温故知新

温故知新① 手書きの効用

 

1997.3~1998.2

温故知新①

手書きの効用

ばんぶう

1997.3

日本医療企画


私は、御多分にもれず、お正月には「1年の計」なるものを考えるようにしている。私の場合、自分の生き方や考え方の基本を自分に言い聞かせるためのひとつのけじめと考えている。今年は有名な力士のように4字熟語にしてみた。
「温故知新」に決めた。数年前より年賀状の数が1500枚を越え、これでは書ききれないと断腸の思いで長年交流のない数百名の方のリストをコンピュータからフロッピーに移した。が、いつのまにか今年も1500名を越えてしまった。これではいくら記憶力が良い人でも、全員の顔を覚えるのは不可能に近い。肝心の親友にも滅多に会う時間がなくなる。これではだめだ。コンピュータ時代だからこそ、何度も会いたいと思う友人の名簿は昔のように手書きにすることにした。すると古い付き合いから新しい発見がある。「そうか彼には3人子供がいたかあ」とか「テニス仲間を捜していたけど、彼の奥さんもテニス狂だったな」など思わぬことに気がつき、新しい形の付き合いが始まる。生活の新たな潤いになったりもする。
 私の事務所でも「温故知新」をテーマに過去を振り返ってみた。新しいアイデアが浮かんだり、昔の仲間が新しい仕事仲間に復活するようになった。我々が専門とする医学だけでなく、政治、教育、経済の世界でも、腰を落ちつけて意識の変革をするべき時ではないだろうか。「温故知新」の考え方こそ、21世紀の人間ルネッサンスへのパラダイムシフトだ。

温故知新② 子供達の消費文化

 

1997.3~1998.2

温故知新②

子供達の消費文化

ばんぶう

1997.4

日本医療企画


つい先日、新聞で「高校生の卒業旅行」の記事をみて驚いた。大学生の卒業旅行が当然のように言われるので、僕などは「修学旅行」をイメージしていたら何のことはない単なる親のすねかじり旅行なのである。旅行会社は売れればいいと言うことで、卒業旅行のパッケージを作り、今や高校生にまで売り先を拡大しているのである。バレンタインの義理チョコも同様であろう。未成年の高校生卒業旅行の実態は「煙草、酒、カップル」と、その新聞では、表現していた。さもありなん。これを「最近の若いもんは!」と片付けてよいであろうか?コンビニにゆけば中学生や高校生がたむろしている。ゲームセンターもしかり。CDが何百万枚売れたとか、ファイナルファンタジーがどうだとか現在の消費文化に子供達は一役も二役も買っている。いろんな事業を企画する場合、消費の対象は若者になりがちである。いまや子供達が人間関係を維持するには、消費が不可欠なのである。こういう話をすると、「我々が子供の頃は、、、」とついこうなる。が、決して僕の場合、地方の都市部だったので、小川で魚釣をして遊んだわけでもなく、山のなかで隠れんぼをしたわけではない。ただ、色々工夫をして自分達の遊びを創造したように思う。今の子供達は結局大人に遊ばされているところが悲しい。ゲームにしろ、小室にしろ、タマゴッチにしろ、コンビニにしろ大人の商売の的にされているだけである。

21世紀の日本は成熟社会として、消費の対象は高年令者にならないと豊かにならないと考えている。ヨーロッパのように、熟年の人達がオシャレをして街を歩くのが似つかわしく、若者は清潔でさえあればジーンズでもなんでもサマになる。老人が病院の待合をサロンにするなんて寂しい話で、冗談でも言ってはならないと僕は思う。

温故知新③ 昔の治療、今の治療

 

1997.3~1998.3

温故知新③

昔の治療、今の治療

ばんぶう

1997.5

日本医療企画


他の科学の分野と同じく医学の世界においてもこの20年間を振り返ってみるとそのテクノロジーの進歩には眼を見張るものがある。僕が大学生時代だった昭和50年頃、コンピュータのプログラムの授業を受けたが、その時の東大の大型計算機センターにあった日本でも有数の大型コンピュータでさえ、今や、秋葉原では時代遅れのため特価で売っている旧型モデルの家庭用コンピュータと性能や容量が同等かそれ以下なのである。車の性能や携帯電話なども考えようによってはすごい発達をしている。良いか悪いかは別として。20年前の東大大型計算機センター並の性能のコンピュータを手に入れた家庭はそれだけ生活レベルが上がって、相当の幸福を得ているであろうか?今やたいていの車は200km/hの速度は出るが、御殿場からのゴルフの帰りの時間が短縮され事故の確率も減少したであろうか?携帯電話のおかげでよりよいコミュニケーションが生まれ、ハッピーになったであろうか?よくよく考えてみるといわゆる「文明の利器」というものは、我々をそんなに幸福にしていないようである。昔のよく故障した車は味があって良かったし、海外に行けばなかなか電話が通じないので逆にリラックスできたし、またやっとの思いで通じた国際電話で話したときは感激もした。学生で下宿時代友人に夜中に連絡したいときは、線路づたいで歩いていった、たかが麻雀の誘いのために。「君はピー(PHSのこと)してる?」といつでも何処でも電話ができる。そんなメッセージに感動を盛り込むのは大変だ。

こんなことを考えると、科学文明の急速な進歩には興味は湧くが、疑問も湧く。はたして20年前の医療に比べて現在の医療は我々人間により幸福を与えているのだろうか?100年前と比べるとどうなのだろうか?ヒポクラテスの誓いにある「良いことのみ」で「悪いことはしない」といえるのだろうか?これからはたとえ科学者であろうともやみくもに新しいことの追求をするだけでなく、「良いこと」と「悪いこと」の比率を念頭にこれからの文明を考えていくべきであろう。

温故知新④ 昔の幸せ、今の幸せ

 

1997.3~1998.3

温故知新④

昔の幸せ、今の幸せ

ばんぶう

1998.6

日本医療企画


「幸せ」の定義はかなり難しい。国語辞典によると、もともとは「仕合(わ)せ」と書くようである。「運がよいこと、良いめぐり合わせ」とある。 「幸福」や「健康」がお金で買えるか?ということは昔からよく言われる問いかけである。食べたいものも食べられなかった昔や、抗生物質も高くて一部の人にしか使われなかった時代もあったらしい。一人暮らしの大学生でエアコンどころかトイレや風呂付きのアパートに住んでいるのはそれこそマイノリティーであった。たしかにそんな時代ではお金で幸せを買えると考えていた人も多かったに違いない。快適性や心地よさも幸せのひとつの形ではあろう。今の日本、どこにいても温度は調節され、いつでもどこでも美味しいものが食べられて、快適が普通になっている。では、みんなが幸せ感や満足感に浸っているだろうか?それどころか不平、不満、不安が氾濫しそのためのストレスで不眠、肥満の患者さんがあふれている現状である。また、本来幸せを与えてくれる筈のお金や出世のために友人や仲間を騙す人も多い。僕には本末転倒だと感じるのだが。人を騙してまで得たお金や地位が自分を幸せにしてくれるとは決して思えないから。 ここで温故知新、原典に返ってみると、幸せとは「良いめぐり合わせ」なのである。「好きなことを、好きな人と」できることが幸せの根本ではないか、と僕は思う。それでいて人の役に立てればなおさらいい。孔子の教えにもあったような気がする。「自分の欲するままに行動しても道をはずさない」というような教えが。 好きなテニスを好きな仲間とやっても、負ければラケットを叩きつける僕には「まだまだじゃのう~」であるが。

温故知新⑤ 昔の人間、今の人間

 

1997.3~1998.3

温故知新⑤

昔の人間、今の人間

ばんぶう

1998.7

日本医療企画


よく「今の若い奴といったら…」とか「昔の人はだめだねえ…」とか言われる。世代間闘争の決まり文句と言ってもいいであろう。実際僕も無意識に使っていることがあるようだ。昔と今の境目はどのあたりかというとはなはだ線を引きづらい。
たしかに自分が育ってきた幼い頃の環境から人間は強い影響を受けるということは精神医学や心理学的見地からみても事実である。その環境の大きな要素として時代的背景がある。他の大きな要素としては、親の性格や経済状態など個別なものがあるのであるが、それは本題からはずれる。
 よく年配者は「私たち昔の人間は…」という。でも、よく考えてみるとおかしな話である。別に幽霊ではあるまいし、今生きているのだから「今の人間」であるはずである。もっと分析的に考えてみると、今の自分の中にある「昔の人間」部分と「今の人間」部分ということなのである。解剖学者の養老孟子さんは「昔の自分」と「今の自分」を同じ人間だと思うのは錯覚だ、といっているが、的を得た話だ。若い頃のスポーツマンが年をとってから運動を始めると怪我をしやすいというのもこの勘違いからくるのかもしれない。
 その反面、僕は知人の結婚式や開業の祝いなどの言葉で「初心忘るべからず」を頻用する。「今の自分」を見つめるときに「昔の自分」を思い起こすことが大切なのではないだろうか。子供たちや後輩たちとの世代間闘争とともに、自分の内部でも世代間闘争が起きているのである。邪悪な人間、邪悪な医師にならないためにも、さわやかだった「昔の自分」をときどき思い起こしてはどうだろうか?
 また、長い付き合いになった患者さんともなれ合いにならないために「初診忘るべからず」である。

温故知新⑥ メディカルルネッサンス

 

1997.3~1998.3

温故知新⑥

メディカルルネッサンス

ばんぶう

1997.8

日本医療企画


私は、「主侍医」制度というものを普及しようとしている。
複雑、細分化した近代医療のあり方を考えると、供給側にとっても、受ける側にとってもより単純・統合化したシステムが必要と考えている。科学としての医療を考えると専門化や細分化はやむを得ないのは事実であろう。当然、そこでは人間性が薄れてきている。医療を受ける側の人間にとっては、人間性を医療に求めたいとは思っている。その反面、科学としての医療の信頼性を考えて、より専門化したものを求めているのである。
「医者は不親切だ」とか「医者には人間性が乏しい」などと言われる一方、「あの医者は商売人みたいに愛想が良くて頼りない」などと言われる場合もある。一見矛盾した要求を求められているからこうなるのである。
 私は、今後の医療の方向性として専門分化と共に、それらを統合していく専門家も必要だと考えている。その役割を果たすのが他ならぬ「主侍医」なのである。
 医療のような幅の広い分野で、総合的な知識や技術を習得するのは大変なエネルギーを要する。頭脳明晰で情熱的な医師にこそ主侍医への参加を期待している。それにつけても顧問専門医としての主侍医の役割は「問診」である。患者さんの話をじっくり聞くことが結局は診断や治療方針決定への早道なのである。MRIなどより手間がかかり、より多くの情報が得られる「問診」のプロの問診にたいする報酬制度の確立が主侍医制度成功の鍵を握ると考えている。
 医療の基本の問診を考え直す意味でも、私の活動をメディカルルネッサンスと呼んでいる。このシステムこそが、医療の中に科学性と人間性を共存させる唯一の方法ではないかと考えている。

温故知新⑦ ヴァーチャルリアリティーの落とし穴

 

1997.3~1998.3

温故知新⑦

ヴァーチャルリアリティーの落とし穴

ばんぶう

1997.9

日本医療企画


二人息子のうち、次男が今年中学生になり将棋部とテニス部にはいった。将棋は駒の動かし方も知らない程度。少し覚えては「お父さん、将棋やろう」と相手を迫ってくる。かくいう私も、駒の動かし方をかろうじて覚えている程度なのである。面倒だから、なんとか逃げ回るのであるが、5回に1回はつかまって相手をさせられる。最初の内は、簡単にこちらが勝つ。負けん気の強い次男は、涙をこらえてひきつり笑いをしている。「負けて泣いたり、怒ってしまうのだったら、二度とやらないよ」とあらかじめ念を押しているから、無理して笑っているのである。しかし、一触即発状態なのである。
 そんな彼が、ある日「お父さんお願い!」とすり寄ってきた。彼は人に頼み事をするときと、用事を頼まれたときの態度は、人間こんなにも変われるものかと思うほど、その差は大きい。何のことかと聞けば「コンピュータ将棋」のプログラムを買って欲しいという事である。わが家では、テレビゲームは卒業させていた。というのも息子たちは学校でも有数のテレビゲームの達人であったぐらいであり、視力の低下は遺伝的要素だけではないと私が診断したからである。だから、テレビゲームの一種である「コンピュータ将棋」の許可を求めてきたのである。結論的には、その日秋葉原に行ったのである。なんと甘い父親!
 その日よりコンピュータから「お願いします」と何度も聞こえてくるようになった。彼はコンピュータに負けそうになると、涙ぐんでいるかというとニコニコ笑いながら「リセットボタン」をポンッと押すだけである。2週間ほどして、彼と対局することになった。いつものごとく甘く見て、私は半分テレビをみながら相手をした。途中から苦戦を強いられ、真剣にやるも、時既に遅くついに惨敗。くやしまぎれに「お父さんがテレビを見ている隙に、あの王手飛車取りを打たれたからや!」と叫んでしまった。妻はそれを横目にみてにやりとしている。息子は得意満面。コンピュータゲームでは味わえない快感なのであろう。ヴァーチャルリアリティーには感情を移入できない。逆に考えれば、ビデオやテレビゲームのなかに閉じこもると、あの「酒鬼薔薇」や幼児虐殺の「宮崎事件」のような無感情犯罪が起こるのかもしれない。そう思って息子に負けた悔しさを鎮めるのであるが、テニスまで負けるようになると笑っていられるだろうかと不安である。

温故知新⑧ 風と雨と太陽の話

 

1997.3~1998.3

温故知新⑧

風と雨と太陽の話

ばんぶう

1997.10

日本医療企画


人の心とは難しいものである。多くの患者さんのカウンセリングをしていると、いかに我々の心というものは微妙な動き方をするかということが身にしみて理解できるようになる。心の方程式みたいなものがどうやらあるようだ。どういう言い方をすれば、相手はどんな反応をするか、ということが意外と公式的な図式で表されそうなのである。
 最近の新聞をみると、毎日のように殺人事件やいじめや不正など、「性悪説」を否定したい私にとって不利になるような事件が満載されている。こんな世の中の傾向をどういうふうにすれば改善できるのかと、総理大臣でもないのに憂慮している自分が滑稽にも思えるのだが、同じように感じている御仁も多いと思う。話を、自分の子供や仲間に置き換えてみれば分かりやすくなる。まわりには人間関係のストレスが多いと嘆いている人はたくさんいるのではないだろうか。人間関係が原因のストレスで私のクリニックを訪れる人は多いが、そのほとんどの原因は「信頼関係の欠如」である。要するに「誰々に裏切られてから、脳裏を離れない…」的な訴えである。人を説得するときに、お金の力や権威や力ずくでしようとする癖が最近の日本では定着してきたのではないか。そのことに対する心の中の副作用がストレスという形で湧き出てきたのではないだろうかと私は思っている。
 子供の頃読んだ童話で、人の服を脱がすのに雨や風で、無理矢理すると上手くいかないが、太陽のやさしい力で上手くいったというような話があったのを、最近、思いだした。人を本当に説得するには、やはり「太陽」の心なのかもしれない。これは即ち「人を信ずる心」である。「あなたは人をすぐ信じるから騙されるんだ」とよく言われるが、これからは「それこそが私の信条であり快適に生きるコツなのだ」と 誇りを持ってうなずきたい。昔の童話が私を勇気づけてくれた。 

温故知新⑨ 「温新知新」と「温故不知新」

 

1997.3~1998.3

温故知新⑨

「温新知新」と「温故不知新」

ばんぶう

1997.11

日本医療企画


「温故知新」の話を書き綴っているが、これが通じないこともある。
先日、親しくしてもらっている銀行の方にゴルフに連れていただいた。IさんとKさんと言う。その銀行の顧客サービスの一貫として行っている定期健康セミナーの講師をさせていただいている関係上お付き合いをするようになった。Iさんとは夫婦でテニスをする仲にもなっている。Iさんはテニスの方がゴルフより熱心なようで、使用しているゴルフクラブは結構旧い。Kさんのゴルフクラブは更に旧い。「温故知新」派の私だから「クラシック」でプレーするのは優雅でもあり、新しい技術も覚えるものだ、と主張するところなのだが、ご存知のようにゴルフクラブもテニスラケットもこの数年格段の進歩を遂げ、我々素人には、最新の道具は必需品となってしまっているのである。
旧いクラブで苦戦しているI氏をみて、「Iさん、ゴルフクラブもラケットと同じで、新しいタイプのものにすると楽ですよ」とアドバイスした。
内心、I氏は「旧いクラブできたえるのがいいんですよ」と言うに違いないと思っていたら、さすが研究熱心なI氏、「実は新しいクラブを買って、練習をしていたんですが、そのまま忘れてきたんです」と。
古い技術や考えにしばられると、新しい発想や新しい技術を得られないことも多い。新しい技術を駆使し、新しい考えにも心を聞くことによって、更に新しい道も開けてくることも事実である。
「温故知新」より学ぶことも多いが、「温新知新」「温故不知新」にも注意を払わねばならない。
「伝統」と「革新」はまさに表裏一体なのかもしれない。
柔軟性、広い視野こそコンピュータには出来ない人間の特技だ。

温故知新⑩ 昔の新しい人、今の古い人

 

1997.3~1998.3

温故知新⑩

昔の新しい人、今の古い人

ばんぶう

1998.3

日本医療企画

よく世代の断絶という言葉を聞く。これは単純に年齢層の違いによる考え方の相違のことをさして言うのであろうか。「近頃の若いもんときたら…」なる有名な言葉があるし、反対に「おやじ臭い考えだなあ~」とか「オバタリアン」なる言葉も存在する。
 最近の若者はみんな困った人ばかりではないし、40歳を越えればみなオバタリアンというわけでもなさそうだ。この辺のことは、賢い人は結構認識している。それでも、世代間闘争という図式はいろいろなところで発生している。会社内でも、家庭内でも、政治家の間でも「結局は世代間闘争なんです」といわれれば納得されてしまうような現状である。
 私は、別に若者に迎合するわけではないが、まあ、仲間にも入れてもらうためによくいうことがある。「君たち二十代も我々四十代も、人類の長い歴史からみれば、一瞬の出来事の中に一緒に住んでいる同世代の仲間じゃないか」と。
こういわれると賢い若者たちは我々おじさんを単に「おやじ」と呼んで村八分に出来なくなる。共通の視点を持つ努力もしなければと思うようになる。
実際、昭和初期でも明治でも、革新的にものを考え、夢と希望に向かって情熱を燃やしていた人々がいた。もし、彼らが今現在、生きていて150歳であっても、「なんと若々しい人だ」と感じさせる人物のように我々の目には映るのではと想像される。一方、超高度文明のさなかの現在においても、コンビニの前でただゴロゴロして「フリーター」などと称して現在人然としている若者が、実は頭の中身はシーラカンスのように固くて頭の回転が鈍い人もいる。 どこかの電機メーカーのキャッチフレーズに「生涯青春」という言葉があるが、いくつになっても夢と希望を持つことこそが、ボケを防いだり、病気への抵抗力をつけたりする最大の予防医学でもあると私は考えている。「腐っても鯛、中古でもベンツ」といわれるような長老になりたいと常々思っている。

温故知新⑪ ルソーのエミール

 

1997.3~1998.3

温故知新⑪

ルソーのエミール

ばんぶう

1998.1

日本医療企画


何回か前のこのコラムで「子供の消費文化」と題して、消費の有力対象が子供たちに向けられていることについて警告めいたことを書いた。つい最近、新幹線の中のウエッジという経済誌の中で、「本来お金を稼がない子供たちにたいし、格好の消費の対象として、有名ブランドの服や時計や靴などを煽動するように売ろうとするのは、目先の利益のみを追求する意味では成功するかもしれないが、子供の正常な精神的成長を妨げ、本来消費をするべき大人たちの財布の紐を必要以上に引き締めることになり景気の停滞を助長する」という様な内容の記事が載っていた。全く同感である。その記事の中で、中、高生の援助交際や窃盗などもこういったことが遠因であろうと述べている。
 また、最近町中でよく見かけるように、若者が携帯電話やポケベルを駆使している。一見、コミュニケーションツールとして人間関係を豊かにしているように見受けられるが、実はその正反対である。デートしているふたりのあいだに第三者の電話コールがはいり、彼氏を連れながら横の女の子は別の人(第2の彼氏かどうかは不明だが)と楽しそうに話している。隣の彼は手持ちぶさた。また、プリクラなるものも流行っていて、初めて町中で会った人たちで一緒に撮ってお互いそれを集めるらしい。何千枚も持っている子供もいるらしい。最近読んだ新聞記事でも「心の隙間を、友人の数で埋める」という見出しがあったが、これまた言い得て妙なり。ひと事かと思えば我が息子もプリクラコレクターの一人らしい。しかし、「俺は友達多いが、心の底まで話できる友人ってすくないなあ」とこぼしている。携帯にしろプリクラにしろ、人間関係を豊かにするツールであろうかと疑問に思う。   有名なルソーの「エミール」のなかに「どうしようもない馬鹿な子供を作るのは簡単である。欲しがるものをすべて与えればよい」と書いてある。偉い人は昔から気付いていたのである。今でも遅くない。子供たちのためにも子供たちに余計なものを買い与えず、無用なものは取り上げるべし。

温故知新⑫ 美しい生き方

 

1997.3~1998.3

温故知新⑫
美しい生き方

ばんぶう

1998.2

日本医療企画


「温故知新」を題材に書き始めて、早いもので1年経ってしまった。最初に書いたが、私は年の始めに一年のテーマを決めることにしている。平成9年は「温故知新」であった。
 今年は何かというと「正しい生き方から、美しい生き方へ」というパラダイムシフトである。
どういう意味かと疑問に思われる方も多いであろう。成熟社会を迎えた日本にとって、本来すべての国民は心豊かに生活を送れる筈なのに、実際はどうであろうか。経済はずたずたに引き裂かれ、政治家にしろ医者にしろ教師にしろ大会社の社員にしろ、いちいち枚挙するときりがないくらい、本来信頼されるべき人々が不信を買っている。我々、大人だって心が乱れる、不安になる。子供たちが目標を見失うのも無理はない。「悪いことはいけない」「法律に反してはいけない」「正しければ何をしてもいい」「正しく見えれば何をしてもいい」「つじつまさえ合わせれば」とだんだんと拡大解釈がされていく。それが一気に剥がれ落ちたのが昨今の出来事ではないだろうか。
 私はこれからの価値基準は「美しさ」ではないかと考えている。「正しくても美しくないこと」は結構ある。また逆に「正しくなくても美しいこと」もある。ネズミ小僧もそうだし、大名から高額の治療費を取り、貧乏人をただで見た赤ひげ医者もこの部類であろう。「美しさ」の判断は自分自身にある。つまり、しっかりとした価値基準を持ち、自分自身で判断できる能力をつけることが、これからの成熟社会を豊かに生きるコツだと考えている。新聞紙上を賑わしている様々な事件。司法当局はどう判断するかは別として、「美しくない」ことは事実だ。

温故知新⑬ 過去の遺物は大先生

 

1997.3~1998.3

温故知新⑬
過去の遺物は大先生

ばんぶう

1998.3

日本医療企画


ウイルスが猛威を振るっている。エイズにしろ新しい香港型インフルエンザにしろ怖い相手である。細菌の世界では、耐性菌の出現が我々に様々な警告を与えている。細菌でさえ過去の抗生剤を覚えていて、新しい仕組みを自ら作り出している。 まさに「温故知新」を実践しているのである。 ウイルスは、元来病原性が弱くて、大体放置しておいても自然治癒するものが多かった。一部のウイルスにはワクチンがあり、予防できたり、天然痘のように世界から撲滅したものまである。まさに人類の勝利と凱旋ものなのである。
 ところが、ところがウイルスというものは、摩訶不思議で怖い。姿をコロコロと変える。あの小さい単純な構造なのに、まるで敵のことを知り尽くしたかのように振る舞うのである。しかも、人の細胞を利用して自らを複製していくのであるから気色が悪い。
 最近、ロビンクックという医師作家のミステリー「インベイジョン」というのを読むんだ。
ウイルスは何十億年も前に宇宙から送られてきた偵察隊であり、何億年かごとに活性化し地球上の生物に感染し、地球が住み良い環境なら移住して来ようという魂胆なのである。近年ベストセラーになった「パラサイトイブ」のミトコンドリアの話と少し似ている。その中の共通点は、ウイルスやミトコンドリアが遠い過去を記憶しているということである。
 最先端は、いつしか過去の遺物になるのも必然の理であるが、過去の遺物も最先端の疑問を解決する糸口となることを知っておかなければならないだろう。

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