事務所開設の理念

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昭和59年、6月に寺下医学事務所の前身である「TMS医療技術研究所」を東大医学部の同窓仲間を中心に立ち上げました。難関である東大医学部を目指した同窓生の多くは、日本の医療界のリーダーとして世の中に貢献したいと願っていました。ところが、日本が世界に誇れる病院が東大病院を始めとする東京の大病院に存在するかといえば、アメリカのメイヨークリニックなどにははるかに及びません。日本の保険制度の下では東大病院といえども「一病院」にすぎないからです。日本では、採算や公共性を度外視したフラッグシップとなる病院の存在は許されません。

では、国内での医療に対する国民の満足度はどうかというと、国民の多くは不満や不安や不平を持っています。その度合いは最近、さらに増強してきたといっても過言ではありません。その原因は、日本の医学医療のレベルや個々の医師の技術が低いから起こっているのではないのです。むしろ、世界的にみても、日本の医学医療のレベルはトップレベルです。医学や医療の恩恵を提供するシステムに問題があるから、国民は安心満足していないということに気付きました。

そこで、医療の仕組みづくりを通じて世の中に貢献しようと医学事務所を立ち上げました。医師専用のモデル病院構想からはじまり、カルテの共有システム(今の電子カルテ)や医師間遠隔相談システムなどを今から20年以上も前に研究を始めました。その時の研究仲間たちは、現在の日本の医療情報分野のリーダーとして活躍しています。

そのような経過を経て、「安心と幸福をもたらすべき医学医療」の仕組みを追求していくと、皇室や大統領の「侍医システム」という患者(クライアント)医師関係が理想ではないかという結論に至りました。高度細分化される医療環境においては、指揮者や管制官のような医師と最先端の専門医とのチームによる医療が、人間的信頼関係のなかに最大の医学科学的恩恵を享受できるシステムであると考え、1990年より自らも実践活動を始めました。「主侍医倶楽部」という契約制の主侍医サービスです。

その主侍医活動のなか、「医療判断学」が生まれていきました。主侍医は一言で言えば「医療決断の支援」をするプロだということです。そのノウハウをまとめ、医師や医学者になる心構えとしての教育も兼ねて1995年より慶応大学医学部にて「医療判断学」の集中講座を始め、現在までに1200名の受講生を送り出し、既に1000名近くの医師が誕生している計算になります。

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