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200806コロナが教える人の道42 最善を祈り、最悪に備える

「最善を祈り(期待し)、最悪に備える(想定する)」言い古されている言葉かもしれないが、様々な危機管理の基本的スタンスだと僕自身も座右の銘にしている。個人的な状況でも、医師として患者さんを診るときも、忘れてはいけない言葉だと思っているが、時に、どちらか一方に傾いてしまう。つまり「最善を期待しすぎるあまり、対策が甘くなってしまう」ことになったり、「最悪を恐れるあまり、萎縮してしまったり、悲観的になりすぎてしまう」ということだ。今や国家的危機である。政治家こそこの考えをきちんと意識して、たとえ周囲のものに嫌われようとも、専門筋の意見や討論を参考に熟慮した上で迅速に決断実行していくしかないのである。「仲間から嫌われても」「国民のためになると判断したら」「全責任を取る覚悟で」行動していくからこそ、政治家は国民から選ばれ託されているのである。「偉そうに言うなら、お前が政治家になれ」と言われるときもあるが、「僕などは周りの仲間を大切にしたいお友達大切派だから、政治家になれない」と堂々と答えるようにしている。だからこそ本来政治家は英雄的存在なのである、と僕は思っている。
では、今現在のコロナ状況に関して、最善は何かというと、「もしかして新型コロナウイルスは弱毒化してきたから、重症者が少ないのでは?」「ワクチンもまもなくできて、感染拡大防止もなんとかなるのでは?」「政府や都知事は医療は逼迫していないと言っているから、なんとかなるのでは?」「自分の周囲には感染者もほとんどいなく、そこそこ活動しても簡単には感染しないのではないか?」などなどである。反対に、最悪の想定とは、「コロナウイルス生存の不利とも言われているこの夏場でもこの感染状況だから、秋冬になると爆発的感染が顕著になり、イタリアやアメリカのような悲惨な状況が目前である」「重症者が少なく見えているのは、現在は若者の陽生判明者が多いだけで、タイムラグをもって、これから重症者が激増して、医療があっという間に逼迫する」「有効なワクチンなど簡単にはできない。期待が先走っているだけだ」「ウイルスは弱毒化どころか、感染力、毒性ともに強くなるのでは?」など、悲観的な想像はどんどん膨らんでいってしまう。

今までの状況を考えると、政府を当てにできない。なぜなら、全く過ちを認めず反省する兆しがないからだ。イギリスのジョンソン首相は、最初はこのウイルスを甘く見ていたが、状況に素早く反応し、その過ちを潔く認めて、正反対の施作をとった。3月、4月の日本政府、厚労省の対策は、もちろん有効な部分もあったが、失敗も多かった。でも結果は、感染拡大は抑えられたかに見えた。それを「日本モデルの勝利」などと自ら自慢していたことに恐怖さえ感じた。厚労省の偉い人は、一部の失敗を認めるどころか「国民や現場の勘違い」などと言った。のちに失言だと訂正しようとしたが、過ちは認めていない。こんな人々を日本の医療のリーダーに野放しにしているのが日本の現状だ。

だから「自衛」するしかない。また、もっと小さい地域の単位で、まめでスピーディーな対策が進み、模範となっていくことが望まれる。

作成:2020/08/06

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