医療判断医という選択

医学生・研修医に告ぐ

医療判断医という選択

月刊 junior no.427

2003.11


はじめに

「赤のカードに賭けなさい」プロのギャンブラーはそんなアドバイスをした。答えは簡単である。赤のカードが20枚、黒のカードが15枚入っていることが分かっていたからである。しかし、私は、黒のカードを引いてしまった。プロのギャンブラーのアドバイスは間違っていたのか?
医療の話をしているのに、賭け事のたとえ話を引き合いに出して不謹慎と言われかねないのを承知で冒頭のたとえ話を作った。医療方針の判断、決断に際して、それらは確率に左右されることゆえの不確実性を体感していただきたいため敢えて単純な例示をした。
医療判断学の存在意義の説明を容易にするために、このようないくつかのたとえ話を引用することにしている。学生への医療判断の講義や一般の方へ医療決断のお話をする時に、「我々は0点と100点の選別判断をすることはほとんど無く、1点から99点の間の判断をするのであり、しかも、その多くは60点と65点を比較判断することを迫られるのです。そして、その両方の判断後に起こった結果を見比べることが出来ないために、その判断が正しかったかどうかの評価、反省が実に困難なのです。」ということを必ず説明する。結果が良かったから正しい判断、結果が悪かったから間違った判断、というふうに評価できないからである。
例えば、癌の治療方針について考えてみよう。大抵の場合、複数の選択肢があり、手術をするか、化学療法でいくか、放射線治療にするか、免疫療法は加えるのか、民間療法も気になる、といった具合に考えれば考えるほど迷うことになる。ひとつを選択するということは他の選択肢を捨てるということになるのだから、決断は簡単にはいかない。患者の気持ちとしては、結果が良いことがすべてだが、冒頭に書いた理由で、結果から正しい判断だったかどうか判定できない。このような背景があるからこそ医療決断をする際には、本当に手間隙かけたい。例えその結果が悪い方向へ行ったとしても、「別の選択肢を選んだよりきっとよかった」と思えるほど、よく考えて判断、決断をすることが何より大切である。アメリカの医学生は卒業する時に、ヒポクラテスの誓いをする。「患者に良いことのみを行い、決して悪いことを行ってはならない」医師にとって、この当たり前のことを医療の結果のみから判断すると仮定すれば、厳密に実行することは到底不可能である。副作用の無い治療法はないだろうし、誤診のない診断の名医は存在しない。
私の主唱している「科学的根拠に加えて、患者の心理学的情況や社会学的背景までも考慮した医療判断理論」において模範解答は存在しない。しかし、誤解しないでほしいのは、医療の不確実性を理由に、不誠実な診療や、勉強不足の医療人に言い訳の余地を与えるつもりはないということである。医療の分野において、不確実性は常に伴うけれど、かのヒポクラテスの究極の命題を常に追い求める姿勢を持った医師や医学者であるということは不可能ではない。医学生や研修医のみなさんも、そういった姿勢を持った医師に育っていただきたいが、クラスに一人か二人は「医療判断医」の道を歩んでいただきたく、勧誘の意味を込めて、医療判断医について概説する。

1. 医療判断医の定義

「医療を受ける際に生じる患者や家族の様々な選択や決断を支援することを専門とする医師」と定義している。何故、そのような専門医が必要なのか?ここでもたとえ話で考えてみたい。現在の医療と一昔前の医療とを比較すると、現在の医療技術は格段に進歩している。専門分化が進み、治療方法も各種開発されて、患者のみならず医師でさえも選択の岐路に立たされることが多くなった。一昔前の医療を音楽に例えるなら、室内楽ということになる。少数の楽器の集合であり、その楽器のうちの誰かがリーダー役となり、全体の流れを引っ張っていくということでバランスを取ることが可能である。一方、現在の医療を例えるなら、交響楽ということになる。楽器の種類も数も多く、もはや演奏をしながら全体の指揮をするということは不可能になり、全体のバランスをリードしていくことを専門とする指揮者が必要となる。一昔前なら、内科医が患者の総合指揮者役を行い、必要に応じ外科や耳鼻科、眼科と他科依頼をして全体の取りまとめ役を担ってきた。しかし、今や、内科自体でさえ、消化器、循環器、内分泌、神経などと細分化されつつあり、患者を一人の人間として取りまとめて医療全体のバランスをとっていく役割を担う医師は存在しなくなっている。
こういった現象が、医療技術の高度化に反比例して、患者の医療満足度や安心度が低下している理由でもある。
このような状況を打開するために、患者にとって医療の指揮者役である「医療判断医」の必要性を私は提唱しているのである。

2. 「医療判断医」の専門性

医療判断医の定義から考えて、幅広い医療技術と知識を有することが不可欠となる。これは、簡単なようで至極難しいことである。医療技術が急激に進化変容していく現在においては尚更困難である。
医療判断医にとって医療面接、カウンセリングの技術を習得することは必須である。現状、可能な方法論として精神科や心療内科の研修を修了することが望まれる。
また、臨床医療判断理論として特異度や感度を考慮した確率論の理解も必要となってくる。
最も難易度の高いことは、各分野の専門医との人脈を継続的に有するということである。国全体としての有機的なシステムが存在しない今、医療判断医は個人的な努力によって、各分野の専門医との人脈レパートリーを築かないと、医療判断医の職務を全うできないことになる。総合病院内に限定した医療判断医活動は比較的簡単に出来るかもしれない。しかし、これだけ医療技術が複雑化し、国民の活動の場が広がった状態では、一人の患者が常に同じ病院内で医療を受けるということは非現実的である。昨今厚生労働省や医師会が主張する「かかりつけ医」のシステムでは、最初から総合病院中心の医療システムを想定していないから、患者は複数のクリニックや病院を受診することが必然的な結果となる。

3. 医療決断支援の三つの要素

臨床現場での医療決断に際し、現在一般的に重要とされているのはEBMである。EBMとはご存知の如く「科学的根拠に基づいた医療(Evidence Based Medicine)」ということになる。医療判断理論においても同じく、EBMは基本となる考えである。それに加えて、私は「心理学的情況」と「社会学的背景」を考慮した総合医療判断の必要性を説いているし、実際にそれに沿った活動を行い、多くの患者(クライアント)から支持されている。冒頭の話のように、ギャンブルでも医療でも「結果よければ全て良し」というのはそのとおりであろう。問題は、悪い結果が出た場合である。その場合の身体的被害を最低限に押さえることと共に、精神的ダメージを最小限にする方法論が医療判断理論の心髄であるとも言える。その辺のテクニックが「心理学的情況」を配慮した判断ということになる。
有名なプロゴルファーの杉原輝夫が、前立腺癌の治療を受ける際「プロゴルフ人生を優先する」ことを理由に、手術ではなく保存的治療を選択したという話は有名である。この時の判断には「社会学的背景」を重要視していることは容易に理解できるであろう。社会学的背景には、患者の職業、家族のこと、経済的なこと、宗教上の問題など医療決断の際に無視できない要素が結構ある。
「[科学的]医学的根拠」「心理学的情況」「社会学的背景」に基づいて、時間軸も考慮しながら医療決断はなされるべきである。重症な病気の時は、本来間断ない決断の連続が必要とされることが珍しくないのである。現場ではあまり深く考え検討するまもなく時間が経過して、慎重な判断がされようとされまいと医療行動は実行されていく。その原因は、臨床医療決断は極めて高度で専門的かつ知的な活動であり、一般の患者には荷が重過ぎるし、担当主治医にはそのための十分な時間もないというだけでなく、当然そのための修練も積んでいない。普通の医師にとって病院の枠を越えた専門医人脈を十分に築いている暇もなければチャンスも少ない。
こういった理由で、重病時治療の管制塔の役割を専門として果たす医療判断医の存在意義がある。

4. 現状の医療保険制度の中に位置する医療判断医

医療判断医という概念は新しい考えであり、当然既成の医療保険制度には組み入れられていない。前述したような医療判断医の活動に対して、医療保険を適用させるのがいいのか、自己負担にて自由にさせるのがいいのか、まだ研究の余地があると筆者は思っている。少なくとも、医療判断医による医療決断の支援があると、重複診療や重複検査などが激減し、保険財政にも好影響を与えることが予想されるから、その財源で医療決断支援活動を保険である程度は支持するべきであろうとは考えている。
しかし、これは将来の話であり、現状では、保険や国から一切の補助を受けずに医療決断支援活動を行わなければならない。
重病の治療時は、個人にとって、いわば裁判を抱えるくらいの重大事であり、弁護士を雇うように、自分の命を守るために医療判断医を雇うことが賢明であるという時代がくると筆者は予測している。そういう意味で、しばらくの間、医療判断医は自由診療の世界で食べていかなくてはならないから、生活は厳しいかもしれない。ただ、考えようによっては、実力があり、しっかりクライアントの人気をつかめば、有能な弁護士のように高い名声と高所得を得ることができるかもしれない。
後述するが、日本では類を見ない医療判断医の活動でもあり、専門医の人脈など個人では十分なものを築くのは困難なので、私どもの医学事務所に所属をしていただいたり、アライアンスを組んで頂く形でサポートをしていきたいと考えている。

5. 医療判断医の研修や認定

何度も繰り返しているように、医療判断医という概念はまったく新しいものであり、既存の研修システムは存在しない。勿論、認定医システムもない。私の事務所で、実習体験しながら勉強するしかない。音楽の世界における指揮者の専門課程のようなカリキュラムを想定している。現状では、消化器系、循環器系、神経系、内分泌代謝系のうち2つ以上の臨床をそれぞれ2年以上経験し、心療内科または精神科の臨床経験を2年以上行った医師を医療判断医実習の要件としている。基本実習は、私もしくは医療判断指導医(私の事務所で一定の研修を積んだ医師)と共同で、重病時医療決断支援活動を20案件行い、「医療判断実施記録」という所定の様式に20案件のレポートをまとめることを目安としている。

6. 主侍医という概念

医療判断医の主な仕事として、「重病時の医療決断支援」以外に、もう一つ大事なことがある。予防医学的指導や日常的、軽微なまたは慢性の病気の管理である。いわば、小さな医療決断支援の集合体ともいえるものである。重病時の医療決断支援が順調に行われるための条件として、患者(クライアント)との信頼関係がある。そのためには重病になってからではなく、健康な時から近しい関係を築いていることが大切である。
そこで、私は13年前より「主侍医」という概念を導入している。病気になってからの主治医に対して、健康な時から側にいるという天皇の侍医のような顧問医の意味で、「主侍医」と造語した。医療判断医の業務として、この主侍医業務を加えることにより弁護士の顧問契約のような形が成立する。あくまでも治療担当医である主治医は別途存在していて、こちらの主侍医は、100%クライアントの味方として、管制塔や指揮者の役割に徹することになる。
こういった主侍医を持つということは今の日本ではとても贅沢なシステムなので、我々の事務所では企業の経営者向けのサービスモデルだけ運営している。一般大衆向けのシステムを考えてもいるが、日本の保険制度はそれなりに優秀で、それ以上の満足を目指すこのシステムには相当の手間隙と費用がかかるので、本格的な普及バージョン運営には、国レベルの参画が必要であると考えている。むしろ我々のような小さな研究室では、天皇の侍医に勝るとも劣らないような手作りロールスロイスバージョンを運営するのが使命とも考えている。そういった極限のシステムを研究運営することで、より様々なノウハウが生まれるものと確信しているからである。そのノウハウを公開し、本格的な普及バージョンを国や大企業が作り出すことを促したいと考えている。

7. 医療データの一元管理

これだけの情報化社会のなかで、個人の医療データが一元的に管理されていないのが不思議である。なぜか?「個人のプライバシーがあるため、カルテ情報を簡単にやり取りできない。」「カルテの電子化が進んでいないので、技術的に困難」「カルテ開示の賛否両論に結論が出ていないから」などの理由がある。しかし、これは医療の提供側からの問題である。患者にとって、医療データを一元管理するのは文句なしに良いことである。しかるに、貯金通帳の管理は一生懸命するのに、自分の医療データをこまめに管理する人はまれである。「そんなこと言ったって、医者にデータを貰いにくいから」という言い訳も確かにあるが、やはり言い訳である。著者らが個人の医療データ一元管理サービスを有料で行おうとしたマーケット調査では、有料では意外に需要が低い。無料なら受けたいという声が多く、医療に関しての甘えがこの国ではなんと浸透していることかと今更ながらあきれるところではあるが、残念ながら事実である。主侍医業務のもう一つの役割に、この医療データの総合一元的管理がある。いろいろな専門医で行った検査データや服用している薬剤や治療歴などを時系列で保存し、いつでも取り出せるようにして、変化に敏感に対応する体制を整えておくことである。

8. 医療判断医の将来性

アメリカ型の医療の影響を多く受けた日本の医療界では「専門医」を尊ぶ風潮が強い。そしてまた、大学病院や医局に所属し、大学教授になることが唯一の成功の道と信じている医師がまだまだ圧倒的に多い。医局の医師の間では、開業することを「野(や)に下る」などと表現したりする。実際に、医療を支えているのは一線の臨床医であるのだから、ピントがボケた話でもある。いずれにしろ、私も含め、医師を職業として選んだ理由には、「人助けをしたい」、「人類の役に立ちたい」などという思いと共に、「仕事に誇りを持ちたい」、「名誉名声を得たい」、「人から感謝されたい」、「経済的にも評価されたい」などという願いも持っていて当然だと思う。医者の本音を泥臭く言えば、名誉系の「教授」、お金系の「開業医」に2分されるであろう。建前としては、「最も社会貢献が出来る職業が医者」という理由が燦然と輝いている。しかし、もう一歩進んで考えれば、「建前こそが本音」という人間の気持ちの真実に突き当たることになる。誰にでも人に喜ばれたいという気持ちはあるからだ。そういう意味では「人のためになることをしたい」というのも本音なのである。
話は脱線気味になったが、医師としての仕事を真っ当にかつ高品質に行っているものが、経済的にも名誉的にも評価されるシステムこそが大切と力説したい。自分の良心を投げ打って、名誉欲や金銭欲のみに走った人が、地位や栄誉や高収入を得るという図式がまかり通っているのがこの国の医療システムである。「医師はお金を稼いではいけない」「医者も科学者の端くれ」などという風潮があるから、本当の実力者よりも策略家のほうにとって都合がよい世界なのである。臨床医の実力に応じて、地位や収入の評価が正当にされるシステムこそ今の日本の医療に必要だと私は考えている。ただ、そんなシステムは一朝一夕には出来るものではない。結構水準の高い医療保険システムや大学医学部の教室体制、学会システムが現存するだけに、改革には当初血を流すことを覚悟しなければならないだろう。
そんな中、我々も小さな力にならんがために、医療判断医の地位と相応の報酬システムの構築には全力をあげるつもりである。音楽の分野の指揮者専門養成学科みたいなものであるから、少数精鋭を考えている。我と思わん方は、是非我事務所の門を叩いて欲しい。

    

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