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主侍医からのメッセージ

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220106 新年のご挨拶

2022年01月06日

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210414コロナが教える人の道53感染しないさせないための意識とは

2021年04月14日

久々に、昨日このブログを書いたら、夜のニュース番組で、「何よりも国民の意識が大切です」という誰かのコメントを耳にした。僕のブログを見てくれた人だ!と思いたいところだが、このブログの零細さを十分に自覚はしている。少なくとも、そのコメンテイターの真似をしているのではないのだが、そういうふうに思っている人が少なからずいることに安心はした。
というのも数日前に近所の人気の小さな町中華屋さんに妻と早めの夕食であれば混んでいないかなと覗いてみた。店員さんが「2名でしたらすぐ空きます!」と呼び入れてくれた。ラッキーと思っていたら「相席でお願いします」との声。今回の緊急事態宣言前ごろから来ていなかったが、何らかの対策をしているかと思っていたが、元々狭い座席に詰まって座る店なのに、相席とは!一瞬怯んでやめようかとも思ったが、短時間で済ませるし、、、と思い中に入ると、いつも年配の常連さんが多い店なのに、ほとんどが20歳代のお客さんで溢れかえっている。示された相席では、隣の方と腕が触れ合うほど。対面には、申し訳程度のビニールのシートが弱々しく垂れ下がっている。「えい、ままよっ!」と席についた。なかなか注文を取りに来てくれないので、妻が声がけするも気づいてくれない。すると隣のカップルと思しき若い二人組の男の子が店員に気付くようにキョロキョロと目配せしてくれている。周りを見ると、男女のカップルがほとんどだ。4月のこの時期なので、近くの大学に入学した学生たちなのかもしれない。コロナの感染のことがあるから、その混雑ぶりに当惑したが、そこにいる若者たちの様子は、周囲の方に配慮して、とても静かに話していて、とても好感がもてた。隣のカップルは、食事が終わるときちんと手を合わせて「ご馳走様」と呟きながら、我々の邪魔にならないように気を配りながら離席していった。若者たちの感染を無視した行動がテレビで報道されるが、全くそのような傾向はなく、警戒する我々の方が恥ずかしいくらいであった。
それにしても、席を少なくして間隔を開けるどころか、ビッチリと窮屈に相席をさせている売り上げ至上主義の経営方針にとても違和感を覚えた。テレビにもよく登場して、いつも行列ができる店で、このコロナの中どう考えても経営は良好であろう。もともと8時を過ぎると店じまいになる。こういった店にも、同じく助成金を支払っているのであろうか?貴重な税金を!

政治や官僚にとって、公正な判断と公正な処置は難しいのは否めない。そこをなんとか工夫して乗り切っていくのが、選ばれし者たちの任務である。
「会食の自粛」「ステイホーム」など言いにくいことを伝えなければならない立場の模範になるべき人々が、まず、しっかりとした意識を持って欲しいものである。

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210216コロナが教える人の道51 国民の努力も報われつつある

2021年02月16日

新規感染者数は、なんとかピークをうち明らかな減少傾向を示している。東京都での感染者数の凄まじい増加を見て、大方の国民が危機感を感じ、政府が緊急事態宣言を発する前から、減少傾向が見られたと推測している。10日から2週間のタイムラグを考えるとそうであろう。もちろん緊急事態宣言による外出、外食の自粛要請の効果も加味されて今のような継続的な現象につながっていることは間違い無いであろう。日本大学の広報にある「あと少し!あと少し!」と掛け声をかけたくなる気分ではある。一部の人たちは、年齢にかかわらず感染を助長している行動をしていることは想像に難く無い。しかし、大半の日本人は、自らの感染を恐れることもあろうが、社会全体のためにも自粛の努力をしている。今のところは罰則もないにも拘らずだから、世界的に見ても誇れる部分もあると思っている。これからのワクチン接種についても、いろいろ不安や恐れもあるだろうが、自分のためにも社会のためにも積極的に接種するという気運に従おうと考えている日本人は過半であろう。自分あっての社会、社会あっての自分ということも、このコロナ禍が教えてくれた大切なことと思っている。
それにしても、この1年の出来事はいろいろなことを我々に教えてくれた。僕の「幸せ論思想家」としての思いにも、いろいろとヒントを吹き込んでくれた。今後は「豊かさ・幸せを哲学する」のコーナーを中心に書き進めたいと考えている。もちろんこのコロナのコーナーでも、新しい事態が起こるたびに意見を上梓したいと考えている。

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210105コロナが教える人の道49 いよいよ山場だ!

2021年01月05日

新年おめでとうございます。

と言っても、そのような状況ではない。みなさん、今まで経験したことのないようなお正月をお迎えのことと拝察している。
僕の零細な事務所でも、コロナ感染についての相談が年末から急増している。
これからの2、3ヶ月は、今回のコロナ禍の山場だと武者震いをしている。効果がありそうなワクチンの供給が目前である。しかし、感染の拡大は急激で、すぐ近くに感染者が出現している。まるで、映画の中のクライマックスシーンの如きの窮地の状況である。2度目の緊急事態宣言も目前である。国や都のリーダーたちが、責任の擦り合いに近い状況での、緊急事態宣言や飲食店の時短要請など、若干(かなり)嘆かわしい部分もあるが、とにかくこの数ヶ月は、感染しない感染させない行動に注力すべきところである。
みなさんがたも、それぞれの立場や状況で最大限考えての行動を期待している。コロナ前の行動から、してはいけないことを引き算していく考え方を変えてみるのはいかがだろうか?何もしないでじっと家にいるのが感染症防御の観点からではベストだが、そこを基本に据えながら、各人の職務を果たしたり、生活の潤いも考えての行動を足し算していく考え方が分かりやすく効果的ではないだろうか。

短文ではるが、取り急ぎ緊急メッセージとして掲載する。

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2001124コロナが教える人の道47 嫌な予感が当たってしまった!

2020年11月24日

1ヶ月前の10月28日に書いたブログ「嫌な予感が当たらなければいいのだが、、、」の中の「嫌な予感」が当たってしまった。
だいたいからして、僕の「良い予感はなかなか当たらない」が、「悪い予感は当たることが多い」から、「やはり!」と思ってしまう。そんなことなら余計なことを書かなければと、根拠のない反省をしてしまう。落ち着いて冷静に考えると、前者の「予感」は「期待」であり、後者の「予感」は「推測」であるのだろう。マーフィーの法則もこの辺が盲点になっているのかもしれない。
しかし、このコロナの現況に関しては、まずは受け入れるしかない。「自助」としては、個々でできることは何か考え、実行していくしかない。「共助」としては、僕の場合は、医師としてできうる限りの情報の発信をしていくことだろうと思っている。「知識は最強のワクチン」は、1989年に事務所をオープンしてからの金言造語として使っている。「公助」は政治家にお願いするしかない。一国の総理は「公助として何ができるのか?」だけに集中して行動してほしいものだ。
日本も世界もコロナの拡大スピードは凄まじい。しかし、ワクチン開発や、抗体医薬など朗報も頻繁に聞かれるようになってきた。手放しに喜べるかどうかは今後の成果に期待したいが、「光明が見えてきた」ことには間違いない。もうあと半年ほど何とか持ち堪えて、凌ぎたいものだ。政府の舵取りと、ワクチンなどの効果に期待したい。溺れる人は、岸に近づいたもう一息というところで絶命することが多い、と昔聞いたことがある。今こそ、気を引き締めて、できることは何でもするという心構えが大切であろう。

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2001028コロナが教える人の道46 嫌な予感が当たらなければいいのだが、、

2020年10月28日

しばらくぶりに投稿する。この間に、日本の総理大臣も変わったが、世の中は大して変わらない。学術会議問題など、この辺の事情に関するコメントは別枠でしたいと考えている。

9月に入り、コロナの新規感染者数も減少傾向を見せていたが、ここにきて下げ止まりから、何やら怪しい動きだ。何よりも、欧米での感染者急増は決して「彼岸の火事」ではない。毒性の強弱の論議はさておくとしても、コロナの感染力は強大であることは間違いない。いったん増え始めると、山火事の如く消し止めることは至難の技である。日本が、ある一定のところで落ち着いているためか、「GO TO」政策の影響もあり、ここに来て一部の人たちの間では、かなり油断が生まれていると懸念している。感染者が急増し始めると、また春先のように医療状況も逼迫することは容易に想像できる。
ここは気を引き締めて行動することが肝要であろう。最も、街中を歩いていてもマスク着用率は99%を超えているから、国民の用心度は、世界的に見ても相当高いことは間違いない。
毎日の感染者数の年齢別内訳を見ていても、一部の人が拡散しているように見える。しかし、それが、徐々に、街全体へ広がりつつあるような雰囲気も漂っている。

医療分野は何事も予防が大切。過剰防衛と言われても仕方がないという認識が必要であろう。

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200909 主侍医通信より コロナも用心しなければなりませんが、、、

2020年09月09日

「コロナ、コロナ」と言っているうちに、今年も後半の半ばとなりつつあります。

この新型コロナについても、この半年で、いろいろなことが分かりつつあります。

医学、感染症学的には、まだまだ未知の部分も多いのですが、私が特に気になるものを列挙してみます。

「感染経路は食事時などの飛沫感染が最も多いらしい」

「無症状や軽症の割合がインフルエンザなどに比べると多い」

「重症化のパターンは様々であるが、どうやら免疫機構の問題が絡んでいるらしい」

「欧米に比べて、東アジアが感染者数、死亡者数が少ないのは何らかの理由があるようだが、BCGや白血球型やコロナウイルスによる普通感冒の感染経験などの要因は、鋭意研究中である」

「ワクチン開発のスピードは、異例の速さで進んでいて、頼もしい限りですが、RNAワクチンやDNAワクチンの実践使用は世界でも初めてなので、期待と不安要素が交錯しています」

などまだまだ不確定要素が多い状況ですが、近い将来有益な報告が出てくるものと期待しています。しかし、この半年で世界の医学的知見には大きな前進が見られると私は受け止めています。

これらの医学的見地を踏まえて、我々はどうのような行動をしていくかですが、「政府や厚労省に任せていても、具体的な行動指針はほとんど示されなく、」自治体や挙げ句の果ては個人任せにしているキライもある。「自粛から自衛へ」と考えを新たにして、感染を防御しながら、生活も有意義にしていくことを自ら考えて行動していくしかありません。

新型コロナだけが病気ではありません。がんや心臓病、脳血管疾患、糖尿病や高血圧などの生活習慣病、そして何よりも嫌な「老化」という天敵があります。世界中が怯えた「新型コロナ」ですが、パンデミックから半年以上経ち、これからは他の病気も見据え、有意義な生活様式を考えていかなくてはなりません。そのための助言を含めて、できうる限りのお手伝いをしたいと考えておりますので、どんな些細なことでもお問い合わせください。従来通りの電話でもよろしいですし、ラインやZOOMなどビデオ通話によるご相談も可能です。

8月に入り、都内の新規陽性者は、ゆっくりと減少傾向で、若干は安心していますが、今後秋冬の状況がどうなるのかまだまだ心配です。

今後出来る医学的予防対策としては、まずインフルエンザのワクチン接種を基本的にはお勧めします。インフルエンザの完全な予防とまではいきませんが、確率論としては有効と考えています。ワクチン以外にまずインフルエンザの基本対策(手洗い、うがい、洗顔、感染者との距離など)をしっかりして、その上で、今後のコロナのワクチンに関しましては、状況をみながら、私としての考え方を皆さんに提供して参りたいと思っております。

PCRはじめ、検査体制はまだまだ不十分ですが、こちらの情報も日々更新しながら、状況を皆様にお伝えできるように努めたく思っています。

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200908コロナが教える人の道45 またも感動、諦めない手を抜かない職人たち

2020年09月08日

コロナ騒ぎの中、いろいろな人間模様が織りなすドラマが各所で起こっている。このブログでも、日本のリーダーたる人たちへの失意を再三伝えてきた。コロナ禍のなか、素晴らしいリーダーになかなか出会わないことを体験したが、日常の生活の中では、ほっとするような人間像を見ることも少なくない。そんなおり、先日、長年懸案だった、築後20年の家屋のいろいろな修繕や追加工事を実行した。20年前に親友のインテリアデザイナーがプランして、その時工事を担当してくれ、以来信頼しているAさんに依頼した。今まで、何度かちょっとした工事をお願いしていたが、今回、専門外とも言えるような内容もお願いしたが、「何とかします」の一つ返事で引き受けてくれた。しかも相当安い見積もりだ。当日は4人の職人さんが朝イチ9時ぴったりに来てくれた。皆さん、このご時世なので、マスクを着用しているが、見覚えのある顔だ。全員が、同じ会社ではないらしいが、よく一緒に仕事をするということで、そのチームワークが素晴らしい。4人が、9カ所ある作業をある時は1:3、ある時は2:2とコンビを組みながら作業をしていく。実に自然に共同作業をこなしていく。木屑などのゴミが出れば、最も若い人がさっと掃除機をかけていく。これではもとよりきれいになるのでは?と申し訳なく思ってしまう。玄関に棚を作ったり、風呂場のシャワーヘッドを交換したり、築後20年にして初めてかける表札を取り付けたり、無理して依頼し、階段下に曲がった形のカーテンレールをつけていただいたり。そして、半ばついでに頼んだことだが、この数年、換気扇のスイッチが2、30回に一回作動するという具合に効かなくなり、メーカーに頼んでも「部品がないので、交換しかありませんね。」と冷たくあしらわれどうしたものかと思案していた。「無理かもしれませんが、スイッチ内部を覗いてみましょう」と。特別仕様の換気扇なので、複雑なパネルを一つ一つ外して、スイッチ部分を露出していく。パネルの外側は、妻は油汚れなどを清掃できていたが、裏側は清掃のチャンスはなく、相当油で汚れていたので、さりげなくこの機会に洗おうとタイミングを計っていたが、何と洗剤まで持ち込んで、手のあいた職人さんが次々ときれいに拭いてくれる。「あっ、自分たちでやります!」と声がけしたが、むなしく清掃まで任せることになった。スイッチ部分は、なかなか手強いが、こちらも清掃することで改善するかもしれない、と言いながら丁寧に4人がかりであれやこれやとして、試しにコードをつないでスイッチを入れてみるとファンが動くではないか!「モーターはまだまだきれいだからこのまま使えるぞ」と職人さんたちは嬉しそうに言う。僕が「さすがAさんチーム、諦めない、手を抜かないだ。僕が日頃自分に戒めていることなんです」と喜んで言う。「でも、諦めないと思って懸命にしているうちに壊してしまうこともあるんです」と一人の職人さんが苦笑いしながら。すかさず、僕も「だから、『やりすぎない!』と言う言葉も付け加えているんです」と、一同苦笑い。「皆さんのようなチームワークが、今の内閣や官僚にあれば、日本はもっとよくなるのですがね」
「これで、全て完了ですね」と言いながら、ばらした換気扇のパネルを順番に取り付けた。職人の方達が、あちこちに広げていた道具類を整理し彼らの車に積み込みに行った時に、妻と「長年オンオフに苦労した換気扇のスイッチだったけれど、これでポンっとつけられるね」と言いながら、ニコニコしながらスイッチを押してみた。が、、、な、なんとつかないではないか!「これは今更言えない、言えない」と妻。「でも言わないでいると、彼らは、我々が喜んでくれていると思っているのに、実はガッカリしていた、というのもかえって悪いよ。」と、自分を勇気付けながら、そして、ドキドキしながら「申し訳ありません。今再度試してみたら、また、点かなくなっているんです」と。せっかく完了したと思って、道具も片付け、帰り支度をしたというのに。僕が、職人さんたちの立場だったら、きっと嫌な顔をしていただろう。ところが、彼らは全くもって面倒がらずに、また道具を用意し、養生のビニールまで新たに貼り直すではないか!?「今度は慌てずに、もっと徹底的にスイッチ部分を清掃しよう」と4人ともに面倒そうな素振りは一切ない。それから1時間後、パネルなどを再装着した。問題なく、スイッチは作動した。そして3日後の今日も、快適に作動している。

僕自身が、日曜大工的なことは好きなので、こういった工事の時は、普段見ることの少ない、壁や天井の中を一緒に観察させていただくのであるが、大抵は職人さんたちの真面目さ、熱心さに感心、感動する。今回は、権力闘争に明け暮れる官邸の様子を目の当たりにしている時だけに、その感動はひとしおだった。

感謝の一言である。このような仕事をしたいものだ。(本日、たまたま患者さんのご家族から、感謝のお電話をいただき、僕も負けないぞ!と思った次第である、、、、)

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200501コロナが教える人の道31 不要不急?

2020年05月01日

楽しいはずのゴールデンウイークが、怖いホームステイ週間となったこの2020年。明日からその中心となる5連休が始まる。テレワークを実行している人々にとっては、もうなんだかわからない状況であろう。「不要不急の外出は避けてください」「人との接触を8割、最低でも7割は避けてください」耳にタコができるくらい聴いた。

テレビの報道番組で、オーケストラの管楽器奏者だったか、「私たちの仕事って不要不急だったんだ、と思い知らせれました」と寂しげに話していた様子が脳裏に残る。そう言われてみればそうかと思いながらも違和感を感じた。

「要・急の仕事は医療やインフラ関連で、我々の命を守る」一方「不要不急のものは、我々の心を守る」ことではないだろうか。音楽であったり、美術であったり、カフェであったり、、、、。

僕が行う健康セミナーや医療決断セミナーや、幸福論エッセイなどの締めくくりで「いのちより心」という言葉を使うことが多い。逆説的な意味合いも込めてはいるのだが、ブーイングが多いことを覚悟していたが、結構頷かれることが多くこちらが驚くくらいだ。「お金よりいのち」「いのちより心」だから、「お金」と「心」の値打ちの差は相当ですよというための三段論法のつもりで使っていた。外科医をしている愚息は、親父はご多分にもれず煙たい所は多々あるように見受けられるが、ある時「親父の言っている中で『いのちより心」というのが、医者を始めて数年経った時に、ずんと胸に響いてきた」とつぶやいたことに、内心にやりとした覚えがある。でも。命とまともに向き合っている外科医に、まずかったかなと思ったが、彼の患者に対する姿勢を見ていると安心した。

今、政府は「いのちと経済」のバランスの舵取りに悩んでいる。医学専門家は政治に忖度せずに「いのち」を中心に科学的推論を展開し、経済を監督する官僚は、「経済」を中心に考え、お互いに議論を尽くし、その中で政治家は英断を下していかなければならない。そして、「いのち」「経済」に加えて「こころ」も守る英断であるから、大変な仕事だ。僕には無理だが、声援、要望は送りたいと思っている。

その一つとして「 COVID19治療を考える会議」のホームページを立ち上げた。

https://drkenzo.com/covid19/

 

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200425コロナが教える人の道29 COVID19治療を考える会議結成

2020年04月25日

今日は何人の感染者が出るのか?何人亡くなるのか?という発表に怯えながら、あっという間に前回の投稿から数日が経った。この間、僕は、大学時代の同級生に呼びかけて「COVID19治療会議」なるグループを結成し、様々な意見を政府などに向けて声明していくことを企画していた。まずは、前回の暫定標準治療のブログで述べたアビガンの早期投与により、重症化を少しでも抑える試みを、患者が希望すれば副作用効果なども自己責任で誰でも公正に受けられるような体制に一刻も早くするべきであるとの声明だ。一人の重症化を抑えれば、ICU1ベッド、人工呼吸器(またはECMO)1台、五人の専門医療集団を増やすことと同価値となるからだ。
平時の時でなく、有事の時であるから、正式な医学統計の結果は待てない。今の医学の標準的考え方は「EBM Evidence Based Medicine(科学的根拠に基づいた医療)」であるが、今はこの Eを「Experience」と読み替えるべきであろう。つまり「経験に基づいた医療」となる。コロナ治療の現場で働く医師たちの症例報告レベルを集積して、その経験から順次判断し、その時その時のベターベストを実行していくことだ。迷っていると、「何もしない」という一つの決断を実行していることになる。かと言って、闇雲に何でもかんでもやるというのではない。考えられる理論(推論)的根拠を意識した、今回の(数ヶ月ではあるが)臨床経験を可能な限り検証して、一週間限りの暫定標準治療を次々とアップデートしながら推し進めていくしかない。
待ったなしの状況が続いているのだから。

この会議参加者は、現在のところ、東大医学部昭和53年卒業組の15名が参加して討論している。近く、第1回声明を政府に届くようなルートに提出予定だ。

このブログを見た方、どうぞ拡散してほしい。声明文は、決まり次第この場でも披露する。

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200416コロナが教える人の道28 COVID19常時暫定型標準治療(案)その2

2020年04月16日

国民が安心、満足できる医療を実現するためには、「標準治療」という考え方を、医療者側にも患者側にも浸透させ、どこでも誰でも安定して質の高い「標準治療」を受けられる仕組みが大切であり、そのための方法論の研究と実践が僕の40年来のライフワークとなっている。
この考えは、基本的には平時の考え方であるが、今回のように、戦時中並みの危機の時は、事情が違ってくるが、基本的考えは変わらない。この数ヶ月のニュースや専門家の論文、症例報告などを追っていると、その「標準治療」は毎日のように変化すると言える。本来「標準治療」とは、その名の通り、安定した治療方法であるが、長い歴史的な目で見れば、10年間続いた「標準治療」も瞬間的なものとも考えられる。そういった考えで、今の事態を考察してみると、「COVID19の標準治療は1週間毎くらいに更新される」となると考える。

元来「標準治療」とは、「その時点、その地域(国)で、医学的に確立された最善の治療として学会など幅広い専門家の間で認められた治療法」と理解して欲しい。それに対し、「先端医療」とは「治験などまだ実験的要素を含んでいるが、標準治療を超える効果の可能性もあるが、未知の副作用の可能性もあり、公的保険が適用されない」となる。その他、特殊な考え方として「代替医療」「統合医療」などがある。

以上を踏まえて、2020/4/16時点で、僕が調査し得た情報から作成した、「COVID19/20200416DrTerra推定標準治療」という長ったらしい名前になるものを提案する。まだ、本来の標準治療やEBM(根拠に基づいた医療)は存在しないが、緊急事態という現状、緊急避難的次善、次次善策となる。

COVID19/20200416DrTerra推定標準治療
何よりも大切なことは、初期トリアージだ。

疑わしい症状や感染者接触が認められたら、全例、PCRと抗体(IgG,IgM)検査を行う。

その上で、陽性者は無症状、軽症、中等症、重症(重篤含む)の4群に迅速に分類(トリアージ)

無症状者 自宅隔離

軽症者  ホテル等の宿泊治療

中等症  人工呼吸器など高度医療可能な拠点病院

重症   エクモまで可能な高度専門病院、コロナ専門病院(今後設立されることを強く望む)

そして、大切なことは、各段階の施設の縦の連携を緊密迅速にしておくことだ。重症化したら、上位(より専門的な)の施設へ、危機を脱したら下位の施設へ。

 

肺炎などに対する一般的治療が、重症度に合わせて行うことは基本になることは言うまでもない。

無症状、軽症の方に適していると思われる治療
 フサン、フオイパン:ウイルスが人間の細胞に侵入するのをブロックする効果を期待。ウイルスがACE2レセプターと結合後の次の段階を阻害するらしい。日本で膵炎の治療薬として、普段使われ副作用なども周知されている
 アビガン :ウイルスが細胞内に侵入後、RNAプロメラーゼを阻害することにより、自己増殖する過程の初期を抑える効果を期待。軽症、中等症からの重症化を阻止する効果が報告されている。副作用については日本では治験などで承認済み。この薬剤は、新型インフルエンザ到来に備えて、日本国家が備蓄するという超特殊な扱いを受けていたが、今がその時で、開放してどんどん使うべきである。70万人分の備蓄に加えて、開発会社の富士フィルムは増産を開始している。
 カレトラ、レムデシベル:アビガンと同様の効果を期待。

中等症に適していると思われる治療
 回復患者血清抗体:理論的には最も効果がシンプルに期待される。比較的早期に実用化されやすい。武田製薬が着手中。
 この段階でも、酸素吸入くらいの重症度であれば、アビガンが間に合えばいいと思われる。

重症に適していると思われる治療
 回復患者血清抗体:理論的には、あらゆる病期に有効と思われる。供給量的問題と副作用を考え中等症以上が現実的。
 オルベスコ吸入:サイトカインストーム(過剰免疫反応)への進展阻止効果を期待。中等症の段階でも検討可能か?
 アクテムラ(トリシズマブ):リウマチの薬で、免疫の過剰反応を抑制する。この感染症の重篤期に起こるサイトカインストーム(過剰免疫反応)を抑制する効果を期待。
 全身的ステロイド大量投与:アクテムラと同様の考えで。一般的にはウイルス性肺炎では推奨されていない。

クロロキン製剤:効果の報告があるが、副作用も考えると、上記の治療薬の範囲に収めたほうがいいと個人的には考える。だが、今後の報告次第。

ワクチン:来年中には実用化できる可能性は高いが、それなりの問題もあり、万能ではないかも。でもマクロ的には、ウイルス撲滅の最高手段となる。

BCG:世界の感染者数と死者数を見ると、関連性はあるように思うが、現時点で予防的に打つことは得策ではないと考えている。

 

本日時点では以上であるが、今後随時更新したい。医学の世界では、今日の真実、明日の嘘、となることも多いので慎重を期する部分もあるが、あえて拙速という時期でもあると思う。
現状最も大切なことは、早期診断し、発症後1週間以内に軽症中等症の間くらい(その判定は微妙だが)アビガン投与を開始し、重症へ移行する割合を減少させることが喫緊の対応策。一人の重症者を減らすことは、1床のICUベッドと1台のエクモと5人の専門医療者を増やす効果と同じである。中国のデータでは60%から90%以上の症例で重症化を防いだ、とあり、日本の観察医療でも効果の報告が次々と出てきている。完全な統計報告までには時間がかかりすぎるので、他に画期的な治療薬が登場するまでは、とりあえずはアビガン開始し、少しでも重症者を減らす(可能性に賭ける)ことが急務であると考える。
政府、厚生省とつながっている方、是非、強力にプッシュして欲しい。

 

みなさん!更に、有効な治療法がどんどん開発されつつあります!希望を持って、今はひたすら自己隔離を実行、拡散して日本の底力を世界に見せましょう!

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200415コロナが教える人の道27 COVID19標準治療(案)その1

2020年04月15日

ようやく、政府やマスコミも「家賃問題」を話題してくれるようになった。このささやかなブログも届いているのかと、独りよがりの錯覚をしている。そういえば2011大震災の時もブログの中で「石川遼くん、大型寄付を!」と書いたらその2、3日後に実行してくれたが、まあ、人間同じようなことを同時期に考えるものである。

「医療判断決断」「標準治療」の重要性を唱える僕の職務であるが、全く未知の「新型コロナウイルス感染症COVID19」においても同じことが言える。しかし、我々には経験値がないから、「標準治療モデル」を構築できない。「標準治療モデル」を作るには、疫学的調査も含めた研究成果も加味した、広い視野でその病気の全体像を見る必要がある。しかし、この感染症の最前線にいる人々は、超多忙で肉体的にも精神的にも追い詰められて、全体像をゆっくりみているどころではない。

僕も含めた、半引退している医師や医学研究者は、現場で働くわけではないから、全体像を眺めながら、比較的ゆっくりと余裕を持ちながら、いろいろな情報を見ることができる。だからこそ気がつくこともある。現に、ノーベル賞の山中先生や本庶先生が、大変有用な提言をされている。現場で命がけで働いている人から見ると、「解っちゃいるが、それどころではない、そんなことを考えている余裕などない!」となるだろう。だからこそ、ここでも役割分担が必要だ。現場から少し離れて、事態を観察できる医師などは、多少専門は離れていても、細部にわたり情報を集めて整理しているうちに、何か重要なことに気づくことがあるかもしれない。そういった知恵も、政府や厚生省の役人は真剣に拾い集めて欲しい。霞ヶ関内部でいるだけでは決して分からない解答のヒントが隠れている。

そんなことで、僕は、なるべく広い範囲で、様々な専門家の論文やインタビュー記事を読み集めている。細部に何か珠玉のヒントが隠れていないだろうか?そして、このCOVID19のウイルス自体の特徴や臨床症状、提案されている治療法などの情報を一覧性があるように並べて眺めている。

全く未知のウイルスとその感染症なのであるから、今回起きている様々な情報から「標準治療案」を考えていく試みを始めた。本来標準治療の半減期は3年くらいとも言われている。結構短いのに驚くが、COVID19標準治療の半減期は3日間?程度かとも思われるが、あえてチャレンジしたい。

次回から、その2、その3と日々変わり、1年後には跡形もなくなってしまうかもしれないが、そうなるということは画期的な新しい治療法が発見されたことに他ならないので、その場合は至上の喜びとなる。

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200413コロナが教える人の道26 痛み分けの精神2

2020年04月13日

「自分が感染者かもしれないとの前提での自主隔離、自宅退避などの行動」が、この憎きウイルスにたいして今できる最強の攻撃である、と再三言い続けている。そのために政府をはじめ政治家、研究者、医療関係者などみんなが必死に活動している。やむなしに休業をお願いしていいるお店や出勤自粛をお願いしている企業など、大変な状況であろう。今生きている人たちには、かつて経験のない世界的規模の危機である。人間、自らが招いた世界大戦という危機もあったが、それを経験した人々も今や少なくなりかけている。

こんなウイルスが発生し、蔓延した理由を科学的政治的にもいずれ追及、追求していくときも遠からずくるであろうが、今は、なんとか最低限の被害で済むように、全世界が力を合わせて戦う「宇宙戦争」みたいな状況だ。そんな時の共通の心構えとはなんであろうかと考えるが、その重要な一つに「痛み分け」ということがあるであろう。今、東京はじめ、各地で問題になっている「休業要請」と「補償」問題などその典型である。国民も、政府も、経営者も、お客もみんなみんなが痛みを共有して我慢しなければならない。そう思いながら、苦しむ飲食業の経営者の声を聞いていると、「家賃も払わないといけないので、とても人件費は無理で、辞めてもらうしかない」というような叫び嘆きが多い。「家賃より人件費を優先するというのはどうなんだろう?」といつも不思議に思っていた。ようやく、政府などもそのことに言及するようになってきた。苦しんでいる飲食店の経営者や従業員がいるのに、なんら現場でのコロナ感染のリスクさえなく平然と家賃を頂こうとしている不動産オーナーたちが、シャイロックどころでない鬼のように想像してしまっていた。家主たちから「店子さんたちがかわいそうだから、家賃を免除しよう。その代わり固定資産税も減免して欲しいなあ」という声を聞きたかった。政府が先に「固定資産税を考慮するから、家賃も考慮して」とそのことにやっと気がついた(以前から気がついていたが、やっと発言?)

この非常事態、様々な場面で「痛み分けの精神」が必要になってくる。どちらが正当だ、などと争う前に。

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200409コロナが教える人の道25 自粛要請 休業補償 痛み分けの精神

2020年04月09日

「ウイルスが教える人の道」とは読み人知らずであるがよく言ったものだ。昨日の朝日新聞の1面記事で、社会学者の大澤真幸さんのインタビュー記事も興味深かった。朝日新聞のサイトで今の時期に限って無料で見られるからぜひ読んで欲しい。そして深読みして欲しい。この紙面で内容を紹介することは割愛する。

今、テレビの報道番組などで話題になっている「自粛要請と休業補償」の問題。零細な個人経営の飲食店などの悲鳴が聞こえてくる。テレビなどで紹介されているのはごく一部であろうから、その間接的影響も加味すれば、実態は計り知れない。半年前に、息子が一時赴任していたこともあり、2週間ほど滞在していたパリは一体どうなっているのだろうかとの思いが脳裏をよぎる。有名店より、街中の小さな地元に愛されているお店が好みの僕にとって「あの小さな店は無くなっていないだろうか?」と案じてしまう。欧米での対応は生やさしい自粛どころではないようだ。それでも1ヶ月頑張って、感染者のピークを抑え、やがてはいろいろなものが復活していく姿が想像される(そうあって欲しいと願う)。

日本のこの自粛の状況を見ていると、確かに業種によるばらつきは多い。かえって増収になっている業種もあるようだ。個人飲食店などは、「家賃と人件費」により潰れる瀬戸際のところもある。誠に不公平な状況である。国や自治体の保障も確かにそのやり方が難しいのであろう。本当に逼迫しているところに助成をしたいが、そのやり方が難しい。ゆっくり考えられるならいいのだが急を要する。誰かが提案していた「自己申告でも何でもいいから、とりあえず助成する。そして来年の確定申告でもいいから、落ち着いてからきちんと精算する」というやり方が一番現実的かと思うが、政府からそのような発案は今のところない。「より弱者を救済し、社会全体の健全化を目指す」のが政治の大きな役割の一つである。そもそも僕は個人的には「ふるさと納税」などには反対で、一度も利用したことはない。明らかに富裕者や高給取りを優遇するあのような制度を堂々と進めている政府や自治体の公平性や公正性の欠如に呆れ返っているからだ。

全国民的危機の今現在、国民は一致団結して立ち向かわなければならない。「自分たちは自粛要請対象業種にならなくてよかった」と思っている場合ではない。各自、できることを最大限にするべき時だ。「痛み分け」の精神がこの危機に立ち向かう基本だ。みんな我慢すれば、国民は納得して我慢できる。「なぜ自分だけ?」と思うと不安が怒りに変わっていく。
具体的な話に戻ると、自主休業するのはいいが、家賃と人件費がのしかかる。解雇だ、休業手当が出ないなど人件費の問題を取り上げる報道が多いが、東京など都会では、前者の「家賃」の圧迫が多い。痛み分けの精神なら、まずこの家賃の支払い免除要請をするべきであろう。一般的に考えて、場所を提供している不動産所有者は、余裕があることは自明である。税金は納税延期を決めている。(できれば休業中に按分して納税免除もするべきであろう)税金と家賃をなんとかすれば、経営者は無理をしてでも従業員の報酬を半額でもいいから捻出できる可能性は高くなる。これで「痛み分け」の構造が出来上がる。現に、老舗の店で、自社ビルで営業するお店は、一、2ヶ月店を閉めてもなんとか持ち堪えられるところが多い。

元々現政権に対し、「弱者には形式的な救済」「富裕層にはお友達としての優遇」を感じ取ったから国民は反感を持っていたのである。権力や金力に関係なく平等公平に襲ってくるウイルスの脅威を目の当たりにして、人のあり方を問いただす絶好の好機ではないだろうか。国民は強く勇気のある公正で献身的なリーダーとしての政府や総理の活躍を期待している。一億総期待状況なのだ。ひとつよろしく!

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200408コロナが教える人の道24 緊急事態宣言の考え方

2020年04月08日

ついに日本でも緊急事態宣言がでた。そのタイミングや内容などに国内外から賛否両論の意見も発出されている。感染予防という観点からは出せるカードは全部出すことはベストであろう。しかし、政治や経済や生活の観点から見れば、なるべく最低限のカードにして欲しいであろう。
欧米のように、完全封鎖で罰則があるような「国家命令」なら、国民側としては従うしかなくその場合は迷いはない。日本の現状のように個人の考えを大切にしながらの国の舵取りは極めて難しい。知事や総理でなくてよかったと大胆にも、つい思ってしまう。

医療決断支援の仕事をしていると、重大な決断はとてつもなく困難で苦しいことであることを理解できるし、自らも日々体験している。ある決断をしようとしても、他の選択肢が気になるし、選ぼうとしている決断の副作用が気になる。そんなことで、決めかけても心は揺れる。周囲のものも、本人のことを思ってはいるが、若干無責任にいろいろ助言をするから、決断はさらに揺らぐ。この繰り返しである。そのような迷う医療決断の支援が僕の任務だ。その経験からいくつかの原則を発見した。
「結果からみて、過去の判断や決断の評価をする」ことは、我々医療判断の専門家としては判断力のレベルアップにはなる。しかし、決断する人にとっては何度も繰り返す場面でもなく、滅多にない一生の一大事の重要判断決断で迷いに迷っているのだ。その上でやっと選んだ選択の決断の結果、思わしくない結果が生じたら、一生後悔することになる。大体から、それほどの重要な決断を要するときというものは、いずれの選択決断を選んだにしろ、厳しい結果が待ち構えているのである。
今のコロナ危機も同様である。
「将来の結果から今選んだ決断を自他ともに責めることはしない」「決断する時は、熟考した上で後悔しない<この選択がベスト>という強い気持ちで行い、その上での持てるカードを最大限活用する」ということが大切である。もう一つ、決断を悩む時は、複数の重要な「要素」があり、ある「要素」はこちらが大切で、別の「要素」ではあちらで、、、、ということで行ったり来たりと決められないことが多い。そんな時は、まずそれぞれの「要素」の優先順位を決めてから、2番目以降の「要素」で、選択肢を固定できるものは固定して考えていくことだ。
今のコロナ危機で言えば、要素は「感染予防治療」「個々の生活」「国としての経済」の3大要素がある。それぞれの「要素」は、「あちらがたてばこちらがたたず」となる。大抵の困難な決断にはつきもののことである。医療者から見れば「感染予防治療」が最重要であり、個人や経営者から見れば「個々の生活」、政治家から見れば「国としての経済」がそれぞれ重要となる。そして、それぞれの立場から意見を戦わせて、落とし所を探していくことになる。しかし、なかなかひとりで決められないから、スッキリとはいかない。
現状では、こういうことを分かる人は判るのだから、「命最優先」というほとんどの人が反対はできない大命題を錦の御旗として、リーダー(総理ということになるか?)がえいやっとやり、責任を一手にになって決断するしかない。多少、気の毒な気もするが、一国のリーダーたるものは、国民、特に弱者を身を張って守ることが本来の使命ではないだろうか。そんな格好いい尊い使命を誰もが持てることができない。周囲のお友達の利益を誘導するために総理を目指したのではあるまい。

閑話休題、現実的な話に戻ろう。様々な自粛要請を受けて、我々国民は具体的にどのように行動していくか?
「ウイルスは勝手に拡散しない、人から人へ、直接または間接的に」「理論上は、1ヶ月全国民が個室に閉じこもればコロナは撲滅する」というのが大原則(セントラルドグマ)である。そこから行動を考える。
いつも会っている家族や身近な人(その人の行動がほぼわかる人)以外には極力お互いに接触しない。
複数の人が触れたものを触った場合は手洗いをまめに行う。

たったこれだけのことを、それぞれの人にあった方法で実行するだけのことである。

しかし、人のふれあいがないとストレスがたまるし、長期戦となると生活が虚しくもなる。
上記の大原則を守りながらもできることは結構ある。
散歩、ジョギングは一人や夫婦などで行うことは問題ない。(ゴルフなども、車で行って、レストラン、ロッカー、風呂など使わずに終わればすぐ帰ればリスクは低そう!。)
映画が好きな人は、映画館には行けないけれど、自宅で見ることはできるので、映画館のような雰囲気を作り(携帯を切り、少し部屋を暗くするなど)ポップコーンを食べながら見る。
(僕も、好きな映画、ゴッドファーザーなどを見直した。結構再発見がある)
今まで気になっていた小説などをまとめ読みする。(こんな機会がなければ、一生読めなかった!)
意外と面白いのが「オンライン乾杯」いつも飲み歩く仲間とビデオ通話で複数人で繋がりながら、一杯やると、また新鮮な面白味もある。

そうは言っても、実際に触れ合いながら語らう有り難さはしみじみとわかる昨今。その時のための話題を書きだめしておくことにする。
 

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200406コロナが教える人の道23 一体いつまで?

2020年04月06日

「一億総不安」状態となっている我が国ですが、世界中でも同じでしょう。「総」と言ったら、「俺たちは気にしていない」「勇気があるから怖くない」などと言っている人から苦言を呈されるかもしれない。前回のブログでその辺については言及したので参照して欲しい。

今回のテーマは「一体いつまで?」ということである。医療の総合相談役を自認する僕にとって、心の問題について相談されることも少なくない。そんな時に患者さんは「トンネルの出口が見えない恐怖不安」という表現をよくされる。「いつまで我慢すればいいのか?」「いつ逃れられるのか?」というのが不安を招く大きな要素となる。

中国に始まったこのCOVID19だが、韓国に飛び火し、いよいよ日本かと思っていたら、イラン、イタリア、スペインで爆発し、次には米国である。その間、日本では、じりじりとゆっくり増えていき、欧米の様子を見ながら、今か今かと真綿で首を絞められるような感じが続いていた。いよいよやってきたかという感じになってきた。ここまでピークをずらせて頑張ってはいるものの、それだけ不安状態が長く続いていることになっている。だから「コロナ疲れ」や「自粛疲れ」などという声も聞かれる。我慢はこれからが本番であろう。しかし、ピークを遅らせてきた恩恵はある。いろいろな治療薬の試みがかなり進んできた。ワクチンの開発も進んでいる。もう一踏ん張りピークを延ばせることができれば、アビガンはじめとする数種類の効果的な薬の効果判定の結果が出て、日本でも実際に使われることになる。

テレビ報道では、暗い話が主体だ。マスコミの視聴率優先の癖もあるのだろうが、国民への危機意識を、という配慮もあるのかもしれない。しかし、トンネルの出口を見せるような希望の報道も2、3割ないと不安に喘ぐ国民は我慢が続かない。また、我々国民を最も脅かせているのは「罰則もなく、コロナも怖くない(怖さを実感しない)から、やりたいことをするまで。それにどうせ治療薬もないのでしょ」と半ばヤケクソに行動自制をしない2割の人たちだ。「2割の人が全体を支えている」というパレートの法則は「2割の人が全体を壊す」ともなる。

「国民を守るためには厳しい取り締まりも必要」とは持論であるものの、明るいトンネルの出口を見せてあげることも、脅威の2割の心を揺り動かす「太陽」になるのかもしれない。
諦めないで頑張り耐えていると必ず光明がさす。

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200406コロナが教える人の道22 怖い命の選別?見えざる不公平も!

2020年04月06日

すでに医療崩壊状態にある欧米では、標題の「命の選別」という言葉がよく聞かれるようになった。悲しくぞっとするような話だ。
「諦めない、手を抜かない、やりすぎない」を医師のモットーにしたいものだ、と周囲の医師や患者さんに口癖のように話している。
元々、日本は欧米に比べて国民的に「義理人情」「判官贔屓」「温情」などを大切にする風潮も強く、当然医師の間でも「諦めない、手を抜かない」という意識は根強い。
そんな中で、足りない人工肺やICUのベッドを高齢者から若年者に振り替えないといけないという選別が現場の医師に迫られるとしたら、医師の精神的苦痛は測り知れないし、医療関係者の中でも精神的犠牲者が出てくる恐れもある。明確な解決方法は思い浮かばないが、言えることは、現場の医師や医療関係者に決断を任せるのではなく、国としての基準を作ってあげるしかない、ということである。

「命の選別」恐ろしい言葉である。でも、今までにも我々人類は経験している。重要なことは、それが権力や経済力と決してリンクしてはならないことだ。
今の世界的な漠然とした傾向は「助かりそうもない人(高齢者)」を諦め、「助かりそうな人(若い人)」を優先するということであろう。ある意味では、やむを得ないとも思うし、最も合理的な考えとみなされていると思う。しかし、以下、批判を恐れず敢えて言いたい。テレビの報道を見る限りであるが、このような事態で、「3密を避けなさい」「自分が人にうつさないこういう行動を」と言っているにもかかわらず、いまだに、自粛要請を知っているにもかかわらず、「自分は関係ない」「若いから大丈夫」「今日の集会(出会いのコンパ?)に来ている人は生命力のある人だから、この出会いに感謝したい」などと言っている人(人間としての基本要件を持たない人間以下)の映像を見ていると、このような人が感染したら(感染確率は群を抜いて高いはずだが)、病院へ行き貴重なベッドなど貴重な医療リソースを消耗する。そしてそれを日本の保険でカバーすることになる。そして、「こんな輩からうつされて重症化した高齢者の医療を省いて、代わりにこんな輩に注がれるかもしれない」と想像しただけで身の毛がそそり立つような憤りを覚える。こんな不公平なことがあって良いだろうか。貴重な医療リソースを守るためにも、皆様には、もっと大きな視点で考え「強烈な自粛(これ本当の勇気!)」をお願いしたい。感染が落ち着いたときに、「自分が果たすべき役割は十分行なった英雄の一人だ」と自己肯定ができるようにも。

京都大学のある准教授が、かなり激しい言葉で、無防備に夜の街中をうろつく若者(だけでなく中高年者も)に注意を喚起していることが話題になった。イタリア、スペインでは知事や首相が「軍が火炎放射器を持っていくぞ」と叫んでいる。本来政治のリーダーたちにお願いしたいところを個人の先生が勇気を持って発信していただいていることに敬意を評したい。

このブログを読んでいてくれている貴重な良識人に再度お願いしたい。
理論的には、日本国民全員が、これから1ヶ月それぞれ別々に閉じこもったとしたら、憎きこのウイルスを壊滅できる」のである。憎きこのウイルスは人間の力を借りないと生き延びれないのだから。
このウイルスの伝播率は、ひとりにつき1.7人かそれ以上だという。それなら我々がそれ以上に速いスピードで「自宅退避の重要性」を仲間に伝えないといけない。つまり一人につき、周囲にいる楽天的に活動している3人以上にそのことを厳密に素早く伝え、さらに次々と3人以上に伝えるようにお願いする活動を提案したい。
我々のような、正確な知識を伝えるべきリーダーには一人30人以上目標にお願いしたい。

ともかく人から人へウイルスが伝播していくことを最小限にしていく活動が基本だ。
そして、一線現場で活躍する医療従事者、また、不眠不休で治療薬を開発している研究者たちへ熱きエールを送り、各自できるだけのことを考え実行することに尽きる。
いくつかの治療薬の効果の報告が出るまで、なんとか持ちこたえるようにしよう。

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200402コロナが教える人の道21 軽症者病院設立は待ったなし

2020年04月02日

なぜ日本の検査件数は、こんなにも少ないのか?誰もがそう感じ、多くの医療関係者もそういうし、専門家委員会も同意見だ。それでも何故?最初の頃は、オリンピックがあるから、感染者数の増加を見せたくないのでなと多くの人は推定していた。しかし、今やその理由はなくなった。でも、まだ検査数は増えない。実際、咳が出る患者さんが不安で検査を希望して、保健所を案内しても「検査は拒否されました」となる。おおくの仲間の医者も同じことを言っている。

答えは明確である。「検査が陽性なら、指定病院への入院」という感染症法の存在である。何故そんな法律が?と言っても、感染を蔓延させないための条項なのであろう。しかし、今回の状況はその法則が当てはまらないのは、誰の目にも明らかである。検査をきちんとして、その後トリアージをきちんとして、軽症者病院、中等症病院、重症病院へどんどん振り分けしていかないと、あっという間に専門病床はパンクするのは誰でも分かる。何故そうしない、できないのかはいずれ理由が分かるであろうが、責任と権限をきちんと持ったリーダーがいずに、複数の人や組織というい枠組みでしか判断できない体制だから「そんなことをして万一、事故が起きたら誰が責任を取るのか」というこんな危機的状況では極めて無益な反論が枠組みを硬直化させているのであろう。

権利関係など言っている場合ではなく、選手村の3000人以上収容できる施設を多少即席でも改造して、軽症陽性者を入院させる。やはりそこにも医師や看護師は最低限必要であろう。緊急事態として「準病院」として認めればいい。単なる滞在施設では弱すぎる。軽症と言っていても、少数だが急激に悪化する患者もいるから、自宅待機は無理な話である。大体から、軽症でも専門病床に入院させるという法律に固執しておいて、いきなり自宅待機となるというのもどうかしている。物事には順序がある。それがトリアージの大きな役割だ。トリアージをきちんとすれば、今の東京の危機は回避できる可能性は高い。東京で回避できれば、これから続くであろうその他の地方での感染拡大にもその経験は役立つ。今のイタリアやスペインや米国のようになったら、そのような丁寧なトリアージは不可能になってしまう。

国民は、それぞれの立場でできる最善をすることが最重要だ。自分だけ良ければいい、というのでは今回の危機は逃れられない。一般人は「自宅退避」という積極的武器でウイルスと戦うこと。一般人でも、各種団体集団、会社などのリーダーの方々は、仲間を守るためにも、未来の人を守るためにもきちんと行動するべきことを周囲の人に伝える。医療人は、特に貴重な資源であるので、自分の身を守りながら(医療人に限り「うつらない」を優先することが、人を守ることに通じる。)ウイルスと戦う周囲の人たちのリーダーとなる。専門医のリーダーたちは、政治や経済に忖度することなく、最善の方法を主張する。政治家は、それを踏まえて、国民の生活を守ることも考えつつ、落とし所を考えて、素早く実行する。経済界の重鎮たちは、もしかしたら、この危機を乗り越えかけた時くらいから力を発揮してもらうことになる。資本主義に基づく経済競争を一旦リセットして、経済リソースをなるべく遍く国民に還元して、そこからまた、新たに経済競争すればいい。

夢物語的な国民の行動規範を述べてみた。

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200402コロナが教える人の道20 自宅退避はウイルス撲滅の最強武器だ

2020年04月02日

コロナ疲れや自粛疲れなどと言われる。誰もが同じ気持ちだろう。ここで、発想の転換をしたい。自粛と言われるから「我慢」「辛抱」という言葉を連想し、「ウイルスから逃げ隠れするのに疲れた」という感じになる。しかし「自宅退避Stay at home」は、ウイルスに対する一般国民ができる最大の武器であると強く意識すると感じ方のイメージが変わる。ウイルスのやつらは、自分の力で増殖できない。人の細胞に取り憑いて、人の力を借りて増殖し、人の移動に乗じて自らも行動範囲を拡大するのである。それこそがウイルスの弱点である。幸い、今のところはこのウイルスはほとんど人間に取り憑くから、我々人間がそれを拒否すれば、奴らを兵糧攻めにして移動を封鎖できるのだ。一部動物への感染の可能性も報告され始めたから、今が奴らを封じ込める最後のチャンスかもしれない。
いつもは楽観的なな外科医をしている息子が、今回は思った以上に警戒している。彼がSNSに「発想の転換をしよう。自分がうつらないように気をつけるのではなく、自分が感染者だと想像して人にうつさない行動を意識することで、いろいろ見えてくる」と書いたようだ。直接息子を褒めることはしないが、「その通りだ」と思う。「うつらない、うつさない」と両建てで考えていたが、「うつさない」と一本化することで、行動指針がよく見えてくる。
それで自分が取るべき行動が見えてこないとなると、その人は新型コロナ以前の問題かもしれない。

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200327コロナが教える人の道19 コロナが引き出す悪魔の心とならないように

2020年03月30日

表題は、確か新聞で見かけた川柳である。でも言い得て妙である。この国家的危機に際し、民衆の取る行動はまさに千差万別である。専門家の言っていることも十人十色であるから、それを聞いている一般人の心が揺れるのも尤もだ。しかし、どのような専門家も完全無欠な意見は言えない。何しろ、初めて体験するウイルスであり、かつ、既知のウイルスとはその特色が異なる部分が多いように見える。そうは言っても、多くの部分は一般論としての感染症やウイルス学が当てはまる。

昨日、一昨日(3月末の週末)は、東京で、「外出自粛要請」が小池都知事より強い口調で示された。それに反応して、都民の大方は外出を控えた。しかし、ある放送局の聞き取り調査では、なんと15%の都民が「いつもと同じように外出した」と答えた。「やむを得ない理由で外出」ではない。パレートの法則をご存知であろう。「概して世の中は20%の人により動かされていく」という考え方だ。この危機を救ってくれるのも、20%の人々であり、みんなを滅亡へ導くのも20%の人々ということだが、僕は下手をすると20%ではなく5%と言っても大きな間違いはないのではと思っている。
「自分自身がウイルスの運搬人になることの恐怖」を想像できる人は80%いるだろうが、それを感じない、思わない、むしろ否定する20%の人は、このウイルスを蔓延させる要因としては十二分な量になる。悲壮な状況に陥っているイタリアでは、知事や首相レベルの人が「(そんな集団には)火炎放射器を持った警察を向かわせる!」と叫んでいる。必死である。気持ちはわかる。しかし、日本で政治家がそんな発言をするととんでもなく非難されるだろう。(勇気ある政治家を期待するところだが)全ての人を説得させるには「太陽か?風か?雨か?、、、」僕には答えがない。

こんな時こそ、模範やリーダーが重要だ。我々年寄り組が「若者たち」に理解を求めて叫ぼうが宥めようがその効果は限定的だ。それぞれの集団のリーダーや憧れ的な人々から発信することこそ重要だ。テレビニュースや新聞を見ない人に、著名ユーチューバーが自粛を呼びかけたと聞く。「あっぱれ」だ。結構効果があったのではないだろうか。世の中の人気タレントやアイドルたちが同様の行動を倍加してくれることこそ最後の15%に訴える方法だ。無観客ライブをネットで流し、「この場に来れない人こそ本当のファンです」と叫んでほしい。そして本当のファンなら、ネットを通じて〇〇ペイで、好きなだけ払えばいい。それこそ「ファン中のファンです!」

それでもダメなら自衛隊か機動隊に頼るしかない。この危機的状況を知りつつ、3つの「密」をあえて行うものは、「凶器準備集合罪」に等しい行動とみなされてもいい危機的状況間近なのである。

しかし、僕の本音は、このコロナウイルス禍を乗り切った暁には、自分の権力やお金を追求するのが自由な資本主義の真髄と確信して突っ走ってきた我々は深く反省し、人の痛みがわかり弱者に配慮して控えめな行動できるものこそが賢者で強くクール(格好いい)だと分かる世が到来するものと信じている。その模範として、家族や年寄を大切にし尊重し、スローライフを実践していたイタリアやスペインがこの行き過ぎたグローバル時代の呪いを受けている姿に心が痛んで痛みすぎている。そんなイタリアで、看護師のボランティアを求めたら7000人も応募した。コロナで犠牲になったものの10%が医療従事者というのに!辛い、辛すぎる。

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