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200302コロナが教える人の道7 やっと出た学校閉鎖要請、でも他には?

2020年03月02日

COVID19感染症に対抗する、国民への具体的な要請としての全国の学校閉鎖要請が総理より発せられた。遅すぎるとの声が多いようだし、僕も同じ意見ではある。問題ポイントは「遅いのに、唐突である」ということだと考えている。以前のブログでも述べたが、どうも総理の周りには「国民は(無知で)動揺しやすいから、情報はなるべく我々中枢でコントロールし、開示する時は突然の命令の方が効果的だ」と考える幹部や専門家が多いように僕の目には写る。そんな日本に引き換え、台湾の国の対応が世界から注目され称賛されていると聞いた。大統領自ら、陣頭に立ち、国民を守ろうと必死で懸命に努力をしている姿が、国民に伝わっているというのだ。ウワベだけでは、国民は騙されない。そして、基本的には、国民にも情報をリアルタイムで共有できるシステムをいち早く構築している。その立役者は、「公僕中の公僕」を使命にして、政治家となった人だ。トランスジェンダーとして辛い過去を味わったとの話だ。マスク一枚一枚の動きまでトレースして、国民に行き渡るように配慮しているというから驚きだ。
「国のため」「国民のため」を最優先している政治家は、少なくとも日本では、ほとんどいないように僕には見える。「ノブレスオブリージュ」を何よりも愛する僕としてはとても残念なことだ。まあ、政治家に限ったことでなく、経済社会の重鎮たちでも、我々医療の世界でも残念な人は少なくない。でも、あえて、弁護するなら、医療の最前線で頑張っている人たちの多くは、自己犠牲をしてでも人のために尽くしている(ように見えることが多い)。少なくとも、その比率はいろいろな職種の中でも多いと感じている。安心してほしい。その比率の半分でも、政治家や経済界の重鎮や富裕層などに存在すれば、こういった危機をもっとスムーズに乗り越えられるのでは夢想している。非難を受けるのを覚悟であえて言いたい。

「学校閉鎖」の話に戻そう。集団感染(クラスターという言葉が流行っているが)を防止するには、人が集まらない、移動しすぎないということが基本的だ。そういう観点では「学校閉鎖」は一つの手段としては正しい判断だと考える。しかし、これだけでは効果は極めて低いと予測している。しかも、子供を自宅で面倒を見るために、医療現場では看護師、医師なども不足することも予想される。保育園や学童は制限していないようだが、そちらでの集団感染が心配だ。机上の極論としては「学校閉鎖」と同時に、全ての国民が自宅に閉じこもり2、3週間全く動かなければ、感染症はほぼ抑止できるであろうことは想像できる。それが無理となれば、「学校閉鎖」のように一部分を極端に制限するよりも、大人も含めて総論的に、移動や接触をある程度抑えるパッケージで考える方が効果的ではないかと僕は推論する。望むらくは、今回の全国学校閉鎖の要請が、事態の深刻さを国民に浸透させ、不要不急の外出を極限まで押さえ込むことができることと、一方、マスクやトイレットペーパー、食糧などの供給は大丈夫だとの安心のメッセージを国民に伝えることができることを願うばかりだ。

各分野や団体でリーダー的な立場の人は、なるべく正しい(正しそうな)知識を得る努力をして、周囲の仲間のリーダーとして、一人一人がどのような行動をとることが大切なのか伝えていってほしい。今こそ、本当の「ワンチーム」になれるかどうかの瀬戸際だ。

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200228コロナが教える人の道6  極端な意見にはなるが

2020年02月28日

今の事態は、国家的かつ全国民が関係する大問題である。ということは全国民を挙げて、戦わなければならない。富裕層たちに望むことは、生涯で使い切れないであろうと思われる分を差し引いた資産の半分(全部と言いたいところだが)をこの問題の対策費として国に献金寄付してほしい。子供や孫たちに無用なお金を残して無用な争いの種を作るよりも、「日本を救った人々」という名誉を残した方が1代2代どころか末代まで残る英雄となるであろう。もし日本人の資産家たちがこのような行為をするだけで、COVID19による被災者をなんとか救える数兆円規模になるのではないかと試算している。例えば10億円以上の献金者は、国立感染症研究所のボードの名を刻んで称えるなんていかがであろうか?
そして、多くの通常の国民は、そんな「ノブレスオブリージュ」を示した、資産家たちの誉ある行動に感化され、それぞれができることをするであろう。何事も範となる人の行動が一番力強い。
前項で書いたが、このウイルスの抗体検査ができるようになれば、国のおかげで武漢から逃れて、幸い軽症ですみ、体内には抗体もでき、この病気にかからないことがわかれば、コロナ対策病院のボランティアとして駆けつけてほしい。学校閉鎖により、2割以上の看護師さんやその他の職員さんの労働力が減少し、医療崩壊と言われる事態になりかねない。コロナ感染症より重症の患者さんは変わらずに大勢いるのである。毎日、手術も必要である。毎日、癌の宣告を受けている人が多数いる。その方にとってはコロナより怖い宣告である。
大病院に勤める医師は、コロナ感染の危険性が最も高い職業の人々である。その人たちにも守らないといけない家族がいる。僕にできることは、そんな医師を応援することかもしれないと考えている。そのためには、関係する患者さんがたに、なるべく正しくてuptodateな情報を発信するように努めている。

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200228コロナが教える人の道5 気になる病状

2020年02月28日

この2ヶ月の報道を見ていて、このCOVID19感染症の病状経過で気になることがいくつかある。最も気になることは、波状攻撃的な病状だ。最初発熱があって、咳もあり病院に行くが、その後数日勤務していたら、また悪くなり、肺炎状態に陥っていくという2段か3段構えの攻撃だ。これは明らかに従来のインフルエンザとも違うし、市中肺炎の代表である肺炎球菌による肺炎などとも違うように見えます。このウイルスは、HIVウイルスのように何か宿主側の免疫機構に攻撃を加えてくるのかとも推定しています。インフルエンザとエイズのウイルスが合体したようなものだったら、結構手強い相手になり、対策も難航が予想される。

COVID19ウイルス存在のPCR検査に加えて、このウイルスに対する抗体があるかどうかの抗体検査が1日も早くできるように、検査機関の奮闘を祈っている。

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200228コロナが教える人の道4 僕ができること、していること

2020年02月28日

仕事上の約束は当然であるが、友人との遊びの約束でも無断で破ることはおろか、ドタキャンも66年の生涯ほとんど記憶にないくらいの僕にとって、非常事態である。かねてから、約束して計画していたいろいろなことが目先にもいくつかある。しかし、今は、「約束を破らない男」としての名誉を考えている場合ではない。ここは、一つ一つの約束事に丁寧に対応して、無期(でも可能な限り近い将来)延期の策を取り始めている。以前から何度も述べているように、未知の感染症対策の基本は「封じ込め」である。多くの人数が集まると、総人数に応じて指数関数的な接触が生じるからである。

=>  4、5人以上が一同に集まる機会は自ら作らない。(車で行って、野外で行うゴルフはかろうじてセーフであろうかと自己弁解したいが、悩むところ)

手洗い、マスク、うがいが個人ができる予防の基本と言われる。ご存知のように、「手洗い」が圧倒的に有効で、「マスク」はもし潜在的な感染者であった場合人にうつさないというために有効という意味合いはある。ただし、多少の空気感染を起こしているのではという説も浮上してきているから要注意である。ウイルスは粘膜から侵入するので、うがいも多少の効果は考えられる。そうなると帰宅時に顔をしっかり洗うことも大切になる。大半は、手すりや椅子机などについていた飛沫内のウイルスを触ることであるから、手洗いとともに、使い捨て手袋を着用するのもいいかもしれない。医療機関内以外では、今のところほぼ誰もしていないので、違和感はあるが。

=> 手洗い、使い捨て手袋、うがい、顔洗い、エチケットマスクといった心がけが基本

現在のところ、決め手となる治療薬はない。となると自己免疫力と重症化した場合の手厚い救命医療に頼らざるを得ない。生活習慣病対策と同じ注意である。規則正しい生活の一言に尽きる。この際に禁煙に取り組むことは、長い目で見てダブルで効果があることになる。また、過剰な不安は、免疫力を下げるので、正しい知識を得る努力をして、正当な危機感を持つことである。重症化した時は、日本の医療を信じるしかないです。実際現場の医療人のほとんどは過剰労働に耐えて頑張っている。普段から、そういった努力を応援する行動をとってほしい。

=> 規則正しい生活。禁煙。節酒。正しい知識。医療を信じ、普段から医療人を大切に応援する。

今朝のニュースで、トイレットペーパーが売り切れている????という報道に驚いた。中国から輸入されないからとの噂が原因らしい。メーカーは99%日本製なので安心してくださいと訂正報道をした。こういった「自分だけが助かりたい」という、人間の悲しい性を全面否定はしないが、ここは落ち着いた行動をとりたい。これからは家に閉じこもることが多うなるだろうから、1週間分の食料をまとめて買って、家庭内で料理して、不要な外出を避けるのは理性的な行動である。これと、1年分の食糧や水を備蓄しようという焦った行動は全然というか正反対の行動となり、社会不安を助長する。

=> 買い占めという愚行は慎む。金の亡者と同じさもしい人種になる。力を合わせて、皆で助かろう。

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200228コロナが教える人の道3 遅すぎの突然の学校閉鎖

2020年02月28日

やっと政府として、国民に対して具体的な対策要請(命令)がなされた。「全国の小中高の全面閉鎖」、衝撃が走ったのは言うまでもないが、世間は「やむを得ない判断だが、もっと早く出して欲しかった」との見解が大方だったように感じた。国民の方が的を得た考え方だ。ここ数年の災害に対する内閣の対応を振り返ってみると、「国民に動揺を与えたくないから」、事実の公表をまずは控える。どうしようもなくなったら、急に命令を出す。大企業人事やワンマン企業の社長のやり方に近い。情報のリークにより不要な不安を掻き立てるのを防御していると彼らは説明している。それは国民や社員をバカ扱いしているに他ならない。

今回も少なくとも1ヶ月以上前から、「全国的な学級閉鎖」「大人数が集まるイベントの禁止」「テレワーク、極端な時差通勤」の要請などの措置をとるかもしれないと国民に発信しておくべきだったであろう。そうすれば多少の準備はできる。トップ命令は急に行うから効果があるという前近代的な風潮が日本の政治や会社の中に旧態依然として残っている。急な転勤命令を受けた経験者は少なくないはずだ。「(学級閉鎖の副作用など)何も考えていない。走りながら考えていく」この段階で一国のトップが発する言葉かと耳を疑った。

政府も日本国民を信頼して、情報をきちんと流し、テレビ局各社の独自番組でなく、「政府広報番組枠」を作って、定時的に流すべきであろう。政府からの命令、要請、とともに補償の内容や予定などもセットにすればパニックにはならない。国が守ってくれないなら、自分で守るしかないから、マスクやトイレットペーパーを買い漁るしような浅はかな行動に出て、それが報道され愚行のスパイラルとなっていく。

そのいい例が「PCR検査」の不思議、不明瞭性だ。我々、一線の医療人でも、どうしたらこの検査ができるのか判らないし、どうしてできないのかも判らない。大体から、政治家たちも「PCR検査」と簡単に話しているが、一般人同様、今まで聞いたこともない言葉であろう。「疫学的調査をきちんとしてから」など誰かの受け売り的な言葉しか出てこないから、対策が後手後手になっていく。もちろん専門家対策委員たちもいるが、指導、リーダー、責任体制が明確でないから、各方面への忖度案しか出てこない。総理大臣、医療専門家のリーダーが雁首を揃えて、明確なリーダーシップを発揮しながらの舵取りが急務である。

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200226コロナが教える人の道2  マスコミ情報の整理

2020年02月26日

朝のテレビは、どのチャンネルもコロナウイルスが話題のワイドショーである。それぞれのチャンネルは常連ゲストに加え、感染症専門家であるゲスト(といっても、もはや常連化し顔馴染みであるが)が、感染者数の増加や重症者の状況などについてコメントし、政府の対応の不明朗さや遅さに批判を浴びせている。よく観察していると、首尾一貫して同じ意見を言っている人と、状況に応じて、微妙に意見を調整している人、平気でコロッと意見を変えてすましている人など様々である。しかし、ここは落ち着かないといけない。何も評論家の品定めをしたいわけではない。番組を通じて、正確な知識と情報を得て、不安をできるだけ低減し、自分自身が可能な対処法を実行したいだけである。

ポイントは、「時系列」に情報を整理することと、「自分が実行できること」の情報の箇条書きをすることである。できればメモなどに残すのもいい。前者の意味では、状況に応じて意見を変えていく専門家は一概には批判できない。問題はそれを自覚しながら報道しているかどうかを明確にしているかどうかだ。専門家として、テレビカメラの前で話すことには責任がある。テレビ報道でよくあることだが、人の意見を切りはりしたり、時系列を変えることで、反対の内容になることも結構ある。我々、視聴者としては、できるだけ必要な情報だけを単純に並べることが重要だ。テレビでは話題性のあることを、何度も繰り返す傾向にあるから、過剰な不安を煽りがちである。出演者の個人的見解は、時には役に立つが、それを繰り返して見ているより、その時間を手洗いにかけた方が有効な予防策となる。

今後、政府より「学校閉鎖」「外出自粛」「乗り物の制限」「集会の禁止」など具体的な指令が出ることも予想される。それらのニュースのキャッチは必要であるので、朝一、昼ごろ、夕方などの定時ニュースには注目しておくほうがいい。バラエティー系の番組でのコロナウイルス情報の取得は極力控えたいし、友人知人へ興味本位で伝達することは戒めるべきである。

共通する大切なこと
不要な外出はなるべく避ける(軽い風邪症状は自宅で様子を見る。その際でも、家族に配慮してマスクは着用。マメな手洗いも。)
帰宅時の手洗いは格別有効。この手洗い癖は、夏の食中毒の防止や細菌性結膜炎などの防止にも役立つことであろう。
自分だけ逃れようと思わず、家族や友人や国民みんなのことへ思いを馳せながらの行動が結局自分に返ってくる。(買い占めなどの愚かさ)
こういったパンデミック型(集団感染)の感染症は、封じ込め作戦しかないことの理解。当然将来的にはワクチンなども併用しての封じ込めになる。
普通の風邪であろうが、花粉症であろうが、咳が出る人はマスク着用(実質的配慮と心理的配慮)

最後に、身を粉にして最前線で医療活動している皆さんに敬意を表して。

 

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200226コロナが教える人の道1 リーダーの必要性

2020年02月26日

今年の年賀状のご挨拶で、「2010年代の日本は数多くの歴史的な自然災害に見舞われた年であったが、2020年はその数字の見た目のようにニコニコした年になりますように!」と書いたことが、見事に裏目に出た状況となっている。しかも日本だけでなく、世界中のことだ。ただし、自然災害なのか、人的災害なのか、今後検証する必要があるであろう。僕は僕なりにはっきりした見解を持っているが、このブログのシリーズでも言及はしていきたく思っている。
でも、まずは医療従事者として(医学作家として!)、なんとか皆さんに、マスコミで出回る情報の整理に役立つような話をしていきたい。僕の事務所の医療活動の根源にあるテーマは「いかに多くの人に安定した安心を提供できるか?」である。そのための手段として「正しい知識は最強のワクチン」「良質な医療相談の提供」を2大柱にしている。前者の一つとして「教養と健康のための医学塾」を毎月開催し、114回目を迎えようとしている。後者のためには、民間版の侍医システムと医療決断の相談専門のクリニックを運営している。個人としては「医学作家」と称して、医学や医療の知識や医者の世界のことなどをわかりやすく伝える執筆活動をしている。その一部は、このホームページでも公開している。ネットの医学情報の見分け方の大切なポイントは、誰が書いたのかきちんとわかるようにしていることである。さらに、一歩踏み込んで、「幸福論思想家」と勝手に自称して、「幸福」という考え方に、何事にもとらわれず、誰にも忖度せず自由な思想を発信するということを今後の課題にしている。

本シリーズでは、医療関係者の医師としてだけではなく、医学作家として、時には幸福論思想家としての踏み込んだ私見も述べていきたい。

今現在、日本人の多くは不安でいっぱいである。そして「政府は何をしているのか?」と不満でいっぱいでもある。不安、不満は恐怖へと進み、さらには怒りにも発展する。不安の根源は「情報の真偽がはっきりしないことである」役人たちの言っていることが、なんだか奥歯に物が挟まっている感じがする。一般に、知識がないとやたら過剰に怖くなるか、知らぬが仏となり、無分別な行動をとってしまうから、始末が悪い。
不安の根源は、「リーダー不在」を感じ取ってしまうからだ。大ピンチの時に、誰を信頼してついて行ったら良いのかわからないのが最も不安である。アメリカのCDCと言われる国家の感染症制御組織があれば、そのトップが絶大な権力と責任を持って対処していく。日本では、そういった感染症対策の絶対的リーダーがいない。専門者会議の意見を聞きかじった大臣が棒読みする声明では、不安になるのは当然である。いろいろなところに忖度せず、国民の安全を最優先するリーダーが必要で、その人と経済のリーダー、全体のリーダー(総理)と喧々諤々にやりあい決断していく姿を見れば、国民の多くは黙ってついていく。

 

残された時間は迫っている。いろいろな人から嫌われる勇気を持って英断してほしい。

最近の「主侍医からのメッセージ」もお目通しいただきたい。

そういえば、東北大震災の時も同じようなことを書いた。こちらも参照いただきたい。
https://drkenzo.com/blog/2011/03/post-26.html

新型コロナウイルス情報を毎日更新してお届けしています
https://drkenzo.com/archives/2020/0221_122110.html

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どうなるのか?新型コロナウイルス  2020/1 主侍医通信より

2020年01月31日
暖冬と喜んでいたら、結構冷え込んできました。
インフルエンザも心配、暖かいから早めの花粉症も心配なところですが、何よりも「新型コロナウイルス感染症(肺炎)」が否が応でも気にかかります。
新型インフルエンザやSARS、怖いところではエボラ出血熱など海外からの感染症の脅威は後を断ちません。
グローバル社会の副産物と諦めるか、グローバリズムの行き過ぎを少しは反省するのか、人間の叡智で乗り切ることを信じるとするのか、悩ましいところです。
思想家としての意見はいろいろあるのですが、まずは皆様方の「主侍医」としては防護策などの対策を少しでもアドバイスすることが先決です。
基本は、なんと言っても「君子危うきに近寄らず」に尽きると思います。
観光地など人混みを極力避けること、外出後は、外科医やお寿司屋さんの板前さんになったつもりで手洗いを厳重に行うことです。
万一、危ぶまれるような発熱があった場合は、電話にて我々にご相談の上、必要に応じて保健所と連絡を取り、指定の病院を受診しなければなりません。
すべての総合病院や診療所が、新型コロナウイルス感染の診断をできるわけではありません。
ただし、今のところ、大抵はインフルエンザか、普通感冒の可能性が高いのですが。
この辺の判断が難しくなります。
少なくとも、過去2週間以内に中国を訪れた人と接触があった場合は、発熱イコールコロナの可能性というふうに考えて行動するべきでしょう。
 
パンデミックと呼ばれる感染症の爆発的蔓延を阻止するには、現在のところ、残念ながら封じ込め作戦以外にありません。
この基本に準じ、国としての対策と個人としての対策を可能な限り実行し、ウイルスの鎮静化や消滅を待ち、またワクチンの完成を急ぐことが重要です。
 
医学の歴史は、主に感染症との戦いとその他のことと言ってもよいくらいに、感染症は医学の大敵です。感染症や公衆衛生の専門家の友人が、人類を最後に脅かすのは「蚊」が伝播する感染症だと言っていたのが印象的です。
みなさん、なんとか数ヶ月この新型コロナウイルスに接触することがないよう、人混みを避け、帰宅時の手洗いを励行しましょう。(2020/1/29)
 

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年末のご挨拶 2019/12 主侍医通信より

2019年12月23日
一体なぜ「年の瀬」は慌ただしいのでしょうか?
1年という大きな区切りの時でもあるし、お正月休みという長いお休みがあるからでしょうか。
今や、会社単位で考えると3月を中心に決算時期は分散していますし、長期休暇も年末年始より長い休暇を、GWや夏休みでとることも多いようです。
でも「クリスマス」「紅白歌合戦」「行く年来る年」などとなると、なんだかため息が出ます。
古くから続く慣習も満更ではありません。
お正月をお祝いし、梅や桜を楽しみ、雛祭りや端午の節句をお祝いし、梅雨は窓辺から見る「しとしとぴっちゃん」を憂いながらも「雨読」を愛で、七夕、お盆の行事で、思いを馳せ、暑い日は縁側でスイカをかじり種は新聞紙の上に飛ばし、スポーツと食欲の秋を楽しみながら、紅葉の時期を迎え、冬への心構えを準備していく。
ゆったりした感じではありませんか?
 
でも古くから続く慣習も、気がついたら結構変わっていくものです。
年が明けるとバレンタイン騒ぎか御入学騒ぎ。
あっという間にゴールデンウイークの過ごし方の準備。
梅雨となるとシトシトどころかゲリラ豪雨を心配。
真夏は縁側でスイカどころか冷房のきいた部屋に閉じこもり、優雅な人々は避暑地へ退散。
秋の半分はまだ暑く、そのうちハローウインとやらで街中は大騒ぎ。
それも冷めやらぬうちに、街角ではクリマスソングが聞こえ始め、子供たちは、何を買ってもらうかの算段。
年末年始、優雅な方々は、例年のお宿へ。
我々庶民は、休まないデパートなどで、お買い物とちょっぴり贅沢なお食事。
たったの50年くらいでも随分変わりました。
 
変わったといえば、小学生のなりたい職業のトップは「ユーチュウバー」、残念ながら「医師」は、女の子の3位に出てくるだけ。
 
変わることは悪いことではないし、変わらないことが良いことでもない。
We can change!  Yes, we can! なんて誰かが言ってましたね。
35年間も相変わらずの業務を続けている我々ですが、来年もひとつよろしくお願いします。
 

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主侍医の考え 2019/9 主侍医通信より

2019年09月30日
激しい暑さもようやく峠を越し、食欲、行楽の秋を迎える準備は万端でしょうか?
皆さん方の平均年齢も上がるとともに、私自身の年齢も確実に上昇しています。
お互い、「真剣な健康管理」のもと、楽しい日々を過ごしたいものです。
 
前回、この場でお書きしましたが、「主侍医倶楽部」は、かかりつけ医の理想を示す模範モデルとして運営しております。
理想的なモデルということで、国レベルで運営する汎用モデルでは、かなりの部分を簡素にしないと成り立ちません。
 
主侍医契約を一言で説明すると、「契約は我々を信頼してくれる証であり、我々は契約者のかたを家族のような気持ちになり全力でサポートする」となります。
「いくらいくらで、このようなサービスをする」などを羅列できるようなものでなく、いわゆる「ビジネスモデル」として確立するような部類でないと私は結論づけています。
ただこの活動を続けてきた中で、医師のネットワーク、電子カルテや高額検査機器の共有システム、インフォームドコンセントやチョイス、セカンドオピニオンなどの考え方、医療意思決定の重要さ、医療判断学の医学生への教育などに携わり「医療の仕組みづくりを通じて貢献する」という哲学を押し通し続けています。
 
そんな後ろ姿を見続けてきたからか、長男の勇祐ドクターは外科医10年目でありながら、「患者の意思決定を丁寧にサポートする仕組みの重要さ」を肌で感じ取っているようです。
当医学事務所の業務を拡大して続けていきたいと希望し、嬉しくもあるのですが、となると「ビジネスモデル」として成立しない、などと呑気にいっている場合ではありません。
 
私の集大成として考えていた若い世代の有能で情熱的な医師たちを支援する仕組み作りに加え、主侍医システムの「ビジネスモデル」化を実現し、その傍ら、医学作家、幸福論思想家の道も模索していくかなと、欲張りな思いに膨満感をきたしている昨今です。
 
皆様には、主侍医の考えをご理解いただけるクライアントの方をご紹介いただけるようお願いいたします。
勇祐ドクターは間も無く産業医の資格を取りますので、産業医のご用命も承りたいと思っています。
重ねてよろしくお願いいたします。 
 

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医師会推奨「かかりつけ医」で思うこと 2019/7 主侍医通信より

2019年07月26日
気候の変化が激しく、時候のご挨拶の文言が定まらないような不順な天候が続きますが(この通信がお手元に届く頃は真夏日となっているのでしょうか?)みなさん体調はいかがでしょうか?
 
6月25日の日経新聞で「かかりつけ医 定額制に」という見出しの記事が掲載されました。
日頃の診療と、まず相談できる医師を登録制にすることにより直接大病院へ行くことを抑え、医療費の抑制につなげようというものです。
本来のかかりつけ医の機能を充実させようということは私も望むところであります。
実際1993年に上梓した「ホームドクター主侍医制度」の「はじめに」の最後の行に「国民皆主侍医制度が国によって実現される日が到来するまで」頑張ります、と書いたことを想い出し、感無量の面持ちです。
私の任務も完了する日が近いのか、とも震える気持ちです。
しかし、政府が「国民が安心する医療の仕組み」を念頭に考えているのでしたらいいのですが、「医療費抑制のために」ということを錦の御旗にしているようでは、うまくいかないのではとも危惧しています。
ちょうど、同じ日の同じ新聞に、このかかりつけ医登録制度に基本的には反対している医師会の意見を載せた記事があります。
日本医師会はかかりつけ医を、
⑴なんでも相談できる
⑵最新の医療情報を熟知している
⑶必要な時に専門医を紹介できる
⑷身近で頼りになる
⑸地域医療、保険、福祉を担う総合的な能力を有する医師、と定義している、と書かれていました。
私が30年来、まさにその役割一筋に頑張ってきましたが、常に切磋琢磨していても医療の進歩に追いついていくことに精一杯です。
生半可にはでき得ない高度で熱意と根性がいる任務です。
このかかりつけ医を全うできる医師教育とそれを経済的かつ人脈的に支援する仕組みがハイレベルで機能しないと、せっかくの安心幸福の医療を目指した本格的かかりつけ医制度への国としての試みが空中分解してしまうのではないかと期待とともに不安な気持ちももたげているところです。
 
今こそ、新しいかかりつけ医制度の模範モデルとしての「主侍医制度」となるように「主侍医倶楽部」に磨きをかけたいと強く思っています。
老体に鞭打ちながらも若い力を借りて充実させていきたいと思っています。
有り難いことに、長らくメンバーを続けていただいています方々から、「他には類を見ない信頼と安心」、ということで大切なお仲間を紹介していただいています。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。
 

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認知言葉療法 1904主侍医通信より

2019年04月19日

僕は、言葉遊びが好きなのですが、診療でも「認知行動療法」をもじって、「認知言葉療法」と名付けた心理療法を実践しています。言葉を思い浮かべたり、囁いたり、歌にすることは、人間にとっての最強の行動だと思うからです。よく「座右の銘」と言われるのも、自分を励ましたり慰めたりする「言葉」の力を感じているからです。

僕の医療活動でも、理念やモットーなどを色々な言葉で表しています。

「あまり色々な表現をするから、わかりにくいし、覚えにくい」と歴代のスタッフからお叱りを受けることが多々あります。

事務所活動の基本方針としては、

「手を抜かない、諦めない、やり過ぎない」

「知識は最強のワクチン」

「奇跡的医療ではなく、奇跡的安心を」

自分に向けても、若い医師たちへのメッセージとしても

「能力を磨く能力(能力を出し切る)」

「強烈な熱意(熱意を煮え滾らす)」

「ゆとりの誠意(自然な献身)」

などがその主なものです。

 

最近、使い出した言葉に

「真剣な健康管理を!神経質な健康管理ではなく」

つまり、我々の活動ポリシーは「真剣に健康管理をしようと考えている人を徹底的にサポートする」となります。

そしてその基本は「知識は最強のワクチン」です。

「知っていると知らないでは大違い!」

「病気のことを知っている」

「早期の症状を知っている」

「人間ドックなどの結果の解釈を知っている」

「自分の病気や症状に合った専門医を知っている」

「相性の合いそうな医者を知っている」

「まず相談できる医者を知っている」

などなど、、、、真剣な健康管理も結構大変ですね。

 

しかし、本来の仕事で超多忙な方には、それらを丸投げしていただくのが、我々の事務所のメイン事業「主侍医倶楽部」だと考えております。疑問に思うことなどは、我々専門家が代わりに調べ、まとめ上げてから提供します。

とは言っても、時間が許されれば、毎月行っています「テラ小屋医学塾」にぜひご参加ください。知識の強化だけではなく、現役の東大医学生の講義を聞くことは楽しく、日本の未来への希望も湧きエネルギーをもらえます。

毎月第1火曜日6時半からです。

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じっくり、ゆったり、安心第一 2018年最後の主侍医通信より

2018年12月28日

光陰矢の如し、年末の常用句にもならなくなった感じですが、時の過ぎゆく速さを恥ずかしながらも嘆く日々です。今年の年賀状に書いた「じっくりゆったりと」を思い出し、苦笑いを禁じえません。

今年の7月に北海道に住む義理の父を亡くし、元旦の賀状を控えさせていただきますことをおまずお伝えいたします。医師として北海道の地域医療に尽力し、その功に対して晩年には叙勲し喜んでおりました。そして最後は、数々の医療のお世話になり、その有り難さを噛み締めました。患者側の身になっても、大切なことは「安心」だとしみじみ思いました。危篤状態で、いよいよ危ないとわかっていても「安心」することは有り難いとは、何だか不思議です。

幸福とは何か?最近はいつも自問自答しています。「安心」「自由」「快適」「ワクワク」「満足」「感動」「快感」キーワードは色々出てきます。必要条件は「安心」で、その他は十分条件かなあ、とも思えます。

11月末から、1週間、次男が滞在するパリに行ってきました。ちょうど、激化するデモ騒動と遭遇してきました。そんなことがなくても、異国の地では、言葉も「不自由」で、注文しても予想したものが出てこず「快適」とは縁遠いのですが、電車の中では強引なスリに合いそうになり、「不安」で居眠りどころではありません。海外を旅するたびに、「日本は住みやすい」ことを確認する始末です。一方、日本にはないものを味わうこともたくさんあります。日本(東京)では、バラバラの趣味の建物が乱立し、いつも工事中というのは残念で落ち着かない気がしますが、パリの街並みは、どこに行っても美しく「ワクワク」します。

十分条件を片っ端から取り入れようとすると、「幸せ」は逃げてしまうのかもしれません。

少なくとも、医師として「幸せ」に寄与できることは、「安心」を底辺に、「自由」「快適」に生活できるようにお手伝いすることが任務だと思っています。我々、主侍医チームが皆さん方の不安を容認しているようでは意味がありません。そんな時は、ご遠慮なく叱咤いただき、何なりとお申し付けください。

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患者意思伝達支援とは  1808主侍医通信より

2018年08月20日

記録的な猛暑が続く中、挨拶の最初の言葉の多くを「暑いですねえ」が占拠しているのではと拝察しています。今まで経験したことのない気温ということで、どういうことが起こるか予測がつきにくいこともあります。皆さん、暑さの中では、控えめな行動を心がけるようにお願いします。

我々の事務所の業務を説明する時に、使う言葉がいくつかあります。

「医療意思決定支援」「患者意思伝達支援」ということもその中心となる言葉です。重大な病気は当然のことですが、些細な病気の時や人間ドックの項目選択などにおいても、意思決定をすることは結構困難なことが多いものです。その時の負担を少しでも軽減することにお役に立てればと思っています。また、医師に受診する際に、これから受ける医療についての希望や考え方を伝えることは、表面上は「なんでもお好きな希望をどうぞ」と言われても、なかなか希望を伝えることはできません。「こんなことを言っても、担当医は気分を害さないだろうか」「そもそもこんな希望は無理なのか?」などと思ってしまいます。ここが我々の仕事のもう一つのセールスポイントと言えると、その重大な使命感の認識を日々深めています。皆さんからみると「そこをうまく活用すると有難いサービス」となると思います。自画自賛のようですが、専門医への橋渡しや、患者意思伝達紹介状作成作業や専門医との様々な交渉に際し、我々スタッフは喧々諤々、息子勇祐ドクターとは、どちらがクライアントのメリットかの論争で、親子ゲンカすれすれまでの舞台裏活動をしています。時には、長年交流を続けてきた専門医ともギクシャクし、ひやりとすることもあります。

というような舞台裏ですが、我々主侍医スタッフにはなんでも遠慮なくご相談いただければ、様々な調整役を担当させていただきたく思っています。

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主侍医システムのメリット 2017/7 主侍医通信より

2017年07月26日
個別には、皆様方とはお会いしておりますが、久々の通信となってしまいました。あっという間に猛暑がやってきた感じです。熱射病対策は万全でしょうか?無理のない生活リズムと水分補給、栄養補給などの基本を守ることが定石です。
このところ、ご契約の皆様から依頼されるゲストの方のご相談が続いております。以前から、がんに関するご相談が多いのですが、最近の傾向として脊柱管狭窄症関連のご相談も増えているように思われます。我々も、脊柱管狭窄症や脊椎ヘルニアなどについての専門医との人脈を開拓充実させていますので、気がかりな方はご相談ください。
ガンに関しては、すい臓がん、乳がん、肺がんのご相談が多いようです。ご契約のメンバーの方は、定期的な人間ドックをお勧めしていますので、発見されてもごく早期なのですが、ゲストの方は、結構進行している場合が多く、他の医療機関での治療方針などに不安を持たれてのご相談が多いようにお見受けします。時々「我々が主侍医を務めていたら、もっと早く見つけられたのに!」と残念に思うこともあります。
すい臓がんに関しては、定期的にドックを受けていても、早期に見つかり治癒が見込めるケースは少ないのが現状(日本でも欧米でも)です。その対策として、我々は、ドックのエコーなどで膵臓がはっきり描出されていない場合は、専門医による精密検査(MRCPなど)をお勧めしています。その結果、少し疑わしい所見があった場合は、専門医による綿密な経過観察体制となります。現状の医療技術において、膵臓がんを治癒可能な早期に見つける唯一の方法かと思っています。数年内には、早期発見の検査方法が登場するとマスコミなどで報道され、私としても待ち望んでいるところです。
いずれにしろ、気がかりなことを遠慮なく相談できるのが、主侍医システムの最大のメリットです。相談窓口として、保健師看護師の森田、臨床心理士豊崎が、皆様の患者秘書として待機しておりますので、お気軽にご連絡ください。
2017年7月 吉日  寺下 謙三

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医学塾のススメ 2016/8 主侍医通信より

2016年08月30日

リオのオリンピックと熱帯夜で睡眠不足の方も多いかとは思いますが、体調はいかがでしょうか?個人的には、オリンピック選手のコメントに感動しつつ、今までのオリンピックの中では熱心にテレビ観戦をしている方だなあ、と思っています。予約録画があるせいかもしれませんが。

そんな中、柔道や卓球や体操始め、活躍する選手たちが「これだけ練習に励んだのだから」という日頃の努力の話を聞くたびに、応援に熱が入るものです。

いつもご案内していますが、数年前より事務所の活動として「教養のための医学塾」を開催しています。主に東大の医学部生に講師を依頼して、難しい内容をコンパクトかつ明解にお話ししていただきます。講師陣は同級生や後輩たちにバトンリレーしていきます。まさに類は友を呼ぶ的に、素晴らしい医学生たちが次から次へ登場します。「あの先輩から頼まれたのだから、頑張らなくては」と内容の充実度には目を見張るものがあります。こんな彼らが、近い将来臨床医や研究者になると想像すると嬉しくなり、また、安心します。講義の後、医学生たちと食事を共にしますが、その時に「医療正義」の話をすると、面倒臭がられるどころかどんどん興味を持ってくれます。また、塾生の方たちの変化もすごいものがあります。20回30回と参加回数が増えるにつけ、塾生の誰もが、みるみる医学的知識やセンスが向上していきます。教育の大切さを痛感します。

こんな真っ当な医学生がいるということに触れ合うだけでも価値があると思いますので、主侍医契約の皆様も是非ご参加ください。私も勿論、いつも出席して医学塾をサポートしています、というより勉強しています。何事も知れば知るほど面白くなるものです。

毎月第1第3火曜日夕刻6時半からです。お待ちしています。

8月 吉日 寺下 謙三

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人間の幸せ度 2016/7 主侍医通信より

2016年07月27日
 英国のEU離脱が国民投票で決議されました。色々な観点からの意見や感想があることでしょう。いずれにしろ国を二分する戦いが起こっていることは事実です。またアメリカではトランプ氏が大統領となる可能性も全く否定はできない状況と見受けられます。「そんな馬鹿な」と大勢が思っているようなことが平気で起こり得るのです。ISや北朝鮮の危機は一向に治まりそうもありません。世界の景気が同時に悪化する懸念があります。国内に目を向けてみると三菱自動車、東芝問題をはじめとした大企業の中枢から発した不祥事が次から次へと明るみに出ています。大塚家具の問題に代表される内紛は後を絶ちません。公務員や医師や大学教授の不正、芸能界をはじめとする不法薬物問題もキリがありません。

 人類は、その類まれな知恵で常に進化を続け、特に直近(?)の2000年の進化には、目をみはるものがあることは誰もが認めるところでしょう。では、それでどれだけ人間の幸せ度が向上したのかというと、それほどでもないのでは、とこれまた多くの人が感じ始めているようにも思えます。

 医学の分野で言えば、寿命が圧倒的に伸びたことが絶大なる進化といえるでしょう。歴史的に多くの人が亡くなった感染症をどれだけ克服し、数十年前には治療を諦めていた白血病や黄斑色素変性症などもかなりの確率で治癒できるようになりつつあります。また手術に際する痛みの制御も驚くほどの進歩があります。開腹手術の翌日には歩けるなんて、私が大学受験直後に自然気胸で入院した時の記憶からは隔世の感があります。

 医療人の一員として、人々の幸せにいくばくかは貢献している、との自負を持ちたいのですが、冒頭に掲げたような大規模な不幸に囲まれた現状に複雑な思いの今日この頃です。

 暗い話をしてしまいましたが、主侍医としてできる限りを尽くす、という原点を大切にしつつ、「幸福論思想家」の活動を目指している身としても、皆さまの笑顔のために奉公したいと思っています。
 
2016年7月 吉日 寺下謙三

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TERRA信頼医師団応援します。すべては患者のために。

2016年01月13日

私は30年あまりもの間、医療分野の意思決定を支援することを任務として活動してきましたが、そのために大切な要素は二つあると思っています。一つは自らが医療判断医として、クライアントの訴えを詳細かつ丁寧に聞き取り、不安の核心に迫る技術と知識と熱意と誠意を持つことです。そして、もう一つは実際に治療を担当してくれる専門医の方々と親密かつ適度の緊張感を持って共同診療にあたれるような関係を維持していくことです。この二つを磨くことが、クライアントである患者さんの安心と納得を得るために不可欠なものとなっていますし、自らの活動を振り返り苦労はしたけれど自負できるところでもあります。

このような活動の中、素晴らしい医師たちと出会ってきました。日本の医療はこのような人たちで支えられているのだなあとつくづく思います。医師の中で、実際に医療の現場で汗水流して直接患者さんに貢献している人たちの割合が問題だと考えています。研究や教育の仕事を中心にする人も必要でしょうし、管理職や行政の一員として医療の品質を総合的に高めていこうとする人も少数ながら必要でしょう。しかし、そういった意識の薄く、権力とお金しか興味のない人も少なからずいることは結構な問題です。また、医療を金儲けの手段としか考えないような医師もいるでしょうし、勉強不足の医師もいます。また医師免許を持ちながら、医師を辞めていく人も少なからずいます。こういったことが「医師不足だ」「いや医師の偏在だ」とか「勤務医は過酷な労働だ」「開業医はまともに医療をやっていると成り立たない」などの声を反映しているのかもしれません。

何かを良くするのには二つの方法論の方向性があるでしょう。「悪いものを無くす」のと「いいものを増やす」という単純な話です。

マスコミ的には前者の方法論を取ることが多いですが、時には正反対の極論として「神の手」「行列のできる医者」「予約の取れない医者」のようなバラエティー番組を展開します。どちらも困ったものです。まっとうな医師たちは「バラエティなどのテレビに出る暇」はありません。テレビに出る暇があれば、行列に並ぶ患者さん、予約の取れない患者さんを一人でも丁寧に診てあげた方がいいに決まっています。

そんなことを考えていると、「信頼できる医師の信頼している医師は信頼できる医師」という、何やら早口言葉のような言葉が浮かんできました。今まで私の患者さんたちがお世話になった素晴らしい医師たちを「Terra信頼医師団」として、お礼の気持ちとこれからの任務として広めていこうと考えました。
人は、いい模範を見ると自然と真似したくなります。逆に悪貨は良貨を駆逐します。それなら駆逐できないほどの量と質の良貨があればいいと考えました。

よく医師を評価するときに「医師としての能力」と「人間性」の両方が大切だと言われます。「能力」の関しては理解がしやすいでしょう。「技術が高くや知識が豊富であることは良いことだ」に異論はないでしょう。その他「肩書き」「学歴」もある程度は「能力」を反映しているかもしれません。問題は「人間性」の評価の方です。一言で言うとたやすいのですが、その評価は難しいです。難しすぎます。私の仕事で、専門医を紹介するときに、患者さんは「能力」の高さを求めるのは当然ですが、人間性については「優しい人」「一生懸命な人」などと要望されるのですが、個別の場合は、結局は相性みたいなものを大切にしています。一般論で「人間性」というのを説明するのは難しいのですが、私は「熱意」と「誠意」に分けて考えています。「熱意」は文字通り「熱く燃えたやる気」のようなものです。しかし、その動機にはいろいろあります。出世やお金が動機になる人もいれば、使命感で燃える人もいます。名誉やプライドで熱意を燃やす人もいるでしょう。いずれにしろ「やる気満々」なことはいいことなので、あまりその動機を追求しないようにしています。問題は「誠意」です。こちらの定義としては、患者さんとの間の個別なものと考えています。簡単に定義すると「面倒であったり、自分に若干不利益なことであって、相手のために真心で尽くす」ことです。こうなると「熱意」の定義とは異なってきますし、患者さんとの関係性においても、多少は揺れ動きます。人によっては大きく揺れ動くこともあります。「能力」「熱意」はその医師にある程度固定したものですが「誠意」を引っ張り出すには、半分は患者さん側にも責任があることになります。医師といえども一人の人間ですから、患者と医師も人間関係のひとつ、お互い誠意を持って接することが大切となります。私たちは、そういった気持ちで、日々「医療決断支援」という仕事をしています。私の信頼医師団の医師たちは、「誠意」を豊富に持ち合わせています。それでも患者さんの対応次第では、引っ込んでしまうこともあります。患者さん側の誠意をきちんと専門医に伝え、専門医の誠意を引き出し、それをきちんと患者さん側に伝えるのです。誠意をまったく持ち合わせていない人は、ほとんどいません(と思っています。例外はいるでしょうが)

「誠意ある医師を応援することにより、誠意ある患者さんを支援する」
私の事務所の合言葉です。

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素敵なお金(権力)の使い方 2015/12主侍医通信より

2015年12月16日
今年も1年が過ぎ去ろうとしています。年末になると、「早かったねえ」「あっという間の1年だった」「何もできないうちに1年経った」「バタバタの1年でした」などという言葉が飛び交います。私自身も、同様の言葉を発する場面が多いことも自覚しています。それに今年は事務所開設30年を経過した年でもあり「光陰矢の如し」を実感せざるをえません。しかし、事務所の活動を振り返ると一概に「早かった」と思うより「いろいろあったなあ」という感慨の方が多いような気がしています。そして何事に関してもそうなのですが、いつものように「こんなことでよかったのか?」という自問自答に頭を悩まされ、それに答えては「では、これからどうするのか?」という次の難題が覆いかぶさってきます。
 
自分の活動の原動力は何なのかなあ、とよく考えます。一般的には、「権力」や「お金」や「いい格好」や「快楽」を求めて、人は行動します。「権力」「お金」はあまりその解釈に多様性はありません。しかし、「いい格好」や「快楽」には、人によりずいぶんと多様な解釈があります。この辺に「幸福感」という漠然とした、でもとても大切なものの本体が潜んでいるのではと思っています。「権力」や「お金」では「幸せ」を買えないことは、今や誰もが知っていることですし、残念ながら、権力やお金で幸せを買えた人を見たこともありません。でも、本屋さんの店頭は「お金の稼ぎ方マニュアル」「上司に気に入られるマニュアル」「客の心をとらえるマニュアル」といった類の本で溢れています。本屋探訪の大好きな私でも、気分が悪くなりめまいがします。ふと気がつくと「素敵なお金(権力)の使い方」を諭した本は皆無です。日本人は、経済大国を念仏のように唱え、モウレツ社員を尊び、お金を稼ぐのは上手くなったが、その使い方が貧相なままなのではないでしょうか?その辺が、国としてとても快適で立派な日本なのに、なぜか幸福感漂う国とは言えない所以ではないでしょうか?(この原稿を書き終えた後ですが、メンバーのTさんから「ノーベル賞の大村さんのように稼いだお金をバーンと寄付するなんて格好いいねえ」というコメントを頂きました。)
 
冒頭の話に戻りますが、時間の過ぎる感覚はその辺にあるのだと思います。予定を詰めまくって効率の良い時間を過ごせば過ごすほど、時間が過ぎるのが早く感じられます。逆に何もしないと時間が長く感じます。独房に閉じ込められたり(そのような経験はありませんが)、入院中の夜の時間(こちらは経験済みです)などがそうでしょう。幸せ感は、その中間に位置する「ゆったりと流れる時間に身を浸せる時」に生じるのではないでしょうか。
 
来年こそは、そのような時間も持ちたいと密かに願っているのですが、みなさまも是非、幸せな新しい年をお迎えください。
 
2015年12月 吉日 寺下謙三

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天職を支える心持ち 2015/9

2015年09月07日

物事を、いろいろ考え尽くしていくことは面白い。人間のみに与えられた特権かもれない。

だからかもしれないが、最近「稼ぎ方マニュアル」関連の本に隠れながらも「なんとか哲学」やら「幸せの考え方」的な本も平置きの本の中に散見されるようになってきた。個人的には、楽しみな傾向だと思う。「なぜこうなんだろう」と思ったら、科学者は実験を繰り返し、真実を追求していく。本当はどうなっているのか知りたいから。「知りたい」という要求も、人間の本能と言えよう。科学万能主義では、実験も大切であろうが、「思いを馳せる」というやり方もある。想像する、空想する、推定する、仮説を立てる、などいろいろあろう。医師の世界では「空想で診断治療されたらたまったものではない」とお叱りを受けるだろう。当然である。しかし、医学的な現象を解明するにあたって仮説が必要なように、医療の仕組みを考える上では空想や想像も必要な要素だと思っている。人にとって幸せを担保する医療とはなにか、と考えなくてはならないからだ。

子供に「大人になったら何になりたいですか?」とよく聞く。「野球選手がいい」「お医者さん」今時は「俳優さん」「ゲームの達人」などと答える子供たちもいるだろう。「どうして?」と聞くと、様々な答えが返ってきます。
自分の職業や周りの人のことを想像してみた。その結果、仕事への思いは「人々に安心を与える」系のものと「人々に喜びを与える」系のものと、「自分自身の安心や喜びのために」系の3軸の要素があると考えてみた。別の軸もあるかどうかご意見をいただきたいところだが。
僕の医師という仕事の主軸は「人々に安心を与える」系であることは間違いないであろう。なるほど、僕は生まれ変わったら、また医師になろうとは思わずに、「芸術家」や「建築家」や「映画監督」、「料理人」もいいなあ、と友人に話す。これは、「安心を与える」系から「喜びを与える」系への転向を考えているんだなと自己分析している。
勿論、この3軸のどれが良くてどれが悪いという話ではない。芸術家の中では、もともと「自分自身の安心や喜びのために」系から志したが、結果として多くの人々に「喜びを与える」ことになるケースが多いであろう。問題は「自分自身の安心や喜びのために」系の中に、金や権力の亡者となったり、強盗やコソ泥や殺人者まで混在発生することである。反社会性人格障害者や一部の自己愛人格障害者によるものであろうが、軽症の場合は、身近にいる「嫌な奴」というところであろう。物事には程度というものがあり、ある意味では「量」は「質」をも変えてしまうことは道理でもある。

みなさんも、自分の仕事や人との付き合いなどで、自分の軸を考えてみてはどうだろうか?人生とはなんであろうか?自分はどこに向かっているのだろうか?答えは出ないだろうが、いろいろ考えてみるのも楽しいものである。知りたいという欲望は、人間特異のものかもしれない。

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