少数精鋭主義

少数精鋭主義① 量より質

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義①

量より質

ばんぶう

2000.5

日本医療企画


質実剛健に続く今年のテーマとして「少数精鋭主義」を選ぶことにした。携帯電話などの普及で、必要以上の連絡が一般化し、インターネットの発達で情報が氾濫状態になり、パソコンを買いに行っても本を買いに行っても、何を選んだらよいのか迷ってしまうぐらいたくさんの種類がある。
これを「選択の幅が増えた豊かな現象」と一概に言ってよいだろうか。質の低下を量でカバーするという現象になってきているのではないだろうか。
そういえばいつかこのコラムでも書いたが、若者の友人付き合いの特徴として、浅くて広いという傾向が見られる。何でも話のできる親友はいないが、いつでも携帯電話で馬鹿話をできるそこそこの友達ならたくさんいるというわけだ。これは子供たちだけに限ったことではない。「軽薄短小」と他人事のように批判している我々の昭和中期の世代も、質より量の世界にしらぬまに感化され、気がついたら結構空しい気分にさいなまれることが多いのではないだろうか。
そんな気持ちを鞭打つつもりで「量より質」を大切にすることを題材に取り上げていきたい。
今や、企業もリストラが当たり前になってきているが、ともすれば単純に「量を減らす」ことをリストラと考えている人も多いようだ。むしろ量を減らさなくても、質を向上させることが本来の意味ではリストラになるはずなのである。その考えの根底には「少数精鋭主義」が流れていることが必須条件であることを忘れてはならない。
日本の文化は、表向きの「横並び」「最低保障」を美徳とする傾向がありヒーローが生まれにくい。日本という国の成熟のためにはそういった「ひがみ根性」と決別しなければならない。

少数精鋭主義② シンプルライフのすすめ

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義②

シンプルライフのすすめ

ばんぶう

2000.6

日本医療企画


少数精鋭を端的に言うと「量より質」ということになるが、これはあくまでも相対的なものである。前回、「量を減らさないでも、質を高めることにより少数精鋭主義を実行したことに等しい」ことをリストラを例に説明した。
理論上はそうであるが、例えば友人の数、スタッフの数、クレジットカードの数、愛車の数などを想定しても、時間軸を含んだ4次元で考えると、いくら質を高めようとしても適正な量には限界がある。この原則を間違えると、楽しい仲間のはずの友人が苦しみを提供してくれるし、ボスの仕事の能率を上げてくれるスタッフがボスの足を引っ張ることにもなる。多すぎるクレジットカードは盗難、紛失の可能性が高くなり、クレジットカードではなくリスキーカードとなってしまう。
「モノをあまり持たずに生活をシンプルにしよう」という提案をする「シンプルライフのすすめ」なる本が流行している。エコロジーにも適合する考えであろう。生活をシンプルにすると、かえって充実すると私は思っている。今は、カラー写真が当たり前になっているが、白黒フィルムで一度写真を撮ってみてほしい。写っている風景や人物、状況がむしろ生き生きとし、語りかけてくるように感じるから不思議である。
こういった「飾りを省くことにより、本質が見える」という作用がシンプルライフの勧めのひとつの理由であろう。心の熟成のためには、「シンプルライフ」が不可欠である。世間のいわゆる成功者は、意外と心の空しさを感じて、それを紛らすために仕事を次から次へとこなし、また事業や業績を拡大していくという良〔悪?〕循環なのであるが、心の空虚さは決して癒されない。

少数精鋭主義③ IT革命と知らぬが仏

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義③

IT革命と知らぬが仏

ばんぶう

2000.7

日本医療企画


21世紀はIT革命とバイオテクノロジーの時代だと言われる。株式市場でもIT革命は花盛りである。もはやインターネット、電子メールなしでは生活できないようなムードである。
あるテレビ番組で、IT革命をテーマにいろんな人にインタビューしていた。「インターネットで世界中どこの情報も瞬時にして得られる」「家にいて何でも買えてしまうから、生活が豊かになりますよね」「物事を選択するときに、あらゆる角度の情報を得られるから、安心できる世の中になりますよね」などというコメントが大半を占めていた。
私は違和感を感じたのであるが、みなさんはどうであろうか。情報が多くなり、選択の幅が広くなると、果たして心豊かになるのだろうか。有名なアメリカの医療ドラマ「ER」の中で、いつも冷静ですばやい決断を下す外科医ベントンが自分の子供の病気の治療方針について判断できず、いろいろな専門家の意見を聞いていくうちに「情報が多すぎると迷いも大きくなる」とぼやくシーンがあった。身にしみる話である。
インターネットは情報垂れ流しの巣窟である。利用の仕方次第である種の人々には便利で不可欠となるかもしれないが、たいていの普通の人にとって不可欠であろうか、と最近つくづく思う。むしろ、我々の本来の心地よい時間を奪いヴァーチャルな快適さというか偽の快適さを演出するだけではないだろうか。
電子メールにしても、業務連絡はまだよいとして、プライベートの手紙では、不必要なメールが増加して、時間を奪われたり知らなくていいことを知ったり、メール恋愛もある代わりにメール破局も結構あるようである。今こそ「知らぬが仏」を享受したいと思うのだが…。

少数精鋭主義④ 3人寄れば文殊の知恵、10人寄れば猿の知恵

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義④

3人寄れば文殊の知恵、10人寄れば猿の知恵

ばんぶう

2000.8

日本医療企画


昔、脳外科医をしていたころ暴走族風の連中が交通事故で運ばれてくる場面によく遭遇した。さぞかし病院の中でもうるさくて迷惑を振りまくに違いないと思ったわけだが、意外に意外、結構おとなしくて従順なことが多かった。見舞いにくる連中もこれまた意外と礼儀正しかったりする。人の考えは間違いも多く、複数の人の知恵を合わせることは大切という意味で「三人寄れば文殊の知恵」という。しかしその反面、人は集団になるとその知能は急激に低下し、時には暴徒と化す。
井戸端会議の奥さん方の集団も、医師も政治家もそうである。一人一人の医師は結構使命感を持って医療活動をしているのであるが、医師会や医局の一員となると医師としての本来の良心が引っ込み、大義名分の元に自己の欲望が見え隠れするようになる。
心理医学の立場で言わせてもらえば「赤信号みんなで渡れば怖くない」的心理が働くのも一因であろうかと思う。前回書いたIT革命の世の中、ますます大衆心理が働きやすい世の中になることが予想される。
政治の世界もそうであろうが、もっと個人個人の意見をはっきり持ち、それをきちんと表現できるような世の中のシステムというか雰囲気が必要と思われる。勿論、裏を返せば、人の意見もきちんと聞き、受け入れていく心の寛容さが必要ということである。
みんな同じ格好をするのをよしとしたり、個人では何も言えず肩書きでしかものを言えなかったりといった大衆心理の横行と、人の事はお構いなし、自分だけが正しいという病的自己愛現象を示す人たちの二極化をマスコミやIT革命が助長しなければと願っている。

少数精鋭主義⑤ 仕組みで変わるものと、仕組みで変わらないもの

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑤

仕組みで変わるものと、仕組みで変わらないもの

ばんぶう

2000.9

日本医療企画


「より安心の出来る医療の体制を作るには、なにも新しい画期的な技術はいらない。今ある技術をうまく機能させる仕組みを作ることが先決である。」という考えが私の持論である。
この信念に基づいて、医療のシステム作りの仕事やアドバイスを行うことが私の「医学事務所」のメインの仕事なのである。勿論、遺伝子技術はこれからの医療のシステムを大きく変えていくだろうし、人工臓器の研究も大切ではある。しかし、日本では医療技術上は臓器移植や遺伝子診断が可能であるが、日常的な医療は安心どころか不満だらけであると嘆き不安に感じる御仁は多い。今の医療に携わる人々だけで、特に新しいメンバーを加えなくても、また、画期的な医療技術が発見されなくても、全体的な仕組みを変えるだけで医療はシステムとして大進歩を遂げて結構理想に近い医療システムを作ることは可能だと私は考えている。
これと正反対にあるのが今の日本の政治事情ではないだろうか。近年、私たち一般人がともすれば混同するくらい、新しい政党が生まれたり解体したり合併したりしている。いろいろ試行錯誤の努力をしているようだが、単なる勢力争いに過ぎないように私には見える。理念やそれを実行しようという情熱や使命感の欠如した政治家が、同じ顔ぶれなのに政党の名前を変えたり政党の組み合わせを変えたりしているだけでは、変わりようがない。
今ある技術で結構十分な日本の医療界では、移植や遺伝子技術を偏り気味に渇望し、メンバーの総入れ替えが必要な政治界では、同じメンバーで仕組みをあれこれと工夫しては挫折を繰り返している。なんとも皮肉なことではないだろうか。

少数精鋭主義⑥ マスコミとミニコミ

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑥

マスコミとミニコミ

ばんぶう

2000.10

日本医療企画


飛躍的な通信技術の進歩で、マスコミの力は増大していく一方である。テレビを筆頭にラジオ、新聞、週刊誌、インターネットと媒体は増えるばかりである。最近の通信手段は双方向性も備えたといわれつつも、その実はまだまだ片側通行が主体である。
前々回に「知らぬが仏」の快適さについて書いたが、マスコミはそんなことにお構いなく一方的に情報を送る。「見たくない人は見なければ良い」というのがマスコミ正当化の論理であろう。しかし、である。例えば、電車の中の週刊誌の吊り広告を思い浮かべてほしい。「芸能人のAさんが離婚した」「歌手のBさんには愛人がいた」などはまだいいほうで、この紙面では書けないような内容のゴシップ記事のタイトルが満載されている。小学生も中学生も未熟な大人も乗っている電車の中である。「いやなら見なければ良い」「知りたい人の権利も大切」などの抗弁が聞かれてこよう。しかし、それは正論であろうか。人間の知識欲は、あらゆる本能の中でも強力な部類に入る。「そんなくだらないこと」と思っても目に届くところに情報があれば知りたくなるのである。まさにそんな本能を狙った広告なのである。
 最近、よく目に付く「高校生が母親を殺した」系のニュースもそうである。そんないやな話は本来知りたくないけど、怖いもの見たさもあるのが悲しいかな人間。また、境界型の精神病の人にとっては、そんなニュースが刺激になってまた次の事件が発生するという悪循環。
グローバルなマスコミもいいけれど、身近なミニコミ的情報活動を見直してはどうだろうか。すなわち、それは身近な人間を大切にする行動にもつながるのである。目の前の相手を無視して携帯電話で遠くの人と長話をする光景に不快さを感じるのであるが、皆様はいかがであろうか。

少数精鋭主義⑦ 偽少数精鋭主義

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑦

偽少数精鋭主義

ばんぶう

2000.11

日本医療企画


「しっかりしたものなら数は少なくてもいいのではないですか?」という意味で「少数精鋭主義」をテーマに話を進めている。ここで誤解を防ぐために、「偽物の少数精鋭主義」について言及しておきたい。 
時に、世の中のもの何にでも反対を示して、「我こそは反骨精神の塊なり。世の中には偽物を平気で認めてしまう馬鹿な人が多くて困る。」と豪語している人がいる。人と違うことをすることが自分の優れた証と信じているのである。これは私の言う少数精鋭主義とは似ても似つかぬものなのである。野球で言えば、多くのファンがいる巨人が嫌いだから、ファンの少ないどこどこを応援する、みたいななんとも哲学がない思考なのである。「わざと少数になり自己を主張する」のと「たとえ少数でも自己を主張する」のとはむしろ正反対の考え方なのである。こういったタイプは、それでも認めることができる人間はわずかにいるようで、例えば「ボブデュランは最高にいい、しかし、日本のフォークソングのYやIなどは単なる悪質な物まねで許せないし、それを好きだというやつが多い日本人は偽物が多くて困る。」などと言う。とにかく自分の思い込みによりほとんどの事を否定することを信条としているのだから始末が悪い。そのくせこういう輩は意外と権威に弱いのであるから面白い。「自分に味方する権威」にはめっぽう弱いのである。
皆さんの周りにもこういった人間が少なからずいるのではないだろうか。要注意である。一見、「権威に負けない頑固一徹な性格」というように映るこの性格の持ち主は、精神医学で言うところの「自己愛パーソナリティ」を中心とした境界型人格障害の一種なのである。いつかは必ずや貴方を不快な思い、時には不幸に陥れることになるであろうから、「触らぬ神に祟りなし」「君子危うきに近寄らず」を実行してほしい。心理医学の研究をしている筆者の痛い経験に基づいたアドバイスでもある。

少数精鋭主義⑧ 大きな夢と小さな実行

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑧

大きな夢と小さな実行

ばんぶう

2000.12

日本医療企画


最近の若者たちも大人たちも夢がなくなった、と感じる人は多いのではないだろうか。そう思うのは当然である。「末は博士か大臣か?はたまた大社長か?」と子供のころ親に夢を託されて育った我々より上の世代に比べ、現在は学問や政治や経済のトップに立つような人で尊敬できるような人がほとんど見当たらない。実際には結構いるのだろうが、マスコミがとりあげるような話題は「ブルータスおまえもか?」と思わせるような、著名人のゴシップや失態の話が中心である。そのほうが読者の数が増えるからである。そうなのである。「数の論理」がここでも支配しているのである。 現在の経済理論もそうである。増収増益が企業の存続の必要条件になっているのである。例えば、ある病気の特効薬があっても、その病気の頻度があまりにも少ないと、製薬会社はその薬を続けられないという現象が起こることがある。他の商品でもそうである。少量でもよいものをコツコツと作りつづけることは今の世の中結構難しいのである。 多くの消費者を意識するあまり、軽率な商品が次から次へと生まれるように、マスコミも軽率な話題が多くなり、有名人や巨大組織(日本の官僚が筆頭になるのだが)の内情を暴露するような報道を好んでするようになる。そのような報道に接する国民は「あんな偉い人もこんな悪いことをするんだなあ」とか「こんな日本を代表する企業もこんなミスをするのか」という気持ちに慣れっこになってくる。結果、どのような国民が芽生えるかはあきらかであろう。子供たちにとっては、目指すべき目標は、生活レベル改善においても憧れの職業という面においても当然夢がなくなり、淡々とバーチャルな世界で勉強する人は勉強するが、落ちこぼれる人もたいしたことはなく平気でいられるか、ぐれたり人を傷つけることで紛らわしたりする。
こんな世の中、急に改まって「夢を持とう」と叫んでも無理ではないだろうか。「何か、楽しかったり、心地よかったり、世の中のためになったりすることを、小さなことでいいから、コツコツと実行することが結果として大きな夢につながる」という処方箋を私は持っている。今はやりの認知療法的考えである。

少数精鋭主義⑨ 1人の敵と10人の味方(その1)

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑨

1人の敵と10人の味方(その1)

ばんぶう

2001.1

日本医療企画


よく「一人の敵は十人の味方に匹敵する」と言われる。この言葉にはいろいろな意味が含まれているものと解釈される。文字通り、「せっかく十人の味方を作っても、一人敵ができてしまうと自分への援助の力としては打ち消しあってしまう。」という意味合いで使われることが一般的であろう。また、日本のように減点主義を基調とする国民性を持った国では、「十個の成功をしても一つの失敗が命取りになる」という意味合いをも感じさせる。
実際、日本の会社での社員や国の官僚、政治家をみてもそうである。減点が怖いから、無難なことしか出来ない。それで、大勢の流れがはっきりしてから自分の態度を決めるという、ヒト呼んで「付和雷同型人間」が圧倒的に多い。「私は自分の意見を本来持っているのだが、みんながそうだから仕方ない」と豪語弁解する御仁も多い。まさに悪循環になる。
事と場合によるが「十個の失敗をしても、一つの成功を収めたもの」を評価することも結構重要だと私は考えている。分かりやすく言えば「たいしたことがないことを10個やるより、これは、と思うことを一つやる」ことの重要性である。我々、医師の世界での学会の数の多さと、それに年間何度も発表して忙しがっている大学病院の臨床系の医師が多すぎることもこの一つである。くだらない点数稼ぎの研究は止めて、ライフワークとなるような研究をするか、もっと日常の診療に熱を入れるかすれば、日本の医療レベルももっと上がるはずである。
この過激な意見に団体として反論できる人はたくさんいても、個人的には賛同してくれる医師が多いことも私は知っている。政治や教育の世界も同様であろうと容易に推察されるのだが。

少数精鋭主義⑩ 1人の敵と10人の味方(その2)

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義②

1人の敵と10人の味方(その2)

ばんぶう

2001.2

日本医療企画


この表題は「一人の敵は十人の味方の力を打ち消す」という意味で使われる言葉だが、人間関係においても当てはまりそうだ。十人の親友がいても、十一人目の親友に裏切られたとすると、その人の悲しみや苦悩は他の十人の親友で癒すことは困難な場合が多い。
こうして考えてみると、我々の心の中も減点主義を基準とする構造に出来ているのかもしれない。ゴルフでいくらナイスショットを続けていても、一発のミスショットをきっかけに崩れていくことを経験している我ら素人ゴルファーは多いはずである。「よいイメージを定着させるのは困難で、悪いイメージは簡単に頭に染み付く」ようにできているのであろうか。
小さな子供たちの言葉の学習もそうである。幼稚園や学校で「友人たちとの悪い言葉はすぐ覚えるのに、どうして肝心の勉強は‥‥」と嘆くお母さんお父さんは多い。つまり、自然体でいると、人間は悪いイメージに流されやすくなるわけであるから、何らかの力をかけなければならない、ということになる。頭で(理性で)考えて、イメージや感情を制御してあげる必要がここに生じるのである。常に自分に言い聞かせる理性的な脳(大脳皮質)を感じるように意識することが、こういった「少数精鋭の魔力」から逃れる唯一の方法なのである。こういった手法も、今流行りの認知心理学の応用である。
十人の味方を作ろうとして一人の敵を作ってしまうくらいなら、2,3人の味方だけでも十分という成熟した考えが、日本やアメリカの今後の社会に必須だと思っている。21世紀のキーワードは「急成長から熟成へ」と私は提言している。

少数精鋭主義⑪ スモールメリット

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑪

スモールメリット

ばんぶう

2001.3

日本医療企画


私は契約制の相談医なるものを生業としている。そのクライアントの一人が、年賀状の中で「スモールメリットをいかしたお店作り」を心掛けていると、書かれていた。私は思わず独り言で「まさにそのとおり!」と拍手喝采したのである。今の日本の世の中、アメリカ的経済感覚でスケールメリットを利点にした商売が横行している。コンビニでも衣料品メーカーでも薬品会社でも、スケールメリットを獲得したものがその業界を制覇している。かく言う私もその恩恵にあずかり、廉価版フリースを愛用はしている。私は、車愛好家でもあるが、今の車業界、世界的に見ても、マニア的な車を作っていた会社はどんどん倒産したり大きな会社に呑まれていっている。かのポルシェやローバーも同じである。頑固に車作りに徹していればよかったのかもしれないが、アメリカ主導の「大量生産、大量販売、売上前年度比向上」を経済学の常識とする飽くなき商魂のもとに、ポルシェさえも大量販売の魅力に負けて、結果、いつまでもそんなことが続かず今や職人気質の一族は経営陣から消えつつあると聞く。大きく胸を張って「スモールメリットを生かした商売をしている」と言える人の商品に私は魅力を感じるのだが、皆さんはいかがであろうか。そういった観点で考えると、「IT時代を単純に喜んでいると、人間本来の快適性、幸せ感を見失うことになるかもしれない」と危惧を感じている人は私だけではないようだ。選択肢が増えることは、確かに豊かな感じがするが、玉石混交の1万個よりも、確かな10個のほうが豊かなのではないだろうか。

少数精鋭主義⑫ 迷う楽しみ、選択する苦しみ

 

2000.5~2001.4

少数精鋭主義⑫

迷う楽しみ、選択する苦しみ

ばんぶう

2001.4

日本医療企画


少数精鋭主義のテーマで書くのも今回が最後になった。一年は早いものである。人類の何十万年もの歴史から見たり、ビッグバンで宇宙ができてからの気の遠くなるような歴史から見ると、人生なんて一瞬であると表現される。その一瞬の人生に悩んだり、喜んだりと様々な出来事を体験するのである。そしてその一瞬の人生を、自ら半分に縮めたり他人から縮められたりしたニュースが連日のように新聞やテレビを賑わしている。
また、終末期の医療の選択ということが今世紀の医療の一つのテーマにもなりつつある。少なくとも、人生最後は無用な苦しみや悩みを抱きながら過ごすのは誰しも嫌であろう。患者さんをみていたり自分の周りを見ていて、70歳80歳でも悩み苦しみが多いことに気付く。悩み苦しむ晩年くらいなら、元気で楽しい短い人生のほうが良い、といういわば人生の少数精鋭主義的な発想も生まれかねない。そうなると医学の根底の目的の一つである「寿命を長く」というテーマがかすんでしまうような気がする。
 これからの医療のあり方について、私は二つの相反する解答を持っている。
一つは「医療はできるだけ痛みなど不快な症状が無く、できるだけ寿命を長く保てるように助力する技術」という考えに徹する方向性である。もう一つは「単なる科学的技術の追求だけではなく総合人間科学として、幸福論にまで介入した上で『人間の総合的快適性、長寿』をサポートすることが医療の新しい役割」とする考え方である。このどちらかをはっきりと認識しながら、新しい医療のあり方を研究、実行するべきであろう。
今日、いろいろな分野で多様化がみられ、それゆえに選択する必要性が生じている。「迷う苦しみ、選択する自由」という考え方ではなく、「迷う楽しみ、選択しなければいけない制約」ということがヒントにはならないだろうか。「少数精鋭」といっても、選ばれた少数精鋭なのか、もともと少数なのとでは随分違う。情報開示が実行され、様々な選択肢が我々の目の前につきつけらることになるであろう今世紀、「選択可能はむしろ制約であり、迷うのも楽しみの一つ」という考えが人生快適術のキーワードである、と私は考えている。

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