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医学・医療

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「縮退」現象について 2011/8

2011年08月08日

僕の医師仲間はまっこと多彩なのですが、その一人に小池弘人ドクターという方がいます。小池先生は東京四谷で統合医療を自ら実践されています。つい先日、先生の近著「統合医療の考え方活かし方」という本をご恵送いただきました。この本の中に、先生が統合医療に至った経緯は詳しく書かれています。

読み進めていくと、医療の底辺を流れる本質がちりばめられていると思いましたが、中でも「縮退」という概念を引用されている一文に目も心も止まりました。「一部の人やものの間だけをお金やものが循環しつつもだんだんと狭い場所に集中して早く回っていくさまを、物理学者の長沼伸一郎先生は「縮退」と呼んでいます」これは引用の引用となってしまいましたが、意味深い解釈だと思います。小池先生は、あらゆる分野で縮退が生じていると言及されています。僕も全く同意見です。世の中はこのとてつもない「縮退」と呼ばれる危険領域に向かって加速している恐怖を感じています。いつ破局が訪れるのか?原発事故などもこの一つではないでしょうか。

この本のメインの主張のひとつに「統合医療ではきづきと覚悟が必要」と書かれています。僕のライフワークである「医療判断学」も同じだと思っています。何事もいいとこ取りは出来ませんから「覚悟」が必要でしょう。物事を判断して決断していくリーダーにこそ「最高に厳しい覚悟」が必要なのに、日本の政治家も大企業のトップたちをみていて「覚悟」が出来ていないさまが情けなく惨めっぽく感じるのは僕だけでしょうか?

この本の中でもうひとつ「部分を集めると全体になる」という要素還元主義への批判が書かれています。「良い部品を集めるだけでは決して素敵な車は作れない」とカーマニアの僕が昔から主張していたこともそうでしょうが、医学や政治判断などシビアな分野では特に大切な基本的心構えだと思います。

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「患者も医師も笑顔になれる仕組み作り」

2011年01月31日

嬉しかったクライアントメンバーからの報告

 

僕の実践している「主侍医システム」の目指すところを一言で言えば「医師も患者も笑顔になれる仕組み」である。勿論、患者の家族や医師以外の医療スタッフも含んでいることは言うまでもない。

ところが現状はどうであろうか?

「この医者は信頼できるのだろうか?真剣に取り組んでくれているのであろうか?」「医療ミスは大丈夫だろうか?」「もっといい治療法はないだろうか?」など不安が次から次へとよぎる。また、インターネットやテレビからの情報を見ると不安は更に増大する一方である。病気で心細いのに、更に迷いや疑いがあると笑顔どころでなく引きつった表情となってしまう。

「この患者は本当に信頼してくれているだろうか?」「きっと誰かにセカンドオピニオンと思っているだろう」「テープレコーダーを潜めているかもなあ」「訴えるようなことはするタイプではないだろうか?」

引きつった表情を見ているとその思いは更に強くなる。笑顔で接しようと思っても「私が苦しんでいるのに、笑うのですか、とも思われかねないし、、」と医師も引きつった顔となる。

大げさな空想のような話しに思えるだろうが、結構事実に近い。医療崩壊の根底に流れる要因の一つだと僕は思っている。

 

そんな中、僕の主侍医クライアントのメンバーから嬉しいお礼の連絡が入った。ある病気の診療のために、母校東大病院の専門医の受診をして頂いた。最初の診察に僕も同伴することになった。初めてお願いするドクターだから、顔を合わせてご挨拶もしておこうと思ったからである。准教授にあたる中堅の医師Aドクターが担当となった。初診ということもあったのか、1時間近く時間をかけて、診察説明をしてくれた。後半の説明の時には、僕も診察室の中でご一緒した。Aドクターは、「先輩まで来て頂いて恐縮です」と懇切に説明してくれた。

帰りがけ、そのクライアントに「大学の医師で、あれくらいに丁寧に対応してくれるのは珍しいね。しかもアドバイスも的確で信頼できる」ということを具体的に説明した。また、そのAドクターにも、後日お礼の連絡をした。勿論、医学的内容のやり取りも行い、今後の治療方針についても検討した。彼は「先輩までご一緒に来て頂いて感激しました」と言ってくれた。僕は彼に「Aさんのようにキチンと対応できる後輩がいて心強い」ということを伝えた。

その1ヶ月後の再診を終えた後、そのメンバーから連絡を頂いたのである。「最初は、実のところ大学の先生で怖い感じもして緊張しましたが、今度は全然違いました。寺下さんから、お話を聞いていたお陰で今度はリラックスして、信頼してA先生とお会いできました。すごく親切で、的確なアドバイスを懇切丁寧にしてくれるし、冗談も出るし、正直感動ものでした。これからは、少し遠いですが東大病院に通うのが楽しみになりました。」

これは、メンバーの方やAドクターが別人に変貌した訳ではなく、人間性や優秀性や取り組み方に変化はない。少し潤滑剤が入っただけのことである。こうなると良循環である。自然と理想的な患者医師関係が築かれていく。

まさに「患者も医師も笑顔になった」と主侍医の僕も笑顔になれた訳である。

 

医療の各論的技術の発展も大切だが、その発達した医療技術をどのように提供していくかのシステムこそ、「幸せに貢献する医療」に不可欠である。ソフトバンクの孫さんが「デジタル情報テクノロジー」の時代から「デジタル情報サービス」の時代に突入しつつあると言っているが、医療の分野でも同じである。「ヒューマンメディカルテクノロジー」から「ヒューマンメディカルサービス」の時代となるであろうと考えている。せっかくのテクノロジーをどのように提供するか(How to serve)に知恵を集めていかなければ幸せに貢献する医療は実現できない。再生医療や遺伝子医療の研究も大切であろうが、医療の仕組み作りの分野にも更に優秀な医療人材が必要とされている。

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アップルのジョブズ健康問題による療養報道に揺れた株式市場

2011年01月28日

数日前に、このタイトルのような報道が一斉にニュースになった。アップルは今や世界を代表するような巨大企業である。そんな大企業のトップとはいえ、一人の人間の健康不安がその会社の株価を暴落させ、市場全体の急落も懸念されたというニュースに「やはり企業にとってもリーダーが命なのだ」と再認識した。僕の仕事は「主侍医システム」の普及だが、その柱として「主侍医倶楽部」と呼ぶ民間版侍医サービスの研究開発型実践を行なっている。クライアントメンバーの方々は、企業や団体、業界のトップの方が多い。その人がいなくてはその組織が成り立たないような方々ばかりである。

そんな主侍医倶楽部であるが、運営開始当初の20年前には、その会費が会社の経費にならないということで、よく問題になった。その頃はバブルの頃で、過剰な接待がまかり通り、いろいろな企業がゴルフ会員権を買いあさり、タクシー出勤は当たり前、取締役はハイヤー付きといったご時世であった。にもかかわらず、企業のトップの健康管理を経費として認めなかった(今も厳密にはそうかもしれないが)のは、税務当局(その他の日本の国の仕組みもそうだが)の型にはまった思慮の浅い見解だ。勿論、企業や団体にとって、そのトップが今の政治のように、誰がなっても代わり映えしないのであれば、確かに経費の無駄かもしれない。いずれにしろ、その企業のトップの健康管理に関する費用が経費となりうるかどうかは、税務当局が決めるのでなく、株主が(役員会であったり、社員であってもいいが)決めることではないだろうか。株主が、「この人がいなくなれば、先行きの業績が心配だ」と思えば、その人の健康が何よりも最大の資本となるわけで、企業にとってそれを守るために最大の努力をするのが当然であり義務ともいえる。

「健康管理の費用も含んだ」報酬を会社は代表に払っている、との反論があろうが、日本の場合は、それは実態に合わない。残念ながら、社長という重責にありながら(あるがゆえにと本人は思っているのであろうが)、なかなか健康管理には時間もお金も割かない傾向が日本にはあるからだ。特に日本の会社人間は経費は平気で使うのに、ポケットマネーとなると使うのが苦手になる。しからば会社として、会社を守るためにもトップの健康管理を義務づけるような仕組みが大切ではないかと思っている。

アップルのジョブズは、さすがに最高の医療を受けてきたから、大病を乗り越えて今日までやってきたのだろう。そのお陰で、我々はIpadIphoneなどの恩恵に浸ることが出来ている。

皇族だけでなく、「侍医」を持つという「未来の当たり前」をまずは自他ともに「キーパーソン」と認める方々に実行して頂きたいと、(若干宣伝にはなるが)心から願っている。
提供側にもユーザー側にも先駆者がいてこそ、大衆が恩恵を受けるシステムが育っていくものだと僕は考えている。

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