医療判断学の現場から

 

フォーラム

医療判断学の現場から

医学のあゆみ 第221巻・第2号

2007.4.14

医歯薬出版株式会社


  医療判断学の現場から医療を支えるものには , 医学だけではなく経済学あり複雑な要素が絡みあっているが、本日の話を簡単にするために“医療は医学の実践の場である " と定義してみたい 。自然科学としての医学は、ごたぶんに漏れず“分析 " を基本的手法とする。その結果、医学は細分化され、各種人工臓器や遺伝子のコントロールまでもが、いまや射程圏内になった。“病気を克服し。寿命を 延ばす " という医学の大目的からすれば長足の進歩であり、実際われわれは日々その思恵に浴している。人類の叡智や努力に感謝感激というところであろう。

 しかるに、すくなくとも昨今の日本では“医療崩壊 " という耳を疑うような現象が起こっている。経済的な面、倫理的な面、制度的な面などで“医 療崩壊 " が懸念されている。私はとくに、“医師患者関係からみた医療崩壊 " に着目している。マスコミ的にいえば“医師ともあろうものがその使命感を忘れ算術や名誉欲に走っている。医師の倣慢、独断を糾弾し、いまこそ患者様中心の医療を勝ち取ろう " となるのであろう。医師の使命感の欠落こそ、このような医療不信の根源だという論理である。しかし、私のまわりで活躍している少なく見積もっても数百名はいる医師たちをみていると、その過酷な職務に対して使命感をもって接している姿しかみえてこない 。たしかに眼を被いたくなるような魂を売った医師もいることは知っているが、それが大半であるとはとても信じがたい。私が断言したいのは、“医療不信や医療崩壊の原因は医師の使命感の欠如ではない 。下手をすると 医療不信や医療崩壊の結果として、医師の使命感減少病が蔓延するかもしれない " ということである。

医療判断医という専門医

 私は名刺の肩書きに“医療判断医 " と書いている 。たいていの人はいぶかしげな顔をして「これはどのような専門家ですか ? 」と訊ねる。

 23 年前、“医療の仕組みづくりの研究開発と実践で社会貢献 " をスローガンにオフィスを立ち上げた。日本の医療の各論の技術は高水準だし、 保険制度の国民への思恵の浸透度は世界的にみても群を抜いている 。しかし、23年前もいまも国民の声 (マスコミ?) は、不安、不満、不平だらけである。当時、“医療においては、分析する医学と統合する医学の両方がかみあうことが必要 " と著者は考えていた。分析する専門家は数多いから、統合する専門家になろうと横割り専門家を自らめざした。インターネットや電子カルテなどが存在しな い当時 、“カルテの医師間共有化と患者の簡易閲覧システム " や 、全国の医師のパソコンを電話回線を強引に使って (音響カプラーといういまとなっては原始的な方法で) 専門医相互コンサルテーションシステムなどを開発して研究実践した。いまにして思えば、いずれの発想も“人間関係論 "とひとくくりにできるかもしれない。

 そんなハイテク医療システムを研究しているうちに、医療のもっとも大切な役割は“安心による幸福 " の提供ではないだろうかと思うようになった。皇室の侍医のように、健康なときから身近にいて、さまざまな医療決断をサポートしてくれる 医師患者システムこそが、高度に分化発達した日本の医療システムにおける究極の安心と幸福の医学のための必需品だとの結論に至った。重病時に医療を受ける際、なにが苦しいかというと“後悔しない決断をすること " ではないであろうか。こういった医療上の判断の迷いが、不安や不満などの源になっているのではないだろうか。侍医をもった天皇はセカンドオピニオンを聞きたいと思ったり、 医療訴訟を起こしたいと思うであろうか。5人の侍医がご本人の意向も踏まえながら。医療決断の代行を真剣に行っている。最初から安心の、私の唱えるところの“スーパーファーストオピニ オン " を推奨されているからではないであろうか。インフォームドチョイスというが、医療消費者である患者にとって重病であればあるほど、医療決断は困難である。担当の専門医は“診断は医師の責任だが、判断決断は患者の意のままに " というのが最近の風潮である (この風潮は患者側の見方として、マスコミや法の番人たちがつくったから文句はいえない ).。医学医療が高度に複雑化した現在、患者がいくら情報を集めても、なかなか判断決断できないのが実情である。担当の専門医にしても、診断はついても判断しかねる場合が多い。そこで、交響楽の指揮者や飛行機の管制官のように、全体的な判断や決断を支援する専門家が医療の世界でも必要と考えるようになった。17 年前、研究的実践活動として医療決断を支援する“主侍医(造語)" を提供する“主侍医倶楽部 " というサービスをはじめた。そのころから、医療決断を支援する専門医を“医療判断医 " と私の事務所ではよぶようにしている。

主侍医の経験

 主侍医倶楽部は、コンサルティング会社を経営している友人たち数名の会員からはじまった。自分の健康が会社の経営の命運を握っていると考える人たちの間で、まったくの口コミだけで会員は50名ほどになった。弁護士の顧問契約のような形態であるが、医療の世界において日本ではほぼはじめてのことであると思う。つまり、会員の方々も革新的な人たちということになる。日頃の健康相談や、万一の重病時の“侍医" 役を務める約束である。病気の確率から考えて私ひとりで100名や200名くらいは担当できるだろうと思っていたが、実際は 50名でもけっこうな重労働 (精神的頭脳的にであり、肉体的にはそうでもないが) であることが判明した。その理由のひとつは 50名と契約しているつもりが、そうで、はなかったことに気づいたからである。そこが弁護士の契約やゴルフ倶楽部の会員と違うところであるが、会員の家族や友人や従業員などの周囲の人も相談対象になるということである。「それはきちんとした契約をしないからだ」とお叱りを受けるが、この辺に医療の特殊性があると私は思っている。杓子定規にはいかないし、いってはならないような気もする。会員でなければ入場をお断りするゴルフ場もあるし、契約がないクライアントの裁判にでる弁護士はいないであろう。一方、私たち主侍医に限ったことではないが、目の前に困っている患者さんがいて知らぬ顔をする医師の数はきわめて少ない (と思う). ということで数の誤算がひとつ。

 もうひとつは“質”の誤算である。医療の水先案内人、指揮者役というと“自分はなにもしないで、専門医を紹介するだけであろう”という人がいる。驚くべき無理解であるが、医師でさえもときおりそのように思う人がいるのだから、素人にとってそう感じるのは無理からぬことである。しかし、医療の総合的な相談とは、言うは易しく行うが難しである。インターネットの普及で素人でもそれなりの知識はあるという条件下で、すべての分野で満足のいく的確な応答をするには相当の準備が必要である。正しい診断にたどり着くため のアドバイスと、場合により専門医の紹介や手配までして、診断がついたら複数ある治療法の選択・決断のアドバイスをする。きちんとしたマニュアルや解答があるならいざしらず、たいてい は模範正解などない。弁護士は裁判で人聞を相手にするから引き分けを除けば平均 50% は勝つが、われわれ医師は、いわば神様を相手にすることになるから勝率はきわめて低い。とくに主侍医となると、相談内容が困難な例 (無理難題に近いことも) が多く、もっと勝率は低くなる。

 これらは主侍医の特殊性であるが、医療の特殊性をも物語ってもいる。

 17年の経験で、主侍医業務のニーズはしっかり確認したが、サービスの提供側を養成することに大きな問題がある。これだけの過酷な労働なのに、経済的にも名誉的にも十分な待遇をいまのところ準備できないことである。日本ではどんな高所得者も、医療には自らの懐をあまり痛めたくないという意識が根強いからである。まずは高所得者の方から、せめて銀座の倶楽部や高級ワインや高級ゴルフ場に費やすお金と同等ぐらいを健康と安心の管理に注ぎ込んでいただければ主侍医業務が発展拡大され、いつかはもっと気軽に多くの人が“医療決断支援”のプログラムを享受できるような仕組みへと発展していくであろうと期待とともに予測している。そのための模範的見本的仕組みづくりが、私たちの役割だと思っている。

 困難に遭遇しながらも主侍医倶楽部の機能も向上して仲間の医師の協力を得て、昨年から24時間医師と直接電話連絡がとれる“救急主侍医ホッ トライン”も稼動した。いまや絶大な信頼に値する専門医のアライアンス人脈も300名は優に超えている .

医師の使命感

 前述の主侍医の経験をもとに“医療判断学”というテーマで、1995 年より慶慮義塾大学医学部で集中講座を12年間続けている。3日連続の実習講義で、医学生たちはしだいに真剣な表情に変わっていく。単に成績がよかったから医学部にきたと自他ともに認める医学生が日本には多いことは事実であろう。高校を卒業した段階で、確固たるヒポクラテス精神で医学部受験を決めた学生は稀少であるに違いない。むしろ、日本の大学受験事情を考えると、多くの医学部の難易度は極端に高く、競争社会を勝ち抜く者が医学部合格を手に入れる ことになっている。その時点、で天使のような慈悲に溢れた医学生の集団を期待し、医師はみな慈愛に満ちた牧師さんのような人びとであるべきと思い込むこと自体が矛盾している。ところが、前述した慶應大学の例でもそうだが、医学生として6年過ごし医師生活を続けていると、なんとなく医師としての倫理観が芽生え育ってくるものである。医学生、医師どうしが、おたがいそういった影響を与え合うこともその一因であろう。

 この誌面では書ききれないが、“医師は高収入”という昔ながらの間違った風評がマスコミのお陰でいまだにシーラカンスのように定着している。同等の訓練や修練、または学歴や資格をもった人びとと比較し労働環境を考えると実はかなり順位は低いのではないだろうか。簡単にイメージしてもらうために例を示そう。名門大学法学部をでて50歳で一流会社の社長になった人と、一流の敏腕弁護士になった人、高級官僚になった人などと同じく名門大学医学部をでて一流の外科医になった人を比べてほしい。現在の収入、退職後の身分、病気のときの保障、休日のすごし方など、いずれをとっても比較にならないほど医師たちはみすぼらしい。それでも使命感溢れる医師たちは、(多少は不満に思いつつも) 日夜奮闘している。それは患者たちから信頼感謝されるという喜びがあり、世間から尊敬される職務であるという誇りがあればこそである。しかし最近の“医療不信”という言葉に代表されるようなマスコミ報道が絶えず、その影響で、日常診療の現場でも“挑戦的 な患者”“怯えかまえる医師”という不思議な構図が生まれつつある。待遇が悪くても使命感に支えられ頑張ってきた医師たちにも我慢の限度があるのではと、私はビクビクしている。待遇が悪くても労働条件が過酷でも使命感で支えられてきたの に、“なにかあると訴える、文句をいう ”という対決の姿勢が患者の基本となったのでは、使命感の高い医師にとってもはや最後の砦を崩されたことになる。この数年、私が信頼する医師たちからそういった苦悩を感じ取る機会が急増している。

医師患者関係修復から医療崩壊を食い止める、まずは患者様とよばない

 そもそも病気になることは生活習慣病のように自己責任であり、運命のいたずらでもあり、すくなくとも医師の責任ではない。当たり前のことで ある。また、 医療はとても不確実な世界に存在する。“かならずよくなりますか ?”“そんなことはありえません”われわれ生物はとても残念なことだが、老化という逃れられない“一種の病気”を基本に、さまざまな病気やけがに遭遇する。厳密な意味では完全に元に戻る病気はないし、死も避けられない。

 人は困難に遭遇したとき、指導者を求める。病気という困難を乗り切るために、医療医学の専門 家である医師に知恵を求めることになる。学問を 教えていただく教師には“先生 ”とよんで尊敬し、信頼してこそ深い学びができる。自分の健康回復のために尽力してくれる医師を“先生”とよんで 尊敬し、信頼してこそ病気回復の知恵を本当にいかすことになる。これは医師の倣慢とはほど遠い。むしろ、表面的には“患者様”と愛想笑いをして魂を売り渡し“商売商売”に走っている医師こそ倣慢なのである。“患者様”という背景には“医療もサービス業”という考えがある。本当にそれでよいと国民が思っているならそれでもよいが、マ スコミに扇動されただけではないで、あろうか。“医者にもちょっぴりサービス精神を !という程度のことには賛成できるが。そもそも最近の日本では完壁なサービスを求め過ぎである。すこしのミスも許さないという対決の姿勢が基本にある。よく考えてみれば、医療だけでなく政治や教育の分野でもそうである。“悪い側面ばかりを報道する ( と視聴率が上がるという経験則をもっているのであろうが )”アメリカ的マスコミの風潮が 、真撃な政治家、教育者、医師たちが育たない土壌をっくり上げている。使命感の欠落した政治家や教師や医師を糾弾することを使命とする報道が、原因を追究したつもりが、却って彼らの使命感を減弱させているという皮肉な結果を生んでいることに早く気づいてほしい。視聴率第一主義の報道、TVや新聞に取り上げられたものは正しく、そこに登場したものはなんでも秀でたものだというマスコミの横暴がとどまるところを知らない。それだけ強い影響力をもっていることを認識した良識ある指導者が、マスコミ内部にも誕生してほしいと願っている。

 医療崩壊が現実のものとならないようにする一方策として、模範やオピニオンリーダーをつくるのが近道ではないかと私は考えている。しかし、医療界はスポーツ界や芸能界などと違って本来とても地味なものだ。ひとりのヒーローが生まれるべきところではない。集団としてのヒーローをつくることこそ最善策だと考えている。スーパー医局“ TERRA&DRS”プロジェクトと題しているが、現場で懸命に働く良識と使命感をもちあわせ た医師たちの声が広く国民に届くような“集団としてのヒーローづくり”による医師患者関係の修復作業を、今後の私のライフワークと考えている。

    

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