医療関連豆知識

1993/4 ~ 10 に掲載されたものです

医療関連豆知識

KAIGOjournal

1993.10

イメージラボラトリー「生活介護図書館」発行


療養型病床群(療養病棟)とは

医療法改正により1993年4月より施行される「療養型病床群」とは、老人慢性疾患の患者を対象とした老人病院に対し、老人に限らず長期入院を要する愚者すべてを対象にしている。
環境も患者1人当たりの病室面積と廊下幅が、従来の1.5倍程度と広くなっているので、4人部屋でも一般病院よりもプライバシーが保て、居住性が高くなっている。

また、機能訓練室、食堂や談話室、浴室などの設置、廊下には適当な手すりを両側につけることが望ましいとされ、身の回りの世話を行う看護補助者を配置することが義務づけられている。


安楽死について ひと言

安楽死の是非をめぐって様々な討論がなされています。「私は苦しむのはイヤだから賛成だ」と考えている方も多いと思います。

しかし、もう一度よく考えてみて下さい。あなたの最愛の人がベヅドで病に苦しんでいます。簡単に人の手で死を早めることが出来るでしょうか。

私たち医師の役割の基本は“人間の生命の延長”にあるべきと考えています。その上で、“命の質の向上”を更に追及した医療理念が望まれるのです。“痛みを軽減する”こともそのうちの一つです。

これだけ発達した医学のもとでも、根本から治せる病気は、わずかです。しかもほとんどは、“自己治癒システム”の手助けをするだけにすぎないのです。“治療、検査のためだから痛いのはがまんしなさい”という態度は許されません。しかし、“人間の生命の延長”が医学の基本にあることをふまえて、「安楽死」についても、真剣に考えるべきではないでしようか。


尊厳死について ひと言

“自然な形で死を迎えよう”という考え方が尊厳死の定義になるようです。日本流に言えば“たたみの上で死ぬ”ということでしょうか。

医療の進歩のおかげで、人工呼吸器、人工栄養などで、例えばガンの末期や脳卒中で意識の無いままに延命できるようになりました。点滴などのチューブにつながれた状態を“スパゲティ(マカロニ)症候群”と皮肉られています。

こういった形で、病院で最期を迎えるケースが多くなりました。

「心停止だ。人工心マッサージをするから、家族の方は外へ」とよく医者は言います。私が患者だったら辛い時程、家族といっしょに、妻に手を握られていたいと思います。日本では「病気だからがまんしなさい」という発想が基本にあります。私は“尊厳死”より、それ以前に、“尊厳ある医療のあり方”を私たち医療スタッフも、皆さん方もまじめに考えるべきだと考えています。


癌の告知について ひと言

癌の告知に限らず“不治の病”の診断を患者さんに告げるのはとてもつらいことです。私が仲間の医師100人にアンケート調査したところ、癌の告知経駿者は半数いました。その先生方は以降の治療が積極的に出来たと、ひとまずの評価をしていました。

ところが“自分の家族に癌の告知をするか?”との問に、「する」が15%、「しない」が41%、「保留」が42%という結果でした。これは、“癌の告知はするべき”と、ひと言では片付けられない問題であることを物語っていると思います。

医療を提供する技術者である医師と、医療を受ける患者さんとの間に本来の意味での人間関係が存在することが基本的条件である、という私の持論はこの問題においても唯一の糸口になると思います。

私が顧問医を勤めさせて頂いている方には、元気な時から“癌になったときなど告知をどうするか”話し合って決めています。愛情と責任に基づいていれば癌の告知をする場合でもしない場合でも、納得できるのではと私は思います。


エイズについて ひと言

エイズに対する危機感は、一般人にとっても我々専門家にとってもまちまちです。でも患者数確実に増加しています。今のところ対抗策は予防しかありません。そのためにも正しい知識と自分自身の抗体検査をするように私は勧めています。

 

”自分には身に覚えがないから”とか”どうせ発見されても治療法が無いから” と検査を拒否する方が多く見受けられます。大変嘆かわしく思っています。自分のためだけではなく、人類のことや次の世代のことを少しでも真面目に考えられないものかと言いたいのです。
それでも、私の周囲の友人に呼びかけて300人程度のエイズ抗体検査をしました。

結果の報告を見るときは私自身が緊張します。もし陽性だったら、私も共にエイズという病気と戦っていく覚悟です。幸い、今まで“良かったですね”と伝えるだけで済んでいます。彼らはみんなこんなに安心するものだとは思わなかったと、子供達の世代のことにも気配りできる余裕の笑額で感謝してくれました。


脳死について ひと言

よく脳死と尊厳死、安楽死を全部混同して理解している人がいます。でも、その根本的意味は全然違います。後2者は、すでにこの欄で説明しました。

脳死は“人の死の定義”です。特に、臓器移植の技術が進んだ今日必要になった定義なのです。

医学医療の根本は“生物(人間)の寿命を有効に延長すること”だと思います。医学の進歩のために、人間の死の定義を、従来の心臓停止より早い場合がある脳死に変えるのは大きな矛盾を抱えている論理であると私は考えます。勿論、臓器移植の賛否両論は論議を尽くすべきです。私自身、自分の息子が心臓移植をすれば助かるとなれば・・・と想像します。その時は何を望むかわからないと考えると怖くなります。

脳死の判定基準にもまだまだあやふやなところがあり、心臓停止のように単純明快にはいきません。脳死の決定は、憲法改正にも匹敵する重大事として論議すべきなのです。


薬漬け医療に ひと言

病院で貰った薬を勝手にまびいて服用していると得意げに話す人をよく見かけます。また入院患者さんの点滴の数が多いことがよく話題になります。いわゆる“薬 漬け医療”を非難しての話題です。

どうしてこうなったか? それを考えないといけません。 もし、私が日常の診療で投薬した 半分しか患者さんが服用していないとなると、危険な場合もあると危惧しています。日本の診療報酬体系が薬や検査に偏り過ぎていたことが、大きな原因であることは明白です。 そして最近は医学技街の進歩に 伴い、専門医や大病院指向の傾向が強くなり、医師と患者の間の信頼関係が薄れてきたから冒頭に書いたような事態が起こるのです。

我々医師も、患者となるみんなも、医療の基本となるべき道徳的背景を考え直すべきではないでしょうか。

おりしも、 質実国家を目指す日本なのですから、豊かな医療体制を作り上げるためには医療従事者のみならず、みんなが医療の現実を理解して,正しい方向に向けていく努力をしなければならないと私は考えます。

    

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