吹っきりのち復活⑩ 勇気ある撤退、みじめな敗退

 

2002.5~2003.4

吹っ切りのち復活⑩

勇気ある撤退、みじめな敗退

ばんぶう

2003.2

日本医療企画


「吹っ切り」というテーマで、いろいろなことを考えてきた。毎年、自分に与える年間のテーマを考える際に、自分の弱点をカバーしていくような言葉を考えつくのかもしれないとつくづく思う。私の好きな言葉であり、自戒の言葉でもあるものに「勇気ある撤退」がある。前に突進して進むことしか考えないのを勇気ある行為と半ば勘違いしていたと、数年前から反省することが多い。そのずっと以前から友人などには、「時には勇気ある撤退も必要だ」などと偉そうにアドバイスをしていたのに、なかなか自分のことではそれが実行できないのである。吹っ切りが簡単そうでいて、なかなか難しいということなのであろう。世の中には「似て非なるもの」が多く、その両者はまるで正反対の意義を持つ事がしばしばである。「撤退」が何故難しく感じるかと言うと、「敗退」と似ているからなのであろう。人間誰しも、負けて退くことはなるべくしたくないもの。しかし「撤退」は、いわば「負けるが勝ち」というか「負けるが価値」というか、堂々と退くことなのである。それを賛美する気持ちを込めて「勇気ある撤退」なる言葉が使われるのであろう。世の中を見渡してみると、政治の分野でも、経済の分野でも撤退の美学を感じるような場面にお目にかかることは少ない。○○党を辞めたといっても、××党に転属し同じようなことをしているといった具合である。引き下がるのにもエネルギーが要るから、力のあるうちに引き下がる必要がある。  軍隊が戦いのためにいろいろ準備した物を撤去して退くということが、「撤退」の語源らしい。敗退は、力尽きて退くことである。とても次の手立てを考える余裕がない状態である。敗退しないためにも、「勇気ある撤退」を常に念頭におきながら「怖がりの前進」をすることを心掛けて、日頃の行動をしたいものだと自戒している。

    

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