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200406コロナが教える人の道22 怖い命の選別?見えざる不公平も!

すでに医療崩壊状態にある欧米では、標題の「命の選別」という言葉がよく聞かれるようになった。悲しくぞっとするような話だ。
「諦めない、手を抜かない、やりすぎない」を医師のモットーにしたいものだ、と周囲の医師や患者さんに口癖のように話している。
元々、日本は欧米に比べて国民的に「義理人情」「判官贔屓」「温情」などを大切にする風潮も強く、当然医師の間でも「諦めない、手を抜かない」という意識は根強い。
そんな中で、足りない人工肺やICUのベッドを高齢者から若年者に振り替えないといけないという選別が現場の医師に迫られるとしたら、医師の精神的苦痛は測り知れないし、医療関係者の中でも精神的犠牲者が出てくる恐れもある。明確な解決方法は思い浮かばないが、言えることは、現場の医師や医療関係者に決断を任せるのではなく、国としての基準を作ってあげるしかない、ということである。

「命の選別」恐ろしい言葉である。でも、今までにも我々人類は経験している。重要なことは、それが権力や経済力と決してリンクしてはならないことだ。
今の世界的な漠然とした傾向は「助かりそうもない人(高齢者)」を諦め、「助かりそうな人(若い人)」を優先するということであろう。ある意味では、やむを得ないとも思うし、最も合理的な考えとみなされていると思う。しかし、以下、批判を恐れず敢えて言いたい。テレビの報道を見る限りであるが、このような事態で、「3密を避けなさい」「自分が人にうつさないこういう行動を」と言っているにもかかわらず、いまだに、自粛要請を知っているにもかかわらず、「自分は関係ない」「若いから大丈夫」「今日の集会(出会いのコンパ?)に来ている人は生命力のある人だから、この出会いに感謝したい」などと言っている人(人間としての基本要件を持たない人間以下)の映像を見ていると、このような人が感染したら(感染確率は群を抜いて高いはずだが)、病院へ行き貴重なベッドなど貴重な医療リソースを消耗する。そしてそれを日本の保険でカバーすることになる。そして、「こんな輩からうつされて重症化した高齢者の医療を省いて、代わりにこんな輩に注がれるかもしれない」と想像しただけで身の毛がそそり立つような憤りを覚える。こんな不公平なことがあって良いだろうか。貴重な医療リソースを守るためにも、皆様には、もっと大きな視点で考え「強烈な自粛(これ本当の勇気!)」をお願いしたい。感染が落ち着いたときに、「自分が果たすべき役割は十分行なった英雄の一人だ」と自己肯定ができるようにも。

京都大学のある准教授が、かなり激しい言葉で、無防備に夜の街中をうろつく若者(だけでなく中高年者も)に注意を喚起していることが話題になった。イタリア、スペインでは知事や首相が「軍が火炎放射器を持っていくぞ」と叫んでいる。本来政治のリーダーたちにお願いしたいところを個人の先生が勇気を持って発信していただいていることに敬意を評したい。

このブログを読んでいてくれている貴重な良識人に再度お願いしたい。
理論的には、日本国民全員が、これから1ヶ月それぞれ別々に閉じこもったとしたら、憎きこのウイルスを壊滅できる」のである。憎きこのウイルスは人間の力を借りないと生き延びれないのだから。
このウイルスの伝播率は、ひとりにつき1.7人かそれ以上だという。それなら我々がそれ以上に速いスピードで「自宅退避の重要性」を仲間に伝えないといけない。つまり一人につき、周囲にいる楽天的に活動している3人以上にそのことを厳密に素早く伝え、さらに次々と3人以上に伝えるようにお願いする活動を提案したい。
我々のような、正確な知識を伝えるべきリーダーには一人30人以上目標にお願いしたい。

ともかく人から人へウイルスが伝播していくことを最小限にしていく活動が基本だ。
そして、一線現場で活躍する医療従事者、また、不眠不休で治療薬を開発している研究者たちへ熱きエールを送り、各自できるだけのことを考え実行することに尽きる。
いくつかの治療薬の効果の報告が出るまで、なんとか持ちこたえるようにしよう。

作成:2020/04/06

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