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主侍医魂 2012/11&12主侍医通信より

2012年12月07日

 秋の気配を楽しむ間もなく、冬が到来した感がありますが、季節の変化にお体は大丈夫でしょうか?充分な予防対策をお願いいたします。

 今回は11月と12月の合併号として今年最後の通信となります。振り返りますと、私にとって今年は本当に悲喜こもごもの出来事がありました。そんな中で、みなさまにもご報告しなければなりませんことですが、最も悲しい出来事がありました。主侍医倶楽部設立当時から、陰日向となって応援下さり個人的にも親しくさせて頂いていた方が、他界されたことです。(ご遺族のご希望でお名前は伏せさせて頂きます)いつも明るい笑顔で接して頂き、主侍医倶楽部のことも心配して頂き、最も多くの方をご紹介いただきました。「主侍医」のことを心から信頼し応援してくださっていたからだと思っています。しかし、懸命の努力にもかかわらず、9月にご逝去されました。我々主侍医の力が及ばなかったことが悔しくて、後になると「こうすればよかったのではなかったか?」と自問自答して眠れない日々が続きました。でも、その方は余命が厳しいと言われていた闘病中も「寺下さん、主侍医倶楽部もメンバーの若返りをして増やさないと運営が苦しいでしょう」と、こちらが心苦しくなるような優しい言葉をかけてくださいました。ゴルフが大好きで、「先生が幹事の東大のゴルフコンペで、昨年のようにお役に立てることがあったら遠慮なく言って下さいね」とも闘病中で苦しい中、笑顔で声をかけていただきました。思い出は数えきれません。「好きで敬愛できる方の主侍医を努めさせて頂く」ことが主侍医倶楽部発足の原点です。それを忘れてはいけないことを最後まで教えて頂きました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 そのようなこともあり、最近、この場でも主侍医倶楽部の継続性に向けてのお話をさせていただいています。医師生活35年、主侍医稼業23年目となり、回顧、反省、継続性の模索、後輩の育成、余生の過ごし方、、と連鎖する思いが日々頭の中を駆け巡っています。

 いつも言っていますが、主侍医倶楽部は、日本の高度な医療を補完するものだと思っています。日本の医療は、何が高度かというと「ほとんど誰でもどの医師にもかかれるフリーアクセス」「圧倒的なコストパフォーマンス」「今やサービス精神に溢れた病院やクリニック」「先進医療の選択肢も増えたこと」など他の先進諸国の追随を許さない優位性があると真っ当な医療関係者は自負して当然だと思っています。ここで「真っ当な」という理由は、残念ながら、魂を売った商売に走ったり、権力闘争に重点を置く医師もいるからです。開業医であろうが勤務医であろうがその魂を売る確率は同じようなものです。

 そんな中、私どもは今までの経験を活かし、また誠実で優秀な医師たちとの交流を最大限活用し、主侍医倶楽部をご支援下さる皆様がよりよい医療を受けられることを補佐するために日々努力しています。

 みなさまにお願いがあります。医療において、最大の貴重な資源はやはり「医師そのもの」だと思います。「高度医療機器」でもなく「新薬」でもありません。そしてその「医師そのもの」は、壊れやすく、再生産が難しく、目に見えた有難さが薄いものです。ある経済界の成功者から「どれだけ最新の医療機器が揃っているかが肝心で、その機器から答えが出るのだから、医師によって差が出るとはどういう意味ですか?」といぶかしげにしかも真剣に質問され、腰を抜かすくらい驚いたことがあります。

 我々は、「医師そのもの」を医療における最大の貴重な資産だと考えています。真っ当で腕のたつ医師ほど、信念を持っていて、お金などでは簡単に動きません。私の医師(だけではないのですが)人脈の広さは希有だと医師仲間からもお褒め頂くのは、それぞれの医師(または友人)と真剣で誠実で楽しいお付き合いを積み重ねてきた所以だと思っています。この人脈は、資産家の方々が、努力して得られたさまざまな金融資産にも負けない資産だと思っています。だからといって、その医師たちが、全て皆様方の健康上の困難を解決できるとは限りません。他の分野に比べて医療の不確実性は圧倒的に高く、私自身もしばしば忸怩たる思いをします。完全なる成果と安心を与えたいといつも思っていますが、それは永遠のテーマです。

 名門ゴルフクラブでは、ゴルフ場の命とも言えるグリーンを一所懸命手入れし、また会員はそのグリーンを丁重に扱い自分が付けた傷のみならず、他人がつけたものまで修復する習慣があります。とてもいいことだと思っています。主侍医倶楽部において、スタッフ医師もご紹介する医師もせめて名門ゴルフクラブの「グリーン」のように考えて頂ければ有難く思います。勿論、我々はその「グリーン」をいつも良質にキープする努力は怠りませんが、ご利用のみなさまにもご協力いただかなければ達成できないことです。

 医療の広大な分野での総合的な相談にお応えし、それぞれの分野の専門医と連携を保ち続けるためには、日々新しい医療の情報を浅くとはいえ、プロとして耐えうるレベルで内容を把握し、専門医たちとの活きた交流を保ち続けることは相当なエネルギーが必要です。後輩の育成も困難の極みです。

 前回もお話しましたが、「ビジネスモデルとしての主侍医倶楽部」は不完全のまま終焉をむかえそうですが、今までの経験と知恵と人脈を活用して、現実問題としての継続性を考え今後の事務所活動の設計の立て直しを考えています。

 一つは「良質なセカンドオピニオンを支援するサービス(Second Opinion Support)センターの設立」です。もうひとつは人間ドック時に発見された重病に特化した「オンデマンド主侍医」です。今までの主侍医倶楽部を「継続的サポート」とすれば、前者は「一時的サポート」後者は「定期的サポート」と言えます。

 主侍医の主要なコンセプトの「健康な時から」「どんなことでもいつでも相談」がクライアント側にとっては「何もないのにお金を払い続ける」困難であり、前述のように「なんでも相談にのる」ことは提供側の困難で、それらがビジネスモデルの成立を困難にしていたことを認めざるを得ません。

 現行主侍医倶楽部では、最低限の費用で「侍医」を持つことを提供しようと考えてきましたが、中途半端であったかもしれないと反省しています。「困った時だけ困ったポイントに絞りサポート」「困った時だけ徹底的にサポート」「定期的なサポート」という仕組みの方がビジネスモデルとして成立しやすく結果として多くの方々に貢献できると考えました。ビジネスモデルといっても、医療は、「まともにやれば大稼ぎできる」世界ではありません。「武士は喰わねど高楊枝」的運営から質実剛健運営くらいが目指すところだと思っています。

 上述のように、多くのみなさんに提供できるような「困ったときのサポート」を主軸にする一方、現行主侍医倶楽部の新規募集は停止しますが、現メンバーのみなさまには今まで以上のサポートが出来るように努力いたします。

 新機軸として、主侍医サービスの理想ドリーム型として「The主侍医倶楽部」の設計を考えています。これは今後の方向性と逆行するのですが、皇族の侍医に対抗できるような文字通り夢のような仕組みを考えています。

 「The主侍医倶楽部」は、富裕層ビジネスと言われるのを嫌う私にとって、一気にそれを超越した趣味的なものと考えています。面白いからその趣味に付き合おうという数十名の方が集まればやってみようというアーティストやプロデューサー的夢でもあります。

以上のような構想が、現実的なかつ迫り来る還暦の夢想でもあります。

長年にわたり、主侍医倶楽部の価値をご理解いただいているメンバーの皆様方にこそ言える「愚痴」と「抱負」をお聞きいただきありがとうございます。

来年も、みなさまにとって幸せな年となることをお祈りしております。

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人類の歴史は「幸せ探し」2012/8主侍医通信より

2012年08月30日

 

 何に喜び幸せを感じるのか?
  
 「幸せってなんだろう?」と改めて考えるのは私だけのことではなく、むしろ最近の傾向なのでしょうか。人類の歴史は「幸せ探し」の歴史そのものと言ってもいいと私は思っています。そのために文明は発達(?)を続け、文化が築かれていきます。少し前までは「便利なものは幸せの道具になる」と考えられていました。今もそうかもしれませんが。車があれば便利、洗濯機があれば便利、コンビニがあれば便利、携帯電話があれば便利、、、、切りがないほど便利グッズが巷にあふれています。しかし、意外と幸せと直接的には結びつかないどころか、不幸せの材料になったりもします。
 
 政治や経済界の世界をみてもなんだかがっかりすることが多く感じる中、かのブータン国王の「国民総幸せ度」の話は結構我が国でも注目されました。でも、そんな話も時間が経つと薄れていくものです。
 最近、だらだらとテレビを見ていたら、花火の特集がありました。花火ファンと称する人々が全国の花火大会を見て回ったりするらしいのです。「なんと暇なことか!」と羨ましくもあり若干ひがみ根性で呟きました。しかし、花火の製作の裏話になると、その工夫や努力は並大抵ではなく親が子供へと伝承し、守り続けていく程の大変な作業です。伝統を守りつつ新しい工夫を加えていくその作業は、私個人的には好きな分野だなあと思って見ていますと、若い職人さんにインタビューがされました。「どうして花火師になろうと思ったのですか?」「僕は北海道の出身なのですが、ある花火大会に行って、素晴らしくきれいな花火だなあ、と感動しましたが、それよりも驚いたのは周囲の観客の様子なのです。みんなとてつもない笑顔で喜んでいるのです。大勢いるみんなです。これはすごいことだ、と思って高校を卒業したらすぐに東京の花火師に弟子入りさせてもらったんです」
 
 たしかに、そうです!これだけ一度に人々を笑顔にさせて喜んでもらえる仕事は他には滅多にないことかもしれないと感銘しました。そんな花火師たちが精魂込めて作っているんだ、と再認識したのです。花火大会巡りをしている人々は、花火の仕組みなどにも詳しく、凝った人たちはビデオカメラを何台も持ちプロはだしの撮影をします。こんなファンがいることこそ花火師にとっても有り難いことだと先ほどのひがみ根性も吹っ飛びました。その後、たまたまゴルフ帰りのドライブ中に花火を見かけてジワーンと感動し、我ながら単純な自分に苦笑いでした。
 
 我々主侍医もそんなファンをひとりひとり大切に作っていきたいものだなあとつくづく思いました。
 お陰さまで、我々主侍医の価値をきちんと評価して頂き、新たな会員様をご紹介いただき本当にゆっくりではありますが、着実に主侍医倶楽部の輪は広がっていますことに感謝しております。

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主侍医冥利と重圧 2012/7主侍医通信より

2012年08月02日

 主侍医の重圧にご理解を!

 
 主侍医倶楽部の継続性を考えて、若手の主侍医(医療判断医)の育成に日々努めています。しかし、オールマイティー的な医療判断医はとても大変な仕事です。我々、主侍医がいても治らない病気にもなりますし、全ての病気の判断が出来るわけではありません。生きるものにとって「生病老死」は避けられないものです。その「病老死」の確率を少しでも引き下げようと我々は懸命な努力をしておりますし、そのわずかな差異に対するプレミアを皆様方が評価して下さり、会費を納めて頂いているのだと思ってありがたく思っています。皆さん方が我々に期待する気持ちは十分に理解しておりますが、時には凄い重圧になります。多くの会員の皆様には我々の特殊な任務と重圧を十二分にご理解いただいていると感謝しております。
 
「なんでも相談に乗ってくれて、我々は助かるけれど、大変だね」
(医学の進歩に伴い、ほとんどの医師はごく狭い範囲しか守備範囲がないのが現状です。しかし専門医といって胸を張れる訳ですが)
 
「こんなことはお医者さんに頼むことではないけれど、誰に相談したらいいかわからなくて」(医療の範囲を超えたご相談にも出来うる限りお応えしようとは思っています)
 
「ほとんど翌日には相談の時間を取ってくれて助かるよ」(各曜日の担当のドクターの時間に余裕がある限り、なるべく翌日以降の近いところで予約をお取りできています)
 
「テレビや友人のいろいろな医療情報を聞くと迷って決断できないけれど、あなた方のようなプロに親身に時間をかけて相談できるチャンスはなかなか他にはなくとても貴重だ」(高級S病院やK大のメディカルクラブでも我々のような個別徹底した親身な相談は無理だと自負しております)
 
「大病院や大学病院の先生には気楽に聞けないので、つい主侍医に甘えてしまってごめんな」(気軽に聞ける、が最大のメリットと考えています。でも、我々にも出来ないことも少なからずあることをご理解下さい)
 
「いままでいろんな病気の危機を逃れられたのは本当にお陰さまだと思っているよ。しかも安心して快適にだから、今では主侍医が無い生活は考えられない」(そういって頂けると主侍医冥利に尽きます)
 
「主侍医倶楽部の会費って考えようによっちゃ、安いよね。経営者が鍵を握るような企業の社長は高級車以前に主侍医だね」(これは特に嬉しいお言葉です!我々の価値の評価にかかわることですから)
 
「夜間や休日のドクターホッとラインは他では全く考えられない貴重なサービスだね。ドクターと電話で繋がっていると思うだけで安心だ」
(これはオプション契約をされた方への提供ですが、是非、皆様にご利用いただきたい安心です)
 
「紹介してくれる専門医は腕もいいけれど人柄もいいねえ」
(私が30年以上手塩にかけて作ってきた人脈です。単に知っているだけとは違います。日頃の付き合いをきちんとしていてこそ無理なお願いにも快く対応して頂いています。この人脈はお金に換え難い財産ですし、時には壊れやすいものでもありますので、みなさまにもご理解いただければ)
 
「次世代の主侍医倶楽部を意識しているようだが、多くのメンバーは寺下さんとの直接の繋がりを期待しているのではないか?」
(これも有り難いお言葉です。しかし、主侍医(医療判断医)の業務は一朝一夕にはとても出来るものではなく、今から時間をかけて実践教育をしていくしかないと思っていますので、その辺の事情もお察し下さい。次世代主侍医では、今のままのプロトタイプ(理想型)の延長ではなく、現実型を考えています。)
 
 以上など、たくさんの励ましの言葉を頂いています。
皆様の暖かい言葉を胸に今後の活動を続けたいと思っていますので、引き続きご声援いただければと願っています。

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成熟した社会システム 2012/5主侍医通信より

2012年05月07日
  久々に(初めてと言ってもいいのか?)、2週間もの長期にわたり外遊をさせていただきました。私が50の手習いのピアノで教えてもらった芸大出身の若手ピアニスト村田孝樹君がハンガリー音楽祭関連の大会で優勝し、ブタペストにてリサイタルを行うということになり、応援がてらの旅行となりました。妻とこれまた50の手習いの油絵の先生横島庄司さんと妹さんとその娘さんという変わった組み合わせの一行となりました。ブタペストに4日間滞在し、その後は村田君が住むドイツへ向かいました。ケルンの近くのアーヘンという小さな町に住んでいるのですが、とても落ち着いて親しみの湧く町です。こういった機会がなければ訪れなかったでしょうが、また行ってみたいと思っています。世界で初めて太陽発電の試みをした町だとも聞いています。私の悪い性格なのですが、レストランに行っても、ゴルフやテニスをしていても、旅行に行っても、新しい発見をするとなにか仕事に応用できないかと常に(本当に我ながらあきれかえるのですが)考えてしまうことです。  妻や親友から「楽しむときはお客様として純粋に楽しめば!」とかなり真剣に煙たがられています。
 
  というわけで、旅行につきものの失敗談を織り交ぜながら、いろいろなことを勉強してきました。その一つですが、ドイツの町では、路面電車が発達していて、少し地下鉄を加えれば、街歩きはほとんどまかなえるくらいです。我々旅行者にとっては1日券が便利で、何度でも乗り降り自由です。700円くらいになるのでしょうか。しかし、ほとんど検札はなく、我々も旅行中一度も切符拝見はありませんでした。現地のガイドさんは「ドイツの成熟した社会システムのひとつです。個人の良心に任せているのです。」と説明され感銘を受けました。「良心に任せた、成熟した社会システム」なんと心地よい響きでしょうか!しかし、時々厳しい検札があり、違反していると厳しい罰があるとのことでした。 
 
 法律のほとんどは、「想定外の悪い考えを持つものがいるから、取締りできるように細目にわたった規則を作る」という考えにのっとっています。医療保険制度もその一つです。悪用する患者や医者がいるから、これはいけない、あれはいけないと規定しています。しばしば、医師が必要と思っても自由に検査や処方をできません。社会保険事務所が厳しく目を光らせて「この病名ではこの検査はだめです」ということで医療機関は自腹を切るどころか目をつけられます。しかし、巧みにレセプト(公的医療費の請求書)やカルテを駆使すれば過剰請求もまかり通ります。良心に従わないシステムの限界です。そして、このレセプトの監視システムや病院でのチェックシステムにどれだけの費用が投入されているのでしょうか。下手をすれば少なく見積もっても医療費全体の数%や十数%など無視できない費用であると私は推計します。 
 
 世界最先端を行く日本の医療保険制度ですから、そろそろ成熟度を増してもいいのでは期待していますし、私もそういった方向に進むように今後社会医の集大成として活動をしたいと考えています。皆様方のご理解とご支援をお願いする次第です。   

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社会医の必要性 2012/3主侍医通信より

2012年03月30日
 あの恐怖におののいた日から1年が経ちました。「のど元過ぎれば熱さを忘れ」た日本人はそんなにはいないでしょうが、それぞれの温度差は結構あるように見えます。しかし、東京直下型地震も懸念され、こちら東京では一様に結構真剣に捉えているようです。問題は「どこまで対策をするのか、どんな覚悟をするべきなのか」ということではないでしょうか。
 
 思い出してみれば、大震災以前の日本は、それこそ「富の二極化が過剰に進む未曾有の不景気」と言われる状況でした。「人間の幸せは一体どこにあるのだろうか?」とあちらこちらで囁かれていました。そんな矢先にあの大災害が起こりました。突然の人生の幕切れ宣告をされた多くの犠牲者を目前に言葉を失いました。そして、かろうじて生き延びた人の「生き延びただけ幸せ」と話される姿をみて複雑な気持ちになりました。単純に「絆」「日本はひとつ」と叫ぶだけでは癒されるようなものではありません。
 
 復興活動を続ける姿の報道をみて、誰もが感動していることでしょう。被災者の気丈さも凄いし、自衛隊をはじめとする救援者の活動も凄まじいとさえ思えます。「使命感というより、人間として何かをしたい。それが使命感と相まって日々の活動を支えています」放射能が厳しいなかでの救援作業の自衛官の言葉が身に沁みます。
 東京大学に新しい立派な会館が誕生しました。学会会場になったり同窓生が集うような場所だそうです。ある企業のオーナー夫妻の寄付により建設されたそうです。土地が大学の敷地なので、ビル・ゲイツが驚くような寄付の額ではありません。ソフトバンクの孫さんの被災地への寄付の額の半額以下です。とは言っても、凡人の私にとってはイメージすら出来ない額なのですが。
 
 日本人は「お金の稼ぎ方は得意でも、使い方が苦手」と思っています。書店に行けば「稼ぎ方マニュアル」なる類いの本がごまんとありますが、「お金の使い方マニュアル」は皆無です。「子孫に美田を残すな」とは西郷隆盛の言葉でしょうか。頑張って稼いで、不幸になっていく姿は日本中あちこちで見られる皮肉な現象です。その人の稼ぎのレベルに応じたお金の使い方次第で、景気どころか、日本人の幸福総生産量は高まるのではないかと思っています。むしろそこにしか答えは無いようにも私には思えます。
 
  話は変わりますが、患者さんを直接診る「臨床医」、薬や治療法などの研究をする「基礎医」に加え、私どものように仕組みづくりを通じて医療を行なう医師を「社会医」と呼んでいます。主侍医倶楽部のメンバーの皆様に対しては、医療判断医としての臨床医活動がメインですが、それは社会医としての活動に裏打ちされています。
 
  今後、この紙面でもさまざまな「社会医」の活動のご紹介をしていきたいと思っています。多くの研究者たちの知恵の塊である基礎医学に基づいた立派な臨床医の医療活動が、国民の皆様の幸福に結びつく仕組みを考え実行することが「社会医」の役割だと思っています。

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自己再研鑽、復習そして予習 2012/2主侍医通信より

2012年02月17日

 寒中お見舞い申し上げます。

 今年最初の通信をお届けするのが2月になってしまいました。毎年の始めに、年間モットーのようなものを考えることにしています。学生の頃からでしょうか、随分昔からの習慣です。今年は「自己再研鑽、復習そして予習」としました。これには、いろいろな意味合いを込めています。いよいよ還暦1年前となり、随分前の年間モットーであった「温故知新」の復習でもあります。つまり「復習の復習」となります。例えば、年末の通信でも少しお話しましたが、事務所の過去の膨大な資料を抜粋して読み返しています。それらのエッセンスを、次回以降ご紹介できればと思っています。20代30代と充電と放電の激しい繰り返しをしながらもなんとか蓄電し、40代から50代は充電に放電が追いつかない状況だったかなあ、と俯瞰しています。
 
 そこで、60代に向けては「新たな充電」中心と言いたいところですが、そこは冷静に過去を復習し、足りなかった部分を補填してみたり、忘れかけている大切なことや面白いことを再燃焼させたり、やりすぎたり歪んだ部分を補正したりしてみようと考えています。それらが「復習」です。仕事のみならず遊びやプライベートなことでも同様の「復習」をしようと考えています。そうは言っても、新しいことも無くては僕の性格上我慢が出来ないでしょうから、少しは「予習」も取り入れたいと思っています。
 
 そういう目で振り返ってみると「今だったらこうしているのに」「こうしていたらもっとよかったのに」と知恵や経験が豊富になったと思う反面「昔は体力もあったし頭も今よりはよかったなあ」とちょっぴり寂しく思うこともあります。しかし、昔考えたことを、今の熟年の応用力や人脈、そして発達したIT技術などの調味料を振りかけるとちょっとした逸品が出来るような気がしています。同級生や近い年度の仲間のドクターも大病院の部長や院長、大学の教授など管理職になっている方がほとんどです。他の分野ですと、会社の役員や社長ということで、現場の作業はほとんどなく管理者としての仕事がメインだと思います。ただ、大学の教授になっている連中から「最近は、診療10、研究20、若手育成70」という日常業務の割合を聞いて、「相変わらず、診療80、若手育成10、執筆、セミナーなど10」という僕にとっては、多少羨ましくも思えます。
 
 思い起こせば、大学受験や入学当時、華やかだった東大医学部生も、現在は結構地味なもので、大会社の役員や社長を務める他学部の同学年OBたちが社用車で通勤であったりゴルフ場までの送迎もあったりするというのに、病院に勤める医師は送迎車どころか、大病院の副院長でも当直をしている方もいると聞いて驚いています。東大医学部の同窓ゴルフ会では、ほぼ全員がマイカーか電車で集まりますし、未だに平日どころか土曜日でも来られないひとが多く、日曜日のみの開催ということで、常任幹事(僕なのですが)泣かせです。日曜日でかつ年配の先輩方(昭和天皇の手術を担当された先生やその更に先輩の長老先生を筆頭に)がマイカーを運転して来られる近いゴルフ場を確保するという難題を毎回克服する必要があるからです。そんな大先輩がいまでも患者さんのために尽くしている姿にいつも頭が下がる思いでおります。
 
 人生においては、だれもが「幸せ」を求めています。「幸せ」の定義はひとそれぞれです。他人からは「幸せ」そうに見えても、本人は悩み苦しんでいる場合が少なからずあるものです。「健康は幸せ」とは言えませんが、「健康でないといわゆる幸せ感が得られにくい」ことは事実だと思います。主侍医を勤めさせて頂いて、さまざまな形でクライアントの方と触れ合いますが、基本的には体調を壊した時に、密接にお会いすることが多くなります。幸いにも、今まで多くの場合、重病を切り抜けて、その後皆様の笑顔と接することができ嬉しく思っていました。
 
 しかし、昨年11月に、主侍医倶楽部メンバーの方を初めて看取ることになりました。その方は、入会間もなく、現在の医学では治療法がないとされる厳しい病気を発見することになりました。メンバーになって頂いてすぐに困難に直面しました。我々に出来ることは、「なるべく苦痛がなく出来るだけ長らえるようにサポートすることだ」とスタッフドクターとともに尽くしましたが、関連のNTT東日本関東病院にてご逝去されました。ここにご報告とともにご冥福をお祈りしたいと思います。

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主侍医倶楽部の今昔とこれから 2011/12主侍医通信より

2011年12月19日

 主侍医倶楽部21年間を振り返って(本年7月より広報部長としても活動を開始し、そのご挨拶も兼ねて)  

 複雑化していく医療において、患者側にとっては「より良質の医療を受けるため」、医療提供者側にとっては「より良い医療提供のための技術や知識やネットワークの向上のため」必要なものは何か?

 1984年、医学事務所を設立して27年間、「医療のシステム作りを通じて貢献する」を胸に秘めながら活動してきました。初期の頃は、医師向けワープロソフトや電子カルテや専門医の遠隔相互コンサルシステムなどの開発試作を皮切りに、理想的病院「夢病院」の企画立案なども行なっていました。27年前ですから、携帯電話もインターネットもなく、ワープロもようやく生まれかけた頃です。「いがく」とキーボードで打って「医学」となれば大声で喝采を挙げていた頃です。

 その頃、夢物語や将来の懸案として話していた「電子カルテ」や「シェア型の検査センター」や「会員制の医療サービス」「リゾート型人間ドック」「インフォームドチョイスの普及による新たな悩み」「保険制度の行き詰まり」「医療裁判の増加」「医局制度の崩壊」「医師のマインド低下」など良いことも良くないことも、今では普通の話になっています。

 こういったハイテクの医療システムを研究しているうちに、国民が医療に納得安心するためには、最先端の医療技術の開発が必須なのではなく、医療へのアクセスシステムとインターフェイスシステムの整備が不可欠であるという仮説に確信を持つようになりました。そこで、「日本で医療に不安も不満も持っていない貴重な人は、天皇や皇族の人々ではないだろうか」ということに気がつきました。侍医を担当している仲間や先輩から、「我々の世界ではセカンドオピニオンなどは侍医の間で行なうから陛下たちは安心してアドバイスを受け入れてくれる。ドクターショッピングなどあり得ない世界なのです」というお話をお聞きし、たいへん羨ましく思いました。「皇族の侍医システムこそ理想的な医療の基本的仕組み」だと考えました。侍医システムは、どのように医学や医療技術が発達しようが、仕組みが変わろうが対処できます。なぜなら指揮者や管制官のようなプライベイトドクターがクライアントに代わりその時の医療事情に精通して親身にアドバイスや必要な専門医のコーディネイトと質の高い判断のサポートをしてくれるのですから特上の安心が得られます。

 でもそんなことは専門家ならずとも、一般人にも分かります。が、どのようにして実現するかが問題なのです。最初は「赤ひげクラブ」と称して、友人を集めて全くの無料で活動を開始しました。時々、皆で信頼できるドクターの健診を受けるといった程度から始めました。そんな活動を続けているうちに、友人の中から、もう少しプロとして活動をしてみてはどうかとの声があがり始めました。トータルの必要費用をシェアする100名が集まり「100歳まで生きよう」をスローガンに「ハンドレッド倶楽部」と名付けて開設準備を行ないました。

 実際1990年にスタートする時は、「(顧問医)主侍医倶楽部」となりました。最初の頃は、私と相談するためのアクセス権のための契約で、現在のように保険診療も可能なクリニックは併設されていませんでした。いざとなった時の相談のための顧問医契約というだけで当時の顧問弁護士の基本契約と同等の一人当たり月額5万円を負担して頂きました。相談のためのアクセス権として契約して頂き、未だに契約を続けてくれている方には感謝感激です。最近まで営業広報活動は皆無でしたから、口コミだけです。しかし、これほど口コミの難しい商品はないということが後々明らかになっていきます。

 私個人としては、主侍医活動とともに様々な医療の仕組み作りの開発研究活動と慶應大学での教育研究活動も並行して行なっていました。いずれの活動も自分自身の生活費に充当できるような報酬を得られない活動ですから、生活のためには他の病院での診療活動も続けなければなりません。

 まさに若さとバイタリティーに頼りながらの生活でした。個人的な繋がりから、契約メンバー数も30名を超えてきました。特別高額な契約で応援してくれる方もいらっしゃり、なんとか事務局も維持できる状態でしたが、もうひとつの誤算は、私の活動を応援してくれている方々は経済的にも余裕があり、目下ご健康に大きな問題はなく、メンバー数十名ではそんなに忙しくないだろうと想像していたことです。ところが1名の会員の方々の周囲にはたくさんの仲間がいらっしゃいますし、面倒見の良い方々だからこそ契約をしてくれています。ご本人以外の方の相談が予想外に多いことに気付きました。最初の10年間はなんとか時間の許す限り私自身がボランティアとして対応させて頂きました。ここが他のサービス契約と違って「お断りできないし、またお断りすべきでない」というのが医療の分野です。そして貴重な契約者の方からのお願いですから、相談はすべて無料で行なっていました。

  2000年、事務所を小石川から現飯田橋に移したおりに、事務所の主な事業として「主侍医倶楽部」の運営に本格的に取り組もうと考えるようになりました。おりしも、契約の会員の方々からもいろいろな要望とそれに伴う費用の負担もお申し出いただくようになりました。

 まず、話題になったのは、契約者本人だけでなく、家族や社員や友人などの相談を遠慮なく行なえる仕組みを作って欲しいとのことでした。これは簡単そうで意外と難しいことでした。契約会員のかたの状況が実に様々だからです。紆余曲折しましたが(正確には今もその最中ですが)、登録ゲストと紹介ゲストというシステムを作り周囲の方のご相談も余裕がある限り(有料ですが)正式に対応出来るようにしました。

 もうひとつの問題点は「24時間の連絡体制」です。私一人が主侍医を勤めていましたから、そんなことは無理であることは自明です。契約上も連絡は9時から5時の事務所がオープン時とさせていただいています。しかし、初期の頃の事務局はたいてい夜中の12時頃まで誰かがいましたし、途中からは携帯電話が普及し、なんとか私と連絡が取れて問題は発生していませんでした。今から思えば、この21年間、飛行機に乗るなどで十数時間連絡が取れないのが最大で、まる2日間以上事務所と私の間で連絡が取れないということはありませんでした。(新しい「夜間・休日ドクターホッとライン」稼働中の現在も同様ですが、これは私の性格の問題でもあります)しかし、このような個人的な努力にのみ頼る仕組みは、上手くいっている間はしっかりとして安心感がありますが、継続性に限界があり、もろくもあります。そして、事務所オープン時以外は契約外だといっても、やはり24時間医師と電話が通じる仕組みは実現したいとかねてから考えていました。

 8年前、特別会員として応援いただいている方から、「僕が応援するから、24時間医師と連絡取れるシステムを作ってくれないか?」とのお申し出がありました。それが熟成し今日皆様にお届けできるようになったのが現在実現している「夜間・休日ドクターホッとライン」というわけです。

 そこで2004年から新しい主侍医契約には、このサービスを付加して、更に登録ゲストの仕組みも取り入れ基本報酬を月額10万円からとさせて頂いています。従来からの会員の方には、今までのご契約状況などを踏まえてご相談させて頂いています。また2006年3月より、併設のクリニックでは保険認可も取り、日常的な病気のための検査や投薬が可能となりました。原則有料予約制でゆったりとした診療が可能ですが、会員ご本人の方々の予約料は無料とさせていただいています。主侍医スタッフも若手が加わり、総勢4名となりました。「夜間・休日ドクターホッとライン」の担当医も含めると8名となります。テラドクターアライアンスと呼ぶ専門医のネットワーク数は、増加の一途です(簡単に数えられないほどの数です)。

 このように初期の「主侍医倶楽部」から展望すると、随分と進化しました。富士見事務所には、メンバーズボードが設置されました。スタッフが毎日感謝し気を引き締めるためとともに、広報部長としての私の励みにもしたいと思っております。現在のメンバーの方々のお名前をこうして眺めさせて頂いても、各分野の超一流の方ばかりで、そのような方々の主侍医を勤めさせて頂いている誇りをスタッフドクター一同有り難く思っております。

 現在のメンバー数は50名です。現状の主侍医倶楽部の運営は、主侍医チームとスタッフを100名でシェアしていただくことを想定しています。ただ、日本では他に類が無いデリケートな仕組みですので、誰でもメンバーにとは申せませんことをご理解の上、皆様のとっておきの親友をご紹介いただければ幸甚です。

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スティーブジョブズの逝去 2011/10主侍医通信より

2011年10月14日
 
 スティーブジョブズの逝去記事が2011年10月6日の新聞記事のトップを飾りました。恰好いい人生のあっけない幕切れでした。その隣には、格好悪いしぶとい人の写真が載っていたことが、ひときわ対照的に映りました。
 ジョブズは膵臓がんでしたが、あれほどの人ですから、アメリカでの最高レベルの治療を受けていたことだと誰もが簡単に推察できるでしょう。それでも場合により「56歳の若さで死ぬ」という現実に改めて厳しく寂しく心を揺さぶられました。医療がいくら進んだとはいえ、その不確実性の無常に(無情とも言えますが)落胆し、僕が推進している「主侍医、プライベイトドクター」でさえも、その無常には立ち向かえないと観念せざるを得ません。ジョブズにははたして「プライベイトドクター」はいたのだろうか。いくら膵臓がんの早期発見は極めて困難としても、あれほどの人物なのに、周囲が健康管理に最高レベルの神経質になって、もっと早く膵臓がんを見つけることができなかったのだろうか、などとくよくよ考えてしまいます。僕より2歳下であり、学生時代コンピュータに夢中になり、マックはあこがれの機種として親しんだ我々の世代にはいろいろな思いがあります。
 
 主侍医倶楽部契約中の会員の方は、この21年間一人も亡くなっていないことは再三お伝えしている通りです。そしてその中には、我々がいたために早期に病気に対処することが出来たために、一命をとりとめたかたも少なからずいらっしゃいます。これは自慢話です。僕の自慢話ではなく、主侍医システムとしての自慢話です。
 しかし、世の無常はそれほど甘いものではないこと承知しています。生きとし生けるものの限りはありますが、どのような厳しい事態に対しても最善を尽くしたという満足感と、最善を尽くしているという安心感が大切だと思っています。より多くの方がこの満足感と安心感のために「主侍医」を持てるよう僕自身はこの7月より広報部長として任務を遂行していく所存で日夜頑張っています。今や、会員の方々の、幅広い相談には若手のスタッフドクターがかなり対応できるようになりました。勿論、彼らと僕とは常に楽屋裏で綿密な相談をしていますし、スタッフドクター同士も連絡を取り合っています。
 
 また事務局のスタッフも充実してきています。皆様との窓口としての「田口」、初期相談や心理相談などを通じての相談窓口として「豊崎」の両名が勤続20年のベテランぶりを発揮しています。またドクターアシストナースとして「菊地」が看護師としての資格を有しながら、皆様の医療内容についてドクターとの橋渡しの役割を担っています。彼女も事務所発足当時から勤務し、他所での修業を経て、数年前より戻ってきたベテランです。また、この9月より慶應大学医学部で事務職をしていた「寺田」が入職いたしました。広報部長の僕の補佐役としての任務が中心になります。皆様の元へ伺い広報活動にお邪魔した際はよろしくお願いします。もう1名、早稲田大学で都市計画を勉強中の「佐藤」が、「安心の医療システム実現のための研究」をテーマに非常勤スタッフとして研修を開始しました。広報担当として僕や寺田とともに活動し、この通信やウエブでの広報活動などを担当します。
 
 スタッフドクターについては、既に何度かお知らせしていますが、石澤、笹部、田代という東大、慶應大の精鋭たちが活躍してくれています。この場をお借りしてのご報告ですが、石澤ドクターはこの度、司法試験に優秀な成績で合格しました。ついでながら僕の次男「征司」も同時に合格し、今後法曹の道で研修を続けていくことをご報告いたします。スタッフドクター以外に、「夜間・休日ドクターホッとライン」にご協力をいただいている美馬ドクター、長谷川ドクター、木村ドクター、矢澤ドクターはベテランから若手までいずれも僕自身や家族やスタッフなどが診てもらっている素晴らしいドクターばかりです。また、愚息の長男が研修医2年目の半ばになり、まだまだヒヨッコですが、休日の患者さん受け入れに先輩方の先生にお願いできるようになり少しは役立つようになってきました。
 
 このように俯瞰してみると「主侍医倶楽部は結構贅を尽くしているなあ」、と我ながら我田引水的に感心をしている次第ですが、運営安定化のためには若干名の正会員追加募集が必要と考えています。例えば、「夜間・休日ドクターホッとライン」は36名の契約者のために8名のドクターが交代で待機しているという状況です。スタッフ全員の献身的努力によって支えられていることは容易に想像がつく状況です。来月には、事務所にメンバーズボードも設置し、会員の方々に敬意と感謝を表すとともに目標メンバー数を可視化して自ら広報部長としての任務の自覚を促すことにもつなげたいと思っています。
みなさまのご理解とご協力を期待しております。

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デジタル時代の恐怖 2011/08

2011年08月24日

私どものホームページが、この数日アクセス不能になったお詫びをトップページで申し上げましたが、その原因について判明したことで、いろいろ思うことがありお伝えしたいと思います。このホームページは、友人がボランティアとしてご努力いただくことにより成り立っています。そしてメンテナンスは、その方のお力を借りながら私も含めてスタッフが行なっております。いわば手作りのホームページです。私は、多少こういったことに詳しいほうですが、勿論素人です。ホームページを作るには、それを置いておくサーバーが必要ですし、アドレスを管理することも必要です。たいていの場合は、それらを代行する会社に依頼します。簡易な場合は、それらがセットになっています。つまり一つの会社と一つ契約をしていればいいわけです。我々のホームページは、旧来のものも裏側に存在したり、多少複雑になっています。レンタルサーバーとアドレス管理は同じかと思っていたら、同じ会社だけど部門が違ったようです。しかもその管理費を年間払いします。数ヶ月前と数日前に期限切れの警告メールがきます。今回はレンタルサーバーの会社(H社)から8月末で期限ですというメールが着ました。気がついてよかったとひやりとしましたが、私がネットで送金し、ことなきを得たと思ったその日の夕方から不通となったわけです。H社からは「入金確認のお礼メール」が届いています。私はこのH社がホームページの管理の全てだと思っていましたから、訳が分かりません。おまけに私どものアドレスでアクセスすると、怪しげな画面が出ます。「関連検索」「スポンサー企業」とのタイトルで、商業的美容外科など商売的医療を全面に打ち出したような名前がずらりと並ぶ、もっとも苦手とし私どもの事務所のポリシーとはかけ離れたような画面がしつこく出てきます。早くなんとかしなければと焦って、ボランティアの友人の手も借りながら調べました。この嫌な画面には「MMドメイン社」の名前があったので、H社とともにメールにて問い合わせしました。電話での問い合わせが出来ないからです。返事は、まったく機械的なものでした。いろいろ調べた結果、アドレス管理費は、同じH社でもMM部門が管理していて、別に支払うことになっていることが判明しました。年間950円という費用です。それが8月21日で期限切れだったわけです。お知らせメールが届いていたのか、大変な努力をして調べましたが見当たりません。その原因もようやく判明しました。MM部門への登録とH社への登録と2種類あり、前者に登録していたアドレスが古いアドレスのままであったのです。メールが届かないなら、そういうときのために住所や電話番号など個人情報を登録しているのではないのか?という問い合わせには返事もいただけませんでした。自己責任で管理しなさい、ということでしょうが、ネット社会のこの世の中、あちこちでメールアドレスなどを登録していて、こういった失念はありえます。提供する側のプロのシステムにはそれをカバーする優しさが欲しいと思うのですが、そんなことを考えていたら薄利多売の商売がなりたたないのでしょう。

いずれにしろ、ようやく原因が分かり950円を振り込みました。しかし、半日しても回復しません。一部の地域では回復していたようです。世界中にあるアドレスを管理するポイント(DNSといいます)によりタイムラグが生じるということです。こんな面倒なことになるのに、1日たりとも期限が切れると、連絡の努力もせずに回線を切ってしまう冷たいシステムに驚きました。

このように、ネット社会ではまるで血の通わないロボットのような仕組みが働いています。そしてその仕組みを理解できない人々がほとんどです。情報操作はもしかすると今までのテレビなどのアナログマスコミより危険かもしれないと今回の事件を通じて思いました。

それにひきかえ、私どもの「主侍医倶楽部」のサービスは、世界中のあらゆる倶楽部サービスで最高の親密丁寧さだなあと思いました。全てのメンバーの顔パスどころか声パスといってもよいほです。超一流のゴルフクラブでもありえません。有り難いことに「そんなことでは商売にならないでしょう」とクライアントの方々から逆に心配されています。 私のこれからの役割は、こういった誠意と熱意を込めても発展的な(緩やかな)ビジネスモデルが成り立つことを示したいと思っています。

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主侍医の実現可能モデル 2011/8主侍医通信より

2011年08月16日

大地震の再来、放射線障害、猛暑、電力問題、不景気、政情不安など不安要素を数えていたら片手では足りなくなってきました。人間にとって(動物にとっても)安心が一番の大切な生活基盤の要素であることは自明の理であると考えています。かたや「好きなことをやり、好きでないことをなるべく避けたい」というのも、我々の本能だと思います。これを貫くことが出来れば、理想だし、そんな人を見かけると羨ましくもあります。丁度、数週間前放映されたNHK大河ドラマ「ごう」の中で、石坂浩二扮する千利休のセリフ「結局は好きか好きでないかのどちらかなんや。」が印象的でした。もうひとつ感銘したセリフに「私のたてたお茶が日本一というなら、それはあんたが日本一の心を持ったおかたということや」というのがあります。これは利休がお世辞を言っているのではありません。利休は「好きな人には一所懸命お茶をたてるんや、日本一やと思っている方には日本一のお茶をたててあげたいと思うからや」と説明しています。
我々主侍医の思いも、この利休の心にあるなあと感じ、スタッフのみなと気を引き締めました。
話しを元に戻します。「好きなこと」をするには、時にはリスクを伴います。人間の安心最優先説とぶつかり合うようになり悩むことになります。「好きなビール」をたしなむと「痛風」などのリスクが高まります。概して美味しいものを食べ過ぎるといろいろな病気のリスクが高まることはみなさんもご存知のことです。要するに、我々は「安心」と「リスク」の間を巧妙にすり抜けながら人生(という時間つぶし)を楽しんでいこうとしているんだなあと常々思っています。我々主侍医は、その「安心」を少しでも高めるためにお手伝いしているのだと思っています。
7月10日に、僕自身が58歳を迎えました。還暦まであと2年と、少し武者震いがする感じです。高度複雑化していく医療の中で、満足度が高い安心なシステムを研究し続け、やはり医療のインターフェースとアクセスシステムとしての主侍医システム、医療の判断支援システムとしての医療判断学やその専門家が必要だとの思いは増強するばかりです。すでに存在する「かかりつけ医」や「家庭医」「総合医」の概念も主侍医システムと同様のものだと思っています。しかし、それらはあくまでも国民の誰もが受けられる治療サポート中心の現在の保険制度のうえに存在していますから、その品質向上にはかなり無理が生じます。それらのドクターの身を削った努力にのみ支えられています。
「相談」「助言」「判断支援」などは、日本では軽くあしらわれがちですが、実に高度であらゆる能力、技術、そして充分な時間を必要とする最も貴重なものだと我々は考えています。
保険制度の中で、こういった「相談」「助言」「判断支援」をカバーするようになればいいと初期の頃は言っていましたが、最近では、それは不可能だし、破綻を助長すると考えるようになりました。せっかく世界に類をみない世界中から羨望されている保険制度があるのだからこれを守らないといけません。

今後2年間を、主侍医システムは「かかりつけ医」や「家庭医」「総合医」の活動の先進モデルから実現可能モデルにまで作り上げることに専念したいと思っています。それこそ僕にとっての「好きなこと」だと思っています。多少の(過酷な)リスクを覚悟しながら。

皆様方のご健康を祈りつつ、今後ともご支援をお願いする次第です。

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脱原発と原発依存についてのテレビ討論にがっかり 2011/8

2011年08月08日

数週間前になってしまったが、標記の件について、経済界の重鎮たちが討論をしているテレビ番組を垣間見た。経済界の重鎮対象のアンケートだから、脱原発反対数が過半数となっていたのはやむを得ないという印象を受けた。そして脱原発反対論のコメントの多くは、企業の利益を守る立場だから当然と言えば当然かもしれないと一定の理解はできた。もっとも僕の目にはそれらのコメントは自己利益優先の了見の狭いものに映り、もっと大局的な視点を持った人こそが大企業のトップに欲しいものだと痛切に思った。しかし、最も許せなかったのは、得意顔で「脱原発当面反対、将来的には賛成」と尤もらしい意見を言った人だ。どこの会社かはあきれ果てて忘れてしまった。自分では正義の味方よろしく、または中立を意識した良識人とでも思っているのだろう。その偽善的コメントからは「自分が社長の間は、原発がなくなると困るが、その後は良きに計らってくれ」という内容にしか汲み取れなかった。「今すぐ無理でも、脱原発を目指すべきだ」という考えなら、素直に「脱原発賛成派」となるのがまっとうな意思表明の仕方である。こんな似非(えせ)人道主義に騙される国民も悪いのだが、このようなタイプの人が選挙に立候補してそれなりの支持を集めるから驚きだ。それに比べると、管総理が思わず自分の意見で「脱原発」を表明したことのほうが、人間としてより信頼できるくらいだ。勿論、一国の総理としての手順を踏む必要はあったのだろうが。

とにもかくにも、前回書いた「縮退」現象の張本人のような人々に振り回されていると、世の中は破滅に向かってしまうと憂慮している。

 

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「縮退」現象について 2011/8

2011年08月08日

僕の医師仲間はまっこと多彩なのですが、その一人に小池弘人ドクターという方がいます。小池先生は東京四谷で統合医療を自ら実践されています。つい先日、先生の近著「統合医療の考え方活かし方」という本をご恵送いただきました。この本の中に、先生が統合医療に至った経緯は詳しく書かれています。

読み進めていくと、医療の底辺を流れる本質がちりばめられていると思いましたが、中でも「縮退」という概念を引用されている一文に目も心も止まりました。「一部の人やものの間だけをお金やものが循環しつつもだんだんと狭い場所に集中して早く回っていくさまを、物理学者の長沼伸一郎先生は「縮退」と呼んでいます」これは引用の引用となってしまいましたが、意味深い解釈だと思います。小池先生は、あらゆる分野で縮退が生じていると言及されています。僕も全く同意見です。世の中はこのとてつもない「縮退」と呼ばれる危険領域に向かって加速している恐怖を感じています。いつ破局が訪れるのか?原発事故などもこの一つではないでしょうか。

この本のメインの主張のひとつに「統合医療ではきづきと覚悟が必要」と書かれています。僕のライフワークである「医療判断学」も同じだと思っています。何事もいいとこ取りは出来ませんから「覚悟」が必要でしょう。物事を判断して決断していくリーダーにこそ「最高に厳しい覚悟」が必要なのに、日本の政治家も大企業のトップたちをみていて「覚悟」が出来ていないさまが情けなく惨めっぽく感じるのは僕だけでしょうか?

この本の中でもうひとつ「部分を集めると全体になる」という要素還元主義への批判が書かれています。「良い部品を集めるだけでは決して素敵な車は作れない」とカーマニアの僕が昔から主張していたこともそうでしょうが、医学や政治判断などシビアな分野では特に大切な基本的心構えだと思います。

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東日本大震災に教えられたこと15  日本は二つになってしまった 2011/4

2011年04月27日

「頑張ろう日本。日本はひとつ」というかけ声に水をさすような題名を付けてしまったが、おおよその日本人は、そのように感じているからこそ「日本はひとつ」と叫んでいるのでしょう。でも、現実は「被災者」と「非被災者」という厳しい2極化をしてしまったと感じているのは僕だけではないでしょう。勿論、「明日は我が身」かもしれない運命の厳しさは誰にでもつきまといます。被災者の方々にとって「日本はひとつ」とただ叫ばれても複雑な思いを持つのではないでしょうか。

震災前の不景気を評して、「上流社会と下流社会の2極化」も言われていました。こういった大きな2極化が好ましくないということから、今回も「日本はひとつ」というムードをかもし出したいと多くの人が思っているのでしょう。

僕自身の考えもこういった2極化に憂慮しています。文明が発達しすぎて、経済活動も複雑化のあまりの単純化現象を起こし、「勝ち組」と「負け組」がはっきりしてきました。それが「上流社会」と「下流社会」にそのまま翻訳されそうになっていたのです。そうなると、経済活動の勝ち組は、少し知恵を巡らした「搾取組」が「勝ち組」であり、それ以外は「搾取される組」または「経済的裕福に価値を認めない人々」が「負け組」となる2極化が加速されました。企業家のみならず、スポーツ選手、医師や弁護士、芸術家の領域までそういった2極化が進みました。「大量の利益を出すか出さないか」「賞金を稼ぐか稼がないか」「神の手かそうでないか」「絵の値段が高いか安いか」

なんとつまらないことでしょうか、と僕は思います。

では「みんな一緒のひとつ」がいいかというと、それもつまらないでしょう。僕の考えは「緩やかな若干複雑な多極化構造が人間として面白味がある」ということです。僕は建築物を見るのが好きですが、前にも書きましたように、「バカの一つ覚えの高層建築の乱立」には辟易としています。

話しを元に戻しましょう。まことに遺憾ながら「被災者」と「非被災者」の二つに分かれてしまった現在、それぞれの出来ることは違います。それぞれの立場で、日本を復旧(東日本を復旧し、日本人のマインドを復興)していくことに貢献したいという思いは強いのだと察します。そのためには「非被災者」こそ、この二つに分かれた運命を認識し受け入れ、過剰に怯えたりするのでなく、一時的な高揚での一時的ながんばり活動ではなく息の長い日常への思いを育むことが必要だと自分を戒めています。「被災者」の方々は、否応なくそして立派にその歩みを既に始めていると僕にはそう感じています。

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東日本大震災に教えられたこと14 孫さんも続きました! 2011/4

2011年04月04日

有名スポーツ選手に続き、ソフトバンクの孫さんもさすがの「私的100億円寄付とこれからの役員報酬全ての寄付」を発表しました。こういった輪が広がることが復興のマインド的な好影響があるでしょうし、経済の活発化にとっても重要でしょう。経済的に2極化が進むと、ますます消費が滞ることが予測されますが、こういった形で富裕層の不活動貯蓄が放出されていくことはたいへんな経済効果があるでしょう。現在の企業活動で成功者を自認する人は、孫さんに続いて欲しいと思います。孫さんとは昔何度かお目にかかりましたが、今後の日本のためにもボランティアで是非主侍医を引き受けたいものだと思います。

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東北関東大震災に教えられたこと13 隣人と力を合わせなさい! 2011/3

2011年03月31日

被災者の方々の様子を拝見していると、頭の下がることばかりです。東北地方の人々の素晴らしさは、今や世界的な評価です。しかるに、我々東京人等、非被災者は全く評価されていません。むしろ買いだめや、エネルギー過剰消費で冷たい視線を浴びているくらいです。被災者の方々をみていると、悲惨なめにあっているのに譲り合ったり、助け合ったりしているのがごく自然に映ります。我々東京では、マンションの隣に住む人の顔も知らなかったり挨拶さえもしません。これでは助け合うどころではありません。ある防犯学者は「近隣の人たちが顔馴染みであることが、最大の防犯につながります」と話されていたことを思い出します。身近な人々と助け合い、喜び合うというごく普通のことを忘れ去ってしまっていたのではと深く反省しています。

身近な人から信頼の輪を広げることは医療の分野でも大切だと痛感しました。

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東北関東大震災に教えられたこと 12 遼君ありがとう! 2011/3

2011年03月31日

このシリーズ第5回目に「石川遼君、昨年の稼ぎをみんな寄付してはどうだろうか?」と提案しましたが、まるでそれに呼応してくれたかのように、昨日、「今年の全賞金を被災者のために寄付する」と宣言してくれました。日本を代表する人気者が率先して、自己犠牲を伴った支援をする模範をしくれた意義は大きいと喜んでいます。イチローはいつもながらいち早く名乗りをあげましたし、松井も続きました。

実業界ではあまり出現しないのは残念です。庶民から稼いだお金を元に政治家になろうとしている人もいるようですが、偉そうなことを言っているようでも何もしない。そんな人の選挙スローガンはやはり驚くほど稚拙です。もし、都民がそんな者を選ぶようなら、東京に三くだり半を差し出そうと密かに決意しています。

僕など庶民の間でも、今回の義援金への参加の多さには驚きますが、残念ながらインパクトは小さい。我々小額の寄付しか出来ない者にとって、額の問題ではない、支援の気持ちを実行する意義は大きいのだと自分を慰めるのですが、、やはり国民的英雄が模範を示すことは影響力が段違いです。言わして頂ければ、多少の贅沢をする以上の稼ぎはこういった時に使うためにあるのではないでしょうか?

日本は、通常においても大型の寄付行為が少ないと思っています。だからこそ僕は所得上限論を主張しています。日本人は稼ぐのが好きだが、使い方が全くもって下手でだらしない、と日頃から感じています。どれくらいの資産を持っていれば老後が安心で、どれくらいの遺産を子供たちに残したいというのでしょうか?いくら残しても子供たちは幸せになりません。多くの実例を目の当たりに見てきました。それよりも、美しい使いっぷりを子供に見せてあげた方が、よほど子供たちにとって幸せなことでしょうか?

老後の不安のための過剰な貯蓄には、我々医療関係者も責任の一端があります。北欧等に比べて、日本の福祉の量もそうだが、質の低さがそうさせているのです。不安だから過剰な反応をするのです。買いだめや風評行動も同じでしょう。

お金がそうそうなくても、充分な安心と幸せな日々を過ごせるという社会作りが大切だと思っています。その一翼を担いたく、安心医療の仕組み作りを一層進めたいと新たに決意しました。主侍医活動を20年間行ない、医療における安心のポイントや日常的医療の質の向上のためのポイント等を随分勉強しました。その経験と知恵を活かして、今後の活動を強化して参りたいと考えています。サポーター、パトロン、スポンサーのみなさまのお申し出をお待ちしています。

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東北関東大震災に教えられたこと11 計画停電に思う。魂を売るな、日本の建築家2011/3

2011年03月23日

「このくらいの暗さ、静けさ、肌寒さもいいかもしれないね」

周囲の人たちや、テレビの中でもこのような声を多く聞きました。今まで、平気で電気を使いまくり、場所によっては夜か昼の区別がつかないくらい。六本木や新宿などでは、昼より夜の方が明るく感じられるくらいでした。

多くの人々が「やりすぎていたなあ」と反省しているように伺えます。

しかし、これも時間が経てば忘れ去られていくのだろうなあ、とも心配しています。

幸い僕の事務所や自宅は計画停電の区域に入っていませんが、感謝の意味を込めながら、暖房をはじめ、便座暖房は勿論、自然に点く門灯なども切り、部屋の電気も暗めにしています。自宅はいいのですが、事務所やクリニックの暖房や照明では患者さんやお客さんに迷惑をかけることになりますが、ほとんどの方々は「当然ですよ」と力強く言ってくれます。このようなことが東京のあちこちでも起きているのだったらいいなあと思っています。

 

僕のいる飯田橋では、都内の最後と言われている大規模再開発工事が始まっています。旧東京警察病院をはじめとする大規模ビル(なかにはまだまだ十分に使用できるものも多い)を連日取り壊しています。今も、その解体のための音が聞こえてきます。この10日間、その光景を見るとなんとも切なくなります。東北地方では、家が自然に破壊されたというのに、ここでは、何千何万人と住めるようなビル、マンションを大勢の人手を使って壊しているのです。いずれの解体ビルもあの津波でも倒れそうもないしっかりしたものばかりです。

そして20個以上のビルのあとには、何が出来るのでしょうか?

なんの意外性も無い、マンネリとも言えるくらいですが、またもや超高層ビルが2本建ちます。建築工学の進歩で、彼らは超高層にした方が土地の利用効率がいいといいますが、僕は真っ向から反対です。人間の感性としても、医学的立場からでも。高層ビルは電気消費の塊です。エレベーターがないと身動きすら出来ません。もしかすると単位面積あたりの電気効率は高層ビルがいいと、専門家の反論があるかもしれませんが、その人は人間失格の専門家だと思います。科学的効率だけで人は語れないからです。

東京にこれ以上高層ビルが必要でしょうか?常識的に考えて誰もが判断できるのではないでしょうか?土地を有効活用して、儲けることばかりを考える不動産開発の人々、それに魂を売ってしまう建築家や建設会社。古い建物を大切にするヨーロッパの町並みを綺麗だと言っている建築家たちが、このようなことを容認するどころか、競って設計コンペに参加しているのかと思うと情けなくなります。我々凡人が何を言っても駄目です。心ある力ある建築家が連合して、このような流れにストップをかけてみませんか?

 

しかし、あきらかに「やりすぎ」です。

良識ある日本の建築家を信じています。 

医師たちの間で「手を抜かない」「あきらめない」「やりすぎない」をモットーにする活動をしていますが、いろいろな分野でも共通すると思います。僕は医学の世界で頑張ります。他の分野で賛同して頂く方は、ご自身の分野で頑張ってください。頑張る人がいないと世の中住み良くなりません。勿論、頑張らない人がいてもそれも人生だと思います。

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東北関東大震災に教えられたこと10 よく見えた人の本性2011/3

2011年03月23日

今回の未曾有の悲劇を生んだ災害に際し「人の優しさ」「人の我慢強さ」「人を思い遣るこころ」に触れるとともに「非情さ」「身勝手さ」「残忍さ」も垣間見たというお話をお聞きしました。それぞれの人々の「何が大切か?」を見たことになるのでしょうか?

数時間前、震災から1週間目の黙祷を捧げました。

長い長い1週間でした。

僕は日頃「まさかの時に助けてくれる友こそ真の友」より「嬉しい時に、心から一緒に喜んでくれる友」のほうがより上級だと言っています。若干訂正しなければならないと、今回のことで思い直しました。今まで、ここまでの危機感を味わったことが無かったからだと思います。テレビドラマで、可哀想なストーリーを見た時に、泣けてくるのはみなさんも体験していると思います。それに引き替え、登場人物の嬉しいことには、それほどリアルに喜びません。悪いことへの同情、共感は引き出されやすいが、自分が羨むような人のよいことへ一緒に喜びを感じることの方が遥かに発火点は高いような気がします。だからこそ、親友の情の深さは悲しい時よりも嬉しい時に分かると主張していました。

ところが、今回の場合のように、極限の事態の場合は、本性を現すものですね。外資系の企業の多くの幹部は、日本を見限り逃げてしまったところもあると聞きました。さんざん日本の市場を食い荒らしたところほどその傾向が強いようです。従業員をおっ放り出して、自分だけ逃げだした社長もいると聞きました。忙しい時期に重要な事務所スタッフが突然いなくなったと友人からも聞きました。

一方、重病人を抱える病院で、医療スタッフが自分の身の危険も覚悟で居残って働いている姿がたくさん放映されています。有名でもなく大学教授でもない現場の医師たちとスタッフです。一目散に逃げるような医師もいることは知っています。そういう人は自分が安全な時はまるで人道主義者のような発言を平気ですることも知っています。なかなか見破れないのが残念ですが。

リーマンショックや911の時もそうですが、今回の災害を利用して巨富を稼いだり、詐欺をしたりする人もいるというから驚きです。

一方、海外から日本の被災地にボランティア活動に来ている人もいました。感動的でした。

 

悲惨な余裕の無い時ですがよく見ておきましょう。真の姿を。

 

誤解のなきように「退避」と「逃亡」とは違うことを付け加えておきます。

「退避」は「攻めるための勇気ある一時的撤退」だと解釈しています。

 

生前の親父に厳しく教えられました。

「医者になるのだから患者さんには常にベストを尽くせ」

和歌山で長兄が開業して、次兄とともに当直の手伝い等をしていた時です。夜通し急患が運ばれてくるので、兄弟で交代に起きて患者さんに対応しようと打ち合わせました。ところが救急車が到着すると、親父が我々の当直室にやってきて「お前らみんな起きろ!患者さんは真剣なんだ。一人より3人の方がええに決まってるやろ」と怒鳴るのです。親父は医師ではありませんでしたから、長く医療活動を続けるにはこういった交代制も仕方ないと説明しても頑として聞き入れてくれなかったことを懐かしく思い出します。

一方、親父は和歌山の知人や親戚中でも有名な「子煩悩」でした。子供を守るためなら何でもするという迫力は兄弟4人とも常日頃十分感じていました。我々兄弟が全員医師になることを半ば(95%?)強要したようなものですが、その理由は、戦争の時(ラバウルにいたようです)軍医に助けられ(自分も戦友も)かっこいいし有り難いと思ったことと、軍医は安全な場所にいられることを知ったからです。大切な子供にかっこいい仕事について欲しいという願いと、万一戦争になっても安全なところにいられるだろうからという親としての思い遣りという相反する思いがあったのだろうと思います。

昨夜、一昨夜、子供たちとそのフィアンセを集めて連日論議をしました。次男は仙台から無事東京へ退避できましたが、喜びもつかの間原発危機が襲ってきました。友人等からも東京から退避した方がいいのではないかとの温かいアドバイスもたくさん頂きました。「海外の私のところへ来なさい」和歌山の実家でも「何人でも受け入れ体制を整えている」と心強い声が伝わってきます。親としては、子供の安全を最大限守るという責務があります。しかし、彼らも成人して、一人は医師として働き出したばかりです。親の気持ちとしては、想像も及ばないくらいの最悪の事態を空想して、より安全なところへ退避させたく思います。しかし、現状では事実上「逃亡」になります。本人たちも当然納得しません。

スタッフとも話しました。スタッフの身を守るのも責務、クライアントの身を守るのも責務。小さなことしか出来ない僕にとって、家族、スタッフ、クライアントの身を可能な限り守り抜くというバランスのいい決断を迫られます。

原発についてのより正確な情報知識を得る努力をすること。

それに基づいて、総合的判断をするが、事前にいくつかの想定により場合分けをすることが大切です。

子供たちも、スタッフたちとも、2重3重の緊急連絡体制を敷いておくこと。今のところ、東京では冷静な対応でよいと僕は判断しているので、平常通りに業務はやろう。ただ、独自の判断で、東京より西に退避したいなら拒まない。平常通りの行動の中で、親(代表)が東京を離れているときの緊急事態の場合の行動指針を決めておくこと。関西に避難するときはスタッフも全員引き受けが可能なように準備する。

などなど、細部にわたる取り決めと、大きな心構えを話し合いました。

スタッフとは「主侍医という活動の真価が問われるとき」という認識を持つことを確認し合いました。

 

ここではとても書き尽くせないくらいの、厳しい決断を迫られ胃に穴があくような感じでした。

家族スタッフクライアントの中だけのリーダーとしての判断にこれだけ悩んでいるのですから、国民のリーダーは大変だと共感はしています。でもそれがリーダーなのですから。

 

親父だったらなんというかなあ。「いち早く子供を安全な場所へいかせろ!」「医者なんだから患者さんに全力投球だ、手を抜くな」そんな怒鳴り声が聞こえてくるようです。親父だったら僕には出来ない決断を考え抜いただろうなあと思いを馳せました。

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東北関東大震災に教えられたこと9 福島原発で活躍の人々への尊敬と感謝2011/3

2011年03月18日

くの国民が、福島原発での最前線で活動している人々に期待に熱い視線を向けています。東電や保安院の幹部も現場に行くべきだとの声も多く聞かれます。

決死の覚悟をして現場で頑張っているのは事実です。

ピンボケの記者が「現場での隊員の健康を犠牲にしているのですか?」とまるで人道主義者であるかのようなつもりで質問していました。この状況下で、厳しい状況も知っている中で、このような質問をするマスコミ記者のマインドレベルに驚きました。そういえば津波現地で水に囲まれた屋根に必死でしがみついている人に向かって「大丈夫ですか?」といっている記者がいましたね。いずれも同様ですが、それらの記者には言っていることとはうらはらに「人のことを心配し配慮してあげる心に欠陥があるとしか思われません。本人は「あなたの健康(からだ)のことが心配です」と言いたいのでしょうね。本当に心配している人は、そんな状況で決してそのような質問や声がけはしません。

福島原発で頑張って作業している人々は、どのように選ばれたのでしょうか?友人たちや息子たちも交えて討論しました。今時有無を言わさない命令はあるのでしょうか?自衛隊ではどうなのでしょうか?僕には分かりませんが、とにかく身体を張って、覚悟を決めて頑張ってくれているのは確かです。中部電力の停年前の原子力一筋で頑張ってきた人が、志願してこの現場作業に加わったという話しを聞きました。家族も「頑張って」とそれを見送ったということです。テレビで放映されたかどうかは知りませんが、感動的な話です。東電の作業員にしろ、自衛隊にしろ、消防隊、警察にしろこの現場に出向いている人たちは、映画の「アルマゲドン」の地球救援隊のような方々たちでしょう。

僕は提案します。この事態を収めることができた暁には、現場一線で頑張り抜いた東電の社員さんは、テレビの前でゴロゴロしていた東電幹部の方々と一斉入れ替えをしてはどうかという提案です。勿論、現場で働く人たちとそれを取りまとめて指揮する人が必要なことくらいは分かっていますが、JALにしろ東電にしろ、その他の大企業でも、おおよそもはやほとんど役に立たない人が、それなりのポストでぬくぬくと高給を貰っている人が少なからずいるということです。そのつけが現場で頑張る社員や消費者に回っているのです。

福島原発はこれからどうなっていくかは分かりませんが、名も無い現場の英雄たちに国民皆が感謝したいと思っています。一段落まで乗り越えたら、そういったチャンスが是非欲しいものです。一人一人のすがすがしい顔をなんとか拝みたいですね。国民のみなさんは、お偉い方々の、偽善に満ちた顔を見るのに辟易している今日この頃だったと思いますので。

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東北関東大震災に教えられたこと8「民主自民公明共産党結党の勧め」2011/3

2011年03月18日

前項に続いて、復興10年は、超党体勢で日本を再建していくというくらいの思い切ったことが必要ではないでしょうか。この気の遠くなるような再建活動では、各政党のそれぞれの強いところが全て必要です。今やピュアな「共産主義」のシステムは成り立たないことは世界的な共通見解かもしれませんが、復興においては一部には共産的考えも必要でしょう。富のあまりにも大きな偏りはこれからの成熟した国には向きません。全てが均一では労働意欲がわかないから、頑張ればどれだけでも稼げるという仕組みは絶対必要だと人は言います。僕はそう思いません。「行き過ぎ」は必ず破綻します。極端な話、せいぜい平均個人所得の10倍が限度で、それ以上は99%が税金でもいいのではないでしょうか。「それでは産業は活発化しない」と多くの人に反発されます。息子の一人までから反論されました。「そこを工夫するのが、成熟型資本主義」ではないかと思っています。年間5000万円以上個人的に稼ぎたい方は一体何が欲しいのでしょうか?「命よりこころ」論(ここでは詳細を省きますので、ブログの他の部分をご参照下さい)と同じく「お金より栄誉」論も成立するかもしれません。社会としてのなんらかの工夫で、適切な成熟型資本主義のモデルを作るよい機会かもしれません。

話しは、飛びましたが、昭和の「戦争復興とその後の成長、競争社会」から平成の「欲望の権化化と安穏の入り交じりによる二極化加速と破綻」となり、これから「再復興」の試練が訪れました。やはりキーワードは「競争」から「協力」でしょう。今回の災害では、被災者またはその恐れがある人々と全く難を逃れた人々との決定的な二極化、全て失った人々や身動き取れない人々と余裕のある人々との二極化など、いろいろなところで二極化の権化が発生しました。それを利用して更に強者となるものを許すのか、本当の勝者は人の心にあるという流れが勝者となるのか偏見を持ちつつ見守りたいと思っています。小さな存在の僕ですが、前者は絶対に許さないという毅然とした行動をとりたいと決意しています。

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