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政治・経済

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200731コロナが教える人の道41 医師会歴史的奮闘!

2020年07月31日

昨日の東京都医師会会長の演説に感動した国民、都民も多いと思う。また、医師会会長でさえ「政府の無策」と評したということは、日本はどうなっていくんだ?という不安感を募らせた人々も多いはずだ。国民からすれば、政府も厚労省も医師会も一丸となって自分たちの命を守ってくれるはずだ、と心の底ではまだ期待している。残念ながら、政府は、関連する企業に軸足を向けて、自分の権限利権を守ろうとしている(ように見える)。厚労省は、自らの縄張り意識と自己保身を優先して守ろうとしている(ように見える)。従来医師会は、自分たち医師の利権を守るための集団と、厚労省などから揶揄されてきた。しかしながら、医師会のリーダーたちは、自らも現場にいる。そこが政府や政府の傭兵たる専門委員会や有識者委員など(名称はどうでもいいが)、厚労省の人々は現場的視点は皆無と言っていい(ように見える)。昨日は分科会専門委員の尾身氏は、現況を「医療が逼迫していないので、(GO TOや経済優先の舵取りを)続ける方がいい。ただ近いうちに、専門家委員の見解も発表する」と言った。近いうちに、だと鼻で笑ったが、恐ろしささえ感じた。この感染がひどい状態になったら、「あのときは言いたいことを言えるムードでなかった」などと言い訳するのであろう。尾身氏だけではないはずだ。それなりの医学会のリーダーと思われている人が参加しているはずなのに、まともな意見、活動が全く見えてこない。
それに反して、児玉先生や島田先生、医師会が孤軍奮闘しているという図式となっている。
この後に及んで、GO TO トラベルは続き、GOTOイートまでいつやるかなどと論議している。あまりの無能さは空恐ろしい連中になる。

国民よ、今回のことは最低でも30年間は忘れてはいけない。誰に日本を任せるか今後の選挙のたびに思い出したい。

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200730コロナが教える人の道40 あっぱれ!頑張れ!世田谷モデル

2020年07月30日

新型コロナを前に立ち竦むどころか、新型コロナの回し者かと思われる政府や厚労省の対応に落胆どころか絶望を感じていた中、今日のニュースで「世田谷モデル」の話を知った。今できる対策は何か?、と考えたら「検査と隔離」しかない。それで、有効なワクチンが入手できるようになるまで、感染者数を最小限に抑え、その結果重症者を最低限に抑え込むことが唯一の対策である。これは多分、誰にでも分かっていることであろう。それを実行していくのが、政治家や厚労省の役割である。なかなか実行できないから「経済との両立」などと、一見聞こえの良い「言い訳」のもとに、GO TOや、マスク、給付金事務局事業委託など、意図が極めて不明瞭なことをぐずぐずと行っている。僕の1年先輩の島田山梨大学学長や児玉東大先端研名誉教授の心から叫ぶ警告を横目に見るだけだった、政府や厚労省の人々に業を煮やして、保坂世田谷区長がついに立ち上がった。「誰でもいつでもどこでも何度でもPCR検査を」というNYでのコロナ対策を世田谷区で実行しようとしている。児玉先生からしっかりとアドバイスを受けているようだ。たとえ世田谷区からだけでも、こういったことを本気で実行することは大切だ。「失敗を認め、成功例を学ぶ」という姿勢が極めて重要だからだ。日本人は「真似る」ことがうまいから、誰か勇気あるリーダーが困難であるが有効な対策をしてくれると、後に続きやすい。
エイズ抗体検査の頃や、今回の新型コロナ流行の初期、「複数の検体を集めて検査すれば、検査費を抑えることができるし、プライバシーも若干守れる」というアイデアを話したら、「そんば馬鹿げたことを専門家の医師が言うのか?」とあまり相手にされなかったが、この世田谷モデルでは「プーリング法」と名付けてその方法も活用を考えているようだ。できることはなんでも実行し、検証しながら微調整をしていくことは「未知の危機対策」には必需の考え方であろう。
頑張れ世田谷!ふるさと納税などで世田谷に納税しない世田谷住民よ、考え直せ!(そもそも貧富に不公平なこの制度には反対の僕だが、税金の無駄使いに怒る国民の反乱という意味では理解できるが、おおよそその目的とは言い難い現状に落胆している)

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200728コロナが教える人の道39 性懲りもない「アベノマスク」

2020年07月28日

昨日の「アベノマスク8000万枚追加」の報道を見て腰が抜けた。国民にあのひどい(医学的にも、美学的にも)マスクを、介護の現場という感染防御を真剣に考えないところに送るというのである。それも莫大なお金を注ぎ込んで。今では、もっと高性能のマスクが安価に市場で入手できるというのに。3月に決めていたから、という。おおよそお友達の会社に頼んで、今更やめられないのであろうと、推測する国民は妥当である。
今、医療の現場では、宿泊療養、検査体制、重症患者受け入れ準備など喫緊の問題が山積みである。1円でもそういうところに予算を振り向ける時だ。この後に及んで、GO TO、マスク、様々な事務の丸投げ、などなどによる不明朗会計を繰り返している。我々の税金を全くもって私物化している。(かつての大銀行の融資部の行員が自分の懐からお金を貸すような横柄な態度に苦い思いをした人は少なくないであろうが、同じようなものだ。)国民は二の次という姿勢が丸見えである。誰がこういった政治家を選んでいるのか?国民の力が及ばない、厚労省などの役人にどのようにして、「国民のしもべ」意識を持ってもらったらいいのか?数ヶ月前、隣国の台湾の厚労大臣や指導者たちは「我々は国民のしもべだ!」と公言したとのニュースに感激の涙をした。口だけではなく、実際の行動にその思いがにじみ出ていた。日本の政治家、官僚、研究者、経営者のいわゆるトップに立つ人々に、こういった格好いい人材は存在しないのだろうか。総合的、4次元に考えることができて、身の回りの人への気遣いより国民全体の利益を優先して、自ら責任を覚悟の決断ができて、素早く行動に移せるような人材は探せばいるはずだ。決断する人はごく少数で良い。どのようにして探し、選ぶのが良いのか残念ながら、今の僕には答えがない。

しかし、このコロナ災害は、我々国民に信頼できるリーダーこそ最も必要だということを教えてくれたことは間違いない。そして、今の国民の不安の根元はそこにあるということだ。

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200727コロナが教える人の道38 GO TOキャンペーンは「強盗」だけでなく「殺人」とも

2020年07月27日

このブログも、政府や厚労省の呆れるような対応の、何について書こうかと躊躇しているとあっという間に1ヶ月も間があいてしまった。迷ってうろうろしていると時間は空く経過していくことを身を以て体験したわけだ。新型コロナの動向も待った無しの状況が続き、政府や厚労省や都知事周辺も大変だろうとはお察しする。しかし、一国の総理であったり、厚労省幹部であったり、大東京のトップであることは、こういった苦境に命をかけて立ち向かうことがそもそもの任務であり、それを成し遂げてこそ「他にはない素晴らしく格好いい」存在なのである。「そんなに文句があるなら、お前がやれよ」という御仁もいるであろう。僕には到底できそうもないから、政治家などを目指そうともしなかったのである。自分ではできないからこそ、「総理」や「都知事」や「厚労省幹部」に期待するのである。それが、全く期待にそぐわないからがっかりするのである。いや、国民の命がかかった待った無しの事態であるから「がっかりする」では済まされない恐怖に国民は陥っている。「自分たちで身を守るしかない」「どうしていいか分からないから、ヤケクソ」と両極端にバラバラの行動をとる。春の状況では、医療に携わる人々の「使命感」に守られたことは、真っ当な国民のほとんどは理解している。しかし、その結果、日本の医療機関の大半は経営困難に陥り、看護師さんはじめ命をかけた人々のボーナスがカットされているという予想だにしなかった事態を前に、今度はその「使命感」が持ち堪えられるのか?と想像しても怖くなる。
そんな最中「GO TO キャンペーン」とやらを強行した政府。モリカケ事件が不明朗な中の黒川検察長人事問題、事業委託による20億円の中抜き事件、安倍のマスクの不明朗な委託先問題などを経験した国民にとって、このキャンペーンではどんなことを企んでいるのか、疑心暗鬼にならない方がどうかしている。少なくとも国民の命を守るという姿勢が全くもって見えてこない。

大体からして、今の政府や官僚などに「命がけでも国民の命を守る」という使命感をきちんと持った人はいるのか。自分や仲間の利益、自己保身、自己の権力闘争などについては、なかなかの強者であることを認めるが。

格好いい「政治家」「官僚幹部」の出現を夢見ている。

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200615コロナが教える人の道37 第1波良かったこと悪かったこと

2020年06月15日

誤りをきちんと認めることから、改善や進歩が生まれると思う。
今までの、日本の対策について、良かったこと悪かったことを列挙してみる。

(良かったこと)残念ながらかなり少ない。

初期の頃は、政府の専門委員、とりわけ西浦先生や押谷先生が、ほぼボランティア的活動で、クラスター潰しをまめに行ったことにより、爆発的増加が抑制されていた。

何よりも、最前線で活躍した医療現場の医師、看護師らスタッフが使命感のみに支えられ献身的に丁寧に対応し尽くした。

国民の大半は、マスク着用、手洗い励行をすでに自主的に厳密に行っていた。故に効果的な手洗い方法もすぐに習得できた。また、西欧に比べて人同士の物理的距離感もあった。

罰則なしの自宅待機、自粛要請にも大方の国民は素直に従い耐えた。

全国の医師会が横のつながりの力を発揮した(驚いたと言えば失礼だが、期待していなかっただけに。厚労省が動かないので業を煮やしたか?)

理由は、現在までのところ、不詳であるが日本を含むアジア人の死亡率は低く済んだ。(BCG、遺伝的要因などが推定されているが)

 

 

(悪かったこと)残念ながら無限的に多い。順不同で思いつくままに列挙する。

何よりも政府として初動が遅かった。(中国武漢でのニュースを見て知った一般国民の敏感な人々よりも認識が遅かった!)

PCR検査数を意図的に絞ったことは間違いない事実であり(理由はどうであれ)、このことが後々まで、悪影響を与え続けた。そもそも検査能力が低かったが、その能力を上げる努力が遅れた(今も遅れている)

厚労省、政府は事実をリアルタイムに国民に伝えなかった(いつものことであるが、今回は「いつもの」状況ではないのに!)

疑い症状のある初期の相談窓口を保健所の「帰国者接触者外来」に限定することにこだわり続けた。

PCR検査を、保健所を中心とした公的機関だけに限定することにこだわりすぎた。(以上などの理由は、厚労省<医系技官>が自由に操れる範囲でやろうとしたように見える)

しかるに、保健所は、今回のような感染症パンデミックによる国家的危機へのトレーニングを受けていないし、予算人員も十分でなかった。むしろ、最近では減らされていた。

厚労省、政府の指揮系統がその場的であり、責任体制も取れていなかった(ように見えた)。

専門家委員会などで、どのような討議があったかを公開せず、国民は報道番組を通じて知るしかなかった。(後々、専門家委員の発言は匿名化した、との大臣の説明があり、皆驚いたし、専門家委員さえも驚き実名で記録して良いと訴えた)こんな調子であり、国民はもとより、コロナ医療の現場からの意見さえもフィードバックできる体制は皆無であった。厚労省(の一部、もしくは政府)が絵に描いた餅をこねくり回しているうちに何が何だか分からなくなっているように見え、対策は後手後手となり国民の不安は増強した。

上記の根本原因に基づくが、「37.5度C以上4日間」「PCR2度陰性が退院の条件」「指定感染症であるから、軽度でも無症状でも入院」という不文律がかなり後々まで(5月末でも)現場では通用していた。いずれも、結局は破綻した決め事となった。決め事は大切であり、初めてのコロナ対策であるから、間違うこともあるが、途中で間違いを認めて柔軟に変更していく姿勢が厚労省、政府にはない。それどころか「国民や保健所の勘違い」などと責任を国民側に転嫁する大臣の恐るべき発言に流石に国民も怒りを覚えた。

PCR検査を絞ったにもかかわらず、その後の、トリアージのシステムが全然できていなかったから、最前線では大混乱。コロナを受け入れているそれぞれの病院の担当部署の医師が、個人的な努力で、患者さんの振り分けを行っていた。それは限界ギリギリであったし、コロナ以外の救急患者さんにも逼迫した影響が出ていたことを理解して、今後の対策を考えないと恐ろしい現実は半年以内に迫っている。

トリアージに絡んでいるが、そもそも医療機関の役割分担システムができていなかった。これこそが日本の医療システムの弱いところ。個々の病院は、大きいところではワンストップ的に医療の全領域をカバーしているが、病院間の役割分担と連携のシステムができていなかった。それおぞれの病院のリーダーの能力と使命感に委ねられている。国も厚労省も東京都も病院を束ねる能力を持った人・組織がない。

政府や厚労省より、国民への事実報告のメッセージがないために、国民は疑いの目で、自分の国のリーダーを見るしかなくなった。「本当のところはどうなっているんだろう?」と。
「すぐに指定病院に入院できる人もいるのに、救急車でたらい回しになって手遅れになった人もいる」
「早期にアビガンを服用して回復した人もいるらしいのに、入院どころか、いつまでも検査すらしてくれない」
「自宅待機や宿泊療養など、どのように振り分けられるのか不安だ」
いろいろな不安が生まれ、一人歩きし、膨張していった。

詳細は不明だが、補償問題が盛んに論議されているが、今回のコロナ禍で、駐車場に発熱外来棟を作ったり、院内の感染対策を特別に作り上げた医療機関が多いが、国からの要望と経済支援のもとに行ったかと思っていたが、なんと自前で使命感のみで行ったという。これから何らかの支援を行うかもしれないが、あまりにも後手である。また、コロナ対策のために、他の病気の患者さんや医療機関への皺寄せも大きいが、そんなところへの国からの経済的支援は今のところほぼ皆無だと聞いている。第2波の時は、使命感は擦り切れていないかとても心配である。

このような使命感を持った政治家や役人はいないのか?せめて2割くらいいると国民は救われる?かもしれない!

こんな中、使命感どころか、その根本的人間性すらを疑わせる事件が勃発した。
ご存知、黒川検事長問題と政府業務の丸投げ中抜き問題である。国家的危機に陥っている最中に「なぜ????」これだけ国民も野党も注目しているこの時期ですら、平気で「自己利益のみに走る」ことをする人々をリーダーとして国民はついていけるか?
我々、医療専門家は、医学医療の範囲内でコメントするべきであろうが、その根本になる「使命感」「人間性」抜きには語れない。いくらシステムを見栄えだけで作っても「仏作って魂入れず」となるからである。あまりにも政府や厚労省が酷すぎるから、大阪の吉村知事には、後光が指しているように見える。だから大阪府民は団結し、ものの見事に感染者をほぼ0まで、押さえ込み、東京と差をつけたと私には見える。今、ほとんどの国民は吉村さんのような人に日本の代表になってほしいと願っていることは間違いない。

だんだん熱が入ってしまい、冷静に箇条書きに、とはならなかった。

 

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2006609コロナが教える人の道36 強盗か空き巣か詐欺か?

2020年06月09日

「強盗か、空き巣か、詐欺か?」どのような方々のことを言っているか、察しの良い読者の方は気づいているであろう。散々、不透明なお金の使い方や検察人事のやり方をしていると野党や報道機関から責められている、こんなコロナ禍の真っ最中に、またもや超不明朗な会計が明るみに出た。コロナ対策の事務作業を巨額な予算で民間に委託するという。それだけでも怪しいのに、それを友人企業が役員を務める幽霊社団法人経由である。しかも、そこから丸投げで電通へ委託。770億円のうち20億円を抜いている。%からすれば目立たないつもりであろうが、何もしない法人に20億円も与えていることになる。その法人には電通など官邸と親しい企業からの形だけの派遣社員23名。一人1億円近い金額になる。そして電通から、また再委託。その先は、先ほどの怪しい社団法人へ出向させている企業の関連会社。二重三重に搾取している。
これは、国会論議マターではなく、検察マターである。そうか、それで検事長人事が大切になるのか、、、、

こんなことをしているから、必要とする国民にお金が回るわけがない。

誰がこんな政治家を選んでいるのか?今は、国民のほとんどがそう思っている。しかし選挙の時期になると、忘れてしまうのである。また、いろいろなしがらみの忖度もあるのか?はたまた、他に選ぶ人がいないのか?

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200526コロナが教える人の道34 だから心ある国民が考え抜くことが必須!

2020年05月26日

前ブログで書いたが、今年の暮れには訪れるかもしれない巨大な感染の波を最小限にするためには、我々国民一人一人が真剣に考えなければならない。特に、自分の身の回りの仲間で比較的リーダー的存在である人は、その責務があると身を引き締めるべきだ。「私はそんなリーダーではない」と逃げていてはダメだ。こんな零細なブログに目を通していただいている人は、みなさん、そのような選ばれたリーダー的国民だ。
次の感染の波は、大きな意味では第2波と考えるのが分かりやすいであろう。(小さい分類では、中国武漢からの波が第1波、ヨーロッパからは第2波などと細かく分類している場合もあるが、ここでは大きな波を考えた方が、対策も考えやすい。)
その第2波では、今回のように「また、自粛すれば良いのでしょ」と、まるで「禁煙は何度も成功している」という愛煙家に近い発想では乗り切れない。今回の様々な事象を分析し、特に失敗とも思われることをきちんと認め、今から準備することが必要だ。国や自治体が考えるべき医療体制としては、検査体制があまりにも貧弱だったこと、それに伴いトリアージが最初の頃全く機能していなかったことだ。この辺をきちんと改善しないと今度はひどい目に遭うことになるだろう。
我々個人は何をするべきか?感染症対策の基本は、検査と隔離であることは、今時誰でも納得している。感染していない人同士は、いくら密接しても大丈夫なのである。日本では1%程度以下と言われる感染者を避けるために、99%の人が自己隔離をしないといけないから、経済も教育も楽しみも全ての活動を控えるしかない。この矛盾をいかに少なくするかという英知を、国レベル、企業レベル、学校レベル、家庭レベルなどあらゆる集団レベルで考え抜かないといけない。
100%の完全はあり得ない。例えば、PCR検査の感度は7割程度と言われている。思いのほか低いことに驚くが、事実だとしても、例えば7割の感度の検査を2度行うと、91%に、3度行うと97%の感度になる(計算上はであるが)。このように考えると、今盛んに言われている、簡便安価時短の抗原検査でもやりようによっては9割程度の感度まで持ち込める。しかも唾液でできるようになればもっと安全簡便である。
今回、政府の対応でもっとも気になったのは「スピード」だ。「目詰まり」と表現していたが、目詰まりだらけだ。37.5度4日間待機の問題はじめ、唾液検査ができると言いながら、いつまでも鼻の奥に綿棒を突っ込んでいる。検査の報告は手書きファックス。一度決めたことをいつまでも続けているという官僚的な体質が染み込んでいる。今や、テレビやネットなど一般人への情報スピードは早いのに、国の体制を改善するスピードはめちゃくちゃ遅いから余計にそう感じる。しかも、その失態を「勘違いされた」と認めないどころか健気な保健所の職員や国民のせいにする体質。いくら形式的に詫びても同じことを繰り返す。

そんな国民のリーダー役を即刻入れ替えるべきだが、代打がいないから困ったものだ。人は権力を一旦握ってしまうと、その維持や増大に懸命になり、本来のやるべきことの改善に努めない。改善するための行動には、時に権力をなくすリスクが伴うからだ。政府は馴れ合いの集団だと言われている。なぜこんな人がこの専門の大臣なのか?と思うような不適格、無能力な人が就任している不思議に笑って見過ごしているしかできない自分たちも恥じないといけない。

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200526コロナが教える人の道33 何が不安なのか?

2020年05月26日

緊急事態宣言後、毎日のように「今日の感染者数はどうか?」と夕方になるとそわそわとしてしまう。果たして、期待通りに順調に東京でも全国的にも新規感染者数は減少してきた。そして、この1週間で、全国から首都圏も解除に漕ぎ着けた。これでこのウイルスを撃退してしまったわけではないことは、誰しも知っているが、まず一安心と感じている人は多いであろう。
しかし、医療関係者を含め、事態を冷静に見ている人々は「不安は去ったわけではない。」と思っているであろう。僕などは、気が小さいから、一層の不安が迫ってくる。今回の感染の波では、日本は先進国の中では、感染者数、死亡者数ともに圧倒的に少ない。能天気な誰かさんが「日本モデルの勝利」みたいな発言をしていたから、僕などはますます不安に陥る。日本の感染者、死亡者が少ない理由は今のところ不詳である。様々な理由が考えられるが、アジアの他の地域も死亡者数が少ないので、何らかの人種に関係する遺伝要因によるものもあることはほぼ確実かと僕は推定している。また、日本人の生活様式も影響したことも間違いない。少なくとも、政府や厚労省の方針が絶大な効果をあげたということはないであろう。ただし、専門家集団の8割おじさんはじめ、最前線で働いた医療スタッフの涙ぐましい努力は、死亡者を低く抑えたことに貢献しているだろう。しかし、感染者数が低いことと、医療レベルの高さとは直接関係ないことは自明の理である。
ということで、今回の日本の感染者コントロールは、複数の幸運が重なった、と考えるのが妥当であろう。それだけ感染者が少なかったのに、東京など首都圏では、ほとんど医療崩壊といっても過言ではないくらいの医療危機に陥っていたことを忘れてはならない。ほんの数ヶ月前の恐ろしい状況である。

これからしばらくは、感染者が少なく、医療にしろ、経済活動にしろ若干の余裕が生まれるかもしれない。その時にこそ、次への準備を怠ってはならない。そんな時に、検察の停年問題を強行しようとした。結果はお粗末であった。それでも平然と能面のように原稿を棒読みする人、たどたどしく言い訳原稿を棒読みする法律関係の偉い人、今回のコロナ禍のリーダーであるべき厚労省に人たちの「棒読み軍団」を見ていると、この人たちをこの未曾有の災禍から助けてくれるリーダーととても思えない。とてつもなく不安である。それにしても情けない話だ!それでも我々国民が選んだ人たちなのだから受け入れざるを得ないのであろうか?
 

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2005011コロナが教える人の道32 言い訳する人を信じるか?

2020年05月11日

今までの一連の報道の中で、政府や厚労省の対応にじりじり苛立っている人は多い。各新聞社が国民に行った政府の支持率やコロナ対策への評価比率は低下の一路である。国民は、きちんと見ているのだと感じたが、今の内閣を形成する政治家を選んだのも、その国民だ。
加藤厚労大臣の、「誤解」発言は、すでにマスコミで叩かれているから、今更ここで取り上げなくてもよいだろう。この種の「言い訳」論理は、安倍首相たち内閣の人々に共通している。自分が犯した誤りの言い訳のパターンが似通っている。きっと、「言い訳プロデューサー」のようなブレインがいるのであろうと推測する。森友問題、カケイ問題、お花見問題、文書改竄問題、検事定年問題、今回の「誤解」「勘違い」発言問題など、全くそっくりな論理展開である。多少頭の良い人が考えて、誤魔化し通せると思っているのであろう。全くもって、国民を馬鹿にしている。

コロナ対策は、我々国民の命と全生活がかかっている。政治家や役人の忖度合戦の犠牲になってはいけない。一人一人が、きちんと考え、きちんと行動して身を守るしかない。もちろん、政府の対策を全否定する必要はない。例えば専門家委員のほとんどは優秀で善意で行動している。政治家の中にも、少数であろうが、自ら命をかけて国民を守るという使命感を持っている人はいるだろう。
我々は、そんな玉石混交の中から、重要なメッセージを選び抜いて行動していかなければならない。

自分自身の行動を規制する鉄則を個々の人が考え抜いていかなければならない。
少しずつでいいから、その鉄則を構築していくといいだろう。

「嘘を言う人を信じてはいけない」「言い訳する人を信頼してはいけない」「隠す人には、疑ってかかれ」

まずは、このような簡単で自明な鉄則から、箇条書きにしていこう。
 

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200425コロナが教える人の道29 COVID19治療を考える会議結成

2020年04月25日

今日は何人の感染者が出るのか?何人亡くなるのか?という発表に怯えながら、あっという間に前回の投稿から数日が経った。この間、僕は、大学時代の同級生に呼びかけて「COVID19治療会議」なるグループを結成し、様々な意見を政府などに向けて声明していくことを企画していた。まずは、前回の暫定標準治療のブログで述べたアビガンの早期投与により、重症化を少しでも抑える試みを、患者が希望すれば副作用効果なども自己責任で誰でも公正に受けられるような体制に一刻も早くするべきであるとの声明だ。一人の重症化を抑えれば、ICU1ベッド、人工呼吸器(またはECMO)1台、五人の専門医療集団を増やすことと同価値となるからだ。
平時の時でなく、有事の時であるから、正式な医学統計の結果は待てない。今の医学の標準的考え方は「EBM Evidence Based Medicine(科学的根拠に基づいた医療)」であるが、今はこの Eを「Experience」と読み替えるべきであろう。つまり「経験に基づいた医療」となる。コロナ治療の現場で働く医師たちの症例報告レベルを集積して、その経験から順次判断し、その時その時のベターベストを実行していくことだ。迷っていると、「何もしない」という一つの決断を実行していることになる。かと言って、闇雲に何でもかんでもやるというのではない。考えられる理論(推論)的根拠を意識した、今回の(数ヶ月ではあるが)臨床経験を可能な限り検証して、一週間限りの暫定標準治療を次々とアップデートしながら推し進めていくしかない。
待ったなしの状況が続いているのだから。

この会議参加者は、現在のところ、東大医学部昭和53年卒業組の15名が参加して討論している。近く、第1回声明を政府に届くようなルートに提出予定だ。

このブログを見た方、どうぞ拡散してほしい。声明文は、決まり次第この場でも披露する。

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200416コロナが教える人の道28 COVID19常時暫定型標準治療(案)その2

2020年04月16日

国民が安心、満足できる医療を実現するためには、「標準治療」という考え方を、医療者側にも患者側にも浸透させ、どこでも誰でも安定して質の高い「標準治療」を受けられる仕組みが大切であり、そのための方法論の研究と実践が僕の40年来のライフワークとなっている。
この考えは、基本的には平時の考え方であるが、今回のように、戦時中並みの危機の時は、事情が違ってくるが、基本的考えは変わらない。この数ヶ月のニュースや専門家の論文、症例報告などを追っていると、その「標準治療」は毎日のように変化すると言える。本来「標準治療」とは、その名の通り、安定した治療方法であるが、長い歴史的な目で見れば、10年間続いた「標準治療」も瞬間的なものとも考えられる。そういった考えで、今の事態を考察してみると、「COVID19の標準治療は1週間毎くらいに更新される」となると考える。

元来「標準治療」とは、「その時点、その地域(国)で、医学的に確立された最善の治療として学会など幅広い専門家の間で認められた治療法」と理解して欲しい。それに対し、「先端医療」とは「治験などまだ実験的要素を含んでいるが、標準治療を超える効果の可能性もあるが、未知の副作用の可能性もあり、公的保険が適用されない」となる。その他、特殊な考え方として「代替医療」「統合医療」などがある。

以上を踏まえて、2020/4/16時点で、僕が調査し得た情報から作成した、「COVID19/20200416DrTerra推定標準治療」という長ったらしい名前になるものを提案する。まだ、本来の標準治療やEBM(根拠に基づいた医療)は存在しないが、緊急事態という現状、緊急避難的次善、次次善策となる。

COVID19/20200416DrTerra推定標準治療
何よりも大切なことは、初期トリアージだ。

疑わしい症状や感染者接触が認められたら、全例、PCRと抗体(IgG,IgM)検査を行う。

その上で、陽性者は無症状、軽症、中等症、重症(重篤含む)の4群に迅速に分類(トリアージ)

無症状者 自宅隔離

軽症者  ホテル等の宿泊治療

中等症  人工呼吸器など高度医療可能な拠点病院

重症   エクモまで可能な高度専門病院、コロナ専門病院(今後設立されることを強く望む)

そして、大切なことは、各段階の施設の縦の連携を緊密迅速にしておくことだ。重症化したら、上位(より専門的な)の施設へ、危機を脱したら下位の施設へ。

 

肺炎などに対する一般的治療が、重症度に合わせて行うことは基本になることは言うまでもない。

無症状、軽症の方に適していると思われる治療
 フサン、フオイパン:ウイルスが人間の細胞に侵入するのをブロックする効果を期待。ウイルスがACE2レセプターと結合後の次の段階を阻害するらしい。日本で膵炎の治療薬として、普段使われ副作用なども周知されている
 アビガン :ウイルスが細胞内に侵入後、RNAプロメラーゼを阻害することにより、自己増殖する過程の初期を抑える効果を期待。軽症、中等症からの重症化を阻止する効果が報告されている。副作用については日本では治験などで承認済み。この薬剤は、新型インフルエンザ到来に備えて、日本国家が備蓄するという超特殊な扱いを受けていたが、今がその時で、開放してどんどん使うべきである。70万人分の備蓄に加えて、開発会社の富士フィルムは増産を開始している。
 カレトラ、レムデシベル:アビガンと同様の効果を期待。

中等症に適していると思われる治療
 回復患者血清抗体:理論的には最も効果がシンプルに期待される。比較的早期に実用化されやすい。武田製薬が着手中。
 この段階でも、酸素吸入くらいの重症度であれば、アビガンが間に合えばいいと思われる。

重症に適していると思われる治療
 回復患者血清抗体:理論的には、あらゆる病期に有効と思われる。供給量的問題と副作用を考え中等症以上が現実的。
 オルベスコ吸入:サイトカインストーム(過剰免疫反応)への進展阻止効果を期待。中等症の段階でも検討可能か?
 アクテムラ(トリシズマブ):リウマチの薬で、免疫の過剰反応を抑制する。この感染症の重篤期に起こるサイトカインストーム(過剰免疫反応)を抑制する効果を期待。
 全身的ステロイド大量投与:アクテムラと同様の考えで。一般的にはウイルス性肺炎では推奨されていない。

クロロキン製剤:効果の報告があるが、副作用も考えると、上記の治療薬の範囲に収めたほうがいいと個人的には考える。だが、今後の報告次第。

ワクチン:来年中には実用化できる可能性は高いが、それなりの問題もあり、万能ではないかも。でもマクロ的には、ウイルス撲滅の最高手段となる。

BCG:世界の感染者数と死者数を見ると、関連性はあるように思うが、現時点で予防的に打つことは得策ではないと考えている。

 

本日時点では以上であるが、今後随時更新したい。医学の世界では、今日の真実、明日の嘘、となることも多いので慎重を期する部分もあるが、あえて拙速という時期でもあると思う。
現状最も大切なことは、早期診断し、発症後1週間以内に軽症中等症の間くらい(その判定は微妙だが)アビガン投与を開始し、重症へ移行する割合を減少させることが喫緊の対応策。一人の重症者を減らすことは、1床のICUベッドと1台のエクモと5人の専門医療者を増やす効果と同じである。中国のデータでは60%から90%以上の症例で重症化を防いだ、とあり、日本の観察医療でも効果の報告が次々と出てきている。完全な統計報告までには時間がかかりすぎるので、他に画期的な治療薬が登場するまでは、とりあえずはアビガン開始し、少しでも重症者を減らす(可能性に賭ける)ことが急務であると考える。
政府、厚生省とつながっている方、是非、強力にプッシュして欲しい。

 

みなさん!更に、有効な治療法がどんどん開発されつつあります!希望を持って、今はひたすら自己隔離を実行、拡散して日本の底力を世界に見せましょう!

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200415コロナが教える人の道27 COVID19標準治療(案)その1

2020年04月15日

ようやく、政府やマスコミも「家賃問題」を話題してくれるようになった。このささやかなブログも届いているのかと、独りよがりの錯覚をしている。そういえば2011大震災の時もブログの中で「石川遼くん、大型寄付を!」と書いたらその2、3日後に実行してくれたが、まあ、人間同じようなことを同時期に考えるものである。

「医療判断決断」「標準治療」の重要性を唱える僕の職務であるが、全く未知の「新型コロナウイルス感染症COVID19」においても同じことが言える。しかし、我々には経験値がないから、「標準治療モデル」を構築できない。「標準治療モデル」を作るには、疫学的調査も含めた研究成果も加味した、広い視野でその病気の全体像を見る必要がある。しかし、この感染症の最前線にいる人々は、超多忙で肉体的にも精神的にも追い詰められて、全体像をゆっくりみているどころではない。

僕も含めた、半引退している医師や医学研究者は、現場で働くわけではないから、全体像を眺めながら、比較的ゆっくりと余裕を持ちながら、いろいろな情報を見ることができる。だからこそ気がつくこともある。現に、ノーベル賞の山中先生や本庶先生が、大変有用な提言をされている。現場で命がけで働いている人から見ると、「解っちゃいるが、それどころではない、そんなことを考えている余裕などない!」となるだろう。だからこそ、ここでも役割分担が必要だ。現場から少し離れて、事態を観察できる医師などは、多少専門は離れていても、細部にわたり情報を集めて整理しているうちに、何か重要なことに気づくことがあるかもしれない。そういった知恵も、政府や厚生省の役人は真剣に拾い集めて欲しい。霞ヶ関内部でいるだけでは決して分からない解答のヒントが隠れている。

そんなことで、僕は、なるべく広い範囲で、様々な専門家の論文やインタビュー記事を読み集めている。細部に何か珠玉のヒントが隠れていないだろうか?そして、このCOVID19のウイルス自体の特徴や臨床症状、提案されている治療法などの情報を一覧性があるように並べて眺めている。

全く未知のウイルスとその感染症なのであるから、今回起きている様々な情報から「標準治療案」を考えていく試みを始めた。本来標準治療の半減期は3年くらいとも言われている。結構短いのに驚くが、COVID19標準治療の半減期は3日間?程度かとも思われるが、あえてチャレンジしたい。

次回から、その2、その3と日々変わり、1年後には跡形もなくなってしまうかもしれないが、そうなるということは画期的な新しい治療法が発見されたことに他ならないので、その場合は至上の喜びとなる。

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200413コロナが教える人の道26 痛み分けの精神2

2020年04月13日

「自分が感染者かもしれないとの前提での自主隔離、自宅退避などの行動」が、この憎きウイルスにたいして今できる最強の攻撃である、と再三言い続けている。そのために政府をはじめ政治家、研究者、医療関係者などみんなが必死に活動している。やむなしに休業をお願いしていいるお店や出勤自粛をお願いしている企業など、大変な状況であろう。今生きている人たちには、かつて経験のない世界的規模の危機である。人間、自らが招いた世界大戦という危機もあったが、それを経験した人々も今や少なくなりかけている。

こんなウイルスが発生し、蔓延した理由を科学的政治的にもいずれ追及、追求していくときも遠からずくるであろうが、今は、なんとか最低限の被害で済むように、全世界が力を合わせて戦う「宇宙戦争」みたいな状況だ。そんな時の共通の心構えとはなんであろうかと考えるが、その重要な一つに「痛み分け」ということがあるであろう。今、東京はじめ、各地で問題になっている「休業要請」と「補償」問題などその典型である。国民も、政府も、経営者も、お客もみんなみんなが痛みを共有して我慢しなければならない。そう思いながら、苦しむ飲食業の経営者の声を聞いていると、「家賃も払わないといけないので、とても人件費は無理で、辞めてもらうしかない」というような叫び嘆きが多い。「家賃より人件費を優先するというのはどうなんだろう?」といつも不思議に思っていた。ようやく、政府などもそのことに言及するようになってきた。苦しんでいる飲食店の経営者や従業員がいるのに、なんら現場でのコロナ感染のリスクさえなく平然と家賃を頂こうとしている不動産オーナーたちが、シャイロックどころでない鬼のように想像してしまっていた。家主たちから「店子さんたちがかわいそうだから、家賃を免除しよう。その代わり固定資産税も減免して欲しいなあ」という声を聞きたかった。政府が先に「固定資産税を考慮するから、家賃も考慮して」とそのことにやっと気がついた(以前から気がついていたが、やっと発言?)

この非常事態、様々な場面で「痛み分けの精神」が必要になってくる。どちらが正当だ、などと争う前に。

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200409コロナが教える人の道25 自粛要請 休業補償 痛み分けの精神

2020年04月09日

「ウイルスが教える人の道」とは読み人知らずであるがよく言ったものだ。昨日の朝日新聞の1面記事で、社会学者の大澤真幸さんのインタビュー記事も興味深かった。朝日新聞のサイトで今の時期に限って無料で見られるからぜひ読んで欲しい。そして深読みして欲しい。この紙面で内容を紹介することは割愛する。

今、テレビの報道番組などで話題になっている「自粛要請と休業補償」の問題。零細な個人経営の飲食店などの悲鳴が聞こえてくる。テレビなどで紹介されているのはごく一部であろうから、その間接的影響も加味すれば、実態は計り知れない。半年前に、息子が一時赴任していたこともあり、2週間ほど滞在していたパリは一体どうなっているのだろうかとの思いが脳裏をよぎる。有名店より、街中の小さな地元に愛されているお店が好みの僕にとって「あの小さな店は無くなっていないだろうか?」と案じてしまう。欧米での対応は生やさしい自粛どころではないようだ。それでも1ヶ月頑張って、感染者のピークを抑え、やがてはいろいろなものが復活していく姿が想像される(そうあって欲しいと願う)。

日本のこの自粛の状況を見ていると、確かに業種によるばらつきは多い。かえって増収になっている業種もあるようだ。個人飲食店などは、「家賃と人件費」により潰れる瀬戸際のところもある。誠に不公平な状況である。国や自治体の保障も確かにそのやり方が難しいのであろう。本当に逼迫しているところに助成をしたいが、そのやり方が難しい。ゆっくり考えられるならいいのだが急を要する。誰かが提案していた「自己申告でも何でもいいから、とりあえず助成する。そして来年の確定申告でもいいから、落ち着いてからきちんと精算する」というやり方が一番現実的かと思うが、政府からそのような発案は今のところない。「より弱者を救済し、社会全体の健全化を目指す」のが政治の大きな役割の一つである。そもそも僕は個人的には「ふるさと納税」などには反対で、一度も利用したことはない。明らかに富裕者や高給取りを優遇するあのような制度を堂々と進めている政府や自治体の公平性や公正性の欠如に呆れ返っているからだ。

全国民的危機の今現在、国民は一致団結して立ち向かわなければならない。「自分たちは自粛要請対象業種にならなくてよかった」と思っている場合ではない。各自、できることを最大限にするべき時だ。「痛み分け」の精神がこの危機に立ち向かう基本だ。みんな我慢すれば、国民は納得して我慢できる。「なぜ自分だけ?」と思うと不安が怒りに変わっていく。
具体的な話に戻ると、自主休業するのはいいが、家賃と人件費がのしかかる。解雇だ、休業手当が出ないなど人件費の問題を取り上げる報道が多いが、東京など都会では、前者の「家賃」の圧迫が多い。痛み分けの精神なら、まずこの家賃の支払い免除要請をするべきであろう。一般的に考えて、場所を提供している不動産所有者は、余裕があることは自明である。税金は納税延期を決めている。(できれば休業中に按分して納税免除もするべきであろう)税金と家賃をなんとかすれば、経営者は無理をしてでも従業員の報酬を半額でもいいから捻出できる可能性は高くなる。これで「痛み分け」の構造が出来上がる。現に、老舗の店で、自社ビルで営業するお店は、一、2ヶ月店を閉めてもなんとか持ち堪えられるところが多い。

元々現政権に対し、「弱者には形式的な救済」「富裕層にはお友達としての優遇」を感じ取ったから国民は反感を持っていたのである。権力や金力に関係なく平等公平に襲ってくるウイルスの脅威を目の当たりにして、人のあり方を問いただす絶好の好機ではないだろうか。国民は強く勇気のある公正で献身的なリーダーとしての政府や総理の活躍を期待している。一億総期待状況なのだ。ひとつよろしく!

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200408コロナが教える人の道24 緊急事態宣言の考え方

2020年04月08日

ついに日本でも緊急事態宣言がでた。そのタイミングや内容などに国内外から賛否両論の意見も発出されている。感染予防という観点からは出せるカードは全部出すことはベストであろう。しかし、政治や経済や生活の観点から見れば、なるべく最低限のカードにして欲しいであろう。
欧米のように、完全封鎖で罰則があるような「国家命令」なら、国民側としては従うしかなくその場合は迷いはない。日本の現状のように個人の考えを大切にしながらの国の舵取りは極めて難しい。知事や総理でなくてよかったと大胆にも、つい思ってしまう。

医療決断支援の仕事をしていると、重大な決断はとてつもなく困難で苦しいことであることを理解できるし、自らも日々体験している。ある決断をしようとしても、他の選択肢が気になるし、選ぼうとしている決断の副作用が気になる。そんなことで、決めかけても心は揺れる。周囲のものも、本人のことを思ってはいるが、若干無責任にいろいろ助言をするから、決断はさらに揺らぐ。この繰り返しである。そのような迷う医療決断の支援が僕の任務だ。その経験からいくつかの原則を発見した。
「結果からみて、過去の判断や決断の評価をする」ことは、我々医療判断の専門家としては判断力のレベルアップにはなる。しかし、決断する人にとっては何度も繰り返す場面でもなく、滅多にない一生の一大事の重要判断決断で迷いに迷っているのだ。その上でやっと選んだ選択の決断の結果、思わしくない結果が生じたら、一生後悔することになる。大体から、それほどの重要な決断を要するときというものは、いずれの選択決断を選んだにしろ、厳しい結果が待ち構えているのである。
今のコロナ危機も同様である。
「将来の結果から今選んだ決断を自他ともに責めることはしない」「決断する時は、熟考した上で後悔しない<この選択がベスト>という強い気持ちで行い、その上での持てるカードを最大限活用する」ということが大切である。もう一つ、決断を悩む時は、複数の重要な「要素」があり、ある「要素」はこちらが大切で、別の「要素」ではあちらで、、、、ということで行ったり来たりと決められないことが多い。そんな時は、まずそれぞれの「要素」の優先順位を決めてから、2番目以降の「要素」で、選択肢を固定できるものは固定して考えていくことだ。
今のコロナ危機で言えば、要素は「感染予防治療」「個々の生活」「国としての経済」の3大要素がある。それぞれの「要素」は、「あちらがたてばこちらがたたず」となる。大抵の困難な決断にはつきもののことである。医療者から見れば「感染予防治療」が最重要であり、個人や経営者から見れば「個々の生活」、政治家から見れば「国としての経済」がそれぞれ重要となる。そして、それぞれの立場から意見を戦わせて、落とし所を探していくことになる。しかし、なかなかひとりで決められないから、スッキリとはいかない。
現状では、こういうことを分かる人は判るのだから、「命最優先」というほとんどの人が反対はできない大命題を錦の御旗として、リーダー(総理ということになるか?)がえいやっとやり、責任を一手にになって決断するしかない。多少、気の毒な気もするが、一国のリーダーたるものは、国民、特に弱者を身を張って守ることが本来の使命ではないだろうか。そんな格好いい尊い使命を誰もが持てることができない。周囲のお友達の利益を誘導するために総理を目指したのではあるまい。

閑話休題、現実的な話に戻ろう。様々な自粛要請を受けて、我々国民は具体的にどのように行動していくか?
「ウイルスは勝手に拡散しない、人から人へ、直接または間接的に」「理論上は、1ヶ月全国民が個室に閉じこもればコロナは撲滅する」というのが大原則(セントラルドグマ)である。そこから行動を考える。
いつも会っている家族や身近な人(その人の行動がほぼわかる人)以外には極力お互いに接触しない。
複数の人が触れたものを触った場合は手洗いをまめに行う。

たったこれだけのことを、それぞれの人にあった方法で実行するだけのことである。

しかし、人のふれあいがないとストレスがたまるし、長期戦となると生活が虚しくもなる。
上記の大原則を守りながらもできることは結構ある。
散歩、ジョギングは一人や夫婦などで行うことは問題ない。(ゴルフなども、車で行って、レストラン、ロッカー、風呂など使わずに終わればすぐ帰ればリスクは低そう!。)
映画が好きな人は、映画館には行けないけれど、自宅で見ることはできるので、映画館のような雰囲気を作り(携帯を切り、少し部屋を暗くするなど)ポップコーンを食べながら見る。
(僕も、好きな映画、ゴッドファーザーなどを見直した。結構再発見がある)
今まで気になっていた小説などをまとめ読みする。(こんな機会がなければ、一生読めなかった!)
意外と面白いのが「オンライン乾杯」いつも飲み歩く仲間とビデオ通話で複数人で繋がりながら、一杯やると、また新鮮な面白味もある。

そうは言っても、実際に触れ合いながら語らう有り難さはしみじみとわかる昨今。その時のための話題を書きだめしておくことにする。
 

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200406コロナが教える人の道23 一体いつまで?

2020年04月06日

「一億総不安」状態となっている我が国ですが、世界中でも同じでしょう。「総」と言ったら、「俺たちは気にしていない」「勇気があるから怖くない」などと言っている人から苦言を呈されるかもしれない。前回のブログでその辺については言及したので参照して欲しい。

今回のテーマは「一体いつまで?」ということである。医療の総合相談役を自認する僕にとって、心の問題について相談されることも少なくない。そんな時に患者さんは「トンネルの出口が見えない恐怖不安」という表現をよくされる。「いつまで我慢すればいいのか?」「いつ逃れられるのか?」というのが不安を招く大きな要素となる。

中国に始まったこのCOVID19だが、韓国に飛び火し、いよいよ日本かと思っていたら、イラン、イタリア、スペインで爆発し、次には米国である。その間、日本では、じりじりとゆっくり増えていき、欧米の様子を見ながら、今か今かと真綿で首を絞められるような感じが続いていた。いよいよやってきたかという感じになってきた。ここまでピークをずらせて頑張ってはいるものの、それだけ不安状態が長く続いていることになっている。だから「コロナ疲れ」や「自粛疲れ」などという声も聞かれる。我慢はこれからが本番であろう。しかし、ピークを遅らせてきた恩恵はある。いろいろな治療薬の試みがかなり進んできた。ワクチンの開発も進んでいる。もう一踏ん張りピークを延ばせることができれば、アビガンはじめとする数種類の効果的な薬の効果判定の結果が出て、日本でも実際に使われることになる。

テレビ報道では、暗い話が主体だ。マスコミの視聴率優先の癖もあるのだろうが、国民への危機意識を、という配慮もあるのかもしれない。しかし、トンネルの出口を見せるような希望の報道も2、3割ないと不安に喘ぐ国民は我慢が続かない。また、我々国民を最も脅かせているのは「罰則もなく、コロナも怖くない(怖さを実感しない)から、やりたいことをするまで。それにどうせ治療薬もないのでしょ」と半ばヤケクソに行動自制をしない2割の人たちだ。「2割の人が全体を支えている」というパレートの法則は「2割の人が全体を壊す」ともなる。

「国民を守るためには厳しい取り締まりも必要」とは持論であるものの、明るいトンネルの出口を見せてあげることも、脅威の2割の心を揺り動かす「太陽」になるのかもしれない。
諦めないで頑張り耐えていると必ず光明がさす。

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200406コロナが教える人の道22 怖い命の選別?見えざる不公平も!

2020年04月06日

すでに医療崩壊状態にある欧米では、標題の「命の選別」という言葉がよく聞かれるようになった。悲しくぞっとするような話だ。
「諦めない、手を抜かない、やりすぎない」を医師のモットーにしたいものだ、と周囲の医師や患者さんに口癖のように話している。
元々、日本は欧米に比べて国民的に「義理人情」「判官贔屓」「温情」などを大切にする風潮も強く、当然医師の間でも「諦めない、手を抜かない」という意識は根強い。
そんな中で、足りない人工肺やICUのベッドを高齢者から若年者に振り替えないといけないという選別が現場の医師に迫られるとしたら、医師の精神的苦痛は測り知れないし、医療関係者の中でも精神的犠牲者が出てくる恐れもある。明確な解決方法は思い浮かばないが、言えることは、現場の医師や医療関係者に決断を任せるのではなく、国としての基準を作ってあげるしかない、ということである。

「命の選別」恐ろしい言葉である。でも、今までにも我々人類は経験している。重要なことは、それが権力や経済力と決してリンクしてはならないことだ。
今の世界的な漠然とした傾向は「助かりそうもない人(高齢者)」を諦め、「助かりそうな人(若い人)」を優先するということであろう。ある意味では、やむを得ないとも思うし、最も合理的な考えとみなされていると思う。しかし、以下、批判を恐れず敢えて言いたい。テレビの報道を見る限りであるが、このような事態で、「3密を避けなさい」「自分が人にうつさないこういう行動を」と言っているにもかかわらず、いまだに、自粛要請を知っているにもかかわらず、「自分は関係ない」「若いから大丈夫」「今日の集会(出会いのコンパ?)に来ている人は生命力のある人だから、この出会いに感謝したい」などと言っている人(人間としての基本要件を持たない人間以下)の映像を見ていると、このような人が感染したら(感染確率は群を抜いて高いはずだが)、病院へ行き貴重なベッドなど貴重な医療リソースを消耗する。そしてそれを日本の保険でカバーすることになる。そして、「こんな輩からうつされて重症化した高齢者の医療を省いて、代わりにこんな輩に注がれるかもしれない」と想像しただけで身の毛がそそり立つような憤りを覚える。こんな不公平なことがあって良いだろうか。貴重な医療リソースを守るためにも、皆様には、もっと大きな視点で考え「強烈な自粛(これ本当の勇気!)」をお願いしたい。感染が落ち着いたときに、「自分が果たすべき役割は十分行なった英雄の一人だ」と自己肯定ができるようにも。

京都大学のある准教授が、かなり激しい言葉で、無防備に夜の街中をうろつく若者(だけでなく中高年者も)に注意を喚起していることが話題になった。イタリア、スペインでは知事や首相が「軍が火炎放射器を持っていくぞ」と叫んでいる。本来政治のリーダーたちにお願いしたいところを個人の先生が勇気を持って発信していただいていることに敬意を評したい。

このブログを読んでいてくれている貴重な良識人に再度お願いしたい。
理論的には、日本国民全員が、これから1ヶ月それぞれ別々に閉じこもったとしたら、憎きこのウイルスを壊滅できる」のである。憎きこのウイルスは人間の力を借りないと生き延びれないのだから。
このウイルスの伝播率は、ひとりにつき1.7人かそれ以上だという。それなら我々がそれ以上に速いスピードで「自宅退避の重要性」を仲間に伝えないといけない。つまり一人につき、周囲にいる楽天的に活動している3人以上にそのことを厳密に素早く伝え、さらに次々と3人以上に伝えるようにお願いする活動を提案したい。
我々のような、正確な知識を伝えるべきリーダーには一人30人以上目標にお願いしたい。

ともかく人から人へウイルスが伝播していくことを最小限にしていく活動が基本だ。
そして、一線現場で活躍する医療従事者、また、不眠不休で治療薬を開発している研究者たちへ熱きエールを送り、各自できるだけのことを考え実行することに尽きる。
いくつかの治療薬の効果の報告が出るまで、なんとか持ちこたえるようにしよう。

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200402コロナが教える人の道21 軽症者病院設立は待ったなし

2020年04月02日

なぜ日本の検査件数は、こんなにも少ないのか?誰もがそう感じ、多くの医療関係者もそういうし、専門家委員会も同意見だ。それでも何故?最初の頃は、オリンピックがあるから、感染者数の増加を見せたくないのでなと多くの人は推定していた。しかし、今やその理由はなくなった。でも、まだ検査数は増えない。実際、咳が出る患者さんが不安で検査を希望して、保健所を案内しても「検査は拒否されました」となる。おおくの仲間の医者も同じことを言っている。

答えは明確である。「検査が陽性なら、指定病院への入院」という感染症法の存在である。何故そんな法律が?と言っても、感染を蔓延させないための条項なのであろう。しかし、今回の状況はその法則が当てはまらないのは、誰の目にも明らかである。検査をきちんとして、その後トリアージをきちんとして、軽症者病院、中等症病院、重症病院へどんどん振り分けしていかないと、あっという間に専門病床はパンクするのは誰でも分かる。何故そうしない、できないのかはいずれ理由が分かるであろうが、責任と権限をきちんと持ったリーダーがいずに、複数の人や組織というい枠組みでしか判断できない体制だから「そんなことをして万一、事故が起きたら誰が責任を取るのか」というこんな危機的状況では極めて無益な反論が枠組みを硬直化させているのであろう。

権利関係など言っている場合ではなく、選手村の3000人以上収容できる施設を多少即席でも改造して、軽症陽性者を入院させる。やはりそこにも医師や看護師は最低限必要であろう。緊急事態として「準病院」として認めればいい。単なる滞在施設では弱すぎる。軽症と言っていても、少数だが急激に悪化する患者もいるから、自宅待機は無理な話である。大体から、軽症でも専門病床に入院させるという法律に固執しておいて、いきなり自宅待機となるというのもどうかしている。物事には順序がある。それがトリアージの大きな役割だ。トリアージをきちんとすれば、今の東京の危機は回避できる可能性は高い。東京で回避できれば、これから続くであろうその他の地方での感染拡大にもその経験は役立つ。今のイタリアやスペインや米国のようになったら、そのような丁寧なトリアージは不可能になってしまう。

国民は、それぞれの立場でできる最善をすることが最重要だ。自分だけ良ければいい、というのでは今回の危機は逃れられない。一般人は「自宅退避」という積極的武器でウイルスと戦うこと。一般人でも、各種団体集団、会社などのリーダーの方々は、仲間を守るためにも、未来の人を守るためにもきちんと行動するべきことを周囲の人に伝える。医療人は、特に貴重な資源であるので、自分の身を守りながら(医療人に限り「うつらない」を優先することが、人を守ることに通じる。)ウイルスと戦う周囲の人たちのリーダーとなる。専門医のリーダーたちは、政治や経済に忖度することなく、最善の方法を主張する。政治家は、それを踏まえて、国民の生活を守ることも考えつつ、落とし所を考えて、素早く実行する。経済界の重鎮たちは、もしかしたら、この危機を乗り越えかけた時くらいから力を発揮してもらうことになる。資本主義に基づく経済競争を一旦リセットして、経済リソースをなるべく遍く国民に還元して、そこからまた、新たに経済競争すればいい。

夢物語的な国民の行動規範を述べてみた。

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200402コロナが教える人の道20 自宅退避はウイルス撲滅の最強武器だ

2020年04月02日

コロナ疲れや自粛疲れなどと言われる。誰もが同じ気持ちだろう。ここで、発想の転換をしたい。自粛と言われるから「我慢」「辛抱」という言葉を連想し、「ウイルスから逃げ隠れするのに疲れた」という感じになる。しかし「自宅退避Stay at home」は、ウイルスに対する一般国民ができる最大の武器であると強く意識すると感じ方のイメージが変わる。ウイルスのやつらは、自分の力で増殖できない。人の細胞に取り憑いて、人の力を借りて増殖し、人の移動に乗じて自らも行動範囲を拡大するのである。それこそがウイルスの弱点である。幸い、今のところはこのウイルスはほとんど人間に取り憑くから、我々人間がそれを拒否すれば、奴らを兵糧攻めにして移動を封鎖できるのだ。一部動物への感染の可能性も報告され始めたから、今が奴らを封じ込める最後のチャンスかもしれない。
いつもは楽観的なな外科医をしている息子が、今回は思った以上に警戒している。彼がSNSに「発想の転換をしよう。自分がうつらないように気をつけるのではなく、自分が感染者だと想像して人にうつさない行動を意識することで、いろいろ見えてくる」と書いたようだ。直接息子を褒めることはしないが、「その通りだ」と思う。「うつらない、うつさない」と両建てで考えていたが、「うつさない」と一本化することで、行動指針がよく見えてくる。
それで自分が取るべき行動が見えてこないとなると、その人は新型コロナ以前の問題かもしれない。

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200327コロナが教える人の道19 コロナが引き出す悪魔の心とならないように

2020年03月30日

表題は、確か新聞で見かけた川柳である。でも言い得て妙である。この国家的危機に際し、民衆の取る行動はまさに千差万別である。専門家の言っていることも十人十色であるから、それを聞いている一般人の心が揺れるのも尤もだ。しかし、どのような専門家も完全無欠な意見は言えない。何しろ、初めて体験するウイルスであり、かつ、既知のウイルスとはその特色が異なる部分が多いように見える。そうは言っても、多くの部分は一般論としての感染症やウイルス学が当てはまる。

昨日、一昨日(3月末の週末)は、東京で、「外出自粛要請」が小池都知事より強い口調で示された。それに反応して、都民の大方は外出を控えた。しかし、ある放送局の聞き取り調査では、なんと15%の都民が「いつもと同じように外出した」と答えた。「やむを得ない理由で外出」ではない。パレートの法則をご存知であろう。「概して世の中は20%の人により動かされていく」という考え方だ。この危機を救ってくれるのも、20%の人々であり、みんなを滅亡へ導くのも20%の人々ということだが、僕は下手をすると20%ではなく5%と言っても大きな間違いはないのではと思っている。
「自分自身がウイルスの運搬人になることの恐怖」を想像できる人は80%いるだろうが、それを感じない、思わない、むしろ否定する20%の人は、このウイルスを蔓延させる要因としては十二分な量になる。悲壮な状況に陥っているイタリアでは、知事や首相レベルの人が「(そんな集団には)火炎放射器を持った警察を向かわせる!」と叫んでいる。必死である。気持ちはわかる。しかし、日本で政治家がそんな発言をするととんでもなく非難されるだろう。(勇気ある政治家を期待するところだが)全ての人を説得させるには「太陽か?風か?雨か?、、、」僕には答えがない。

こんな時こそ、模範やリーダーが重要だ。我々年寄り組が「若者たち」に理解を求めて叫ぼうが宥めようがその効果は限定的だ。それぞれの集団のリーダーや憧れ的な人々から発信することこそ重要だ。テレビニュースや新聞を見ない人に、著名ユーチューバーが自粛を呼びかけたと聞く。「あっぱれ」だ。結構効果があったのではないだろうか。世の中の人気タレントやアイドルたちが同様の行動を倍加してくれることこそ最後の15%に訴える方法だ。無観客ライブをネットで流し、「この場に来れない人こそ本当のファンです」と叫んでほしい。そして本当のファンなら、ネットを通じて〇〇ペイで、好きなだけ払えばいい。それこそ「ファン中のファンです!」

それでもダメなら自衛隊か機動隊に頼るしかない。この危機的状況を知りつつ、3つの「密」をあえて行うものは、「凶器準備集合罪」に等しい行動とみなされてもいい危機的状況間近なのである。

しかし、僕の本音は、このコロナウイルス禍を乗り切った暁には、自分の権力やお金を追求するのが自由な資本主義の真髄と確信して突っ走ってきた我々は深く反省し、人の痛みがわかり弱者に配慮して控えめな行動できるものこそが賢者で強くクール(格好いい)だと分かる世が到来するものと信じている。その模範として、家族や年寄を大切にし尊重し、スローライフを実践していたイタリアやスペインがこの行き過ぎたグローバル時代の呪いを受けている姿に心が痛んで痛みすぎている。そんなイタリアで、看護師のボランティアを求めたら7000人も応募した。コロナで犠牲になったものの10%が医療従事者というのに!辛い、辛すぎる。

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