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210413コロナが教える人の道52我慢の限界か?細やかな配慮と意識に期待

前回、2月16日に投稿してから2か月も経過してしまった。あのまま感染者が抑制され、無事ワクチン接種へとつながり、オリンピック実現も満更夢のまた夢ではなくなるのではないか、と期待していたが、ご覧の通りの惨状となってしまった。大阪をはじめとした関西の様子を見ても、残念ながら人の動きと連動していることは否めない。一体いつまで?我慢も一部では限界に来ているようにも見える。そもそも「我慢の限界とはなんぞや?」何と比較すればいいのか?何をどのように我慢をすればいいのか?国民は、その指標を見失いつつある。
僕の周りの人たちは「1年間外食していない」「昨年初めから、可愛い甥っ子にも合っていない」など、自ら厳しい感染防御行動をとっている方が少なからずいる。周囲にはシニアの方が多いからだろう。確かに、最近の東京の新規感染状況を見ても、65歳以上の感染者はかなり低く抑えられている。圧倒的に20、30歳代の感染者が多い。4月のこの時期、特にその年代の人々の活動する機会が多いから当然のことであろう。その年代の感染者がうねりを持って他の年代に拡大していくことが予想され警戒もされている。またもう一つ気がかりなのは、小学生中学生の感染者がじりじりと増えていくことだ。小中学校での集団感染が発生し始めると、抑えが効かなくなるし、この時点でさらに学校閉鎖が広がると教育現場の混乱は必至である。
頼みの綱は「ワクチンの普及と効果」だと、多くの人は期待している。イギリス、アメリカ、イスラエルなどを観察するとその通りだと僕も思う。
欧米の悲惨な状況に比べると、日本の感染拡大は、その人口密度や人の流れに比して、低く抑えられていることも事実であろう。その最大の理由は、国民一人一人の「細やかな配慮と意識」であろうと僕は推察している。確かに、一部の若者(中高年の中にもいるであろうが)の傍若無人な行動の報道には、目を背けたくなるが、身の回りの若者を見ている限りでは、活動はするものの、周囲の人への配慮はきちんとしている人の方が圧倒的に多い。そういった「細やかな配慮と意識」は我慢ではない。それぞれの人の、人間性や品性だ。
暗くて嫌なニュースが多い昨今、昨日嬉しいニュースが日本中を駆け巡った。「松山のマスターズ優勝」優勝パット直後、キャディーの早藤くんが旗をホールに戻した後、コースに向かって一礼した。我々日本人にとっては珍しくもないであろうが、その行為に世界中で称賛の声が上がっているということを聞いて、鼻がたかい日本人も多い。人種差別の多い地域だけに、その意義は深い。ありがとう!

作成:2021/04/13

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