標題の「ウイルスが勝手に拡散するのではなく、人がウイルスを拡散するのである」という内容の言葉は、僕のオリジナルではない。COVID-19で21歳の若さで亡くなった英国の女性の叔母様の言葉の邦訳である。姪を亡くした悲しみの中から、振り絞ったメッセージであろう。小池東京都知事が、「ロックダウンの可能性」を示唆し、今週末の外出の自粛を要請した昨日の夜、テレビに流れた高田馬場で若者が集まり大騒ぎして酔い潰れてしまっている光景を見て、驚くといいうより呆れ返った。少しでもこの危機に役立とうと頑張っている若者が多数いる中で、このような乱痴気騒ぎに参加している人々の脳の中はどうなっているのであろうか?ウイルスよりはるかに怖いのは、こういった人間たちだ。コロナウイルスの検査だ、と称して女の子にいたずらをしたものまで出てきたと聞くと医療崩壊どころか人間崩壊の危険さえ感じる。
法律では、厳密なロックダウンが施行できないという。国民の叡智や善意や他者を思いやる心に頼るしかないことになる。
こんなマイナーでおじさんくさいブログを見ていただいているのは、極々少人数の方々であろう。しかし、その方々は極めて高い知性を持った方々だと信じている。皆様方が、周囲の方々に、知性や弱者をきちんと思いやる心を持った特に若い人たちに伝えよう。
「自分を守り周りの人を守る行動を勇気と根性、根気をもって成し遂げよう」「ウイルスを拡散する人間にならないよう、最大限の努力をしよう!それは実に格好いい行動だ!」
「本当に偉い人は、素晴らしい権力の座についた人でもなく、大金持ちになった人でもなく、ノーベル賞をもらった人でもなく、そんなこととは無関係に『弱者への思いやりをきちんと持つことができる人だ』」
どこかで誰かが言っているのを聞いたことがある。
世界中のCOVID-19の広まりは、日々深刻さを増している。そんな中で、患者数データをイタリアやスペインなどと安易に比較だけしていると「日本は大したことない。大騒ぎして自粛するのは馬鹿みたい」と思ったら、それは本当の馬鹿だ。こんなことを書いたが、「半年先になってみると3月中旬がピークであったなあ。」「なんでも自粛、自宅退避などと言っている人のせいで経済的に打撃を受けた」と責められる恐れもあるかもしれない。でも未知なるウイルスのパンデミックに際して、強力に防衛することは、結果的に過剰であったとしても「馬鹿な行動」ではない。もちろん、「過ぎたるは及ばざるが如し」も真理である。「マスクやトイレットペーパーの買い占めなどの行動」と「過剰気味の自宅退避」「熱心すぎる手洗い」「人にうつす軽傷感染者になることへの過剰な恐れ」などの行動とは似て非なるものである。その差異は、常識を解する人間にとっては理解は容易であるが、常識を解さないくせに変に理屈っぽい人間にとっては理解できない。有名な小説にあった登場人物の台詞と記憶しているが「説明しないと分からない人間に説明しても分からない」という言葉を想起する。
テレビなどの報道を見ていると、聞き慣れない言葉が次々に登場する。我々医師でも、初めて聞くような言葉もあるから、一般の方々にとっては理解するのに時間がかかったり、誤解したまま情報が積み重なっていくこともあるだろう。パンデミック、クラスター、オーバーシュート、PCR、集団免疫、、、、などなどいっぱいあるが、それぞれが現状理解のために不可欠なキーワードである。そして国民が現状理解してこそ、この危機を乗り越えられるのである。
目下のところクラスター感染を最小限にしていく地道な努力が大切なのに、この連休は「中だるみ」したようで、アングラライブが開催され、その映像がテレビで流れあきれ返った。ほとんどの観客はマスクもせずに大声上げて狭い空間で叫んでいるから、避けるべき3条件をそのままピッタリ当てはめているから、呆れて物も言えない。ほとんどが若者であるから「俺たちは感染しても軽症」と思っているかもしれないが、もしそうならウイルスよりもその思考が怖いと僕には思える。ではどうしたらいいのか?そのためには、国民の中でも自他共に認める「賢人」が、しっかりと勉強して周囲の人と我々が置かれちるリスクについて語り、それをウイルスの拡散速度よりも早い速度で広めていくことだ。確かに、いろいろな情報が錯綜するテレビやネットの中で、なるべく正確な情報を勉強していくのは困難であろうが、テレビでもネットでもよく見ていると「信頼できそう」な情報や見解が漠然と見えてくる。その情報に安全係数を若干(2、3割増しと言ったところであろうか)かけて理解するといい。
本日友人から教えてもらった下記のサイトがよくまとめていると感じたので、参考までに掲載しておく。内容は大部であるから、各自、取捨選択して欲しい。
毎日、暗いニュースの連続で、「コロナ疲労」が全国に広まっているようだ。もともと悪意のある連中は、マスク転売や「自分が感染したから人にうつしてやる」と発想する人など、報道を見るだけでも虫唾が走る。しかし、落ち着いて世界の状況を見ると、日本の医療体制の素晴らしさ(レベル、安定度、医療者の情熱、国民誰でも、安価などなど、、、)に改めて感心し、同じ医療業界人として誇りにも思っている。だからこそ、そんな日本の医療体制を大切に温存しながら、この危機を乗り越えたいものだ。
医療や介護の現場でいる人たちの使命感で今のところなんとか支えられているが、それにも限度があるだろう。新型コロナ流行とは別に、以前と同じく毎日癌の宣告は行われ、患者たちは悲しみと不安に陥っている。同じく、心筋梗塞や脳梗塞、脳出血などの重病でも同じことが起こっている。そういう現実を、皆さん理解してほしい。
そんな中、光明が見られるニュースも悲観的なニュースにひっそり隠れながらもある。効くかもしれない既存の薬剤の治験も粛々と行われているようだ。近いうちにその効果の程度も発表されるだろう。米国では早くもワクチンの治験が始まったというニュースも流れた。日本でも、このウイルスの抗体が分離され、まずは簡易な検査キットもまもなく登場するようだ。抗体は治療にも結びつく期待もある。
僕の個人的な感想だが、COVID19と呼ばれるこの感染症の臨床像があまりにも極端に分かれることだ。もちろん高齢者や基礎疾患のある人と若い元気な人でその重症度が異なることは他の感染症やその他の疾患でもよくあることだが、COVID19の場合、あまりにも二極化しているように僕には思える。微妙にタイプの異なる複数のウイルスが存在してはいないだろうか。ただ、宿主が他の動物由来のウイルスがそのような変異を遂げてヒトヒト感染を同時発生的に起こす可能性は極めて低いだろうから、やはり宿主側の問題で、臨床経過の二極化が起こっているのだろうと解釈した方が順当なのであろうか。
またある文献で、このSARS-COV2は、我々の体内の血圧調整に関係するACE2をリセプターとしていることも判明したようだ。この辺からも検査法や治療法のヒントになっていくのではと期待している。
前回のブログで書いた「富裕者からしっかり税金を頂く」ことの方法論はいくつかあるだろう。
「人が頭と労力を使って稼いだものを、国が税金として取り上げるのはけしからん。税金がもっと低い国もある。大体から何に使うのかもわからないし。」というだろうし、大体から今の政権中枢の人たち(いつもそうだろうが特に今のお友達内閣は、、、)は、周囲の稼ぎ頭たち(セレブたち)が大好きで、その優遇を元に力を蓄え続けている。その姿は美しいであろうか?人間的魅力に乏しい集団が「お花見」に集まったのだろうと、想像してもゾッとする。
9年前の東日本大震災の時、当時大人気で、相当な稼ぎで有名であった石川遼プロゴルファーがいる。僕の2011/3/16のブログの中で次のように書いた。
また、富裕層といわれる方々には思い切った寄付もお願いしたいと思います。義援金と呼ばれる我々庶民からの小額の寄付を集めることも大切でしょうが、大口の寄付は手続きも簡単で効果は絶大だと思います。
アメリカで難を逃れた石川遼君。昨年の稼ぎの残りを全部寄付してはどうでしょうか?本当の国民的英雄になれます。そして、綺麗ごとを言ってはいるものの、国民大衆からお金をトローリングして、その力で政治家になろうとしているような偽善者のなかに潜む本当の人情を引き出す模範となってみてはどうでしょうか?
すると、まさかこのブログを見たわけではないだろうに、その年の全賞金を寄付したのである。
そして同年3月31日のブログに次のように書きました。
このシリーズ第5回目に「石川遼君、昨年の稼ぎをみんな寄付してはどうだろうか?」と提案しましたが、まるでそれに呼応してくれたかのように、昨日、「今年の全賞金を被災者のために寄付する」と宣言してくれました。日本を代表する人気者が率先して、自己犠牲を伴った支援をする模範をしくれた意義は大きいと喜んでいます。イチローはいつもながらいち早く名乗りをあげましたし、松井も続きました。
実業界ではあまり出現しないのは残念です。
あまりセレブ業界のことは縁遠く分からないし具体的な試算はしていないが、例えば、年俸5000万円以上の部分は所得税を95%、過去3年以上黒字の企業法人税を90%、フルタイムできちんと働いているのに年収250万円以下の人(上記法人税にすれば社員の給与を上げる法人は増えると思うが)には何らかの補助金を、とすれば消費税0としても十分にやっていけるのではないだろうか。今回のコロナ被災でも分かったが、医療や福祉をインフラと捉え、民間営利型から、半官半民もしくは国営とすると国民の安心感は増すとは思うが。
家族や友人からは「あんたが政治家になったらすぐに暗殺されるね」と言われている。
何事も模範が一番効果がある。親は、子供に偉そうに叱るよりも、自らが範をなせば、必ずその背中を見ている。痛いほど分かる。そう思わないだろうか、皆さんは。
新型コロナウイルス肺炎による国家的被害もさることながら、このことによる経済的生活的被害の方が先に強く出て、日本も厳しい状況に追い込まれそうだ。貧富の差の拡大が問題だと、米国では大問題、日本でも彼岸の火事ではなくなりつつある中、このままこのコロナ感染が拡大すると、適切な治療を受けられる格差が起こったり、経済的には、弱者が切り捨てられていく様相を呈し始めている。もちろん治安も悪くなる。米国ではそれに気がつき始めた、企業経営者がボツボツと出始めたようだ。民主党候補に名乗りを上げた(今は降りたが)ブルーンバーグ氏は「我々みたいな富裕者からしっかりと税金を取らなければ今後の米国の財政は危機になる」というようなことを言って立候補したと聞く。売名行為での言葉かどうかはその真偽は僕にはわからないが、言ってることは重要で正しい。また、ある有料企業の経営者は、自らの報酬を億円単位で落とし、全従業員と同じ700万円程度にした。「一部の経営者が高額な報酬を取っていく時代は過ぎた」というようなことを言ったらしい。日頃から経営者や経営陣の報酬が高額になりすぎている(従業員平均報酬の5倍くらいまでが限度にすべきだ)と主張する僕ではあったが、「何もそこまで」と思ったが、その経営者は実に格好いい。うらやましくらいだ。
政府は「思い切った経済対策を考えている」と言っている。彼らにとっては、せいぜい消費税を10%から5%に下げる。しかも期間限定で、くらいではないだろうか?貧富格差が広がる面白くない世界をリセットする大チャンスとして、皆が驚き、拍手喝采する(一部の人たちは渋い顔をするだろうが)ような、「あっと驚く政策」を打ち出してほしい。
消費税はこれを機会に「0」とする
足りない分は、過剰に稼ぎすぎている、過剰に蓄積している人や企業から放出してもらい、日本はこれから、穏やかな成熟した国を目指す!
たったこれだけでいい!
テレビのコロナ関連番組に、疲れながらも気になるから見てしまう、という方々は多い。我々医師の間でも、感染症が専門でなければ、正確なコメントは難しい。それどころか感染症の専門家の間でも意見が分かれている。そんなかで、バラエティー番組的なゲストが口々に不安や政府や中国などへの文句などを並べ立てる番組はいい加減やめてほしい。こういった非常事態の報道は、民放は協力して、専門家情報を流す一番組に統一して、NHKは政府からのメッセージに統一するというような仕組みにできないものだろうか?それだけで、国民の不安は軽減するだろうし、過剰な買い占め行為は抑制されるであろう。
医療判断学を開拓した僕でも、今の状況の判断と行動には悩む。なるべく専門家の冷静な情報を読む(できれば文章化されたものがいいが、タイムラグは生じる)ようにしている。WHOのある専門家の文章で感じたことだが、「中国の患者数などの数字は当てにならない」と小馬鹿にした報道をよく耳(目)にするが、案外そうではなく、中国の医療人は結構頑張っているし、SARSなどの経験値もそのレベルは上がっているのかもしれないと感じた。むしろ、検査体制についての奥歯に物の挟まったような言い方をする日本の政府要人たちの実態把握の程度の方に疑問を感じている。今頃になって、ようやく検査数や陰性、陽性の数などが発表されつつあるが、まだまだ不明瞭である。僕の出身の和歌山では、検査数も無理にでも増やし、その結果も公表した(ようだ)結果、感染者の数は抑えられている。保守的と思っていた和歌山の行動に驚いたが、褒めるべきではないだろうか。
癌など悪性の病気の告知は、一昔前は本人に伝えないのが日本では普通であった。その代わりそれを伝えられた家族や担当の医師の責任や本人への愛情ある対応の重さは相当なものであった。それぐらいの覚悟がないと、「不安を募らせないためにも、、、、事実を伝えるのを見合わせていた」ということはできないものである。その覚悟に自分自身が悩んだり、患者さんのご家族とも一緒に悩む日々であるのだが。
この厳しい状況にあって、政府や医療関係者に「助けてほしい」と国民は思っている。少しでも、その対応が思わしくないと、不安が不満になり恐怖や怒りへと発展していく。また、自分だけは逃れたいと思う人や、みんな道連れだ、とか、このパニックを利用して一儲けしようとか、羅列しているだけで怖くなってくる。とても危険な状態である。
「(正しい)知識は最強のワクチン」ということを医師になってから40年間言い続けている。実際に、一般人を対象とした、医学塾も100回以上開催している。情報社会の現在においては、「知識」を「情報」に置き換えることも必要かもしれない。
今、我々個人にできることは、「できるだけの努力をして正しい知識と情報を学習して、冷静に行動し、冷静に怖がる」ことではないだろうか。「自分だけ助かろう」という発想では、今回の困難は乗り切れない。僕はあまり好きではない言葉であるが「護送船団方式」的発想が、今回は必要かもしれない。
不安のあまり「過剰な買いだめ」的な行動はしないし、周りにも勧めない。(もしくはそういう人を咎める)
外出より戻ったら、まめに手洗い、顔洗い(一般的ではないが僕はこれも結構有効かと思っている)、うがいなどにて少しでもウイルスを除去する。
不要不急の用事にて、大勢で集まらない。今しばらくは付き合いの悪い人になるしかない。
コロナ感染症も心配だが、世の中にはもっと厳しい病気と闘っている患者や医師が今までと同じく存在していることを理解する。
国としてにリーダーが必要だが、小さい集団にもリーダーが必要。そのような立場の人は、正しい知識と情報を特に学習し、小集団においてもリーダーとして振る舞う。
などなど思いつくことを書いてみたが、追加や補正のご意見などをお聞きしたい。
ますますコロナを巡る事態は悪化の一路のように見える。いつも言っていることだが、窮地の時に誰もが望むことは、しっかりしたリーダーだ。この国家的(世界的)危機に際して、政府がどのように判断し、どのように国民を導いてくれるのか期待しているが、肩透かしを食っている状況とも言える。だから、国民は何かできることをしたくてうずうずしている。マスクを買おうにも、どこにもない。仕方がないから、ちょっと気になるトイレットペーパーでも買っておけば安心かと思っているところに、変な噂が流れて、ご覧のような有様である。我が家では、そんなことで慌てて買いだめしてはいけないと呑気にしていたら、「そろそろ必要か」と思って、近くのドラッグストアなどに行ったら、まだ品切れ状態であるから、この現象からだけでいくと、トイレットペーパーをいち早く買いだめした人は一見正解の行動に見える。一体そうなのかどうかよく考えてみてほしい。
僕の提唱する「医療判断学」においては、「医師たちが診断した医学的結論の選択肢に対して、患者としてどのように選択し行動していくか」について、学問的に思考し、さらに実践的にはどうしていくかということを研究実践している。感染症の専門家委員会と政府の関係に似ている。その意味では、医学専門会員は、経済や政治に忖度せず、純粋に医学的に判断した選択枝を模索し提示することに専念するべきである。そして、政府はその選択肢を基本に、経済や国民の生活などを考慮した総合的結論を導き出し、政府の責任において判断決断し、国民にきちんと説明し、納得されれば、国民も含めた総責任において粛々と実行していくしかないのである。
その上で、国民一人一人は、各自の立場や能力で、できることを微々たる力であっても実行していくことが大切であり、それで初めて国が「ワンチーム」となって、危機に立ち向かうと言える。こう考えてみると、僕の提唱実践する「医療判断医」は、政府に当たるわけで、その責任の重さに改めて身震いするが、そのつもりで行動してきた30年間を振り返っている。
朝のワイドショーにしてもニュースにしても、コロナ関係の暗いニュースに溢れているが、よく聞いていると少しずつ分かってきていることもあるようだ。重篤患者さんの治療風景がテレビの映像で流れているが、現場の医師をはじめ医療スタッフの献身的な活躍には日々感銘を受けている。今朝のニュースでは、喘息薬の一部に効果があるかもしれないとの報告があった。商品名「オルベスコ」と呼ばれる吸入ステロイド薬である。ウイルスに効いているのか、病態に効いているのか、今のところ判然としないが、これが事実なら有難い。いずれにしろ、医療関係者の懸命な努力により、早晩はなんとか切り抜ける方法を見出すのではという期待も湧いてきた。
がんばれ医療人!一般国民もなるべく不要な外出は控えるということでの協力を願いたい。この機会に家で読書、夫婦など少人数での散歩など、日頃できなかったことで充実してほしい。
思い出せば、ちょうど10年前に、新型インフルエンザ騒ぎで、日本が揺れた。タミフルの在庫が危ぶまれたくらいであった。その時に、ある NPO団体からの依頼で、「感染症全般の学術セミナー」を主宰したことがある。「知識は最強のワクチン」を合言葉に、2週間の週末の4日間をフルに使った勉強会で、それぞれの分野の第一人者をお呼びして、90分講義15枠の堂々たるセミナーであった。その記録ビデオを見返してみると、今も十二分に通用する。早速スポンサーであったNPO法人と連絡を取り、一般人への正しい本格的知識の啓蒙のために、できる限り多くの人に見ていただくように、無料にて公開することをお互いに許諾しあった。我々のホームページでも公開できるように準備を始めた。内容量が多く、準備に時間がかかることを了承いただきたい。
COVID19感染症に対抗する、国民への具体的な要請としての全国の学校閉鎖要請が総理より発せられた。遅すぎるとの声が多いようだし、僕も同じ意見ではある。問題ポイントは「遅いのに、唐突である」ということだと考えている。以前のブログでも述べたが、どうも総理の周りには「国民は(無知で)動揺しやすいから、情報はなるべく我々中枢でコントロールし、開示する時は突然の命令の方が効果的だ」と考える幹部や専門家が多いように僕の目には写る。そんな日本に引き換え、台湾の国の対応が世界から注目され称賛されていると聞いた。大統領自ら、陣頭に立ち、国民を守ろうと必死で懸命に努力をしている姿が、国民に伝わっているというのだ。ウワベだけでは、国民は騙されない。そして、基本的には、国民にも情報をリアルタイムで共有できるシステムをいち早く構築している。その立役者は、「公僕中の公僕」を使命にして、政治家となった人だ。トランスジェンダーとして辛い過去を味わったとの話だ。マスク一枚一枚の動きまでトレースして、国民に行き渡るように配慮しているというから驚きだ。
「国のため」「国民のため」を最優先している政治家は、少なくとも日本では、ほとんどいないように僕には見える。「ノブレスオブリージュ」を何よりも愛する僕としてはとても残念なことだ。まあ、政治家に限ったことでなく、経済社会の重鎮たちでも、我々医療の世界でも残念な人は少なくない。でも、あえて、弁護するなら、医療の最前線で頑張っている人たちの多くは、自己犠牲をしてでも人のために尽くしている(ように見えることが多い)。少なくとも、その比率はいろいろな職種の中でも多いと感じている。安心してほしい。その比率の半分でも、政治家や経済界の重鎮や富裕層などに存在すれば、こういった危機をもっとスムーズに乗り越えられるのでは夢想している。非難を受けるのを覚悟であえて言いたい。
「学校閉鎖」の話に戻そう。集団感染(クラスターという言葉が流行っているが)を防止するには、人が集まらない、移動しすぎないということが基本的だ。そういう観点では「学校閉鎖」は一つの手段としては正しい判断だと考える。しかし、これだけでは効果は極めて低いと予測している。しかも、子供を自宅で面倒を見るために、医療現場では看護師、医師なども不足することも予想される。保育園や学童は制限していないようだが、そちらでの集団感染が心配だ。机上の極論としては「学校閉鎖」と同時に、全ての国民が自宅に閉じこもり2、3週間全く動かなければ、感染症はほぼ抑止できるであろうことは想像できる。それが無理となれば、「学校閉鎖」のように一部分を極端に制限するよりも、大人も含めて総論的に、移動や接触をある程度抑えるパッケージで考える方が効果的ではないかと僕は推論する。望むらくは、今回の全国学校閉鎖の要請が、事態の深刻さを国民に浸透させ、不要不急の外出を極限まで押さえ込むことができることと、一方、マスクやトイレットペーパー、食糧などの供給は大丈夫だとの安心のメッセージを国民に伝えることができることを願うばかりだ。
各分野や団体でリーダー的な立場の人は、なるべく正しい(正しそうな)知識を得る努力をして、周囲の仲間のリーダーとして、一人一人がどのような行動をとることが大切なのか伝えていってほしい。今こそ、本当の「ワンチーム」になれるかどうかの瀬戸際だ。
今の事態は、国家的かつ全国民が関係する大問題である。ということは全国民を挙げて、戦わなければならない。富裕層たちに望むことは、生涯で使い切れないであろうと思われる分を差し引いた資産の半分(全部と言いたいところだが)をこの問題の対策費として国に献金寄付してほしい。子供や孫たちに無用なお金を残して無用な争いの種を作るよりも、「日本を救った人々」という名誉を残した方が1代2代どころか末代まで残る英雄となるであろう。もし日本人の資産家たちがこのような行為をするだけで、COVID19による被災者をなんとか救える数兆円規模になるのではないかと試算している。例えば10億円以上の献金者は、国立感染症研究所のボードの名を刻んで称えるなんていかがであろうか?
そして、多くの通常の国民は、そんな「ノブレスオブリージュ」を示した、資産家たちの誉ある行動に感化され、それぞれができることをするであろう。何事も範となる人の行動が一番力強い。
前項で書いたが、このウイルスの抗体検査ができるようになれば、国のおかげで武漢から逃れて、幸い軽症ですみ、体内には抗体もでき、この病気にかからないことがわかれば、コロナ対策病院のボランティアとして駆けつけてほしい。学校閉鎖により、2割以上の看護師さんやその他の職員さんの労働力が減少し、医療崩壊と言われる事態になりかねない。コロナ感染症より重症の患者さんは変わらずに大勢いるのである。毎日、手術も必要である。毎日、癌の宣告を受けている人が多数いる。その方にとってはコロナより怖い宣告である。
大病院に勤める医師は、コロナ感染の危険性が最も高い職業の人々である。その人たちにも守らないといけない家族がいる。僕にできることは、そんな医師を応援することかもしれないと考えている。そのためには、関係する患者さんがたに、なるべく正しくてuptodateな情報を発信するように努めている。
この2ヶ月の報道を見ていて、このCOVID19感染症の病状経過で気になることがいくつかある。最も気になることは、波状攻撃的な病状だ。最初発熱があって、咳もあり病院に行くが、その後数日勤務していたら、また悪くなり、肺炎状態に陥っていくという2段か3段構えの攻撃だ。これは明らかに従来のインフルエンザとも違うし、市中肺炎の代表である肺炎球菌による肺炎などとも違うように見えます。このウイルスは、HIVウイルスのように何か宿主側の免疫機構に攻撃を加えてくるのかとも推定しています。インフルエンザとエイズのウイルスが合体したようなものだったら、結構手強い相手になり、対策も難航が予想される。
COVID19ウイルス存在のPCR検査に加えて、このウイルスに対する抗体があるかどうかの抗体検査が1日も早くできるように、検査機関の奮闘を祈っている。
朝のテレビは、どのチャンネルもコロナウイルスが話題のワイドショーである。それぞれのチャンネルは常連ゲストに加え、感染症専門家であるゲスト(といっても、もはや常連化し顔馴染みであるが)が、感染者数の増加や重症者の状況などについてコメントし、政府の対応の不明朗さや遅さに批判を浴びせている。よく観察していると、首尾一貫して同じ意見を言っている人と、状況に応じて、微妙に意見を調整している人、平気でコロッと意見を変えてすましている人など様々である。しかし、ここは落ち着かないといけない。何も評論家の品定めをしたいわけではない。番組を通じて、正確な知識と情報を得て、不安をできるだけ低減し、自分自身が可能な対処法を実行したいだけである。
ポイントは、「時系列」に情報を整理することと、「自分が実行できること」の情報の箇条書きをすることである。できればメモなどに残すのもいい。前者の意味では、状況に応じて意見を変えていく専門家は一概には批判できない。問題はそれを自覚しながら報道しているかどうかを明確にしているかどうかだ。専門家として、テレビカメラの前で話すことには責任がある。テレビ報道でよくあることだが、人の意見を切りはりしたり、時系列を変えることで、反対の内容になることも結構ある。我々、視聴者としては、できるだけ必要な情報だけを単純に並べることが重要だ。テレビでは話題性のあることを、何度も繰り返す傾向にあるから、過剰な不安を煽りがちである。出演者の個人的見解は、時には役に立つが、それを繰り返して見ているより、その時間を手洗いにかけた方が有効な予防策となる。
今後、政府より「学校閉鎖」「外出自粛」「乗り物の制限」「集会の禁止」など具体的な指令が出ることも予想される。それらのニュースのキャッチは必要であるので、朝一、昼ごろ、夕方などの定時ニュースには注目しておくほうがいい。バラエティー系の番組でのコロナウイルス情報の取得は極力控えたいし、友人知人へ興味本位で伝達することは戒めるべきである。
共通する大切なこと
不要な外出はなるべく避ける(軽い風邪症状は自宅で様子を見る。その際でも、家族に配慮してマスクは着用。マメな手洗いも。)
帰宅時の手洗いは格別有効。この手洗い癖は、夏の食中毒の防止や細菌性結膜炎などの防止にも役立つことであろう。
自分だけ逃れようと思わず、家族や友人や国民みんなのことへ思いを馳せながらの行動が結局自分に返ってくる。(買い占めなどの愚かさ)
こういったパンデミック型(集団感染)の感染症は、封じ込め作戦しかないことの理解。当然将来的にはワクチンなども併用しての封じ込めになる。
普通の風邪であろうが、花粉症であろうが、咳が出る人はマスク着用(実質的配慮と心理的配慮)
最後に、身を粉にして最前線で医療活動している皆さんに敬意を表して。
僕は、言葉遊びが好きなのですが、診療でも「認知行動療法」をもじって、「認知言葉療法」と名付けた心理療法を実践しています。言葉を思い浮かべたり、囁いたり、歌にすることは、人間にとっての最強の行動だと思うからです。よく「座右の銘」と言われるのも、自分を励ましたり慰めたりする「言葉」の力を感じているからです。
僕の医療活動でも、理念やモットーなどを色々な言葉で表しています。
「あまり色々な表現をするから、わかりにくいし、覚えにくい」と歴代のスタッフからお叱りを受けることが多々あります。
事務所活動の基本方針としては、
「手を抜かない、諦めない、やり過ぎない」
「知識は最強のワクチン」
「奇跡的医療ではなく、奇跡的安心を」
自分に向けても、若い医師たちへのメッセージとしても
「能力を磨く能力(能力を出し切る)」
「強烈な熱意(熱意を煮え滾らす)」
「ゆとりの誠意(自然な献身)」
などがその主なものです。
最近、使い出した言葉に
「真剣な健康管理を!神経質な健康管理ではなく」
つまり、我々の活動ポリシーは「真剣に健康管理をしようと考えている人を徹底的にサポートする」となります。
そしてその基本は「知識は最強のワクチン」です。
「知っていると知らないでは大違い!」
「病気のことを知っている」
「早期の症状を知っている」
「人間ドックなどの結果の解釈を知っている」
「自分の病気や症状に合った専門医を知っている」
「相性の合いそうな医者を知っている」
「まず相談できる医者を知っている」
などなど、、、、真剣な健康管理も結構大変ですね。
しかし、本来の仕事で超多忙な方には、それらを丸投げしていただくのが、我々の事務所のメイン事業「主侍医倶楽部」だと考えております。疑問に思うことなどは、我々専門家が代わりに調べ、まとめ上げてから提供します。
とは言っても、時間が許されれば、毎月行っています「テラ小屋医学塾」にぜひご参加ください。知識の強化だけではなく、現役の東大医学生の講義を聞くことは楽しく、日本の未来への希望も湧きエネルギーをもらえます。
毎月第1火曜日6時半からです。
光陰矢の如し、年末の常用句にもならなくなった感じですが、時の過ぎゆく速さを恥ずかしながらも嘆く日々です。今年の年賀状に書いた「じっくりゆったりと」を思い出し、苦笑いを禁じえません。
今年の7月に北海道に住む義理の父を亡くし、元旦の賀状を控えさせていただきますことをおまずお伝えいたします。医師として北海道の地域医療に尽力し、その功に対して晩年には叙勲し喜んでおりました。そして最後は、数々の医療のお世話になり、その有り難さを噛み締めました。患者側の身になっても、大切なことは「安心」だとしみじみ思いました。危篤状態で、いよいよ危ないとわかっていても「安心」することは有り難いとは、何だか不思議です。
幸福とは何か?最近はいつも自問自答しています。「安心」「自由」「快適」「ワクワク」「満足」「感動」「快感」キーワードは色々出てきます。必要条件は「安心」で、その他は十分条件かなあ、とも思えます。
11月末から、1週間、次男が滞在するパリに行ってきました。ちょうど、激化するデモ騒動と遭遇してきました。そんなことがなくても、異国の地では、言葉も「不自由」で、注文しても予想したものが出てこず「快適」とは縁遠いのですが、電車の中では強引なスリに合いそうになり、「不安」で居眠りどころではありません。海外を旅するたびに、「日本は住みやすい」ことを確認する始末です。一方、日本にはないものを味わうこともたくさんあります。日本(東京)では、バラバラの趣味の建物が乱立し、いつも工事中というのは残念で落ち着かない気がしますが、パリの街並みは、どこに行っても美しく「ワクワク」します。
十分条件を片っ端から取り入れようとすると、「幸せ」は逃げてしまうのかもしれません。
少なくとも、医師として「幸せ」に寄与できることは、「安心」を底辺に、「自由」「快適」に生活できるようにお手伝いすることが任務だと思っています。我々、主侍医チームが皆さん方の不安を容認しているようでは意味がありません。そんな時は、ご遠慮なく叱咤いただき、何なりとお申し付けください。
記録的な猛暑が続く中、挨拶の最初の言葉の多くを「暑いですねえ」が占拠しているのではと拝察しています。今まで経験したことのない気温ということで、どういうことが起こるか予測がつきにくいこともあります。皆さん、暑さの中では、控えめな行動を心がけるようにお願いします。
我々の事務所の業務を説明する時に、使う言葉がいくつかあります。
「医療意思決定支援」「患者意思伝達支援」ということもその中心となる言葉です。重大な病気は当然のことですが、些細な病気の時や人間ドックの項目選択などにおいても、意思決定をすることは結構困難なことが多いものです。その時の負担を少しでも軽減することにお役に立てればと思っています。また、医師に受診する際に、これから受ける医療についての希望や考え方を伝えることは、表面上は「なんでもお好きな希望をどうぞ」と言われても、なかなか希望を伝えることはできません。「こんなことを言っても、担当医は気分を害さないだろうか」「そもそもこんな希望は無理なのか?」などと思ってしまいます。ここが我々の仕事のもう一つのセールスポイントと言えると、その重大な使命感の認識を日々深めています。皆さんからみると「そこをうまく活用すると有難いサービス」となると思います。自画自賛のようですが、専門医への橋渡しや、患者意思伝達紹介状作成作業や専門医との様々な交渉に際し、我々スタッフは喧々諤々、息子勇祐ドクターとは、どちらがクライアントのメリットかの論争で、親子ゲンカすれすれまでの舞台裏活動をしています。時には、長年交流を続けてきた専門医ともギクシャクし、ひやりとすることもあります。
というような舞台裏ですが、我々主侍医スタッフにはなんでも遠慮なくご相談いただければ、様々な調整役を担当させていただきたく思っています。