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220106 豊かさ・幸せを哲学する4 望まれるリーダーとは?

日本のニューリーダー岸田氏は、コロナをはじめとした数々の難題をどのように凌いでいくのか?国民は戦々恐々としながらも淡い期待を抱いている。もちろん僕もその一人ではある。「コロナが教える、、、」シリーズの初回で「困難な時ほど頼れるリーダーが欲しい」と書いた。頼れるリーダーが多くの人に安心感を与え、幸せの基盤を作ってくれる。その上に幸せを乗せていけるかどうかは、各個人の問題ではあるのだが。

年初より、テレビ、新聞では隣国のリーダーS氏の話題が多い。S氏は自らを絶対唯一無二の指導者だ、というアピールがあまりにも激しい。ある評論家は「一部の国民にとっては、あまり考えずに信ずるだけの神のような存在は楽に感じるのかもしれませんね」と言っていた。宗教の根源はそんなところにもありそうだから、あながち目くじらを立てて反論もできない。しかし、僕は「神様」と「リーダー」はちょっと違う解釈が必要だと考えている。「リーダー」と一口に言っても、いろいろな「リーダー」がある。野球やサッカーチームのキャプテンや監督というのもあれば、一国の首相や大統領などと、その幅は広い。
「一国のリーダー」のように、不特定大多数の「リーダー」について考えてみたい。<「リーダー」の考え方や信条などを信奉しそれに服従するものを守る>という図式であってはならない。これでは<信ずるものは救われる>という宗教的図式となってしまう。国家のリーダーとしては、国民の多様性を大切にし、貧富の差もなく全員に恩恵が届くようなリーダーシップが望まれるべきだ。リーダーへの信奉が厚く、考え方にも同調し、利害も共有することを基本的必要条件にするのでは、それは本来の「リーダー」とは言えない。ただの「親分」だ。つまり、真の「リーダー」には、その対象となるものへの、どこか自己犠牲的なものを、その核心に内包していることが必須条件ではないだろうか。だからこそ、簡単には一国の「リーダー」にはなれないし、尊敬に値するものなのだ。
これは大企業の社長にも言えるのではないか?そのような真の社長にお目にかかる確率は数%だ。長年民間侍医の活動を続ける中で、数こそ少ないがそのような貴重な方々の健康管理の大役を務めさせていただいていることは光栄だと感謝している。「社員の幸福こそまず第一で、次に顧客、そしてできれば利益も」という考えの社長にこだわらなければ、数十倍のクライアントで左団扇になっていたのに、、、と友人の医師から慰められているが。

作成:2022/01/06

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