2003年7月
サーズ(SARS)
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カルテ11 内科 サーズ(SARS) |
NKH「健康ライフ講座」 2003.7 日本機械保線株式会社 社内報 |
SARSウイルスによる重症急性呼吸器症候群(Severe Acute Respiratory Syndrome:SARS)の感染は「制圧状態に近づきつつある」(世界保健機関:WHO)ものの未だ治まらず、世界的な脅威となっています。
今回はSARSについて現時点でわかっていることをまとめてみました。
原因
原因となる病原体はWHOにより新型のコロナウイルスであると決定され、「SARSコロナウイルス」と名付けられました。コロナウイルスは顕微鏡で王冠のような光冠(コロナ)の形に見える一群のウイルスで、風邪の原因ウイルスとして知られています。
症状
主な症状は、38℃以上の発熱、咳、息切れ、呼吸困難などで、胸部レントゲン写真で肺炎または呼吸窮迫症候群の所見(スリガラスのような影)が見られます。ただし、これらの症状は通常の肺炎と区別がつきにくいので、SARS流行地域への渡航歴が重要になります。主要な感染経路として咳やくしやみを介する飛沫感染が想定されていますが、接触感染(分泌物、排出物などに含まれるウイルスが付着した手で、目、鼻、口等を触ることによる感染)など、その他の感染経路も否定されていません。潜伏期間は2~10日程度と言われています。
診断
新しい感染症であり、まだ完全にその全貌が明らかになったわけではありませんので、明確な定義はありません。現状では症状と渡航歴から疑い症例を判別し、確定診断のためには専門の医療機関で病原体検出や血清検査などの特殊検査が行われています。
治療と対策
SARS流行期間中の海外旅行については、地域内伝播が確認されている地域の把握など情報収集が大切になります。また、体調が良くないとSARSに対する抵抗力が低下しますので特に注意か必要です。
WHO西太平洋事務局などでも公衆の場でのマスクの着用は推奨しておらず、我が国においても国内での感染が確認されていない現在、SARSの感染予防としての健常者のマスクの着用は必要ないと考えられます。
● SARSに関しての問い合わせは保健所で受け付けています。
一生懸命足るを知る③ 参加することだけに意義があるか?
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2003.5~2004.4 一生懸命足るを知る③ |
ばんぶう 2003.7 日本医療企画 |
「オリンピックは参加することに意義がある」と、かの有名なクーベルタン男爵は言った。この言葉が独り歩きし、いろいろな場面で「そんなに頑張らなくてもいいよ」的な意味で使われる。「足るを知る」理論によって考えてみると、「勝負にこだわらずに参加して楽しむことだけで満足しなさい」という解釈が一見成り立つ。これは良識ある見解のようにみえるが、使い方によっては軟弱、邪悪な要素を含むことになる。私は個人的には勝負事が好きで、テニスやゴルフを日頃楽しんでいる。日曜のゴルフで嫌なことは、仲間のスコアが良いと、決まって「君は仕事をしていないなあ」という会話がなされることである。多くの人は、ゴルフをする限りは、一つでも良いスコアで回りたいし、1mでも遠くにボールを飛ばしたいと考えているはずだ。少なくとも私は、そのように思わなくなった時はゴルフなど止めたい。これは「参加する意義」を否定するものでもない。「参加することだけに意義がある」のではなく「まず、参加することに意義があり、競技に参加した以上は、勝とうとする意志に意義がある」と言いたいのである。競技という戦いが終われば「ノーサイド」となり、酒を酌み交わすという姿がカッコいい、と私は思っている。
私のテニス仲間に「○○さんは、勝負にこだわるから、そんなに勝ちたいのならと彼にはわざと負けているんですよ」という人がいた。この台詞を言った男には金輪際付き合わないと、その時決めたのであるが、私のコラムのご愛読者のみなさまにはその邪悪性は容易にご理解いただけるであろう。確かに、ゴルフやテニスができるのは、健康で仲間もいて、経済的にも恵まれて、時間の余裕もあるということだから、、その日の勝負やショットの出来不出来にかかわらず、とてもありがたく幸せなことである。そんなゴルフやテニスができることに感謝して「足るを知る」が故、勝負にはこだわりたいと、私は心に決めているのである。
社会学的背景と心理学的情況を配慮した医療判断学を提唱
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科学的根拠に基づきながらも 社会学的背景と心理学的情況を配慮した 医療判断学を提唱 |
旭丘光志 著 東洋医学の名医134人 2003.7.2 有楽出版社 発行 |
主侍医システムを立ち上げるまでの発想
「侍医のような役割を、顧問弁護士のような契約で」というコンセプトで主侍医を提供するのが、寺下医学事務所である。
侍医は皇族などの健康状態や疾病を常時、ウォッチする役割を負う医師で、″天皇の主侍医″といえば、ピンと来るだろう。
寺下謙三医師が日本ではまだ特殊なこのような仕事を展開するに至ったのは、19年前にさかのぼる。
「医療の新しい仕組みづくりの提案と実践を通じて、医療の品質の向上に貢献する」ことを目的に、寺下医師は1984年、医学部時代の同級生たち十数名と立ち上げた事務所が″トータル・メディカルシステムズ″(現寺下医学事務所)であった。
当初数年間は、主にハイテクを使った医療システムとして電子カルテや全国の医師間コンピュータ・ネットワーク、民間医局としての医師派遣業務などを開発してきた。
そうしたなかで、『安心できる医療』を追求すると、『昔ながらのお医者さん』がキーワードであることに気づいたという。
寺下医師は語る。
「医学の進歩に伴い、昔のような『なんでも診られるお医者さん』という要求に応じるのは、不可能に近くなりました。
医学の進歩は当然、専門分化が進むという現象を伴います。そうなると、医学は着実に進歩しているのに、実際の医療現場では不安がいっぱいとなってしまいます。
この現象を音楽にたとえると、昔の医療は『室内楽』でしたが、現在は『交響楽』になったといえます。
室内楽では演奏者が少人数なので、指揮者は演奏者を兼ねることもできますが、交響楽のように大人数になると、全体をまとめる専門家である指揮者がいなければなりません。このように考えると、指揮者的専門家が現在の医療の世界では必要になってくるんですよ」
法人対象に経宮者の健康管理などで契約
そこで寺下医師自身が医療を受ける立場に立って、どんな医師を身近に置きたいかを考えてみた。
「健康なときから、弁護士や会計士のように医師が相談役として側近にいると、ふだんの健康管理のみならず、大きな病気にでもなった時に、より適切な診断と治療の水先案内が可能になる。それに何より安心だ。
健康なときからそんな医師と契約しておけば、病気になってから弱い立場で初めて医師と出会うのではなく、対等の立場で医師と出会うことになると考えたのです」
こうして病気を治す『主治医』に対して、健康時からそばにいるという意味で『主侍医』と名付けたわけである。
次に寺下医師は、医者の立場で考えてみた。
「この、主侍医システムを維持するには、恐ろしいほどの手間隙がかかるんじゃないか。単なる『総合診療外来』ならば、いままでの内科医の延長線上で何とかなるけれど、主侍医となると、もっと幅広い医療知識に加え、病気や患者の状況、医師の能力などの見立てる力と、多くの専門医との生きた人脈が不可欠になると考えたんです。そのようなことを維持していくためには、楽屋裏の活動として相当なことが要求されるでしょうが、楽屋裏の仕事は目に見えにくいから、正当に評価されるのはむずかしいのではないか。
こういったサービスを国からの補助を一切受けずに、わたしたちのような民間の事務所がつづけていくには、それなりのコストをクライアントに負担していただかなくてはなりません。車づくりにたとえるなら、手づくりのスーパーカー工房ということになります」
その結果、主侍医システムが対象とするクライアントは、法人に限定することになった。しかも、業績のよい企業で、その経営者が企業の屋台骨になっていて、経営者の健康を危機管理することがその会社の危機管理に直結することが自他ともに明らかで、かつその経営者が理解を示してくれる、という3つの条件がそろったとき、初めて契約を結ぶことになる、ということになった。
料金は契約者1人につき年72方円とした。「その企業にとって非常に安い投資となる」というのが、寺下医学事務所の考えだ。
寺下謙三クリニック独自の医療支援カウンセラー豊崎甲四子さんのカウンセリングも患者に力を与える
個々人のデータを常時携行し即応態勢
こうしてスタートした寺下医学事務所の寺下謙三医師は、どこへ行くにも多数のクライアント(主侍医契約を結んだ顧客)のデータを携行している。クライアント個々人の病歴や相談内容が書き込まれたデータは相当量にのぼる。
これによって、いつ、どこで電話が人っても、即座に対応できるのだ。
この医学事務所はいわば医療情報センターで、そこに約500人におよぶ各分野の専門医がネットワークされている。
クライアントが仮に発病して緊急電話が入った場合、まず附属クリニックで基本的な診察をおこなったうえで、その治療に最もふさわしい医師や医療機関を選んで紹介することになる。
治療するうえでクライアントと医師との間に何か問題が生じたときは、主侍医はあくまでもクライアントの立場になって医師と向き合う。
寺下医師は、機能性食品など代替医療の治療手段にもよく通じており、クライアントからの相談にもその人に適した的確な指示をして治療効果をあげている。
「病む人を早く癒してあげたいという人間的やさしさがあれば、医学教育で身につけた方法の外に広がる治療手段の多くにも、目を向けることができるはずです」
主侍医の目は、あくまでもやさしく愚者に向けられている。






