Home

200310コロナが教える人の道9  政府の判断と医療判断学

ますますコロナを巡る事態は悪化の一路のように見える。いつも言っていることだが、窮地の時に誰もが望むことは、しっかりしたリーダーだ。この国家的(世界的)危機に際して、政府がどのように判断し、どのように国民を導いてくれるのか期待しているが、肩透かしを食っている状況とも言える。だから、国民は何かできることをしたくてうずうずしている。マスクを買おうにも、どこにもない。仕方がないから、ちょっと気になるトイレットペーパーでも買っておけば安心かと思っているところに、変な噂が流れて、ご覧のような有様である。我が家では、そんなことで慌てて買いだめしてはいけないと呑気にしていたら、「そろそろ必要か」と思って、近くのドラッグストアなどに行ったら、まだ品切れ状態であるから、この現象からだけでいくと、トイレットペーパーをいち早く買いだめした人は一見正解の行動に見える。一体そうなのかどうかよく考えてみてほしい。

僕の提唱する「医療判断学」においては、「医師たちが診断した医学的結論の選択肢に対して、患者としてどのように選択し行動していくか」について、学問的に思考し、さらに実践的にはどうしていくかということを研究実践している。感染症の専門家委員会と政府の関係に似ている。その意味では、医学専門会員は、経済や政治に忖度せず、純粋に医学的に判断した選択枝を模索し提示することに専念するべきである。そして、政府はその選択肢を基本に、経済や国民の生活などを考慮した総合的結論を導き出し、政府の責任において判断決断し、国民にきちんと説明し、納得されれば、国民も含めた総責任において粛々と実行していくしかないのである。
その上で、国民一人一人は、各自の立場や能力で、できることを微々たる力であっても実行していくことが大切であり、それで初めて国が「ワンチーム」となって、危機に立ち向かうと言える。こう考えてみると、僕の提唱実践する「医療判断医」は、政府に当たるわけで、その責任の重さに改めて身震いするが、そのつもりで行動してきた30年間を振り返っている。

作成:2020/03/10

​ ​