VERY白熱教室第7弾「3歳児神話のリアル非リアル」

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VERY 2月号
VERY白熱教室第7弾 「3歳児神話のリアル非リアル」

2013年1月7日発行

(株)光文社

 

 


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VERY白熱教室第7弾「3歳児神話のリアル非リアル」

エッセイイスト:小島慶子さん
モデル:堂珍敦子さん
新宿せいが保育園園長、全国私立保育園連盟 保育・子育て研究機構代表:藤森平司さん
寺下謙三

 

 

「神話」という言葉に惑わされ「~しなければ行けない」となることが問題・・・小島慶子さん(以下小島)

 後々の生育に影響する大事な時期だから子供は3歳になるまではお母さんとなるべく長く一緒に過ごすべきであるという「3歳児神話」と呼ばれるものについて、どう思われますか?ちなみに私は小学校4年と1年の息子がいて、2人とも0歳からの保育園で育っています。

堂珍敦子さん(以下堂珍)

 私は4人子供がいて、小学2年生の長男と5歳の幼稚園児と3歳の保育園児2人。長男は幼稚園入学まで私と家にいて、次男は公立の保育園から幼稚園に代わり、双子は0歳児から保育園でこの4月から幼稚園です。

寺下謙三さん(以下寺下) 

「○○神話」などという言葉に惑わされすぎると「母親は絶対にこうでなければいけない」と思ってしまうことに問題がある。最近クリニックにいらっしゃる患者さんの中には3世代で通っていただく方もいます。最初に病院の門を叩く人は子育て世代。病院に来るということは何らかの問題がある。話を聞いてみると、その母親にも問題点があることが多いんです。キーワードは「不安」です。人間、不安が大嫌いですよね。安全にいることが一番快適。子供は母親を通して社会を見ていて、お母さんが安全、安心であるかを見ている。だから3歳に限らず、子供は安心を体験することが大事ですね。

小島 

 お母さんたちが不安に思うのは、「時間」なのではないかと。一緒にいる時間が足りないと育児に悪影響があって、長いほどいい子が育つと思い、仕事があったり、子供が多かったり様々な理由でそこまで手や目をかけてやれない場合は、この子育ては手抜きなのか、そのせいでこの子の人格形成に問題が生まれたらどうしようと悩む方もいると思うんです。

3歳児神話は多子社会の頃の発想。今は周囲との関わりが少なくなり社会を知る場所が赤ちゃんにはない・・・藤森平司さん

藤森平司さん(以下藤森) 

 子供にどんな環境がいいのかという話だと思うんです。女性の社会進出はいったん置いておき、子供のことだけを考えた時に私は3歳まで家庭で育てましょうというのは賛成なんです。ただ「家庭」って何なのか。昔は同じ誓いのもとに集まった人たちが、皆で食事をしたり生活していく中で赤ちゃんは他者を理解し、自己を確立してきた。このような中で3歳まで育てるなら私は賛成です。だけど今はマンション住まいで母子だけの関係が多い。これは家庭とは呼べないのです。

堂珍 

 そうですよね。他者がいないですもんね。

藤森 

 昔は人間とは言葉が話せる生き物と言われていたけれど、今は真似をする生き物と言われています。胎内からお母さんの真似を始めるんです。有名なのが、新生児の赤ちゃんを目の前に舌を出したら舌を出す。真似をすることで人間はいろいろなことを学習する。だから真似る相手がいっぱい必要なんです。でも真似をしていると不安な状況も起きます。その不安な状況の中で、いつでも駆け込める場所がある、という確信が必要なんです。いつでも受け止めてもらえるという確信があれば、自発的にいろんなことをするし、周りと接していくようになるのです。

小島 

 いくら母親と2人で長時間いても、母親との間で安心感が形成できなければ意味がないということですね。

藤森 

 そうですね。離れていてもその確信があればいい。昔からの「見守る」という言い方は、見ていていざという時に守ってあげるよ、っていうことだと思うんです。だから死んだ父親が空から見守っていることでも可能なんです。3歳児神話は多子社会の頃の発想なんですね。子供がたくさんいて、地域とも関わりがあった中だったらいい。でも今は周囲との関わりが少なくなり社会を知る場所が赤ちゃんにはない。人間って昧覚や臭覚は人との関係で学びます。さらに最近研究されている社会脳共感脳、人に共感する能力や社会とソーシャルネットワークを組む能力って2歳までに育つんです。だからその時期に社会がないと。

子供が失敗した時に「いいんだよ、大丈夫だよ」と不完全な子供を認めてあげるのが本当の母性・・・堂珍敦子さん

小島 

 いわゆる「3歳児神話」とは逆の発想ですね。愛着が大事だから仕事もせず子供に向き合い、全部の時間この子にかけるんだというものではなく、この子のために外をいっぱい見せてあげようと。

藤森

 離れていても、職場から迎えに行くからねっていう確信があればいい。

堂珍

 約束が守られるという体験をしていけばいいんですね。

藤森

 そうですね。それがないと逆にしがみついてきてしまう。問題なのは、抱っこすれば自分はいい母親なんだと赤ちゃんに依存し、すると赤ちゃんも依存してしまい共依存関係になってしまう。

安心して戻れる場所が必要。いつも一緒にいるとかえって危ないことも

小島

 堂珍さんは保育園から幼稚園にしようと思ったのはどういう理由だったのですか?

堂珍

 3歳児以降から小学校に行くまでの3年間って重要な時期で、いろんなことを共感するチャンスだと思うんです。保育園の方が働きやすいんですが、小学校になると手をつないで行くこともないし、その前に子供と一緒に共感したいと思って。

小鳥

 手元に置いておきたいというより、一緒にやりたいことがあるということですね。保育園から幼稚園に移ったお母さんがいると聞くと、保育園じゃいけないか幼稚園に行ったのかと思う方もいるかもしれない。堂珍さんの場合は、子供が大人と一緒に少しずつ広い世界を見ていくこと自体は変わらないけれど、それを保育士さんではなく自分が共有したいという理由なんですね。保育園に任せておくのが不安だから、ということではなく。

堂珍

 はい。3歳までっていろんなものが発達し、寝たままだったのが寝返りをうって、はいはいをして……って子供にとっても成長に追いつけなくてすごく不安な時期でもあると思うんです。その時ってはいはいをしながらも必ず振り返っているんですよね。振り返った時に「いいよ前に行って」って背中を押す役割の人がいればいいと思うんです。それが母親だったら言うことはないですが、そうでなくてもいいと思うんです。昔は地域で育てていたから子供が転んだところを見ている入って必ず周りにいましたよね。それが今は地域で子育てができなくなり、お金を払って保育や託児所などの育児サービスに変わっただけで、子育ての質って昔も今も変わらないと思うんです。3歳児神話って昔から言われているように見えて、果たして昔の人がずっと母親一人で育ててきたのかなとも思うんです。

小島

 かつては人の善意で手に入ったものをお金で買うことに対する罪悪感、違和感感というのが、保育園はだめなんじゃないか、お金を払って育児を誰かに任せるというのは育児放棄なのでは、という不安につながってしまうのかな。でも、実は私の母は専業主婦だったのですが、母子間の愛着形成の問題から、私は長く摂食障害に苦しみ、そのあと不安障害になってカウンセリングと治療を受けたんです。今は乗り越えたのですが、母からは「自分が母親にしてほしかったことを全部してあげているのに、どうしてあなたは私の言うことを聞かないの、何が不満なの」って言われ続けました。母はベストを尽くして、私を自分の手で愛情の中に浸して育てたのですが、私にとっては過干渉で、むしろ愛着が形成されなかった。誰が悪いってことではなくて、家族ってそういうことが起きてしまうんだなと。

私も初めての育児では、自分の子供に対してどう関わればいいか分からなくなったことも。きっと3歳児神話に悩むお母さんって、皆善意だと恩うんですよ。いい子育てをしたい、この子を愛してあげたい。でも場合によっては、それが子供を囲い込むことになり、まして受診せざるをえないくらい苦しめてしまうことになる。どうしてそのようなことになるんでしょうか?

寺下

 母親が神話にとらわれすぎると無条件の安心安全ではなく、緊張して作られた安心となり、子供たちの脳が混乱することになりかねません。

母は私を愛情に浸して育てたけれど、残念ながら愛着はむしろ形成されなかった・・・小島慶子さん

小島

「神話」と名がつく通り、それが事実なのかどうなのかが分からないまま、振り回されてしまっている人もいるのでは。お母さんは「私は母、この子は子供」ってまず役割で見て、こう育てなきやいけないとか、何時間一緒にいたから今日は愛着が形成されたと思ってしまいがち。目の前にいる生身の人を見ようと思っても、先に母らしさとか子供に与えるべきものという概念が2人の間に幾重にも挟まっていて、お母さんもすごく苦しいんじゃないかって思うんです。

藤森

 例えば高い山を登ろうとした時に、ベースキャンプを作りますよね。皆でベースキャンプから出て嵐になったら、ベースキャンプの人も一緒に遭難してしまう。だから一緒に行くことが大事なのではなく、戻れる場所が必要ということなんです。いつも一緒にいるとかえって危ない。

小島

 子供の先回りをしたり、ずっと日を離さないお母さんは、私が子供を守る、これが親の責任って信じているけど、実はベースキャンプを留守にしている。

藤森

 そうなんです。自然と社会の中で子供が走り回っていればいいけれど、なくなっているなら人工的にもう一回、自然や社会を取り戻さなければいけない。その社会が私はある意味で幼稚園や保育園だと思うんです。昔は否応なく子供との距離が離れざるをえないこともあったけれど、今は自分の意思で距離を決められる。だから簡単に母子で密着できてしまいます。それを適当な距離にするのは園の役目。子供たちは0歳の頃からいろんな大人と異年齢の子供の中で育っていくが、3歳になると今度は子供だけの集団も必要になる。だからそこに移行することを保証していかなければならない。ただ、その時に常に特定の大人とだけでいるようであればそれは問題です。3歳までお母さんと2人きりで3歳から突然、さあ子供同士でと言われても難しい。

小鳥

 私は実は3歳まで一人も友達がいなかったんです。オーストラリアで育ったので、周りは外国人の子供か母しかいなくて、遊び相手がいなかった。友達っていうのを見たことがなかった。その後本当に人間関係に苦労して、未だに誰が自分のことを好きなのかよく分からないんです。いろんな好意の示し方があるっていうことが、体験的によく分からない。自分なりに考えると、3歳まで多様なコミュニケーションを学ぶ機会がないまま育ってしまったからじゃないかと。3歳児神話って母親が24時間べったりくっつきなさい、というわけじゃない。いろんな人があなたを歓迎しているっていうことを学ぶ3年間で、その一つがお母さんとの関係だと思うし、そのお母さんのもとでいろんな人と出会うことなんですね。

子供に教える型は母親一人で与えられるものではない

堂珍

 うちは長男が5歳の時に4人兄弟になったんですね。長男の時は3歳児神話を信じ切っていたので、3歳までは私が育てると、兄弟も作らず、保育園にも入れず抱えきっていたんですが、兄弟が増えて私一人では抱えきれなくなり、無理となってからわざと外に出したんです。一人でおつかいをさせてみたり。すると周りが助けてくれて、今でも近所のおじいさんやクリーニングのおばさんに助けられているんです。外に出した時からものすごくコミュニケーション能力が発達して、今では自分が困った時は見ず知らずの人にでも頼めるんです。例えば私との待ち合わせで私が30分遅れそうでも、携帯をまだ持たせていないのでどうするのかと思ったら、知らない人に私が来るまで一緒に待っていてもらうとか、時には携帯を借りて私に電話してくるとか。周りは迷惑なんですが、そうやってずっと助けられてきた。

藤森

 自立したと思われる時って、昔はいろんなことができるようになったことでしたが、最近は人に頼めるようになることに変わってきています。頼めるということは、自分のスタンスが社会の中で分かったということなんです。

小島

 愛着形成は母子密着を通じてしかできないという思い込みがありますが、お母さんっていう特別な権威が子供を人間にするのではない。人と人との間は無限のパターンがあることを安心して学ぶことで、社会性を育むんですね。3歳までに、いわばコミュニケーションの「型」を学習することが大事で、その型は母親がたった一人で与えられるものではない。一つの型しか持たない人間は脆弱だと思うんです。

堂珍

 母親が良かれと思って家庭は安全地帯、家庭の外は危険という構造を与えてしまい、家庭の中だけしか知らない子供の方が、危険の見分けがつかない場合も。

母親は重要な地位であることは間違いない。お腹にいる時から母親のまねをしているのだから・・・寺下謙三さん

小島

 人間にとって、「母」という存在は一体何なのでしょう

寺下

 やはり母親というのは重要な地位であることは間違いない。お腹にいる時から母親の真似をしているのだから、残念ながら父親は太刀打ちできない。でも、もし母親が出産後に亡くなってしまったからといって、子供が悪く育つということはない。だからそのオルタナティブ(代替)はあるんです。

堂珍

 子供が失敗した時に「いいんだよ、大丈夫だよ、あなたはできるよ」と言って不完全な子供を認めてあげるのが私は本当の母性だと思うんです。

小島

 「不完全なあなたでもいい。いてくれて嬉しい」という安心感を与えてくれるものが「母」。その上で、人間にとって様々な人間関係があると知ることが必要な3年間なんですね。

堂珍

 でも母親が離れている時間が長いほど、子供の失敗を見逃すことも多くなるから、気をつけて見るようにすることも必要だと思うんです。3歳児神話があるから、預けて仕事をすることにためらうことも大事だと思うんですね。ためらうから子供の敏感な変化に母親として気がつける。

寺下

 「スキーマ」と呼ばれる我々人間が生きていく際に基本となる、判断基準の大部分が10歳頃までに形成されます。特に3歳噴までは本能に近いスキーマの基本が形成される時期なので、無条件な安心を原体験しておくことが重要です。その提供者に最も相応しいのは「母親」ですが、それぞれの事情に合った役割分担がなされれば、父親や保育園の先生などが一部を分担することは大丈夫でしょう。

小島

 自分の子育てに執着しすぎると他人の評価ばかり気にしたり、子供に対する執着が強すぎると、「完璧な」人生を歩ませなくちゃと抱え込んでしまう。人生は楽しいよ、安心して生きていいんだよ、とシンプルに一番身近な大人が子供に示すということが大事なんですよね。

    

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