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210414豊かさ・幸せを哲学する3 正義は必ず勝つ、とは限らない

「正義は必ず勝つ!」コミックなどでよく出てくるセオリーだ。果たしてそうだろうか?と疑問を投げかける御仁は多いのではないだろうか?僕もその一人である。むしろ、正義はか弱く孤独であることが多いのではないだろうかとさえ思っている。最近の歴史ドラマでもあったが、僕が中学生の頃習ったり読んだりした歴史物では「明智光秀は裏切り者」「それを征伐した秀吉は偉かった」的に刷り込まれた覚えがある。見方によれば、明智は正義の人で、秀吉は権力を追い求めた卑しい人のようにも見える。その他の歴史上の戦いを制した人物も「正義」のように描かれがちだ。戦国の武将でも明治維新で活躍した偉人にしろ、歴代の総理にしろ権力を握ったものが、その後を動かす中心人物になるから、まるで正義のように描かれがちである。権力の座を獲得したものは、正義どころか人民を治める実力や意識すらもないことが多い、というのが歴史の流れではないだろうかと考えるようになってきた。残念なことではあるが。このところが「豊かさや幸せを哲学する」ためのポイントとなると考えている。
「金力」「武力」「権力」を持ったものが結局支配できるとしたら、「豊かさ、幸せ」は最大多数化することは叶わない。アジアのどこかで、この民主主義の世の中で、武力で支配するクーデターが起こった。民主派の国民も機関銃の前ではひとたまりもない。「酷い国だ」と特別視したくなるが、世界の大国も似たり寄ったりの国が少なからずある。もっと広げて解釈するなら、「金力、権力」が支配する世の中へ着実にしかも加速しながら進んでいる現状は、空恐ろしい状況でさえある。日本も例外ではない。世界中で「貧富の二極化への警鐘」が鳴らされているが、今からかなりのブレーキを踏まなければ、コロナの感染どころではない。欲望というなの「最強のウイルス」が全人類に蔓延り、ニッチもさっちも行かなくなる。
そのことへの一つの抵抗の兆しが「資本主義の終焉」を主張している論客たちであろう。
今後その辺の論議を深めていきたい。

作成:2021/04/14

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