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主侍医の実現可能モデル 2011/8主侍医通信より

大地震の再来、放射線障害、猛暑、電力問題、不景気、政情不安など不安要素を数えていたら片手では足りなくなってきました。人間にとって(動物にとっても)安心が一番の大切な生活基盤の要素であることは自明の理であると考えています。かたや「好きなことをやり、好きでないことをなるべく避けたい」というのも、我々の本能だと思います。これを貫くことが出来れば、理想だし、そんな人を見かけると羨ましくもあります。丁度、数週間前放映されたNHK大河ドラマ「ごう」の中で、石坂浩二扮する千利休のセリフ「結局は好きか好きでないかのどちらかなんや。」が印象的でした。もうひとつ感銘したセリフに「私のたてたお茶が日本一というなら、それはあんたが日本一の心を持ったおかたということや」というのがあります。これは利休がお世辞を言っているのではありません。利休は「好きな人には一所懸命お茶をたてるんや、日本一やと思っている方には日本一のお茶をたててあげたいと思うからや」と説明しています。
我々主侍医の思いも、この利休の心にあるなあと感じ、スタッフのみなと気を引き締めました。
話しを元に戻します。「好きなこと」をするには、時にはリスクを伴います。人間の安心最優先説とぶつかり合うようになり悩むことになります。「好きなビール」をたしなむと「痛風」などのリスクが高まります。概して美味しいものを食べ過ぎるといろいろな病気のリスクが高まることはみなさんもご存知のことです。要するに、我々は「安心」と「リスク」の間を巧妙にすり抜けながら人生(という時間つぶし)を楽しんでいこうとしているんだなあと常々思っています。我々主侍医は、その「安心」を少しでも高めるためにお手伝いしているのだと思っています。
7月10日に、僕自身が58歳を迎えました。還暦まであと2年と、少し武者震いがする感じです。高度複雑化していく医療の中で、満足度が高い安心なシステムを研究し続け、やはり医療のインターフェースとアクセスシステムとしての主侍医システム、医療の判断支援システムとしての医療判断学やその専門家が必要だとの思いは増強するばかりです。すでに存在する「かかりつけ医」や「家庭医」「総合医」の概念も主侍医システムと同様のものだと思っています。しかし、それらはあくまでも国民の誰もが受けられる治療サポート中心の現在の保険制度のうえに存在していますから、その品質向上にはかなり無理が生じます。それらのドクターの身を削った努力にのみ支えられています。
「相談」「助言」「判断支援」などは、日本では軽くあしらわれがちですが、実に高度であらゆる能力、技術、そして充分な時間を必要とする最も貴重なものだと我々は考えています。
保険制度の中で、こういった「相談」「助言」「判断支援」をカバーするようになればいいと初期の頃は言っていましたが、最近では、それは不可能だし、破綻を助長すると考えるようになりました。せっかく世界に類をみない世界中から羨望されている保険制度があるのだからこれを守らないといけません。

今後2年間を、主侍医システムは「かかりつけ医」や「家庭医」「総合医」の活動の先進モデルから実現可能モデルにまで作り上げることに専念したいと思っています。それこそ僕にとっての「好きなこと」だと思っています。多少の(過酷な)リスクを覚悟しながら。

皆様方のご健康を祈りつつ、今後ともご支援をお願いする次第です。

作成:2011/08/16

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