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社会医の必要性 2012/3主侍医通信より

 あの恐怖におののいた日から1年が経ちました。「のど元過ぎれば熱さを忘れ」た日本人はそんなにはいないでしょうが、それぞれの温度差は結構あるように見えます。しかし、東京直下型地震も懸念され、こちら東京では一様に結構真剣に捉えているようです。問題は「どこまで対策をするのか、どんな覚悟をするべきなのか」ということではないでしょうか。
 
 思い出してみれば、大震災以前の日本は、それこそ「富の二極化が過剰に進む未曾有の不景気」と言われる状況でした。「人間の幸せは一体どこにあるのだろうか?」とあちらこちらで囁かれていました。そんな矢先にあの大災害が起こりました。突然の人生の幕切れ宣告をされた多くの犠牲者を目前に言葉を失いました。そして、かろうじて生き延びた人の「生き延びただけ幸せ」と話される姿をみて複雑な気持ちになりました。単純に「絆」「日本はひとつ」と叫ぶだけでは癒されるようなものではありません。
 
 復興活動を続ける姿の報道をみて、誰もが感動していることでしょう。被災者の気丈さも凄いし、自衛隊をはじめとする救援者の活動も凄まじいとさえ思えます。「使命感というより、人間として何かをしたい。それが使命感と相まって日々の活動を支えています」放射能が厳しいなかでの救援作業の自衛官の言葉が身に沁みます。
 東京大学に新しい立派な会館が誕生しました。学会会場になったり同窓生が集うような場所だそうです。ある企業のオーナー夫妻の寄付により建設されたそうです。土地が大学の敷地なので、ビル・ゲイツが驚くような寄付の額ではありません。ソフトバンクの孫さんの被災地への寄付の額の半額以下です。とは言っても、凡人の私にとってはイメージすら出来ない額なのですが。
 
 日本人は「お金の稼ぎ方は得意でも、使い方が苦手」と思っています。書店に行けば「稼ぎ方マニュアル」なる類いの本がごまんとありますが、「お金の使い方マニュアル」は皆無です。「子孫に美田を残すな」とは西郷隆盛の言葉でしょうか。頑張って稼いで、不幸になっていく姿は日本中あちこちで見られる皮肉な現象です。その人の稼ぎのレベルに応じたお金の使い方次第で、景気どころか、日本人の幸福総生産量は高まるのではないかと思っています。むしろそこにしか答えは無いようにも私には思えます。
 
  話は変わりますが、患者さんを直接診る「臨床医」、薬や治療法などの研究をする「基礎医」に加え、私どものように仕組みづくりを通じて医療を行なう医師を「社会医」と呼んでいます。主侍医倶楽部のメンバーの皆様に対しては、医療判断医としての臨床医活動がメインですが、それは社会医としての活動に裏打ちされています。
 
  今後、この紙面でもさまざまな「社会医」の活動のご紹介をしていきたいと思っています。多くの研究者たちの知恵の塊である基礎医学に基づいた立派な臨床医の医療活動が、国民の皆様の幸福に結びつく仕組みを考え実行することが「社会医」の役割だと思っています。

作成:2012/03/30

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