性善説ルネサンス④ 性悪説の感染力は強い 個人の力で打破できるか

 

2006.4~2006.11

性善説ルネサンス④
性悪説の感染力は強い 個人の力で打破できるか

ばんぶう

2006.7

日本医療企画


「朱に交われば赤くなる」「類は友を呼ぶ」などとよく言われる。小さい頃にこの言葉を親から聞かされた人は、40歳以上の方が多いのではないか。友人の及ぼす影響は大きいということだが、これは現代でも同様だろう。
 テレビなどのマスコミや、インターネットを通じた友人もどきたちが大きな影響力を持つようになった。怖い話だと私は思っている。そもそも人間は、一人では幸せになれないということを生得的に知っている。大切だからこそ、人間関係が壊れることを怖れるのである。「そんなことなら、そもそも人間関係などないはうが安心」と引きこもったり、「壊される前に壊してしまえ」と衝動的になったり、見せかけの人間関係を保つために嘘をつくことになる。
 冒頭の言葉を使って、払に説教していた親父の恐い顔を思い出す。決して「友達を選べ」と言っていたのではない。「模範となるような友達になれ」と言っていたのである。「約束は守れ」「嘘をつくな」。親の影響力はすごいもので、学生時代に約束をドタキヤンしたことは皆無だし、約束時間に遅れたこともほとんどない。しかし、性質が悪かったのは、相手がドタキヤンしたり約束時間に遅れたりした場合だ。10分待つことは稀で、5分遅れてくると1カ月は口を きかないという始末だから、今から思えば友人たちをビクビクさせたと反省しきりである。
「朱に交われば…」や「類は…」は、「悪い友人を持つな」という意味で使われることが多い気がするが、それは「善」より「悪」のほうが強い感染力を持つからであろう。確かに幼稚園児などは「悪い言葉」を覚えるのは早いと聞く。それだけ刺激的なのであろう。「良いニュース」よりも「悪いニュース」のほうが視聴率が高くなるのも同
じ理由だ。拝金主義に陥ったマスコミは、後者を優先する。
 今こそ「善」の感染力を強める時ではないだろうか。拝金主義を是とする一般企業がPRのために「CSR(企業の社会的責任)」などと言っても、空しく響くだけである。むしろ私は個人の
力に期待したい。読者の皆さん、これはという考えがあったらぜひ教えてほしい。

    

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