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医学は100%を目指すが、残念ながらそうはならない 2015/6主侍医通信より

 梅雨模様の天候がちらほらですが、エアコンの使い始めのホコリによるアレルギーなどもありますので、清掃など対処いただければと思います。
 前回は、不肖私の膝のお話しをしましたが、ようやく階段の昇降ができるようになりました。駅などでエスカレーターやエレベーターを探すクセがついてしまったようですが、東京は地方に比べて階段は日常的に存在することを再認識しました。日頃から、タクシーはあまり使わず、電車を利用するので、遠くの病院への受診同伴などの際に、スタッフが同行する場合嫌がられるのですが、今回もなんとか電車かもしくは自分の運転の車で乗り切りました。
 それにしても、最近、幸せとは何か?ということをいろいろな場面で考え込んでしまいます。あまりブツクサ「幸せ論」を言うので、妻やスタッフや親友たちは「面倒臭い奴」と思っているだろうなあ、ということには、薄々、勘付いています。若い頃にはあまり気づかなかったことにこだわったりもしてしまいます。若い頃の当時は、幅広く思いを馳せて自分では気づいていたと思っていたのですが。先輩や長老がたの真剣な助言には(たとえ苦言であったとしても)きちんと聴くことの大切さ有難さを改めて噛み締めています。
 いつもお知らせしている、医学塾も東大の現役学生が医学の基礎の最先端をわかりやすくしかも面白く講義してくれています。6月の第1回目は最終学年の西方くんが、この忙しい時期に、循環器の2回目の講義を行いました。前回の復習と思いきや、話は「検査の感度と特異度」という突っ込んだところまで話してくれました。「医学は100%を目指すが、残念ながらそうはならない」という締めくくりには、学生とは思えない洞察の深さに驚きました。質問も盛り上がり30分も延長しました。
 我々、医師は検査にしても、治療にしてもその精度の「確率」をあげようと日夜努力していますが、患者さんは、当然のことですが、常に「確実」を求めます。そのギャップが埋まらず、患者さん側も医師側も苦悩します。だからこそ我々のような、患者側の見方に立ちながら、医療のプロとして医師側もサポートする主侍医が不可欠だと思っています。
 我田引水となったところで、本日の締め括りとさせていただきます。
 
2015年6月吉日 寺下謙三

作成:2015/06/08

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