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200402コロナが教える人の道21 軽症者病院設立は待ったなし

なぜ日本の検査件数は、こんなにも少ないのか?誰もがそう感じ、多くの医療関係者もそういうし、専門家委員会も同意見だ。それでも何故?最初の頃は、オリンピックがあるから、感染者数の増加を見せたくないのでなと多くの人は推定していた。しかし、今やその理由はなくなった。でも、まだ検査数は増えない。実際、咳が出る患者さんが不安で検査を希望して、保健所を案内しても「検査は拒否されました」となる。おおくの仲間の医者も同じことを言っている。

答えは明確である。「検査が陽性なら、指定病院への入院」という感染症法の存在である。何故そんな法律が?と言っても、感染を蔓延させないための条項なのであろう。しかし、今回の状況はその法則が当てはまらないのは、誰の目にも明らかである。検査をきちんとして、その後トリアージをきちんとして、軽症者病院、中等症病院、重症病院へどんどん振り分けしていかないと、あっという間に専門病床はパンクするのは誰でも分かる。何故そうしない、できないのかはいずれ理由が分かるであろうが、責任と権限をきちんと持ったリーダーがいずに、複数の人や組織というい枠組みでしか判断できない体制だから「そんなことをして万一、事故が起きたら誰が責任を取るのか」というこんな危機的状況では極めて無益な反論が枠組みを硬直化させているのであろう。

権利関係など言っている場合ではなく、選手村の3000人以上収容できる施設を多少即席でも改造して、軽症陽性者を入院させる。やはりそこにも医師や看護師は最低限必要であろう。緊急事態として「準病院」として認めればいい。単なる滞在施設では弱すぎる。軽症と言っていても、少数だが急激に悪化する患者もいるから、自宅待機は無理な話である。大体から、軽症でも専門病床に入院させるという法律に固執しておいて、いきなり自宅待機となるというのもどうかしている。物事には順序がある。それがトリアージの大きな役割だ。トリアージをきちんとすれば、今の東京の危機は回避できる可能性は高い。東京で回避できれば、これから続くであろうその他の地方での感染拡大にもその経験は役立つ。今のイタリアやスペインや米国のようになったら、そのような丁寧なトリアージは不可能になってしまう。

国民は、それぞれの立場でできる最善をすることが最重要だ。自分だけ良ければいい、というのでは今回の危機は逃れられない。一般人は「自宅退避」という積極的武器でウイルスと戦うこと。一般人でも、各種団体集団、会社などのリーダーの方々は、仲間を守るためにも、未来の人を守るためにもきちんと行動するべきことを周囲の人に伝える。医療人は、特に貴重な資源であるので、自分の身を守りながら(医療人に限り「うつらない」を優先することが、人を守ることに通じる。)ウイルスと戦う周囲の人たちのリーダーとなる。専門医のリーダーたちは、政治や経済に忖度することなく、最善の方法を主張する。政治家は、それを踏まえて、国民の生活を守ることも考えつつ、落とし所を考えて、素早く実行する。経済界の重鎮たちは、もしかしたら、この危機を乗り越えかけた時くらいから力を発揮してもらうことになる。資本主義に基づく経済競争を一旦リセットして、経済リソースをなるべく遍く国民に還元して、そこからまた、新たに経済競争すればいい。

夢物語的な国民の行動規範を述べてみた。

作成:2020/04/02

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