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医学・医療

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医療満足度の最大化 2015/1主侍医通信より

2015年01月29日

2015年の幕開けに際し、今年もみなさまにとって健康的で意義深く楽しく豊かな1年になりますようお祈りいたします。

「医療満足度100%を目指す」は、事務所にとっても私個人にとっても基本的な理念であることはいつも申し上げていることです。つまり医療を受ける側も提供する側も満足度を最大化にすることが使命だと心得ているということです。言ってしまえば、これだけのことですが、その実現のための具体策は限りなく存在し、時には相容れないものも数多くあります。

個別に考えるか、医療全体として考えるかによってもその手法は異なってくるでしょう。主侍医倶楽部で個別に考え、その経験値を活かしながら医療全体(とまでいかなくても、ある程度の規模のマスとして機能することを前提として)における医療満足度の最大化の方法論を考え実行していきたいと考えています。

主侍医倶楽部発足してから25年目に入ります。みなさまも私も歳を重ね、身体のあちらこちらが傷んでまいりました。すでになんらかの慢性病になられている方には、推薦できるドクターへの橋渡し(既にかかりつけ医をお持ちの方はそのドクター)と医療情報の共有をさせていただいています。また、人間ドックのデータなどを私も共有させていただき、問題点となるところがあれば専門医の意見をお聞きしてアドバイスに勤めています。万一重病が見つかった時は可能な限りの最善のドクターへスムーズにご紹介できるよう、様々な分野の専門医との交流に日々努めています。この30年間で、数多くの仲間の専門医の協力を得ましたが、この場を借りてお礼を申し上げたいと思っています。

主侍医の役割で、もう一つ大切なことは、「少しでも病気になる確率を下げるためのアドバイス」だと思っています。これは地味で有難味の実感が少ない任務で、日本ではなかなか予防医学が進まなかった所以でもあります。あくまでも確率を下げるだけで、それははっきりとは目に見えないし、病気になってしまえば、本人にとっては、そんな確率論はどうでもよくなるからです。

25年間を振り返りますと、かなりハードな愛煙家を辛抱強く説得し、禁煙を実行していただいたメンバーの方は結構な数になります。その方のご家族や友人が驚いたくらいです。その方々の病気の確率を大いに下げることに貢献したことはまがいもない事実です。禁煙以外では、なかなか「病気の確率を下げる」という行動は目に見えにくいものです。血圧や血液中の脂肪などを早期からコントロールすることは勿論大切なことですが、一般的にはつい病院の敷居が高く遅れがちになります。昨年から、数年以上採用していた保険診療を取りやめましたが、逆に自由な予防医療ができることになりました。今後は、その利点を活かして、型にはまらないような予防医学の助言ができればと考えています。

例えば、現在は病気というほどではなくても、年1回のドック以外に、数ヶ月に一度は血液で肝機能や血中脂質などのチェックや、保険診療では不可能なLOX index(脳卒中や心筋梗塞などの血管障害を予測)アミノindex(ガンの予測)などの高度な血液検査を行い、飲食や運動の微調整をしたり、PSAの値が若干高めの人には、前立腺がん予防のためにアボルブなどの薬を服用することや、食べ過ぎ飲み過ぎの日には脂肪吸収を緩和させる目的でEPA製剤を服用するなど、保険診療では認められないけれど、私自身が実行したいと考える予防医学的アドバイスを積極的にしていきたいと考えています。

皆さん方に限らず、一般的に、重篤な病気になった時は慌てますし、なんとか最善の医療を受けたいという気持ちでエネルギーは高まるのですが、目に見えない予防医学の助言はしばしば「面倒」と感じたり、時には「鬱陶しく」も感じるものです。禁煙、節酒アドバイスなどはその最たるものでしょう。そこを説得して「では、予防医学実践に取り組んでみましょう」という気持ちにさせるのが、私の任務の重要な一つであると心得ております。

その具体的な方法論として、今月より皆様に「養生シート」を同封いたします。自由に使っていただいて結構ですが、個人個人に合わせた使い方をアドバイスしますので、ぜひ、事務所にお寄りいただければと思います。裏面のアドバイス集は、面白く守りやすいような言葉を独自に考えたものです。「ゴルフ場の今月のマナー」のように、ご自身で「今月の目標」を選んでいただき、それを意識していただくのも楽しく予防医学を実践するコツかと考えます。私が皆様がたを思い浮かべながら個々に大切と思われるところをチェックしましたのでご参考にして下さい。

主侍医倶楽部も熟年を迎え、より品質の向上を目指したいと考えております。医学塾にもできればみなさんご自身、ご都合がつかないときはご家族や秘書の方にぜひご参加いただきたく思います。

1月吉日 寺下 謙三

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愛に溢れる天上の方々 2014/12主侍医通信より

2014年12月22日

毎年、年末になると「あっという間の1年でしたね」「春が来たと思ったら次のお正月という感じですね」など時の過ぎゆく速さを嘆いたり憂いたりする言葉があちらこちらで交わされます。我々が学生時代(小学生でも大学生の頃でも)には、そういった声はありませんでした。年をとると速く感じることもそうでしょうが、最近では小学生でも「あっという間の1年」という表現を使うことが多いことに驚いています。様々な予定がびっしり詰まって、昔の3年分を1年に凝縮できるとしたら、3倍長く感じ充実しているはずなのに、逆に短く感じてしまうのはなぜでしょうか?無人島に流されて孤独生活を送ったり、例えが悪いですが独房に閉じ込められたとしたら、その時の1日の長さを想像すれば容易に理解できます。実際にありうる例では、重病で入院している時、夜面会の家族らが家に帰って次の朝が来るまでの時間がとても長く感じることは入院した人には理解いただけるでしょう。極端な例えをしましたが、人生のゆったり感を生み出すには、この両者の間に答えがあるように思っています。充実はしているが、ゆったりとしている、という感覚。幸福論の思想家を目指すためにはこの辺の思索が必要かと思っているこの頃です。

さて、今年最後の通信となるかと思います。今年も1年、信頼をいただきながらお付き合いいただきありがとうございました。

私事ですが、本年11月18日、14年間一緒に過ごしてまいりました愛犬の「バディ」が天に召されました。とても人懐こく、友人や患者さんからも慕われ可愛がっていただきました。人好きだったバディも幸せだったと思います。晩年特に大切にしていただいた友人と静かにお通夜を過ごし、20日に丁寧に荼毘に付していただきました。その際、お寺の案内に「寺下家」とあり、まさに14歳の子供をなくした気分でおります。喪中のお葉書を出すのも憚れましたので、年明けにゆっくりと年初のご挨拶をしたためようと決意し、賀状によるご挨拶を欠礼させていただきますことをお許しください。バディの優しい寝顔から「ゆっくりと着実に心の整理をしていかないと、お父さんの残された人生もあっという間だよ」というメッセージをもらいました。そして他者への無条件な信頼がひとにどれだけ安らぎを与えるかということも教えてもらいました。

愛犬のお話の後にたいへん恐縮なのですが、12日後の11月30日、1年前に進行癌の状態で不安定になっていたこころのサポートのために、山王病院堤院長よりご紹介いただきましたSさんが懸命の闘病生活の末、天に召されました。わずか1年のお付き合いでしたが、とても気遣いの深い方で、自分が厳しい病状にあるにもかかわらず、周囲の人たちへの愛情ある言葉や行動に心を打たれることが多く、ご主人様はじめ周囲の方々とまるで昔からの身内のようにお付き合いさせていただきました。亡くなる数日前からは病院にて頻繁にお会いすることになりましたが、病床に駆けつける方々は、本当に心からSさんを慕っていると痛切に感じました。「太陽のような方だった」という声がとても印象的でした。

私の母は、私が大学6年生の時55歳で急逝しました。自分で言うのもおこがましいのですが、愛情深く遠慮がちで周囲の者への配慮に満ちた母でしたので、Sさんとイメージが重なりました。母はSさんのように綺麗でスマートではなく、かなり太ってはいたのですが。ご主人様や娘さん、そして周囲の家族同然の人たちの悲しみを見ていると、2週間も経たない前に、枯れるほど涙を流したのに、まだ出る涙があるのかと思いました。告別式でのご主人様のご挨拶の時は泣き声をこらえるのがやっとでした。これほど参列者が心から涙するお葬式にも感動しました。

今年の5月17日に、1年前に古くからのメンバーのご紹介で進行癌の状態でご相談をお受けしましたTさんが天に召されました。TさんもSさんと同様、心優しく、自分の病状を忘れているのかと思えるほど、ご家族や周囲の人たちへの気遣いの深さに驚かされました。亡くなられる数日前に病院にお伺いした際には、話すことができないのに「先生に椅子を」「先生にお茶を」とご家族に目や表情やかすかな声で合図されます。自分にはとても出来ないことだなあと感銘を受けました。

そんな優しく素敵な奥様を亡くされたお二人のご主人様の悲しみの深さを自分に置き換え想像しただけで胸が張り裂けそうになります。でもお二人とも立派にこの悲しみを受け止めつつ、日々の生活に戻られる努力をされています。

今の医療技術で出来得るだけのことは尽くされたと信じていますが、残念ながら医療自体の限界を認めざるを得ません。しかし、医療満足度100%を目指して、「信頼」「尊敬」「感謝」に値するよう誠意を持って最大の努力を続けたく思っています。合掌。

年末のご挨拶が湿っぽくなってしまいました。しかし、これは明るい来年以降に向けての思いであるということをご理解いただきご容赦いただければ幸いです。

もう一つ、ご報告です。私にとっても事務局にとっても嬉しいご報告です。前回の通信で、医学塾のご報告をいたしました。古くから特別なご契約をいただいて私の活動を支援いただいているY様から「医学塾は、とてもよい活動だ。こういったことを広めていくのを応援したい」というお褒めの言葉をいただきました。私はもちろん、スタッフ一同大喜びで、来年以降のプログラムを懸命に考えているところです。講師の主役は若手に移しながら、私は塾生を増やす広報活動にも力を注ぎたく思っております。ご契約メンバーの皆様のご参加はもとより、皆様の会社のスタッフやお知り合いの方を塾生にご紹介いただければたいへんありがたく存じます。

平成26年12月 吉日  寺下謙三

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医学のススメ 2014/11主侍医通信より

2014年11月20日

気の早いデパートなどでは、すでにクリスマスの飾りもチラホラ出現したり、来年の手帳も気になる時期になってきました。

衣替えは勿論、冬タイヤへの交換など冬支度も始まりました。皆さん方のインフルエンザ接種も順調に進んでいます。

 

前回もご案内しましたが、医学塾へのお誘いを再度したいと思います。

現在は、第1火曜日と第3木曜日の夕刻6時ごろから8時ごろまでの間で開講しております。最近は、若手の臨床医に加え現役東大医学部生にもテーマを分担していただいて、一般の方にも医学の基礎と最新知識を理解していただけるよう工夫を凝らして講義をしていただいています。私も塾長として、包括的な基礎医学の講義を担当しつつ、学生たちや若いドクターの講義を塾生の皆さんと一緒に聞きながらポイントを質問して、皆さんの理解を深めるように努力しています。最近の講義では、11月4日には、東大医学部5年生でクラス委員の議長を務める熊谷友梨香さんに担当していただきました。「遺伝の仕組み」についてお願いしました。90分の間に、メンデルの法則から始まり、DNAの構造や塩基配列によるタンパク質の設計図の話、そして圧巻は「遺伝子の解析でいろんなことが分かるようになりました。しかし、我々は遺伝子で全て決まっているわけでは決してないのです」と強い語調で講義の最後を締めくくったのには驚きました。私自身も大変勉強になりましたが、6名の塾生も大いに理解を深めました。春から14回の講義が開かれましたが、医学部健康総合科学修士過程に在学中の江本駿くんは、医学塾の世話人をしてくれていますが、自らも医学統計学の講義をしてくれました。さすが文学部からの転向だけあって、数式をほとんど使わず統計学を学ぶという試みをしてくれました。12月の第1火曜日も担当予定です。また、医学部5年生の天野遥子さんは「免疫の仕組み」という難しいテーマを見事に解説してくれました。月曜日に東大心療内科より来ていただいている堀江武先生は「心療内科入門」というテーマで、自律訓練法の実践まで盛り込んでくれました。愚息の勇祐ドクターは「腹痛のいろいろ」というテーマを外科医の立場から解説しました。いずれも、学びがいのある内容で、折角の講義をもっと多くの人に聞いて欲しいと塾長の私としては、広報営業活動に勤しみたいと思っています。単なる病気解説や特殊な知識のセミナーやテレビ番組は玉石混交でいろいろありますが、一般人向けの基礎から学ぶ医学講義を聴くチャンスは滅多にないと思います(実際私は他にあることを知りません)。主侍医契約の皆様には、いつでもご招待をしたく思っていますので、是非お気軽にご参加下さい。お連れや代理の方も、一般受講の半額にてご参加できますので、秘書の方や奥様など是非お勧めください。満足のいく2時間を過ごせると信じています。

11月20日は,医学部5年生西方宏太郎くんが「循環器」について話します。彼も相当ユニークな名講義をするものと期待しています。塾の場でみなさまとお会いできれば嬉しい限りです。

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患者満足度への願いと悩み 2014/9主侍医通信より

2014年09月25日

猛烈な暑さは、どうやら峠を越したようですが、毎日の気温の差が大きく、身体がついていくのに悲鳴をあげていますが、みなさま体調管理は大丈夫でしょうか?こういうときこそ十分な睡眠と栄養管理が大切です。

前回は歯科領域での私自身の患者としての経験談を交えた医療判断のお話をしました。数人のメンバーのかたから、歯科治療についての問い合わせをいただきました。私自身の体験では、結果も良好でしたが、医療判断の現場では、いくら最善の選択をしたからといって、いつも良好な結果がでるとは限りませんし、他の選択肢を選んだ場合と比較することもできません。この仕事をしていて最も辛いところです。

では、目指す目標はなにかというある程度明確な目標や基準がないと、そんな分野は育ちません。スポーツなどでは「勝ったか負けたか」、ビジネスでは「売れたかどうか」「儲けたかどうか」、料理の世界では「美味しいかどうか」、受験産業では「受かったかどうか」など目標がはっきりしています。だからこそ「勝ち組と負け組」などという表現があります。(私個人としては好きになれない言葉ですが)勿論、医療分野でも「治ったかどうか」という意味でははっきりした目標があります。医療判断の分野ではなぜ、その辺がすっきりしないのか、という悩ましい問題があるのはなぜかといつも考えます。医学生への授業でも、生徒への自由討論課題として取り上げ、毎回激論が交わされます。その結果、「患者満足度」というキーワードがクローズアップされます。

そもそも、このような分野の仕事の必要性を感じて取り組み始めたのは、「日本の医療技術やその社会的仕組みは世界中でもトップクラスなのに、患者満足度はそれほど高くないのは何故か?」ということへの疑問からです。他の分野でも、例えば「勝つことではなく参加することに意義がある」や「決して儲からない事業だけど、みなが喜ぶから続けています」とかはよく耳にしますし、(極めて少ないとは思いますが)「志望校には落ちたけれど、この予備校には感謝しています」というようなこともあるかもしれません。しかし、それらは珍しいからことさら取り上げられるのです。スポーツなど勝負事では、必ず誰かが勝ちます。受験では誰かが必ず受かります。ビジネスでも、ほぼ誰かが大きな利潤をあげます。医療判断の現場では、「どうやっても治らない」「どうしても助からない」「結果が不確実である」などは日常茶飯事です。 

だからこそ「満足度」ということが重要になります。しかし、かなり曖昧な基準でもあり、我々は常に「満足して頂けたかどうか」と悩み、時には落ち込むほど疲弊します。「日本の医療技術や保険などの仕組みは世界トップレベルであるから、患者満足度も世界トップレベルにしたい」という私が事務所を立ち上げた時の使命感を思い起こし、少しでも、そのことに貢献できるような仕組みにまとめあげたいと、還暦を過ぎて若干焦っている自分をなだめているところです。「アンメットメディカルニーズ」と呼ばれる代表に「癌治療の克服」「再生医療」「遺伝子医療」などがありますが、「患者満足度の向上システム」もそれらに比肩するものだと確信しています。

皆様方の、厳しいご意見をお待ちしています。

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自分自身の医療判断 2014/8主侍医通信より

2014年08月04日

今年は、もしかしたらここ数年来の暑さはやってこないのではと7月前半までは根拠の無い期待をしていましたが、やはり猛烈な暑さがやってきそうな気配濃厚な日々となっています。みなさま体調はいかがでしょうか?無理をせず、十分な睡眠とともに、こまめな水分補給と規則正しい食生活が夏バテ予防の基本となります。

この数ヶ月で、私自身と家族の2度にわたり、「医療判断」が必要な事態を体験しました。いつも主侍医倶楽部のみなさまを始め、私が相談助言をする時の心構えは「もし自分自身や家族だったらどう判断するか」ということを念頭においています。それが返って弱気な判断になったり,迷いの原因になったりしてしまうことも少なからずあるのですが。

今回は、私自身の体験をお話します。こちらはあまり命にも関係しない「虫歯」の話になります。「たかが虫歯、されど虫歯」だからこそ「医療判断」の大切さがクローズアップされるような気がします。

私は、親のお陰で歯は丈夫な方で、比較的厳密でない歯磨き習慣にもかかわらず虫歯の体験が少ないのですが、20代のまだ若き脳外科研修医だったころ、虫歯の治療を時間がないという理由で、虫歯の治療を調べもせずに気軽に近くの歯医者さんで行ないました。それがきっかけでその歯は、その後10年以上も何度も痛みを繰り返すことになりました。10年後に山王病院勤務時代の同僚の信頼する歯科医I先生に診て頂き「初期治療が削り過ぎによるもの」でそれが取り替えしのつかない事態になっていることが判明しました。I先生から「応急的に処置しますが、いずれ抜歯になるかもしれませんね」と言われましたが、それから20年、なんとか持ちこたえています。その時のI先生の応急処置には随分時間をかけていただいた記憶があります。きちんとした治療は、応急処置でもレベルが高かったわけです。

それ以来、あまり歯のトラブルはありませんでしたが、今回、妻が定期検診で通う近くの歯科医院になんどかクリーニングのために通っていましたが、ある時、「奥から2番目の歯の横に怪しい部分があります。レントゲンでみても虫歯の可能性が高いです。横からの治療が出来ないので、コの字型に大きく削り金属をかぶせる必要があります。今日と、あと1、2回で済みますよ」と言われて、今にも削られそうになりました。

歯科治療では「なるべく削らない、抜かない」、外科治療では「なるべく切らない」、内科治療では「なるべく薬を使わない」を基本スタンスにして十分検討を加えた上で、やむを得ない場合は最善最小限の侵襲を考える、というのが私の基本ポリシーです。当然、いきなり大きく削られたくはありません。治療する側からみれば大きく削る方が病巣を残さずきちんと治療ができるわけだし、それが歯科での標準治療だということは理解しています。

「まっ、待って下さい!」なんとこの一言が言いにくいことでしょうか?患者の立場で目の前の医師に言いづらい気持ちはよく分かります。だから意を決して言うときは返ってけんか腰になってしまうのかもしれません。

「来週姪の結婚式でハワイに行くものですから、もう少し経過をみさせてください」理由になっていない理由です。「それでは3ヶ月後にまたみましょう」とその場は切り抜けました。

「なるべく削らない」「虫歯も自然治癒する可能性がある」ということを徹底して実践している信頼できる歯科医阿部修先生に診てもらおうと決めました。「虫歯の可能性が怪しい、と言っているが、もしかしたら虫歯病変は存在しない可能性もある。それだったら結果は大違いだ。もし病変が存在し,阿部先生も同じ意見で削る必要があると診断されたら、削ろう」と決めました。阿部先生には、契約者の皆様もなんどかご紹介しましたし、和歌山にいる弟の嫁の総入れ歯になりかけたのを一本も抜かずに助けて頂いたこともあり、破折という抜歯が基本の治療方針という状態になった妻の歯も、(抜歯を予定していると言う妻に、その前に阿部先生の意見を聞いて抜かずに済ませる方法を考えようと助言をして)阿部先生の見立てとアドバイスで抜かずに済ませることが出来た経緯があります。

同僚のよしみで早く予約を取って頂き、吉祥寺のクリニックを訪れることになりました。どんな判断が下るのだろうかと、恐る恐る阿部先生に診て頂きました。1時間にわたる綿密な診察のあと、「確かに虫歯病変はあります。コの字型に削るのが一般的です。しかし、歯の横の部分の表面まで病変が進んでいないので、顕微鏡下で、歯の上から穴を掘るように病変を削り取り、最新の硬い素材で埋めるということも可能です。金属の被せの必要なく、噛み合わせも変わりませんし、横の部分の表面は自分の歯が全部残ります。」

「そっ、それをお願いします!」

翌週のハワイ出発の前日2時間近くかけてその処置を行なって頂きました。理屈が分かるだけに、相当面倒な作業であることは想像がつきます。

「長時間お疲れでしょう。大丈夫ですか?」とはこちらからではなく阿部先生からのお言葉。「先生こそ根気のいる治療をありがとうございました」

翌日からのハワイ旅行の間もその後も歯は何の問題もありません。

このような丁寧な作業を中心にした治療を実践するために、阿部先生も保険診療は一切行なっていません。当然だと思います。患者にとっては十二分な対費用価値があると思います。

「たかが虫歯、されど虫歯」大きく削って金属をかぶせるか、今回の治療のようにほとんど噛み合わせや見た目も分からない治療で済むかは雲泥の差です。

手前味噌にもなりますが、事前の医療判断において十分に時間と労力をかけて、それで決まったらお任せするという手順は得心のいく治療となることを体験しました。

今回は、治療法が違いましたので、どちらがよかったか明白なのですが、いくら医療判断に手間ひまをかけても、場合により同じ治療法になるかもしれません。それでも、なるべく削らないポリシーの阿部先生が言うのだからと結果は同じでも得心の具合が違ってきます。

 

「たかが虫歯の治療」の話で、長くなりましたが、医療判断のための作業で随分運命や納得度合いが違うということと、虫歯の治療という些細なことのように見えることでも日常生活においてそのクオリティーは随分と違ってきます。日常的な病気に丁寧に対応することの重要さを再確認しました。

 

皆様も、歯の治療の判断でお困りなことがあればご相談ください。 

 

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相談が一番大切 2014/5主侍医通信より

2014年05月22日

衣替えをした途端にまた寒くなるという意地悪な天気を恨んでいる方も多いと思いますが、体調はいかがでしょうか?

最近の新聞紙上で、医学や健康の話題が多くなりましたが、数週間前の日経新聞にベテランの癌専門医がコメントしていた記事をみて、私自身が歩んできた道は、それほど外れてはいなかったのだと慰められました。

「長らく癌の専門医として治療を続けていて、患者側から見てもっとも大切なことはきちんと相談できるということであるということに気づいた。十分相談して納得して治療を受けていれば、それから先の人生に大きな違いが出てくるからだ。結果がどうであれ、癌を受け入れて新たに前向きの人生を作っていけるからだ。」

といったような内容でした。具体的な先進的な治療の議論ではなく「相談が一番大切」と感慨深く述べられたその一文を読んで、私の今後の総括的活動の方向性の再確認ができた思いでした。

なぜなら、我々医師の最大の望みは、患者さんに最長の寿命と痛み苦しみからの解放にどれだけ貢献できるかですが、残念ながらいくら頑張ってもそれには限度があり、たかだか数%のお力になるために大変な努力を必要とします。経済産業の社会では、利益を倍にすることも10倍にすることも可能です。今や無限大に儲けようとしている企業(人)も少なからずいるように見受けられます。我々が医療の世界でもし数%の力になっているとしたら、それは大変なことだと自画自賛していましたが、患者側の気持ちになってみると(実際医師も人間で、度々患者側の気持ちを体験するのですが)、自分の大切な人が大病になると、どんなことをしてもいいから世界で一番の治療を受けさせて治してあげたいという気持ちになります。でも医学の限界は寿命の前では微々たる力しか持ち合わせていません。歴史的に見れば、私が生まれた昭和28年の男性の平均寿命は59歳ですから、現在までに20年も寿命が伸びました。また明治以前では結核で亡くなったりお産で亡くなったりするかたはかなりの数でしたが、今やゼロとはいきませんが、かなり少なくなりました。さらに有史以前に遡ったら、人間の寿命は倍です。これがすごいのか、たったの倍どまりなのか、ということです。他の分野と比べたら「何万年かけてたったの倍」となるでしょう。そして我々医師が、懸命に努力しても数%貢献できるかどうかの世界である事実は、人生を振り返り愕然ともします。

だからこそ、「納得できる医療を受ける」ということが最も大切なことで、特に重病時には、「信頼できる専門家に徹底的に相談して具体的な助言を受けて、十分納得してから医療を受ける」ことこそ最善の医療であるという私の持論の結論に至ったのです。そのための方法論はいくつもあるでしょう。その一つが、私が今まで培ってきました「主侍医システム」ですが、この部分だけに特化した、より完成したモデルを構築したいというのが、これからの課題です。

もう一つ、大切なことと考えているのが「一般人向けの医学教育」です。英会話はじめ、教養としてのカルチャー講座が各種充実しているのに、他の分野のインテリでさえ、教養としての医学知識があまりにも少ないのに驚くばかりです。その代わりにキワモノの医学情報がネットやテレビで氾濫していますから、真っ当な医療を評価できる力が不足して、当然の結果、納得できる医療を受けるチャンスが減ることになります。私は、中学、高校では無理でも、大学の必修科目ぐらいにはなって欲しいと考えています。

「教養医学塾テラ小屋」は、そのシンボルとして4月より復活開校しましたが、今後は企業の社員研修の一環としてプログラムを開発し広めていきたいと考えています。長らく主侍医を務めていますT社さんの社員教育を10年以上も続けさせていただいていますが、社員の方から喜んでいただいています。是非、皆様の会社でも採用いただければと願っています。

「テラ小屋」では、私が知識を振り絞って、面白く医学を学べるように工夫しております。契約ご本人様には無料でご招待しておりますので、お気軽にご参加ください。ご家族や秘書の方なども優待しておりますんどえお問い合わせください。

 

2014年5月 吉日  寺下 謙三
 

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我が事務所の使命 2014/4主侍医通信より

2014年04月07日

 寒暖を繰り返しながらも、ようやく春の兆しを感じられるようになり、あっという間に桜が咲きましたが、みなさん体調はいかがでしょうか?インフルエンザの流行のピークも過ぎましたが、嫌な花粉の時期の到来でもあります。今年の花粉の飛散量は少ない感じですが、予防的服薬をしておいた方が楽だと思います。また、花粉症のみなさんにとっての朗報があります。もう既にご存知だと思いますが、今年6月から花粉症の根本的治療である服薬による減感作療法が保険認可される予定です。3年がかりの治療ですが、根本的治療で7割から9割の人に効果があるようです。耳鼻科やアレルギー内科で行なわれると思います。勿論、自費診療でも可能になりますので、一般のクリニックに通院する時間捻出が困難な方は、私どもの付属クリニックでも行なえるように準備する予定です。ご相談ください。

 前回の通信でもお知らせいたしましたが、この春から事務所の体制が少しずつ変化していきます。「素晴らしい日本の医療の不足部分を補完して少しでも患者さんの満足度が向上して頂けることが我が事務所の使命」という事務所の任務の原点を意識しながら、私自身のライフワークの整理をしていきたいと考えています。最後まで自分の信念を曲げずに、荒波にも折れずに行動をしていきたいと考えています。

 契約者の方の利便性に配慮して、試みとして一部保険診療を併用しましたが、私の見切りの判断が甘く、7年間も続けることになり、保険診療を長らくご利用いただいていた契約者の皆様には返ってご不便をかけることとなりました。保険診療もご利用いただいていた契約者の方がたに今後の対策を相談し、より安心できる体制をご納得いただきました。それどころか「その方がいいよ」「あなたのやること信用しているからお任せします」「他のクリニックやドクターでは出来ない相談役をお願いしているのだから」「出来るお手伝いはしますから、頑張って下さい」など有難い激励のお言葉で元気を頂きました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 私どもの事務所は「利便性」や「特別扱い」の提供が売り物ではなく「徹底した正統派の総合的医療相談」と「より適切な専門医の紹介などを含めた具体的な医療決断の支援」による「医療分野の監督役」の提供がメインの売り物であると改めて自戒しております。そのため、大学病院や同クラスの総合病院のドクターにも治療方針で介入するという医師の世界の常識ではありえないことも行なっています。皆さん方からすれば「当然のこと」と感じられるでしょうが、隠れた努力と時には犠牲も必要であることをご理解いただけると、やりがいも一層湧いてきます。

 「教養としての医学塾」も4月中旬よりの開塾です。契約者ご本人は無料にて受講できます。会社のスタッフやご家族のみなさんにも受講をお勧めいただければ嬉しく思います。

 事務所スタッフの移動のお知らせですが、看護師の菊地、非常勤の田代ドクター矢澤ドクターが慶応大学の人事の都合により3月末で退任となりました。入れ替わって、保健師、看護師の森田理恵、東大心療内科所属の堀江武ドクターが、新しいスタッフとしてただ今、みなさま方全員のカルテをつぶさに拝見しまとめあげながらの研修中です。より手厚い体制のための準備が整いましたら順次ご案内して参ります。

 また、順天堂の天野心臓外科医の師でもあり、日本の心臓外科の父とも言える「外山雅章先生」も、主侍医業務の必要性を感じ、独自のプライベイトドクター契約を進められていますが、双方の内容充実のために協力し合うことを約束して、今後の具体的な方法を協議することになりました。

2014年 4月 吉日 寺下 謙三

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医療の総監督を目指して 2014/1主侍医通信より

2014年02月17日

新年おめでとうございます。

と言っても、年が明けて1ヶ月が経とうとしています。ご挨拶が遅くなりました。

昨年暮れの主侍医通信と年賀状にて今年の意気込みをお話しましたが、主侍医業務のバージョンアップのための下準備を進めております。

主軸は「現行主侍医倶楽部は寺下医師顧問契約者ということを再認識し、皆様方の受ける医療の総監督として現場の指揮を執る」という私の役割をより強固に打ち出すための仕組みの再整備だと考えております。部分的にはご不便をかけるところもあるかとは思いますが、総合的には、当事務所でしかできないことをより充実したいと考えております。具体的な業務の改善点や変更点について、今考えている事をお話します。

まず、契約者の皆様の利便性を考えて2006年より一部採用しておりました保険診療部分を廃止し、元来のように自由診療と医学事務所の相談助言を中心とした医療の総合監督役に徹底する方針を固めました。保険を使っての処方箋の発行や簡単な血液検査を付属のクリニックで行なう利便性よりも、本来の相談助言業務に集中できる体制を整えるほうが皆様により貢献できると考えたからです。他の医療機関では出来ない事を補ってこそ、「素晴らしい日本の医療保険の不足部分を補完する事が我が事務所の使命」に値するとの原点に回帰します。

保険診療を廃止しても、自由診療のクリニックは維持しますので、薬の処方や血液検査は、保険適用にとらわれずに自由な判断で行なう事ができます。契約者の皆様には他のクリニックでは得られない利点があると考えております。定期的にお薬を処方している契約者の方には、ご不便をおかけすることもありますが、いくつかのメリットも同時に発生します。例えば糖尿病や高血圧、脂質異常症などそれぞれの専門家に今後診て頂く事により、より専門性の高い眼で診て頂くことになり、かつ今まで通り私が定期的に監督役としてフォローさせて頂く訳ですからダブルの眼でチェックできる事になります。多少不便ですが、質が上がるとご理解いただけると嬉しく思います。

既に治療担当かかりつけ医と私との2重体制で診させて頂いている契約者の方も多い状況で、当院で保険診療をしていたことにお気づきでない契約者の方もいらっしゃるくらいです。我々の仕事が野球やサッカーの監督役だとお話していますが、優秀な技術を持つ選手と全体のマネージをする監督とを明確に分けることにより質が向上するのは医療も同じです。

また主侍医契約者ご本人に限らせて頂きますが、生活習慣病などある程度決まった薬であれば、期間にとらわれず処方できますので、その方が便利だとお考えの方には当院での処方も可能です。契約者ご本人の場合、薬局で発生する処方料がなくなり、クリニックでの診察料、処方料を頂かない予定ですので、トータルでは以前と同等か薬の種類により廉価になることもあります。今後の処方などにつきましては個別にご相談ください。

7、8年前より、教え子の若いドクターたちの協力を得て、一部の契約者の方の定期的な診療やご相談に対応させて頂いて参りましたが、石澤ドクター、笹部ドクターなど数年この業務を続けることにより、皆様の信頼を得られるまでに育ってくるのですが、やはりメインに所属する医局の人事を中心に動かざるをえなく、これからという時に交代になりご迷惑をおかけしています。今回も、田代ドクター、矢澤ドクターともに4月からの医局人事での移動が決まり交代となります。後任の若いドクターも考えてはいますが、これを機会に契約者の皆様には私が定期的なフォローも直接させていただきたく考えています。また、夜間休日ドクターホットラインで登場させて頂いております、愚息の勇祐ドクターも5年目の研修となり、まだまだ修業を重ねないとなりませんが、実地医療の現場では私よりも活躍できるような部分も徐々に増えてきました。比較的急いで専門医の診察が必要な事態の場合は勇祐ドクターが勤務する病院の専門医にご紹介し、その診療のサポートを勇祐ドクターが担当し、定期的な面談診療や、あらかじめ時間をお約束しじっくりと医療判断の相談助言をする部分は私が直接担当するという(まだまだ未成熟ですが)「父子鷹」体制を基本にスタッフが一丸となってサポートする決意を新たにしています。非常勤の若いドクターには「医療判断医」の研修という形を明確にして参加して頂く事になります。

上記の事も踏まえ「夜間休日ドクターホッとライン」も見直していく予定です。契約者の方から「やはりいつも顔見知りのドクターやスタッフと連絡が取れてこそ安心」という意見もいただいています。1秒を争う救急事態には救急車による救急病院での診療を最優先にして、その後の方針をじっくり相談していく事が我々の役割と考えています。そういう考えでいけば、24時間必ず電話を取れる体制を厳密かつ神経質にキープするよりも、皆さん方の情報を把握しているスタッフとおおむねいつでも連絡がとれるというくらいの体制を常にしいておくことの方が実際には有用かと考えています。一部のホッとライン契約者の方々ともご相談していますが、その方が有難いとの声が圧倒的です。こちらはしばらくお時間を頂きながら前向きに検討をして参ります。

30年間非常勤で勤務していました山王病院を3月末で辞める事になりました。山王病院の創始者の経営時代は週に3日も勤務し、胃のファイバースコープ(なんと2000例も行ないました)やエコー検査なども担当し、今でいう総合医を務め、最近では心療内科の専門外来を担当していました。最も高い予約料を頂いていましたが、予約が取れない心療内科とお叱り(お褒め?)のお言葉を頂いていました。ただ、じっくりお話を伺う心療内科はきちんとやればやるほど採算が取れない部門で、診療時間が延びては、いつも多くのスタッフの残業を強いることになり経営にたいへんご迷惑をおかけしていることは自覚しておりました。他科のドクターからは「メンタルで困った時のテラさん頼み」として重宝いただいておりましたが、山王病院での閉診に伴い、多くの患者さんからは、自由診療で構わないから飯田橋オフィスで診療を継続して欲しいとのご希望を頂き、有難くお受けすることにしています。その方々も含めて、自由診療のメリットを最大限にいかせる診療体制の構築を考えております。

今年は事務所設立30周年になりますが、設立当初は、新しい医療の仕組みの研究に取り組み、今でいう「電子カルテ」や「医師間の相互相談システム」などの研究開発を行っていました。最先端の医療情報システムの構築を探求していくうちに、「安心して良質な医療を受けるためには、侍医(監督)のようなプライベイトドクターを持つ事と、正しい医学的知識を持つ事」であるという現在まで続いている事務所の行動理念が成熟してきました。その理念の実践として「主侍医システム」があり、「教養のための健康医学塾」がありました。後者は折に触れ、期間限定で行なってきましたが、今回は4月を目指した復活開校の準備に入りました。1クラス20名までのテラ小屋的運営で、塾長として私が基本講座を受け持ちますが、現役の東大医学部の学生にも登場してもらいます。家庭の健康の担い手である主婦の方や、企業の役員の秘書の方や人事の方、教養として医学を学びたい方など幅広く参加できるプログラムを考えています。皆様の秘書業務をされている方にも是非入塾いただければと願っています。

今年の具体的な抱負を述べることにより、新年のご挨拶に代えさせて頂きます。

2014年 1月 吉日 寺下謙三  

 

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スモールメリット 2013/8主侍医通信より

2013年08月15日
 「意外に読んで頂いているんだ!」
 この主侍医通信を1,2ヶ月毎にお届けしていますが、この手のものはあまり読まれないものだとはじめは諦観していましたが、実際は、メンバーの方から内容の感想をいただくことが多いことに嬉しくも驚いています。飯田橋オフィスにも掲示したり、ホームページにも少し遅れて掲載していますが、こちらもご覧頂くことが少なくないようです。
となると書く側の私たちにも力が入るもので、気を引き締めているところです。
 
 前回の通信から今回までの間に、私も無事還暦を迎えました。一回りの意味の還暦に際して、ここ数回の主侍医通信では「新しい世代の主侍医チーム」や「主侍医サービスの新しい形」「現行主侍医倶楽部の募集中断」などの話題を中心にお話をしていたこともあり、友人としてのお付き合いもあるメンバーの方々から「60歳はまだまだ、はなたれ小僧」「70歳でようやく少し分かってくるものだから、まだ10年は陣頭指揮を取ってもらわないと」「いやいや80歳まではお互い元気にゴルフを楽しめるようによろしくね!」などと檄を飛ばされているところです。
 還暦に際して、各種友人から励ましの行事をして頂き、今後の活動を考えているところですが、常に社会や周囲の方々と共に歩んでいかないと気が済まない自分の性格から考えても、どこかで隠遁生活はありえないなあと再認識はしています。来年は事務所開設30周年、主侍医倶楽部発足24年目となります。今までの経験と実績を材料に、プロトタイプバージョンの「主侍医倶楽部」から、普及バージョンの「ドクターサービス」へと進化させていきたいと熱望しています。
 私が敬愛するメンバーのお一人でもある桐山氏から頂いた言葉の中に「スモールメリット」という有難い言葉があります。現在の世の中に特に必要な言葉だと思っています。私たちの仕事もまさにそうです。大量生産は出来ないし、やってはならないものです。ただ、主侍医倶楽部の現況は、工房で作られた理想型の未来カーのようなもので、まだまだ市販には耐えられないものではないかと日々自問しています。桐山氏の「スモールメリット」の本来の意味するところまで達していいないのだということに思い至りました。
 多くの医者仲間や先輩後輩たちから、今までの活動内容に関して「希有な専門医人脈」「専門にとらわれない幅広い医療分野についてのコンサルトの困難さへの挑戦」などと高い評価を頂いていることはありがたいことですが、彼ら自身はとても出来ないというよりは、そんな労多くして功少ないことはやらない方が懸命との敬遠の気持ちもあることは薄々気がついているところです。
主侍医を説明するために、「オーケストラの指揮者」「ゲートキーパー」「ボディガード」「総合医」などと例えることが多いのですが、最も分かりやすい例えは「監督」だとの結論に至っています。野球やサッカーでは監督がいなくても試合は出来ますが、監督がいるとその試合内容は格段に向上します。プロの世界では監督次第でチームの力が左右されると言っても過言ではありません。
 医療の世界でも同様に、監督(主侍医)がいなくても充分な医療は受けることが出来ますが、監督がいることにより、その品質は飛躍的に向上します。ただこれも野球やサッカーと同じように100%勝つという訳ではなく、勝率が上がるということです。我々主侍医はその勝率の上昇が腕の見せ所になる訳です。
この監督ドクターのことを「Terraプライベイトドクター」と名付けて、世に広めていこうと考えています。東大医学部OBのベテランドクターに順次依頼し、一人のドクターが数十名のクライアントを担当する「ワンドクター少人数シェアリング」のユニットを基本に、ユニット毎の担当ドクターが連携して、幅広い相談対応力と専門医人脈力を強固にしていくシステムを考えています。事務局は今までの経験を活かしエージェントに徹します。そして事務局直営のモデルバージョンに「主侍医倶楽部」が位置づけられます。
具体的なことは次回のこの場でご説明したいと思っています。
 『真っ当な医師を応援することにより患者を支援する』という理念のもと「良好な患者医師関係」をプロデュースし、医療満足度を向上させ、医療訴訟ゼロを目指すことが我々事務所の願いです。
2013年8月 吉日 寺下謙三
 

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東大教授汚職事件に思う 2013/7

2013年07月26日

今日の新聞やテレビのトップニュースに現職の東大教授の汚職事件(横領?)が取り上げられていた。
国民のみなさまも、「またか!」とお偉い人の汚職に対して、さほど驚かなくなったのではないだろうか?
事件自体も嘆かわしいし、驚かない国民にもなんだか物悲しい感じがする。

僕の今年の年賀状やこのブログなどでも、今後「幸福論思想家」を目指すと、豪語したのだが、思想家は実社会の現場を離れてこそ自由にものが言えるし、言った事に自己の損得と関係ないことが明白な立場にいることが説得力に於いても大切だと思っている。しかし、僕の「医療分野の監督相談役」としての主侍医稼業はそう簡単には終了宣言できない。だったら、今の務めを行ないながら、言える範囲だけでも言いたい事を発信していくこともありかと思っている。

今回の事件は、単に悪い人間がたまたま大学教授になったのではなく、構造的問題が今の大学内には蔓延ってきていることがそもそもの根本的問題だと僕は思っている。僕が大学にいたころも悪徳教授はしっかりいたし、それにごまをする悪徳な取り巻きもいた。しかし、周囲にいながらも真っ当なアカデミックな人々は、そのことを認識していたし、自分はあのようにはなりたくないと思っていたはずだ。

しかし、現在の大学はどうだろうか?「国家の繁栄は経済の発展があってのもの」という名の下に、大学のアカデミズムは消えようとしている。大学内でさえ、ほとんど全ての活動が経済的価値の指標で測られる。日本においては、東京大学はアカデミズムの中枢であるべきだと言っても、異論を唱える人は少ないだろう。少なくとも日本を代表するアカデミズムの殿堂である東京大学の中を見る限り、営利企業があまりにも関与しすぎているように僕には思える場面が多い。医学部にしてもそうだ。東大病院も独立採算であるべきだという真っ当そうな批判のもとに、売り上げを意識した病院運営を余儀なくされている。運営側の責任者もそれをよしとしたのか、売り上げ(だけでなく経営という視点を重視するということだが)向上に悪戦苦闘した。それを成し遂げた人にそれなりの賞讃が与えられた。

しかし、僕にはなにか違和感を感じざるを得なかった。日本を代表する病院の一つとして東大病院を考えるなら、独立採算を最重要視するのは得策だろうか?しかも、どのような技術料も同等に評価する国民皆保険制度のもとに於いてである。それを成し遂げたとしたら、その経営陣は大学の中枢においておくよりも、どこか大企業の社長になった方が向いているくらいの人材ではないだろうか?
すぐには採算が取れないが、未来の重要な技術になる可能性を研究したり、また永遠に採算など取れないだろうが、人類の未来に何らかの貢献をするかもしれないことや、ただ人間にとって興味のあるだけの事などを、損得抜きで研究するのが大学の、少なくとも国家の中枢的存在であるような大学の役割ではないだろうか。そして、その研究をしたり教育したりすることに一生を捧げたいと思うような人が大学に残って研究する学者になっていくのが真っ当なのではないだろうか?国家としては、そんな研究をする大学を全面的に支援し、報酬はさして多くはないが名誉と自分の知識探求欲を満たして満足するのが大学者であり、それ故に尊敬もされたのである。


ところが、現状の大学者をみてみると、少なからぬ人たちがお金に大きく関与している。新しい発見をしてベンチャーする事に(のみ)生きがいを見いだしている人がごまんといる。そして、本日報道された汚職教授のように、お金と結びつく研究をしている人を羨ましく思い、自分もそれを目指してしまう。最近では、企業と組まない大学研究者は稼ぎが悪いと肩身が狭い。医学や工学系ではそれが顕著で、文学部などはそれこそ大学学部のマイナーな重荷になりつつある。もともと文学部などはオリンピックで言えば、マラソンに例えられる花形である(と僕は思っている)。オリンピックが、ゴルフやテニスや野球が中心になったらもはやオリンピックという「人間の肉体の極限を競う」という趣旨から外れて「いかに観客を集めスポンサーを集めるか」という興行的なものに陥ってしまう。それなら「ワールドカップ」や「全米オープン」などと同じになってしまうし、その傾向もちらほらでてきたのではないだろうか?ただ4年に1回しかないという特徴があるから貴重だとなってしまうだけであろう。
大学も同じである。実践利用されてなんぼのものと競うだけでは、企業内研究室と変わりはない。100M走の0.01秒なんてどうでもいいような事を競ってこそオリンピックなのである。少し前「(大型コンピュータの性能が)どうして1番でなくてはならないの?」ととぼけた(と僕には思えた)質問をした政治家を評価した風潮があったが、それでも一番を目指すところが大学の研究である。企業なら当然「歩留まり」のほうが大切であることは誰でもわかる。このように、企業家からみてくだらないと思えるような事を、綿密に飽きもせずに続ける事が出来るのが大学者の本来像ではないだろうか?

特殊で過激な意見を述べたように思われるかもしれないが、その底辺に流れる思想は、普通の当たり前の事ではないかと思っている。今後、「幸福論思想家」の端くれとしては、「ほとんどの社会活動には、幸福論的グランドデザインが大切でではないだろうか?」と思っている。
東京理科大の理念に「科学は良心に向かう」という言葉をみたが、まったくその通りだと思う。核爆弾は科学の成果ではないという事である。
ながなが書いたが、本日の汚職教授のような人が現場では歓迎され、大学内でも評価されているのが現状で,氷山の一角のような事件だと思えるということである。もっというなら、犯罪かどうか以前の問題で、すべて目に見える目先的経済的効果のみで判断する大学研究の傾向に警鐘を与えた事件となれば幸いである。

テレビをみればAKB、大学をみればベンチャー起業、少し頭が良ければインベストバンクで大稼ぎ、大企業の役員報酬は億単位が当たり前、本屋の店頭では「年収**万円で億を稼ぐ方法」などの本、なんだか金儲けを制したものが世の中を制した気持ちになってしまう世の中、これって面白いでしょうか?夏目漱石も芥川龍之介も決して大金持ちではなかったのにあこがれたなあと嘆く僕は変でしょうか?
稼ごうとする気持ちを批判はしていない。むしろ良いことだと思っている。しかし、「量は質を変えてしまう」と僕は思っている。行き過ぎた世の中を変えていける若者の活躍を期待したい。面白い世の中建設のために。(2013/7/26)

 

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大切な人の笑顔が見たい 2013/1主侍医通信より

2013年01月22日

 2013年の新しい年を迎えましてみなさまのご健勝をお慶び申し上げます。一方、常に病気のお話をみなさまからお聞きする私の身としましては、昨年末に急逝されました方に対する哀悼の思いも共に抱き複雑な気分で新年を迎えました。

 年末の主侍医通信や年賀状でも綴りましたが、今年は自分自身が還暦を迎えることもあり、今までの大きな区切りとするべく思いを巡らせております。おおよそ中学生から大学生までの同窓会の世話人や大学ではゴルフ同好会の常任幹事まで引き受けています。友人からの健康相談は、駆け込み寺の寺下と異名を取っています。

 よくよく考えてみると、私は「大切な人の笑顔が見たい」という本質を持っていることに気付きました。ところが医師という職業は、基本的には具合が悪いときに人と会うことになるので、笑顔どころか厳しい顔に遭遇することが常です。だから、「生まれ変わったら医師や弁護士や坊主ではなく芸術家やシェフや職人や漫画家など人が楽しみ喜ぶことを提供するのがメインの仕事に就きたい」とつい思ってしまうのだなと自分のことを理解しました。「生まれ変わったら医師にはならない」と毅然と言うとたいていの友人は驚くのですが、この理由を話すと納得してくれます。

 そんな医療の中でも、笑顔のでる医療の仕組みづくりを研究し実践したいという思いに賛同いただいたメンバーに支援者となって頂き、その恩義に答えるべく可能な限り渾身の力で医療の全般的な相談に対応させて頂くのが主侍医倶楽部誕生のきっかけでした。「いくらいくらで、これだけのサービス」といった発想ではありませんでした。(それがビジネスモデルとしてうまくいかなかった理由のひとつでもあるのでしょうが)

 その後、夜間休日ホッとラインなどを整備し、「医療の相談助言事業」という立ち位置を確立するべく、日々契約形態なども更新し現在の「主侍医倶楽部」の運営に至っております。まだまだビジネスモデルと呼ぶにはほど遠い形態ですし、このままの形態では私の代わりを出来る主侍医団長の育成はほぼ不可能と判断しました。メンバーの方からも「それは無理でしょう。元気なうちは先生ご自身が努めないとだめでしょう。あと10年、いや15年は出来る。」とぴしっと言われもしました。有難いお言葉で、その通りだと思いますが、元気なうちに継続性のある仕組みを作らないと、せっかく作った土台が霧と消える可能性があります。

 ここ数年迷いましたが、本年3月を持って現行主侍医倶楽部の新規募集を終了し、「常時サポート」系から「一時的サポート」系と「定期的サポート」系の主侍医サービスをより多くの仲間の方に提供できる仕組みを整えていこうと決意しました。若手のドクターのみならず、ベテランのドクターにも活躍して頂ける場を作ろうと考えています。良きにつけ悪しきにつけ、今までの主侍医の経験値は相当積み上がっています。

 主侍医倶楽部のみなさまには、更に充実して安定した安心を提供できるように、ご家族の方のサポートや時間外対応の仕組みや、またメンバーが経営されている会社の社員や顧客の方々へのサポートの提案などを差し上げて、満足度安心度の高い主侍医サービスとなるよう努めたいと思っています。古くからのメンバーの方から順次お声をおかけしますが、この機会にご家族や友人、社員のみなさまにも主侍医の安心をとお考えの方はご相談下さい。また3月末までは現行主侍医倶楽部の募集は続けますので、こちらもよろしくお願いします。「区切りをつけなければ前に進めない」というマリナーズを辞めた時のイチローの言葉に共感しました。

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主侍医魂 2012/11&12主侍医通信より

2012年12月07日

 秋の気配を楽しむ間もなく、冬が到来した感がありますが、季節の変化にお体は大丈夫でしょうか?充分な予防対策をお願いいたします。

 今回は11月と12月の合併号として今年最後の通信となります。振り返りますと、私にとって今年は本当に悲喜こもごもの出来事がありました。そんな中で、みなさまにもご報告しなければなりませんことですが、最も悲しい出来事がありました。主侍医倶楽部設立当時から、陰日向となって応援下さり個人的にも親しくさせて頂いていた方が、他界されたことです。(ご遺族のご希望でお名前は伏せさせて頂きます)いつも明るい笑顔で接して頂き、主侍医倶楽部のことも心配して頂き、最も多くの方をご紹介いただきました。「主侍医」のことを心から信頼し応援してくださっていたからだと思っています。しかし、懸命の努力にもかかわらず、9月にご逝去されました。我々主侍医の力が及ばなかったことが悔しくて、後になると「こうすればよかったのではなかったか?」と自問自答して眠れない日々が続きました。でも、その方は余命が厳しいと言われていた闘病中も「寺下さん、主侍医倶楽部もメンバーの若返りをして増やさないと運営が苦しいでしょう」と、こちらが心苦しくなるような優しい言葉をかけてくださいました。ゴルフが大好きで、「先生が幹事の東大のゴルフコンペで、昨年のようにお役に立てることがあったら遠慮なく言って下さいね」とも闘病中で苦しい中、笑顔で声をかけていただきました。思い出は数えきれません。「好きで敬愛できる方の主侍医を努めさせて頂く」ことが主侍医倶楽部発足の原点です。それを忘れてはいけないことを最後まで教えて頂きました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 そのようなこともあり、最近、この場でも主侍医倶楽部の継続性に向けてのお話をさせていただいています。医師生活35年、主侍医稼業23年目となり、回顧、反省、継続性の模索、後輩の育成、余生の過ごし方、、と連鎖する思いが日々頭の中を駆け巡っています。

 いつも言っていますが、主侍医倶楽部は、日本の高度な医療を補完するものだと思っています。日本の医療は、何が高度かというと「ほとんど誰でもどの医師にもかかれるフリーアクセス」「圧倒的なコストパフォーマンス」「今やサービス精神に溢れた病院やクリニック」「先進医療の選択肢も増えたこと」など他の先進諸国の追随を許さない優位性があると真っ当な医療関係者は自負して当然だと思っています。ここで「真っ当な」という理由は、残念ながら、魂を売った商売に走ったり、権力闘争に重点を置く医師もいるからです。開業医であろうが勤務医であろうがその魂を売る確率は同じようなものです。

 そんな中、私どもは今までの経験を活かし、また誠実で優秀な医師たちとの交流を最大限活用し、主侍医倶楽部をご支援下さる皆様がよりよい医療を受けられることを補佐するために日々努力しています。

 みなさまにお願いがあります。医療において、最大の貴重な資源はやはり「医師そのもの」だと思います。「高度医療機器」でもなく「新薬」でもありません。そしてその「医師そのもの」は、壊れやすく、再生産が難しく、目に見えた有難さが薄いものです。ある経済界の成功者から「どれだけ最新の医療機器が揃っているかが肝心で、その機器から答えが出るのだから、医師によって差が出るとはどういう意味ですか?」といぶかしげにしかも真剣に質問され、腰を抜かすくらい驚いたことがあります。

 我々は、「医師そのもの」を医療における最大の貴重な資産だと考えています。真っ当で腕のたつ医師ほど、信念を持っていて、お金などでは簡単に動きません。私の医師(だけではないのですが)人脈の広さは希有だと医師仲間からもお褒め頂くのは、それぞれの医師(または友人)と真剣で誠実で楽しいお付き合いを積み重ねてきた所以だと思っています。この人脈は、資産家の方々が、努力して得られたさまざまな金融資産にも負けない資産だと思っています。だからといって、その医師たちが、全て皆様方の健康上の困難を解決できるとは限りません。他の分野に比べて医療の不確実性は圧倒的に高く、私自身もしばしば忸怩たる思いをします。完全なる成果と安心を与えたいといつも思っていますが、それは永遠のテーマです。

 名門ゴルフクラブでは、ゴルフ場の命とも言えるグリーンを一所懸命手入れし、また会員はそのグリーンを丁重に扱い自分が付けた傷のみならず、他人がつけたものまで修復する習慣があります。とてもいいことだと思っています。主侍医倶楽部において、スタッフ医師もご紹介する医師もせめて名門ゴルフクラブの「グリーン」のように考えて頂ければ有難く思います。勿論、我々はその「グリーン」をいつも良質にキープする努力は怠りませんが、ご利用のみなさまにもご協力いただかなければ達成できないことです。

 医療の広大な分野での総合的な相談にお応えし、それぞれの分野の専門医と連携を保ち続けるためには、日々新しい医療の情報を浅くとはいえ、プロとして耐えうるレベルで内容を把握し、専門医たちとの活きた交流を保ち続けることは相当なエネルギーが必要です。後輩の育成も困難の極みです。

 前回もお話しましたが、「ビジネスモデルとしての主侍医倶楽部」は不完全のまま終焉をむかえそうですが、今までの経験と知恵と人脈を活用して、現実問題としての継続性を考え今後の事務所活動の設計の立て直しを考えています。

 一つは「良質なセカンドオピニオンを支援するサービス(Second Opinion Support)センターの設立」です。もうひとつは人間ドック時に発見された重病に特化した「オンデマンド主侍医」です。今までの主侍医倶楽部を「継続的サポート」とすれば、前者は「一時的サポート」後者は「定期的サポート」と言えます。

 主侍医の主要なコンセプトの「健康な時から」「どんなことでもいつでも相談」がクライアント側にとっては「何もないのにお金を払い続ける」困難であり、前述のように「なんでも相談にのる」ことは提供側の困難で、それらがビジネスモデルの成立を困難にしていたことを認めざるを得ません。

 現行主侍医倶楽部では、最低限の費用で「侍医」を持つことを提供しようと考えてきましたが、中途半端であったかもしれないと反省しています。「困った時だけ困ったポイントに絞りサポート」「困った時だけ徹底的にサポート」「定期的なサポート」という仕組みの方がビジネスモデルとして成立しやすく結果として多くの方々に貢献できると考えました。ビジネスモデルといっても、医療は、「まともにやれば大稼ぎできる」世界ではありません。「武士は喰わねど高楊枝」的運営から質実剛健運営くらいが目指すところだと思っています。

 上述のように、多くのみなさんに提供できるような「困ったときのサポート」を主軸にする一方、現行主侍医倶楽部の新規募集は停止しますが、現メンバーのみなさまには今まで以上のサポートが出来るように努力いたします。

 新機軸として、主侍医サービスの理想ドリーム型として「The主侍医倶楽部」の設計を考えています。これは今後の方向性と逆行するのですが、皇族の侍医に対抗できるような文字通り夢のような仕組みを考えています。

 「The主侍医倶楽部」は、富裕層ビジネスと言われるのを嫌う私にとって、一気にそれを超越した趣味的なものと考えています。面白いからその趣味に付き合おうという数十名の方が集まればやってみようというアーティストやプロデューサー的夢でもあります。

以上のような構想が、現実的なかつ迫り来る還暦の夢想でもあります。

長年にわたり、主侍医倶楽部の価値をご理解いただいているメンバーの皆様方にこそ言える「愚痴」と「抱負」をお聞きいただきありがとうございます。

来年も、みなさまにとって幸せな年となることをお祈りしております。

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大学同窓会旅行にて 2012/10主侍医通信より

2012年10月31日

 残暑が厳しいと言っているうちに、肌寒い季節となってしまったようですが、皆様体調はいかがでしょうか。早くもインフルエンザの予防接種の時期も近づいて参りました。年に1度の人間ドックの解説とインフルエンザワクチン接種が皆様とお話しする貴重な機会であります。是非、この機会に日頃気になっていることなどご相談いただければと思っています。

 10月末の週末に「鉄門旅行」と呼ばれる、東大医学部の学生とOBの旅行に行ってきました。各大学の医学部には、愛称みたいなものがあり、東大医学部は「鉄門」、京大医学部は「芝蘭(しらん)会」、慶応大学医学部は「三四会」などと呼ばれます。私が鉄門会の理事を拝命して十数年経ちますが、この鉄門旅行には初めての参加でした。今回は群馬水上温泉への一泊旅行です。学生130名、教職員、OBが40名を超える今までで最大の参加数ということです。特に医学部在校生400名中の130名は結構な数です。OBは深夜、明け方まで学生たちと討論するのが習わしと聞いておりました。実際、会場のあちこちで、OBの周りを数名の学生たちが取り囲み真剣な笑顔で会話が弾んでいます。私も学生たちとの会話に熱中し、はっと気がついたら夜中の3時です。会場を見渡すと、さすがにOB連中の姿はまばらで、私も学生たちにおやすみを告げたのです。多士済々のOBたち、優秀な学生たちとの話はとても面白く、彼らがリーダーシップをとれば、今後の日本の医療も大丈夫と確信しました。また「京都大学に負けずに、ノーベル賞クラスの研究と言われることに満足せず、本物のノーベル賞を取ろう」と盛り上がりました。

 同窓会理事としてのご挨拶の機会があり「臨床医学と基礎医学とともに医療の仕組みづくりを考え実践する社会医学がもうひとつの柱としてある。高度な医療や研究レベルの割には日本の国民の医療への満足度が低い。私ども医学事務所では患者医師関係を中心とした医療の仕組みの研究実践を行なっているので、若い人たちにも是非そういった志を持って欲しい」と話しました。学生にはまだピンとこないだろうと思っていたら、さすが東大の学生(と自画自賛気味ですが)、数人の学生が熱心に話を聞きにきました。そして天皇陛下の心臓手術の主治医として有名な小野教授も「すごく大事な仕事だ」と共感してくれ、その後、深夜の2時頃まで、学生たちも交えながら、医療のこれからについて熱く話し合いました。

 難事にチャレンジし、くじけそうになる昨今、魂を鼓舞させて頂いた一夜となりました。睡眠不足になりましたが、一夜明けた昨夜は、10年ぶりに一度も目が覚めずにぐっすりと眠りました。たまの睡眠不足もいいものだと紺屋の白袴的に思ってしまいました。

 医療の広大な分野での総合的な相談にお応えし、それぞれの分野の専門医と連携を保ち続けるためには、日々新しい医療の情報を表面的とはいえ、プロとして耐えうるレベルで内容を把握し、専門医たちとの活きた交流を保ち続けることは相当なエネルギーが必要です。東大の学生たちも「そんなに広い分野の知識を持ち続けるのは大変すぎる」と驚いていました。

 しかも、医療ほど不確実なものはありません。反面、医療ほど確実な結果が欲しいと誰もが望む分野もありません。皆様の笑顔をみることは我々のエネルギーの最大の源ですが、必ずしも結果がすべて上手くいくとは限りません。少しでも上手くいく確率を上げることが我々の任務ですが、「100%の成功」は永遠の目標となります。でも「100%の納得」はあり得ると思っています。

 私のこういった理念や活動を声援して頂いているのがメンバーの皆様だと思っています。そのお返しとして、こういった活動のもとに養えた判断力や知恵と人脈をフル動員して、皆様の健康管理のお役に立ちたいと考えています。決して皆様を単なるお客様だとは思っておりません。どうかその辺をご理解いただければ嬉しく思います。

 ただ、今後の活動におきましては、ビジネスモデルを磨き上げて、堂々とお客様向けのシステムを構築したいとは考えています。

 主侍医倶楽部のビジネスモデルが成立する最低限のメンバー数は100名だと当初考えました。しかし、私の経営/営業能力の低さから、その半ばを超えない状況が続く中、スタッフや仲間のドクターの熱意や友情に支えられて、良質で高度な主侍医サービスを維持すべく懸命の努力をしています。

 皆様への、再度のお願いでもあり、最後のお願いでもありますが、現行の主侍医倶楽部の安定運営のビジネスモデルの実現のためには、長年、主侍医倶楽部の価値をご理解いただいているメンバーの皆様からのご紹介が一番だとお願いをする次第です。

 東大の同窓たちをみても、世代交代が進んでいます。私が築いてきた人脈や経験を進化させるためにも、私が元気なうちに楽屋裏に回ることが急務と考えました。今年度中に、現行の主侍医倶楽部の最終募集を行ない、多少とも余裕のある運営が出来るようになれば、若い主侍医チームだけで構成される「新主侍医倶楽部」の活動を開始したいと思っています。主侍医倶楽部の永続性を考え、しかもより多くの人にご利用できるように、主侍医サービスの項目を自由に組み合わせ各人のニーズに合った主侍医が持てるように工夫していくつもりです。

引き続きご声援願います。

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グランド哲学として「幸福論」2012/9主侍医通信より

2012年09月30日

 最近の私は、この主侍医通信やブログ、セミナー、友人たち、家族たちとの会話の中で「幸福論」を持ち出すことが多くなっています。自分の歳のせいもあると思います。来年の還暦を控え、なにか今までのまとめでもあり、新たな活動でもあってもいいから自ら納得のいく社会への発信型の活動をしていきたいと考えるようになったからだと思います。

 そのキーワードが「幸福、幸せ、仕合わせ」です。私見ですが、全ての人類の活動の歴史は「幸福探し」だと考えております。当然、人々によって、幸福の定義が異なりますから、様々な活動が生まれ伝承し、改革、改造、改善、時には改悪が重ねられていきます。その結果、複雑な文化が生まれ形成され、文明はいわゆる発達を遂げていきます。

 話を簡単に、かつ具体的にしたいと思います。私どもの医学医療の世界では「痛みや苦しみもなく長生き出来れば幸せになる」という大前提があると思っています。政治の世界では「国民が豊かに安全な暮らしができれば幸せになる」というようなことが大前提でしょう。その他、いろいろな分野でもこういった大前提があると思っています。「美味しいものを食べれば幸せ」「便利なものがあれば幸せ」「お金が増えれば幸せ」「よい大学に受かり、よい企業に就職できれば幸せ」「金メダルを貰えば幸せ」、、、、、、、、、「一番になれば幸せ」「相手に勝てば幸せ」、、、、、となってくると矛盾も生じてきます。だから大昔の学者の、ベンサム、ミルの「最大多数の最大幸福」原理を思い出しますし、今でも通用する部分も多々あるかもしれません。フェイスブックや携帯電話のゲーム企業や過度なチェーン展開の食べ物屋やゴルフ場なども含めて、人生の意義に関するもの(食べること、遊ぶこと、人との繋がりや関係性)に、「最大多数の最大幸福」を実現しているのだ、と思い込んで過剰に膨れ上げようとすると、これはとんでもないことになるような気がするのは私だけでしょうか?

 このように「幸せと○○学」となると、いろいろな組み合わせがありますが、いろいろな分野でのグランド哲学として「幸福論」がこれからますます必要になると考えています。だからこそ利害関係の伴わない思想家が渇望されてくるのではという思いが、私のこれからの活動を考える際にも脳裏を、いや脳表を巡っている次第です。

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主侍医冥利と重圧 2012/7主侍医通信より

2012年08月02日

 主侍医の重圧にご理解を!

 
 主侍医倶楽部の継続性を考えて、若手の主侍医(医療判断医)の育成に日々努めています。しかし、オールマイティー的な医療判断医はとても大変な仕事です。我々、主侍医がいても治らない病気にもなりますし、全ての病気の判断が出来るわけではありません。生きるものにとって「生病老死」は避けられないものです。その「病老死」の確率を少しでも引き下げようと我々は懸命な努力をしておりますし、そのわずかな差異に対するプレミアを皆様方が評価して下さり、会費を納めて頂いているのだと思ってありがたく思っています。皆さん方が我々に期待する気持ちは十分に理解しておりますが、時には凄い重圧になります。多くの会員の皆様には我々の特殊な任務と重圧を十二分にご理解いただいていると感謝しております。
 
「なんでも相談に乗ってくれて、我々は助かるけれど、大変だね」
(医学の進歩に伴い、ほとんどの医師はごく狭い範囲しか守備範囲がないのが現状です。しかし専門医といって胸を張れる訳ですが)
 
「こんなことはお医者さんに頼むことではないけれど、誰に相談したらいいかわからなくて」(医療の範囲を超えたご相談にも出来うる限りお応えしようとは思っています)
 
「ほとんど翌日には相談の時間を取ってくれて助かるよ」(各曜日の担当のドクターの時間に余裕がある限り、なるべく翌日以降の近いところで予約をお取りできています)
 
「テレビや友人のいろいろな医療情報を聞くと迷って決断できないけれど、あなた方のようなプロに親身に時間をかけて相談できるチャンスはなかなか他にはなくとても貴重だ」(高級S病院やK大のメディカルクラブでも我々のような個別徹底した親身な相談は無理だと自負しております)
 
「大病院や大学病院の先生には気楽に聞けないので、つい主侍医に甘えてしまってごめんな」(気軽に聞ける、が最大のメリットと考えています。でも、我々にも出来ないことも少なからずあることをご理解下さい)
 
「いままでいろんな病気の危機を逃れられたのは本当にお陰さまだと思っているよ。しかも安心して快適にだから、今では主侍医が無い生活は考えられない」(そういって頂けると主侍医冥利に尽きます)
 
「主侍医倶楽部の会費って考えようによっちゃ、安いよね。経営者が鍵を握るような企業の社長は高級車以前に主侍医だね」(これは特に嬉しいお言葉です!我々の価値の評価にかかわることですから)
 
「夜間や休日のドクターホッとラインは他では全く考えられない貴重なサービスだね。ドクターと電話で繋がっていると思うだけで安心だ」
(これはオプション契約をされた方への提供ですが、是非、皆様にご利用いただきたい安心です)
 
「紹介してくれる専門医は腕もいいけれど人柄もいいねえ」
(私が30年以上手塩にかけて作ってきた人脈です。単に知っているだけとは違います。日頃の付き合いをきちんとしていてこそ無理なお願いにも快く対応して頂いています。この人脈はお金に換え難い財産ですし、時には壊れやすいものでもありますので、みなさまにもご理解いただければ)
 
「次世代の主侍医倶楽部を意識しているようだが、多くのメンバーは寺下さんとの直接の繋がりを期待しているのではないか?」
(これも有り難いお言葉です。しかし、主侍医(医療判断医)の業務は一朝一夕にはとても出来るものではなく、今から時間をかけて実践教育をしていくしかないと思っていますので、その辺の事情もお察し下さい。次世代主侍医では、今のままのプロトタイプ(理想型)の延長ではなく、現実型を考えています。)
 
 以上など、たくさんの励ましの言葉を頂いています。
皆様の暖かい言葉を胸に今後の活動を続けたいと思っていますので、引き続きご声援いただければと願っています。

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社会医の必要性 2012/3主侍医通信より

2012年03月30日
 あの恐怖におののいた日から1年が経ちました。「のど元過ぎれば熱さを忘れ」た日本人はそんなにはいないでしょうが、それぞれの温度差は結構あるように見えます。しかし、東京直下型地震も懸念され、こちら東京では一様に結構真剣に捉えているようです。問題は「どこまで対策をするのか、どんな覚悟をするべきなのか」ということではないでしょうか。
 
 思い出してみれば、大震災以前の日本は、それこそ「富の二極化が過剰に進む未曾有の不景気」と言われる状況でした。「人間の幸せは一体どこにあるのだろうか?」とあちらこちらで囁かれていました。そんな矢先にあの大災害が起こりました。突然の人生の幕切れ宣告をされた多くの犠牲者を目前に言葉を失いました。そして、かろうじて生き延びた人の「生き延びただけ幸せ」と話される姿をみて複雑な気持ちになりました。単純に「絆」「日本はひとつ」と叫ぶだけでは癒されるようなものではありません。
 
 復興活動を続ける姿の報道をみて、誰もが感動していることでしょう。被災者の気丈さも凄いし、自衛隊をはじめとする救援者の活動も凄まじいとさえ思えます。「使命感というより、人間として何かをしたい。それが使命感と相まって日々の活動を支えています」放射能が厳しいなかでの救援作業の自衛官の言葉が身に沁みます。
 東京大学に新しい立派な会館が誕生しました。学会会場になったり同窓生が集うような場所だそうです。ある企業のオーナー夫妻の寄付により建設されたそうです。土地が大学の敷地なので、ビル・ゲイツが驚くような寄付の額ではありません。ソフトバンクの孫さんの被災地への寄付の額の半額以下です。とは言っても、凡人の私にとってはイメージすら出来ない額なのですが。
 
 日本人は「お金の稼ぎ方は得意でも、使い方が苦手」と思っています。書店に行けば「稼ぎ方マニュアル」なる類いの本がごまんとありますが、「お金の使い方マニュアル」は皆無です。「子孫に美田を残すな」とは西郷隆盛の言葉でしょうか。頑張って稼いで、不幸になっていく姿は日本中あちこちで見られる皮肉な現象です。その人の稼ぎのレベルに応じたお金の使い方次第で、景気どころか、日本人の幸福総生産量は高まるのではないかと思っています。むしろそこにしか答えは無いようにも私には思えます。
 
  話は変わりますが、患者さんを直接診る「臨床医」、薬や治療法などの研究をする「基礎医」に加え、私どものように仕組みづくりを通じて医療を行なう医師を「社会医」と呼んでいます。主侍医倶楽部のメンバーの皆様に対しては、医療判断医としての臨床医活動がメインですが、それは社会医としての活動に裏打ちされています。
 
  今後、この紙面でもさまざまな「社会医」の活動のご紹介をしていきたいと思っています。多くの研究者たちの知恵の塊である基礎医学に基づいた立派な臨床医の医療活動が、国民の皆様の幸福に結びつく仕組みを考え実行することが「社会医」の役割だと思っています。

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自己再研鑽、復習そして予習 2012/2主侍医通信より

2012年02月17日

 寒中お見舞い申し上げます。

 今年最初の通信をお届けするのが2月になってしまいました。毎年の始めに、年間モットーのようなものを考えることにしています。学生の頃からでしょうか、随分昔からの習慣です。今年は「自己再研鑽、復習そして予習」としました。これには、いろいろな意味合いを込めています。いよいよ還暦1年前となり、随分前の年間モットーであった「温故知新」の復習でもあります。つまり「復習の復習」となります。例えば、年末の通信でも少しお話しましたが、事務所の過去の膨大な資料を抜粋して読み返しています。それらのエッセンスを、次回以降ご紹介できればと思っています。20代30代と充電と放電の激しい繰り返しをしながらもなんとか蓄電し、40代から50代は充電に放電が追いつかない状況だったかなあ、と俯瞰しています。
 
 そこで、60代に向けては「新たな充電」中心と言いたいところですが、そこは冷静に過去を復習し、足りなかった部分を補填してみたり、忘れかけている大切なことや面白いことを再燃焼させたり、やりすぎたり歪んだ部分を補正したりしてみようと考えています。それらが「復習」です。仕事のみならず遊びやプライベートなことでも同様の「復習」をしようと考えています。そうは言っても、新しいことも無くては僕の性格上我慢が出来ないでしょうから、少しは「予習」も取り入れたいと思っています。
 
 そういう目で振り返ってみると「今だったらこうしているのに」「こうしていたらもっとよかったのに」と知恵や経験が豊富になったと思う反面「昔は体力もあったし頭も今よりはよかったなあ」とちょっぴり寂しく思うこともあります。しかし、昔考えたことを、今の熟年の応用力や人脈、そして発達したIT技術などの調味料を振りかけるとちょっとした逸品が出来るような気がしています。同級生や近い年度の仲間のドクターも大病院の部長や院長、大学の教授など管理職になっている方がほとんどです。他の分野ですと、会社の役員や社長ということで、現場の作業はほとんどなく管理者としての仕事がメインだと思います。ただ、大学の教授になっている連中から「最近は、診療10、研究20、若手育成70」という日常業務の割合を聞いて、「相変わらず、診療80、若手育成10、執筆、セミナーなど10」という僕にとっては、多少羨ましくも思えます。
 
 思い起こせば、大学受験や入学当時、華やかだった東大医学部生も、現在は結構地味なもので、大会社の役員や社長を務める他学部の同学年OBたちが社用車で通勤であったりゴルフ場までの送迎もあったりするというのに、病院に勤める医師は送迎車どころか、大病院の副院長でも当直をしている方もいると聞いて驚いています。東大医学部の同窓ゴルフ会では、ほぼ全員がマイカーか電車で集まりますし、未だに平日どころか土曜日でも来られないひとが多く、日曜日のみの開催ということで、常任幹事(僕なのですが)泣かせです。日曜日でかつ年配の先輩方(昭和天皇の手術を担当された先生やその更に先輩の長老先生を筆頭に)がマイカーを運転して来られる近いゴルフ場を確保するという難題を毎回克服する必要があるからです。そんな大先輩がいまでも患者さんのために尽くしている姿にいつも頭が下がる思いでおります。
 
 人生においては、だれもが「幸せ」を求めています。「幸せ」の定義はひとそれぞれです。他人からは「幸せ」そうに見えても、本人は悩み苦しんでいる場合が少なからずあるものです。「健康は幸せ」とは言えませんが、「健康でないといわゆる幸せ感が得られにくい」ことは事実だと思います。主侍医を勤めさせて頂いて、さまざまな形でクライアントの方と触れ合いますが、基本的には体調を壊した時に、密接にお会いすることが多くなります。幸いにも、今まで多くの場合、重病を切り抜けて、その後皆様の笑顔と接することができ嬉しく思っていました。
 
 しかし、昨年11月に、主侍医倶楽部メンバーの方を初めて看取ることになりました。その方は、入会間もなく、現在の医学では治療法がないとされる厳しい病気を発見することになりました。メンバーになって頂いてすぐに困難に直面しました。我々に出来ることは、「なるべく苦痛がなく出来るだけ長らえるようにサポートすることだ」とスタッフドクターとともに尽くしましたが、関連のNTT東日本関東病院にてご逝去されました。ここにご報告とともにご冥福をお祈りしたいと思います。

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主侍医倶楽部の今昔とこれから 2011/12主侍医通信より

2011年12月19日

 主侍医倶楽部21年間を振り返って(本年7月より広報部長としても活動を開始し、そのご挨拶も兼ねて)  

 複雑化していく医療において、患者側にとっては「より良質の医療を受けるため」、医療提供者側にとっては「より良い医療提供のための技術や知識やネットワークの向上のため」必要なものは何か?

 1984年、医学事務所を設立して27年間、「医療のシステム作りを通じて貢献する」を胸に秘めながら活動してきました。初期の頃は、医師向けワープロソフトや電子カルテや専門医の遠隔相互コンサルシステムなどの開発試作を皮切りに、理想的病院「夢病院」の企画立案なども行なっていました。27年前ですから、携帯電話もインターネットもなく、ワープロもようやく生まれかけた頃です。「いがく」とキーボードで打って「医学」となれば大声で喝采を挙げていた頃です。

 その頃、夢物語や将来の懸案として話していた「電子カルテ」や「シェア型の検査センター」や「会員制の医療サービス」「リゾート型人間ドック」「インフォームドチョイスの普及による新たな悩み」「保険制度の行き詰まり」「医療裁判の増加」「医局制度の崩壊」「医師のマインド低下」など良いことも良くないことも、今では普通の話になっています。

 こういったハイテクの医療システムを研究しているうちに、国民が医療に納得安心するためには、最先端の医療技術の開発が必須なのではなく、医療へのアクセスシステムとインターフェイスシステムの整備が不可欠であるという仮説に確信を持つようになりました。そこで、「日本で医療に不安も不満も持っていない貴重な人は、天皇や皇族の人々ではないだろうか」ということに気がつきました。侍医を担当している仲間や先輩から、「我々の世界ではセカンドオピニオンなどは侍医の間で行なうから陛下たちは安心してアドバイスを受け入れてくれる。ドクターショッピングなどあり得ない世界なのです」というお話をお聞きし、たいへん羨ましく思いました。「皇族の侍医システムこそ理想的な医療の基本的仕組み」だと考えました。侍医システムは、どのように医学や医療技術が発達しようが、仕組みが変わろうが対処できます。なぜなら指揮者や管制官のようなプライベイトドクターがクライアントに代わりその時の医療事情に精通して親身にアドバイスや必要な専門医のコーディネイトと質の高い判断のサポートをしてくれるのですから特上の安心が得られます。

 でもそんなことは専門家ならずとも、一般人にも分かります。が、どのようにして実現するかが問題なのです。最初は「赤ひげクラブ」と称して、友人を集めて全くの無料で活動を開始しました。時々、皆で信頼できるドクターの健診を受けるといった程度から始めました。そんな活動を続けているうちに、友人の中から、もう少しプロとして活動をしてみてはどうかとの声があがり始めました。トータルの必要費用をシェアする100名が集まり「100歳まで生きよう」をスローガンに「ハンドレッド倶楽部」と名付けて開設準備を行ないました。

 実際1990年にスタートする時は、「(顧問医)主侍医倶楽部」となりました。最初の頃は、私と相談するためのアクセス権のための契約で、現在のように保険診療も可能なクリニックは併設されていませんでした。いざとなった時の相談のための顧問医契約というだけで当時の顧問弁護士の基本契約と同等の一人当たり月額5万円を負担して頂きました。相談のためのアクセス権として契約して頂き、未だに契約を続けてくれている方には感謝感激です。最近まで営業広報活動は皆無でしたから、口コミだけです。しかし、これほど口コミの難しい商品はないということが後々明らかになっていきます。

 私個人としては、主侍医活動とともに様々な医療の仕組み作りの開発研究活動と慶應大学での教育研究活動も並行して行なっていました。いずれの活動も自分自身の生活費に充当できるような報酬を得られない活動ですから、生活のためには他の病院での診療活動も続けなければなりません。

 まさに若さとバイタリティーに頼りながらの生活でした。個人的な繋がりから、契約メンバー数も30名を超えてきました。特別高額な契約で応援してくれる方もいらっしゃり、なんとか事務局も維持できる状態でしたが、もうひとつの誤算は、私の活動を応援してくれている方々は経済的にも余裕があり、目下ご健康に大きな問題はなく、メンバー数十名ではそんなに忙しくないだろうと想像していたことです。ところが1名の会員の方々の周囲にはたくさんの仲間がいらっしゃいますし、面倒見の良い方々だからこそ契約をしてくれています。ご本人以外の方の相談が予想外に多いことに気付きました。最初の10年間はなんとか時間の許す限り私自身がボランティアとして対応させて頂きました。ここが他のサービス契約と違って「お断りできないし、またお断りすべきでない」というのが医療の分野です。そして貴重な契約者の方からのお願いですから、相談はすべて無料で行なっていました。

  2000年、事務所を小石川から現飯田橋に移したおりに、事務所の主な事業として「主侍医倶楽部」の運営に本格的に取り組もうと考えるようになりました。おりしも、契約の会員の方々からもいろいろな要望とそれに伴う費用の負担もお申し出いただくようになりました。

 まず、話題になったのは、契約者本人だけでなく、家族や社員や友人などの相談を遠慮なく行なえる仕組みを作って欲しいとのことでした。これは簡単そうで意外と難しいことでした。契約会員のかたの状況が実に様々だからです。紆余曲折しましたが(正確には今もその最中ですが)、登録ゲストと紹介ゲストというシステムを作り周囲の方のご相談も余裕がある限り(有料ですが)正式に対応出来るようにしました。

 もうひとつの問題点は「24時間の連絡体制」です。私一人が主侍医を勤めていましたから、そんなことは無理であることは自明です。契約上も連絡は9時から5時の事務所がオープン時とさせていただいています。しかし、初期の頃の事務局はたいてい夜中の12時頃まで誰かがいましたし、途中からは携帯電話が普及し、なんとか私と連絡が取れて問題は発生していませんでした。今から思えば、この21年間、飛行機に乗るなどで十数時間連絡が取れないのが最大で、まる2日間以上事務所と私の間で連絡が取れないということはありませんでした。(新しい「夜間・休日ドクターホッとライン」稼働中の現在も同様ですが、これは私の性格の問題でもあります)しかし、このような個人的な努力にのみ頼る仕組みは、上手くいっている間はしっかりとして安心感がありますが、継続性に限界があり、もろくもあります。そして、事務所オープン時以外は契約外だといっても、やはり24時間医師と電話が通じる仕組みは実現したいとかねてから考えていました。

 8年前、特別会員として応援いただいている方から、「僕が応援するから、24時間医師と連絡取れるシステムを作ってくれないか?」とのお申し出がありました。それが熟成し今日皆様にお届けできるようになったのが現在実現している「夜間・休日ドクターホッとライン」というわけです。

 そこで2004年から新しい主侍医契約には、このサービスを付加して、更に登録ゲストの仕組みも取り入れ基本報酬を月額10万円からとさせて頂いています。従来からの会員の方には、今までのご契約状況などを踏まえてご相談させて頂いています。また2006年3月より、併設のクリニックでは保険認可も取り、日常的な病気のための検査や投薬が可能となりました。原則有料予約制でゆったりとした診療が可能ですが、会員ご本人の方々の予約料は無料とさせていただいています。主侍医スタッフも若手が加わり、総勢4名となりました。「夜間・休日ドクターホッとライン」の担当医も含めると8名となります。テラドクターアライアンスと呼ぶ専門医のネットワーク数は、増加の一途です(簡単に数えられないほどの数です)。

 このように初期の「主侍医倶楽部」から展望すると、随分と進化しました。富士見事務所には、メンバーズボードが設置されました。スタッフが毎日感謝し気を引き締めるためとともに、広報部長としての私の励みにもしたいと思っております。現在のメンバーの方々のお名前をこうして眺めさせて頂いても、各分野の超一流の方ばかりで、そのような方々の主侍医を勤めさせて頂いている誇りをスタッフドクター一同有り難く思っております。

 現在のメンバー数は50名です。現状の主侍医倶楽部の運営は、主侍医チームとスタッフを100名でシェアしていただくことを想定しています。ただ、日本では他に類が無いデリケートな仕組みですので、誰でもメンバーにとは申せませんことをご理解の上、皆様のとっておきの親友をご紹介いただければ幸甚です。

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スティーブジョブズの逝去 2011/10主侍医通信より

2011年10月14日
 
 スティーブジョブズの逝去記事が2011年10月6日の新聞記事のトップを飾りました。恰好いい人生のあっけない幕切れでした。その隣には、格好悪いしぶとい人の写真が載っていたことが、ひときわ対照的に映りました。
 ジョブズは膵臓がんでしたが、あれほどの人ですから、アメリカでの最高レベルの治療を受けていたことだと誰もが簡単に推察できるでしょう。それでも場合により「56歳の若さで死ぬ」という現実に改めて厳しく寂しく心を揺さぶられました。医療がいくら進んだとはいえ、その不確実性の無常に(無情とも言えますが)落胆し、僕が推進している「主侍医、プライベイトドクター」でさえも、その無常には立ち向かえないと観念せざるを得ません。ジョブズにははたして「プライベイトドクター」はいたのだろうか。いくら膵臓がんの早期発見は極めて困難としても、あれほどの人物なのに、周囲が健康管理に最高レベルの神経質になって、もっと早く膵臓がんを見つけることができなかったのだろうか、などとくよくよ考えてしまいます。僕より2歳下であり、学生時代コンピュータに夢中になり、マックはあこがれの機種として親しんだ我々の世代にはいろいろな思いがあります。
 
 主侍医倶楽部契約中の会員の方は、この21年間一人も亡くなっていないことは再三お伝えしている通りです。そしてその中には、我々がいたために早期に病気に対処することが出来たために、一命をとりとめたかたも少なからずいらっしゃいます。これは自慢話です。僕の自慢話ではなく、主侍医システムとしての自慢話です。
 しかし、世の無常はそれほど甘いものではないこと承知しています。生きとし生けるものの限りはありますが、どのような厳しい事態に対しても最善を尽くしたという満足感と、最善を尽くしているという安心感が大切だと思っています。より多くの方がこの満足感と安心感のために「主侍医」を持てるよう僕自身はこの7月より広報部長として任務を遂行していく所存で日夜頑張っています。今や、会員の方々の、幅広い相談には若手のスタッフドクターがかなり対応できるようになりました。勿論、彼らと僕とは常に楽屋裏で綿密な相談をしていますし、スタッフドクター同士も連絡を取り合っています。
 
 また事務局のスタッフも充実してきています。皆様との窓口としての「田口」、初期相談や心理相談などを通じての相談窓口として「豊崎」の両名が勤続20年のベテランぶりを発揮しています。またドクターアシストナースとして「菊地」が看護師としての資格を有しながら、皆様の医療内容についてドクターとの橋渡しの役割を担っています。彼女も事務所発足当時から勤務し、他所での修業を経て、数年前より戻ってきたベテランです。また、この9月より慶應大学医学部で事務職をしていた「寺田」が入職いたしました。広報部長の僕の補佐役としての任務が中心になります。皆様の元へ伺い広報活動にお邪魔した際はよろしくお願いします。もう1名、早稲田大学で都市計画を勉強中の「佐藤」が、「安心の医療システム実現のための研究」をテーマに非常勤スタッフとして研修を開始しました。広報担当として僕や寺田とともに活動し、この通信やウエブでの広報活動などを担当します。
 
 スタッフドクターについては、既に何度かお知らせしていますが、石澤、笹部、田代という東大、慶應大の精鋭たちが活躍してくれています。この場をお借りしてのご報告ですが、石澤ドクターはこの度、司法試験に優秀な成績で合格しました。ついでながら僕の次男「征司」も同時に合格し、今後法曹の道で研修を続けていくことをご報告いたします。スタッフドクター以外に、「夜間・休日ドクターホッとライン」にご協力をいただいている美馬ドクター、長谷川ドクター、木村ドクター、矢澤ドクターはベテランから若手までいずれも僕自身や家族やスタッフなどが診てもらっている素晴らしいドクターばかりです。また、愚息の長男が研修医2年目の半ばになり、まだまだヒヨッコですが、休日の患者さん受け入れに先輩方の先生にお願いできるようになり少しは役立つようになってきました。
 
 このように俯瞰してみると「主侍医倶楽部は結構贅を尽くしているなあ」、と我ながら我田引水的に感心をしている次第ですが、運営安定化のためには若干名の正会員追加募集が必要と考えています。例えば、「夜間・休日ドクターホッとライン」は36名の契約者のために8名のドクターが交代で待機しているという状況です。スタッフ全員の献身的努力によって支えられていることは容易に想像がつく状況です。来月には、事務所にメンバーズボードも設置し、会員の方々に敬意と感謝を表すとともに目標メンバー数を可視化して自ら広報部長としての任務の自覚を促すことにもつなげたいと思っています。
みなさまのご理解とご協力を期待しております。

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主侍医の実現可能モデル 2011/8主侍医通信より

2011年08月16日

大地震の再来、放射線障害、猛暑、電力問題、不景気、政情不安など不安要素を数えていたら片手では足りなくなってきました。人間にとって(動物にとっても)安心が一番の大切な生活基盤の要素であることは自明の理であると考えています。かたや「好きなことをやり、好きでないことをなるべく避けたい」というのも、我々の本能だと思います。これを貫くことが出来れば、理想だし、そんな人を見かけると羨ましくもあります。丁度、数週間前放映されたNHK大河ドラマ「ごう」の中で、石坂浩二扮する千利休のセリフ「結局は好きか好きでないかのどちらかなんや。」が印象的でした。もうひとつ感銘したセリフに「私のたてたお茶が日本一というなら、それはあんたが日本一の心を持ったおかたということや」というのがあります。これは利休がお世辞を言っているのではありません。利休は「好きな人には一所懸命お茶をたてるんや、日本一やと思っている方には日本一のお茶をたててあげたいと思うからや」と説明しています。
我々主侍医の思いも、この利休の心にあるなあと感じ、スタッフのみなと気を引き締めました。
話しを元に戻します。「好きなこと」をするには、時にはリスクを伴います。人間の安心最優先説とぶつかり合うようになり悩むことになります。「好きなビール」をたしなむと「痛風」などのリスクが高まります。概して美味しいものを食べ過ぎるといろいろな病気のリスクが高まることはみなさんもご存知のことです。要するに、我々は「安心」と「リスク」の間を巧妙にすり抜けながら人生(という時間つぶし)を楽しんでいこうとしているんだなあと常々思っています。我々主侍医は、その「安心」を少しでも高めるためにお手伝いしているのだと思っています。
7月10日に、僕自身が58歳を迎えました。還暦まであと2年と、少し武者震いがする感じです。高度複雑化していく医療の中で、満足度が高い安心なシステムを研究し続け、やはり医療のインターフェースとアクセスシステムとしての主侍医システム、医療の判断支援システムとしての医療判断学やその専門家が必要だとの思いは増強するばかりです。すでに存在する「かかりつけ医」や「家庭医」「総合医」の概念も主侍医システムと同様のものだと思っています。しかし、それらはあくまでも国民の誰もが受けられる治療サポート中心の現在の保険制度のうえに存在していますから、その品質向上にはかなり無理が生じます。それらのドクターの身を削った努力にのみ支えられています。
「相談」「助言」「判断支援」などは、日本では軽くあしらわれがちですが、実に高度であらゆる能力、技術、そして充分な時間を必要とする最も貴重なものだと我々は考えています。
保険制度の中で、こういった「相談」「助言」「判断支援」をカバーするようになればいいと初期の頃は言っていましたが、最近では、それは不可能だし、破綻を助長すると考えるようになりました。せっかく世界に類をみない世界中から羨望されている保険制度があるのだからこれを守らないといけません。

今後2年間を、主侍医システムは「かかりつけ医」や「家庭医」「総合医」の活動の先進モデルから実現可能モデルにまで作り上げることに専念したいと思っています。それこそ僕にとっての「好きなこと」だと思っています。多少の(過酷な)リスクを覚悟しながら。

皆様方のご健康を祈りつつ、今後ともご支援をお願いする次第です。

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