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家族・人間関係

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210414コロナが教える人の道53感染しないさせないための意識とは

2021年04月14日

久々に、昨日このブログを書いたら、夜のニュース番組で、「何よりも国民の意識が大切です」という誰かのコメントを耳にした。僕のブログを見てくれた人だ!と思いたいところだが、このブログの零細さを十分に自覚はしている。少なくとも、そのコメンテイターの真似をしているのではないのだが、そういうふうに思っている人が少なからずいることに安心はした。
というのも数日前に近所の人気の小さな町中華屋さんに妻と早めの夕食であれば混んでいないかなと覗いてみた。店員さんが「2名でしたらすぐ空きます!」と呼び入れてくれた。ラッキーと思っていたら「相席でお願いします」との声。今回の緊急事態宣言前ごろから来ていなかったが、何らかの対策をしているかと思っていたが、元々狭い座席に詰まって座る店なのに、相席とは!一瞬怯んでやめようかとも思ったが、短時間で済ませるし、、、と思い中に入ると、いつも年配の常連さんが多い店なのに、ほとんどが20歳代のお客さんで溢れかえっている。示された相席では、隣の方と腕が触れ合うほど。対面には、申し訳程度のビニールのシートが弱々しく垂れ下がっている。「えい、ままよっ!」と席についた。なかなか注文を取りに来てくれないので、妻が声がけするも気づいてくれない。すると隣のカップルと思しき若い二人組の男の子が店員に気付くようにキョロキョロと目配せしてくれている。周りを見ると、男女のカップルがほとんどだ。4月のこの時期なので、近くの大学に入学した学生たちなのかもしれない。コロナの感染のことがあるから、その混雑ぶりに当惑したが、そこにいる若者たちの様子は、周囲の方に配慮して、とても静かに話していて、とても好感がもてた。隣のカップルは、食事が終わるときちんと手を合わせて「ご馳走様」と呟きながら、我々の邪魔にならないように気を配りながら離席していった。若者たちの感染を無視した行動がテレビで報道されるが、全くそのような傾向はなく、警戒する我々の方が恥ずかしいくらいであった。
それにしても、席を少なくして間隔を開けるどころか、ビッチリと窮屈に相席をさせている売り上げ至上主義の経営方針にとても違和感を覚えた。テレビにもよく登場して、いつも行列ができる店で、このコロナの中どう考えても経営は良好であろう。もともと8時を過ぎると店じまいになる。こういった店にも、同じく助成金を支払っているのであろうか?貴重な税金を!

政治や官僚にとって、公正な判断と公正な処置は難しいのは否めない。そこをなんとか工夫して乗り切っていくのが、選ばれし者たちの任務である。
「会食の自粛」「ステイホーム」など言いにくいことを伝えなければならない立場の模範になるべき人々が、まず、しっかりとした意識を持って欲しいものである。

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210413コロナが教える人の道52我慢の限界か?細やかな配慮と意識に期待

2021年04月13日

前回、2月16日に投稿してから2か月も経過してしまった。あのまま感染者が抑制され、無事ワクチン接種へとつながり、オリンピック実現も満更夢のまた夢ではなくなるのではないか、と期待していたが、ご覧の通りの惨状となってしまった。大阪をはじめとした関西の様子を見ても、残念ながら人の動きと連動していることは否めない。一体いつまで?我慢も一部では限界に来ているようにも見える。そもそも「我慢の限界とはなんぞや?」何と比較すればいいのか?何をどのように我慢をすればいいのか?国民は、その指標を見失いつつある。
僕の周りの人たちは「1年間外食していない」「昨年初めから、可愛い甥っ子にも合っていない」など、自ら厳しい感染防御行動をとっている方が少なからずいる。周囲にはシニアの方が多いからだろう。確かに、最近の東京の新規感染状況を見ても、65歳以上の感染者はかなり低く抑えられている。圧倒的に20、30歳代の感染者が多い。4月のこの時期、特にその年代の人々の活動する機会が多いから当然のことであろう。その年代の感染者がうねりを持って他の年代に拡大していくことが予想され警戒もされている。またもう一つ気がかりなのは、小学生中学生の感染者がじりじりと増えていくことだ。小中学校での集団感染が発生し始めると、抑えが効かなくなるし、この時点でさらに学校閉鎖が広がると教育現場の混乱は必至である。
頼みの綱は「ワクチンの普及と効果」だと、多くの人は期待している。イギリス、アメリカ、イスラエルなどを観察するとその通りだと僕も思う。
欧米の悲惨な状況に比べると、日本の感染拡大は、その人口密度や人の流れに比して、低く抑えられていることも事実であろう。その最大の理由は、国民一人一人の「細やかな配慮と意識」であろうと僕は推察している。確かに、一部の若者(中高年の中にもいるであろうが)の傍若無人な行動の報道には、目を背けたくなるが、身の回りの若者を見ている限りでは、活動はするものの、周囲の人への配慮はきちんとしている人の方が圧倒的に多い。そういった「細やかな配慮と意識」は我慢ではない。それぞれの人の、人間性や品性だ。
暗くて嫌なニュースが多い昨今、昨日嬉しいニュースが日本中を駆け巡った。「松山のマスターズ優勝」優勝パット直後、キャディーの早藤くんが旗をホールに戻した後、コースに向かって一礼した。我々日本人にとっては珍しくもないであろうが、その行為に世界中で称賛の声が上がっているということを聞いて、鼻がたかい日本人も多い。人種差別の多い地域だけに、その意義は深い。ありがとう!

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2001218コロナが教える人の道48 「リメンバー GO TO!」

2020年12月18日

3週間前に書いた「悪い予感が的中してしまった」が、事態はさらに悪い方向へと拡大進行している。果たして、ワクチンが入手できて多くの国民に摂取できるまで持ちこたえることができるのだろうか?
それにしても夏前に感染者が一旦下火になり、新宿歌舞伎町のクラスターが震源地であることをせっかく突き止めたのにも関わらず、強い対策が取れないまま、全国の繁華街に飛び散り、今や一般家庭まで浸透してしまった。(新宿中心の感染のピークは第2波、11月ごろからの感染拡大を第3波と呼んでいるが、僕の個人的な見方では、第2波は第3波の前兆であり繋がっている、と考えている)。「家庭内感染が問題!」と結果に対してあれこれ論議しているのが現状である。第2波初期に十分強力な対策が取れなかったことへの反省と今後の改善に対する強い意志が見えてこない。それどころか、国は(政府は)「GO TO」事業という感染を拡めるアクセルを踏みっぱなしである。(国民の内閣支持率の急落を受けて、ようやく年末年始限定で停止することに合意した』その理由として、「 GO TOが感染を広めていると言う直接証拠はない!」と言っている。僕はいつも言っていることだが、小説の中でも、現実においても「『証拠を出せ』という人は犯人であることが多い。総理の言うところの「公助」とは一体なんだろうか?高齢社会の是正でも企んでいるのか?はたまた観光業会などとまたもや利害のつながりでもあるのか?
コロナ治療の最前線で過酷な労働を担っている医療従事者たちは、春ごろから「GO TO」どころか、親や親戚、離れた友人などとも会っていないと聞く。それどころか、ボーナスなども減額されている人も多いらしい。病院が赤字だからである。それこそ、コロナを乗り切った時にこそ、そういった医療従事者のために、「GO TO」として、我々の税金を投入して心からの感謝を持って慰労をしてあげるべきではないだろうか?それなら国民は納得するのではないだろうか?

国民をギリギリの窮地に追いやっているのは紛れもなく「経済優先と称する、感染拡大に対する無策どころか感染を助長している政府の態度」である。もちろん、そればかりが原因ではないだろうが、大きな要因になっていることは、直接的証拠がなくても良識的かつ常識的推論から明らかである。
例えば、100年前のスペイン風邪の例をとっても3年で収束している。ましてや、進化した医学医療技術がある現在では、1,2年で押さえ込むことも期待できる。経済をなんとか持たせて、コロナがある程度落ち着いてから、V字回復に持ち込むことこそ政治の手腕ではないだろうか?

毎日のように、総理や官邸の人々の心のこもっていない(としか思えない)コメントを聞いていると腹立たしくまた情けない。最前線で、使命感のみで踏ん張っている医師や看護師はじめとする医療人たちへのリスペクトは全く感じられない。もともと医療を締め付けようとしていた政策を実行中だった時であったからだろう、という話も聞く。まさかとは思うが。一線の医療人が必死で働く中、国民の税金を使って、8人の大勢で、一人数万円以上もするステーキハウスでマスク会食も実行せずのうのうと舌鼓を打っているお姿を想像すると身の毛がよだつのは僕だけだろうか?

次回の総選挙の時には、この感染者急増の最中、「GO TO」を推し進めている政治家たちがとっている行動、言動を忘れてはいけない。いずれコロナ禍は収まるであろう。その時は、そんな政治家たちはまるで自分の手柄のように話すであろう。想像しただけで身震いする。
自助努力で、感染対策をきちんと行い、「GO TO」などに目もくれず、人との接触を極限まで我慢してきた多くの国民と、自らの命をかけてコロナ医療の最前線で対峙した医療人と、そのために手薄になった他の医療を支えてきた人々にこそ感謝しないといけない。彼らの懸命な姿の報道を見ると涙が出てくる。そういった人々で「国民の命を守る党」でも結成してくれれば、票を投じる国民は少なくないであろうに!

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200908コロナが教える人の道45 またも感動、諦めない手を抜かない職人たち

2020年09月08日

コロナ騒ぎの中、いろいろな人間模様が織りなすドラマが各所で起こっている。このブログでも、日本のリーダーたる人たちへの失意を再三伝えてきた。コロナ禍のなか、素晴らしいリーダーになかなか出会わないことを体験したが、日常の生活の中では、ほっとするような人間像を見ることも少なくない。そんなおり、先日、長年懸案だった、築後20年の家屋のいろいろな修繕や追加工事を実行した。20年前に親友のインテリアデザイナーがプランして、その時工事を担当してくれ、以来信頼しているAさんに依頼した。今まで、何度かちょっとした工事をお願いしていたが、今回、専門外とも言えるような内容もお願いしたが、「何とかします」の一つ返事で引き受けてくれた。しかも相当安い見積もりだ。当日は4人の職人さんが朝イチ9時ぴったりに来てくれた。皆さん、このご時世なので、マスクを着用しているが、見覚えのある顔だ。全員が、同じ会社ではないらしいが、よく一緒に仕事をするということで、そのチームワークが素晴らしい。4人が、9カ所ある作業をある時は1:3、ある時は2:2とコンビを組みながら作業をしていく。実に自然に共同作業をこなしていく。木屑などのゴミが出れば、最も若い人がさっと掃除機をかけていく。これではもとよりきれいになるのでは?と申し訳なく思ってしまう。玄関に棚を作ったり、風呂場のシャワーヘッドを交換したり、築後20年にして初めてかける表札を取り付けたり、無理して依頼し、階段下に曲がった形のカーテンレールをつけていただいたり。そして、半ばついでに頼んだことだが、この数年、換気扇のスイッチが2、30回に一回作動するという具合に効かなくなり、メーカーに頼んでも「部品がないので、交換しかありませんね。」と冷たくあしらわれどうしたものかと思案していた。「無理かもしれませんが、スイッチ内部を覗いてみましょう」と。特別仕様の換気扇なので、複雑なパネルを一つ一つ外して、スイッチ部分を露出していく。パネルの外側は、妻は油汚れなどを清掃できていたが、裏側は清掃のチャンスはなく、相当油で汚れていたので、さりげなくこの機会に洗おうとタイミングを計っていたが、何と洗剤まで持ち込んで、手のあいた職人さんが次々ときれいに拭いてくれる。「あっ、自分たちでやります!」と声がけしたが、むなしく清掃まで任せることになった。スイッチ部分は、なかなか手強いが、こちらも清掃することで改善するかもしれない、と言いながら丁寧に4人がかりであれやこれやとして、試しにコードをつないでスイッチを入れてみるとファンが動くではないか!「モーターはまだまだきれいだからこのまま使えるぞ」と職人さんたちは嬉しそうに言う。僕が「さすがAさんチーム、諦めない、手を抜かないだ。僕が日頃自分に戒めていることなんです」と喜んで言う。「でも、諦めないと思って懸命にしているうちに壊してしまうこともあるんです」と一人の職人さんが苦笑いしながら。すかさず、僕も「だから、『やりすぎない!』と言う言葉も付け加えているんです」と、一同苦笑い。「皆さんのようなチームワークが、今の内閣や官僚にあれば、日本はもっとよくなるのですがね」
「これで、全て完了ですね」と言いながら、ばらした換気扇のパネルを順番に取り付けた。職人の方達が、あちこちに広げていた道具類を整理し彼らの車に積み込みに行った時に、妻と「長年オンオフに苦労した換気扇のスイッチだったけれど、これでポンっとつけられるね」と言いながら、ニコニコしながらスイッチを押してみた。が、、、な、なんとつかないではないか!「これは今更言えない、言えない」と妻。「でも言わないでいると、彼らは、我々が喜んでくれていると思っているのに、実はガッカリしていた、というのもかえって悪いよ。」と、自分を勇気付けながら、そして、ドキドキしながら「申し訳ありません。今再度試してみたら、また、点かなくなっているんです」と。せっかく完了したと思って、道具も片付け、帰り支度をしたというのに。僕が、職人さんたちの立場だったら、きっと嫌な顔をしていただろう。ところが、彼らは全くもって面倒がらずに、また道具を用意し、養生のビニールまで新たに貼り直すではないか!?「今度は慌てずに、もっと徹底的にスイッチ部分を清掃しよう」と4人ともに面倒そうな素振りは一切ない。それから1時間後、パネルなどを再装着した。問題なく、スイッチは作動した。そして3日後の今日も、快適に作動している。

僕自身が、日曜大工的なことは好きなので、こういった工事の時は、普段見ることの少ない、壁や天井の中を一緒に観察させていただくのであるが、大抵は職人さんたちの真面目さ、熱心さに感心、感動する。今回は、権力闘争に明け暮れる官邸の様子を目の当たりにしている時だけに、その感動はひとしおだった。

感謝の一言である。このような仕事をしたいものだ。(本日、たまたま患者さんのご家族から、感謝のお電話をいただき、僕も負けないぞ!と思った次第である、、、、)

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200731コロナが教える人の道41 医師会歴史的奮闘!

2020年07月31日

昨日の東京都医師会会長の演説に感動した国民、都民も多いと思う。また、医師会会長でさえ「政府の無策」と評したということは、日本はどうなっていくんだ?という不安感を募らせた人々も多いはずだ。国民からすれば、政府も厚労省も医師会も一丸となって自分たちの命を守ってくれるはずだ、と心の底ではまだ期待している。残念ながら、政府は、関連する企業に軸足を向けて、自分の権限利権を守ろうとしている(ように見える)。厚労省は、自らの縄張り意識と自己保身を優先して守ろうとしている(ように見える)。従来医師会は、自分たち医師の利権を守るための集団と、厚労省などから揶揄されてきた。しかしながら、医師会のリーダーたちは、自らも現場にいる。そこが政府や政府の傭兵たる専門委員会や有識者委員など(名称はどうでもいいが)、厚労省の人々は現場的視点は皆無と言っていい(ように見える)。昨日は分科会専門委員の尾身氏は、現況を「医療が逼迫していないので、(GO TOや経済優先の舵取りを)続ける方がいい。ただ近いうちに、専門家委員の見解も発表する」と言った。近いうちに、だと鼻で笑ったが、恐ろしささえ感じた。この感染がひどい状態になったら、「あのときは言いたいことを言えるムードでなかった」などと言い訳するのであろう。尾身氏だけではないはずだ。それなりの医学会のリーダーと思われている人が参加しているはずなのに、まともな意見、活動が全く見えてこない。
それに反して、児玉先生や島田先生、医師会が孤軍奮闘しているという図式となっている。
この後に及んで、GO TO トラベルは続き、GOTOイートまでいつやるかなどと論議している。あまりの無能さは空恐ろしい連中になる。

国民よ、今回のことは最低でも30年間は忘れてはいけない。誰に日本を任せるか今後の選挙のたびに思い出したい。

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200730コロナが教える人の道40 あっぱれ!頑張れ!世田谷モデル

2020年07月30日

新型コロナを前に立ち竦むどころか、新型コロナの回し者かと思われる政府や厚労省の対応に落胆どころか絶望を感じていた中、今日のニュースで「世田谷モデル」の話を知った。今できる対策は何か?、と考えたら「検査と隔離」しかない。それで、有効なワクチンが入手できるようになるまで、感染者数を最小限に抑え、その結果重症者を最低限に抑え込むことが唯一の対策である。これは多分、誰にでも分かっていることであろう。それを実行していくのが、政治家や厚労省の役割である。なかなか実行できないから「経済との両立」などと、一見聞こえの良い「言い訳」のもとに、GO TOや、マスク、給付金事務局事業委託など、意図が極めて不明瞭なことをぐずぐずと行っている。僕の1年先輩の島田山梨大学学長や児玉東大先端研名誉教授の心から叫ぶ警告を横目に見るだけだった、政府や厚労省の人々に業を煮やして、保坂世田谷区長がついに立ち上がった。「誰でもいつでもどこでも何度でもPCR検査を」というNYでのコロナ対策を世田谷区で実行しようとしている。児玉先生からしっかりとアドバイスを受けているようだ。たとえ世田谷区からだけでも、こういったことを本気で実行することは大切だ。「失敗を認め、成功例を学ぶ」という姿勢が極めて重要だからだ。日本人は「真似る」ことがうまいから、誰か勇気あるリーダーが困難であるが有効な対策をしてくれると、後に続きやすい。
エイズ抗体検査の頃や、今回の新型コロナ流行の初期、「複数の検体を集めて検査すれば、検査費を抑えることができるし、プライバシーも若干守れる」というアイデアを話したら、「そんば馬鹿げたことを専門家の医師が言うのか?」とあまり相手にされなかったが、この世田谷モデルでは「プーリング法」と名付けてその方法も活用を考えているようだ。できることはなんでも実行し、検証しながら微調整をしていくことは「未知の危機対策」には必需の考え方であろう。
頑張れ世田谷!ふるさと納税などで世田谷に納税しない世田谷住民よ、考え直せ!(そもそも貧富に不公平なこの制度には反対の僕だが、税金の無駄使いに怒る国民の反乱という意味では理解できるが、おおよそその目的とは言い難い現状に落胆している)

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200728コロナが教える人の道39 性懲りもない「アベノマスク」

2020年07月28日

昨日の「アベノマスク8000万枚追加」の報道を見て腰が抜けた。国民にあのひどい(医学的にも、美学的にも)マスクを、介護の現場という感染防御を真剣に考えないところに送るというのである。それも莫大なお金を注ぎ込んで。今では、もっと高性能のマスクが安価に市場で入手できるというのに。3月に決めていたから、という。おおよそお友達の会社に頼んで、今更やめられないのであろうと、推測する国民は妥当である。
今、医療の現場では、宿泊療養、検査体制、重症患者受け入れ準備など喫緊の問題が山積みである。1円でもそういうところに予算を振り向ける時だ。この後に及んで、GO TO、マスク、様々な事務の丸投げ、などなどによる不明朗会計を繰り返している。我々の税金を全くもって私物化している。(かつての大銀行の融資部の行員が自分の懐からお金を貸すような横柄な態度に苦い思いをした人は少なくないであろうが、同じようなものだ。)国民は二の次という姿勢が丸見えである。誰がこういった政治家を選んでいるのか?国民の力が及ばない、厚労省などの役人にどのようにして、「国民のしもべ」意識を持ってもらったらいいのか?数ヶ月前、隣国の台湾の厚労大臣や指導者たちは「我々は国民のしもべだ!」と公言したとのニュースに感激の涙をした。口だけではなく、実際の行動にその思いがにじみ出ていた。日本の政治家、官僚、研究者、経営者のいわゆるトップに立つ人々に、こういった格好いい人材は存在しないのだろうか。総合的、4次元に考えることができて、身の回りの人への気遣いより国民全体の利益を優先して、自ら責任を覚悟の決断ができて、素早く行動に移せるような人材は探せばいるはずだ。決断する人はごく少数で良い。どのようにして探し、選ぶのが良いのか残念ながら、今の僕には答えがない。

しかし、このコロナ災害は、我々国民に信頼できるリーダーこそ最も必要だということを教えてくれたことは間違いない。そして、今の国民の不安の根元はそこにあるということだ。

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200526コロナが教える人の道34 だから心ある国民が考え抜くことが必須!

2020年05月26日

前ブログで書いたが、今年の暮れには訪れるかもしれない巨大な感染の波を最小限にするためには、我々国民一人一人が真剣に考えなければならない。特に、自分の身の回りの仲間で比較的リーダー的存在である人は、その責務があると身を引き締めるべきだ。「私はそんなリーダーではない」と逃げていてはダメだ。こんな零細なブログに目を通していただいている人は、みなさん、そのような選ばれたリーダー的国民だ。
次の感染の波は、大きな意味では第2波と考えるのが分かりやすいであろう。(小さい分類では、中国武漢からの波が第1波、ヨーロッパからは第2波などと細かく分類している場合もあるが、ここでは大きな波を考えた方が、対策も考えやすい。)
その第2波では、今回のように「また、自粛すれば良いのでしょ」と、まるで「禁煙は何度も成功している」という愛煙家に近い発想では乗り切れない。今回の様々な事象を分析し、特に失敗とも思われることをきちんと認め、今から準備することが必要だ。国や自治体が考えるべき医療体制としては、検査体制があまりにも貧弱だったこと、それに伴いトリアージが最初の頃全く機能していなかったことだ。この辺をきちんと改善しないと今度はひどい目に遭うことになるだろう。
我々個人は何をするべきか?感染症対策の基本は、検査と隔離であることは、今時誰でも納得している。感染していない人同士は、いくら密接しても大丈夫なのである。日本では1%程度以下と言われる感染者を避けるために、99%の人が自己隔離をしないといけないから、経済も教育も楽しみも全ての活動を控えるしかない。この矛盾をいかに少なくするかという英知を、国レベル、企業レベル、学校レベル、家庭レベルなどあらゆる集団レベルで考え抜かないといけない。
100%の完全はあり得ない。例えば、PCR検査の感度は7割程度と言われている。思いのほか低いことに驚くが、事実だとしても、例えば7割の感度の検査を2度行うと、91%に、3度行うと97%の感度になる(計算上はであるが)。このように考えると、今盛んに言われている、簡便安価時短の抗原検査でもやりようによっては9割程度の感度まで持ち込める。しかも唾液でできるようになればもっと安全簡便である。
今回、政府の対応でもっとも気になったのは「スピード」だ。「目詰まり」と表現していたが、目詰まりだらけだ。37.5度4日間待機の問題はじめ、唾液検査ができると言いながら、いつまでも鼻の奥に綿棒を突っ込んでいる。検査の報告は手書きファックス。一度決めたことをいつまでも続けているという官僚的な体質が染み込んでいる。今や、テレビやネットなど一般人への情報スピードは早いのに、国の体制を改善するスピードはめちゃくちゃ遅いから余計にそう感じる。しかも、その失態を「勘違いされた」と認めないどころか健気な保健所の職員や国民のせいにする体質。いくら形式的に詫びても同じことを繰り返す。

そんな国民のリーダー役を即刻入れ替えるべきだが、代打がいないから困ったものだ。人は権力を一旦握ってしまうと、その維持や増大に懸命になり、本来のやるべきことの改善に努めない。改善するための行動には、時に権力をなくすリスクが伴うからだ。政府は馴れ合いの集団だと言われている。なぜこんな人がこの専門の大臣なのか?と思うような不適格、無能力な人が就任している不思議に笑って見過ごしているしかできない自分たちも恥じないといけない。

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200501コロナが教える人の道31 不要不急?

2020年05月01日

楽しいはずのゴールデンウイークが、怖いホームステイ週間となったこの2020年。明日からその中心となる5連休が始まる。テレワークを実行している人々にとっては、もうなんだかわからない状況であろう。「不要不急の外出は避けてください」「人との接触を8割、最低でも7割は避けてください」耳にタコができるくらい聴いた。

テレビの報道番組で、オーケストラの管楽器奏者だったか、「私たちの仕事って不要不急だったんだ、と思い知らせれました」と寂しげに話していた様子が脳裏に残る。そう言われてみればそうかと思いながらも違和感を感じた。

「要・急の仕事は医療やインフラ関連で、我々の命を守る」一方「不要不急のものは、我々の心を守る」ことではないだろうか。音楽であったり、美術であったり、カフェであったり、、、、。

僕が行う健康セミナーや医療決断セミナーや、幸福論エッセイなどの締めくくりで「いのちより心」という言葉を使うことが多い。逆説的な意味合いも込めてはいるのだが、ブーイングが多いことを覚悟していたが、結構頷かれることが多くこちらが驚くくらいだ。「お金よりいのち」「いのちより心」だから、「お金」と「心」の値打ちの差は相当ですよというための三段論法のつもりで使っていた。外科医をしている愚息は、親父はご多分にもれず煙たい所は多々あるように見受けられるが、ある時「親父の言っている中で『いのちより心」というのが、医者を始めて数年経った時に、ずんと胸に響いてきた」とつぶやいたことに、内心にやりとした覚えがある。でも。命とまともに向き合っている外科医に、まずかったかなと思ったが、彼の患者に対する姿勢を見ていると安心した。

今、政府は「いのちと経済」のバランスの舵取りに悩んでいる。医学専門家は政治に忖度せずに「いのち」を中心に科学的推論を展開し、経済を監督する官僚は、「経済」を中心に考え、お互いに議論を尽くし、その中で政治家は英断を下していかなければならない。そして、「いのち」「経済」に加えて「こころ」も守る英断であるから、大変な仕事だ。僕には無理だが、声援、要望は送りたいと思っている。

その一つとして「 COVID19治療を考える会議」のホームページを立ち上げた。

https://drkenzo.com/covid19/

 

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じっくり、ゆったり、安心第一 2018年最後の主侍医通信より

2018年12月28日

光陰矢の如し、年末の常用句にもならなくなった感じですが、時の過ぎゆく速さを恥ずかしながらも嘆く日々です。今年の年賀状に書いた「じっくりゆったりと」を思い出し、苦笑いを禁じえません。

今年の7月に北海道に住む義理の父を亡くし、元旦の賀状を控えさせていただきますことをおまずお伝えいたします。医師として北海道の地域医療に尽力し、その功に対して晩年には叙勲し喜んでおりました。そして最後は、数々の医療のお世話になり、その有り難さを噛み締めました。患者側の身になっても、大切なことは「安心」だとしみじみ思いました。危篤状態で、いよいよ危ないとわかっていても「安心」することは有り難いとは、何だか不思議です。

幸福とは何か?最近はいつも自問自答しています。「安心」「自由」「快適」「ワクワク」「満足」「感動」「快感」キーワードは色々出てきます。必要条件は「安心」で、その他は十分条件かなあ、とも思えます。

11月末から、1週間、次男が滞在するパリに行ってきました。ちょうど、激化するデモ騒動と遭遇してきました。そんなことがなくても、異国の地では、言葉も「不自由」で、注文しても予想したものが出てこず「快適」とは縁遠いのですが、電車の中では強引なスリに合いそうになり、「不安」で居眠りどころではありません。海外を旅するたびに、「日本は住みやすい」ことを確認する始末です。一方、日本にはないものを味わうこともたくさんあります。日本(東京)では、バラバラの趣味の建物が乱立し、いつも工事中というのは残念で落ち着かない気がしますが、パリの街並みは、どこに行っても美しく「ワクワク」します。

十分条件を片っ端から取り入れようとすると、「幸せ」は逃げてしまうのかもしれません。

少なくとも、医師として「幸せ」に寄与できることは、「安心」を底辺に、「自由」「快適」に生活できるようにお手伝いすることが任務だと思っています。我々、主侍医チームが皆さん方の不安を容認しているようでは意味がありません。そんな時は、ご遠慮なく叱咤いただき、何なりとお申し付けください。

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玉石混交の一年 2016/12 主侍医通信より

2016年12月27日
 今年も、最後の主侍医通信となりました。インフルエンザとノロなどの感染性胃腸炎が猛威を振るっていますが、みなさん大丈夫でしょうか?完全な予防法はないのですが、地道な予防対策の積み重ねも結構効果があります。また、過労になりがちな年末ですので、十分な休息が大切なことは今更ですが、少しでも意識されることが病気になる確率を下げることにつながります。
 
年末になると、今年一年を振り返ることが多いものです。世間では「漢字一文字や熟語」で表したり「流行語大賞」なども騒がれます。個人的に、振り返ってみると、結構な試練の年でした。「砕」「崩」「折」「忍耐」「臥薪嘗胆」「一難去ってまた一難」「百年河清を俟つ」など、あまり良い言葉が浮かびません。

 しかしながら事務所の仕事におきましては、難病の相談を受け、普通なら助からなかった可能性が極めて高かったのに、我々が介入し、奇跡的とも言える快復までこぎつけた方が、少なくとも2名いらっしゃいました。折しも、最近になりその御元気な姿やお声を聞くことができて、「役に立った!」という、医療判断医とそのスタッフ冥利に尽きると悦にいっています。ご本人の了承を得ていますので、来年は、そのような感動のドラマをノンフィクションにて書こうと奮起しています。もちろん奇跡的とは言えないまでも、お役に立てることができたことが多く、事務所の活動としては結構満足のいく一年でした。

 来年は、私の幸せ哲学の中核理論である「GMCメソッド(過去の栄光に浸ろう)」と「NFDメソッド(目先の夢を追いかけよう)」を自らも実践しつつ、さらに皆様のお役に立てるように熱意を煮えたぎらせてまいりたいと決意しております。
 
12月 吉日 寺下 謙三

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人間の幸せ度 2016/7 主侍医通信より

2016年07月27日
 英国のEU離脱が国民投票で決議されました。色々な観点からの意見や感想があることでしょう。いずれにしろ国を二分する戦いが起こっていることは事実です。またアメリカではトランプ氏が大統領となる可能性も全く否定はできない状況と見受けられます。「そんな馬鹿な」と大勢が思っているようなことが平気で起こり得るのです。ISや北朝鮮の危機は一向に治まりそうもありません。世界の景気が同時に悪化する懸念があります。国内に目を向けてみると三菱自動車、東芝問題をはじめとした大企業の中枢から発した不祥事が次から次へと明るみに出ています。大塚家具の問題に代表される内紛は後を絶ちません。公務員や医師や大学教授の不正、芸能界をはじめとする不法薬物問題もキリがありません。

 人類は、その類まれな知恵で常に進化を続け、特に直近(?)の2000年の進化には、目をみはるものがあることは誰もが認めるところでしょう。では、それでどれだけ人間の幸せ度が向上したのかというと、それほどでもないのでは、とこれまた多くの人が感じ始めているようにも思えます。

 医学の分野で言えば、寿命が圧倒的に伸びたことが絶大なる進化といえるでしょう。歴史的に多くの人が亡くなった感染症をどれだけ克服し、数十年前には治療を諦めていた白血病や黄斑色素変性症などもかなりの確率で治癒できるようになりつつあります。また手術に際する痛みの制御も驚くほどの進歩があります。開腹手術の翌日には歩けるなんて、私が大学受験直後に自然気胸で入院した時の記憶からは隔世の感があります。

 医療人の一員として、人々の幸せにいくばくかは貢献している、との自負を持ちたいのですが、冒頭に掲げたような大規模な不幸に囲まれた現状に複雑な思いの今日この頃です。

 暗い話をしてしまいましたが、主侍医としてできる限りを尽くす、という原点を大切にしつつ、「幸福論思想家」の活動を目指している身としても、皆さまの笑顔のために奉公したいと思っています。
 
2016年7月 吉日 寺下謙三

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愛に溢れる天上の方々 2014/12主侍医通信より

2014年12月22日

毎年、年末になると「あっという間の1年でしたね」「春が来たと思ったら次のお正月という感じですね」など時の過ぎゆく速さを嘆いたり憂いたりする言葉があちらこちらで交わされます。我々が学生時代(小学生でも大学生の頃でも)には、そういった声はありませんでした。年をとると速く感じることもそうでしょうが、最近では小学生でも「あっという間の1年」という表現を使うことが多いことに驚いています。様々な予定がびっしり詰まって、昔の3年分を1年に凝縮できるとしたら、3倍長く感じ充実しているはずなのに、逆に短く感じてしまうのはなぜでしょうか?無人島に流されて孤独生活を送ったり、例えが悪いですが独房に閉じ込められたとしたら、その時の1日の長さを想像すれば容易に理解できます。実際にありうる例では、重病で入院している時、夜面会の家族らが家に帰って次の朝が来るまでの時間がとても長く感じることは入院した人には理解いただけるでしょう。極端な例えをしましたが、人生のゆったり感を生み出すには、この両者の間に答えがあるように思っています。充実はしているが、ゆったりとしている、という感覚。幸福論の思想家を目指すためにはこの辺の思索が必要かと思っているこの頃です。

さて、今年最後の通信となるかと思います。今年も1年、信頼をいただきながらお付き合いいただきありがとうございました。

私事ですが、本年11月18日、14年間一緒に過ごしてまいりました愛犬の「バディ」が天に召されました。とても人懐こく、友人や患者さんからも慕われ可愛がっていただきました。人好きだったバディも幸せだったと思います。晩年特に大切にしていただいた友人と静かにお通夜を過ごし、20日に丁寧に荼毘に付していただきました。その際、お寺の案内に「寺下家」とあり、まさに14歳の子供をなくした気分でおります。喪中のお葉書を出すのも憚れましたので、年明けにゆっくりと年初のご挨拶をしたためようと決意し、賀状によるご挨拶を欠礼させていただきますことをお許しください。バディの優しい寝顔から「ゆっくりと着実に心の整理をしていかないと、お父さんの残された人生もあっという間だよ」というメッセージをもらいました。そして他者への無条件な信頼がひとにどれだけ安らぎを与えるかということも教えてもらいました。

愛犬のお話の後にたいへん恐縮なのですが、12日後の11月30日、1年前に進行癌の状態で不安定になっていたこころのサポートのために、山王病院堤院長よりご紹介いただきましたSさんが懸命の闘病生活の末、天に召されました。わずか1年のお付き合いでしたが、とても気遣いの深い方で、自分が厳しい病状にあるにもかかわらず、周囲の人たちへの愛情ある言葉や行動に心を打たれることが多く、ご主人様はじめ周囲の方々とまるで昔からの身内のようにお付き合いさせていただきました。亡くなる数日前からは病院にて頻繁にお会いすることになりましたが、病床に駆けつける方々は、本当に心からSさんを慕っていると痛切に感じました。「太陽のような方だった」という声がとても印象的でした。

私の母は、私が大学6年生の時55歳で急逝しました。自分で言うのもおこがましいのですが、愛情深く遠慮がちで周囲の者への配慮に満ちた母でしたので、Sさんとイメージが重なりました。母はSさんのように綺麗でスマートではなく、かなり太ってはいたのですが。ご主人様や娘さん、そして周囲の家族同然の人たちの悲しみを見ていると、2週間も経たない前に、枯れるほど涙を流したのに、まだ出る涙があるのかと思いました。告別式でのご主人様のご挨拶の時は泣き声をこらえるのがやっとでした。これほど参列者が心から涙するお葬式にも感動しました。

今年の5月17日に、1年前に古くからのメンバーのご紹介で進行癌の状態でご相談をお受けしましたTさんが天に召されました。TさんもSさんと同様、心優しく、自分の病状を忘れているのかと思えるほど、ご家族や周囲の人たちへの気遣いの深さに驚かされました。亡くなられる数日前に病院にお伺いした際には、話すことができないのに「先生に椅子を」「先生にお茶を」とご家族に目や表情やかすかな声で合図されます。自分にはとても出来ないことだなあと感銘を受けました。

そんな優しく素敵な奥様を亡くされたお二人のご主人様の悲しみの深さを自分に置き換え想像しただけで胸が張り裂けそうになります。でもお二人とも立派にこの悲しみを受け止めつつ、日々の生活に戻られる努力をされています。

今の医療技術で出来得るだけのことは尽くされたと信じていますが、残念ながら医療自体の限界を認めざるを得ません。しかし、医療満足度100%を目指して、「信頼」「尊敬」「感謝」に値するよう誠意を持って最大の努力を続けたく思っています。合掌。

年末のご挨拶が湿っぽくなってしまいました。しかし、これは明るい来年以降に向けての思いであるということをご理解いただきご容赦いただければ幸いです。

もう一つ、ご報告です。私にとっても事務局にとっても嬉しいご報告です。前回の通信で、医学塾のご報告をいたしました。古くから特別なご契約をいただいて私の活動を支援いただいているY様から「医学塾は、とてもよい活動だ。こういったことを広めていくのを応援したい」というお褒めの言葉をいただきました。私はもちろん、スタッフ一同大喜びで、来年以降のプログラムを懸命に考えているところです。講師の主役は若手に移しながら、私は塾生を増やす広報活動にも力を注ぎたく思っております。ご契約メンバーの皆様のご参加はもとより、皆様の会社のスタッフやお知り合いの方を塾生にご紹介いただければたいへんありがたく存じます。

平成26年12月 吉日  寺下謙三

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大学同窓会旅行にて 2012/10主侍医通信より

2012年10月31日

 残暑が厳しいと言っているうちに、肌寒い季節となってしまったようですが、皆様体調はいかがでしょうか。早くもインフルエンザの予防接種の時期も近づいて参りました。年に1度の人間ドックの解説とインフルエンザワクチン接種が皆様とお話しする貴重な機会であります。是非、この機会に日頃気になっていることなどご相談いただければと思っています。

 10月末の週末に「鉄門旅行」と呼ばれる、東大医学部の学生とOBの旅行に行ってきました。各大学の医学部には、愛称みたいなものがあり、東大医学部は「鉄門」、京大医学部は「芝蘭(しらん)会」、慶応大学医学部は「三四会」などと呼ばれます。私が鉄門会の理事を拝命して十数年経ちますが、この鉄門旅行には初めての参加でした。今回は群馬水上温泉への一泊旅行です。学生130名、教職員、OBが40名を超える今までで最大の参加数ということです。特に医学部在校生400名中の130名は結構な数です。OBは深夜、明け方まで学生たちと討論するのが習わしと聞いておりました。実際、会場のあちこちで、OBの周りを数名の学生たちが取り囲み真剣な笑顔で会話が弾んでいます。私も学生たちとの会話に熱中し、はっと気がついたら夜中の3時です。会場を見渡すと、さすがにOB連中の姿はまばらで、私も学生たちにおやすみを告げたのです。多士済々のOBたち、優秀な学生たちとの話はとても面白く、彼らがリーダーシップをとれば、今後の日本の医療も大丈夫と確信しました。また「京都大学に負けずに、ノーベル賞クラスの研究と言われることに満足せず、本物のノーベル賞を取ろう」と盛り上がりました。

 同窓会理事としてのご挨拶の機会があり「臨床医学と基礎医学とともに医療の仕組みづくりを考え実践する社会医学がもうひとつの柱としてある。高度な医療や研究レベルの割には日本の国民の医療への満足度が低い。私ども医学事務所では患者医師関係を中心とした医療の仕組みの研究実践を行なっているので、若い人たちにも是非そういった志を持って欲しい」と話しました。学生にはまだピンとこないだろうと思っていたら、さすが東大の学生(と自画自賛気味ですが)、数人の学生が熱心に話を聞きにきました。そして天皇陛下の心臓手術の主治医として有名な小野教授も「すごく大事な仕事だ」と共感してくれ、その後、深夜の2時頃まで、学生たちも交えながら、医療のこれからについて熱く話し合いました。

 難事にチャレンジし、くじけそうになる昨今、魂を鼓舞させて頂いた一夜となりました。睡眠不足になりましたが、一夜明けた昨夜は、10年ぶりに一度も目が覚めずにぐっすりと眠りました。たまの睡眠不足もいいものだと紺屋の白袴的に思ってしまいました。

 医療の広大な分野での総合的な相談にお応えし、それぞれの分野の専門医と連携を保ち続けるためには、日々新しい医療の情報を表面的とはいえ、プロとして耐えうるレベルで内容を把握し、専門医たちとの活きた交流を保ち続けることは相当なエネルギーが必要です。東大の学生たちも「そんなに広い分野の知識を持ち続けるのは大変すぎる」と驚いていました。

 しかも、医療ほど不確実なものはありません。反面、医療ほど確実な結果が欲しいと誰もが望む分野もありません。皆様の笑顔をみることは我々のエネルギーの最大の源ですが、必ずしも結果がすべて上手くいくとは限りません。少しでも上手くいく確率を上げることが我々の任務ですが、「100%の成功」は永遠の目標となります。でも「100%の納得」はあり得ると思っています。

 私のこういった理念や活動を声援して頂いているのがメンバーの皆様だと思っています。そのお返しとして、こういった活動のもとに養えた判断力や知恵と人脈をフル動員して、皆様の健康管理のお役に立ちたいと考えています。決して皆様を単なるお客様だとは思っておりません。どうかその辺をご理解いただければ嬉しく思います。

 ただ、今後の活動におきましては、ビジネスモデルを磨き上げて、堂々とお客様向けのシステムを構築したいとは考えています。

 主侍医倶楽部のビジネスモデルが成立する最低限のメンバー数は100名だと当初考えました。しかし、私の経営/営業能力の低さから、その半ばを超えない状況が続く中、スタッフや仲間のドクターの熱意や友情に支えられて、良質で高度な主侍医サービスを維持すべく懸命の努力をしています。

 皆様への、再度のお願いでもあり、最後のお願いでもありますが、現行の主侍医倶楽部の安定運営のビジネスモデルの実現のためには、長年、主侍医倶楽部の価値をご理解いただいているメンバーの皆様からのご紹介が一番だとお願いをする次第です。

 東大の同窓たちをみても、世代交代が進んでいます。私が築いてきた人脈や経験を進化させるためにも、私が元気なうちに楽屋裏に回ることが急務と考えました。今年度中に、現行の主侍医倶楽部の最終募集を行ない、多少とも余裕のある運営が出来るようになれば、若い主侍医チームだけで構成される「新主侍医倶楽部」の活動を開始したいと思っています。主侍医倶楽部の永続性を考え、しかもより多くの人にご利用できるように、主侍医サービスの項目を自由に組み合わせ各人のニーズに合った主侍医が持てるように工夫していくつもりです。

引き続きご声援願います。

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東北関東大震災に教えられたこと10 よく見えた人の本性2011/3

2011年03月23日

今回の未曾有の悲劇を生んだ災害に際し「人の優しさ」「人の我慢強さ」「人を思い遣るこころ」に触れるとともに「非情さ」「身勝手さ」「残忍さ」も垣間見たというお話をお聞きしました。それぞれの人々の「何が大切か?」を見たことになるのでしょうか?

数時間前、震災から1週間目の黙祷を捧げました。

長い長い1週間でした。

僕は日頃「まさかの時に助けてくれる友こそ真の友」より「嬉しい時に、心から一緒に喜んでくれる友」のほうがより上級だと言っています。若干訂正しなければならないと、今回のことで思い直しました。今まで、ここまでの危機感を味わったことが無かったからだと思います。テレビドラマで、可哀想なストーリーを見た時に、泣けてくるのはみなさんも体験していると思います。それに引き替え、登場人物の嬉しいことには、それほどリアルに喜びません。悪いことへの同情、共感は引き出されやすいが、自分が羨むような人のよいことへ一緒に喜びを感じることの方が遥かに発火点は高いような気がします。だからこそ、親友の情の深さは悲しい時よりも嬉しい時に分かると主張していました。

ところが、今回の場合のように、極限の事態の場合は、本性を現すものですね。外資系の企業の多くの幹部は、日本を見限り逃げてしまったところもあると聞きました。さんざん日本の市場を食い荒らしたところほどその傾向が強いようです。従業員をおっ放り出して、自分だけ逃げだした社長もいると聞きました。忙しい時期に重要な事務所スタッフが突然いなくなったと友人からも聞きました。

一方、重病人を抱える病院で、医療スタッフが自分の身の危険も覚悟で居残って働いている姿がたくさん放映されています。有名でもなく大学教授でもない現場の医師たちとスタッフです。一目散に逃げるような医師もいることは知っています。そういう人は自分が安全な時はまるで人道主義者のような発言を平気ですることも知っています。なかなか見破れないのが残念ですが。

リーマンショックや911の時もそうですが、今回の災害を利用して巨富を稼いだり、詐欺をしたりする人もいるというから驚きです。

一方、海外から日本の被災地にボランティア活動に来ている人もいました。感動的でした。

 

悲惨な余裕の無い時ですがよく見ておきましょう。真の姿を。

 

誤解のなきように「退避」と「逃亡」とは違うことを付け加えておきます。

「退避」は「攻めるための勇気ある一時的撤退」だと解釈しています。

 

生前の親父に厳しく教えられました。

「医者になるのだから患者さんには常にベストを尽くせ」

和歌山で長兄が開業して、次兄とともに当直の手伝い等をしていた時です。夜通し急患が運ばれてくるので、兄弟で交代に起きて患者さんに対応しようと打ち合わせました。ところが救急車が到着すると、親父が我々の当直室にやってきて「お前らみんな起きろ!患者さんは真剣なんだ。一人より3人の方がええに決まってるやろ」と怒鳴るのです。親父は医師ではありませんでしたから、長く医療活動を続けるにはこういった交代制も仕方ないと説明しても頑として聞き入れてくれなかったことを懐かしく思い出します。

一方、親父は和歌山の知人や親戚中でも有名な「子煩悩」でした。子供を守るためなら何でもするという迫力は兄弟4人とも常日頃十分感じていました。我々兄弟が全員医師になることを半ば(95%?)強要したようなものですが、その理由は、戦争の時(ラバウルにいたようです)軍医に助けられ(自分も戦友も)かっこいいし有り難いと思ったことと、軍医は安全な場所にいられることを知ったからです。大切な子供にかっこいい仕事について欲しいという願いと、万一戦争になっても安全なところにいられるだろうからという親としての思い遣りという相反する思いがあったのだろうと思います。

昨夜、一昨夜、子供たちとそのフィアンセを集めて連日論議をしました。次男は仙台から無事東京へ退避できましたが、喜びもつかの間原発危機が襲ってきました。友人等からも東京から退避した方がいいのではないかとの温かいアドバイスもたくさん頂きました。「海外の私のところへ来なさい」和歌山の実家でも「何人でも受け入れ体制を整えている」と心強い声が伝わってきます。親としては、子供の安全を最大限守るという責務があります。しかし、彼らも成人して、一人は医師として働き出したばかりです。親の気持ちとしては、想像も及ばないくらいの最悪の事態を空想して、より安全なところへ退避させたく思います。しかし、現状では事実上「逃亡」になります。本人たちも当然納得しません。

スタッフとも話しました。スタッフの身を守るのも責務、クライアントの身を守るのも責務。小さなことしか出来ない僕にとって、家族、スタッフ、クライアントの身を可能な限り守り抜くというバランスのいい決断を迫られます。

原発についてのより正確な情報知識を得る努力をすること。

それに基づいて、総合的判断をするが、事前にいくつかの想定により場合分けをすることが大切です。

子供たちも、スタッフたちとも、2重3重の緊急連絡体制を敷いておくこと。今のところ、東京では冷静な対応でよいと僕は判断しているので、平常通りに業務はやろう。ただ、独自の判断で、東京より西に退避したいなら拒まない。平常通りの行動の中で、親(代表)が東京を離れているときの緊急事態の場合の行動指針を決めておくこと。関西に避難するときはスタッフも全員引き受けが可能なように準備する。

などなど、細部にわたる取り決めと、大きな心構えを話し合いました。

スタッフとは「主侍医という活動の真価が問われるとき」という認識を持つことを確認し合いました。

 

ここではとても書き尽くせないくらいの、厳しい決断を迫られ胃に穴があくような感じでした。

家族スタッフクライアントの中だけのリーダーとしての判断にこれだけ悩んでいるのですから、国民のリーダーは大変だと共感はしています。でもそれがリーダーなのですから。

 

親父だったらなんというかなあ。「いち早く子供を安全な場所へいかせろ!」「医者なんだから患者さんに全力投球だ、手を抜くな」そんな怒鳴り声が聞こえてくるようです。親父だったら僕には出来ない決断を考え抜いただろうなあと思いを馳せました。

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東北関東大震災に教えられたこと6 文明に溺れた反省 2011/3

2011年03月18日

多くの心ある日本人、知恵ある日本人が、感じたり、気付いたり、実際に発言提言したりしていたこと。

 

こんなに恵まれた生活をしていていいのだろうか?

こんなにいつでもどこでも食べたいものを自由に食べていていいのか

こんなに当たり前のように高層ビルばかり建てていていいのか?

朝から晩まで携帯電話やインターネットにしがみついていていいのか?

24時間開いているコンビニが当たり前としていていいのか?

深夜でもこんなに明るい町でいいのか?

頻繁に「自分にご褒美」でいいのか?

なんでも経済(お金)優先でいいのか?

バラエティ番組優先のテレビに振り回されてばかりでいいのか?

お風呂を2日も我慢できない人間であってもよいのか?

大体において「電気」の存在すら感じない電気依存症でいいのか?

なんでも自分中心、他人とは表面的な「携帯クリック」的お付き合いでいいのか?

 

書き出すときりがないですね。平成の日本人は、老いも若きも人情の面白味が激減したと感じている人は多いでしょう。僕も含め、そう思う自分のこともそういった傾向にあると感じつつ。

「行き着くところまで行って、崩壊して、また立ち直る」という自然の摂理に委ねるしか、人間の心の復興はないと神は考えられたのでしょうか?

それにしても厳しい試練です。

最近は、反省し始めた日本人も増えてきていたのではないでしょうか?

東北の地方の我慢強い対応をみていると頭が下がります。もし、これが東京に起きていたら、我々東京人は彼らのように粛々と耐えられるでしょうか?

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東北関東大震災に教えられたこと5 勇気付けられる海外からの支援

2011年03月16日

害ばかりを報道して、救援活動が報道されない、と悲壮に思っていたら、海外からの救援隊の到着風景が報道されるようになりました。なんと心強いことでしょうか?実際には、言葉の問題も含め、指示系統をどうするかなどの難問があるとはいえ、「心強いイメージ」は大きいものです。また、各国首脳の「出来るだけの救援をしたい」というコメントも、いつもは日本から発していることが多いのだが、受ける側になると「有り難いものだ」と涙ぐんでしまいました。各国の新聞報道も日本への悼みの思いと復興への願いが伝わり、これも有り難く感謝の気持ちで一杯になりました。インドの中学か高校生たちが教室を暗くしてロウソクの火を灯しながら「Japan We Are With You」「Japan We Share Your Grief」と書いた紙を手に持ちながらお祈りをしてくれている写真には、目が涙で曇って見づらくなりました。心汚れていく人々も多い中で、今回の悲劇から、多くの人々の心の中に「本来の慈愛に満ちた人間のこころ」も復興するのではと期待しています。

僕個人にしましても、被災者の家族になるという希有な体験をし、その家族の消息が分かった時は膝をおり、声を被災後初めて聞けた時は、喉が詰まって声が出ませんでした。親族、友人から心配の連絡を頂き、気にかけて頂いていることに嬉しく心強く思いました。逆に心細い一人住まいの姪や帰宅難民にはお泊まりいただき、まもなく被災地から戻る息子とその友人を預かることになります。東京もいつ被災地になるかもしれません。勇気付けたり、人のお役に立とうとする立場でいられる今の自分の運命に感謝し、小さなことでも役立つと思うことを着実にしたいと思っています。十分水も飲めて、美味しいものを頂けるのを申し訳なくも思いますが、感謝しながらそれを楽しませて頂くこともできることの一つだと思います。「今日よりよい明日はない」という本を最近読みました。幸い災害から逃れた人が、粗食でもご馳走でも、ワインでも水でも、小説でもゴルフでも、感謝しながら楽しむことはいいのではないでしょうか。明日は出来なくなるかもしれません。決して刹那的な意味ではなく「今日よりよい明日はない」という平静の自分をじっくり味わい楽しむというスピリッツだと思います。

でも、被災者のために出来ること、今は節電や節電波(不要な携帯電話使用等)が最も大切なようですので、出来るだけの協力をしたいものです。今日の東京は暖かいですが、少しくらい寒くてもいいではありませんか、部屋の中にいれるだけで幸せですし、便座が冷たいくらい平気ではありませんか?ドライヤーも自然乾燥か3日や4日に一回の洗髪でもいいでしょう。また、富裕層といわれる方々には思い切った寄付もお願いしたいと思います。義援金と呼ばれる我々庶民からの小額の寄付を集めることも大切でしょうが、大口の寄付は手続きも簡単で効果は絶大だと思います。

アメリカで難を逃れた石川遼君。昨年の稼ぎの残りを全部寄付してはどうでしょうか?本当の国民的英雄になれます。そして、綺麗ごとを言ってはいるものの、国民大衆からお金をトローリングして、その力で政治家になろうとしているような偽善者のなかに潜む本当の人情を引き出す模範となってみてはどうでしょうか?

 

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東北関東大震災に教えられたこと1 相互の思いやり

2011年03月14日

震災の翌日、前日より泊り込みのスタッフと手分けして、僕のメインの職務である「主侍医」のクライアントメンバーに安否確認の連絡をしました。幸い、ほぼ全員の方と連絡が取れ、大きな怪我などがないことが確認されました。その連絡活動の際に思ったことは、ほぼ全員から「先生方は大丈夫ですか?」という逆にこちらの安否を気遣うお声をいただいたことです。「患者も医者も笑顔になれる医療システム」を掲げる僕たちにとって、この上もない喜びの言葉です。日頃、このような方々の健康を守ることを職務としている有り難さに、スタッフ共々身が引き締まりました。医師と患者、親と子供、政治家と国民、車と歩行者、お金を貸す人借りる人、被災者と救済者、どちらにも上下や強弱があるように見えますが、「人間同士」であることに違いはありません。そういうものを超えた思いやりが人を動かすのだなあと実感しました。

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東北関東大地震、被災の方々にお見舞いとお悔やみを申し上げると共に、直接救済に当たる方々に感謝し、その他の方々の暖かい支援に感動しています。

2011年03月14日

突然の出来事がまだ夢の中にいるようです。3月11日午後2時45分ごろ、事務所で妻とPC画面に見入っていました。この3月に還暦を迎える友人のサプライズパーティを企画するための情報集めのためです。なんと平和な情景だったことでしょうか。金曜日の3時前であり、事務所の電話もならず、このまま平和な一日、一週間が終わるのかな、という気持ちも芽生えた頃合です。僕の事務所は、契約者の方が、健康上の困ったことや一大事の時に連絡があるから、電話が無いということは平穏無事なよいことなのです。最初は、妻が体を揺すっているのかとも思っていたのが、めまいではないかという思いにかわり、これは地震だと思うまでの数秒がまるで数分以上あったように思い出します。いよいよ揺れが強くなり隣室の事務室へ行き、スタッフ3名と立ったまま呆然としていました。全くといってよいほど、呆然とする以外にするべきことが浮かばないのです。「心配していた関東大震災がついにきた」と覚悟しました。10秒程度でかなりの覚悟をしてしまうのだから、人間の対応力にも自ら驚きました。スタッフの一人が、インターネットで調べて「宮城が震源地らしい」と叫ぶ。「仙台にいる息子は大丈夫か?」頭をよぎりました。少し揺れが落ち着いたところで、テレビをつけてニュースをみる。数分後には「大津波が襲う。東北地方は厳戒態勢を」との報道。東京の揺れのすごさにも驚くが、震源地が宮城の方であり、津波もあると聞くと「一体どうなるのか。息子は大丈夫か?」あっという間にテレビの映像で、凄まじい津波の様子がリアルに映される。夢の中の地獄のようで、現実感がない。すぐに息子の携帯へ電話するも、つながらない。メールも同じ。これは覚悟しなければならない。妻にどのように伝えるか。それを考えただけでも、辛い、辛すぎる。ほんの数分前まで、平和に過ごしていたのに。

 

東京より北の被災地の人々は、おおよそ同じような状況であったでしょう。大きな被害を逃れた人々は、このようにこの2日間をずいぶん昔のように思い出していることでしょう。大きな被害に会われた方々は、現在もなお被害が進行中で、思い出すというどころではないでしょう。

 

被災地にいる息子とも昨夜10時にようやく電話で連絡がとれ声を聞くことができました。他の被害者がたくさんいるのに不謹慎ですが、安堵の気持ちで声がつまりました。僕も知っている友人のご実家にお世話になっているとのことでした。お父さんは牧師さんで、その教会の近くだそうです。「神様に助けていただいたのだから、今度は被災のみなさんに出来るだけのことはしなさい。そしてこれからの人生もこのことを忘れず、人のために尽くしなさい」妻が息子に伝えました。

 

同様の体験をし、深い悲しみに泣き崩れている方、安堵の涙を出されている方、何かしてあげたいが何も出来ないと地団駄踏んでいる方などいらっしゃるでしょう。僕も、最初は父親として息子にしてやれる最大のことは何か、と考えました。息子の消息が判明し、次は息子の周囲にいる人たちへ何が出来るか、と考えました。テレビの報道をみるにつけ、その次は何が出来るかと考えました。まるで何も出来ない自分がはがゆい。

 

この大地震を通じて、わずかな間ですが、いろいろなことを教えられました。そのことをみなさんに発信することは出来る。僕の本来の仕事を着実に続けながら、せめてそんなことを通じて、お役に立ちたいと思いました。みなさん方も、各人が少しでもできることからしていきましょう。それが大きな力になっていきます。

「東北関東大震災に教えられたこと」を思いつくまま、興奮が冷めやらないうちに書下ろし、ホームページに載せていきたいと思います。

これは僕の本来の仕事「医療決断の支援」の精神にもつながるものと思っています。

(内容に鑑みて、僕の本来の文体ではなく、です、ます調にて書かせて頂きますことをご了解下さい) 

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ベビーマッサージの本できました!

2010年07月15日

なんと、ベビーマッサージの本の監修をしました。7月20日発売です。

「赤ちゃんとの愛着を深める」普及活動をしている日本アタッチメント育児協会の廣島大三さんとの出会いと今回の出版社の保健同人社さんとの長い付き合いから生まれました。といっても担当の森さとこさんが偶然にも僕を発見してくれたのがきっかけです(ありがとうございます!)

ベビーマッサージは僕の仕事の基本テーマである「命よりこころ」とも関係します。先日「戦中・戦後子育て日記」のところでも書きましたが、親子の愛着関係が人間や動物の基本になると僕は考えています。最近では、この愛着が「執着」に変性しているのではと心配しています。実は、最新の子育て方法論としての「ベビーマッサージ」と「戦中の子育て」との共通点に気付きました。それは子供への愛着の深さとその鏡的反射による親側が享受する喜びです。時には「くるたのしい」という河合隼雄さんの造語にも近いところがあるでしょうが。この相互愛着関係は、親子のみならず、おばあちゃんとお孫さんはもとより、夫婦でも先生と生徒でも会社の上司と部下でも、友人の間でもあります。そういった触れ合いの原点が「ベビーマッサージ」のなかに込められています。本の最後の方に、少し僕の個人的な考えを書かせて頂きました。

ここでは、ベビーマッサージそのものではなく、その底流に流れる心の問題を、お話ししているので、男性の上司が女性の部下に、「ベビーマッサージ」を実際にやらないで下さいね。その場合は「セクハラ」の対象になります。

「執着」ではなく「愛着」を全ての愛すべき人に、と言っているだけですので。念のため。

今回は、自分の本の宣伝でもありますので、「デスマス調」でしたためてみました。

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