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220309 豊かさ・幸せを哲学する6 恐れていた殺戮暴挙

しぶといコロナに、身も心も痛み、汗も涙も枯れるのではないかと冷や汗や悲劇に涙し、その涙も乾かぬうちに、更なる悲劇が訪れた。以前から恐れていたことがまさかの現実化だ。人間の作り上げた文明技術が、目先的には人間に快適や便利さを与えることにより、一見人類の幸せに貢献しているように見えるが、過剰な文明技術の進歩が取り返しのつかない破滅を招くのではないかという不吉な予感だ。とりわけ「核技術」「遺伝子操作技術」「DX技術」が3大懸念だ。それらに次ぐ懸念としては「高層ビル技術とその乱立」「グローバル化の行き過ぎ」「スマホに代表させれる情報瞬時共有システム」があると思っている。いずれも、使いようによっては人類に相当な恩恵を与えてくれているし、なくてはならないものである。しかし、一つ間違えば想像を遥かに超えた人類破滅兵器となりうることは、少し考えれば誰でも想像できるのではないだろうか?
一方、最近の世の中の問題点として、日本国内でも世界でも注目されているのは「経済的な二極化」が際限なく進んでいることがある。僕が思うに、この「金力」の二極化は「権力」「軍事力」の集中につながっていく。今回のロシアの(プーチンの)強大な力による殺戮侵略はその権化であろう。おまけに「核」の脅威さえもちらつかせている。力のあるものが、弱いものを自制心なく我がものにする光景は、親が子供を虐待している様子をも連想するし、強大なコンビニネットワークで小さい酒屋さんが潰れていくのとイメージは重なる。
「ノブレスオブリーグ」僕が大切にしている言葉だ。直訳すれば「貴族の義務」となろうが、力の強いものこそ「謙虚」であり「献身」の気持ちを忘れてはいけない。総理大臣や政治家と民衆、富裕者と貧者、大人と子供、若者と老人など全ての人間関係で言えることではないだろうか?我々医師の世界では、医師と患者となるであろう。
二極化も、ある程度進むまではどちら側の集団もある程度の大きさがあるから、制御が効く余地はある。今回のPのように、また大国のSや核保有する国のKなどほぼ個人が極端な権力を持ってしまうと歯止めが効かなくなる事態が起こる恐れがあるし、実際にそれが現実化している。ほぼ、一人か数人の人たちに世界が怯えているのだ。皆が知るところではヒトラーや麻原なども同類であるが、幸い「核兵器」まで持ち合わせしていなかったから、まだ地球は無事である。
1年後10年後に地球は存続しているかと問いかけるのは、ノストラダムスの時よりも現実的な気がする。
我々にできることは何か?一人一人が「人ごとではなく自分ごと」としてしっかり考えることがまず大切ではないだろうか?

作成:2022/03/09

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