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210622 コロナが教える人の道54「おもてなし」五輪活用

「お・も・て・な・し」という手振りのついた言葉に、日本中が湧き立ったのは何年前だったか?「トウ↗︎キョウ↘︎」というオリンピック開催が東京に決まった時のプレゼンスピーチだった。(日本のプレゼンスピーチの中で、国際的に評価の高かったのは別のスピーチだったと聞くが)後付けで言うわけではないが、その時になぜか違和感を感じたのは僕だけではないのではないかと思っている。

僕の頭の中では、この「お・も・て・な・し」という言葉が、まるで5段活用のように変遷していって、笑うに笑えない。ブラックユーモア、ペーソスになるが、少しご紹介したい。

「お・か・ま・い・な・し」
まさかこのパンデミックの感染状況で、オリンピックを強行開催するのか?と国民の過半数は憂慮していたと世論調査が示していた。また、医療関係者を中心とする専門家委員会も、最初の頃は僕の穿った感触では、政府の言いなりのように見えたが、流石に「オリンピック開催を断念するべき」という方向に舵を切った。そんな提言を無視するかのように、強行開催に向けて突っ走っている。まさに、世論や専門家の意見など「おかまいなし」状態である。

「ろ・く・で・な・し」
今回のコロナ騒動で、政府や東京都幹部の発言を聞いていると、「腹を括って、私が責任を持つ」という態度がどなたにも見られないのが、残念である。国民から選ばれた政治家なのであるから、もっと堂々と信念、勇気を持って話してほしい。責任転嫁を担保しながら話しているように見えるのは、僕の猜疑心のせいだろうか?「ろくでなし」と叫びたい気持ちを抑えている。もっとも、僕にはそんな立派なことができる政治家になる自信も資質も皆無だが。

「な・し・く・ず・し」
五輪開催の是非を問うていたかと思えば、いつの間にか無観客か否かにすり替わり、またまた知らぬ間に、5000人か10000人という論議にすり替わっていった。このようなすり替えは、元々今の政府の得意技なのであろう。広辞苑では「なしくずしに既成事実ができていく」という例文で示している。

「な・ま・ご・ろ・し」
緊急事態の解除判断の時もそうであるが、政府判断を示す時期が遅れがちである。PCR検査もワクチン接種も判断がゴテゴテに回った。五輪開催の判断も遅れ遅れで、一所懸命なアスリートたちは、まさに「なまごろし」状態に置かれた。緊急事態の時の飲食業などの方々も同様であろう。

「ひ・と・ご・ろ・し」
「おもてなし」の活用形の最終は、このような不吉なものにしたくはない。五輪のおかげで、未知の変異コロナウイルスが蔓延するという事態だけは避けたい。五輪開催の影響でのコロナ感染症による死者は「ゼロ」を死守したい。

「ひ・と・で・な・し」
せめて、「おもてなし」の最終活用形は「ひとでなし」程度で収めたいものだ。日本の各界のリーダーたちの皆さん、自分を多少犠牲にしても、国民を守ることに尽力する格好いい模範となる姿を世界に見せつけてほしい。日本の「おもてなし」の精神の真髄は「わび さび がまん 武士道」にありというところを。さすれば「おもてなし」の五輪活用の最終形は次のようになることであろう。

「こ・の・う・え・な・し」

 

それにしても、「トウ↗︎キョウ↘︎」と選ばれたのは

「び・ん・ぼ・う・く・じ」

であった、、、

作成:2021/06/22

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