんとつかないではないか!「これは今更言えない、言えない」と妻。「でも言わないでいると、彼らは、我々が喜んでくれていると思っているのに、実はガッカリしていた、というのもかえって悪いよ。」と、自分を勇気付けながら、そして、ドキドキしながら「申し訳ありません。今再度試してみたら、また、点かなくなっているんです」と。せっかく完了したと思って、道具も片付け、帰り支度をしたというのに。僕が、職人さんたちの立場だったら、きっと嫌な顔をしていただろう。ところが、彼らは全くもって面倒がらずに、また道具を用意し、養生のビニールまで新たに貼り直すではないか!?「今度は慌てずに、もっと徹底的にスイッチ部分を清掃しよう」と4人ともに面倒そうな素振りは一切ない。それから1時間後、パネルなどを再装着した。問題なく、スイッチは作動した。そして3日後の今日も、快適に作動している。

僕自身が、日曜大工的なことは好きなので、こういった工事の時は、普段見ることの少ない、壁や天井の中を一緒に観察させていただくのであるが、大抵は職人さんたちの真面目さ、熱心さに感心、感動する。今回は、権力闘争に明け暮れる官邸の様子を目の当たりにしている時だけに、その感動はひとしおだった。

感謝の一言である。このような仕事をしたいものだ。(本日、たまたま患者さんのご家族から、感謝のお電話をいただき、僕も負けないぞ!と思った次第である、、、、)

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200814コロナが教える人の道44 ほうち?国家日本

2020年08月14日

新型コロナ陽性者が急増し、「自宅療養」「入院調整中」なる人が東京だけでも1000人を超えてきている。そもそも「宿泊療養」なども、聞こえの良いような言葉を作ってはいるが、要するに指定感染症に認定しているにもかかわらず、病床が追っつかないので、苦し紛れの対策に最もらしいネーミングをつけただけである。「この感染症に対する予測が甘く間違っていました」と、まず、政府や厚労省が間違いを認めることをしないから、どんどん混乱が広まっていく。いまだにPCR検査が身詰まりを起こしているのは良い例だ。「過ちを認めないと進化や改善はない」と、以前にも述べたが、鉄則ではないだろうか?「調整中」と言っているうちに、2週間もすれ軽症者は、回復していくことを期待しているのだろうが、その間、軽症者の中には、動き回る人は少なからずいる。残念ながら間違いない。つまり感染者を野放しにしているのと同じである。これでは医療者がいくら頑張っても、次から次へと感染者は増える一方である。「法治国家」と自称する日本だが「放置国家」となってしまっている。政府や厚労省よ、周囲から嫌われる覚悟で国民の命を守るために、賢明で勇貴ある行動を願う。

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200814コロナが教える人の道43 政府が放つGoTo爆弾に苦しむ沖縄

2020年08月14日

沖縄のコロナ感染者が急増している。米軍が持ち込んだコロナに加えて、GoToで炙り出され沖縄に乗り込んだ旅行者が持ち込んだことに疑いの余地はない。政府は何もしないどころか、感染対策にとってしてはいけないことをやっている。「経済を回す」という金科玉条を振りかざして。そして、半額になるなら旅費が高くて割引額が増える沖縄に行こうと言うさもしい考えが根底に流れ、ご覧のような惨状となっている。本来の目的を見失って見返りに期待して飛びついて、「ふるさと納税」び群がる人々となんだか似ている。そもそも高収入者に有利なこの仕組みは僕は嫌いだが。

それにしてもいい加減にして欲しい、政府の無策と横暴。

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200806コロナが教える人の道42 最善を祈り、最悪に備える

2020年08月06日

「最善を祈り(期待し)、最悪に備える(想定する)」言い古されている言葉かもしれないが、様々な危機管理の基本的スタンスだと僕自身も座右の銘にしている。個人的な状況でも、医師として患者さんを診るときも、忘れてはいけない言葉だと思っているが、時に、どちらか一方に傾いてしまう。つまり「最善を期待しすぎるあまり、対策が甘くなってしまう」ことになったり、「最悪を恐れるあまり、萎縮してしまったり、悲観的になりすぎてしまう」ということだ。今や国家的危機である。政治家こそこの考えをきちんと意識して、たとえ周囲のものに嫌われようとも、専門筋の意見や討論を参考に熟慮した上で迅速に決断実行していくしかないのである。「仲間から嫌われても」「国民のためになると判断したら」「全責任を取る覚悟で」行動していくからこそ、政治家は国民から選ばれ託されているのである。「偉そうに言うなら、お前が政治家になれ」と言われるときもあるが、「僕などは周りの仲間を大切にしたいお友達大切派だから、政治家になれない」と堂々と答えるようにしている。だからこそ本来政治家は英雄的存在なのである、と僕は思っている。
では、今現在のコロナ状況に関して、最善は何かというと、「もしかして新型コロナウイルスは弱毒化してきたから、重症者が少ないのでは?」「ワクチンもまもなくできて、感染拡大防止もなんとかなるのでは?」「政府や都知事は医療は逼迫していないと言っているから、なんとかなるのでは?」「自分の周囲には感染者もほとんどいなく、そこそこ活動しても簡単には感染しないのではないか?」などなどである。反対に、最悪の想定とは、「コロナウイルス生存の不利とも言われているこの夏場でもこの感染状況だから、秋冬になると爆発的感染が顕著になり、イタリアやアメリカのような悲惨な状況が目前である」「重症者が少なく見えているのは、現在は若者の陽生判明者が多いだけで、タイムラグをもって、これから重症者が激増して、医療があっという間に逼迫する」「有効なワクチンなど簡単にはできない。期待が先走っているだけだ」「ウイルスは弱毒化どころか、感染力、毒性ともに強くなるのでは?」など、悲観的な想像はどんどん膨らんでいってしまう。

今までの状況を考えると、政府を当てにできない。なぜなら、全く過ちを認めず反省する兆しがないからだ。イギリスのジョンソン首相は、最初はこのウイルスを甘く見ていたが、状況に素早く反応し、その過ちを潔く認めて、正反対の施作をとった。3月、4月の日本政府、厚労省の対策は、もちろん有効な部分もあったが、失敗も多かった。でも結果は、感染拡大は抑えられたかに見えた。それを「日本モデルの勝利」などと自ら自慢していたことに恐怖さえ感じた。厚労省の偉い人は、一部の失敗を認めるどころか「国民や現場の勘違い」などと言った。のちに失言だと訂正しようとしたが、過ちは認めていない。こんな人々を日本の医療のリーダーに野放しにしているのが日本の現状だ。

だから「自衛」するしかない。また、もっと小さい地域の単位で、まめでスピーディーな対策が進み、模範となっていくことが望まれる。

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200731コロナが教える人の道41 医師会歴史的奮闘!

2020年07月31日

昨日の東京都医師会会長の演説に感動した国民、都民も多いと思う。また、医師会会長でさえ「政府の無策」と評したということは、日本はどうなっていくんだ?という不安感を募らせた人々も多いはずだ。国民からすれば、政府も厚労省も医師会も一丸となって自分たちの命を守ってくれるはずだ、と心の底ではまだ期待している。残念ながら、政府は、関連する企業に軸足を向けて、自分の権限利権を守ろうとしている(ように見える)。厚労省は、自らの縄張り意識と自己保身を優先して守ろうとしている(ように見える)。従来医師会は、自分たち医師の利権を守るための集団と、厚労省などから揶揄されてきた。しかしながら、医師会のリーダーたちは、自らも現場にいる。そこが政府や政府の傭兵たる専門委員会や有識者委員など(名称はどうでもいいが)、厚労省の人々は現場的視点は皆無と言っていい(ように見える)。昨日は分科会専門委員の尾身氏は、現況を「医療が逼迫していないので、(GO TOや経済優先の舵取りを)続ける方がいい。ただ近いうちに、専門家委員の見解も発表する」と言った。近いうちに、だと鼻で笑ったが、恐ろしささえ感じた。この感染がひどい状態になったら、「あのときは言いたいことを言えるムードでなかった」などと言い訳するのであろう。尾身氏だけではないはずだ。それなりの医学会のリーダーと思われている人が参加しているはずなのに、まともな意見、活動が全く見えてこない。
それに反して、児玉先生や島田先生、医師会が孤軍奮闘しているという図式となっている。
この後に及んで、GO TO トラベルは続き、GOTOイートまでいつやるかなどと論議している。あまりの無能さは空恐ろしい連中になる。

国民よ、今回のことは最低でも30年間は忘れてはいけない。誰に日本を任せるか今後の選挙のたびに思い出したい。

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200730コロナが教える人の道40 あっぱれ!頑張れ!世田谷モデル

2020年07月30日

新型コロナを前に立ち竦むどころか、新型コロナの回し者かと思われる政府や厚労省の対応に落胆どころか絶望を感じていた中、今日のニュースで「世田谷モデル」の話を知った。今できる対策は何か?、と考えたら「検査と隔離」しかない。それで、有効なワクチンが入手できるようになるまで、感染者数を最小限に抑え、その結果重症者を最低限に抑え込むことが唯一の対策である。これは多分、誰にでも分かっていることであろう。それを実行していくのが、政治家や厚労省の役割である。なかなか実行できないから「経済との両立」などと、一見聞こえの良い「言い訳」のもとに、GO TOや、マスク、給付金事務局事業委託など、意図が極めて不明瞭なことをぐずぐずと行っている。僕の1年先輩の島田山梨大学学長や児玉東大先端研名誉教授の心から叫ぶ警告を横目に見るだけだった、政府や厚労省の人々に業を煮やして、保坂世田谷区長がついに立ち上がった。「誰でもいつでもどこでも何度でもPCR検査を」というNYでのコロナ対策を世田谷区で実行しようとしている。児玉先生からしっかりとアドバイスを受けているようだ。たとえ世田谷区からだけでも、こういったことを本気で実行することは大切だ。「失敗を認め、成功例を学ぶ」という姿勢が極めて重要だからだ。日本人は「真似る」ことがうまいから、誰か勇気あるリーダーが困難であるが有効な対策をしてくれると、後に続きやすい。
エイズ抗体検査の頃や、今回の新型コロナ流行の初期、「複数の検体を集めて検査すれば、検査費を抑えることができるし、プライバシーも若干守れる」というアイデアを話したら、「そんば馬鹿げたことを専門家の医師が言うのか?」とあまり相手にされなかったが、この世田谷モデルでは「プーリング法」と名付けてその方法も活用を考えているようだ。できることはなんでも実行し、検証しながら微調整をしていくことは「未知の危機対策」には必需の考え方であろう。
頑張れ世田谷!ふるさと納税などで世田谷に納税しない世田谷住民よ、考え直せ!(そもそも貧富に不公平なこの制度には反対の僕だが、税金の無駄使いに怒る国民の反乱という意味では理解できるが、おおよそその目的とは言い難い現状に落胆している)

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200728コロナが教える人の道39 性懲りもない「アベノマスク」

2020年07月28日

昨日の「アベノマスク8000万枚追加」の報道を見て腰が抜けた。国民にあのひどい(医学的にも、美学的にも)マスクを、介護の現場という感染防御を真剣に考えないところに送るというのである。それも莫大なお金を注ぎ込んで。今では、もっと高性能のマスクが安価に市場で入手できるというのに。3月に決めていたから、という。おおよそお友達の会社に頼んで、今更やめられないのであろうと、推測する国民は妥当である。
今、医療の現場では、宿泊療養、検査体制、重症患者受け入れ準備など喫緊の問題が山積みである。1円でもそういうところに予算を振り向ける時だ。この後に及んで、GO TO、マスク、様々な事務の丸投げ、などなどによる不明朗会計を繰り返している。我々の税金を全くもって私物化している。(かつての大銀行の融資部の行員が自分の懐からお金を貸すような横柄な態度に苦い思いをした人は少なくないであろうが、同じようなものだ。)国民は二の次という姿勢が丸見えである。誰がこういった政治家を選んでいるのか?国民の力が及ばない、厚労省などの役人にどのようにして、「国民のしもべ」意識を持ってもらったらいいのか?数ヶ月前、隣国の台湾の厚労大臣や指導者たちは「我々は国民のしもべだ!」と公言したとのニュースに感激の涙をした。口だけではなく、実際の行動にその思いがにじみ出ていた。日本の政治家、官僚、研究者、経営者のいわゆるトップに立つ人々に、こういった格好いい人材は存在しないのだろうか。総合的、4次元に考えることができて、身の回りの人への気遣いより国民全体の利益を優先して、自ら責任を覚悟の決断ができて、素早く行動に移せるような人材は探せばいるはずだ。決断する人はごく少数で良い。どのようにして探し、選ぶのが良いのか残念ながら、今の僕には答えがない。

しかし、このコロナ災害は、我々国民に信頼できるリーダーこそ最も必要だということを教えてくれたことは間違いない。そして、今の国民の不安の根元はそこにあるということだ。

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