Home

200413コロナが教える人の道26 痛み分けの精神2

「自分が感染者かもしれないとの前提での自主隔離、自宅退避などの行動」が、この憎きウイルスにたいして今できる最強の攻撃である、と再三言い続けている。そのために政府をはじめ政治家、研究者、医療関係者などみんなが必死に活動している。やむなしに休業をお願いしていいるお店や出勤自粛をお願いしている企業など、大変な状況であろう。今生きている人たちには、かつて経験のない世界的規模の危機である。人間、自らが招いた世界大戦という危機もあったが、それを経験した人々も今や少なくなりかけている。

こんなウイルスが発生し、蔓延した理由を科学的政治的にもいずれ追及、追求していくときも遠からずくるであろうが、今は、なんとか最低限の被害で済むように、全世界が力を合わせて戦う「宇宙戦争」みたいな状況だ。そんな時の共通の心構えとはなんであろうかと考えるが、その重要な一つに「痛み分け」ということがあるであろう。今、東京はじめ、各地で問題になっている「休業要請」と「補償」問題などその典型である。国民も、政府も、経営者も、お客もみんなみんなが痛みを共有して我慢しなければならない。そう思いながら、苦しむ飲食業の経営者の声を聞いていると、「家賃も払わないといけないので、とても人件費は無理で、辞めてもらうしかない」というような叫び嘆きが多い。「家賃より人件費を優先するというのはどうなんだろう?」といつも不思議に思っていた。ようやく、政府などもそのことに言及するようになってきた。苦しんでいる飲食店の経営者や従業員がいるのに、なんら現場でのコロナ感染のリスクさえなく平然と家賃を頂こうとしている不動産オーナーたちが、シャイロックどころでない鬼のように想像してしまっていた。家主たちから「店子さんたちがかわいそうだから、家賃を免除しよう。その代わり固定資産税も減免して欲しいなあ」という声を聞きたかった。政府が先に「固定資産税を考慮するから、家賃も考慮して」とそのことにやっと気がついた(以前から気がついていたが、やっと発言?)

この非常事態、様々な場面で「痛み分けの精神」が必要になってくる。どちらが正当だ、などと争う前に。

作成:2020/04/13

​ ​