仕事上の約束は当然であるが、友人との遊びの約束でも無断で破ることはおろか、ドタキャンも66年の生涯ほとんど記憶にないくらいの僕にとって、非常事態である。かねてから、約束して計画していたいろいろなことが目先にもいくつかある。しかし、今は、「約束を破らない男」としての名誉を考えている場合ではない。ここは、一つ一つの約束事に丁寧に対応して、無期(でも可能な限り近い将来)延期の策を取り始めている。以前から何度も述べているように、未知の感染症対策の基本は「封じ込め」である。多くの人数が集まると、総人数に応じて指数関数的な接触が生じるからである。
=> 4、5人以上が一同に集まる機会は自ら作らない。(車で行って、野外で行うゴルフはかろうじてセーフであろうかと自己弁解したいが、悩むところ)
手洗い、マスク、うがいが個人ができる予防の基本と言われる。ご存知のように、「手洗い」が圧倒的に有効で、「マスク」はもし潜在的な感染者であった場合人にうつさないというために有効という意味合いはある。ただし、多少の空気感染を起こしているのではという説も浮上してきているから要注意である。ウイルスは粘膜から侵入するので、うがいも多少の効果は考えられる。そうなると帰宅時に顔をしっかり洗うことも大切になる。大半は、手すりや椅子机などについていた飛沫内のウイルスを触ることであるから、手洗いとともに、使い捨て手袋を着用するのもいいかもしれない。医療機関内以外では、今のところほぼ誰もしていないので、違和感はあるが。
=> 手洗い、使い捨て手袋、うがい、顔洗い、エチケットマスクといった心がけが基本
現在のところ、決め手となる治療薬はない。となると自己免疫力と重症化した場合の手厚い救命医療に頼らざるを得ない。生活習慣病対策と同じ注意である。規則正しい生活の一言に尽きる。この際に禁煙に取り組むことは、長い目で見てダブルで効果があることになる。また、過剰な不安は、免疫力を下げるので、正しい知識を得る努力をして、正当な危機感を持つことである。重症化した時は、日本の医療を信じるしかないです。実際現場の医療人のほとんどは過剰労働に耐えて頑張っている。普段から、そういった努力を応援する行動をとってほしい。
=> 規則正しい生活。禁煙。節酒。正しい知識。医療を信じ、普段から医療人を大切に応援する。
今朝のニュースで、トイレットペーパーが売り切れている????という報道に驚いた。中国から輸入されないからとの噂が原因らしい。メーカーは99%日本製なので安心してくださいと訂正報道をした。こういった「自分だけが助かりたい」という、人間の悲しい性を全面否定はしないが、ここは落ち着いた行動をとりたい。これからは家に閉じこもることが多うなるだろうから、1週間分の食料をまとめて買って、家庭内で料理して、不要な外出を避けるのは理性的な行動である。これと、1年分の食糧や水を備蓄しようという焦った行動は全然というか正反対の行動となり、社会不安を助長する。
=> 買い占めという愚行は慎む。金の亡者と同じさもしい人種になる。力を合わせて、皆で助かろう。
やっと政府として、国民に対して具体的な対策要請(命令)がなされた。「全国の小中高の全面閉鎖」、衝撃が走ったのは言うまでもないが、世間は「やむを得ない判断だが、もっと早く出して欲しかった」との見解が大方だったように感じた。国民の方が的を得た考え方だ。ここ数年の災害に対する内閣の対応を振り返ってみると、「国民に動揺を与えたくないから」、事実の公表をまずは控える。どうしようもなくなったら、急に命令を出す。大企業人事やワンマン企業の社長のやり方に近い。情報のリークにより不要な不安を掻き立てるのを防御していると彼らは説明している。それは国民や社員をバカ扱いしているに他ならない。
今回も少なくとも1ヶ月以上前から、「全国的な学級閉鎖」「大人数が集まるイベントの禁止」「テレワーク、極端な時差通勤」の要請などの措置をとるかもしれないと国民に発信しておくべきだったであろう。そうすれば多少の準備はできる。トップ命令は急に行うから効果があるという前近代的な風潮が日本の政治や会社の中に旧態依然として残っている。急な転勤命令を受けた経験者は少なくないはずだ。「(学級閉鎖の副作用など)何も考えていない。走りながら考えていく」この段階で一国のトップが発する言葉かと耳を疑った。
政府も日本国民を信頼して、情報をきちんと流し、テレビ局各社の独自番組でなく、「政府広報番組枠」を作って、定時的に流すべきであろう。政府からの命令、要請、とともに補償の内容や予定などもセットにすればパニックにはならない。国が守ってくれないなら、自分で守るしかないから、マスクやトイレットペーパーを買い漁るしような浅はかな行動に出て、それが報道され愚行のスパイラルとなっていく。
そのいい例が「PCR検査」の不思議、不明瞭性だ。我々、一線の医療人でも、どうしたらこの検査ができるのか判らないし、どうしてできないのかも判らない。大体から、政治家たちも「PCR検査」と簡単に話しているが、一般人同様、今まで聞いたこともない言葉であろう。「疫学的調査をきちんとしてから」など誰かの受け売り的な言葉しか出てこないから、対策が後手後手になっていく。もちろん専門家対策委員たちもいるが、指導、リーダー、責任体制が明確でないから、各方面への忖度案しか出てこない。総理大臣、医療専門家のリーダーが雁首を揃えて、明確なリーダーシップを発揮しながらの舵取りが急務である。
朝のテレビは、どのチャンネルもコロナウイルスが話題のワイドショーである。それぞれのチャンネルは常連ゲストに加え、感染症専門家であるゲスト(といっても、もはや常連化し顔馴染みであるが)が、感染者数の増加や重症者の状況などについてコメントし、政府の対応の不明朗さや遅さに批判を浴びせている。よく観察していると、首尾一貫して同じ意見を言っている人と、状況に応じて、微妙に意見を調整している人、平気でコロッと意見を変えてすましている人など様々である。しかし、ここは落ち着かないといけない。何も評論家の品定めをしたいわけではない。番組を通じて、正確な知識と情報を得て、不安をできるだけ低減し、自分自身が可能な対処法を実行したいだけである。
ポイントは、「時系列」に情報を整理することと、「自分が実行できること」の情報の箇条書きをすることである。できればメモなどに残すのもいい。前者の意味では、状況に応じて意見を変えていく専門家は一概には批判できない。問題はそれを自覚しながら報道しているかどうかを明確にしているかどうかだ。専門家として、テレビカメラの前で話すことには責任がある。テレビ報道でよくあることだが、人の意見を切りはりしたり、時系列を変えることで、反対の内容になることも結構ある。我々、視聴者としては、できるだけ必要な情報だけを単純に並べることが重要だ。テレビでは話題性のあることを、何度も繰り返す傾向にあるから、過剰な不安を煽りがちである。出演者の個人的見解は、時には役に立つが、それを繰り返して見ているより、その時間を手洗いにかけた方が有効な予防策となる。
今後、政府より「学校閉鎖」「外出自粛」「乗り物の制限」「集会の禁止」など具体的な指令が出ることも予想される。それらのニュースのキャッチは必要であるので、朝一、昼ごろ、夕方などの定時ニュースには注目しておくほうがいい。バラエティー系の番組でのコロナウイルス情報の取得は極力控えたいし、友人知人へ興味本位で伝達することは戒めるべきである。
共通する大切なこと
不要な外出はなるべく避ける(軽い風邪症状は自宅で様子を見る。その際でも、家族に配慮してマスクは着用。マメな手洗いも。)
帰宅時の手洗いは格別有効。この手洗い癖は、夏の食中毒の防止や細菌性結膜炎などの防止にも役立つことであろう。
自分だけ逃れようと思わず、家族や友人や国民みんなのことへ思いを馳せながらの行動が結局自分に返ってくる。(買い占めなどの愚かさ)
こういったパンデミック型(集団感染)の感染症は、封じ込め作戦しかないことの理解。当然将来的にはワクチンなども併用しての封じ込めになる。
普通の風邪であろうが、花粉症であろうが、咳が出る人はマスク着用(実質的配慮と心理的配慮)
最後に、身を粉にして最前線で医療活動している皆さんに敬意を表して。
今年の年賀状のご挨拶で、「2010年代の日本は数多くの歴史的な自然災害に見舞われた年であったが、2020年はその数字の見た目のようにニコニコした年になりますように!」と書いたことが、見事に裏目に出た状況となっている。しかも日本だけでなく、世界中のことだ。ただし、自然災害なのか、人的災害なのか、今後検証する必要があるであろう。僕は僕なりにはっきりした見解を持っているが、このブログのシリーズでも言及はしていきたく思っている。
でも、まずは医療従事者として(医学作家として!)、なんとか皆さんに、マスコミで出回る情報の整理に役立つような話をしていきたい。僕の事務所の医療活動の根源にあるテーマは「いかに多くの人に安定した安心を提供できるか?」である。そのための手段として「正しい知識は最強のワクチン」「良質な医療相談の提供」を2大柱にしている。前者の一つとして「教養と健康のための医学塾」を毎月開催し、114回目を迎えようとしている。後者のためには、民間版の侍医システムと医療決断の相談専門のクリニックを運営している。個人としては「医学作家」と称して、医学や医療の知識や医者の世界のことなどをわかりやすく伝える執筆活動をしている。その一部は、このホームページでも公開している。ネットの医学情報の見分け方の大切なポイントは、誰が書いたのかきちんとわかるようにしていることである。さらに、一歩踏み込んで、「幸福論思想家」と勝手に自称して、「幸福」という考え方に、何事にもとらわれず、誰にも忖度せず自由な思想を発信するということを今後の課題にしている。
本シリーズでは、医療関係者の医師としてだけではなく、医学作家として、時には幸福論思想家としての踏み込んだ私見も述べていきたい。
今現在、日本人の多くは不安でいっぱいである。そして「政府は何をしているのか?」と不満でいっぱいでもある。不安、不満は恐怖へと進み、さらには怒りにも発展する。不安の根源は「情報の真偽がはっきりしないことである」役人たちの言っていることが、なんだか奥歯に物が挟まっている感じがする。一般に、知識がないとやたら過剰に怖くなるか、知らぬが仏となり、無分別な行動をとってしまうから、始末が悪い。
不安の根源は、「リーダー不在」を感じ取ってしまうからだ。大ピンチの時に、誰を信頼してついて行ったら良いのかわからないのが最も不安である。アメリカのCDCと言われる国家の感染症制御組織があれば、そのトップが絶大な権力と責任を持って対処していく。日本では、そういった感染症対策の絶対的リーダーがいない。専門者会議の意見を聞きかじった大臣が棒読みする声明では、不安になるのは当然である。いろいろなところに忖度せず、国民の安全を最優先するリーダーが必要で、その人と経済のリーダー、全体のリーダー(総理)と喧々諤々にやりあい決断していく姿を見れば、国民の多くは黙ってついていく。
残された時間は迫っている。いろいろな人から嫌われる勇気を持って英断してほしい。
最近の「主侍医からのメッセージ」もお目通しいただきたい。
そういえば、東北大震災の時も同じようなことを書いた。こちらも参照いただきたい。
https://drkenzo.com/blog/2011/03/post-26.html
新型コロナウイルス情報を毎日更新してお届けしています
https://drkenzo.com/archives/2020/0221_122110.html
専門特化して狭い視野にたちがちな現代医療に対して、若干の批判的意味合いも含めて「全人的医療」なる言葉がよく使われる。しかし、その使われ方は多彩であり、僕としても賛同できるものからかなり怪しげな使われ方に感じるものまでいろいろである。一般的に多いのは、心身医学の立場から身体的、精神心理的な両面から病気や健康を考えていく場合に使われる場合だ。また、最近ようやく日の目を見るようになってきた「総合診療」などの分野でも使われることがあるかもしれない。一方、代替医療の分野でも、専門的になりがちな西洋医療を「部分を見る医学」と批判し、「全人的医療」の大切さを喧伝している場面を時々見かける。こうなると少し論理の飛躍を感じるがいかがだろうか?
若い医学生たちに「これからみなさんは、いろいろな専門分野に入り、探究心を持って極めていくでしょうが、常に広い視点から考えることも同時に行うことが大切です」と口癖のように話している。そういった僕の影響なのであろう、消化器外科医の専門を研修10年目の我が息子も「臨床の現場でいると、全人的医療の大切さを実感する」などと後輩の医者や医学生、患者さんがたに切々と話しているのを見て、思わずニタっともするのだが、果たして「全人的医療」とはなんぞや?と自分に改めて問いかけてみた。
ある専門的な病気で患者さんを診るとき、心身両面かつ生物としての人間全体の機能や病態を考えつつ診断や治療のプロセスを考えていかなくてはいけないという従来からの意味合いとしての「全人的医療」は、「総合的な視点と専門的な視点を融合した医学医療の考え方」と言えよう。
医学も他の分野のあらゆる職業と同じく、人の幸せにいかに寄与できるかということが最重要点と僕は考えている。当たり前のことのようだが、となると、「全人的医療」を考えるときには、人(患者)それぞれの価値観が大きく関係してくるということになる。ここがかなり難儀なことになる。医学医療の二大目標は「命を永らえる」ことと「痛みなど苦痛を最小限にする」ことであるということに異論を唱える人は少ないであろう。50年、100年前を考えてみると、この二大目標はかなりいい線に来ているのではないだろうか。しかし、医学と幸せを考えるときに、大きく立ちはだかる問題は「不安」である。50年前に我々が抱いていた健康や医療に対する「不安」の解消は、果たして、いい線まで来ているであろうか?答えは「ノー」である。
「全人的医療」を定義するときに、この「人それぞれの価値観、特に不安」について追求した医療をもう一つの大きな柱として考えなければならないと僕は考えている。
「哲学」ブームは、いつの時代にもある。「哲学」の意味はなんですか?と真剣に聞かれたら困ってしまうが、「何に対しても、ふかーく、ふかーく、よくよく、考えること」と言ってしまっては身も蓋もないであろうか?深く考えなくても楽しく生きられるし、考えすぎて苦しむことも多い。考えることが好きなら、考える癖をつけましょう、結構面白いですよ!という具合であろうか。これもそれぞれの価値観と言える。
幸福論思想家を目指す僕としては、この場でも、いろいろな考えを自由に発信している。今後、価値観、安心を追求した医療の考え方論議をこの場で展開していきたいと目論んでいる。気になる方には、ぜひお付き合い願いたい。
僕は、言葉遊びが好きなのですが、診療でも「認知行動療法」をもじって、「認知言葉療法」と名付けた心理療法を実践しています。言葉を思い浮かべたり、囁いたり、歌にすることは、人間にとっての最強の行動だと思うからです。よく「座右の銘」と言われるのも、自分を励ましたり慰めたりする「言葉」の力を感じているからです。
僕の医療活動でも、理念やモットーなどを色々な言葉で表しています。
「あまり色々な表現をするから、わかりにくいし、覚えにくい」と歴代のスタッフからお叱りを受けることが多々あります。
事務所活動の基本方針としては、
「手を抜かない、諦めない、やり過ぎない」
「知識は最強のワクチン」
「奇跡的医療ではなく、奇跡的安心を」
自分に向けても、若い医師たちへのメッセージとしても
「能力を磨く能力(能力を出し切る)」
「強烈な熱意(熱意を煮え滾らす)」
「ゆとりの誠意(自然な献身)」
などがその主なものです。
最近、使い出した言葉に
「真剣な健康管理を!神経質な健康管理ではなく」
つまり、我々の活動ポリシーは「真剣に健康管理をしようと考えている人を徹底的にサポートする」となります。
そしてその基本は「知識は最強のワクチン」です。
「知っていると知らないでは大違い!」
「病気のことを知っている」
「早期の症状を知っている」
「人間ドックなどの結果の解釈を知っている」
「自分の病気や症状に合った専門医を知っている」
「相性の合いそうな医者を知っている」
「まず相談できる医者を知っている」
などなど、、、、真剣な健康管理も結構大変ですね。
しかし、本来の仕事で超多忙な方には、それらを丸投げしていただくのが、我々の事務所のメイン事業「主侍医倶楽部」だと考えております。疑問に思うことなどは、我々専門家が代わりに調べ、まとめ上げてから提供します。
とは言っても、時間が許されれば、毎月行っています「テラ小屋医学塾」にぜひご参加ください。知識の強化だけではなく、現役の東大医学生の講義を聞くことは楽しく、日本の未来への希望も湧きエネルギーをもらえます。
毎月第1火曜日6時半からです。
光陰矢の如し、年末の常用句にもならなくなった感じですが、時の過ぎゆく速さを恥ずかしながらも嘆く日々です。今年の年賀状に書いた「じっくりゆったりと」を思い出し、苦笑いを禁じえません。
今年の7月に北海道に住む義理の父を亡くし、元旦の賀状を控えさせていただきますことをおまずお伝えいたします。医師として北海道の地域医療に尽力し、その功に対して晩年には叙勲し喜んでおりました。そして最後は、数々の医療のお世話になり、その有り難さを噛み締めました。患者側の身になっても、大切なことは「安心」だとしみじみ思いました。危篤状態で、いよいよ危ないとわかっていても「安心」することは有り難いとは、何だか不思議です。
幸福とは何か?最近はいつも自問自答しています。「安心」「自由」「快適」「ワクワク」「満足」「感動」「快感」キーワードは色々出てきます。必要条件は「安心」で、その他は十分条件かなあ、とも思えます。
11月末から、1週間、次男が滞在するパリに行ってきました。ちょうど、激化するデモ騒動と遭遇してきました。そんなことがなくても、異国の地では、言葉も「不自由」で、注文しても予想したものが出てこず「快適」とは縁遠いのですが、電車の中では強引なスリに合いそうになり、「不安」で居眠りどころではありません。海外を旅するたびに、「日本は住みやすい」ことを確認する始末です。一方、日本にはないものを味わうこともたくさんあります。日本(東京)では、バラバラの趣味の建物が乱立し、いつも工事中というのは残念で落ち着かない気がしますが、パリの街並みは、どこに行っても美しく「ワクワク」します。
十分条件を片っ端から取り入れようとすると、「幸せ」は逃げてしまうのかもしれません。
少なくとも、医師として「幸せ」に寄与できることは、「安心」を底辺に、「自由」「快適」に生活できるようにお手伝いすることが任務だと思っています。我々、主侍医チームが皆さん方の不安を容認しているようでは意味がありません。そんな時は、ご遠慮なく叱咤いただき、何なりとお申し付けください。
記録的な猛暑が続く中、挨拶の最初の言葉の多くを「暑いですねえ」が占拠しているのではと拝察しています。今まで経験したことのない気温ということで、どういうことが起こるか予測がつきにくいこともあります。皆さん、暑さの中では、控えめな行動を心がけるようにお願いします。
我々の事務所の業務を説明する時に、使う言葉がいくつかあります。
「医療意思決定支援」「患者意思伝達支援」ということもその中心となる言葉です。重大な病気は当然のことですが、些細な病気の時や人間ドックの項目選択などにおいても、意思決定をすることは結構困難なことが多いものです。その時の負担を少しでも軽減することにお役に立てればと思っています。また、医師に受診する際に、これから受ける医療についての希望や考え方を伝えることは、表面上は「なんでもお好きな希望をどうぞ」と言われても、なかなか希望を伝えることはできません。「こんなことを言っても、担当医は気分を害さないだろうか」「そもそもこんな希望は無理なのか?」などと思ってしまいます。ここが我々の仕事のもう一つのセールスポイントと言えると、その重大な使命感の認識を日々深めています。皆さんからみると「そこをうまく活用すると有難いサービス」となると思います。自画自賛のようですが、専門医への橋渡しや、患者意思伝達紹介状作成作業や専門医との様々な交渉に際し、我々スタッフは喧々諤々、息子勇祐ドクターとは、どちらがクライアントのメリットかの論争で、親子ゲンカすれすれまでの舞台裏活動をしています。時には、長年交流を続けてきた専門医ともギクシャクし、ひやりとすることもあります。
というような舞台裏ですが、我々主侍医スタッフにはなんでも遠慮なくご相談いただければ、様々な調整役を担当させていただきたく思っています。
リオのオリンピックと熱帯夜で睡眠不足の方も多いかとは思いますが、体調はいかがでしょうか?個人的には、オリンピック選手のコメントに感動しつつ、今までのオリンピックの中では熱心にテレビ観戦をしている方だなあ、と思っています。予約録画があるせいかもしれませんが。
そんな中、柔道や卓球や体操始め、活躍する選手たちが「これだけ練習に励んだのだから」という日頃の努力の話を聞くたびに、応援に熱が入るものです。
いつもご案内していますが、数年前より事務所の活動として「教養のための医学塾」を開催しています。主に東大の医学部生に講師を依頼して、難しい内容をコンパクトかつ明解にお話ししていただきます。講師陣は同級生や後輩たちにバトンリレーしていきます。まさに類は友を呼ぶ的に、素晴らしい医学生たちが次から次へ登場します。「あの先輩から頼まれたのだから、頑張らなくては」と内容の充実度には目を見張るものがあります。こんな彼らが、近い将来臨床医や研究者になると想像すると嬉しくなり、また、安心します。講義の後、医学生たちと食事を共にしますが、その時に「医療正義」の話をすると、面倒臭がられるどころかどんどん興味を持ってくれます。また、塾生の方たちの変化もすごいものがあります。20回30回と参加回数が増えるにつけ、塾生の誰もが、みるみる医学的知識やセンスが向上していきます。教育の大切さを痛感します。
こんな真っ当な医学生がいるということに触れ合うだけでも価値があると思いますので、主侍医契約の皆様も是非ご参加ください。私も勿論、いつも出席して医学塾をサポートしています、というより勉強しています。何事も知れば知るほど面白くなるものです。
毎月第1第3火曜日夕刻6時半からです。お待ちしています。
8月 吉日 寺下 謙三
今年初めての通信が2月となってしまいましたことをお詫び申し上げます。皆様方に、より有益な医療情報、医師情報、医学情報をお届けする「Terraレター」の準備とより分かりやすいホームページへの改革の作業により遅れました、という言い訳は「使用する機材の到着遅れのために本便が遅れての搭乗となります」という航空会社の言い訳に通じます。「他の要因ではなく同じ会社の中の要因でしょう」と反論されれば、更に苦しい言い訳になります。
年初めから、見苦しい言い訳の話題になりましたが、私が常々言っている3大嫌なことがあるからです。「言い訳」「愚痴」「人のせい」です。これだけは避けて通りたいと、心がけているつもりが、時にはこの三重奏を奏でる自分を発見してガックリポンとなるのです。この3つがなくて、いつも明るく振る舞うことができればどんなに楽しいことでしょうか。
「まっとうな医師を応援することにより、患者の安心納得に貢献する」は事務所の理念です。
これを全うするために、「日本では医療分野の相談助言をビジネスとして成立させる土壌がない」という「言い訳」、「30年以上も前からこのようなことを始めたのは早すぎた」という「愚痴」、「マスコミやインターネットによる情報氾濫でまともな医師が報われない」などという「人のせい」などにしないで、ここまでやってきた真っ向勝負を一気に加速したいとの思いを強めています。
「Terra信頼医師団」の充実強化、一般の方への医学知識の普及の場の「テラ小屋医学塾」、患者と医師の絆を強化する「患者医師マッチング業務」、迷える患者への支援「医療意思決定支援外来」を柱に、今年は更に精力的に活動していきます。主侍医倶楽部は、以上の「全部入り」みたいなものとして、皆様の安心と納得の最大化に貢献できるよう大切に育てていきたいと思っています。
皆様のより一層のご支援をお願いいたします。
2月吉日 寺下謙三
私は30年あまりもの間、医療分野の意思決定を支援することを任務として活動してきましたが、そのために大切な要素は二つあると思っています。一つは自らが医療判断医として、クライアントの訴えを詳細かつ丁寧に聞き取り、不安の核心に迫る技術と知識と熱意と誠意を持つことです。そして、もう一つは実際に治療を担当してくれる専門医の方々と親密かつ適度の緊張感を持って共同診療にあたれるような関係を維持していくことです。この二つを磨くことが、クライアントである患者さんの安心と納得を得るために不可欠なものとなっていますし、自らの活動を振り返り苦労はしたけれど自負できるところでもあります。
このような活動の中、素晴らしい医師たちと出会ってきました。日本の医療はこのような人たちで支えられているのだなあとつくづく思います。医師の中で、実際に医療の現場で汗水流して直接患者さんに貢献している人たちの割合が問題だと考えています。研究や教育の仕事を中心にする人も必要でしょうし、管理職や行政の一員として医療の品質を総合的に高めていこうとする人も少数ながら必要でしょう。しかし、そういった意識の薄く、権力とお金しか興味のない人も少なからずいることは結構な問題です。また、医療を金儲けの手段としか考えないような医師もいるでしょうし、勉強不足の医師もいます。また医師免許を持ちながら、医師を辞めていく人も少なからずいます。こういったことが「医師不足だ」「いや医師の偏在だ」とか「勤務医は過酷な労働だ」「開業医はまともに医療をやっていると成り立たない」などの声を反映しているのかもしれません。
何かを良くするのには二つの方法論の方向性があるでしょう。「悪いものを無くす」のと「いいものを増やす」という単純な話です。
マスコミ的には前者の方法論を取ることが多いですが、時には正反対の極論として「神の手」「行列のできる医者」「予約の取れない医者」のようなバラエティー番組を展開します。どちらも困ったものです。まっとうな医師たちは「バラエティなどのテレビに出る暇」はありません。テレビに出る暇があれば、行列に並ぶ患者さん、予約の取れない患者さんを一人でも丁寧に診てあげた方がいいに決まっています。
そんなことを考えていると、「信頼できる医師の信頼している医師は信頼できる医師」という、何やら早口言葉のような言葉が浮かんできました。今まで私の患者さんたちがお世話になった素晴らしい医師たちを「Terra信頼医師団」として、お礼の気持ちとこれからの任務として広めていこうと考えました。
人は、いい模範を見ると自然と真似したくなります。逆に悪貨は良貨を駆逐します。それなら駆逐できないほどの量と質の良貨があればいいと考えました。
よく医師を評価するときに「医師としての能力」と「人間性」の両方が大切だと言われます。「能力」の関しては理解がしやすいでしょう。「技術が高くや知識が豊富であることは良いことだ」に異論はないでしょう。その他「肩書き」「学歴」もある程度は「能力」を反映しているかもしれません。問題は「人間性」の評価の方です。一言で言うとたやすいのですが、その評価は難しいです。難しすぎます。私の仕事で、専門医を紹介するときに、患者さんは「能力」の高さを求めるのは当然ですが、人間性については「優しい人」「一生懸命な人」などと要望されるのですが、個別の場合は、結局は相性みたいなものを大切にしています。一般論で「人間性」というのを説明するのは難しいのですが、私は「熱意」と「誠意」に分けて考えています。「熱意」は文字通り「熱く燃えたやる気」のようなものです。しかし、その動機にはいろいろあります。出世やお金が動機になる人もいれば、使命感で燃える人もいます。名誉やプライドで熱意を燃やす人もいるでしょう。いずれにしろ「やる気満々」なことはいいことなので、あまりその動機を追求しないようにしています。問題は「誠意」です。こちらの定義としては、患者さんとの間の個別なものと考えています。簡単に定義すると「面倒であったり、自分に若干不利益なことであって、相手のために真心で尽くす」ことです。こうなると「熱意」の定義とは異なってきますし、患者さんとの関係性においても、多少は揺れ動きます。人によっては大きく揺れ動くこともあります。「能力」「熱意」はその医師にある程度固定したものですが「誠意」を引っ張り出すには、半分は患者さん側にも責任があることになります。医師といえども一人の人間ですから、患者と医師も人間関係のひとつ、お互い誠意を持って接することが大切となります。私たちは、そういった気持ちで、日々「医療決断支援」という仕事をしています。私の信頼医師団の医師たちは、「誠意」を豊富に持ち合わせています。それでも患者さんの対応次第では、引っ込んでしまうこともあります。患者さん側の誠意をきちんと専門医に伝え、専門医の誠意を引き出し、それをきちんと患者さん側に伝えるのです。誠意をまったく持ち合わせていない人は、ほとんどいません(と思っています。例外はいるでしょうが)
「誠意ある医師を応援することにより、誠意ある患者さんを支援する」
私の事務所の合言葉です。
三寒四温と言われるように、次第に春の訪れをあちらこちらで感じます。今年は、花粉が多いと予想されていますので、花粉症のある方には少しびくびくものですが、そうは言っても桜をはじめ色々な花が咲き始め、緑も増え始める春は気持ちの良いものです。四季が明確な日本ですから、その良い点をなるべく見つめることができればより幸せ度が増すのではないでしょか。
前回、お送りしました「養生シート」はご活用頂けているでしょうか?今回もシートを同封させていただきます。記載された方は、ぜひコピーをお送りいただくか、ついでの時にご持参いただければより有用な使用法をアドバイスさせていただきます。根気よい、毎日のちょっとした心身への気配りが病気になる確率を多少ではあるでしょうが下げることになります。もちろん、健康ばかりを意識して、楽しいことを避けたり、仕事量を差し支えるほど減らすのは本末転倒ですが。
65歳を超えた方は、肺炎ワクチンを是非受けてください。いろいろなワクチンで賛否両論はあるのですが、肺炎ワクチンに関しては、デメリットよりもメリットの方がはるかに高いと私は考えていますし、多くの医師はそう考えているのではないかと思っています。国や地方自治体で助成も受けられます。私どものクリニックでは助成の対象にはなりませんが、他のところでは面倒と思われる方は、ご一報いただければ、1週間以内に準備して当日は数分のお時間で済ませられるようにいたします。2種類のワクチンの選択や接種時期に関しても、お気軽にご相談ください。
なんどもお知らせしております「教養のための医学塾」もだんだん成熟しております。契約者ご本人は無料で参加できますし、ご家族や社員の方も割引で受講できるよう準備しておりますので、是非、ご検討ください。2、3回出席されると面白いと感じるようになるようです。講師として登壇する東大医学部の現役学生も増え、みんな一生懸命講義内容を考えています。熱心な塾生がより場を盛り上げてくれるものと期待しています。
2015年3月 吉日 寺下 謙三