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魂を売らないということ① 安易な道、困難な道
2005.5~2006.3 魂を売らないということ① 安易な道、困難な道 |
ばんぶう 2005.5 日本医療企画 |
今年のタイトルは何にしようかと迷った。例年、自分に言い聞かせるキーワードをタイトルに1年間エッセイを書くことにしている。昨年は「顔馴染み」をキーワードとして意識して活動してきた。もちろん、今までタイトルにしたことは有効期限1年ではなく、無期限であるつもりだ。そういう意味でも、今年のタイトルは「悪魔に魂を売らない厳しさ、信条」としようと考えた。
1年間「悪魔」という文字を見るのも辛いだろうから、若干ソフトにしたつもりである。
自分も含めて最近の世の中、なんと自分の魂を安売りしていることの多いこと、とため息が出てしまう。
携帯電話、インターネット、コンビニと究極の便利文明クッズが世界中で繁殖していることが大きな原因の一つだと考えている。情報が氾濫し、一人でも生きていけると勘違いしてしまうような文明において「自分が可愛い現象」が強化されすぎてきているからだろう。かつて、昭和初期までは身分制度に基づく戦争などにおいて「自己犠牲」を強いられた歴史がある。もちろん自己犠牲は強制されるべきものではない。前々回のエッセイで言及した人柄力という個人の能力のなかの一つに「自己犠牲力」を加えた。そういう意味では、便利文明のなかでは「人柄力」が発揮しづらくなってきた
のかもしれない。中途半端な「人柄力」は、いわゆる馬鹿を見るだけになるからである。周りの様子を虎視眈々と見て、馬鹿を見ないように我先に「自分可愛い」を実行してしまう。そして、それが連鎖反応を起こしてしまうのである。昔観た映画に、アル・パチーノ主演の「セント・オブ・ウーマン」というのがあり、そのなかで彼が「人生の分岐点では難しい道と簡単な道が目前にあることが多く、多くの人は簡単な道を選んでしまうものだ。たいていの場合、難しい道のほうが正しくて、実はそのこともわかっているのに」
「自分のことは棚に上げて」という批判を覚悟で、1年間このテーマのエッセイを書いていきたい。